1月の日記・総集編 となりのテプイ (2005/02/04)
1/1記 えっ!もう?
サンパウロにて 我がブラジルも「日、出づる処」に半日遅れて新年を迎える。 妻の実家でおせち料理。 夜、陋アパートに戻る。 当地は新年特別番組などほとんどないが、まあどんなもんかとテレビをつけてみる。 するとなんと大手テレビ局でカルナヴァル(カーニバル)の宣伝! クリスマス飾りもまだしばらく取れる気配がなく、ようやく元日だってのに、もうカルナヴァルをあおり始めるとは。 ブラジルのメディアの大量消費・廃棄促進志向、大衆の愚民化助長も目に余る、とテレビを消す。 さて今年のカルナヴァルはいつになるのかとカレンダーを見る。 もちろんグレードの高い日本製のカレンダーにはカーニバルなど関係ないので、月齢まで書かれたブラジルの渋いカレンダーを見る。 すると「灰の水曜日」が2月9日、ということは2月の第1週からカルナヴァルの乱痴気騒ぎが始まるのだ! カルナヴァルの時期は月齢から決まるのだが、こんなに早いのは記憶にないくらい。 イヤハヤ。
1/2記 サマー寝正月
サンパウロにて 妻は大晦日と元旦に、実家でのおせち料理作りなどで奔走。 夫は飲み疲れ、食べ疲れ。 フェイラ(露天市)に魚と野菜の買出しに行く他は、陋アパートで安息。 扇風機を出す。 海岸山脈での、虫刺され痕がうずく。 来週末から、ギアナ高地へ向かう…
1/3記 つけてする?
サンパウロにて かなり溜まってしまったポル語・日語の新聞の一角をチェック。 いわゆる新聞スクラップだが、思わぬ拾い物もあり、デジタル時代に効率は悪いがやめられない。 今日のケッサクはブラジルの新聞の、インターネット欄の見出し。 訳すと「ウイルス対策ソフトはあなたのパソコンのコンドーム」。 わかりやすいねぇ。 不特定多数と接触するんだもんね。 今度日本から担いできたノートパソコンは、接続もややこしそうなので、まだワード機能とDVD機能を使ったのみ。 ずっとバージンでいるのか…?
1/4記 大耳事情
サンパウロにて いくつかの用事で、街に出る。 最初の用事を済ませ、さて次にうかがうところの住所と電話を控えてくるのを忘れていたのに気付く。 出掛けにバタバタしたせいか、ボケか。 自宅に電話をしようとするが、携帯電話も忘れている。 テレホンカードもなし。 ちなみにブラジルの公衆電話は基本的にカード式。 2件目の売店で、まずはカードを購入。 メトロの駅前で、公衆電話は豊富なのだが… つなみじゃなくて、ちなみシリーズ、ブラジルの公衆電話は通常、卵を割ったような大型のカバーが付けられている。 これを耳に見立てて、公衆電話のことをオレリョン:大耳と呼んでいる。 なんとどのオレリョンも不通、6代目の液晶表示部の破壊されているのが、ようやく通じる。 ただでさえメンテが悪いのに、バカどもがやたらに壊すから… 耳のお掃除は定期的にしませう。
1/5記 新FINAL WARS
サンパウロにて 来週末に控えたギアナ高地行き。 夜、メンバーの植物学者・橋本梧郎先生、BUMBA誌の細川多美子編集長らと顔合わせ・打ち合わせ。 もちろん僕はビデオ記録制作のための同行。 無縁仏FINAL WARSをいったん終わらせたばかりで、さっそく新たな FINAL WARSとは、イヤハヤである。
1/6記 ちもうりん
サンパウロにて ギアナ高地については、手元にほとんど文献もない。 インターネットで少しにわか勉強をした。 テーブルマウンテンの下の、グランサバナと呼ばれるサバンナ地帯。 そこに「恥毛林」というのがあるという。 環境への人為的な圧力の広まったサバンナ地帯で、わずかに谷間に繁茂する植生をこう呼ぶ、とのこと。 日本人の報告だが、なるほどそれらしかった、とのこと。 スペイン語でなんと言うのだろう。 さすがの橋本先生もこれは知らなかった。 そもそも「ちもう」と入力しても、そのまま変換されないことを知る。 グーグルで「恥毛林」を検索しても、僕のお目当ての方は出典となったサイトの1件しか見当たらない。 あとの数多くは「恥毛の林」なのだが、グランサバナの方は「恥毛」が「林」の形容であるのに対して、「恥毛」を「林」と形容したアダルトサイトばかり。 妻や娘に覗き込まれるとカッコワルイので、途中で閉じる。 現地踏査が楽しみ。 いろいろイメージが沸き、シモネタギャグも浮かぶが、この辺にしておきませう。
1/7記 ブラジルの里山
サンパウロ→サンロッキ 家内は近日中に仕事再開。 バカ亭主は来週末よりベネズエラ。 休み中の子供たち、連日、陋アパートでテレビでは心苦しい。 てなわけで、再び家族小旅行に行かふ、ということに。 妻が、知人の知人がサンパウロ近郊でリゾートペンションを経営しているのを思い出した。 休暇中のオン・シーズンにも関わらず、予約が取れた。 海岸山脈の中のファゼンダ。 実に虫くさい環境。 日本では、人里近くで、適度に人間による利用・管理がされて維持され続けてきた環境を里山と呼ぶようになって久しい。 ヨーロッパ人の到来以来、今日まで大土地所有が続いてきたブラジル。 乱開発が続くなか、オーナーや管理者の意向で、ここのような環境が残ることもある。 ブラジル的里山といったところか。 サマータイムの夕方6時過ぎに着。 6時半にはツノゼミ発見。 夜は蛍光とカエルの混声合唱を楽しむ。 よき哉。
1/8記 ワイン街道
サンロッキにて このサンロッキは州内最大のワインの産地。 うまい!というのには出会ってないが、なにせ値段がお手ごろなのばかり。 昨日は町なかで、地元じゃ大手の銘柄の赤の辛口を買った。 1本200円弱。 心臓病の予防にと晩飯前に空けて、さらに宿のオーナーにおフランス産の白を振舞われ、大グラスのカイピリーニャも飲んで酩酊。 今日はワインに懲り懲りしながら、ワイン酒造が軒並みのワイン街道を行く。 行ったからには赤と白、それぞれ甘と辛を試飲… 5リットル入りでも700円、安し。 ワインの他にアルカショフラ:アーティチョークの産地だそうな。 昼はアーティチョークのヴィナグレッテにアーティチョークのパスタをイタ飯屋で「ワインと共に」いただく。 これまたよろしかった。 心臓はカバーしたが、肝臓が…
1/9記 夏の知恵
サンロッキ→サンパウロ 年末の海岸旅行で思ったこと。 水出しの麦茶のもとを持参した。 これはサンパウロで安く手に入る。 ミネラルウオーターを用いると値段的にもったいない気もする。 宿は海岸山脈の渓流の水を引いており、飲料にまず問題ないと見て、山の水出し麦茶を堪能。 うまし。 もうひとつ祖国の知恵でありがたいのは蚊取線香、そして携帯蚊取。 今回の宿には、玄関先にヘッジ(ハンモック)あり。 横たわった子どもを代わりばんこに揺らしてやる。 なんとも喜ぶこと。 固定ベッドで寝るのがバカらしいほどの快感あり。 新大陸先住民の偉大なる発明だ。
1/10記 交信・更新・後進
サンパウロにて 作家の星野智幸さんが好意で運営してくれているサイト「岡村淳 ブラジルの落書き」( http://www.hoshinot.jp/okamura/index.html )が久しぶりに更新された。 更新が遅れたのは、ひとえに岡村のせい。 昨年半ばから「アマゾンの読経」の編集に専心して、これまでの拙稿のリライト・入力の時間的・精神的余裕がなかった。 それでも忘れられない程度にいくつか、と準備を図ったのだが、貯金がひとつできたところでパソコンが故障。 昨年9月、修理にパソコンを持っていった日系ハーフのあんちゃんが失踪したまま。 修理人を探す時、日系の名前を見つけ、日系ならそう間違いはないだろう、と踏んだのだが。 ブラジルくんだりまで来て、血の幻想をチョイスした罰が当たる。
1/11記 清き1クリック
サンパウロにて ベネズエラ行きを控えて、締切り迫る原稿に取組む。 計3本。 まずは妻の連載の構成、そして清書から。 そろそろ子どもの新学年が始まる。 学用品と教科書代の足しに… 昨年後半はバタバタにより、逐次連載アップの報告ができなかったが、南米専門の旅行社のサイト上で連載している拙稿「住めばブラジル」( http://www.univer.net/1_nanbei/back_no.html )では毎月、新しい記事と写真をアップしている。 この日記だけじゃ物足りないアナタ、こちらにアクセスあれ。 そもそも最長1年12回、という契約だったが、アクセスが好調とのことで延長になった。 諸般の事情で打ち切りの可能性もありそうだが、皆さんのアクセス次第で、まだ続くかも。 となると、またネタをデッチ上げないと…
1/12記 ビビンバップる
サンパウロにて 旅を前に、リベルダージで散髪。 出たところで、友人にバッタリ。 昼飯を、と誘われる。 フトコロ具合が厳しく、おととい断食しているので、考えるが、じゃあ、ということに。 韓食となる。 ビビンバに冷麺、小皿とだいぶ辛いものを摂取してしまう… それにしても冷麺を切るためのハサミがあるのは知らなんだ。 よく切れる。 蕎麦屋やパスタ屋でハサミください、と言ったらどんな目に遭わされるだろう?
1/13記 出ネズエラ
サンパウロにて かつての映像記録時代のこと。 ベネズエラ取材中のスタッフに連絡事項があり、東京のオフィスからテレックス送り、そして国際電話を試みた。 連絡先のホテルが電話に応じない。 終電ギリギリまでトライしてもNGで、こりゃ電話に出ネズエラ、などとくだらないことを仲間と言い合ったことがあったっけ。 妻方の親戚がベネズエラにいるのを思い出し、電話をする。 彼には「すばらしい世界旅行」『アマゾンをさすらう 牧童の旅 曲芸の旅』の、南マットグロッソでの牧童取材でお世話になった。 彼は当時、若きファゼンデイロ(牧場主)だったが、その後、思うところあってベネズエラに渡った。 0015で何度かトライしてNG、0021でかけてみるとイッパツでつながった。 彼の地で再会できそう。
1/14記 四人と三脚
サンパウロにて 明15日からのベネズエラ行き、最初は四人のメンバーで行く計画だった。 途中で一人増えたが、土壇場になって日本国外務省筋からのクレームにより、一人が断念、結局四人となった。 久しぶりのスペイン語圏。 諸々の準備、さらにこれまでの自作の2本の橋本梧郎作品をプレビューして構想を練る。
1/15記 好日好旅
サンパウロ→ボゴタ(コロンビア)→カラカス(ベネズエラ) 家を出る前にメールのチェック。 日本時代の知人からのメール。 本15日付の日本経済新聞の「交友抄」という欄に、星野智幸さんが不肖岡村と「アマゾンの読経」について書いてくれた。 音信の途絶えていた知人がそれを読んで岡村の名前を検索して、メールをくれたというわけ。 出発時間が迫り、短い返信。 次いで、かつて「知られざる世界」のファンだったという方からも同紙を見て、とメールをいただいた。 時間切れで返信はギアナ高地から生還できたら、とさせてもらう。 新たな旅の門出に、自分の歩みを振り返るチャンスをもらう。 幸先良し。 行ってきます!
1/16記 ラジオとサルサ
カラカス→シウダーボリバル 今回の旅行は隊長がサンパウロの旅行エージェントを通して手配したのだが、カラカス到着の昨晩から前代未聞のトラブル続き。 このままでは全旅程に影響も。 本日、早朝から僕が橋本先生のお供をしている間に女性二人が奔走、ようやく道が開けた。 ハナからドラマチック。 今日のタイトルについては、出来上がりの作品をお楽しみに! 別件もあるので、年末ぐらいになりそうだけど。 今回の作品は、「パタゴニア」同様、音楽を使わずに、現地音だけで行ってみようかとも思っているが、さて。
1/17記 失われた世界…
シウダーボリバル→サンタエレーナデウアイレン→ボリバル州内(ベネズエラ) セスナで移動。 雲の多いなか、ついにギアナ高地に浮かぶ「テプイ」と呼ばれるテーブルマウンテンの数々を間近に見る。 息を呑む。 心を掻き立ててやまない。 橋本先生と僕の今回の計画のメインは、このテプイの上に乗り込むことだが、その段取りは今日、ようやくつけた。 ヘリ使用のため、高額なエキストラ料金が発生する。 しかも天候次第のため、行けるという保証はない。 まずは4人のメンバー全員の手持ちのドルをかき集めて、ヘリのチャーターが可能か検討。 カードは使えない。 これまた気になっていた現地ガイドはアタリのようだ。 四駆車で、グラン・サバナと呼ばれるサバンナ地帯の宿へ向かう。
1/18記 テプイのある風景
ボリバル州内(ベネズエラ)にて これまで、かなりの強行軍の移動が続いた。 不肖岡村もヘロヘロ、その倍の人生を生きる橋本梧郎先生の身心を第一に。 乾季のはずなれど雨がち。 午後よりグラン・サバナを回る。 周辺の植生や先住民の村など。 日本のメディアで表現されてきたギアナ高地像のつくりと盲点がわかってしまう。 ちょっとユニークな記録ができそうだ。 またすぐにテレビ屋あたりにパクラれそうだが。 かつて岡村の橋本梧郎作品を見て、橋本先生の取材に乗り込んできたNHKが如何に先生にご迷惑をかけているか、先生自身から公表を、と依頼された。 借りたものは、返しましょう。 NHK側がすぐに善処するなら、これ以上の発表は控えるが。 請うご期待。
1/19記 ジュビア…
ボリバル州内にて それにしてもグラン・サバナ、連日よく降ってくれる。 Lluvia esta llorando lagrimas de miel. 雨は蜜の涙を流している。 (星野智幸著「最後の吐息」より) ガイドのロベルトを始め、あちこちでスペイン語で「雨」を意味するlluvia(ジュビア)の語を名詞形、あるいは動詞で耳にする。 なんとも潤いと艶やかさのある言葉だ。 我らがポルトガル語ではchuva(シューバ)。 遺憾ながら文学的感性をくすぐらないねぇ。 防水ウインドブレーカーを着ていて下着まで濡れる雨、というのも前例を思い出さないくらい。
1/20記 ボスキ・テプイアーノ
ボリバル州内にて テプイと呼ばれるギアナ高地のテーブルマウンテンの頂上には、登山するかヘリで行くしかない。 橋本先生の体調から、可能なのはヘリのみ。 グラン・サバナの旅の終わり、22日の朝にヘリを予約しているのだが、天候次第。 本日も四駆車で行ける範囲でグラン・サバナを回る。 熱帯降雨林の上がり下がりはダイナミックだった。 植物的時間と地理学的時間、さらに生物学的時間と地質学的時間、そして地球史的時間でものを感じて考えるいい旅だ。 「橋本梧郎南米博物誌」と題しながら、僕の博物誌を展開しよう。
1/21記 心はロライマ
ボリバル州内にて 昨日よりパンアメリカンハイウエイ沿いの宿。 ブラジルの場末より落ちる設備。 昨夕、雲の合間からほんの数分間、現れたロライマ山塊は強烈だった。 宮崎駿の世界をほうふつさせる異形の塊。 本日は付近まで行くが、曇天と雨でその姿は拝めず終い。 今回は橋本先生と不肖岡村が道中ずっと同室だが、先生の身心もそろそろリミットとお察しする。 宿はジェネレーター発電のため、夜更けより電気がなくなる。 先生は夜間、何度となく懐中電灯をつけて時計を見たり、トイレに立ったり。 外は雨だというのに、何度も断水となり、その度に不肖岡村がガイドを探しに行き、先住民の従業員に善処を促してもらう。 水道は水が出ても実に心細い水量、しかもシャワーは冷水のみ。 92歳を迎える橋本先生にとっては極めて苛酷な環境だ。 明日は早朝5時出で、ヘリポートまで2時間ほど飛ばす。 天候さえ許せばヘリでロライマ山頂を目指す…
1/22記 てるてるぼうず
ベネズエラ→ブラジル→ベネズエラ 懐中電灯の明かりで午前5時出発。 橋本先生も限界と見えて不機嫌なのがわかる。 その辺を作品にどう表現するかが、岡村の腕の見せ所。 結局ロライマ山塊は雲に覆われ、今日のヘリは中止。 明日朝、ラストチャンスにかけることに。 ヘリのパイロットによると、1月始め以来、ずっと曇天・雨天というこの時期では考えられない異常気象とのこと。 例のTSUNAMIの影響とも。 ぜひともテーブルマウンテンの上に行きたかった橋本先生のこれを受けた発言がカッコよかった。 岡村の作品の完成をお楽しみに。 そもそもヘリ使用の予算は今回の旅の予算に計上されておらず、ヘリチャーター料金はカードも使えないので、4人各自が隠し持ってきたドルキャッシュをかき集めて、どのくらいの時間のチャーターが可能かを計算する要あり。 橋本先生に、おそらくまたギアナ高地、ということはない。 今回、ロライマ山以外も含めて是が非でもテーブルマウンテンの頂上にお連れするための4案を考えた。 4人のメンバーの団長であるBUMBA編集長の多美子さんは、明日、ロライマ山がゼッタイ晴れるというポジチブな考えを全員が持つべきで、それ以外は考えちゃダメ、と言う。 「なんとかなりますよ」と楽天的に構えるか、なんとかするためにどうするか、人事を尽くして天命を待つか。 まったくドラマチック過ぎるぜ。
1/23記 となりのテプイ
サンタエレーナデウアイレン→シウダ-ボリバル→カラカス グラン・サバナに到着以来、ギアナ高地でテプイと呼ばれるテーブルマウンテンへの思いは募るばかり。 またテプイのあり様はなにやら宮崎駿ワールドをほうふつさせるものがある。 ここ数日、「となりのトトロ」のテーマ曲の「トトロ」を「テプイ」に変えて口ずさんでいた。 「となりのテプイ」。 すると、ほんとにとなりのテプイに行ってしまった。 あのヘリはネコバスか? 昨夜から一晩中、天空を見つめ願をかける。 未明の空にくっきりとクケナン・テプイが現れた。 クケナンはロライマ山塊、ロライマ山に隣接するテプイだ。 午前6時40分、宿のヘリポートにネコバス・ヘリがやってくる。 ワルキューレの騎行だ。 ロライマ山は雲海に覆われているため、となりのクケナン・テプイに着陸。 僕の人生で、これ以上、強烈な場所を思い出せない。 タルコフスキーの「惑星ソラリス」の世界を思い出すが、故人には悪いけど、あんなもんじゃない。 テプイの上は、凄いゾ! 短い時間で、橋本先生と他のスタッフの動向、植物のアップ、付近の景観の撮影。 ラッシュに期待と不安。 ホント、ドラマチックでありました。
1/24記 カラカス物語
カラカスにて 橋本先生の希望に沿って、全員でカラカスの町を散策。 先生の手を抜かない意欲ぶりには恐れ入るばかり。 町用の、きちんとした格好をされた先生は、かの名優・笠智衆をほうふつさせる。 旅の締めのインタビューを撮るべく、別件もあるカラカス植物園行きを予定していた。 昼になり、先生が「もう植物園には行かんでも」とおっしゃるので、ロケ場所のオプションとしていたホテルのプールサイドでインタビューをさせてもらう。 味わいのあるインタビューだった。 「女優」ふたりにはインタビューのアポをすっぽかされる。 杉村春子に淡島千景か。 こちとら男身にして原節子だぜ。
1/25記 92本のロウソク
カラカス→ボゴタ→ 旅行の最終日。 道中、ずっと橋本梧郎先生と同室させていただいていた。 毎朝、先生の起床に合わせて起床。 今朝のこと。 先生、起きるなり「お世話になりました」とおっしゃる。 「いえいえとんでもない、こちらこそ行き届きませんで…」。 まるで小津安二郎の世界、カラカス物語2だぜ。 今日は先生の戸籍上ではない、ホントの誕生日だという。 昼、カラカス郊外のレストランへ。 なかなかの当たりだった。 ベネズエラ料理でお誕生祝い。 おかげさまで、いい旅でした。
1/26記 SOUTH AMERICAN GETTAWAY
→サンパウロ 昨晩遅くコロンビアのボゴタでトランジット、早朝ようやくサンパウロに到着。 イヤハヤさすがに疲れた。 おや、なんだかサンパウロの町、冷房が効き過ぎだぞい! 今日一日は陋アパートでぐったりさせてもらおうと思う。 せっかくウツラウツラすると、何度となく電話で起こされて… フラフラしながら迷惑メールの削除作業。 ドキュメンタリー屋、三界に家なし。
1/27記 信じた仲
サンパウロにて 今日もまだ疲れが抜けず。 夜、知人との会食あり。 その前にサンパウロ人文科学研究所に顔を出す。 本日付のニッケイ新聞に、人文研理事の田中慎二画伯がずばり「アマゾンの読経」と題して拙作についてのコメントを寄稿してくださった。 僕が作品上の師と仰ぐ人物が3人いる。 そのうちのひとり、記録文学作家の上野英信さんの作品と拙作に共通するものがあると指摘してくださった。 田中さんは故・上野英信の南米取材の際、親交のあった人だ。 その田中さんからのこの指摘に、舞上がる。 田中さんに一言御礼を、と人文研の門を叩くが、今日は雨のため、いらっしゃらないとのこと。 ひとつ田中さんに伺いたいことがあったが、またということにする。
1/28記 信じたバカ
サンパウロにて まだ本調子ではないが、午後から町に出る。 昨日、メトロでバッタリ、日本とブラジルを結ぶさる団体の現役研修生とOBに会う。 現在、彼らが行なっている写真展に誘いを受けた。 邦字紙上で午後2時から10時までという開催時間、そして住所を確かめ、行ったことのない場所のため、地図で調べて行ってみる。 あの危険都市カラカスより犯罪発生率が上、と日本国外務省にお墨付きをいただいているサンパウロ、夜に知らないところは、よほどのことがなければ行きたくない。 以前から名前は聞いていたNGOの事務所が会場。 探し出した会場、門が閉じているため、呼び鈴を押すと階上からブラジル人のおっさんが、 「なんだね?」と面倒くさげ、うさんくさげに顔を出す。 「写真展をやっているんじゃないですか?」と聞くといったん顔を引っ込め、 しばらくして、 「夜だけだ」と言い捨てて顔を引っ込める。 「夜とは、何時を言うんですか?」 と持ち前の大声で食い下がると、ひとこと、 「7時半」。 それ以上は問答無用だった。 誰が二度と来るか。 サンパウロ発行の邦字紙2紙ともにこの写真展の案内記事が載っていた。 それを信じて他にも被害者が出ていないことを願うばかり。
1/29記 疲れの理由
サンパウロにて ブラジル帰国後、3日目にしてまだフラフラ気味である。 確かに過酷な旅だったが。 何か病のせいだろうか? 思えば9年がかりの「アマゾンの読経」のようやくの完成の後、急を要する後始末をなんとか済ませてすぐの取材旅行。 疲労の蓄積だろうと解釈。 幸い、すぐに予定していた別の取材旅行が少し伸びた。 来週から子供たちの新学期。 今日は日本の友人の送ってくれた手塚治虫を読み耽りながら、安静にさせてもらう。
1/30記 ボゴタ風邪
サンパウロにて ますます不調な感じ。 今朝になって、思い当たることあり。 今度の旅行の帰路、満席のコロンビアのボゴタからのフライトで、隣のスペイン語圏のオヤジがしきりにこちらにセキを浴びせかけていた。 深夜のため、反対側のヴェジタリアン女の方に顔を向けて眠るようにした。 眠っている間にまたオヤジの方に顔が向いてしまったかもしれない。 どうやら風邪の諸症状である。 過労で免疫力の低下している時に、一晩中ウイルスを浴びせ続けられたらテキメンだろう。 コンピューターウイルスなら人体までは蝕まれないが。 今後はヤバそうな飛行機にはマスクを持って行った方がよいぞ。 もともとこの席、橋本先生の席だったのを、悪い予感がして代わって差し上げた。 嗚呼、身をもって我が師を守れり…
1/31記 新生活
サンパウロにて ついに今日から子供たちの新学年が始まる。 娘の授業は昨年までは午後からだったが、今年から午前となった。 そのため、まだ暗い6時台から一家全員で出発。 それぞれを送り、自動車を車検に出す。 今度はいくら取られるか、ヒヤヒヤ。 もうひとつ、今日から新たなことを始める。 いくつかの事情により、拙作「アマゾンの読経」の完成台本を作ることにした。 作品中の映像と音声をすべて文字で書き出す作業。 なにせ作品の長さが5時間15分。 かなりの日数がかかりそうだが。 予定の期限内に終わらすことができるかどうか。 それにしても、子供たちが嫌がらずに学校に行ってくれるのはありがたし。 身心調整のため、今日は断食。
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