12月の日記・総集編 歳末の路上家族 (2008/01/02)
12/1(土)記 薩摩モッソス
日本にて あ、月が変わる。 日本に来てほぼひと月。 半日の休息もなかったな。 そいでもって今日は午前中から撮影。
新郎新婦が愛の巣から地下鉄、JRに乗って式場に向かうというので、それも撮るべえかと。 山の手の私の実家から埼玉県境の彼らの愛の巣まで、1時間半。 愛の巣から移動撮影、緊張。
今年は5月にも日本で結婚式の撮影。 5月の彼も、今日の彼も、鹿児島出身で若くしてブラジルに渡っている。 妙縁。
過労でふらふら状態ながら、他人様たちが和洋合わせたフルコースで飲んだくれ続けるのを、心を込めてボランティア撮影させていただく。 しばらく結婚式撮影はカンベンですな。 今度のはブラジルで編集もしなきゃなんないし。
さあ明日はこっちが主役だぞ。
12/2(日)記 東横ボーイとブラ飯ハシゴ
日本にて 今回訪日の、最終上映会。 横浜上映に始まり、横浜上映に終わる。 東横ボーイの本懐。
こうした上映会と出会いを楽しんでくれる若者たちの存在がうれしく、心強い。 僕自身、貴重な出会いをいただき、他の人たちもさまざまな出会いを楽しんでくれたようだ。 上映活動の、大きな喜び。 ありがたし。
上映後、地元・能見台のブラ飯屋サウダーデにて反省会。 実に誠実そうなマスターが本場の味を提供してくれる。
夜は、横浜線大口駅近くのGAUSHOさんのお店へ。 店の作り、料理、マスター、すべてがユニーク。
さすがに日本でブラ飯屋のハシゴは、ちょっと… 残した肉に、申し訳なし。
12/3(月)記 買い物ブギ
日本にて 家族、知人らの頼まれものの買い物が少なくない。 東横ボーイらしく渋谷に出る。 なかなか一筋縄ではいかないものばかり。 頼む方は気楽でいいかも。
さる地方での上映会で。 初対面の方が、家族がサンパウロにいるという。 物を持って行ってもらっていいかしら、とおっしゃる。 いろいろ頼まれものの荷物が多いので、もしかさばらないものなら、と申しておく。 名刺と日本の連絡先が欲しい、とのこと。 先方は名刺も出さないので、何者かもわからない。 便利屋の御用聞きで全国をヘロヘロになってまわっている訳じゃないつもりだが。 いやはや。 いつ電話があるかと、実家でも気が気じゃない。
12/4(火)記 高校考古
日本にて 離日前日。 ひたすら、残務に取り組む。 よりによってこんな日に、面白いものが届いた。
高校時代の同窓会名簿。 代表役は、卒業後、お互い連絡を取っていなかったお友達。
ざっとみると、消息不明者が多い。 逝去とある人も少なくない。 ついつい数えてみると、7人。
僕は高三の時、学校当局を批判する戯作で筆禍事件を起こして自宅謹慎の身となった。 そもそもクラスの優等生ぶったグループが内申書アップ狙いらしく、文化祭で文集を作ると言い出して、彼らにしつこく執筆を頼まれて書き下ろしたもの。
当時、僕は映画研究会の会長として文化祭で2本の映画の上映会を切り盛りしていて、それどころじゃなかったのだが、ついサービスして書いてしまった。
生徒をなめきった管理強化を図りながら、マージャンや予備校でのアルバイトに励む教師どもを戯作として書いたのだが、ご丁寧に当局にご注進する輩がいた。 文集の代表者は、さっそく岡村個人に責任を転嫁。 こんな連中とかかわった自分を恥じて、一人、謹慎させていただく。
この時の文集制作メンバーが、全員、消息不明である。 友を売るようなよい子たちのその後は、行方不明。 30年以上経っても笑わせてくれる。
12/5(水)記 12月のSAKURA
日本→アメリカ合衆国→ ここのところ何度かJALに操をたてていたおかげで、ビジネスクラスへのアップグレード券が1枚あった。 ところが、事前に予約を入れても何度もウエイティングに終わっていた。 今日は成田のカウンターのお姉さんが健闘してくれて、ビジネス席をゲット。 数年に1度ぐらい、いいでしょ。
JALのビジネスクラス用ラウンジ・SAKURAラウンジを初めて使用。 セルフサービスの飲み物はひと通り揃っている。 固形物系が実にショボい。 おかきにクラッカー程度。
数年前だが、ANAのラウンジには各種手巻き寿司まであった。 VARIGだってサンドイッチに、ポン・ジ・ケージョを揃えていた。
JALさん、腹にたまるつまみなしにアルコールだけいただいていたら、搭乗前に悪酔いしちゃいますぜ。
12/6(木)記 帰聖…
→ブラジル 「こちら」の日本人はサンパウロ市を聖市と呼び、サンパウロに戻ることを帰聖と言います。 文語で使用される例が多い。
「こちら」側に戻りました。 こちらの国の税関チェックや、空港にはびこる日本人狙いの強盗団に「今回は」襲われることもなく。 深くほっとしました。 アルコールも飲みたくない、PCもいじりたくない。 今しばらくは。
12/7(金)記 こもりたいけど
ブラジルにて 訪日中の疲れと、時差ぼけ。 できれば、何もしたくない。
そうもいっておらず、いくつかご連絡。 来週からさっそく老師訪問にアモレイラ再訪となりそう。
近所にお買い物。 少しずつリハビリですな。
12/8(土)記 アマゾンの謎
ブラジルにて 持ち帰ったスーツケースを引っ掻き回しつつ。 4GBのUSBメモリー。 離日前にAmazonから送られてきたもの。 依頼・送り主も岡村淳となっている。 自分では頼んでいないのだ。 とりあえず、ブラジルまで搬入。
考えられること。 1、何かの間違い 2、誰かがブラジルの知人に届けてもらうため、「便利屋」岡村宛に送った 3、どなたかからの岡村への贈り物
こんなところだろうか。 お心当たりある方は、ご一報くださいね。
12/9(日)記 ポスト粘菌
ブラジルにて 滞日中に新聞の書評を見て食指の動いた本が、3冊あった。 バタバタしているうちに離日が迫り、ネット通販での入手が困難に。 渋谷の大手書店で勝負をかける。
ゲットできたのが「苔とあるく」田中美穂著・WAVE出版。
ブラジルに戻ってさっそく耽読。 粘菌もいいのだが、新熱帯区に居住していてもお目にかかるのが並大抵ではない。 コケとなると、汚染都市サンパウロでもその気になれば近所で見つかる。
「下等」とくくられる動植物が好き。 という著者プロフィールに、まずは深くそそられる。
極めつけは著者のあとがき。
(前略) そして最後に、イギリスの植物学者コーナー博士の、ぐっとくる言葉をご紹介して筆をおきたいと思います。
「進化の主要な道筋からはずれてしまった蘚苔類は、謙遜して独自の新しい生活環をつくりだした」
座右の書と、座右の句が増えた。 そもそも、この星に住んでいることがますます楽しくなった。
12/10(月)記 歳末徐行
ブラジルにて 今回、日本で感じたことは日本のドライバーはやたらにクラクションを鳴らさないことだ。 違法停車などで足止め・渋滞になっても、じっと待機、譲り合いである。 我がサンパウロでは、こちらが不可抗力で停車をしてもクラクションにパッシング、罵声に屈辱のジェスチャーを浴びせられてしまう。
約40日のブランクを経て、昨日から運転再開。 すぐに感覚を取り戻せないが、日曜なので通常の喧騒と混雑はなく、助かる。 さあ今日は昼から子供の件で運転。 街は意外なほどスムーズである。 学校がひと通り休暇に入ったため、送迎車がなくなったのが主原因か。 行きも帰りも、ほとんどクラクションを耳にすることもなかった。
いつもこうだったらいいんだけど。
12/11(火)記 青葉マークのコケ散策
ブラジルにて まったく老後にでもとっておきたかった楽しみだ。
午後、徒歩にて子供の送り出し。 迎えまでの間、買い物をかねて付近のコケ探し散策を試みる。
ご紹介した「コケをあるく」(田中美穂著・WAVE出版)によると、コケの種類は日本だけで約2000種、世界では20000種におよぶという。 さぞかし我がブラジルは…
ところが意外。 国家にコケを謳う祖国なら苔むしていそうなニッチェを占めるのは、雑草類なのである。 民家の庭の角、街路樹の洞・切り株などを見て回るのだが。 ようやく見出したのは建物の排水穴の水のしたたる部分ぐらい。 前著の写真を参考にドシロートが同定すると、ギンゴケか。 このコケの学名にアルゼンチンを意味する語があるのに気づく。
どうしてサンパウロにこんなにコケが少ないのか。 1.激しい暴風・豪雨により市街の裸地では、むしにくい。 2.亜熱帯のレインフォレストとはいえ、乾燥期を耐えられない。 3.場末の大犯罪・汚染都市ではコケも生えない。 おそらく1だろうか。
まったくの門外漢でこれでメシを食う気もないから、言いたいことが言える。 「下等生物」は胸躍る。
12/12(水)記 アフンルパル通信
ブラジルにて 家族の用事の合間を縫って、橋本梧郎先生を訪ねる。 相変わらず遠い。 訪日・訪台の報告、お土産と頼まれ物のお届けなど。
もうひとつ、橋本先生の近況と僕の関わりについて書かせていただいた「アフンパル通信」第ⅲ号をお渡しして、お目通しいただくという緊張する課題も。 さっそく先生はお読みになる。 長い沈黙。 あえて感想を求めてみる。 「達筆をふるわれましたな」。 及第点!
「アフンパル通信」は実にユニークな意欲あふれる冊子である。 お求め安い価格でもあり、現物を手に取ってご覧いただきたい。 http://cart03.lolipop.jp/LA09260557/ 以上から、アクセスいただければ。
発行者から10冊ほどちょうだいした。 しかし日本でこれはと思う人たちに配ったため、橋本先生に謹呈した後、手元に残ったのは1冊だけになってしまった。 謹呈できなかったあなたに、ごめんなさい。
12/13(木)記 頼まれごとブギ
ブラジルにて まあ傘がなくても行動できそうな雨。 午後から諸々の用足しに出る。
日本で頼まれた届け物のお届け。 これまた日本で頼まれた、預かってきた日本円を現地通貨にチェンマネする作業。 老師依頼のお買い物。 等々…。
時間がないので、危険度より時間短縮優先のコースで動く。 途中、物取りにあったら誰が被害をかぶるのか、それぞれの依頼主といちいち詰めていなかった。 頼まれごとも楽じゃない。
帰宅後、夕食の支度。 旅支度をして、夜行バスでアモレイラを目指す。
12/14(金)記 アモレイラふたたび
ブラジルにて 冷え冷えとなった夏の、夜行バス。 サンパウロ発のバスは、値段が上がる一方。 しかもこれまで停車していたアモレイラに止まらなくなった。 街の中を通るのに。
今日が保育園の、最終日。 いったん作品を完成させた現場を再訪するのは、不思議な感覚。
新たに発見したこと、聞き出したこと、考え直したことあり。 現場の大切さを、再認識。 作品の第2部、第3部に反映させましょうね。
12/15(土)記 アモレイラにて。
ブラジルにて 小鳥のさえずりと陽光で目覚める。 アモレイラの修道院のシスターたちには実によくしていただいた。 拙作「あもーる あもれいら」はその結実だ。 完成版をご覧いただく。 初版にはなかった技術エラーが修正版にあることを発見、うろたえる。 なんとかしなくちゃ。
12/16(日)記 笠子
ブラジルにて 早朝、サンパウロに戻る。 日曜は近所の路上市。 食材の買出しに。
サシミにいい魚は… ブリをすすめられるが、安くはないし、先週たっぷりいただいた。 では、とgaroupaという魚をすすめられる。 見た目はいかつく、深海魚のような感じ。
ものは、試し。 帰宅後、調べてみると日本でいうカサゴの仲間のようだ。 魚肉の質、色合いはヒラメあたりをほうふつさせる。 モミジオロシでいただくか。
乾燥した唐辛子をダイコンに挿入して、おろしてみる。 もみじというより、血しぶきな感じ。 しかも辛すぎた。 カサゴそのものは、悪くなし。 残りは、煮付けにすっか。
12/17(月)記 パッション
ブラジルにて 受難。
逃げない。 正面から、当たる。
そんなことを、子らに伝えたい。
12/18(火)記 「あ・あ」を読む
ブラジルにて 家事と雑事。
拙サイトにこんなコーナーを新設。 <「あもーる あもれいら」第1部を読む>。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000051/20071209003982.cfm
随時、追加していただきますので、お楽しみに。 寄稿も大歓迎です。
12/19(水)記 歳末の路上家族
ブラジルにて 今日も、老師のところへ。 ブラジルに帰ってから、2度目。
帰路。 高架道路の橋桁近くの人気のないあたり。 路肩が夏草茫々の一角。 草むらの中に突然、ぼろをまとった家族の姿が。
先週、いたく驚き、今日もまたびっくり。 イエスの誕生をあらわす、いわゆるプレゼピオの人形だった。 等身大より、やや大きい。 よりによって、人気のない草むらに、なぜ?
今風に見れば、路上生活者の一家そのものだ。 イエスとその両親が、誰の側にあるのかを教えてくれる。 これこそ、クリスマスの贈りものだ。
12/20(木)記 ハタ迷惑
ブラジルにて 16日付で書いたガロッパという魚の件。 在サンパウロの日本人の友人が、ガロッパは「ハタ」だと教えてくれた。 こっちの寿司屋で握らせたら目をむく金額の高級魚とのこと。
ちょっとグーグってみる。 カサゴは、条鰭綱カサゴ目フサカサゴ科とある。 ハタは、硬骨魚綱スズキ目ハタ科とのこと。 ハタの英名はGarouperとあり、ポル語に極めて近い。
生物学的に、ファミリーどころか「目」の上の「綱」のレベルで違っているのだ。 手元のポル語辞典を繰ってみる。
1996年発行の「現代ポルトガル語辞典」では、garoupaは「カサゴ科の魚」とある。 2000年のコピーライトとなっているブラジル発行の「葡和辞典」も「カサゴ科の魚」。 1970年初版の「ポルトガル語小辞典」には、この語は見当たらず。
さらにAURELIOというポルトガル語の権威ある時点を引っ張り出してみると、ハタ科とあるではないか。 誰がどうして、ハタをカサゴにしたんだか。
12/21(金)記 歳末外回り
ブラジルにて 訪日前からのお約束の会食等で、パウリスタ地区に出る。 今朝、メールを送り、会っておきたいと思っていた友人にバッタリ。 話が早い。 危険情報の共有を図る。 いい年迎える準備、しないとね。
12/22(土)記 年の瀬の訃報
ブラジルにて 老移民の訃報に接するのに、これ以上のシチュエーションはないかもしれない。 夜、さる方と会食で東洋人街へ。 そして、2次会。 この街の最盛期以来、時の流れを止めた店。 ドアには施錠がしてあり、開閉を最年少の小生が担当。
「あら、オカムラチャン」と赤を着こなす女性が来店。 彼女と同県で、しばらく見かけなかったお年寄りの事を聞いてみた。 今年の始めぐらいに亡くなったという。 ショック。 味のある人だった。
店では、カラオケが続く。 何を聞いても、その人のことがしのばれる。 年の瀬こそ、故人をしのぼうではないか。
12/23(日)記 書きものブギ
ブラジルにて 重なる時は、重なる。 ここのところ、執筆依頼が続いている。 ついついどれも気軽に引き受けてしまったが…
まず締切りが早く、量の多いものに取り組んでいるのだが。 なかなかバカにならない量。 どうしよう。
ノートパソコン開きながらのクルシミマスとなりそうだ。
12/24(月)記 忙中散髪
ブラジルにて 日本で、安めの床屋にでも行くつもりだった。 それどころではなかった。
こちらに戻っても、髪は伸びる。 その他、散髪すべき理由もある。 26日午前中でも、と馴染みの東洋人街の移民床屋に予約の電話。 25日にしないか、と言われる。 さすがに25日は、妻の実家でのクリスマスの昼食と準備もある。 じゃあ、今から来ないか、と。
もろもろを中断して、東洋人街へ。 他の用件も兼ねようと目論んだが、先方は閉まっていた。 なんともガランとしていること。
おかげでサッパリ。 シャンプーも節約できるぞ。
12/25(火)記 夏は来ぬ
ブラジルにて 夏至を過ぎても冷夏が続いていた。 昼に妻の実家でクリスマスの食事の集い。 ようやく夏らしくなってきた。
なんだかポコポコと意外な話が舞い込んできて。 退屈はしない、どころか。 ちょっと変わった年末年始になりそうだ。
12/26(水)記 カバン屋さんのナゾ
ブラジルにて 年末年始と旅が続くことになった。 訪日用のスーツケースは大げさ。 小型のケースでは、小さい。 思い切って買うか。
東洋人街のカバン屋さんへ。 以前から気になっていたお店。 なんだか、日本の商店街にありそうな…
「ポルトガル語、お上手ですね」。 こう言われるのは、こちらのポル語がパーフェクトでない証拠。 こっちからいろいろ聞きたいことのあるお店だが、当方も取込み中につき、またの機会に。
12/27(木)記 海岸志向
ブラジルにて 海岸に向かい、山を下る。 トンデモナイ渋滞。 クリスマスから年末年始にかけて、例年サンパウロを脱出して海岸部に向かう乗用車の数は、100万台を超えるという。 今日のこの時間帯は、はずしたはずなのだが…
ブラジル人の海岸志向は、日本人の温泉志向を凌ぐかもしれない。
12/28(金)記 旅奉行
ブラジルにて そう、積極的な「保養」とは、ただ心身を「休める」ことにあらず、ましてやお金や体力をひたすら消費してくることでもなく、非日常的な空間にしかない何かを、みずから「得る」ことで成り立つものなのではないでしょうか。 (「一度は泊まってみたい癒しの温泉宿」松田忠徳著、PHP新書)
「鍋奉行」ならぬ「旅奉行」。 家族それぞれの希望を元に、自分の狙いもたっぷり考慮して、家族旅行の場所を選ぶ。 ガイドブックとネット検索で。 最終的な宿との交渉は妻に電話でしてもらう。
海と山と森。 金をさほどかけないで、走行距離もソコソコで… 今回はいいセン行ったようだ。 まだ準備中の段階の宿で、いろいろ不足はあるのだが。
暑気攻勢に加えて、虫攻勢が、そうとう手ごわい。
12/29(土)記 海岸山脈痛し痒し
ブラジルにて 今日も海・山・清流・滝と大西洋岸森林(海岸山脈)を堪能。 しかし初日以来の悩みは続く。 なんとも衛生害虫が多い。 蚊とborrachudoである。 後者はハエ目ブユ科の微小な吸血昆虫。 朝方と夕方、および水場の近くで襲い掛かってくる。 やられると、痛痒(いたがゆ)くてたまらなくなる。 日本のブユ(ブト、ブヨ)同様、幼虫と蛹は山紫水明の渓流に生息している。
シトロネラエキスと金鳥蚊取りで対処を図るが、大きな効果はない。 子供たちがもう海岸山脈はイヤダと言い出したらどうしよう。 それにしてもトンボが少なすぎる。 トンボよ、borrachudoをコントロールしてくれ!!
12/30(日)記 空って青い
ブラジルにて 熱射がピークを過ぎてから、出発。 近くの歩道橋を省みずに高速道路を縦断してくる海水浴客が多いので、要注意。 イミグランテス街道の登りがキョーレツ。 故障車続出と帰「聖」車のプチラッシュによる渋滞。 山を登りきって、大サンパウロ圏の街並みが見えた時には、息を呑んだ。 空と空気が、美しいのだ。 クリスマス・イヴから1週間でこれだけきれいになるとは。
人類が絶滅までいかなくとも、少し夏眠か冬眠でもすれば、この星もだいぶ…
12/31(月)記 書き越し
ブラジルにて あれもこれも、さして手がつかない。 差し迫った用事も片付いていないの。 いくつか年内の表敬訪問も考えていたが、来年に回させていただこう。 おせち料理制作要員の家族を妻の実家に送迎。 その間、猛暑でうだる実家で原稿叩き。 年越しも、陋アパートでしょうもない原稿をしたためながら迎えることに。
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