5月の日記・総集編 うらない宣言 (2007/06/02)
5/1(火)記 五月病人
日本にて 疲労がだいぶ蓄積している。 今日は都下のお宅に訪問上映。 主の方がご病気であまり外出できないとのことで。 いただいたメール、あとでよく読むと西武新宿線の駅より、タクシーで10分足らずとある。 カネもないし、歩いても知れているだろうと、所番地だけを頼りに駅から雨天を歩く。 目安がわからないため、だいぶ彷徨う。
すでにお宅には見知らぬ方々が集まっており、女主は台所で取り込み中。 やったことがないという大型テレビとDVDの接続を任されるが、これがうまくいかない。
こちらが病人状態でノリもキレも悪く、失礼しました。 来たる後半戦に備えて体力温存せんと。
5/2(水)記 ババアたちのアルゼンチン
日本にて 気になっていた映画「アルゼンチンババア」を渋谷のモーニングショーで観る。 よろしかった。 日本の田舎町と南米の接触、ゾクゾクする。
パンフレットにアルゼンチンババアの細かい設定が書かれている。 祖父が1930年代に商用でアルゼンチンにわたり、現地女性と結婚。 生まれた父がアルゼンチン女性と結婚して生まれたのがこのババアとのこと。 つまり日系クオーターということになる。 鈴木京香演ずるババアは、せいぜい日本からの花嫁移民の出戻りといったところ。
実際にお付き合いしたアルゼンチンのばーさんたちが熱い胸をよぎる。
「アボン 小さい家」「アルゼンチンババア」いずれも渋谷で観られる。 岡村淳GWのお勧めでした。
5/3(木)記 ドキュメンタリーの街・小岩
日本にて いよいよ今日からメイシネマ祭の始まり。 5月連休恒例のドキュメンタリー映画上映会だ。 夜には夜行バスで大移動を開始するので、ビデオカメラほか荷物をいっぱい担いで出発。 「三池」の上映後のトークに訪れた熊谷博子さんと久しぶりに再会。 映像記録の大先輩で、岡村を「フリーゾーン2000」に誘ってくれた恩人。 若い!
拙作「フマニタス」には想像以上の人々が集まってくださり、さらにまた新たな出会いが。 夜の懇親会もそこそこに、夜行バスの乗り場に向かう。
5/4(金)記 山形→鹿児島
日本にて 未明に到着した山形の街は、カラスが飛び交っていた。 ネットカフェで時間調節。 親戚の法事に出席。
あわただしく、山形空港から羽田経由で鹿児島へ。 明日、華燭の儀を迎える新郎の実家へ。 新婦は過労に風邪で発熱してダウンとのこと。 新郎のご家族と楽しく交わらせていただく。 素敵な家族。 さあ鹿児島に到着できた。 いざ、撮影。
5/5(金)記 島津雨
日本にて 島津雨。 いい言葉だ。 鹿児島では何かの行事の際に雨に見舞われると、こう呼んで吉兆と受け止めるという。 それにしても、激しい雨。 発熱でダウンしていた花嫁、式に挑むとのこと。 とにかくドラマチックだった。
新郎とは、昨年ブラジルで知り合った。 彼はサンパウロのスラムでボランティア活動をしていた。 実にいい青年だった。 彼が日本に戻って結婚することを知った。 もし僕でよければ、そして予定があえば結婚式を撮影して進ぜようと申し出た。 スケジュールとフライトの都合がかろうじてついた。
いい撮影をさせてもらった。 いわば今回の訪日中の、ピーク。 よくぞ乗り切った。
5/6(日)記 鹿児島→仙台
日本にて 早朝の鹿児島空港はパニック状態。 フライト時間になっても手荷物検査の長蛇の列に並んでいる乗客多数。 羽田-浜松町-東京駅も不運続きで遅れる。
機中と新幹線車中はグッタリ。 仙台まで島津雨が追いかけてきた。
山形から仙台までは仙山線やバスで1本。 その間に鹿児島行きが入るという効率の悪さが岡村の人生そのもので、いとをかし。
心のふるさと仙台、アットホームに「ブラジルの土に生きて」を上映してもらう。
5/7(月)記 常磐風土記逸文
日本にて 朝、新緑の仙台郊外を走り抜けさせてもらう。 仙台駅より常磐線の特急に飛び乗る。 在茨城の友にぜひ会っておきたい。 今晩、新宿で強引にアポを入れられている。 それまでの数時間でも…
常磐線の車窓はまるで飽きない。 里山、農村、合宿の海、日立城下町… 僕のフォークロア調査の原点の地でもある。 「アルゼンチンババア」の文庫版でも紐解くつもりが、ずっと車窓に釘付けとなる。
5/8(火)記 国分寺南北問題
日本にて 今日は国分寺駅南口方面の大学のゼミに呼ばれる。 土足厳禁、台湾の大学みたいな視聴覚室で。 担当の先生の部屋がこれまたキョーレツだった。
終了後、飲み会の会場までの道のりで話しかけてきた女子学生のことが印象に残る。 大学に自分の問題意識を共有できる仲間がいない… 彼女の問題意識は僕にとっては頼もしく、若者らしいものでもあった。
飲み会は国分寺駅北口方面の大学とは打って変わった怪しいノリだった。 適当にかわしたつもりだが。 2000円の参加費が厳しい人、このノリが耐え難い人の側に心を寄せられる自分でありたい。
5/9(水)記 ポルトベーリョ以来?
日本にて かつての上司のところに、ご挨拶に行く。 当時のスタッフに、声をかけてくれたという。 昼下がりの蕎麦屋に、4人が集まった。 ひたすら現場取材か、東京で缶詰編集だった当時。 日本でこの4人で飲んだことはなかったはず。 この4人がそろったのは、1980年代の、ブラジリア、ポルトベーリョ、サンパウロあたりか… こちらがすっかり忘れていた珍エピソードも飛び出す。 こちらも負けずと…
5/10(木)記 東京でみっつ
日本にて 1日3回の上映とトークに挑むというのは、今日が初めて。 昼過ぎから知人が教鞭をとる早稲田大学でまずは2コマ。 学生たちの熱くレベルの高い質問とコメントに、こちらも熱くなる。
夜は、出版関係者の勉強会で。 ここで、とんでもない出会いが。 あの、中隅哲郎さんの親友が、岡村を担ぎ出した若き編集者の、元上司として参加したのだ。 いけねー、今年の中隅さんの命日、訪日中だったがすっかり忘れていた。 遅ればせながら…
5/11(金)記 書店で口づけ
日本にて 思わず、書店で本に接吻してしまった。
実家にキープしておいてもらった最近の日本の新聞を少しチェック。 書評欄で新しく「粘菌」の手ごろな写真集が出たことを知る。 欲しい! 今日は昼から浜松に向かい、明後日には出国だ。 ネット手配でも間に合わない。
目黒駅の書店は確か写真集コーナーも充実していた。 いちおうチェックしてみっか… 写真集コーナーでは見当たらず、生物コーナーを見る。 あった!
次の次の作品のための、必携書。
5/12(土)記 最後の晩餐
日本にて ロードドキュメンタリー日本行脚の旅の、最後の晩餐は? 浜松のブラジル料理屋のシュラスコでした! サンパウロで言えば「ごんべ」さんみたいな古民家風の造りで。 日本語がどこまでわかっているかあぶないおにーちゃんと、ポル語がどこまでわかっているかあぶないおねーちゃんらが給仕。 一杯1000円近いカイピリーニャは、生ライムではなくライムジュースを使っており、気持ち悪く甘い。 パッションフルーツサワーにしとけばよかった。 値段も半額ぐらいだったし。 明日、離日だが、まだ荷造りがまるでできていない。 シュラスコ料金男性ひとり2千ウン百円の元を取るには遠い状態で、中座させていただく。 主催者のお気配りをいただき、昨晩から今朝まで、弁天島の温泉旅館を満喫させていただいた。 日本でゆっくり味わえた唯一の温泉だった。
5/13(日)記 老師の頼み物
日本→アメリカ合衆国→ リムジンバスのポーターが、スーツケースの取っ手が壊れてしまったという。 もう寿命だろう。 金属疲労でなくて樹脂疲労か。
JALでアテンドしてくれた若い男性職員が丁寧にガムテープを巻いてくれた。 向こうに到着さえしてくれれば。
今回、サンパウロの老師からさすがの岡村も目をむくような頼み物をされた。 10万円分の書籍の購入。 まだ未刊で入手できないものもあったが、それでも他人に頼める量と重さではない。 小型スーツケース1個分。 昨年、JALを再度、利用したおかげでスーツケースを1個、余分に運べる特典があった。 これがなかったら、大変なことになっていた。 しかし荷物の個数が多いと、サンパウロの税関で目立ってしまう…
その筋では有名な老師を自分のプロパガンダに使う向きは少なくないようだが、こういうことも手分けしていただけるとありがたいのだが。
5/14(月)記 遠い帰宅
→ブラジル 成田から26時間。 4本の映画と1冊のノンフィクション、そして4食の機内食を平らげる。 機内は満席。 JFK空港もグアルーリョス空港も飛行機の渋滞でますます遅れる。
重い荷物と痛い足を引きずって、何とか無事帰宅。 こちとら実際にこの空港からの帰り道、強盗に襲われて銃口を向けられた体験があるので、帰宅までは張り詰めっぱなしである。
留守中におかしくなったというパソコン等々の復旧をしなければならないが、数時間後にしよう。
5/15(火)記 外出再開
ブラジルにて なんたって12時間の時差と過労。 朝の子供たちの送りはパスさせてもらう。 午後から、近くまでの送り迎え。 その間に、買い物。 体調不良もあるが、そうも言っておれず。 リハビリの再開だ。 料理人も再開。
サンパウロの街の印象。 まー、こんなところによく住んできたもんだ。
5/16(水)記 ベルトで緊縛
ブラジルにて 足の痛み、と書いたのに異国に暮らす友人が目ざとく反応してくれた。 彼はその方面の専門家。 メールと国際電話で、対策を指南してくれる。 ありがたい。
そのなかに、両膝を縛る、というのが。 さあ、何を用いて縛るか。 スーツケースのベルトがある。 それで自ら縛ってみるが…
なんだか、気持ちがいい感じ。 それほど、続けていられないが。 指南では、縛ったまま寝るのがいいとのことだったような。
思えばこれまでの人生、あまり縛られる体験はなかったような。 人を縛る趣味もないけど。
5/17(木)記 福翁ノ末裔
ブラジルにて 中年男のリハビリ日記みたいなのが続くのもちょっと。 こんなのがアップされていた。 http://www.jukushin.com/article.cgi?r-20070503
今回の訪日、上映会もさることながら思わぬメディアからいくつか取材を受けた。 そのひとつ。 こちらから取材班にインタビューして面白いネタも仕入れたが、またいずれネタ切れにでもなったら。
5/18(金)記 講燃ゆ
ブラジルにて ミクシィというのは、なかなか読めない。 日本そして台湾と巡業上映を行ない、いずれもそれなりの手ごたえがあったつもり。 しかしイマイチ、「岡村作品ファンの交流の場」をうたうミクシィのコミュニティ「岡村講」が盛り上がらない。 不肖私が「講師」かつ「副管理人」でもあるので、ちょこちょこ書き込んでみても、特に変化なし。 ところが。 思わぬところからヒートしてしまった。 シンパの皆さんのご厚意に、感謝するばかり。
ちなみにこのコミュニティのアドレスは、 http://mixi.jp/view_community.pl?id=1586336 ミクシィへの招待ご希望の方はご一報を。 理由不明で素性を偽る方、岡村とその作品に悪意を持つとみられる方など以外は、ご招待いたしますので。
5/19(土)記 台湾的ソフトめん
ブラジルにて 当地ではマカロナーダ・ア・ボロネーザという。 ボローニャ風スパゲティ。 倭国でいうスパゲティ・ミートソースのこと。 昼の献立。
それにしても台湾は面白かった。 日本であたりまえの常識が、ありうる無数のオプションのうちの、とりあえずのひとつに過ぎないことがよくわかる。 台湾では、朝食専門の食堂がやたらに多い。 僕のお世話になった日本人家族によると、いつも自宅で朝食を食べているというと、かえって怪訝な目で見られるという。
メニューはお粥などの台湾的中華からトースト、ハンバーガーまで華洋折衷。 さすがに納豆生卵定食は見当たらない。 壁に張られた写真入メニューに、ボロネーザ、ミートソース風のがあるではないか。 日本の学校給食のソフトめんチックな柔らかい麺のミートソースだという。
次回はぜひ、これを。
5/20(日)記 あめつうしん
ブラジルにて 訪日中、妙な縁でフリーライターの田上正子さんに取材していただくことになった。 取材後、田上さんが編集・製作・発行をされている「あめつうしん」というミニコミをちょうだいした。 これが! ガリ版刷りである。 発行後21年、通算240号、およそ300人の定期購読者がいるという。 なんともなつかしい。 こちらで拝読。 それぞれの筆跡が表現であり、コミュニケーションのツールであることを再認識。 内容に関わらず、思わず姿勢を正して読みたくなる字体。 失礼ながら、ま、これはナナメ読みでいいかと思っちゃう字体。
かつて。 中学3年の時はひとりでガリ版刷りの学級新聞を出していたのを思い出す。 高校3年の時はクラスの「よい子たち」が出したガリ版刷りの文集の、岡村の書いたものが学校当局の逆鱗に触れ、謹慎に追い込まれたこともある。 「よい子たち」の裏切り・豹変ぶりは見事だった。
あの用紙と修正液の匂い、鉄筆の感触と音。 自分は、何をそぎ落としてきてしまったのか。
ドキュメンタリー特集上映の「メイシネマ」の藤崎さんの手書きのチラシ、そしてこの田上さんの「あめつうしん」。 先達が守り抜いてきてくれたことどもから学ぶこと、そして感ずること、多し。
5/21(月)記 とりあえず断食
ブラジルにて ブラジルに帰還して、まる1週間。 予定通り1日断食をする。 日本での暴飲暴食に帳尻を合わすには、まだまだだが、形だけでも。
さあ、今日の残務。 そろそろ締切りらしい原稿ひとつ。 週末に着手しようと思っていたが、手がつかず。 全体の構想も立たぬまま、字数ばかりを気にかけて、ポソポソとノートパソコンをたたく。 やや肩透かしなオチをつけて。 ま、ロハ原稿だし、この辺でカンベンしてもらおう。
5/22(火)記 郵趣の日
ブラジルにて 通信手段を郵便に頼らざるを得ない人・所は少なくない。 一気に書く。 ブラジル産カードのめぼしいものを一通り日本に持っていってしまったので、カードの工面に苦労する。
在アマゾンの日本人からこんな便りが届いていた。 その人のところに届いた品物の包み紙が2005年の日本語新聞だった。 その記事に、岡村の「ギアナ高地の伝言」が紹介されている。 橋本先生のことも、花も好きなので、ぜひビデオを買いたい。 小切手を送るから、代金を知らして欲しい、というもの。
販売はしていません。 上映の希望があればアマゾンでもうかがいますよ、と返信。
この人は大丈夫だろうが、変な人も少なくない。 10年ちょっと前のことを思い出した。 ブラジル南部の日本人からの手紙。 岡村の撮影したものに、自分が写っているはずだ。 金はいくらでも出すから、送って欲しい。 こりゃあやばいな、と思いつつ、善意にとらえて書留小包でお送りした。 案の定、「金はいくらでも」どころか、届いたとの挨拶もない。 この人物が急に死んだりぼけたりした訳ではなく、元気そのものと別の筋から聞く。
さらに上をいく、犯罪レベルの輩もおられるが、この辺にしておこう。
こちらの移民、畏友・松本浩治さんの写真集に出てくるような人のよさそうなじっちゃん・ばっちゃんばかりとは行かないから、要注意。 「要注意!ヤバい移民」(仮)という非公開の、被害者による情報交換のコミュニティでも開きますかな。
5/23(水)記 三度三度
ブラジルにて 昨晩、天気予報を聞いた家人が明日、明後日と三度ずつ冷え込んでいくそうだ、という。 暖房の効いたところから屋外に出て、さらに冷房の効いたところに行くようなものだろうか。 今日は確かに三度は冷えた。
先月の北海道訪問を思い出す。 東京では長袖シャツにベストでもあれば十分の陽気だった。 いちばん分厚めのセーターで北海道へ。 夜、「オカムラさん、上着持ってないんですか?」とあきれられた。
こっちに上着はあったっけな?
5/24(木)記 うらない宣言
ブラジルにて 訪日・訪台の残務。 家事。 交友。 いろいろある。 まだ現役のドキュメンタリー作家のつもりでいるので、作品のまとめや今後の準備も進めなければならない。 上記の合間に、「あもーる あもれいら」のポストプロ作業を再開。 エンディング近くの山場のシーンの映像と音声をチェック。 息を呑む。 撮影者と被写体との緊張感。
これまでの仕事もそうだが、特にこの作品は「売れない」のではなく、「売らない」。
5/25(金)記 二人の狂気
ブラジルにて 今年一番の冷え込み。 足の痛みもあるが、思い切って老師・橋本梧郎先生のところまで運転。 頼まれて日本で購入してきた書籍群がまた重い。
先生を新たに思わぬ事態が襲っていた。 そのなかでの先生の強い願い。 それを幇助し、記録を図る岡村。 狂気幇助罪だ。
移民博物学者の狂気と、移民記録映像作家の狂気のジョイント。
5/26(土)記 Bentô
ブラジルにて ローマ法王の話ではない。 夕方から子供たちと外出。 ボーイスカウトの行なうアイスクリーム祭りのチケットを買ってあった。 アイスクリーム3個で約300円。 冷え込むなか、会場へ。 アイスクリームの天ぷらが欲しい。 メインのアイスクリーム以外の食べ物も売られている。 ホットドックに「Bentô」。 弁当のことである。 黒ゴマをまぶした俵型のおむすびに、揚げ物、玉子焼き、キュウリの漬物あたりが申し訳程度に添えられている。 ベントーはまだ市民権を得るまではいってない程度の日本語起源の言葉。 賞味期限を越えてブラジル語になるかどうか。
5/27(日)記 ツマをさらす
ブラジルにて 日曜日は、我が家の近くに路上市がたつ。 新鮮な魚介類を買い込むチャンス。 夕食に、刺し身をつくる。 こちらではツマも自家製。 ふだんはダイコン、キュウリにワカメなど。
今回、日本で刺し身のツマにタマネギのスライスを何度かいただいた。 辛味の少ない新タマネギのシーズンだったせいかも。 我が家でもタマネギをスライスしてみる。 新タマネギとはいかないので、水にさらしておく。
むむむ、まだツマたるタマネギの主張が強い。 もっと長時間、水にさらす要あり。
5/28(月)記 要善処
ブラジルにて 日本でのさる上映会でのアンケートがEMS便で届いた。 わくわく、おそるおそる拝読。 おおむね好評、胸をなでおろす。
ひとつ、貴重なご指摘をいただいた。 僕自身、気がつかなかったことなのだが、上映会場にいらした方々に不審感・不快感を抱かせる行為があったようだ。 僕がされても不愉快であり、抗議をしたかもしれない。 している本人は悪気はなくても、現代の常識というものがある。 いろいろな事情で、仕切りのややこしくなっていた上映会だった。
今後はこうした事態を起こさないようにしよう。 自分の作品の上映会である、遠慮は罪だ。 このアンケートをくださった方、メールアドレスを記入してくれていたので、取り急ぎ御礼とお詫びのメールを送る。
5/29(火)記 聖市の歩きミス徒
ブラジルにて ブラジルに戻って半月。 何人ものヒーラーのおかげで、足もだいぶよくなった。 家庭医の許可も出て、用足しをかねて少し街を歩く。
歩いていて、つくづく思う。 この街は、けっこう面白い。 これで治安がよければ。 物価が安ければ。 環境行政が行き届けば。 住民のモラルがレベルアップすれば。 それと、それと…
5/30(水)記 健康麻将と在外日本人
ブラジルにて 通常の僕だったら、失礼ながらまず書店でも手に取ることもないような本。 「長寿社会と生きる〈健康麻将(マージャン)〉」田嶋智裕著、現代書館。 著者の田嶋さんと妙なご縁で知り合い、ご著書をちょうだいした。 健康マージャンは「賭けない、飲まない、吸わない」をうたい、老化防止にもいいという。 この田嶋さんの経歴・遍歴がユニークで面白い。 朝鮮半島で生まれ、1965年から3年間にわたって南北アメリカ大陸をカメラを担いで放浪した。 日本人で初めてガラパゴス諸島を写真撮影のために訪れたのが、この田嶋さん。 この本は盛りだくさんで、いろいろな読み方が楽しめる。
「 三年近くの旅で、アメリカや中南米で生きている日本人たちに実際に出会ったことは、とても大きなことだった。彼らの姿を見て、どこに住んでいてもやっていけると心から思えるようになった。そして帰国するときには、敗戦からこの方、ずっと捨てることができなかった、日本人としての劣等感も消え去っていた。現地に暮らす日本人の存在が私に力を与えてくれたのだ。私が渡米前に願っていた、ひとりの大人として生きていける自信を旅がプレゼントしてくれた。」(前提書)
こういう視点を欠いて祖国でブラジル移民100周年だなどと吠えても、盛り上がるわけがない。
5/31(木)記 上半期の終わりに
ブラジルにて さあ5月もおしまい。 今月中に「あもーる あもれいら」の素材チェックを終え、少しでも編集に着手できればと考えていた。 おかげさまでイントロ部分はつなぎ、本題のファーストカットもつないでみた。 さあどうしよう。 これでいっちゃうか、引き気味のをワンカット入れ込むか。
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