8月の日記・総集編 ローテク精神 (2005/09/11)
8/1記 産経新聞の場合
サンパウロにて オカムラさん、サンケイの○○女記者の問題はどうなったの? と何人かから聞かれる。 産経新聞のパクリ事件を告発してから1年を迎える。 同じ女の発表した記事について、先月15日に再び産経新聞読者サービス室宛に抗議をした。 先方からの回答を紹介しよう。 7月19日付だ。 Re: 御紙記事内容への抗議 岡村さま ご意見ありがとうございます。 また長らく放置をしていたようで 大変申し訳ありません。 ご指摘の点について、記事にするかどうか含め 今後の対応を考慮している段階です。 何卒宜しくお願い申し上げます。
******************************* 産経新聞社読者サービス室 その後、音沙汰はないが、肩書きもないブラジル移民ごときの抗議には応じる気もないNHKよりはだいぶ気が利いているだろう。
8/2記 南米田舎首都
サンパウロ→アスンシオン(パラグアイ) 「アスンシオンでトランジットですね? 最終地はエステですか?」 チェックインカウンターでこう聞かれる。 よほどアスンシオン止まりの人が少ないか、僕がアスンシオン向きに思えないのだろう。 現地についてから、複数の人から「何にもないところですよ」と言われる。 仮にも一国の首都だ。 何かしらあるだろう。 …ふむ、あったあった。 原稿いっぱつ、行けるかやってみよう。
8/3記 ジェルバな時
パラグアイにて いよいよ陸路の長距離移動の始まり。 道中、折りに触れてジェルバが差し出される。 ジェルバとは、テレレとも呼ばれる水出しマテ茶の俗称。 こちらではこれにお好みで薬草を混ぜるのを今回、初めて知った。 数万年前、東アジアで別れたお仲間が南米大陸でつちかった偉大な知恵だ。 彼らに我が祖国の水出し緑茶で答礼したいもの。
8/4記 ハードなハード
パラグアイにて 事前にパラグアイの日系社会ではDVD化が急速に進み、ビデオデッキは姿を消しつつあるとの情報があった。 ところが実際に日系団体や個人のお宅をうかがってみると、VHSばかりではないか。 そうとわかっていれば… いったん定着したハードはそう簡単に一掃されないことを再認識。 さすがにベータマックスは見かけないが。
8/5記 ヤマ場イン
パラグアイにて 朝から移動、アポ、移動、アポ、移動。 夜、ようやく今回の旅のメインの場所にたどり着く。 さてさてどうなるか。
8/6記 長尺撮影者の孤独
パラグアイにて 今日も朝から盛りだくさんだった。 機ニ臨ミ変ニ応ズ。 行きがかり上、夕方からさる公演の撮影をすることになった。 仮にも記録映像作家を標榜する不肖オカムラが三脚すえっぱなし、ファインダーをろくにのぞきもしない撮影などするわけにはいかない。 銀行の監視カメラじゃあるまいし、そんなのはサルでも訓練すりゃあできるだろう。 ホモ・サピエンスの意地がある。 三脚を使用せず、テープ交換以外ノーカット、しかも後で見る人を考慮してアングル、サイズを随時変えての撮影。 これがどういうことかを想像できる人は少ないだろう。 まあ、どうせこちとら河原乞食だからかまわんけどね。 サッカーひと試合を終えた選手、長時間の格闘技を終えた選手の疲労もかくや。 そして…ああ疲れた。
8/7記 なぜここに?
パラグアイにて 僕はいったいここで何をしているのだろう? それを示唆する尋常ではない事実を今日、初めて知る。 自分がある種のパワーに無意識のうちに感応しやすいことを再認識。 どうやら悪いパワーではなさそうで何よりである。 で、どうしましょうかね。 人事を尽くして天命を待とう。
8/8記 和風アマゾンの味
パラグアイ→サンパウロ→ 未明から深夜までパラナ水系大移動。 つかの間、立ち寄った我が家で子供たちの好物料理をこさえる。 不肖の父は、先日のアマゾン行きで入手した現地の食材を和風で使ってみる。 これは成功。 悪くないぞ。 先住民インディオの知恵と日本移民の知恵の融合を味わう。 NHKの連中のように人様のネタをパクってアッカンベーという輩が少なくないので、ここでは詳細を明かしません。
8/9記 女学生殉難
→パラナ→ 10年前の今日は、長崎にいた。 灼熱の炎天だった。 長崎被爆60周年の未明、氷雨降る北パラナの街に到着。 当時、女学生で200名近い校友を原爆で失った修道女の、朝の祈りから撮影させてもらう。 撮影者は過労でフラフラながら、いい記録をさせていただいたと思う。 被爆関係の記録は人並み以上に読んできたつもりだ。 そのなかでも長崎純心女子学園の学徒隊の殉難の記録は、一段と胸に迫るものがある。 10代半ばの少女たちが、いかに非業の死を受け入れたか。 もっと読まれて、もっと訳されていい記録だと思う。
8/10記 移民と先住民
→サンパウロ つかの間、ささやかな日常に復帰。 残り時間わずか。 近くの銀行で旧来の友とバッタリ。 近年はすれ違いが続き、ゆっくり話す機会がなかった。 最寄りのカフェへ。 お互いの近況報告だけでも尽きない。 彼女の関わるインディオ関係の話も。 彼女をその方面に引きずり込んでしまった責任の一端は、不肖オカムラにもあり。 インディオのNGOの活動と、僕の移民記録のあり方に共通点が見出されることが面白かった。 今度はいつ、会えるかね。
8/11記 つかの間の再開
サンパウロにて まー今日もいろいろとあった。 昨日はハプニングもあって着手できなかった「ギアナ高地の伝言」の編集作業をようやく再開。 やはり、すごい世界だゾ。 ゆっくりじっくりこれに専念したいもの。 しかし、まあいろいろ次々と… さあ、当初の予定に間に合うか。
8/12記 要チェック
サンパウロにて 午後から、あるプロジェクトのため、さる友人に拙作のダビングテープを届ける予定。 出がけに念のため、そのテープをチェックしてみた。 なんとブラジルのテレビ番組が録画してある。 僕がダビングしたつもりで、設定を間違えてテレビ録画をしてしまったのか。 あるいはダビング後、ツメを取らずにデルマーで日本語で注記しておいただけだったので、家族の誰かが消去可能と判断して録画したのか。 いずれにせよ、さっそく友人に電話をして事情説明。 ここのところすべてバタバタ気味で、こうした間違いが起こりがち。 こういうときこそ慎重に行きませう。
8/13記 ヒアリング失敗
サンパウロにて 今日は息子の学校の父の日の集い。 二人だけで行く。 メインは最後の子供たちによる歌。 モンテソーリ教育を行なう少人数制の学校。 僕自身、まだモンテソーリ教育をよく理解していない。 しかし当地でも看板だけモンテソーリを掲げているインチキも多いようだ。 この学校はホントに統合教育を実践している。 顔見知りの自閉児がそこかしこに。 隣の子はダウン症かも。 そうした子供たちの歌に、多くの父親たちが泣いている。 正直なところ、ポル語は歌だとよけい聞き取りにくい。 それにこの不肖の父はどうせ聞き取れないと思って、たまった仕事の考え事をしていた! 家に帰って息子の再現と妻の解説で、こりゃなく歌だわいと納得しながら、残務に取り掛かる。
8/14記 おめでとう?
サンパウロにて 奥地の日本語学校にて、数日前のこと。 先生は日系3世の女子大生。 工作の時間。 子供たちの手元を見る。 「ちちのひ おめでとう」と書いている。 父の日のプレゼント作りだ。 それにしてもこのフレーズ、ポル語のそのまま訳である。 大切なのは、父の日がおめでたいのではなくて「おとうさん ありがとう」ではなかろうか。 初対面の先生にはちょっといいにくいが。 さて、今朝はいつもより遅く起きた。 子供たち二人が「ちちのひ おめでとう!」とプレゼントをくれる。 日本語教育はそれぞれの家庭から。
8/15記 外回りの収支
サンパウロにて 今日で一気に外回りの用事・挨拶を済ませようと発案。 朝から夕方まであちこちを回る。 ところが… かえって用事を増やしてしまった。 イヤハヤ。 だいたい、こんなもんである。
8/16記 インディオのプログラム
サンパウロにて もともと僕も、僕の先輩たちも、インディオが縁でブラジルにやってきた。 フツーのブラジル人たちよりインディオに接してきたつもりだし、尊敬こそすれ偏見はないつもりだ。 さて、ブラジルにPrograma de indioという言葉がある。 インディオのプログラム、の意味だが、うんざりするようなもののことを言う。 今日、忙中閑ありと思い、先日、パラグアイの先住民コミュニティを訪問して購入した彼らの踊りや歌のビデオテープを再生してみる。 見事な信号の乱れ。 購入に際して、立ち会ってくれた日系二世の若者が、欠陥品かどうかテストさせろと言ってくれた。 ビデオテープを販売しているコミュニティのホールは、なんと日本政府の資金提供によるもの。 しかしビデオデッキはなく、品質は大丈夫だという。 インディアン、ウソつかない。 なら、ウソをつくようにさせたのは誰だ。 住民の寄り付く気配もないようなホールより、ビデオデッキを何とかして欲しいもの。 血税が外でどんな奇怪な使い方をされているか、日本国民は知らねえだろうな。
8/17記 サンタの隠れ家
サンパウロ→ ちょうどひとつ新アップ原稿あり。 今日はこんなところで勘弁してもらいましょか。 http://www.univer.net/1_nanbei/0508.html それにしても、取材費なしで毎月このクオリティを維持するのは至難なリ。 ではまた!
8/18記 機中でブンバ
→ロサンゼルス→ 世の中のサービスは次第によくなっていくものと幻想していた。 しかし、ヴァリグブラジル航空、料金は上がってサービスは劣化。 この件はまた改めて。 ロスでのトランジットから再び搭乗機に向かう際のこと。 列の前を行く日本人の青年が、なんとブンバ最新号を手にしているではないか。 うれしくなって、ちょっと声をかけたくなる。 残念ながら入り口付近でごちゃごちゃして見失う。 ミニコミとはいえ、手にした雑誌の「あの、僕、執筆者なんですけど」 なんて声をかけられたら驚くだろうねえ。 そういえばブンバさん、前世紀から立ち上げるといっていたサイトをようやく本気で始めるらしい。 担当からの依頼で、ブラジルを発つ前にホームページ用の言葉と写真を入稿してきた。 実際のオープンはいつになるか、さあお楽しみ。
8/19記 日伯の香り
→東京 機内アナウンスによると、成田の気温は34度。 今回はまるで窓の見えない席だったので、よけい訪日の実感が乏しい。 迎えの車で、東京へ。 途中、料金所で窓を開けると、強い草いきれが香る。 アマゾンや大西洋森林などの熱帯降雨林でも、こんなにおいはかいだ覚えがない。 日本の夏の植物のパワーというのは、相当なものかも。 なんだか空港から、別のにおいが。 ピンガくさい。 実家でスーツケースを開けてみて… やはり缶入りピンガが漏れていた。 妻が二重にビニールに包んでくれていたが、それでもこぼれている。 ビンの機内持ち込みによる持参は2本が限度。 それは今回の訪問先用。 その他、ぜひピンガが飲みたいという声があったので、缶入りを持参したのだが。 書類・書籍類に被害が及んでいないのが幸いでした。
8/20記 ローテク精神
東京にて 「徹底して自分の手と足を使い、そして感覚を研ぎ澄ますことで研究を進めようとしていた」 「ポリシーは『どんな器械を使っていても、それを使う人間の技量、感覚が最終的な成果を決める』」 古城隆著、「追悼のお礼に代えて」より。 改めてなぜ僕が故・古城泰学兄にこだわるのかを再確認させていただいた。 僕の方は、ローテク・ローコストドキュメンタリーだ。 いざ、ゆかん。
8/21記 なると・ザ・ワールド
東京にて ひょっこり時間が出来る。 ブラジルの娘に頼まれていたミッションを… ブラジルでの日本のアニメブームはご承知の通り。 娘は向こうの小6だが、それぐらいの世代の間で「ナルト」という日本のアニメがブレイク中。 インターネットを通じての現象と見た。 今やサンパウロの我が家のパソコンの壁紙はキャラクターのひとり、サスケとなった。 現在、祖国でナルトとの映画バージョンを上映中。 かつての映画少年も聞いたことのない新しいビルの劇場へ。 夏休み中の日曜、おジャリさまと保護者でにぎわう。 それにしても中年にもなかなか難解な内容。 メインの客の小学低中学年に、どう理解されてるのかしら。 帰り、同じ渋谷のアニメグッズショップへ。 ナルトグッズを買い込む。 いかにも怪しい中年男でした。
8/22記 姉の力
東京→→ 今日からしばらくオフラインの日々に入る。 ブラジルの我が家に電話。 去る土曜、我が家に自閉児施設の仲間と家族が集まったとのこと。 面白いことに、うちを含めて集まった少年4人、それぞれに姉がいる。 自閉症の弟を持つ姉3人が一同に。 昨日、記したナルトや映画俳優などの趣味も合って少女三人、意気投合してたいへん盛り上がったという。 聞いて深く心を打たれる。 人間の絆、痛みの共有と協力、そして神すら感じてしまう。 パパイはこれから…
8/23記 君よ観光で生きよ
→シンガポール→シェムリアップ(カンボジア) ついにカンボジアに到着。 本日は打ち合わせに留め、アンコール遺跡群には立ち入らず。 夜、オールドマーケットのあたりを一人うろつき、魂を揺さぶられる。 遺跡抜きでも十分に面白い。 グローバリゼーションのなかでの観光は如何にあるべきか。 グローバリゼーションを逆手に取れ。 君よ観光で生きよ。 おめでたい観光客たちにも、あなたたちの文化そのもののあなたたちの作ったエキゾチックフードが摂取されるのだ。 食材から彼らの体内に入り込め。 そして細胞レベルから彼らを変えて行こうではないか。 これが目玉の遺跡群を見ない初日の感想でした。
8/24記 百メディアは一見にしかず
シェムリアップにて 午前中は発掘現場を拝見。 午後、ようやくアンコール遺跡群のメインの遺跡を道中、遠めに垣間見る。 写真や動画で何度も見てきた有名遺跡だが、なんと実物の印象の違うこと。 堀外からみたアンコール・ワットは、南米の大きな鉄道ステーションみたい。 アンコール・トムのバイヨン寺院は、風化の進んだ崩壊寸前の岩山。 すぐに自分の印象の方が大きなウエイトを占める。 いったいメディアってなんなんだろうね。 だからこそ観光が成り立つってわけでもあるか。
8/25記 遺産相続
シェムリアップにて さあ、いよいよだ。 朝は調査団より早く発掘現場イン。 午後より、いよいよアンコール・ワットへ。 世界遺産と観光。 不思議な出会いがいくつかあり。 こういう出会いのありうる場所だ。 まったく面白い。 この種の行く末が楽しみ。 そして、改めて撮影現場にドキュメンタリー作りを教わる。
8/26記 あ、観音
シェムリアップにて まずは日の出のアンコールワットへ。 感ずるものあり。 そのままバイヨン寺院へ。 巨大人面遺跡。 アマゾンのあの人面遺跡のことを思い出す。 人面は奥深し。 人面の、人面による、人面のための… そしてバイヨンのこの人面群は、一説に観世音菩薩。 移民の無縁仏よ、世界遺産に連なれ。
8/27記 アンコール千年王国
シェムリアップにて 古代のアンコールの王朝は、なぜにこれらの巨石建造物群を作ったのか? ―彼らは自分たちの民族の千年先を考えたのではなかろうか。 20世紀後半の内戦で息も絶え絶えとなる民族の子孫たちに、世界遺産のなかでも筆頭クラスの観光資源を残す― シェムリアップは今も国際観光都市として成長中だ。 さて、お世辞にも興味の持てない祖国の選挙が近い。 僕は在外選挙証の持ち主だが、今回は祖国で投票をするつもり。 今どきの政治家に千年の計まで望むべくもないが。
8/28記 トゥクトゥクの時間
シェムリアップにて 1997年10月 牛山純一 没。 2000年5月 古城 泰 没。 今回の取材の足は、トゥクトゥクと呼ばれるオートバイの後ろに2輪の客車を接続した乗り物を使用。 初日に出会った運転者が実にいい人で、連日、彼を指名。 速度は40キロ程度。 アンコール遺跡群の移動にはちょうどいい速さ。 フィリピンのトライシクルのような風防がないので、この速度の風が熱帯では至極気持ちよい。 その日のノルマを終えた帰路は、幸せを感じてしまうほど。 カンボジアを愛して逝った二人のグレートマスターを偲びつつ。
8/29記 みにくい中年も
シェムリアップ→シンガポール→ いよいよカンボジアを去る。 いま思うに、より心に残るのは世界遺産の古代遺跡よりも、カンボジアの小さき人たちの寄せてくれた笑顔、そして好意と善意。 かわいい子には旅を、と世にいう。 みにくい中年も旅をすべき、と痛感。 無謀ともいえる旅だったが、少なからず心を豊かにさせてもらい、成長させてもらった気がする。 オックン!
8/30記 朝帰りの成田で
→→東京 早朝、成田に到着。 到着ロビーにてテレフォンカードを購入。 ブラジルの我が家に電話。 無事日本到着を伝えただけで、ほぼ千円かかってしまう。 インターネット電話の時代に、高い! リムジンバスの待ち時間があり、これも高いと承知で10分100円のコイン式インターネット使用。 これがコインを入れると機能してくれて、そのうえコインが戻ってきてくれる。 40分近く使用するが、そのたびにコインが戻る。 国際電話料金の元を少しは取れたか。 このラッキーマシンを去る際、隣の機械で検索を続ける日本人のおねーちゃんにその旨伝えるが、ただ怪訝な顔をされる。
8/31記 夏の弟
東京にて 今日はさっそく東京都下で撮影。 相手は、僕が大学に入って初めての夏の発掘現場で姉御格だった人。 あれから4半世紀以上が経つ。 そういう間柄だからこそ、カメラを向けられるシチュエーションがあり、聞ける質問がある。 そういった意味で、この作品「KOJO」は岡村のプライベートビデオであり、発掘の夏へのオマージュとも言える。 ♪私の夏は、明日も続く…
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