2月の日記・総集編 水底の滝 (2008/03/01)
2/1(金)記 国境の町
ブラジルにて ようやく、国境の町にたどり着く。 片道1000キロ以上の運転。 かつては、この町まで滝の轟音が轟いていたという。
まずは、いやはやである。
2/2(土)記 水底の滝
ブラジルにて 水底に沈んだ滝の轟音が聞こえてくる。 人々は滝の遺影を掲げ続ける。 とんでもないところに呼ばわれてしまった。
僕は何を作るか。 溺死した滝への鎮魂歌か。 いや。 僕には、再び現れる滝が見える。 滝の記憶の、継承作業だ。
2/3(日)記 いまどきの年寄り
ブラジルにて 片道1000キロ以上の運転。 インポシブルな状況下での撮影。 それに加えてますます気難しくなり、わがままになるお年寄りのお世話。 地元の人間が昼寝している間にも、あれもこれもしなければならず。
よほど前世で年寄りをいじめたのだろうね。
2/4(月)記 隣国へ。
ブラジルほか ようやく隣国へ渡る。 行きは渡し舟に車ごと乗っかる。 帰りは車を転がして。 こんなことは、日本じゃあできないね。
現在の国土の一部が独立するか、占領でもされない限り。
2/5(火)記 沈黙の大地
ブラジルにて 世は、カーニバルの休暇。 こっちはご老体の下僕の日々が続く。 昨朝は靴紐を結ぶ時、ベッドに座っているのもつらく、横になって結んだほど。 人生で初めてなように思う。 同行の小橋さんはプロのマッサージ師で、だいぶ助けていただいた。 足腰の痛みを細かく見ていただく。 忘れていた子供時代の足の痛みを思い出すほど。 前世治療をほうふつ。
今日は「沈黙の大地」をひたすら走る。
2/6(水)記 帰宅まで。
ブラジルにて 遺伝子組み換え作物の覆い尽くす大地に、奇跡的に残された水と緑のオアシス。 午後には後にして、ひたすらサンパウロに向かう。 早めにサンパウロに近づいたのはいいが、その分、ラッシュ。 道中、ほとんど目を閉じられていた老師がイライラとして、現在位置も把握されないまま、ああせいこうせい、と聞き取りにくい声でトンチンカンなことを言っている。 こちらは連日の運転でへろへろ、そのなかで安全を第一に心がけてベストを尽くしている。 すでにいらつく意欲もない。
今回の旅、ちょうど2222キロを走った。 愛車に、ご苦労様。
2/7(木)記 白髪2222キロ
ブラジルにて 旅の疲れ。 午前中はデレデレさせてもらう。 老師との旅では「時間がもったいない」と夜の睡眠以外は休ませてもらえなかった。
午後、家族の件で車を出す。 陽光のもとでみると、シートのあちこちに白髪が付着している。 まるで脱毛期の白犬でも乗せていた感じ。 白髪の高齢者3人を一週間、2222キロお連れしたためだろう。
洗車に出さなくちゃ。
2/8(金)記 直球人生
ブラジルにて 今日から、早朝の子供の送り出しに始まり、ほぼこっちの日常を再開。
ガバガバとある残務の山に取り掛かる。 ブラジルくんだりまで来てフリー稼業をしながら、ヘラヘラと不本意なことを黙っていられない。 日本方面に3件ほどキツく意思表示をする。 さっそく1件から平謝りの返信が。
とにかく、突き進む。
2/9(土)記 筆禍人生
ブラジルにて いつかは、遅くならないうちに書いておこうとは思っていた。 日本の、ちょっと場違いな筋から、ぜひに、ととっても長い原稿を頼まれていた。 稿料、なし。 突然の過労旅行は入るし、スケジュール的にきつくなってきた。
かなりドギツい出だしで、これでもよろしいか、と照会してみた。 あてがはずれて、この調子でどんどん書いてくれ、という。
岡村に自分が責任を取るからどんなきついことでもどんどん書いてくれ、と公言しながら書き下ろし原稿をボツにしたサンパウロ○○研のなさけない理事とは格が月とスッポンの違いである。
また敵を増やすことになりそうだが、しかたノン・テン。
思えば筆禍の歴史は高校時代以前、中学にさかのぼるのに気づいた。
こっちも場数を踏んでいる。 やりましょう。
2/10(日)記 サルガドの重み
ブラジルにて セバスチャン・サルガドの新作「AFRICA」をひもとく。 とても重い本だ。 クリスマスに、妻が買ってくれた。 その重量に驚いた。 妻は中に乱丁を見つけ、また担いで取り替えてきてくれた。
内容がまた、実に重い。 写真集のページをめくるのに、これだけ時間がかかることは他にあっただろうか。 虐げられ、忘却されようとしている事象の尊厳に、光を当てる。 その志の高さに、魂を揺さぶられる。
2/11(月)記 去年の華燭
ブラジルにて 去年12月に日本で撮影した若者の結婚式、素材テープ5時間分。 素材取込み用のハードディスクは買ってきた。
まだ「あもーる あもれいら」第2部にまったく手がつけられていない。 結婚式の方の編集は、後回しにしようと思っていた。 だが、この調子じゃ、いつまで経っても…
と、思い切って編集に着手。 今日は素材の取込みだけでほぼ1日、終わってしまった。 さあ、何日かかるか。 こっちの完成まで、先方が続いていればいいが。
と、一昨年、撮影した日本の姪の結婚式もあったな。 あれは7時間ぐらいあったかな。 撮影素材そのままをVHSにダビングして渡してあるが、受け取ったとも見たとも連絡はない。 これは先方のニーズに応じて、つなぐかどうか決めよう。
といった調子で、次回作完成は遅れていくのでありました。
2/12(火)記 観音の春。
ブラジルにて 今年の伊豆大島観音合宿に参加したメンバーが、MLやミクシイで次々と報告を流してくれている。 ありがたい、とはこのこと。
なんのためのドキュメンタリーか。 子孫、というより自分に誇れることを少しは心がけてみるのも、悪くない。
2/13(水)記 執筆悲歌
ブラジルにて 年末に原稿を頼まれ、昨年のうちに送稿した原稿について。 見本誌をいただくこともなく、発行されたらしい現物もまだ届かない。 出版元から、稿料の件で連絡が来た。 こっちで若いのにメシでも食わせたら、足が出るぐらいの金額。 その稿料を、出版団体の会費や雑誌の定期購読料に回さないかというご提案をいただく。 会費にするにも、定期購読をするにも不足する稿料なので、その分、こちらが持ち出さなければならない。 締め切り前に書き上げて送って、まだ見ることもない雑誌の定期購読を勧められても、さすがに…
編集者の名誉のために付け加えておくが、これは好評連載中の「ラティーナ」さんの話じゃありませんので。
2/14(木)記 330キロ。
ブラジルにて 体調があんましよろしくない。 今日も老師に運転手を頼まれてしまった。 サンパウロ近郊の町までお連れ合いを送迎するように、とのこと。 1ダース以上の成人した子・孫がおられるのだが「みんな忙しいから」とのことで。
こっちには初めての場所だが、そもそもお連れ合いは道順をよく把握されていない。 後ろから高速の後続車がガンガンあおってくるのだが、そろそろの分岐点でも左右のどちらからを決めかねられる。 「みぎ、ひだり、どっちですか?」 「ええっと…、さあて…」。 運転席の真後ろに座られて、「それじゃあ、こっち」。 「こっちじゃわかんないです、みぎ、ひだりどっちよ!?」 こんな調子。
豪雨上がりの闇の帰路がまたスリリングだった。 知らない夜道の長距離運転はもうカンベンして欲しい。
1・5車線を塞ぐ超大型荷物運搬トレーラーが何台となく徐行で走っているのには参った。 後方からハイビームでこちらに目潰しを食らわせる車、無灯火車もあり、こっちも命がけである。 老師夫妻をお届けしてから、我が家までさらに1時間。 日付の変わる頃に、帰宅。 本日は330キロの走行でした。 こっちの家庭の事情と訪日があるので、しばらく老師とはお別れである。
2/15(金)記 感動続き。
ブラジルにて 朝。 日本の友人がメールで新聞記事を送ってくれた。 いたく心を動かされる。 寝起きの涙腺が緩む。 今まで、新聞記事でこれだけ感動を覚えたことがあっただろうか。 話し手と聞き手・書き手の志の高さが見事に昇華した。 掲載の日付などがわかったら、ご紹介したいもの。
子供たちの送り。 帰宅後、結婚式ビデオ編集が続く。 これまたもらい泣きを誘発する。 これもようやくほぼ形をつける。 あとは、依頼者である新郎がどういうフォーマットを希望しているのかの返答待ち。
2/16(土)記 あと2本だけど、
ブラジルにて 訪日までに仕上げるべき長めの原稿が、あと2本。 連載の方を大体、目鼻をつける。 まだ書き足りないぐらいで枚数が埋まった。
使い損ねたネタは、いずれ別枠で使えるかも。
3月だけで今のところ12回の日本での上映が決定。 それぞれの調整をメールで進める。
こんな調子でバタバタしてるんで、メンドくさいことでいじめないでね。
2/17(日)記 ドキュメンタリーの沈黙、あるいは闇
ブラジルにて 他の人のドキュメンタリーは知らない。 僕には、知ってしまっても、作品や書きもののなかで、伝えられない、伝えないことがあるということ。 これは伝えてくれた相手と僕だけが背負っていけばいい。
松本清張あたりが読みたくなってきた。
2/18(月)記 私は心で負けてるな
ブラジルにて 先日、触れた新聞記事の掲載日がわかったので、ご紹介したい。 読み直して、新たに感激。
ブラジル日本人移民移民100周年だとか言ってごちゃごちゃした動きがある。 僕自身、いくつかの筋から乞われて駄文を書いてしまった。
この記事以上のものは、寡聞にして知らない。
神戸新聞 2008年2月11日(朝刊) <編集委員いんたびゅー>日系ブラジル人の支援活動をする 大島奈緒子さん 営む酒屋が交流の場に 小さなことを日々続けたい
尼崎市昭和通一丁目の酒屋さんは、ちょっと変わっている。夜、ガラス戸を開けると、コーヒーの香りが漂う。作業着姿の男たちがくつろいでいる。立ち飲み屋ではない。食卓に着き、煮豆をご飯にかけた料理を食べたり、トランプを楽しんだり。飛び交う言葉はポルトガル語だ。棚にブラジル製の菓子や調味料、雑誌が並ぶ。そう、彼らはブラジル人。ここを「ロージャ・ダ・ナオコ(ナオコの店)」と呼ぶ。仕事帰りの息抜きの場は、交流の場でもある。今年はブラジル移民百年にちなむ「日本ブラジル交流年」。店の縁起を、主(あるじ)の大島奈緒子さんにうかがった。
―店にブラジルの商品を置いたきっかけは。 「一九九三年、近くのマンションに住むセレッソ大阪(サッカーJリーグ)のパウロ・エミリオ監督が、買い物に来るようになった。彼は英語を話せたので片言で会話ができた。仲良しになり、ブラジルの調味料やチョコ、新聞なんかの買い出しを頼まれた。お使いを繰り返すのが面倒で、棚一つにブラジルの品を置くと、選手や、出稼ぎの日系ブラジル人も来てくれるように。ブラジルの棚がどんどん増えていった」
―ブラジルと、もともとゆかりがあった? 「なかった。今思えば申し訳ないけど、アマゾンのイメージしかなく、エミリオに出会って、いやあ、白人がいるやんって。日系人のことも知らなかった。当時は日系人が、わーっと来日し始めたころ。尼崎にも今より仕事があったから、店からあふれるぐらい日系人が来るようになって。店の前でお酒の箱をひっくり返して座り、ビールを飲んでいた。道路でやったシュハスコ(焼き肉)は警察に叱られた」 ―トラブルを抱えることもあるのでは。 「近くのハイツの人が『あんたとこの外国人はごみをぐちゃぐちゃに出す』って、うちに言ってくるとか。ごみ袋を開けて調べたら、日本人の住民のだった。でも確かに言葉が分からないから、ごみ出しは難しい。ポルトガル語版の説明ちらしを市に頼んでも『予算がない』と言うので、翻訳料を私が出し、配ってもらった。今は市が作ってくれている。一方で、客だったブラジル人に悪口を言われたり、だまされたり、泣いたこともいっぱいある。でも、週末になると、フェイジョン(豆)をたくさん炊いて、みんなの夕食を用意している。なんでやろ」
―なんで? 「いつも疑問に思っている。うーん、豆をおいしく炊けたら幸せなん(笑)。私がしてあげるというのではなく、みんなが必要としてくれるから、できる。みんなといることでつくり出される状況というのがあって、そのとき、できることをしてきた。震災時の炊き出しや、大けがをした日系人の入院に付き添うとか、入国管理局に拘束された人の支援をするとか」
―日系人についての印象を。 「(店の客を見回し)私は、この人たちに“日本人”を習っている。汚れた作業着姿をした二世のおっちゃんに、おつりを渡すと、寒い日なのに手袋を取るのね。どうしてって尋ねると『お母さんが、お金を受け取るときは手袋はめていたらあかん、と教えてくれた』って。それから、シュハスコをしていて、私が先に食べると、みんなが『お父さん、お母さんにまず持って行き』って叱る。そういうとき、私は心で負けてるな、恥ずかしいなって思う。そのたびに、私の中のどろどろした部分が取れていく気がする」
―尼崎はじめ兵庫県内の日系人が減っている。 「不景気に加え、工場の統廃合もあって働く場が減った。今は契約が一カ月更新で、まさに使い捨てという感じ。契約を切って『一週間以内にアパートを出ろ』というようなケースもある」
―日本からブラジルへの移民百年の今年、何か計画は。 「お祭り騒ぎには抵抗がある。誰が誰のために何を祝うのか、目的が大事。移民百年に、私の周りのみんなは興味を示していない。仕事が二交代制で大変だったり、失職していたり、そういう人たちが日々、私たちとともに生きていることを念頭に置きたい。小さなことしかできないが、日々できることを続けたい。移民にも、その子孫たちにも、過酷な暮らしの中で犠牲になった人がいる。そうした人たちに黙とうをささげたい」
〈ひとこと〉 客とはポルトガル語で会話する。辞書を手に走り回るうち、通じるようになったとか。店内から「ナオコさん、ベルボ(動詞)分かってないよ」とのやじはあったけれど、いやいや「尼のおばちゃん」(敬称です)の心は、みんなに通じている。移民百年。誰のために何を記事に書くのか。記者も、そう問われた気がする。
▽おおしま・なおこ 1956年、尼崎市生まれ。神戸親和女子大卒。家業の酒店を手伝う傍らブラジル人支援に携わる。弁護士らが加わる「ブラジル人を支援する会」所属。海外の孤児施設などと交流する「クムアモーレ」代表。祖母、両親、夫、長女の4世代家族。
2/19(火)記 撮影拒否
ブラジルにて この取込みのなか、先週1週間を昨年12月初めに撮影した日本の若者の結婚式ビデオの編集に費やした。 編集済みマスターテープを作れば、あとは新郎の職場関連の業者でDVDに焼く、ということになっている。 そのフォーマットをどうするのか、新郎に先週から何度も問い合わせをしているが、返事がないまま。 編集機が空かないから、本業の作業にかかれない。
もうこの男の結婚式は、2度と撮らない。
2/20(水)記 ワクワク感
ブラジルにて 今度の訪日時期は日本の大学等も休みだし、いつもよりヒマをもてあますんじゃないかと思っていた。 スケジュールを概観して我ながらギョギョギョ。 びっちりである。 さらにじゃんじゃん入ってきて… 千客万来。 これは大変なことになってきた。
姫マツタケ、プロポリス、ブラジルニンジン等々で乗り切ろう。 何よりも大切なのは、新しい人と場の出会いを楽しむワクワク感かも。
2/21(木)記 オルタ
ブラジルにて こっちで「オルタ」というと、菜園のこと。 今日、ご紹介するのは日本の雑誌の「オルタ」。 暮れから正月にかけて書き散らした拙稿が活字になっていくつか届き始めた。 「オルタ」はあのナメクジのシンガポール経由で到着。 「ブラジル移民100年-デカセギ20年」という特集。 まだ全部は読めないが、岡村の駄文は抜きにして、なかなか面白い。 藤岡朝子さんの連載「ドキュメンタリーの散歩道」もよろしい。 これで600円はお買い得感あり。 大手書店には置かれているようだが、取扱店などは、 http://www.parc-jp.org/ をご参照ください。
2/22(金)記 「郷愁は夢のなかで」拾遺
ブラジルにて ようやく噂の新郎から寝ぼけた返事が来る。 昨日から、再び結婚式ビデオの作業。 小さなトラブルが続く。 今日はモニターのトラブル、 に見えてさんざんいじくりまわして、編集機本体の問題とわかった。 分厚いマニュアルにも対処法のない事態。 青ざめる。 この編集機がいかれてしまったら、結婚式ビデオどころか、お次の「あもれいら」第2部の完成スケジュールにも多大な影響が出てきてしまう…。 今日はさらに家族の件、会わざるをえない人、訪日のための諸々が重なっていて、プチパニックとなる。
何度も強制終了させてCPUをだいぶいためただろうが、編集機の機能は復活。 いやはや… 深夜まで結婚式ビデオの仕切り直しとダビングにかかる。 何度も再生している新婦の言葉から、忘れていたことに気づく。 新郎新婦は鹿児島の幼稚園の同級生。 その地は、あの「郷愁は夢のなかで」の西佐市さんが生まれ育ったずばり同じ市内の同じ町なのだ。 新郎は、僕とマットグロッソ州にある西さんの墓参をしている。 あの物語の末に、この挙式とビデオがあったのだ。 愕然。
「郷愁は夢のなかで」はじめ、岡村の自選作品上映会を東京・西荻窪のブラジリアンスペース「アパレシーダ」さんで4回連続で行ないます。 座席予約制ですが、22日現在、空席ありとのこと。 上映スケジュール、予約方法は以下のリンクをご参照ください。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20080219004206.cfm 西荻窪で逢いましょう。
2/23(土)記 温泉上映
ブラジルにて 以前から、やってみたかった。 作品の余韻を、湯船で温め直して反芻する。 東北や北海道の有志が検討してくれている。
ところが、急きょ、別のところで決定。 台湾だ。 ということで、また台湾にお邪魔する。 無理を承知のスケジュール組みだ。 先方は日本の薄弱な温泉など比べ物にならない濃厚さをお楽しみに、などと言ってくるが。
向こうは水着着用だったな。 忘れないようにしないと。 おっと肝心な上映素材も。
2/24(日)記 パステルおさめ
ブラジルにて 今日は午後イチで子供の件で配車。 そのため、昼は手抜きとさせてもらう。 フェイラ(路上市)のパステル(ブラジル風揚げギョーザ)でいい、ということで。 台所でパクつきながら。 ふだん好んで食べることもないが、悪くない。 ああ、本場のこの味もしばらく食べおさめか。
残務の山。
2/25(月)記 毎度毎度ですが、
ブラジル→ まーなんだかんだと残務雑用は尽きず。 楽しいこともあれば、うんざりすることも。 例によって、いやそれ以上のバタバタに。
といったところで、日本に向かいます。
2/26(火)記 メニュー変わり
→アメリカ合衆国→ JAL便の大きな変化は、機内食の個人配布メニューがなくなったこと。 エコノミー以外は存ぜぬが。 客室乗務員が食事に際してメインディッシュ2種の写真を見せて、客にどちらか選ばせる式となった。 この式だと、メインディッシュ以外にこめられたウンチクがわからない。
そういうの、キライじゃなかったんだけど。
機中で意外な出会いが重なっちゃって。 ワレ奇中ニ在リ。
2/27(水)記 成田にて。
→日本 無事、成田到着。 レンタル携帯電話にひかれるが、やめておく。 公衆電話へ。 中国人のおばちゃんが、中国語で僕に頼んでくる。 自分の持っている携帯電話に表示された日本の電話番号を見せて、そこにかけて欲しい、ということらしい。 10円玉1枚を僕に押し付ける。 遠そうな市外局番で、10円だとかかったら切れてしまうだろうが、それを中国語で説明できない。 こっちが自腹を切るのも、ちょっと・・・ とりあえずかけてみる。 と、「お客様がおかけになった電話番号は、現在、使われておりません」。 さあ中国語でどう伝えるか。 くるしまぎれに「メイヨー」と言うと、わかったよう。 おばちゃん、すると、隣の電話のコイン返却口で見つけた10円銅貨何枚かを、僕に持っていけ、と中国語と手まねでおっしゃっているようだ。 「一部の」ブラジル日系人じゃあるまいし、ちょっとそれはできかねる。 おばちゃんこそ持っていきなさいよ、と手まねで伝えるが、向こうも遠慮。 そして硬貨はそのまま残された・・・ こうかふこうか。
2/28(木)記 今日の夢は大阪の夢
日本にて 東京の実家にまる一日と滞在せず。 西へ。 霊峰富士を車窓から飽かず眺める。 京都で。 泊まりは、大阪。
2/29(金)記 六甲山系
日本にて 大阪の、朝。 体力温存しないと。 荷物も多いし。
大阪駅から、阪神電気鉄道をチョイス。 六甲山系の威容に息を呑む。 そして、心をかきむしられる。
大きな意志の中の、自分というピース。 明日は、この話をしよう。
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