9月の日記・総集編 NHK会長宛 (2005/10/02)
9/1記 浴場という名の
東京→千葉→東京 次の旅の準備。 そのうえ今日もまた撮影だ。 使用・発表は未定のシーンだが、できる時に撮っておかないと。 こうして自分を追い込んでいく。 東京湾岸の新興マンション。 主に、敷地内にある大浴場に誘われる。 風呂どこじゃないと思いつつ、行きがかり上、行ってみる。 これが、実に快適だった。 東京湾を眼前に望む湯船。 旅の疲れが癒され、新たなアイディアまで沸いてくる。 イヤハヤ日本人は、風呂ですな。
9/2記 マニラDEブラジル
東京→→マニラ(フィリピン)→ 成田アサイチの便でマニラへ。 夜、マニラ滞在中の日本人考古学者二人と会食。 一人の先生は、夫人が日本の大学のポル語学科を出たという。 もう一人の研究者の夫人のオバはブラジル移民で、現在、訪日中とのこと。 世間師を志して旅に出ると、実に不思議な出会いがある。 こうした出会いを大切に育みたいもの。
9/3記 比島発掘
→カガヤン州(フィリピン) 冷え冷え長距離バスでルソン島北部・カガヤン州の遺跡発掘ベースの町に朝、到着。 調査隊はすでにやや距離のある現場に入っている。 少し無理を言ってその日のうちに発掘現場に連れて行ってもらう。 ついに来た。 小川さんとは四半世紀を越える仲。 昨年、短期間ながらマニラを訪ねてフィリピン国立博物館のスタッフたちとも顔見知りになっていたので、グループにスムースに溶け込める。 感無量だが、遊びに来たわけでも今さら発掘修行に来たわけでもない。 短期間で如何に想定の成果をあげるか。 初日は夜間まで撮れ高、多し。
9/4記 海峡波高し
カガヤン州にて 発掘調査隊の兵站部隊がルソン島最北の町・アパリまで買出しに行くのに同行。 カガヤン川河口部の海岸地帯に立ち寄ってもらう。 えらく波が高い。 先史人は、バシー海峡を隔てたはるか台湾や日本の南西諸島と行き来していた。 イヤハヤ小舟でこの海に向かうとは! 海岸で撮影中、予期せぬ波で運動靴・長ズボン・三脚を濡らす。 現場を見ずして人の移動など語れないねえ。 調査隊のメンバーは、さっそく砂浜で土器片や巨大な貝殻などを採集していた。 さすがに熱帯の日差しでも海水に濡れた運動靴は半日足らずじゃ乾きそうもない。 明日の現場、何をはいていくかな。
9/5記 隣の異人
カガヤン州にて フィリピン考古学をたしなむ小川さんが今回も何度も語るのが、ここはすぐ隣に採集狩猟民が暮らし、すぐ目の前を採集狩猟民が通っていく環境であるということ。 その話が説得性を持つためには、映像に彼ら、そして彼らと小川さんの交流が写っている必要がある。 その是非が今回の撮影の成否を決めると考える。 状況はなかなか複雑であるが… ついに身近に接することのできた、かつてネグリトと呼ばれ、最近、小川さんたちがアグタと呼ぶ人たちの存在に、興奮して震える思いぞする。 人類は実に多様だ。 やっぱし生身の人間が面白い。 そのための考古学もあるようだ。
9/6記 皇軍敗走
カガヤン州(フィリピン)→ 今日から、新たな現場へ。 絶妙なシチュエーション。 近くにあるという洞穴の踏査班に加わる。 熱帯の炎天下の山地、数分歩いただけでヘロヘロである。 こんなところを日本の兵隊さんは数ヶ月以上、敗走したのだ。 友軍の兵士を「喰うために」殺戮しながら。 天皇のため、日本の国のためにと行なった戦争で、おそらく人類史上まれな事態が生じているのだ。 ヒトは、特に日本人は、ここまでやる。 そのことをこそ、心に留めて後世に伝えていこう。 昨今の日本の戦争映画のこぎれいな宣伝文句にごまかされてはいけない。 ようやくたどり着いた洞穴は「霊気」たっぷりな感じで、僕は深入りできず。 先史遺跡の探求という目的意識だけでは、僕には立ち入れそうもない。
9/7記 マニラでヨも考えた
→マニラ 未明にマニラ着。 もう1日、現場で粘りたかった。 しかし小川さんの「(幹線道路の)がけ崩れもある」の言葉を吟味。 ひとつトラブルがあれば飴細工のようにもろく崩れるスケジュール。 大事をとって1日余裕をみてマニラに戻った次第。 ホテルの近くにフィリピン現代美術館とショッピングモールがある。 前者に行くつもりだったが、やはり庶民文化で行こうと後者で。 同室のフィリピン人が見ていたケーブルテレビのフィリピン映画がこうさせる。 まるで「砂の器」ですな。 今どきのブラジル移民がマニラで何を感じて思ったか。 「Bumba」の連載ぐらいまで引き伸ばしてみっか。
9/8記 SOUTH-EAST ASIAN GETTAWAY
マニラ→東京 マニラ国際空港に3時間半前以上に必ず到着のこと。 今回のフィリピン往復のチケットを手配した旅行社よりのお達しである。 テロ対策が厳重になったためという。 これを本気にして、4時間前に到着。 しかしチェックインも出国審査も荷物検査も物足りないくらいスムース。 締めて30分弱。 あつものに懲りてなますを吹きやがったな。 仕方がないので、新しい割になんということもない空港内で時間つぶし。 それにしても客層を見ていると、日本とこの国の関係がよくわかる。 いろいろな意味で、ブラジルどこじゃない。
9/9記 聞き上手
東京にて かつての上司であり、ドキュメンタリー作りの大先輩であるお二人にご挨拶にうかがう。 僕の最近の取材の話など、百戦練磨の大先輩たちには取るに足らぬことと思っていた。 しかしそんな話を興味深そうに聞いてくれるので、こちらもついつい話す。 ドキュメンタリー上手は聞き上手なんだなと再認識。 先輩の強い勧めをいただき、近々、日本の大手メディアによるパクリ事件を告発する決意を固める。 乞う・ご期待。
9/10記 彼岸前
東京にて 早朝より母と実家の墓参りへ。 他人様の墓参りや墓探しばかり撮影して、自分の肉親の墓参がおろそかではシャレにならない。 墓掃除にもいろいろとノウハウがあるものだ。 今までおろそかにしてごめんなさい。 まだまだ野良仕事には日差しがきつい。 久しぶりに日本でカタツムリを見る。 子供の頃、カタツムリを採集したのもこの墓地だった。 仏トンボならぬ仏マイマイか。
9/11記 漫画喫茶の中年
東京にて 所用の後、三軒茶屋で漫画喫茶を探す。 インターネットいじりのため。 今回も短い訪日中に、あっちゃこっちゃの漫画喫茶を利用してこの日記のアップを続けた。 この店は初めての利用者には、パソコン使用のかってのわかりにくいタイプ。 個人のブース・仕切りがなく、数台のみのノートパソコンが設置。 大半の客は漫画三昧の利用だ。 僕の行脚範囲では、四谷にこの手があった。 作業に没頭し始めると、シェムリアップにいるのかマニラにいるのか、はたまた日本かサンパウロの我が家か… うつろになって、再びうつつに戻る感覚が楽しい。
9/12記 成田の遭遇
成田→→ロサンゼルス→ 今回の旅の出会いの最高のケッサクは、かつてたしか赤坂で飯もおごってもらった人とアンコール・ワットで遭遇しながら、最初はその人とは気付かなかったこと。 さて今日は、成田空港のラウンジで新たな出会いが。 二人の日本人男性が、会話の中でブラジルの僕の知人の名前を連呼するのが耳に入る。 思い切って挨拶すると、まあお座りになってお話しを…ということになってしまった。 その後、搭乗ゲートの前では、オカムラサン!と女性に声をかけられる。 現在、アルゼンチンに赴任中の友人のお連れ合い。 彼女と最初に会ったのはアマゾンのマナウス。 その後はサンパウロだったか東京だったか。 生きていると、そして動いていると面白いことがあるものだ。
9/13記 ナルトとマックス
→サンパウロ 激しい旅からようやく帰還。 まだ実感はないが、我ながらよくご無事で。 息子は日本の実家で録画してくれていた「ウルトラマンマックス」のビデオテープを大喜び。 娘の方は、父の買出しに行った「ナルト」グッズ。 ブラジル日系社会のお偉いさんを自認する面々や、ブラジルにいながらNHK衛星放送三昧のご老人衆ののたまうニホンブンカ云々は、虚しい。 文化ってそんな生易しいもんじゃないみたいよ。 まさに別の次元で祖国の文化は求められているのだ。 こちとら最前線で担ぎ屋やってんだから、まさしくそれを体感している。
9/14記 また旅
サンパウロ→ 早朝から主夫業再開。 そして今晩から、また取材旅行。 疲労も時差ボケも癒えぬまま。 我ながら… といった具合で不肖オカムラ、微力の目いっぱいを超えた動きをしております。 非常時ゆえ、不義理・失礼のほどはご勘弁を。
9/15記 未明に見た
→アモレイラ(パラナ州) 時差ボケもあり、夜行バスで深夜から目が覚める。 日本のメディアの巨悪にどう抗議するかなど、思いをめぐらす。 目的の町の手前の町付近。 わずかにカーテンを開けていたが、車窓から強烈な光景を見る。 これを、これからの作品、「あもーる あもれいら」に盛り込みたい! 思いはようやくアモレイラに。
9/16記 「どですかでん」だ
アモレイラにて 未明から撮影。 昼前に、狙っていたシーンに挑戦。 想定以上の感動だ。 過酷な状況に生きる子らの日常に、人類の救いを見せてもらった思い。 全体は、どんな感じの作品になるのか。 図らずも作品制作中に、敬愛する偉大な作品が手本として浮かぶことがある。 例えば「ブラジルの土に生きて」の「東京物語」。 「アマゾンの読経」の「新約聖書」。 今度は大・黒澤の「どですかでん」だ! あの色彩と武満の旋律が浮かんでくる。 あのセンでいこう。 いけるかな?
9/17記 自虐世代
→サンパウロ 早朝、サンパウロに戻る。 昼から、日本ブラジル交流協会の中間研修発表会へ。 泣いても笑っても、とりあえず今年でこの制度、凍結だそうだ。 50人近い若者たちの発表を聞く。 今回のメンバーの全体の印象は、おとなしい良い子。 過酷な状況にも、そこを逃げたり、抗議したり変えようとしたりはしない。 ひたすら耐え、身心を傷めても、そんな環境に自分を適合させてそれなりに納得して完結させようとする。 なかには「ひたすら自分がピエロになって…」なんて言う人もいた。 それがいいことか悪いことかは、わからない。 少なくとも、今の僕にはできない。
9/18記 ゴメン
サンパウロにて 身近だと思っていた若者が、発言も見た目もかんばしくない。 思い切って声をかけてみる。 想像を絶する過酷な状況に耐えてきていることを知る。 今までそれを知らないで、それを知ろうとしないで申し訳ない。 折をみて、できることはさせてくれ。
9/19記 ヘンなガイジン
サンパウロにて 気になっていた映画「Gaijin - Ama-me Como Sou(ガイジン そのままの私を愛して)」を見に行く。 ブラジルの日系女性四代の人生を描く、というナリモノ入りの膨大な金をかけた映画。 カントクのチズカ・ヤマザキは、ブラジルのルーラ大統領と共に日本に乗り込んで、この自作のPRを行なった。 一国の元首と共に女流映画監督がしゃしゃり出るなぞ、ヒトラーとレニ・リーヘンシュタール以来の怪挙では。 さて肝心の映画の方は… まさしく、お話にならず。 少なくとも別の鳴り物入りの移民ドラマのように、岡村作品のパクリはないようだ。 パクっていたら、もちっとリアルで感動的になっていたかも。
9/20記 ギアナ高地の再開
サンパウロにて まあいろいろとあるが、「ギアナ高地の伝言」ようやく編集作業を再開。 1ヶ月余りのブランク。 すでに11月12日に東京で上映会を組んでもらっている。 その前の東京でのスタジオでの仕上げも予約済み。 慎重にいきましょう。 不思議かつユニークな作品になりましょう。 お楽しみに!
9/21記 NHK「ハルとナツ」の疑惑
サンパウロにて 放送80周年記念とかで、ブラジル移民を題材としたNHKの特別ドラマ「ハルとナツ」の疑惑について。 本日、NHKにメールにて質問状を送った。 いずれ、この質問状も含めて本サイトにてご紹介します。 お楽しみに!
9/22記 NHKの都合
サンパウロ→ 7月に橋本先生の資料持ち出し・横流しの件でNHKに行なった抗議には、実名をさらして抗議した当方にはいまだ何の返答も無い。 その経験から、昨日の「ハルとナツ」の疑惑についてはNHKの三か所のセクションに送付した。 今のところ、応答はなし。 NHKの「ハルとナツ」のサイトを見ると「みどころ」のページに「ブラジル移民メモ」などと注釈まであり、笑わせてくれる。 数年前、NHKが南米からの連日生中継のため、乗り込んできた。 その際、在サンパウロの移民研究者に出演要請があった。 発言に際して「『移民』は放送禁止用語だから、使わないでいただきたい」と言われたとのこと。 今回は放送八十年記念ドラマの「みどころ」が移民である。 定見無きNHKの都合で放送禁止にされたり、見世物にされたりでは移民もたまったものではない。
9/23記 負ける・学ぶ
→アモレイラ→ 今回の取材のメインの目的は、託児所の「お話し大会」。 年長組から年少組まで、短い文章を暗記して、聴衆の前で披露する。 先週、練習風景も撮っているが、正直、あまり期待していなかった。 シスターから、入賞しなかった子供が泣いて大変、と聞いていた。 これが誠にすごかった。 こちらももらい泣きするほど。 思えば人生、常に負け続けてきた。 シスターいわく、負けることを学ばせるために、あえて評価を止めない、とのこと。 重い。
9/24記 撮られる
→サンパウロ 早朝、サンパウロに戻る。 午後より友人のプロカメラマンに己が姿を撮影してもらう。 いろいろ考えた末の設定で。 この写真が世に出るかどうか。 神のみぞ知る、そして僕の動向にもかかっている。 これもお楽しみに。
9/25記 サシミのまわり
サンパウロにて 久しぶりに日曜のフェイラ(路上市)へ。 魚の買出しが目的。 スズキがいいよ、とあんちゃんが言う。 スズキか、ふむ。 サシミとしてはあまり好みではない。 セビッチェでいくか。 生の白身魚をライムやレモンでしめたペルー料理。 先月、フィリピンの郷土料理にも同じものがあるのを知って感激。 フィリピンではイニラウというのだそうだ。 サシミ以外にも世界のあちこちで生魚をいただいているのだ。 友人のアマゾン移民リポートに、こんなのがあった。 戦後移民の話。 醤油がないので、酢と塩でサシミを食べた、と。 移民の悲惨話の文脈と記憶する。 意外とグルメかもね。
9/26記 NHKの「創作」
サンパウロにて 深夜、打ち合わせから帰宅。 「先方」からファックスにて回答が届いている。 ドラマ番組部より。 先方の経緯報告とこちらの調査に食い違いがあり。 最後まで読んでみるが「この回答はフィクションであり…」といった注記は見当たらない。 こうしたドラマの作り手の作文が良識ある市民、そして受信料負担者の納得のいくものかどうか、広く世に問いたい。 間もなく詳細公表の予定。
9/27記 本業その他
サンパウロにて 追込み中の大切な本業、そしてかけがえのない家事がある。 その他すでに一部で話題の疑惑問題始め、いろいろあり。 さあそろそろカンボジア、フィリピン以来の日記のタイムラグを一気に詰めますかな。
9/28記 NHK会長宛
サンパウロにて NHK宛の質問状を送って日記上は1週間。 以下、ご紹介。 NHK会長 橋本元一様 在ブラジルの記録映像作家の岡村淳と申します。 御社ドラマ「ハルとナツ」の盗作の疑いの回答を求めます。 ドラマの試写・予告編を見た複数のマスコミ関係者から、ドラマの骨子が私が企画・取材・構成をしたドキュメンタリー「60年目の東京物語 ブラジル移民女性の里帰り」(1996年、MXテレビ放送)に酷似しているとの指摘があります。 私が同ドラマの公表資料を検討したところ、 1.姉妹がブラジル移住をめぐって離れ離れになる 2.その後、通信の混乱から音信が途絶える 3.数十年後、ブラジルに移住した姉妹が日本に残った姉妹を訪ねる 以上、ドラマの根幹部分が共通しています。 御社から私に今まで何の連絡もありませんが、私の調査で 1.同ドラマ立上げの段階でブラジル通の御社職員が私の上記作品の試写を薦めている 2.御社関連会社がMXテレビから上記作品の試写用テープを入手している の事実が明らかになりました。 以上を踏まえても御社は同ドラマと拙作の関係を否定するのか、あるいは拙作試写を認めた上で上記の共通点の借用は表現者の良識に照らして盗用レベル以下と判断されるか、または謝罪・謝辞等の対策をされるのか、御社の調査と回答を求める次第です。 2005年9月21日 岡村淳
9/29記 NHK移民資料横流し疑惑
サンパウロにて 今年7/14にNHKに抗議をしながら私には何の連絡もなかったNHKの事件。 1997年放送の「にんげんドキュメント」で在ブラジルの植物学者・橋本梧郎先生を取材したNHKの担当者が同年に先生のところから持ち出した資料を再三の請求にもかかわらず、返却を拒んでいる事件。 9/27に私の抗議が届いているかどうかだけでも確認させていただきたい、と再びNHKに連絡。 本日、今度はさっそく返答があった。 前略 お問い合わせのメールについてご返答が遅れたことをお詫び申し上げますとともに、この件に対するNHK側の対応をご説明致します。 この件につきましては、7月21日付けのブラジル紙「ニッケイ新聞」でも報じられています通り、当時、橋本様を取材したNHKの担当者が、橋本様と連絡をとりながら、資料の返却作業を進めて参りました。 その結果、岡村様がご指摘の16ミリフィルムや書籍等、お借りしたままになっていた資料を先月(8月)中に橋本様ほか関係者の方に郵送いたしますとともに、担当者が御両方に電話を差し上げ、資料到着の確認をさせて頂いた上で、返却が遅れたことを改めてお詫びしました。お二人からはご了承を頂いたと聞いております。 上記しましたNHK側の対応を岡村様におかれましてもご理解頂きますようお願い申し上げます。 草々 NHK視聴者センター 本件にはニッケイ新聞が触れられなかった重大な問題がある。 この担当者はズボラで返却を拒んでいたのではない。 ブラジルから持ち出した資料を外部に横流ししていたのだ。 これは明らかな犯罪ではないだろうか。 この件についてはサイト「天漢日乗」さんが9/28付「NHK 大宣伝中のドラマ「ハルとナツ」に盗作疑惑」 http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2005/09/index.html で紹介してくださっている。 実際の移民と移民のかけがえのない資料にこういうことのできるNHKの放送80周年記念が「ハルとナツ」である。
9/30記 続・NHK移民資料横流し疑惑
サンパウロにて ただいま制作中の「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」。 これは言わせていただければ、高貴な魂のぶつかり合いと結ぼれの記録だ。 いくつかの大・黒澤作品のそれを意識している。 その仕上げにあたって、なるべく下品なものは排除したい。 以下、排除すべき下種な問題。 橋本先生のところを作品上のことで訪ねる。 昨日付で記したNHKスタッフによる資料持ち出し問題の話も出る。 「天漢日乗」で紹介していただいている通り、1997年に取材責任者が持ち出した資料を再三の請求にもかかわらず、NHK側が返却を拒んだため、これを知って憤った日本のジャーナリストがNHKに直接、乗り込んで抗議したところ、一部の資料が送り返されたが、これはNHKとは無関係の出版社から送り返されているのだ。 しかもNHKの責任者はNHKの番組取材のためにブラジルに訪れながら「母親に頼まれた」と言って番組とは無関係の戦前移民の資料を持ち出している。 この母親は、自称・移民研究者とのこと。 この資料はその後も返却されなかった。 しかし今年7月、橋本先生の意を受けた岡村がNHKに再び抗議すると、それは無視されたが、その件を当地の新聞が報じたため、NHK側に動きが見られた。 ついに橋本先生の下にNHK職員の母親が頼んだという資料と「同名の」書籍が送り返されてきた。 橋本先生によると「これは(向こうが)古本屋で買ったものだ。自分の本だから、(違うことは)見ればわかる。」とのこと。 オリジナルはどこに行ったのだろう? 「ハルとナツ」製作スタッフにでも渡ったのだろうか? すでに別の古本屋あたりに高額で売られていた、というところだろうか。 残念ながら、こういうことがまかり通るのがNHKである。 放送80年だ、移民のドラマでカンドーしてくれ、と言う前にしていただくことがだいぶありそうに思うが。
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