7月の日記・総集編 2005年 地球の旅 (2005/08/01)
7/1記 淳子
サンパウロにて 愚生の名前についてのこぼれ話を、畏友の美代ちゃんが書いている。 淳子のエピソードは忘れていた。 http://www.brasilforum.com/ の6月30日の項をご参照あれ。 午後からリベルダーデに出たついでに、知人がことづけておいてくれた小冊子をピックアップしに、さる「研究所」へ行く。 作成に際して資料を提供させていただいていた。 まるで期待もしていなかったが、小生の名前をクレジットで入れてくれている。 編集を担当された方の誠意に恐縮。 このパンフ、日本語に合わせてポル語訳もある。 そちらを見ると、僕の苗字はOkamotoに改名されている。 そのレベルの仕事でしっかり「翻訳事務所」の名前のクレジットが入っている。 今度そこの親分に会ったらイヤミの一言ぐらい言わせていただこうか。 効かねえだろうな。
7/2記 SUSHIとの遭遇
サンパウロにて 家族で日本食食べ放題という日本メシ屋に行く。 最近、ブラジル人相手にサンパウロ市内に増えている。 寿司やサシミ、天ぷら等も含めて一人1000円弱といったところ。 まずおひつの白飯と具の乏しい味噌汁、そして餃子が運ばれてくる。 さて待望の寿司。 おお、これがSUSHIか! 近年、ブラジル人相手のスシは特殊進化を遂げていると聞いていた。 なかなかそういう高級な店に行く機会はなかったが、日本食バイキングでその片鱗を見た。 外形からでは見当のつかないものを巻いている巻き寿司。 なんとバナナにゴイアバーダ(グアバのジャム)というコンビネーション。 海苔の代わりにゆでた白菜で巻いた巻き寿司。 サーモンのソボロにケチャップ色の液体がかけられている。 味わってみるとタバスコ。 日本文化のハードルは軽々と越えられていく。 せっかくなのでお代わりをするが、サーモン中心でコッテリ系ばかりのSUSHIはそう食えたもんじゃない。 残すとムルタ(罰金)とのこと。 妻と日本語の小声で、店員が見ていない間に処分しちゃおうかとささやき合う。 ああ、ベルトコンベヤー上のでもいいから日本の寿司が食いたい。 東南アジアからの従業員に囲まれながら。
7/3記 フェイラの人
サンパウロにて 日曜のフェイラ(路上市)に。 中ぶりのアジを2匹ばかりおろしてもらっている間に、気がかりな人のお店を訪ねる。 コチア青年としてブラジルに移住したBさんのお店。 洋品関係の小物数百点を商っている。 そのBさんのお店のスペースが先週、ぽっかりと開いていたので気になっていた。 さまざまな人の出入りするBさんの情報の多さとその読み込み・分析は鋭い。 そんなBさんと岡村のやり取りはNHK取材班にも撮影された。 NHK側の依頼でうちの娘まで登場させたのだが、そのシーンは惜しげもなくカットされた。 相変わらずBさんは出店しておらず、そのスペースに別の小店が出ている。 隣で靴をるブラジル人のおばさんに聞いてみる。 「彼氏、旅行に出たのよ」。 安心。 思えばフェイラの移民像も興味が尽きない。 魚屋の調子のいいおじさんに出身地を聞いてみると、なんとミンダナオ島だった。 子供のときに引き揚げ、それは大変だったらしい。 木箱を並べただけのタタミ半畳ぐらいのスペースでタマネギとニンニクを商うおじさんがいた。 品質にまず間違いのない、誠実そのもののおじさんだった。 話らしい話も聞かないうちに、おじさんはいなくなってしまった。 やむなく他の店でタマネギを買うようになって、この日本人のおじさんの保ってきた品質の高さが改めてよくわかる。 さあ来週はBさんに会えるかな。
7/4記 拙作の行方
サンパウロにて アマゾンでの拙作「アマゾンの読経」上映会の日程について、現地の世話役の人と連絡を取る。 さる移住地での上映についてもご手配いただき、恐縮である。 その移住地、こんなエピソードを思い出した。 取材をきっかけに、岡村のシンパになってくれた人がいた。 その人のところに拙作をいくつかダビングしたビデオテープを進呈した。 移住地の人に回してみてもらっているという便りあり。 ところがある人のところで止まってしまい、なかなか主のところに戻ってこない。 業を煮やして回収に乗り込んでいくと「いいフィータ(テープ)だったので、日本の親戚に送ってしまった」。 なんだか面映いような、あきれるような。
7/5記 2005年 地球の旅
サンパウロ→ 7月下旬から、なかなかのオデッセイが始まる。 今日でひととおりの大枠の日程が出る。 さて。 病気・怪我をしているヒマはないゾ。 「悪魔のように細心に 天使のように大胆に これが私の心がまえだ」 これは黒澤明のパクリだ。
7/6記 ガンダーラ
→北パラナ→ 今日は託児所の「6月祭り」。 なぜ7月に6月祭りかについては、「住めばブラジル」の拙稿を参照されたし。 子供たちに先生たちが「田舎風」の化粧。 年齢別の各クラスの準備を撮って回る。 年長組の子供たちの化粧についつい、ビデオを回してしまう。 南ブラジルにはヨーロッパ移民の子孫が多い。 アーリア的な彫りの深い顔立ち。 瞳は翡翠の妖しさ。 少女たちにアイシャドウやルージュをひくと、「タクシードライバー」のジョディ・フォスターの世界。 少年の顔にダリひげを描き込むと、ガンダーラ仏だ。 ブラジルに乗り込んでくる日本のスケベねーちゃんたちがハマる訳だ。 いずれにせよ本筋とはズレるシーンだろうが、こんな息抜きがあってもいいだろう。 歩留まり撮った後ももうちょっと、と粘っていると、幼年組の踊りが始まるから、と招集がかかって現実に戻る。
7/7記 ミヤザキを超えて
→サンパウロ 夜行バスで行って、日中撮影して、その日の夜行バスで戻ってくる。 ややフラフラである。 子供の送迎に車で出たついでにひとつ、用足しを。 近日、訪日する日本人の友人のところへビデオテープを届ける。 彼のところに先月、二人目の子供が生まれた。 使い捨てオシメなどという誕生祝も芸がない。 日本のおじいちゃんおばあちゃんは二人のブラジル産の孫に会っていない。 子供たちのビデオ撮影というプレゼントを申し出て、先週、撮影した。 VHSにダビングして届けたのだが… 家に帰ってから別のテープを届けてしまったのに気付いた。 フラフラ状態で欲張って、かえって用事を増やしてしまった。 再び正解のビデオテープを届けに行く。 間違って持参したのは、90歳のおばあちゃんの誕生祝を友情撮影したもの。 近々ブラジルでも公開される「ハウルの動く城」は18歳の娘が90歳に変身するお話。 岡村の友情撮影作品は、新生児が90歳に化けてしまった。 宮崎駿を超えたゾ。
7/8記 日本人だけの
サンパウロにて いろいろなメルマガのなかから。 「日本人の知らない日本」というのがある。 在日日系ブラジル人による日本語メルマガ。 最新号にこんな一節が。 実際にブラジルには、いまだに日本語しか話せない 日本人だけの街があるらしいです。 そんなことが日本で起きたら悲しいですね。 どうせなら仲良く、楽しく、過ごしたいですね。 ホントにそんな街があるのだろうか? もしいまだにそういう街があるとして、それが悲しいことなのだろうか? 在日日系ブラジル人に対する偏見や、在ブラジル邦人に対するソースのあいまいな情報の流布の方が悲しいことではないだろうか? そんな疑問を発行者に送る。 即日返信があり、ソースを調べてみるとのこと。 対応ぶりには感心。 手塚治虫の「グリンゴ」だったりして。 あれは街でなくて村だけど。
7/9記 てぬきヤキソバ
サンパウロにて 今日は締切りの迫りつつある原稿に着手。 午後、小腹がすく。 先日買ってみたN社の新発売・ブラジル製インスタントヤキソバにトライ。 ヤキソバはスシ・サシミと並んで当国で市民権を得た日本語のひとつ。 調理法を見ると、日本のカップヤキソバのようにゆでたお湯を捨てない手順だ。 ブラジル人はクリーミーなものを好むという調査があるようで、それに合わせたのだろう。 3分間ゆでて、粉末調味料を混ぜるが… 調味料はズバリ粉のソースだけ。 祖国のものなら、申し訳程度でも乾燥ネギの破片ぐらい入っているだろう。 それでいて、調理例の写真にはニンジン、ブロッコリ、鶏肉にマッシュルームまでが彩りを添えている。 サジェスチョンの調理法としてまずフライパンでタマネギを炒め、そのあとに牛肉、鶏肉を加え、さらに他の野菜を足せとある。 そうまでして「わざわざ」インスタントヤキソバを作るか! 好奇心旺盛の方は販売中止になる前に、お早めに入手あれ。
7/10記 開いた口
サンパウロにて 日曜のフェイラに食材の買出しに。 5件並んだ魚屋を往復してみるが、刺身で食べたいような魚がない。 常連の店のブラジル人のあんちゃんに、こちらの日系人がマスと呼んでいるアンショーバと、生のタラの切り身を頼む。 「ホカニ?」と聞かれ、店の端にアサリがあったのを思い出して半キロほど頼む。 家に帰って、塩出しをしようとアサリを開けてみると… 半分はすでに口が開いており、空の殻まで混じっている。 これだけひどいのは初めて。 ちゃんと見ていたら、まず買わなかった。 よくこんなものを売れるもんだ。 半日、塩水につけて、なおも口をつぐみ続けたのは、7個。 やっぱり自分で確かめないと危ないブラジルからでした。
7/11記 冬休みの朝
サンパウロにて なんといっても子供たち二人の学校が休み。 朝6時台出発の二人の送りがないだけでもヤッホーである。 それでもふだんなら、バカオヤジひとりの昼飯は冷蔵庫の残り物で済ませられる。 子供二人が休みだとそうもいかず、昼とお夜のオカズを考え、買出し、仕込み、食器洗いとバカにならず。 加えて、諸々の… 喜びとしてやりませう。 それにしても朝方は10度近くまで冷えこむようになった。
7/12記 日記の止め時
サンパウロにて さる連載で、岩波文庫にもなっているある日記をベースに書いてみる。 この日記サイトを始めた頃のエピソードを絡めながら… なり行きで始めてしまったこの日記サイト、いつまで続けるか。 アクセスが1日に1件もなくなるようになったらやめよう、と考えている。 さて昨日午後からサーバーエラーが続く。 これまではせいぜい数時間、長くて半日ぐらいで修復していた。 今回は長い。 僕にはお手上げ、日記の更新の手間が後回しとなってリフレッシュできる、と態度を決める。 管理人の櫻田さんによると、サーバー会社のハードディスクの故障とのこと。 深夜の用足しから戻ると、ようやく復旧。 ご心配をおかけしました。 とりあえずサーバーの事故は、日記終了の理由からはずしておきます。
7/13記 先生
サンパウロにて 本日付のサンパウロ新聞にBumba誌掲載の「センセーたちとのセンセーショナルな日々」について触れられていた。 原稿料なしで数日がかりで書いている連載だが、センセイどもの蛮行を「控えめに」描いた今回のは特に手応えあり。 午後、橋本梧郎先生を訪ねる。 日の短い冬、濃密な時間を過ごす。 自然と素直に先生と呼べる人は、数少ないが僕にもいる。
7/14記 NHKふれあいプラザ宛
サンパウロにて 1997年9月放送、ブラジルの植物学者橋本梧郎先生を取材した御社のドキュメンタリー番組で、担当者が先生から借り出した文献、16ミリフィルム等を再三の請求にもかかわらずいまだ返還がありません。せめて先生が人から借りた16ミリフィルムだけでも早急に返還いただきたいとのご希望です。先生は92歳、手が不自由ですので私がご依頼を受け、ご連絡する次第です。 以上を本14日朝、NHKふれあいプラザ宛に送信した。 NHKが放送80年記念ドラマでブラジル移民を取り上げるのも、今年、ブラジル各地でNHK映像祭を開くのも、視聴者との信頼関係を大切にするとのたまうのも結構だ。 まず被・取材者との信頼関係を大切にする気はないのか。 そんなことなども書き込むつもりが、400字以上の送信は受け付けない、というシステムなのでコンパクトにいった。 ブラジルの邦字紙の読者欄もこの方式に習うと少しすっきりするかも。
7/15記 産経新聞読者サービス室宛
サンパウロにて 丸一日経つが、NHK側からは何の音沙汰もない。 NHK内の検索システムを使えば、放送日・番組名・担当者が一発でわかることをこちらは承知している。 よほどクレームが多すぎて、こんなのにいちいち「誠意ある対応」はできないということでしょうかね。 NHKスタッフは「NHKの信用」のもとに橋本先生のかけがえのない資料を借用書1枚残さずに持ち出した。 その後の請求にもかかわらず、返してよこさない。 彼らの取材時に橋本先生は84歳、「信用」の他に借用の物的証拠は残していないから、相手が死んでうやむやにして永久に闇に葬るのを待つのみ、と考えているのがうかがえる。 こうしたマスコミの犯罪により、どれだけ多くの人類の遺産がゴミとなり、あるいはそうしたお宝を食い物にする連中の懐を潤してきたことか。 敵の誤算は、橋本先生の長寿だ。 NHKの信用や誠意など、羽毛ほどの重さがないことは肝に銘じていい。 本日付のニッケイ新聞が強力な援護射撃をしてくれた。 ことは公になった。 感謝である。 さて、そろそろバタバタするので気の進まないもうひとつのことをしておく。 以下にアップ。 産経新聞 読者サービス御中 在ブラジルの岡村という者です。 日本の知人から送られてきた御紙記事を見て、目をむきました。 日付がわかりませんが、右上に「読者から」とあり、見出しは「広大な荒地『セラード』開拓」、そしてS部Y記者の署名があります。 この記事の問題は、見出しから「セラード」を「広大な荒地」と決め付け、本文中にも「 『セラード』と呼ばれるブラジル最大の不毛の土地」と規定していることです。 この記事の主人公である農業移民がセラードを荒地、不毛と称しているというのなら、発言者の環境意識のレベルがうかがえるということで許容範囲かもしれません。 しかしこの記事では見出しから、そして本文中にも地の文としてセラードを「荒地」「不毛」を断定しています。 この記者は署名をしているぐらいですから内容に自信があり、責任を取る覚悟があることかと存じます。 セラードを荒地、不毛と断定する裏取りをしているのでしょうか? 日本政府が開発に乗り出した1970年当時なら許された表現でしょう。 しかし80年代後半ぐらいから、こうした開発への反省とセラードの希少な生態系の有用性と保護が叫ばれるようになってきました。 この程度のことは、今日、ブラジルでは小学校で教わる知識です。 環境保全意識を伴わない開発が地球と人類に対する犯罪行為であることは、今では世界的な常識と存じます。 御紙が「荒地」「不毛」と断定したセラードでは、今日、開発による破壊を免れた地域を国立公園に指定し、さらにUNESCOの世界遺産にも指定されています。 日本のJICAによるセラードの環境保全プロジェクトも行なわれていることも周知の事実です。 御紙の上記の署名記事がこうした常識を一切無視しているのは、何か特別な意図があるのでしょうか、あるいは署名記者のまったく裏取りをしない手抜きの取材のせいなのでしょうか? 奇遇なことに、昨年、御紙の同姓同名の記者の取材活動によって、私に少なからぬよる被害が生じました。 そうした取材活動が御紙の報道理念にかなうものかを御社読者サービス室宛に抗議しましたが、誠意ある回答をいただけないままになっております。 今回はこの抗議文を私のホームページ等に公表して、マスコミ関係者にも送信する所存でおります。 御紙の浄化機能に期待して、以上、問い合わせをさせていただく次第です。 ブラジルと移民をナメ続けてはいけない。
7/16記 祭りの場で
サンパウロにて 朝、東京の実家に電話。 祐天寺の盆踊り大会だという。 当地では昨日から明日まで第8回日本祭り。 今年は会場が市内からやや遠くなり、入場料も取るとのことで、例年の人手は危ぶまれていた。 何かと雑用は多いが、夕方、思い切って行ってみる。 まあ、すごい人。 大成功で何より。 着実に日本祭りはサンパウロに根付いた。 主催者が明確な戦略を持ち、演出をこらせば、これは更に面白くなるだろう。 会場で出会った何人もの人たちから「NHKはひどいね」「NHKはけしからん」と声をかけていただく。 もちろん僕のサイトを見ている人たちというより、ニッケイ新聞の読者たち。 実はもっとひどくけしからん話があるんですよ・・・
7/17記 同胞との遭遇
サンパウロにて 今日、面白い展開があったが、まだ手の内は明かさないでおきませう。 天網恢恢疎にしてもらさず、であるぞ。 さあ下品な話題が続いては読者の皆さんに申し訳がない。 お口直しにこんなのをどうぞ。 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642 バタバタする前に、9月発行のものの原稿を早めに送っておいたのが、思わぬお役に立てたようだ。 内容の不備は締め切りの前倒しでカバーだ。 前倒しは日本人の美徳だ。
7/18記 返り血は森で洗った
サンパウロ→リオデジャネイロ州 当地14日にNHKに宛てた抗議に関して、本18日現在、実名をさらして抗議を行なった私のところには何の音沙汰もない。 しかしニッケイ新聞がこの問題を15日付の記事にしてくれたおかげで、NHKが水面下の工作を開始したことがわかっている。 こうした次元の低い問題で消耗するのは不本意だ。 だがNHK職員も産経の女記者も、確信犯でデタラメを繰り返している。 今後も大メディアの肩書きを使って、さらに悪質な行動を起こす恐れがあるということだ。 被害者の側にありながら、不正に目をつぶるのは卑怯であり、加害者を助長するばかりだ。 そうした思いからの返り血を浴びるのを覚悟の抗議だ。 当然、敵は増える。 今日から旅の日々の始まりだが、この件の対策で出発が数時間遅れる。 不快感を貴重な旅先まで持ち越すことを懸念。 しかし、家族と、そして海岸山脈の大西洋森林が僕を癒してくれることを感じる。
7/19記 フィールド・ノート
リオ州にて 生まれて初めてノート・パソコンをハンモック上で操作。 操作は決してスムースではない。 いろいろと体位を工夫。 そういうシチュエーションを楽しむ。 そのうち、ちょっとウトウトしたくもなる。 落っことしでもしたら一発でアウトだぞ。 ノートパソコンにもカメラのようなショルダーベルトがあってもいいかも。 フィールド向けの強いやつが欲しいね。 これがホントのフィールド・ノート。
7/20記 レインフォレストの再生
リオ州にて 海岸山脈は、今日も雨。 雨のレインフォレストを味わう。 思索。 しばらく非常体制に入る。 そのため、いくつか所用を前倒しで手がけていた。 懸念だったNHKと産経新聞への抗議も行なう。 ついでに会ったこともない人のお世話まで。 ひょっとすると、突然の死期を迎える前の予兆とはこんなもんかと思うことも。 「アマゾンの読経」の完成後、新たに三つもの作品制作に着手してしまっている。 とりあえずはこの3本を仕上げるまでは死ねない。 雨のレインフォレストが再生させてくれるのを感じる。
7/21記 NHK的対応
リオ州→サンパウロ→ベレン 午後、つかの間サンパウロに戻り、留守中の事態に対処。 ちなみにNHK側から僕には何の連絡もない。 ところが、本日付ニッケイ新聞にこんな記事。 http://www.nikkeyshimbun.com.br/050721-71colonia.html これがNHKという組織の対応ぶりである。 さらにこの裏に敵側の姑息かつ笑うべき圧力があったことを、さる筋から知る。 それについては今、ここでは書かないでおこう。 あんたたちがこっちをとことんなめてることは重々承知いたしました。 さて、と。
7/22記 セルパのうまい時
ベレンにて 今日はさっそく今回のアマゾン訪問のヤマ場。 僕なりの誠意と責任を明らかにして対応させていただいたつもりだ。 おかげさまで、すがすがしくはるかな道が開けた思い。 アマゾンの名物ビール「セルパ」をいただく。 事情により痛飲まではしないが、実にうまし。
7/23記 「樹海に消えて」
ベレンにて 午後より汎アマゾニア日伯協会主催の「アマゾンの読経」上映会。 参加された皆さんの多くが画面に食い入り、音声に耳をそばだてているのがよくわかる。 それもそのはず、多くの方々が実際にこのアマゾンに肉親の墓を持っているのだ。 問題の切実さは察するに余りある。 地元の方たちに拙作を受け入れていただき、感無量。 アマゾンで歌人として著名な原田清子さんがいらっしゃった。 原田さんはアマゾン在住70年、亡夫は高拓生。 上映後、原田さんが拙作に触発されたという歌を披露して下さった。 邦人墓地 樹海に消えて 蛍飛ぶ
7/24記 アマゾンの墓参
ベレン→トメアスー 3年ぶりのトメアスー訪問。 まったく道がよくなったもんだ。 十字路に到着後、まずは第二トメアスーの墓地へ。 岡村作品の、3本もの主役を張ってくださった大西邦光さんのお墓参り。 肉親のようなお付き合いをさせていただいていた。 アマゾン各地の邦人墓地を回ってきた。 しかし直接、親しくしていた人の墓参はこれが初めて。 こうして僕も「アマゾンの読経」の被・取材者の側に入っていく。 近くの森の虫でも見ながら、一日ゆっくり過ごしたい墓地だ。 白昼に 蛍舞うかな 第二墓地
7/25記 夜は墓場で
トメアスーにて 今日は朝8時から、トメアスー文化農業振興協会のホールにて、トメアスー本願寺信徒主催による「アマゾンの読経」の上映会。 土日と催し物が続いた後で、月曜の朝からお年寄りがこれだけ集まってくれるのは成功、とのこと。 お年寄りはお子さんかお孫さんに車で送り迎えをしてもらわなければならない。 上映中に「こういう内容ならぜひ○○さんに来てもらいたかった」という声が何度も上がり、「主人を呼んで来ます!」と駆け出る人も。 あな、かしこ。 いろいろ経緯があったらしいが、最初は作品中にも登場するお寺で上映を、という話だった。 どうせなら作品中に登場するお墓での上映というのも興味深かったかもしれない。 ♪夜は墓場で上映会、なんちゃって。
7/26記 移住地の見え方
トメアスー→ベレン 今回で10回目近くになるトメアスー移住地訪問。 この度は後半から、いつもとは別の方々のお世話になる。 そうするとまた移住地の見え方が違ってくる。 来週からのプロジェクトのための、いい練習問題になった。 人間関係を大切に、が鉄則ですな。
7/27記 犯人隠匿
ベレン→サンパウロ 土埃舞う灼熱のアマゾンから、摂氏12度のサンパウロへ。 オフライン生活から、オンライン生活に復帰。 NHKによる資料横領事件について。 ニッケイ新聞の担当記者が22日付のコラムでイッパツかましていてくれた。 http://www.nikkeyshimbun.com.br/050722-Column%20Olha.html 拍手。 直接、実名をさらして抗議をした僕には相変わらず何の音沙汰もない。 これで一件落着と思っているのかね。 まず橋本先生にお電話。 21日付ニッケイ紙に橋本先生の言として「もう矛をおさめていいよ」とあったことを確認してみる。 「あれは記者がそういったんだ」とのこと。 この事件の背後にある巨悪を見逃してはならない。 NHKの取材と称した資料の横領と横流しである。 事件はNHKの不肖問題を追及するサイトでも紹介されていた。 その中で、犯人は「乗船名簿」シリーズで知られる相田洋氏ではないかと疑われている。 NHKが人様から持ち出した資料ばかりではなく、責任者の名前まで隠匿しようとするからこういうことになる。 番組では「構成」とかなんとかで実名を視聴者に見せ付けておいて、ひとたび問題があると、ひたすら犯人の名前を隠す。 今回の事件でもNHK側はごまかしや姑息な圧力・もみ消しを弄するのには長けていても、自浄する気がないことがわかった。 ジョーダンにも誠意なんで言葉は使わないで欲しいね。 こういう体質だから、組織内の善良なスタッフまで同じ疑惑を世間から受けるのだぞ。
7/28記 偶然の制御
サンパウロ→イタペセリカ・ダ・セーラ→サンパウロ 用事もあって家族で郊外へ。 同じ方角になるので、何年も前からお邪魔したかった陶芸家の生駒憲二郎さんのアトリエにうかがう。 子供たちも粘土をいじれて大喜び。 長年の体験に基づく芸術談義は実に興味深い。 かつてのアーチスト仲間が、偶然をめぐってこんなことを言ったそうだ。 「偶然を支配するのが芸術だ」。 これは僕の記録活動にかなり近いものがあり、震撼する。 僕の場合は支配まで行かないが、交通整理ぐらいだろうか。 「偶然を交通整理するのが、岡村の記録活動だ」。 今日のパクリでした。 面白かった。
7/29記 箸休め
サンパウロにて 子供たちの休み終了も秒読みとなり、こちとら旅の合間に雑務や来客とあわただしい。 アマゾン出張中にアップされていた拙文のご案内。 http://www.univer.net/1_nanbei/0507.html さあ、次のを書かなくちゃ。
7/30記 ラストカツ丼
サンパウロにて 子供たちの休みは明日でオシマイ、明日はオヤジは所用。 しかも旅から旅。 夜はカツ丼を作ろうか、というと娘も息子も大喜び。 ちょっとめんどくさいけど。 こんなもんで家族に喜んでもらえるのはありがたいこと。 小市民の小さな幸せか。
7/31 女たちの「アマゾンの読経」
サンパウロにて 冬晴れや 男の純情 消え残る 浜田すみえ 浜田さんはサンパウロ在住の歌人。 今日、あるぜんちな丸第12次航同船者有志の方々主催による「アマゾンの読経」の上映会に来てくださって、その場で詠まれた歌。 イエスの受難の時の女性たちを思い起こす。 先のベレンの原田さん然り、藤川さんという生き方に女性の方がより触発されているような感じ。 「長い」などとこちらがよくわかっているコメントをくださる方は事欠かない。 かたや五・七・五で作品の心象を表現してくださった移民女流歌人たち、素敵だ。
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