9月の日記・総集編 移民の法則 (2007/10/01)
9/1(土) それぞれの移民
ブラジルにて 妻の実家の知人の、結婚披露パーティ。 こっちにもお声がかかる。 撮影も挨拶も頼まれていないから、オキラク。
新婦の方が知人。 日本人一世の新郎の父がぽつねんとしているので、臨席にお邪魔させていただく。 1歳ちょっとで親に連れられて移住したのだという。 後に訪日した際、生家も訪ねてみたが、懐かしさもこみ上げてくるものもなにも感じなかったとのこと。
移民のひとりひとりのライフヒストリーが、ステレオタイプな移民像を軽く突き崩してくれる。 ステレオタイプな移民像の再生産にくみする輩どもには、ひとりひとりの無名の移民など、さぞどうでもいいことだろう。
9/2(日)記 月遅ればせながら
ブラジルにて 「ふれあいねっと」という機関紙の8月号の巻頭に岡村のインタビュー記事がある。 http://www.wac.or.jp/fureai/pages/fureai.html 上記アドレスから、表紙は拝むことが可能。 ベテランのライターにインタビューしていただくのは心地よいもの。
9/3(月)記 オクラ入り
ブラジルにて ブラジルではキアボという。 いかにもアフロな響き。 オクラというのは、英語だというではないか。 どうハチオンするのだろう。
先日、日本からの友人とブラジルの郷土料理屋に。 キアボが食べたい、ということで一品料理で注文。 スープ状だが、これがなかなかよろしかった。
今日は本人はまた断食をすることにしたが、家族の食事は作らねば。 オクラを購入後、だいぶ日にちが経っているので料理してみることに。
軽く調べてみるだけで十分面白い。 アフリカ起源。 アメリカ合衆国でも各地の郷土料理に用いられている。 日本では伊豆諸島の郷土料理に。 博物学的にも、グローバリゼーションを考える上でも興味深い。
ネバネバだけでも奥が深そうだ。 アフロなねばり。
9/4(火)記 興味深い秘話
ブラジルにて 9日、サンパウロでの講演・上映まで日が迫ってきた。 こちらの日本語の先生たちのグループの主催。 数日かけてのセミナーの一環で、いわばオカムラはリクレーションのような扱い。 このグループ相手には、すでに4回、講演や上映をしている。 ふつう、講演の依頼があると内容や演題については主催者と僕とで何度かやり取りをしながら決めていく。 今回は主催者の方から演題は「興味深い秘話」と決められ、すでに邦字紙等でも発表されている。 あえて興味深くない話でもさせていただこうかと思うが、エンターティナーの血がそれを許さない。
とりあえずオンライン上でこの講演にまつわる「興味深い秘話」でもご披露しよう。 最初にこのグループからお声がかかった時は、サンパウロ近郊のホテルが会場だった。 グループは「おじゃいかさま」のカネ、つまり日本国民の血税のサポートを賜り、けっこうなホテルに泊り込み。 小生は日帰りで講演。 この時、日系社会では有名らしい別の講師も招かれた。 この名士、講演依頼を引き受けてプログラムもできあがってから自分は○○レアイス!以下の謝礼ではやらないと主催者に伝えたとのこと。 当然、グループの想定した予算オーバーとなり、オカムラの「お車代」に響くことになった。 かくして、小生がちょうだいしたのは、「お車代」を当てにしてタクシーででも行ったらえらい赤字になる額でございました。
9/5(水)記 ショーロの後で
ブラジルにて 「ショーロ」のドキュメンタリーを観た後だった。 この映画、日本でも公開された「モロ・ノ・ブラジル」の監督、在ブラジルのフィンランド人、ミカ・カウリスマキの新作。 なかなかよろしかった。 帰路、パウリスタ大通りを歩き、大都市サンパウロをプリミティブな精密画で描いたカードをバンカ(スタンド)で購入。 僕が書いた最後の手紙は先月、日本のドキュメンタリー映画監督の佐藤真さん宛てで、このシリーズのカードを用いた。
帰宅してメールを開く。 日本でお世話になっている人から、件名「突然の訃報」。 彼女も気に入ってくれている「ブラジルの土に生きて」の石井敏子さんのことか、と思いきや。 佐藤真さんが亡くなったという。
僕よりひとつ上だ。 ふつうに死ぬ歳ではない。 日本の大手紙のサイトをチェック。
佐藤さんに出したカードは、先の訪日の際、託していただいた著書「まどろみのロンドン」の御礼とコメント、近況報告だった。 なんと第1章から僕のデビュー作「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」について細かく紹介してくれている。 さらにNHK批判、日本のデジタル放送批判も展開され、わが意を得たりの快著だ。
佐藤さんは日本を代表するドキュメンタリー映画監督だ。 惜しい。
佐藤さんはわが壮大なトラウマ・牛山純一のドキュメンタリー制作に取り組んでいた。 頓挫したと聞き、次回訪日の折でも再開のためのお手伝いができないかと考えていた。
「ショーロ」とは、泣く、を意味する。 その、泣くような音の響きから名づけられたという。
9/6(木)記 忌中にミクシイ
ブラジルにて こんな日に限って朝からパソコンのラインがつながらない。 サポート・クレームの電話をするのは思い切りがいる。 機械音声から肉声につなげるまでにえらいテマヒマがかかり、さらに電話をたらいまわしにされる。 その上、日本語でもむずかしいコンピューター用語をポル語でガチャガチャとやりあわなければならない。
いちおう、上記をクリアー。
日記サイトに佐藤真さんの訃報について書く。 こちらでは佐藤さんの死を共有できる人がいない。 ミクシィの方にも書いてみる。 ちょろちょろと絡んでくる人がいる。
今日の作業時間は午前中のみ。 ノンリニアでつないでみた「あもーる あもれいら」第1部を通しでチェックするつもりだった。 数ヶ月前に書かれた佐藤さんの肉筆を眼にして、その気にならず。
そうこうしているうちに、午後からまたパソコンのラインがつながらず。 再びクレーム電話をすると、先方の問題で修復に5-6時間かかるという。 で、終日つながらず。 メールをたしなまなかったという佐藤さんを心に留めるには格好か。
9/7(金)記 独立記念
ブラジルにて 今日はブラジルの独立記念日。 旗日である。 テレビでは、国軍のパレード中継。
午後から家族は知人の誕生パーティへ。 その間を利用して、「あもーる あもれいら」第1部を通しでチェック。 とりあえず字幕とナレーション以外は、オッケーの段階に。 自分でノンリニア編集を始めたおかげで、カットや音声の微調整を納得がいくまでねちっこくできるようになった。 これまでより、より流れのなめらかな作品になるかもしれない。
さあ訪日前に上映と講演、旅等いくつかあるので予断は許さない。
9/8(土)記 中日に
ブラジルにて 今日は3連休の中日。 午後から面会の約束を入れてしまっていた。 日本からの、ちょっと特殊な分野の調査に来た研究者。 当方にあまりかかわりがあるとは思えないジャンル。 メール、そして国際電話で是非に、とおっしゃるので。
いろいろ話してみるとリンクする人物、事象も少なくない。 ただのアホでアホの自覚症状の乏しいのと付き合うのは疲れるので、本業追い込み中の今後はより避けたいと思うが、今日は面白かった。
さあ、明日の講演と上映の準備。
9/9(日)記 あしたばのジョー
ブラジルにて さあ、今日は何を飲むか。 明日葉茶にする。 伊豆大島産だ。 ほのかな甘みを楽しむ。
昼から、講演と「アマゾンの読経」第3部の上映。 1年に1部ずつ、3年がかりの上映。 こちらの日系人にはでたらめなのが多くてうんざりだが、この人たちはよくぞ初志貫徹してくれたものだ。
講演では、佐藤真さんのことからシャーガス病まで。 45分、ネタは足りるかなと思ったが、いくつか割愛するほど。 聞き手のノリがいいと、ひとつひとつのネタが盛り上がるものだ。
さて、お次の準備に。
9/10(月)記 本業のほかに
ブラジルにて 今日は家庭の都合もあり、メインの編集作業は中止。 後手に回っていた雑務を手がける。
思わぬ筋から頼まれた原稿を、一気に書いてしまうことにする。 読み返す度に通常以上にいじらざるをえない雑な文章の感。 まあ、この辺でカンベンしてもらおう。
家事の合間に本業に専心できる環境を作るのも容易じゃない。
9/11(水)記 字幕開け
ブラジルにて ノンリニア編集第2弾に。 ついにテメーで字幕を入れるのに挑戦。 マニュアルが頼り。 本来、シロートの「○○ちゃんのうんどーかい」みたいなホームビデオ制作用のマシーンなので、どこまでこっちのニーズに応えられるか。 おお、さっそく問題が。
遅ればせながら、こんな時代を迎えたかという感銘が。 かつて、4半世紀前は、ブラウン管型の指定用紙に書き込んで控えを取り、アルバイトの若者にテレビ局内にあったデザイン・写植屋に出して数日。 出来上がりに誤植があったり、こっちのチョンボや変更があったり。
1秒単位(今やこのマシーンでも30分の1秒単位)のタイムをイッパツで出し、そのシートを放送局に渡す。 確認できるのは、放送時。
えらいチョンボを思い出す。 これ以上は戦意喪失しそうなので、この辺で。
9/12(水)記 乾いた街
ブラジルにて 町なかに暮らしていると、なかなか実感できない。 自分や周囲の体調で空気の乾燥の激しさを知る。 郊外に出ると、植物や地肌から、カラカラぶりがよくわかる。
恒例となった老師のお見舞いと御用聞きに。 先回、老師は「独立記念日はたいがい雨が降る。いよいよ雨が始まる」 と古老らしい知恵を披露した。 7日の独立記念日から何日か経過したが、雨の気配はなし。
いくらなんでも、そろそろ。
9/13(木)記 犯罪者と現場
ブラジルにて 朝から夜まで、日常の諸々をこなす。 夜行バスで「あもーる あもれいら」の現場に向かう。 取材資料、質問事項をチェック。 そのシーンが使えるかどうかがかかってくる疑問点等もあり、ちょっとビクビクだ。 こうしてホイホイと行くことのできる現場でありがたし。 それだけに、ごまかしもきかない。
9/14(金)記 きれいですねぇ
ブラジルにて よいこ、クソガキ等々のお相手もしながら当事者と疑問部分のチェックを進めていく。 こちらの生活を脅かすとんでもないことをしでかす危険幼児もいるので、油断がならない。
シスターたちは日中も夜も予定たっぷりで、急な用事も多い。 明日の午前中をキープしていただいているが、突発事態に備え、今晩のバザーの準備と撤収の合間に、一緒に試写をしてもらう。 「きれいですねぇ」の声。 確かに色合いがシャープで心地よい。 ミニDVのカメラから直接、テレビにつないでの出し。 以前のここのテレビはビデオ入力端子もない旧式のものだった。
まだ全部見ていただいたわけではないが、想像以上の好評。 とりあえずは安心。 こちらの思わぬ勘違いも判明して、見てもらってつくづくよかった。
9/15(土)記 至福の試写
ブラジルにて 朝食後、昨晩に引き続き、シスターたちに試写をしていただく。 セッティングも慣れた。
映像の終了後、拍手までいただく。 これは想定外。 まだ字幕なし、ナレーションも草稿の段階である。
後半、取りようによってはヤバいシーンもあるので、懸念もあった。 いずれにせよ、慎重さは貫く所存。
シスターたちと話は尽きない。
思うに、シスターたちの教育者とは異なる記録者としての視点を提供した。 「ただ」のパッセンジャーより滞在者と呼んでいただきたい時間をかけさせていただいた。 やっつけ的な仕事で、現地の人たちに、あんた、なにみてたの? と嘆かれ、蔑まれることは恥ずかしいことだ。 それでいて、生活者ではない僕の知らなかった、気づかなかった視点・情報を提供していただく。
こうして、できる限り作品を磨いていくんだな、と思う。
9/16(日)記 ゲロの焦点
ブラジルにて 夜行バスで、朝帰り。 家に戻って、諸々。 留守中の日本語新聞を見る。
げろげろの記事、いくつか。 極めつけの、げろな記事がある。
美代賢志さんの名言を思い出す。 せびる金額の大きい乞食は、コロニアでは先生と呼ばれる。 確かこんな感じだったかと。
こちらの新聞スタンドで雑誌をかっぱらっても立派な窃盗罪である。 堂々と移民の資料をかっぱらっていって、ばれても悪びれもしないと、センセーのつもりになれるらしい。 1レアルの金をせびればお乞食だが、1000ドル単位でゲットをかませば、 ♪それは先生~
乞食、泥棒、先生の区別の難しい世界。
9/17(月)記 100年の積み重ね
ブラジルにて 美代賢志シリーズ。 彼のB-side( http://b-side.brasilforum.com/ )の寸評社説は、有料邦字紙の10倍は面白い。
留守中の6月14日付から抜粋。
ところで、2008年の移民100周年(日本的には、日伯交流年)に関連して昨日、ある関係者から「日本から見込めるのは、3桁(数百万円単位)でしょ」という話が。「それを期待していた人たちは、どんどん協会を離れてますよ。結局のところ、1週間の日本週間をやって、エエジャナイカ踊りをして終わりです」とのこと。へー。もう少し早くこうした事情が分かっていれば、この数年の文協会長選挙のごたごたなどは無かったような(笑)気もしますね。ま、この程度が100年の積み重ねだったってことでしょうか。
「昔は、ブラジル屈指の富豪と呼ばれて自家用機を持っていた日本人移民もいたの。でも、その孫は今、デカセギよ。日本人が教育熱心というのは嘘ね。だって教育っていうのは、学校の勉強じゃなくて、結局は生き方を教えるものでしょ。なーんにも残してこなくて100周年なんて浮かれて、恥ずかしくないのかって私は思うのよ」とは、先日のボトランチンの話をしてくれたバァさまのお言葉。はぁ。…反省。
9/18(火)記 SEMEARで刺される
ブラジルにて ちょっとアクセスがめんどくさいイビラプエラ公園内のサンパウロ現代美術館へ、思い切って。 日本の写真家・川内倫子さんの写真展も、あと数日となった。 この人の名前を知ったのは、故・佐藤真監督の「花子」の写真だと記憶する。
川内さんにブラジルの日本移民を撮ってもらう、というのがこの企画の出発だったようだ。 いったい、誰のアイデア?
その狙いは、見事に外れている。 この外しが戦略によるものなら、プロデューサーと作家は相当なタマであり、その意味では成功といえるかもしれない。
写真集にも収められているリベルダージのバンカ(新聞スタンド)の、ラジオ体操のメンバーのポートレート写真のフォーカスのように。
川内さんが同時に撮ってまとめたというビデオの上映があるのが気になっていた。 鑑賞中に、刺された。 「SEMEAR」というのは普通に使う言葉ではないと思うが、種を蒔くといった意。 それを象徴するつもりらしい地面を刺すアリの写真がトップに用いられている。 こちらにはハチのように刺す、進化の点では原始的なアリがいる。
蒔くと刺すでは、大違い。 こっちにはちゃんと農耕するアリもいるのに。 そういうのはどうでもいい、という居直ったダイナミズムが心地よい。
9/19(水)記 「被写体から遠く離れて」
ブラジルにて ゲロな話題ばかり続くのも、品がない。 ストックの、オンライン上に発表した駄文でも。 8/22付で書いたことの、詳細リポート。 neoneoの86号で発表。 http://blog.mag2.com/m/log/0000116642/108912588.html
これもゲロ系っぽいかな。 この件も、近々ちょっとオチをつけるつもり。
9/20(木)記 真弘忌に
ブラジルにて 今日は、真弘忌。 21年前に、アマゾン奥地で。 去年は、伊豆大島にて。
なにそれ? という向きには、こんなのでも。 http://www.univer.net/1_nanbei/0611.html
この時期には不思議なぐらい決まって、これがらみの事態が起こる。 今年は、あらぬ誹謗中傷にさらされる。 義のために迫害される者は、幸い。
9/21(金)記 忌明け
ブラジルにて 未明に、なぜか覚醒。 うれしくもかたじけないメールが3本。 うちひとつには、寝ぼけ眼が潤む。 あなかしこ。
下司な誹謗中傷に関わってる余裕はないだろ、と教えていただく。
9/22(土)記 「佐藤さんへの最後のカード」
ブラジルにて 拙日記への記述をご覧いただいた知人からの依頼で。 佐藤真さんへの追悼文を書いた。 http://journalist-net.com/home/07/09/15/235109.php
オンライン後に、さる方からあることを教えていただいた。 それを知っていたら、こんな駄文は書けなかったかもしれない。
書けないことに、真意あり。
9/23(日)記 180の手習い
ブラジルにて 乾ききったサンパウロ州。 南回帰線を縫って車を走らせる。 早朝から、老師ご夫妻の運転手。 ふたり合わせて百八十歳。
自分の祖父母に何もさせていただけなかったことを恥じつつ。
祖国は、お彼岸か。
9/24(月)記 海岸砂漠に
ブラジルにて もう、カラカラを通り越している。 降りそうで降らない。 羽シロアリの群舞からすでに数日。 アトランチック・レインフォレストが砂漠になる…
空は掻き曇る。 ようやく。 雨に眺め入る。 逝った人を想う。
ほんのお湿りで終わってしまった。
9/25(火)記 こころのエコノミー
ブラジルにて 不愉快なことが、いくつか。 激怒すべきこともある。 自分で設定しているモラルコードに従い、ぐっと耐えている。
楽しい話も舞い込んでくる。 とんでもなく素敵な話もある。
後者に心を寄せよう。 くだらん人・ものには関わらず無視しよう。 それどこではない。
9/26(水)記 サイアクの上映会
ブラジルにて 常軌を逸することが、時々起こる。 とんでもない上映会の話があった。 主催者が、乗り気ではないどころか、迷惑している。 さらに主催者は岡村に不審感どころか、悪意を抱いている。 そのうえ、僕のモラルに著しく反する集いを兼ねている。 とてもじゃないが、こんな上映会に応じる訳にはいかない。 辞退したところ、主催者に指名されていた輩から公の場で著しい誹謗中傷をちょうだいした。 そもそもこの企画者は、僕の上映会史上、最悪の上映会を実現してくれた人。 さすがに、こりた。
どう最悪? 作品鑑賞に堪える場所と機材が用意されていない。 参加者のうち、僕の確認では作品をちゃんと見ている人がいない。 企画者自らが上映中に犯罪的な大声で私語を続けている。 岡村へのお礼の意味も込めての上映だから、とだまされて激忙中に応じてしまった。 上映を中止して、失礼するべきだった。 作品に登場してくださった方々の尊厳のためにも。
あつものにこりて、なますをふく。 僕が上映会に関して時折、小うるさいことを言うのは、こうした悲劇を防ぐためですので、ご笑諾ください。
さあ皆さん、楽しい上映会をしましょうね!
9/27(木)記 写経な日々
ブラジルにて 現在、故あって、さる長編の拙作の完成台本のPC入力作業を始めている。 作品に収められている映像・音声・会話やナレーション、字幕などを脚本形式にして文字で記録したものを完成台本という。 この作品の頃はまだPCをいじっていなかったので、オリジナルは原稿用紙に手書きである。 堂々175枚。
最新作の仕上げ作業、諸々の家事等々の合間の作業なので、ただでさえ当方の入力ペースは徐行運転のため、カメさんの歩みである。
こういうのは人任せにしないで、作者が写経のつもりで取り組まないと。
9/28(金)記 移民の法則
ブラジルにて ブラジルの日本人移民の新しいのは、減ることはあってもまず増えることはない。 残った移民たちは、老いていき、身まかっていく。 というわけで、生きている移民といえばふつう年寄りになる。 生きた移民をテーマにするということは、年寄りをテーマにすることでもある。
サンパウロの文協で行なわれた老人週間の催しで、あの大ホールを埋めたお年寄りを見やってそんなことを思う。 この舞台を撮影したことは数え切れないぐらいだろうが、まさか自分が壇上の講師になろうとは。
一連の催しの一環での講演と上映で、聴衆の大半がおそらくこちらの存在を知らず、作品も見たことがない場合はこちらは相当ピリピリする。 話の方は短くして、「これでどうだ」の自選短編上映に移る。
会場に下りて、聴衆の横で一緒に鑑賞しようとすると… まずは「後ろの方まであんたの声が聞こえない」と僕にクレーム。 音響と照明のプロの業者さんが入っていて、客席後方で整音をしているのだが。 ついで、スピーカーの位置が邪魔だから動かして、と僕にリクエスト。 一講師が勝手に動かすわけにはいかないし、ひとりで動かせるような小物じゃない。 気軽に声をかけやすいのはけっこうだが…ふつう、こういうことを講師に言うか?
あまりに管轄外の注文が多いので、舞台のすそに引っ込むことにする。 おかげで観客の細かい反応がつかめなかった。 移民、老人とのお付き合いはなかなかである。
9/29(土)記 「あもーる あもれいら」第1部完成記念上映会
ブラジルにて おお、あと6週間か。 拙サイトだが、トップページを飛ばして直接、日記ページへのアクセスが増えている。 日記ページ以外のお知らせを「知らんかったぞ」とおっしゃる向きもあるので、ここでもお知らせ。
最新作「あもーる あもれいら」第1部の完成記念お披露目上映会です。 11月10日土曜日、会場は横浜駅前。 帰りに崎陽軒のシウマイを買って帰ろう。
会場が小さめのため、事前の予約制とさせていただきました。 今のところ、空席に余裕がございます。 翌日の名古屋上映は、すでに空席わずか。
以下の案内をご参照ください。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20070925003739.cfm
「あもーる あもれいら」今年の日本国内ではこの横浜、名古屋の限定上映とさせていただきます。 それでは横浜でお目にかかりましょう!
9/30(日)記 池田さん逝く
サンパウロにて ブラジル日系社会の芸能界の長老・池田信雄さんが亡くなられた。 享年90。 よりによって昨日、ブラジルに到着したばかりの知人から教えてもらった。 僕が文協大講堂の舞台に立った日に亡くなられた。 市内から遠方の墓地で、芝居仲間が駆けつけた時はすでに埋葬した後だったという。 こちらはふつう、死亡後24時間以内に埋葬される。 家族に日本人一世がいないと、なかなか故人の一世の仲間には訃報がスムースに伝わらないことはしばしば。
大阪出身で、かつてアラカンの映画に子役として出演したこともあると本人から聞いたことがある。 戦前のシネマ屋、戦後の芝居活動。 僕が知り合った頃は、なかなか一筋縄ではいかないコロニアの各芸能グループの調整役として活躍されていた。 あの文協大講堂を借り切り、「池ちゃん祭り」と称して1日がかりの芸能祭をされ、ボランティア撮影をおおせつかったこともある。
拙作「すばらしい世界旅行」『シネマこそわが人生 活弁ブラジルを行く』(1988年)にご協力いただき、作品に花を添えてくれた。 畏友・細川周平さんの「シネマ屋、ブラジルを行く」(新潮選書)に、池田さんについてページが割かれている。 今はちょっときちんと読めない。
もう一度、立ち飲みカフェでもご一緒したかった。
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