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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2008年の日記  (最終更新日 : 2009/01/10)
6月の日記・総集編 千年経ったら祝いましょう

6月の日記・総集編 千年経ったら祝いましょう (2008/07/03) 6/1(日)記 サンタ・エレーナの行方

ブラジルにて
家族で、お呼ばれ。
フランス風フォンデュをいただく。
鍋の中に、白ワインを2本以上、ぶち込んであるという。
それも、チリ製のサンタ・エレーナだと。

ワインとチーズでいただきたかった。


6/2(月)記 南の街に冬が来る

ブラジルにて
朝6時、まだ外は暗い。
さむ。
今年ブラジルで初めて、セーターを出して羽織る。
子供たちの送りの帰り、街の温度計は14度。
体感温度は、もっと低い感じ。

日本のさるメディアの人から電話取材を受ける。
15-20分の予定とのことだったが、終わってみると、1時間半近く。
何ということを話したような気もしない。
聞き手の真摯さ、誠意がよく伝わり、気持ちのいい取材だった。
取材される側も、取材する人をよく見ている。
さる大メデイアなどは…

おっと、これはオフレコ度がより高くて。


6/3(火)記 内→外→内

ブラジルにて
具体化しつつある国内出張の段取り。
ちょっと気張った旅だ。
日本、アメリカ、ブラジルの関係者に連絡を取りつつ進める。

「あもれいら」②の編集。
①をご覧になり、子供たちの家庭が見たい・知りたい、という声が多かった。
いよいよそのあたりのシーンをつないでいる。
重い。
絶望感と無力感に、打ちひしがれる。
撮れていても、さすがに出せないことどもの多さ。

ドキュメンタリストとしての、さじ加減が問われる。


6/4(水)記 「出逢いにまみれて」

ブラジルにて
日本語表現を業とする友人から、こんな言葉をもらった。
(岡村が)「出逢いにまみれて」いる…
思わず、ひざを打つ。

確かに上映会活動が盛んになってからは、まさしく出逢いにまみれている。
おかげさまで、ナミの雑菌には、さほどへこたれなくなった。
ブラジル産姫マツタケとフマニタス製プロポリスで免疫力をカバーしてるし。

今日は、頼まれごとで90代の人を2箇所訪問。
また新たな、ただならぬ出逢いをちょうだいする。

聖書では「からし種」にたとえているが、オレの場合はまさしく菌だな、これは。
子実体から変形体へ!


6/5(木)記 移民名士の貢献

ブラジルにて
今日の日中。
市内の渋滞はひどかった。
おかげで予定に遅れるわ、遅れるわ。
幹線道路の一車線をつぶして、中央分離帯の整備を少人数でのんべんだらりとしてくれている。
ただでさえの渋滞のなかを、パトカー、救急車がサイレンを鳴らして何台もやってくるので、ますます大混乱。

一台の救急車は、息子の学校のすぐ手前の高校の前に止まっていた。
バイクかなにかの事故だろう、路上に横たわる若者と救急隊員をかいま見る。

これまでの迂回路がつぶされてしまい、大回り・大混雑の迂回をしなければならなくなった。
便利だった迂回路をつぶして、犬の便所にもならなそうな狭くつまらないプラッサ(小広場)にするらしい。
すでにプラッサには日本人名士の名前がつけられていた。
渋滞の街を、さらに渋滞させるのに見事に貢献してくれている。


6/6(金)記 千年経ったら祝いましょう

ブラジルにて
今年は「源氏物語」1000周年記念の年とか。
日本の渋谷で先回、ばったり在イギリスの知人に会ってしまい、近くで喫茶した。
オックスフォード大学が建学800年のお祝いをするという話を聞く。
移民100年なんて、浅い浅い。

そんなことはどうでもよくて。
高校の古文の授業で読んだのだったか。
源氏の大臣に、女性の生き霊が障る、というくだりがあった。

時々、自分の生業(行)をチャネラーにたとえることがある。
この度、移民の生き霊、あるいは移民芸術にこもったなにかが僕を動かした、みたいなことがあって。

さる日本のメディアのお手伝い。
おそらくそれが担当者と僕ぐらいにしかわからないのが、またよろしい。


6/7(土)記 貧乏ゆすりのバイオリニスト

ブラジルにて
娘の学校で、こちらで知られたクラシック楽団の演奏会。
創設者の日系人の苗字が楽団名。
家族4人で出向く。

この楽団は創立20年になるが、「お上」の補助は一銭も受けていないという。
そのおかげで汚職問題と無縁でいられる、と指揮者のトーク。
共感。

2曲目、最前列に座ったバイオリニストの貧乏ゆすりが、なかなか。
音が聞こえそうな。
さすがに自分のパートの時は止まっていたが。
こちらでは、「貧乏ゆすり」に相当する言葉はないようだ。
日本語でこう申しますが、とご教示したら止まるかもね。

この私立学校は、この楽団のためにひとかたならぬ援助をしている、とこれも指揮者の談。
目をむくような授業料だが、その一部がこうした文化のサポートになっているのはうれしい。


6/8(日)記 哀しみの街かど

ブラジルにて
家族の用事で、リベルダージ(東洋人街)へ。
日曜にリベルダージに車で行くなんて、考えるのもご法度だった。
今日は運ぶ荷物もあり、特別。

想像どおり、よりヒドい。
駐車場待ちの車の列が道路を塞ぎ、交差点の先まで渋滞。

予定していた駐車場は断念。
少し離れた駐車場へ。

まー人がいるわいるわ。
堕ちたとはいえ、なかなか。
通行人をざっと見るに、日本人一世風のは…
1パーセントぐらいか。

ふと「日本沈没」を想う。
そしてブラジルのあるリゾート地のことを。

元はフィンランド人が開いた、山峡の移住地。
今日ではリゾート地となり、サウナやサンタクロースといったフィンランドチックな文化をウリにしている。
実際のフィンランド移民、フィンランド系住民は今日では極めてまれなことを知る。

期待される文化が、期待に合わせてお安く「創造」されて消費されていく。
あとに残るのは、路上ポイ捨てのゴミの山ぐらいか。


6/9(月)記 宮えらび

ブラジルにて
数日前に長めのをひとつ入稿。
さっそく別の原稿の締め切りが。
どっちのネタにするか、決めかねつつ。

宮沢和史さんとの対談については、月間ラティーナで書くと予告してしまった。
いただいたアンケートやメールなど、もったいないのが多いので、宮沢ネタは別メディアでもうひとついけそうだ。

別に、宮内さんという友人のことも書いてみようかと。
宮沢さんの方は、まずラティーナで書いてからにすっか。
こっちは宮内さんでいこう。

出だしに悩んでいたが、突破。
仮題は、これも悩んだが、とりあえず「岡村ドキュメンタリーを聴く」。


6/10(火)記 ブラジルと原爆

ブラジルにて
今日は、ブラジル奥地でうかがった日本での原子爆弾の被爆体験の件を編集する。
作品のなかでの納まり具合をよく吟味しないと。

読むべき活字資料がたまるいっぽう。
奇しくも最近は、畏友・川口隆行さんの「原爆文学という問題領域(プロブレマティーク)」(創言社)を拝読している。
とても斜め読みや、読み流しはできない。
読むか、読まないか。
一字一句も読み逃すことのできない労作。
学生時代以来、使っていなかったような脳内回路がギンギンに刺激される。

さあ、この本がこっちの作品の編集・構成に影響を与えるかどうか。


6/11(水)記 アキバと原発

ブラジルにて
日本の新聞社のサイトの記事によると、秋葉原の無差別殺人犯は、より多くの人を殺傷するため、4トントラックのレンタルを図ったが、なかったので仕方なく2トントラックを用いたという。
アカの他人をより多く殺傷することを目的として、手段を熟考して実行に移す人間がいる。

9・11の事件の後、建築関係者は高層建築に際して燃料満載の大型ジェット機の突入の対策など、考慮していない、と語っているのを読んだ。
大型地震で日本の原子力発電所に「思わぬ」被害が生じた時、原発側は、こんな大きな地震の発生は予想していなかった、と発言したことも記憶している。

技術屋、土建屋、政治屋、利権屋の貧相な想像力など凌駕した事態を地球が、それ以前にヒトが起こしてくれている。
そんな連中と心中させられるのは、まっぴらだ。
そのために、できることをしないと。


6/12(木)記 100万円ポッキリ

ブラジルにて
信頼できる筋からの「裏情報」。
日本政府からブラジル日本移民百周年記念協会への補助金が出た。
して、その金額は?

100万円ポッキリ。
1年あたり1万円。
1日あたり、300円弱。
これじゃ、カフェ・パウリスタのコーヒーも飲めない。
これを全日系人数で割ってみると…

情報提供者によると、なにも日本政府がブラジル日系人をナメたり、出し渋ったわけではないとのこと。
在サンパウロ日本国総領事館が再三、「補助金交付申請書」を提出するよう連絡したのに、百周年協会がそれに応じなかった、とのこと。

もし、いらないなら突き返せばいいのに。
さんざんカネを出せ、タダで働け、とあおっておいて、ご自分たちのお仕事振りはこのザマである。

小生もこの組織のトップから、いきなり意味不明の罵声を浴びせられたことがある。
「敬遠」するに如くはなし。


6/13(金)記 雑雑と。

ブラジルにて
日本から、ブラジルの遠くから、アメリカから…
まあいろんな頼みごとがごちゃごちゃと入ってくる。

いずれも、至急だったり、ギリだったり。
もちょっと前もって連絡くださいよ。

昨日だって日中、4時間ばかりネットが断線したし。
もうすぐ、オフライン地帯にしばらく出るし。

いつまでも、あると思うな親とカネ。
いつでもいて、便利に使えると思うなオカムラを。

まるで編集作業に手をつけられず。


6/14(土)記 ペットサル

ブラジルにて
「ペット猿」と変換されてしまった。

フェスタ・ジュニーナ(6月祭り)たけなわ。
ブラジルの諸々を考えるには、僕にはカーニバルよりこっちの方がずっと面白い。

夕方から、息子の学校のフェスタへ。
ダンスの合間に、グラウンドでサッカーが始まった。
よく見ると、蹴っているのはペットボトルの小瓶ではないか!

つかの間のジョーダンかと思ってみていると、青年もオトナも混じり、けっこう真剣に続いている。
ボトルもすぐに割れないようにだろう、なかにゴミを詰めてある。
さすがにヘディングは出ないが、けっこう飛ぶことにオドロキ。

いかにも、ブラジルの智恵。

リオオリンピックでは、正式競技に採用されるかも。
日本への報告、「ペットサル」の命名は、不肖岡村が嚆矢?


6/15(日)記 100周年のニオイ

ブラジルにて
100年前、第1回ブラジル移民船・笠戸丸でサントス港に到着した移民たちは、折から六月祭りで市内に上がる花火を自分たちの歓迎のものと勘違いしたという。

移民100周年にちなんで日本から有象無象がこちらにやってくる。
なかには慶祝にかこつけて、こっちの夜遊びを主眼にしている類もあると、さる筋から。
さっそく思い当たる一行もある。

さて、彼らを「萎えさせる」のは市内の主要河川の悪臭の歓迎だろう。

午後、妻の実家に向かうため、ピニェイロス川沿いの幹線道路・マージナル・ピニェイロスを行く。
家族中からクレーム、車窓を閉める。
ここのところ、降雨がないので滞った下水がさらに悪臭を放っているのだろう。
日本の富士市の製紙工場の悪臭に勝るとも劣らない。

夕方、スコールあり。
帰路はさすがにニオイは希釈していた。

サンパウロにはマスク持参がよろしいかもしれない。


6/16(月)記 「苔むした倒木の陰」

ブラジルにて
(前略)
この、単一の起点を持った「ブラジル移民」と呼ばれる「正史」の時間のかたわらには、公的歴史の単一な語りに隠されて幾重にも織り込まれた知られざる「私史」や、さらに歴史の時間に繰り込まれることすら拒んできた混沌する記憶の層が沈殿している。新天地における移民たちの苦難の一世紀という紋切り型の物語によっては決してたどりつくことのできない場所が、この無限定の時間の森のなかにぽっかりと空いた記憶の洞のようなものとして、苔むした倒木の陰や混濁した細流の深みに隠されている。
(後略)
「移民の声の共鳴体」今福龍太著 「すばる」2008年7月号より。

わがナメクジの島・シンガポールから集英社の「すばる」が届く。
本日、「特集ブラジル移民百年」を読了。

粘菌探しに通ずるものあり。


6/17(火)記 アマゾンの余録

ブラジルにて
未明にメールを開けてみる。
意外な人から、意外な連絡。
感無量。

http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20080617k0000m070123000c.html


6/18(水)記 冬の華

ブラジルにて
こちらは、20日に冬至を迎える。
日本なら、冬至といえば冬枯れもいいところだろう。
当地は街路樹が原色の花を咲かせている。

今日を自分はどう過ごすか、数年前から考えていた。
サンパウロ市近辺の、3人の90代のアミーゴ・アミーガを訪ねることにした。

子供を学校に送って、まずはその足で隣の市にある老人ホームへ。
開口一番、自分を訪ねる人がいない…
しばらく四方山話をしたあと、断腸の思いで失礼する。
次の老師のところへ。
霧が晴れて、「日本晴れ」に。

午後から、最近、訪問するようになったアミーゴのところへ。
この人については、集英社の「すばる」8月号をお楽しみに!


6/19(木)記 龍翁再生

ブラジルにて
日本の友人が渾身の思いで作った番組。
ブラジル移民の父といわれるべき存在でありながら、あまりにも忘れ去られ、過小評価・マイナス評価がされていた水野龍にスポットを当てた。
日本では昨日、放送。
ブラジルでは今日、衛星で放送される。

番組の制作プロセスにささやかながら併走しているので、とても気がかり。
衛星を受信している近所にお邪魔して、見せてもらうことに。

この放送局とは、闘争中の身である。
とはいってもこちらからの質問・抗議を先方はひたすた黙殺している、という状態が続いている。

この親友とは事件以前からのアミーゴであり、事件をめぐってのキーパーソンでもある。
この下品な事件を抜きに、彼はそもそも岡村の自主制作作品、2本に登場する存在だ。

水野龍とは、不思議な縁で絡められている気がする。
「月刊ラティーナ」6月号の連載に書いたが、僕と彼と彼のテレビ局のスタッフで、ブラジル移民90周年を記念する当日に、水野龍の墓参りを行ない、撮影もしているのである。
その放送局の撮影分はオクライリとなったが、今回、見事に開花したといえよう。

その水野龍の再生、名誉挽回という義の故に。
制作者の志の高さに胸をうたれた。
こうした良心的な制作者を信じて、この放送局の傲慢、欺瞞、隠蔽行為を泣き寝入りせずに今後とも告発を続けよう。


6/20(金)記 ご用心

ブラジルにて
善意、ないしはお人好しが高じて、このクソ忙しいのに、とんだ地雷原に引きずり出されそうなことがある。
少しはこれまでの苦い体験が身にしみて、嗅覚が働くようになってきた。
その上を行く破廉恥なのがいるので、用心には越したことはない。
人を信じるという美徳は失いたくないが。

最近、腑に落ちない人づての頼まれごとを「居留守」を使ってお断りをしたことから、くだらないことを思い出した。

日本でブラジルがらみのNGOを運営する知人がらみ。
それに寄生するブラジル人どもに、何度かナメられてしまった。
そのブラジル人が僕に連絡してきて、日本の知人が「オカムラに頼んでくれ」と言った、とのことで。
在ブラジルの日本の大手企業の社長秘書室に確認の電話をしてくれ、との依頼。
すでに寄付の約束を取り付けているので、とのこと。
自分らでなんで電話をしないのか?と聞くと日本語の方がいいから、という。
その日本の知人に特に世話になった覚えもないが、まあお仲間、ということで電話をしてみる。
すると、担当に口汚く怒鳴られてしまった。
正確に再現できないが、
「あんたら、人を食い物にするのもいいかげんにしろ!」
といった調子だった。
訳がわからない。
寄生ブラジル人に「どういうことだ!?」と電話をするが「フン」といった調子。
のちにこの日本人に確認すると「そんなこと、頼んだ覚えない」。
こいつらには、さらに酷い目に合わされているが、精神衛生によくないので、これぐらいにしておこう。


6/21(土)記 ゆず味噌で。

ブラジルにて
ブラジルは、昨日が冬至。
聖州内陸のグアタパラ移住地の知人が、いろいろ手作りのものを送ってくれた。
瓶詰めのゆず味噌に舌鼓を打つ。

これまで食したゆず味噌は、味噌にゆずの皮が入っている、ぐらいのものだった。
今度ちょうだいしたのはとてもジューシーで、ジャム感覚でいくらでもいただける。
御礼の電話をしながら、どうしてこんなにおいしいのか、聞いてみた。
今年は雨が多く、ゆずそのものの果汁が多かった。
それをたっぷり絞り込んだという。

ゆずは、46年前に苗を岡山から持参したもの。
味噌はグアタパラのかーちゃんたちの手作りだ。

日系農家の地域の特産品が、流通して地元を少しでもうるおしてくれることを願ってやまない。


6/22(日)記 山レモン

ブラジルにて
遠征に備えて、いくつか原稿送り。
最後に一つ残った原稿に悩む。

日曜のフェイラ(路上市)へ。
魚介類の購入。
小さな屋台で、リモン・ローザを売っている。
山レモンとでも訳しておくか。
ミテクレはアバタ面だが、キリリとしまる酸味で果汁が多い。

イマイチだったピンガも、これを注ぐとまことによろしい。
異国から来る友にふるまおうか。

マラリア蚊よけにリモンの果汁がよいと聞いた覚えも。
一石二鳥、1リモンで何鳥か、いけそうである。


6/23(月)記 足跡のない旅

ブラジルにて
サンパウロは暗く、寒い。

5月に行なった宮沢和史さんとの上映・対談について少し書こうとしている。
観客の皆さんの反応がとってもよかった。
いただいたアンケートも、胸を打つもの多し。
ミクシイの書き込みにも、なかなか面白いものが多かった。

さてこのミクシイというやつ、知らない人に説明するのがなかなか厄介。
ミクシイ登録者でも、まさしく中毒状態の人から、登録だけでパスワードも忘れちゃった、みたいな人まで千差万別。

妙にげんなりしてしまうこともあるが、とんでもない効果もある。
5月のカリフォルニア岡村作品連続上映は、ミクシイの賜物。
先週はその主催者が北米の日本語新聞に岡村のことが紹介されていた、とミクシイの「岡村講」に報告してくれた。
するとすかさず、筆者の方からの書き込みが。

さて宮沢さんとの格闘技について、参加した方々がミクシイに書いてくれたもののコレクションを試みた。
ところが、他の人のミクシイ日記は、過去一週間までしか検索できない。
ミクシイプレミアムという有料サービスならもっと過去にさかのぼれるもの、と思っていたが、これも実際に登録してみてわかったのだが、自分の日記のみではないか。
こちらがかつてつけた「足跡」からたどろうと、逆足あと機能というのをインストゥールしてみるが、うまくいかない。

まもなく旅に出るというのに、どうしよう。
まさしく「足跡のない旅」、なんちゃって。


6/24(火)記 寒し暗し

ブラジルにて
いやはや、お寒うございます。
朝の子供の送り時間は、夕暮れ並みの暗さ。
日本の学生時代、サラリーマン時代に朝の暗いうちから通ったことって、あったっけ?

こう寒くちゃ、家の中での作業もパッチでもはかないと。
パッチワーク、なんちゃって。


6/25(水)記 勝つ子 負ける子

ブラジルにて
そういえば僕の同年の人の母親には、「勝子」という名前を散見。
ネーミングの時期の社会状況を思わざるをえない。
新たな勝ち組志向が祖国で芽生えるなか、今どきの親は娘に「勝子」と名づけるだろうか。

「あもーる あもれいら」第2部の編集。
全3部のそれぞれに、副題をつける決意をして、久しい。
第2部は「勝つ子 負ける子」。
そのネーミングの元となるシーンを編集。
これも泣ける。

1回、つないでみるが、夜半、オチの部分を変えてみようかと起き上がり、再びカット表を繰る。
オカムラ作品は夜、つくられる、なんちゃって。


6/26(木)記 請・勘弁

ブラジルにて
4-5月訪日中の上映会で、主催者が参加者のアンケートを僕に提供してくれた分(送るとお約束していただいて、未着のものあり)の、メールアドレスが判読できる方にはお礼のメールを出していた。
しかしイレギュラーな用件がいくつも入ってしまい、作業を中断している。

7月に旅から戻ったら、また継続させていただきます。

また、当方のhotmailのメルアド宛では、時おり未着の事故があるようです。
返事が来ない!と不審に思われている方はこのHPにあるメルアドで再トライいただけますでしょうか?
遠征先からも、数日に1度はメールチェックを試みますので。


6/27(金)記 二転三転・七転八倒

ブラジルにて
「月刊ラティーナ」8月号の原稿には苦労した。
そもそも字数は、4800字。
400字詰め原稿用紙で12枚という量。
ちょいとしたエッセイの2-3倍の分量になる。

基本的に日本で5月に行なった宮沢和史さんとの2回の対談と拙作上映のことを書く路線は決めていた。
両方の上映会でいただいたアンケートを元にして…

実際に構成を考えて一転、書き始めてみて二転、三転…

ともかく一回、書き上げてみた。
タイトルは「100年目の勝ち組・負け組」になっちゃった。

突拍子もない出だしから、なんとかつじつまを合わせたオチもつけてみたつもりだが。
さあ、お立会い。


6/28(土)記 人類すごろく

ブラジルにて
ふとしたことから、子供の思わぬ成長ぶりを見る。
親バカの感激。

自分の親はどうだったろうか、こっちはそれに応じられる子供だったろうか。
その先にある、果てしなく厚い堆積層の積み重ね。
人類史から生物史…

今をきっちりさせていただくこと、かな。
なるべく、とりあえず。


6/29(日)記 写真の読み方・調査の仕方

ブラジルにて
探し物をしていて、こんな本に遭遇。
先回、日本で知人にもらったものだ。
「サンカの真実 三角寛の虚像」
筒井功著、文春新書。
やらなければならないことはいくらでもあるのだが、深夜までかかって一気に読了。
学生時代、故・古城泰さんの教えで三角寛とサンカを知った。
以来の虚像を、打ち崩してもらう。

写真のヤバさを知るだけでも、実に有意義な一冊。
僕自身、ろくに検証もしないで写真にのせられていた。

移民研究が、少なくとも僕にはなぜ面白くないのかがこの本でわかった気がする。
世の中には希少な仕事をしてくれている人がいるものだ。


6/30(月)記 川の名は

ブラジルにて
いよいよ。
空路、アマゾナス州都のマナウスへ。
そろそろマットグロッソ州を超えたぐらいか。
機内には地図チャンネルどころか、モニターもない。
機窓に、熱帯林が広がる。
進路に平行して熱帯林を貫く川が見える。
アマゾン河の支流のひとつだ。
客室乗務員に川の名を聞いてみる。
「機長に聞いて見ますので、お待ちを」。
待つことしばし。
機長もわからないとのこと。
「こんな小さい川までは・・・」
おいおい。
定期便として運行していながら、すべて計器まかせというわけか。
もう少し国内地理に関心を持ってもよさそうだが、なさけなし。
あとで地図を見る楽しみが増えたけど。


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