3月の日記・総集編 ある狂気 (2007/04/02)
3/1(木)記 腸詰談義
ブラジルにて 今日は、ブラジル人のおばちゃんが掃除に来る日。 掃除の間は仕事にならないし、昼食はこちらが作って提供するのがこっち式。 不肖私は子供の迎えがあるので昼飯を食っている時間はないが、おばちゃんの食事は準備していかなければならない。 オカズは大き目のソーセージ二本とする。 ブラジルはソーセージの種類が豊富で、イタリアの地名のついたものが多い。 概して荒挽きである。 猛暑のなか、時間を気にしながらソーセージを調理。 それをのぞきこんだおばちゃんが、 「どうしてソーセージを料理しているの?」と聞く。 さすがにムッと来て、 「おめーの昼飯だろーが!」
「料理する」と訳したが、おばちゃんは「cozinhar」という単語を使った。 この語には「煮る」という意味もある。 おばちゃんは、どうしてソーセージを煮ているのか、と聞いたのだ。 妻にこちら式、と教わった方法で、フライパンにわずかな水を注いで沸かし、それにソーセージを寝かす。 煮立ってからフォークでソーセージをぶすぶすと刺し、滲み出てくる油で炒める、という方法。 このおばちゃんはこの方法を知らず、始めから油で炒めていたという。 その方法は油もはねないし、いいわね、とおばちゃん。 ブラジル人に移民がブラジル料理を説く。
3/2(金)記 旅の段取り
ブラジルにて 午前中は主人公と直接。 午後は電話で。 国内旅行の段取り。 自分ひとりの旅ならもっといい加減に進めるが。 今回はご老体・ご病気の主人公、そして取り巻きをお連れするので、慎重を期す。 またしても思わぬ障害があり、日にちを組み直し、前後も調整。
よく言うセリフだが。 他の追随を許さない、 と言うより、 誰も追随もしてくれない、 そんなお仕事である。
3/3(土)記 学校が好き
ブラジルにて 娘の学校の保護者会に行く。 苦手だが、しかたノン・テン(しかたがない)。 新たに気づくこともある。 この学校を、先生も、親も、生徒たちも、好きだということ。 三位一体だ。 私立学校で学費も安くはない。 娘の勉強を巡って母子でもめている時、 「じゃあうちもお金がないから、近くの○○学校に移ってもらおうか…」 これが殺し文句なくらい。
子供の学校の事情に精通していないと、おそらく日本語で聞いてもチンプンカンプンな話が多い。 日本の保護者会に出席する外国籍の親たちのことを想う。 みんな、気を遣ってさしあげてくださいね!
3/4(日)記 月光浴で
ブラジルにて 日付の変わる直前に電話あり。 先方はこちらを糾弾しているようだ。 ある紙面に書かれていることをもとに非難されているらしい。 ちょうど目の前にその紙面があるのだが、先方の非難している部分が何度読んでも僕には見つけられない。 先方がご覧になったというものを疑わざるを得ない。 いったいどういうことだろう、と朝まで眠れなくなる。 ルナチックな話である。
ちょうど満月だった。 煌々と月明かりに照らされて。 月光浴は悪い成分を除去してくれるというが。
3/5(月)記 福音記事
ブラジルにて 福音=喜ばしい知らせ。 日本から送ってもらった新聞記事に、そんな記事が。 昨日未明、月光浴の最中に読む。
讀賣新聞昨年12月7日朝刊「枝川公一の東京ストーリー」。 「玉砕中将との『出会い』から 絵手紙を文庫化 ハリウッド大作のヒントに」。 そうか、栗林中将はあの松代の出だったのか。 松代大本営跡は学生時代にしっかりと歩かせてもらった。
フリーライターの吉田津由子さんは記事の6年前、温泉旅行の折に知る人ぞ知るこの大本営跡を見学した。 そこの資料館で絵手紙のコピーと出会う。 吉田さんはこの絵手紙に引き付けられ、オリジナルを探して出版にまでこぎつけた。 硫黄島の戦いの映画化を進めていたイーストウッド監督がこの本に出会い、翻訳させて熟読したという。 こうしてあの映画にまさしく絵が添えられ、吉田さんの名前は映画のなかでイーストウッドと並んだ。(以上、同記事を参照)
ものを伝えようとする者と、それをもとに敬意を払いながらものをつくる者の、あるべき美しいドラマである。 志のある作品はこの辺からして違う。
3/6(火)記 らしく
ブラジルにて 昨晩から今朝にかけて、ブラジル、そして日本の若い友人たち、さらに未知の人からもうれしいメールが届く。 最近、身近な人間関係でゴタゴタが。 オカムラらしさを貫こうとすれば、いずれこういうことは起こる。 こういうオカムラらしさがあるからこそ、こうしたうれしいエールをいただけるというもの。 皆さんの期待してくれる虚像に少しでも近づけるよう、なまくらな身心に活を入れ直します。
3/7(火)記 泣く泣くプレビュー
ブラジルにて 昨日は打ち合わせに撮影。 今日は家事の合間に次回作の撮影済み素材のチェックを進める。 おかげさまでこの作品、ヤマ場は尽きないのだが、今日のはおそらく全体で屈指のヤマ場。 ついつい泣けてしまう。 たぶん完成版を見たら、笑う人もいるだろう。 そのあたりが混沌としているのがオカムラ作品らしいところ。 愛憎恩怨喜怒哀楽、人間の感情はそうスパリと範疇分けできるものではない。
3/8(木)記 ブラジル式複写術
ブラジルにて 国内旅行に備えて。 100枚以上になる日本語の資料をコピーして簡易製本することに。 我が家のすぐ近くにコピー屋がある。 元は日系人がオーナーで、ブラジル人の従業員が引き継いでからは仕事の怠けが目立つが、クオリティーはまあまあ。 しかし値段が高い。 駅をひとつ以上歩いたところにある店はクオリティーは落ちるが、半額。 自分用のコピーだし、安い方をとる。
他の用件を組み合わせて、夕方、ピックアップに行くと… 表紙からさかさま。 中身もところどころさかさまに閉じられている。 端が欠けているところも。 オリジナルにはアラビア数字でページが振ってあるので「日本語だから」は言い訳にならない。 およそいいかげんに仕事をしたのだろう。
労働の質にこだわり、心を込めることをしない。 パトロンに命ぜられるままに思考や工夫を放棄して単純労働のみを行ってきた奴隷時代以来からの悪しき伝統。
大持ち出しの旅行であり、経費は節約しないと。 明日を期限にさんざん言い含めてもう1度、トライしてみることにしたが。
そもそも日本ならそこいらのコンビニで自分でコピーができるし、当たり前に信頼できるコピー屋はいくらでもある。 こちらはセルフサービスのコピーというものが基本的になく、こういうアホな仕事しかできない人間に頼まなければならない。 料金は前者の店だと、日本以上。
こういう仕事しかできないのが当たり前な労働力を抱えた国が、さらにいくつも原発をいくつも作る計画を発表。 嗚呼。
3/9(金)記 アマンダ
ブラジルにて アマンダ。 ラテン語で、愛されるに値する人(女性)のこと。
午前中はクダランことどもでバタバタ。 昼前、銀行の払いものも抱き合わせて昨日のコピー屋まで歩く。 半分以上の確率でまただめだろうと思っていた。 彼女は今日の11時まで、と言っていたが時間は守っていた。 おそるおそるチェック。 いちおう、できているではないか。 ざっとチェックしたところ、最後の2ページが天地逆になっている。 ま、自分用だし、いいか。 「昨日の遅くには出来上がったので、電話番号がわかればお電話したのですが」。 支払いをしつつ、「大変だったね」とねぎらう。 「また日本語のもののコピーを頼んでもいいかな?」 「どうぞどうぞ。もうどうやったらいいかのコツをつかみましたから」。 ふてくされずにフィードバック能力がある。 こちらでは珍しい。 リスクを承知でケチに賭け、こんな触れ合いをいただいた。 ちょうど週末にはガラにもなくブラジルの教育問題について少し書くつもり。
彼女の名前が、アマンダ。
3/10(土)記 激辛大陸
ブラジルにて 考古学徒時代にはクダラナイ思い出が少なくない。 大学1年、ホントのペーペーだった頃。 日中の発掘を終え、夕食を調査団のメンバーで近くの店で食べることになった。 何枚かのピザをみなで分けることに。 途中、トイレに立った。 戻ってからタバスコの効いたピザをほおばり、咀嚼して嚥下した。 一同が唖然としてこちらを見つめている。 こちらの中座している間に、あの新入り、からかってやろうとこっちのピザにたっぷりタバスコを振りかけていたのだ。 それ以来、こいつヤバいかも、と思われたようだ。
新大陸はトウガラシの原産地。 種類はまさしく千差万別。 日本語の「からい」は「塩からい」まで含まれてしまうが、トウガラシ的辛さもかなりのヴァリエーションがある。 舌ではその違いを分別できても、それを言語化できないほど。 奥深し。
最近のこちらの資料を整理していて、面白いものを発見。 これまで中米の遺跡から発見された6000年前のトウガラシの植物遺存体が最古とされていたが、さらに古いものが南米から発見されたとのこと。 当時はトウモロコシとトウガラシというのが食事の基本だったらしい。
他所の村を訪れた6000年前のインディオ青年を想う。 たっぷりとカラシの効いたトウモロコシ料理を振舞われて…
3/11(日)記 敬遠
ブラジルにて 国内旅行に備えて、資料を読む。 東アジア遠征に備えて、現地情報をチェック。 お膝元のブラジル日系社会はあまりにもクダラナイ問題と、悪意に満ちている。 するべきことはさせていただき、あとは「敬遠」させていただきます。 どうぞご勝手に。
3/12(月)記 過去の明日葉
ブラジルにて さあ、できる時に断食。 外部からの毒を防ぐ精神効果もあるとみて。 今日は、午前中も午後も我が家での作業。 健康のための断食には水分は必須。 今日は、何にするか。 また明日葉茶で行ってみっか。
「アマゾンの読経」完成時以前の賞味期限切れだが、もったいない。 アシタバは伊豆諸島に自生する植物で、ビタミンやミネラルが豊富なことで知られる。 独特のエグみがあり、いかにも滋養がありそうな感じ。 伊豆大島ではアシタバの天ぷら、チャーハンなどはいただいたが、お茶にしたのは飲んだことがなかった。 もらってブラジルまで担いできた。 数年前、健康食志向の友人が来宅した時に初めて飲んでみた。 この時は葉を入れ過ぎ、煎じ詰めた薬草エキスといった感じで、喫茶用には不向きと判断。 しかし、葉を控えめにしていれてみると、なかなかの。 なんともいえない飴色の甘みがある。
茶殻は料理にも使える、とある。 さあ、どうしてくれよう。
3/13(火)記 博物学者と中年
ブラジルにて 拙作「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」。 これの改訂版のタイトルバックの映像を覚えていらっしゃる方。 あの花のお話。 昨年の日本のさる上映会に参加した方から、聖書に合わせた意図がミエミエというご指摘をいただいた。 そんなことは考えてもみなかった。 最初のバージョンの映像もそれなりに考えて努力して撮ったのだが、どうも広がりがなく、面白みが足りない。 作者が見てて飽きちゃうような映像じゃあ申し訳ない。 この撮り直しのために、時機を見て数日間かけて1000キロ以上、車を走らせた。 リスクとの兼ね合いで、ま、これぐらいでいいか、としたタイトルバック。 さて、この花について。 植物学者の橋本梧郎先生との雑談で持ち出してみた。 食指が動いたようだ。 おもむろに立ち上がり、重たい本を何冊も引っ張り出される。 ある程度、見通しがついたところで「あとは僕の方でインターネットで…」と申し上げる。 聞こえているのかいないのか、さらに事典を重ねる。 判明したのは、あの花にまつわる、マサカの意外な事実。 博物学の醍醐味。 日本の上映会で、こぼれ話としてご披露しよう。 客層によっては。
3/14(水)記 とかが
ブラジルにて 本日付のサンパウロ新聞の記事より。
「(前略)日本のハンセン病患者は新たな発症患者はゼロで、再発患者とかが少数存在するだけ。(後略)」
この「とかが」って何だ。 まさかベテラン記者が若ウケを狙って使ってみたわけではあるまい。 今どきの日本の若いの「とかが」こういう言葉を使うが、彼ら「とか」も試験の論文や卒業論文「とか」にはさすがに使わないで、使い分け「とか」を心得ているのではなかろうか。 それができなければそれを指導するのが教師「とか」の役割だろう。 仮にも新聞社なら、デスクや編集長、校閲担当がいるはずだ。 若いのが自分のブログやミクシィあたりで書き飛ばすのはいい。 決して購読料の安くないブラジルの日本語新聞の読み手はどんな世代のどんな人たちかを想像していただきたい。 有料購読をせずに無料のオンライン版の記事を得意になってML等で配信する名士もおられるようだが、こちらはきちんと有料購読させていただいている読者ですんで。
3/15(木)記 ブラジルの不都合な真実
ブラジルにて 久しぶりだ、このニオイ。 カビだろうか。 日本の場末の映画館や陽のささないオミズ系の店でかいだことのある、あのニオイ。 入場料は決して安くないサンパウロの一等地の映画館。 今日は旅を前にけっこう予定が立て込んだ。 別の予定と抱き合わせて、少し無理してこの映画にチャレンジ。 オスカーまで獲った「不都合な真実」。 ブラジルの大手銀行の名をかざす5館のシネコン。 割引が効くというこの銀行のカード2種を妻が作ってくれた。 先週、この2枚を持って第3館に行くと、うち1枚のカードで半額となった。 使わないカードを持ち歩くのは犯罪大国では望ましくない。 今日はこの1枚を持って第5館に行くと、これでは割引はできない、の一点張り。 高い料金で入場券を買い、モギリのおばちゃんに渡して入場すると、このニオイ。 さんざん宣伝があって始まった映画はただでも見たくないイギリス映画。 まちがって第4館に入ってしまったのだが、モギリのおばちゃん、何のためにいるんだ?
イントロを欠くことになった「不都合な真実」。 頭のいい政治家は、ドキュメンタリーというメディアを活用しない手はない。 品も徳もない日系社会のコジキ名士どもに利用されるのはこりごりだが。
3/16(金)記 滝のなか
ブラジルにて 郊外での撮影・打ち合わせから子供のピックアップへ。 雲行きが怪しい。 ずばりスコールタイムに浸水地帯に挑むことに。 高架道路からあふれる水塊を車上に浴びる。 明日未明からの旅を前に、車をやられたかとぞ思う。 滝のなかを運転すると、こんな感じだろう。
3/17(土)記 佐々木神父によろしく
ブラジルにて 最近になって新しいバージョンの「ブラックジャック」のTVアニメを見た。 昨年の訪日の際、実家で録画してもらったものをピックアップしてきた。 これには「三つ目が通る」の主人公・写楽くんがピノコちゃんの友だちとして登場する。 そもそも手塚治虫の作品では、彼の作品の有名キャラクターが別の作品に特別出演することが多い。 手塚独自のファンサービスのつもりだったのだろうか。
未明に家を出る。 橋本先生らをお連れして、一路、パラナへ。 運転・撮影:岡村淳。 夕方、フマニタスに到着。 橋本梧郎先生と佐々木治夫神父の出会い。 この二人は、20年以上前に面識があった。 これだけ濃密に接するのは初めて。
別に岡村作品ファンへのサービスのつもりの設定ではないんだけど。 そこそこいいシーンが撮れたと思う。 ロードドキュメンタリーの始まり。
3/18(日)記 トラブルシュート
ブラジルにて 旅の二日目。 まあ天候だけでも盛りだくさんだった。 夜、撮影済みテープをチェックして、青ざめる。 どうしてこんなことが…!?
機材のトラブルだが、まずその対策を検討。 ついで撮影素材をさらにチェック、一番大切なところは難を逃れているのを確認。
ものごとには、それぞれ意味と警句が込められている。 それなりに納得。 ありがたし。
3/19(月)記 ある狂気
ブラジルにて 旅の3日目。 岡村の記録作品から大きく浮かび上がってくるものは、新熱帯区に渡った日本人がやらかしている狂気の沙汰。 本日もいろいろあったが、夕刻、それを象徴するようなシーンを撮影。 おそらく本人は無意識で行なっているその意味を読み込めるのは、たぶん僕だけ。 この地味な記録を、作品に昇華する見通しをいただいた。
3/20(火)記 ニッケイの裾野
ブラジルにて 旅の4日目。 予定調和を許さない意外な発見続きが、ロードドキュメンタリーの真骨頂。 本日、浮かび上がってきたのはブラジル日系人の裾野の広さ、深さ。 「南米博物誌」シリーズの取材のつもりだが、こんな博物もよかろう。 サンパウロあたりの移民を小ばかにしたムゼオ(博物館、史料館の意)とは一線を画させていただきたい。
3/21(水)記 完敗
ブラジルにて 旅の5日目。 午前中は現地で有効に使うことにする。 訪ねた先が、たいしたもんだった。 日系移民やブラジル日系人は、完敗、面目なし。 この話は、いずれオフレコで。
午後、ひたすら走る。 サンパウロ到着後、メンバーをそれぞれ送り届けて、帰宅は日付が変わって午前1時。 深夜のサンパウロは、「タクシードライバー」の世界。 走行距離は5日間で1900キロ。 ビデオは何時間、回しただろう。
フラフラヘロヘロだが、急ぎのメールに返信。 お疲れ様でした。
旅に乾杯のつもりが、旅で完敗。
3/22(木)記 日常再び
ブラジルにて 昼から、サンパウロの日常を再開。 旅のテンションが高かったので、リハビリを兼ねつつ。 この日常もそう長くはないと思うと、それぞれいとおしいもの。 少しずつコマを進めていこう。
3/23(金)記 日常維持
ブラジルにて 今日からサンパウロで国際ドキュメンタリー映画祭の始まり。 昨日未明に旅から帰ったばかりで、疲れを引きずっている。 しかも訪日まで2週間足らずとなった。 今日は家事と家族の団らんを優先。 ヘロヘロと映画館まで行って、惰眠をむさぼるのもシャレにならないし。 自分の上映会も明後日にせまり、トーク内容も検討せねば。
3/24(土)記 みえてくるもの
ブラジルにて 静養しようかと思っていた。 だがそれほど先がない。 昼は日本から帰ったばかりの友人と会食をすることに。 その余韻で、夜までドキュメンタリー映画祭の会場をハシゴ。 特に最後に観たブラジルの作品2本が強烈だった。 1本はパラナ州奥地のポーランド人の移住地を訪ねた記録。 もう1本はアマゾン・シングー川のインディオが自分たちの言葉で「白人」到来から現在の土地紛争までを再現・記録したもの。
来年、ブラジル日本移民100周年を迎え、祖国ではおよそ話題にも上らないもののこちらの日系社会あたりでは百鬼夜行状態となっている。 火事場泥棒的に、日系だ100年だと騒いでいるだけでは何も見えてこない、何も残らないだろうことが、こうしたドキュメンタリーを観ているとよくわかる。
無理しても観ておいてよかった。 おっと、明日はテメーの上映会だ。 限られた時間で、何を話すか。
3/25(日)記 ハウマッチ?
ブラジルにて 今日はサンパウロで日本語の先生たちの主催による拙作上映会。 この人たちの定期総会のなかのアトラクションのひとつ。 岡村の上映会が主体だったら、キレるべきことが少なくなかったが、ま、出し物のひとつですから。
11時開始、12時半終了ということで引き受けて、それなりにアップトゥーデイトなトーク内容も考えていた。 当日朝に主催者から電話があり、とにかく早めに終えてもらいたい、10時50分に始めて欲しい、とのこと。 ビデオを早回しにしてお見せしますかな。 10時半までに来てくれ、とのことで10時25分に到着。 顔見知りの先生が、そこで待機していてください、といって指示された部屋で待つ。 10時55分になってもお呼びが来ない。 会場では「岡村さんが来ない!」と我が自宅にも電話をしていたそうな。 役割分担や責任が不明確だとこういう事態が起こる。
作品は「60年目の東京物語」ともう1本。 終了後、皆さんとお弁当をいただくことに。 気心の知れそうな方々とご一緒したかったが、奥のVIP席に行ってくれという。 そこでいただいた質問をご披露しよう。 「あの人にカネを払ってるんですか?」 僕が「60年目」の主人公に金を払って取材したのかという質問である。 こういう質問は初めて。 「どうして貧しい人ばかり取り上げて、普通の人を取材しないんですか?」 あの主人公が「貧しい」という受け止め方をされるのが、意外。
日本語教師連中にして、ものを見る最初の基準が、カネと経済的ステーツ。 嗚呼ブラジル日系社会。
僕は自分のフィルターでそういうものを排除して、人間本来の豊かさと尊厳の回復を図ってるつもりなんだが。
3/26(月)記 約束の地にて
ブラジルにて 「Nas Terras do Bem-Vira」。 「約束の地にて」とでも訳そうか。
ハードな旅の疲れを引きずり、訪日も近いのでホドホドにと思っている。 家事も重なるが、思い切って夜も足を運んでみた。 ドキュメンタリー映画祭のブラジル映画。
観ておいてよかった。 アマゾン・パラ州南の深刻な人権蹂躙問題に挑んだ作品。 こちらは以前から心を痛めても、何もできないでいた。 男は奴隷、女は売春婦に。 異を唱える者は、死。
アマゾン、そしてブラジルにはとてもおめでたいことを言っていられない状態があるということ。 今も死の脅迫におびえながらも、人間の尊厳のために闘っている人たちがいる。 私たちのおめでたさが、そうした人たちをさらに脅かし続けることになる。
3/27(火)記 塀映作品
ブラジルにて 今日は実にユニークでうれしい知らせがあった。
日本でのさる上映会での併映作品について、根回しをしておいた。 この件をクリヤーできて、ホッとする。 時に変な人が来ることがあるので、慎重にすることに越したことはない。
次に、さすがにぶったまげた知らせ。 日本のさる刑務所で教戒師を務める方から。 さまざまな宗教関係者がこの職についているが、服役者はあまり話を聞こうとしないのが常だという。 この人、刑務所内で「60年目の東京物語 ブラジル移民の里帰り」を上映した。 相手は殺人犯など、重罪の人が多いとのこと。
以下、いただいたメールから。
(前略)まあ私の下手な話よりもビデオを見せた方が服役者は喜ぶだろう。そして、森下妙子さんが故郷を思う心、家族を思う心をある程度は感じ取ってくれるだろう。そういう期待感から「60年目の東京物語」を見せてみようと思いました。結果は私の予想以上でした。みんな、最初から最後まで食い入るようにして見ていました。そして、目頭を熱くしている服役者が半分以上いました。「60年目の東京物語」という作品素材の素晴らしさ、そして岡村監督作品の素晴らしさがなせる業だと思いました。(後略)
笑いはとれましたか?とこの方に質問のメールを送る。 しっかりと笑いあり、涙ありでした、との返信をいただく。
塀の中を取材したドキュメンタリーは少なくないだろう。 しかし塀の中で上映されるドキュメンタリーというのは、あんまりないのではなかろうか。
3/28(水)記 短い拾いもの
ブラジルにて ふつう、映画祭でも短編の鑑賞はパスしていた。 今日は知人の関係している作品が上映される。 少し無理して観にいく。 2時間枠で4本のブラジル国産短編ドキュメンタリーを上映。 お目当ての作品については、ノーコメント。 その他に思わぬ拾いものが。 首都ブラジリアの官庁街の前の樹上に住み着く男の話。 彼は自分に課せられた冤罪を告発するために、こうしているという。 作り手はなかなかの実力者とみた。 ドキュメンタリーのありかを思い知らされる思い。
さあ、そろそろこっちのショータイム。
3/29(木)記 ブラジルで名を残すということ
ブラジルにて 最近、停滞気味の感のあるサンパウロ新聞。 昨28日付で余韻の深い記事が。 「由緒ある校名 寄付欲しさにあっさり改称」。 http://www.spshimbun.com.br/content.cfm?DA_N_ID=10&DO_N_ID=16002
サンパウロ市にある、もとは日系農協の子弟のために開かれた「ニッポ・ブラジレイロ」小学校。 1996年に日系の州議会議員の動きで、「フジオ・タチバナ」小学校と改名されてしまった。 フジオ・タチバナは日系コロニアの重鎮とされ、今はなき南米銀行の名誉会長だった人。 校名を変えれば、銀行の融資で校舎が改装されるという話だったという。 しかし約束は反故にされ、生徒に鉛筆とノートが配られただけだったとのこと。 ブラジル日系人とブラジル人の品性がよくうかがえるエピソードだ。
日本の新聞の「ひと」欄あたりで紹介されているブラジル日系社会の「名士」のことは、まずは眉に唾をつけてみることが賢明。
3/30(金)記 Fotografias
ブラジルにて 夜、思い切って国際ドキュメンタリー映画祭でかかる作品をもう1本、観ることにする。 「Fotografias」というアルゼンチン作品で、インターナショナルコンペ。 インド人を母に持つアルゼンチンの映像作家が、自分のルーツと母の歩みを知るため、インドまで旅する、といったお話。 日本で流行のプライベートドキュメンタリーの範疇に入りそうでありながら、グローバルな人間の移動、そして異文化との遭遇・対話がきちんと捉えられている。 上映後の監督の話。 別に母親がヒンズー教徒だからというのが製作意図なのではない。 自分は自分の子供に伝えるためにこの作品を作ったともいえる。
残念ながら、こちらの日系人の作った「日系」「ルーツ」「アイデンティティ」をテーマとしたドキュメンタリーでは、もっとちゃんとドキュメントしてよ、というような作品しか見た覚えがない。 来年に迫ったブラジル移民100周年に関しては、自分たちの名声・利権以外のものがこれまた残念ながら僕には感じられない。 サンバ会場で日系をテーマにしたサンバを踊って、日本の歌手を呼んで「君が代」を歌わせるイベントに関わる気もない。 金集めのための企画、子孫に迷惑なモニュメントも困りものだ。
少しはまじめに子孫に伝えるものを考えたいもの。
3/31(土)記 お気に入りから
ブラジルにて 作家の星野智幸さんのサイト「星野智幸 言ってしまえばよかったのに日記」 http://hoshinot.exblog.jp/ の記述に元気づけられる。
2007年3月30日(金)の項より、一部を引用させていただこう。
さまざまな処世術的手段を、功利的に使っていくのは大切なことだ。それによって発言力を増し、社会に影響を与えることも必要だろう。しかし、メジャーであることよりも、個々人が譲らない一線を示すことのほうが、今現在の社会ではより重要だと考えるのである。その積み重ねでしか、根本的な変化は期待できない。それが私の文学のスタンスであり、存在意義だと思っている。
相変わらず、不器用でいかせていただきましょう。 先週、さる知人に「不器用な人間が不器用であることを止めようとすることは、真の敗北ではないか」と書いたら、受けてしまった。 相手が不器用だと、こういうのが受ける。
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