8月の日記・総集編 黒金の街 (2008/09/06)
8/1(金)記 梵カレー
ブラジルにて お呼ばれで、リベルダージへ。 もう一軒、行きましょうということに。 「生きているムゼオ(博物館)」な店へ。 パトロンが「カレーを食べましょう」と。 この店、ラーメンは知っていたが、カレーもあるとは知らなかった。 仏壇に上げるぐらいの小盛りで頼む。
ひと口。 !!!! 実家の寺での法事を思い出した。 抹香くさい味がするのだ。 まずいなどという次元を超えた、彼岸の味。 酔い覚ましには、もってこいだ。
昨日は子供のリクエストに応えて、午後3時間かけてカレーを作ったのだが。 子供用に辛味こそ抑えたが、マンゴーも入ってサブトロピカル風味。 我ながら、いくらでも食べられた。 嗚呼。
8/2(土)記 ポル語ワードで
ブラジルにて 8月21日から開催するという、ミナスジェライス州国際映画祭「民衆のイメージ」 http://www.imagemdospovos.com.br/ (まだ工事中…)。 なんとかホンバンには間に合わせるというのがブラジル人だが、そうとう不安である。 担当の伝えてくる進行状況は、ヤバい、のひと言。
昨日、いくつかの頼まれごとのなかで、日本の映画系ドキュメンタリー、テレビドキュメンタリーの相違と流れを含めて、岡村ドキュメンタリーについて、ポル語で書いてくれとの依頼が。 映画祭のカタログに載せるとのこと。 とにかく時間がないので、ボソボソと書き進める。
USHIYAMAについて、少しでもポル語で書かれて発表されるのは、これが初めてかもしれない。 かつて、故・古城泰さんが英語で古墳時代のことを書いている、というのに驚いたことがある。 古城さんの考古学上の専門は、時代区分でしいて言うなら縄文時代だ。 アメリカでは日本の考古学の概論について英語で書かれているものがないので、それなりの意義があるのだ、というようなことを言っていた。
さあ、こいつは来週に持ち込まないようにしよう。 ブラジル人の神経がうらやましい。
8/3(日)記 カルパチアからの味の追憶
ブラジルにて 魚を求めて、フェイラ(路上市)へ。 アジ系でも、と思ったが、シロート目にもいいのがない。 けっきょく、冬ならではのカツオをまた買う。 カツオのタタキは家族に好評。 少しは手を変えたい。 何で読んだんだか、カツオのカルパッチョがいいという。 グーグると、レシピは千差万別。 我流でいくしかない。
カルパッチョとは、カルパチア地方起源の料理だと思い込んでいた。 ところがルネサンス期の画家にちなんだもので、料理の考案もネーミングの始まりも1950年というではないか。 これは意外。
別の目的で買っていた、花バジルがよくあう。 カツオのカルパチ、悪くはないが、タタキの方が好評。
8/4(月)記 八月決戦
ブラジルにて まずは、断食。 アマゾンの件、こっちの映画祭の件がいろいろと。 本業の「あもれいら」②の方、とりあえずノンリニアにまで持っていく。 訪日の前日まで、映画祭。 それまでに、どこまでいけるか。
「あもれいら」②、①以上に胸を締め付けられるシーンが多い感じ。 乞うご期待。
8/5(火)記 過去の早口
ブラジルにて 7月始めから、ひと月近く続いた郵便のスト。 スト明け後に届いた月刊「ラティーナ」7月号をようやく開く。 こっちはもう10月号の原稿を準備しなければいけないのだが。
中原仁さんが、すばらしくもかたじけない記事を書いてくれていた。 中原さんは、音楽プロデューサー&コーディネイターを始め、マルチなご活動で有名だ。 「岡村淳作品上映会」のタイトルで、5月9日、新宿文化センターで行なった宮沢和史さんとの対談・宮沢さんのライブ込みの上映についての記事。
ごもっともなご指摘をいただき、そのこともきちんと考察してくれている。 ご指摘は「ナレーションのスピードが速すぎる点」。 この時、最初に上映された「60年目の東京物語」(1996年初放送)は岡村作品中、最速を誇る:恥じる作品。 以下、言い訳デス。 「ラティーナ」4月号にサワリだけ書かせていただいたが、この時は局側の下部スタッフが権威を振りかざし、作品のコアになる部分のカットまで命じてきた。 それを守るのでヘロヘロになり、加えて一人作業に徹夜仕事、早口ナレーションの他に字幕テロップ落としなどのエラーを重ねてしまった。 本来、こうした早口をチェックすべきが局側出向スタッフだったのだが、接待は要求してもするべきことはしてくれなくて。 この作品の早口ナレーションについては、当人がすぐに反省して、この日、上映された「ブラジル最後の勝ち組老人」始め、これ以降の作品は相当、速度を落としているのをお気づきいただければ。 テレビを離れた自分で全責任を負う自主制作作品は、さらにスローである。
「60年目の東京物語」は再三、再放送されている。 再放送の予定を知り、経費はすべて岡村が負担するのでナレーションの録り直し、テロップの補足を局側にお願いしたのだが、受け付けられていないのです。 この日の上映に際しても、作品上映の前後にでもひと言、補足させてもらいたかったが、岡村の登場・開口は2作品上映後、宮沢さんと一緒に、ということになり、もはや早口ナレーションの弁解どころではなくなってしまって。 以降、ナレーションの速度については自覚して気をつけておりますので、どうぞご寛容に。 「地」のしゃべりは相変わらず早いみたいですが。
8/6(水)記 夏の妹
ブラジルにて とっても盛りだくさん。 ふと、武満徹さんの映画音楽の旋律が。 「あもれいら」②の編集作業中には「どですかでん」。 9月に拙作上映決定の、沖縄の人とのやり取りの時には「夏の妹」といった具合で。 レコードでも買って、CDでも買ったのは武満さんの映画音楽特集ぐらいじゃないかな。 「夏の妹」、映画の内容はほとんど覚えていない。 ラストで、小松方正さんだったか、サバニだったかから海に突き落とされたようなシーンだけ、かすかに。
さあ夏を追って日の本に、琉球に。 その前に、あれとこれと、あれもこれも、おっとあれも…
8/7(木)記 読書灯のもとで
ブラジルにて 旅の楽しみの一つは、どの本を携えていくかの選択。 まるで読まないこともあるが。
修道院を訪ねるからには。 「ローマ/ガラテヤの人々への手紙」本田哲郎訳・新世社を。
夜行バスは、定刻どおりに発車。 車内はガラガラ。 座席指定を無視して小生の隣に座り込んだおばさまも、別のところに移ってくれた。 やれやれと読書灯をともす。
(前略)パウロが「善を行ないなさい」と言う場合、(中略)その人の自己解放につながるような働きかけを指していることは明らかです。ですから、こちら側の善意の有無よりも、本人のために建設的であるかどうかが重要なのです。 前提書『新しい訳語、言い回しの試み』より。
8/8(金)記 小石先生
ブラジルにて アモレイラに到着。 保育園の朝の行事を参観。 深く関わった子供たちの多くは、すでに卒園。 よちよちだった子供たちの成長ぶり。 「二十四の瞳」の「小石先生」を想う。
雨降りで、えらく寒い。 夜行バスでだいぶ冷えてしまった。 カゼの予兆を感じ、子供たちに移さないよう、タイトな接触は避けてなるべく安静を心がける。
8/9(土)記 幼女の叫び
ブラジルにて アモレイラにて。 昼をはさんで、シスターたちに「あもれいら」②のアラ編集版の、言葉の聞き取れない箇所等をチェックしてもらう。 なかなか幼児の言葉は聞き取りづらい。 気になっていた3歳児クラスのシーン、どうやら幼女が深刻なことを言っていたことを知る。 これは重い。
シスターたちからも新たにいろいろなお話をうかがえ、収穫多し。 「あもれいら」②、①とはまただいぶ変わって盛りだくさんだ。 ご期待あれ。
8/10(日)記 歩く人々
ブラジルにて 再び夜行バスで、未明にサンパウロ到着。 帰りも冷えた。 やばいかも。 今日はブラジルの、父の日。 ファミリアの行事をひとつ、キャンセルさせてもらう。
大事をとって、安静に。 訪日前に、とってもやることがあるので。
北米の先住民と大地が気になって、数日前に引っ張り出してきた本。 「一万年の旅路 - ネイティヴ・アメリカンの口承史」 ポーラ・アンダーウッド著・星川淳訳、翔泳社 何年か前に読みかけたままになっていた。 今回、初めから再読。 残りを、一気に読み耽る。 面白すぎ。 盛りだくさんすぎ。
読み物として、十分に面白いが、内容の信憑性も気にかかる。 ざっと検索にかけてみたが… あたりまえのコメントが多いなか、わずかに考古学・人類学関係者とみられる書き込みが見つかる。 トンデモ本あつかいで、一蹴されただけ、という観。 それにしても、本そのものを読まずして、短い紹介文の内容から批判しているムキには驚くばかり。 無批判にマスコミも乗っけてオカルト一直線に暴走した日本考古学への反動か。
「一万年の旅路」という意訳のタイトル、味わいもあるが、原題の「THE WALKING PEOPLE」をこそ、かみしめたいもの。 歩かないと。 話せる人と、この本の話がしたい。
8/11(月)記 眼に腹は変えられず
ブラジルにて 家事の他に、朝はメール関係。 それから「アモレイラ」②の編集作業。 あっちとこっちのモニターとにらめっこ。
キッチンドリンクも晩酌も控えて、夕食の支度と食事。 さあ読むべきものは、いくらでもある。 しかし、なんだか眼がチカチカ。 妻もここのところ、眼の不調を言う。
雨がだいぶ降って、空気の乾燥と汚染は少しは収まっただろうに。 常備の目薬は見当たらず。 大事をとって、ほどほどにして眼を閉じる。
8/12(火)記 夏の弟
ブラジルにて 次回訪日中の最大の作戦、まずは決行の見通し。 あの2005年以来、それを凌ぐかも。
あの時はブラジルから日本に通い、日本を基点に日本国内・カンボジア・フィリピンの取材を敢行した。 スケジュール・体調等は厳しかったが、関わってくれた人たちが協力的で乗り切れた。 おかげで、あの夏の追憶の記録をものすることができた。
さあ今年は。 イメージトレーニング。
8/13(水)記 How Do We Live Our Lives?
ブラジルにて ちょっと面白いメディアに取材されていた。 日本の諸々を諸外国に紹介する月刊誌「The Japan Journal」の8月号。 英語・中国語・スペイン語版があり、とりあえず英語版の日本ブラジル交流年特集のなかで愚生のことを取り上げていただいた。 担当がよくできた人で、いったん送ってくれたあとに、さらに追加分を送ってくれた。 ポル語はともかく、英語で紹介された覚えは…他にあったっけ?
おお、英語ではこんなふうに言うのかと。 在外公館などにこの雑誌、置いてあるようだ。 パスポート盗難・再発行申請などの折に、お立ち読みあれ。
8/14(木)記 ひとり相撲
ブラジルにて まあ、いろいろある。 メインの作業は、「あもれいら」②。 来週から地方遠征、そのまま訪日と、かなりブランクが生じるので、その前にどこまで。 自ら選び、こればっかしにしているとはいえ、ひとり作業。 これでいいのか、という迷い。 ま、いいか。 でも、ちょっとな。 と、こんな感じ。
さあ、今年中に完成なるか。
8/15(金)記 松井太郎さんのこと
ブラジルにて 「デス・ノート」の松井太郎ではない。 ブラジル移民作家の松井太郎さん。 「すばる」8月号をお求めの人は、松井さんの短編「遠い声」を読まれたことだろう。 今日も、松井さんを訪問。 訪日前に、お話しておきたいことが。
今日も松井さんにすばらしい言葉を聞いてしまった。
この百年、ブラジル移民の生んだ作品をひとつあげるとするならば、松井さんの長編「うつろ舟」だ。 おいしいところ取り、ご意見無用の傲慢かつ不遜な手口ではなく、作者にきちんとフィードバックする方法で、広く知らしめたい宝物だ。
8/16(土)記 ブラ地ビで
ブラジルにて こちらの体調不全や親しい人の重篤などで、伸ばし伸ばしに。 日本から来た友と、家事の合間に近所で会う。
なにせ基本的に住宅街、そう気のきいた店はない。 この店には何人かをお連れしたが、今日の友はやたらに気に入ってくれた。 近年、増えてきたブラジルの地ビールを置いている。 先の旅で出会った、地域限定と聞いていたビールまであるではないか。
ついつい、話し込む。 昨日、書いた松井太郎さんのことなどを熱く語れる相手は、地上にそう何人もいない。
8/17(日)記 ブラジル流で。
ブラジルにて 今朝、サイトを確認してみると、ようやくプログラムがアップしてあった。 http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20080731004656.cfm 数日前に担当から電話で伝えてきたのと、ちょっと違う感じ。 まったくいろいろとあった。 ま、ブラジルっすから。
次のneoneoには、たっぷり書けるネタがありそうだ。
8/18(月)記 冬と夏のはざまで
ブラジルにて 日中、外に出ると、夏の陽射し。 あの寒さは、なんだったんだ。 こっちは喉をやられたまま。
ミナスの陽気を聞き忘れちゃった。 訪日前後にナレーション録りがなくてよかった。
すでにサンパウロでは余裕の時間がない。 この期に及んで、ややこしいものを人を介して頼んでくる人あり。 イヤガラセだろうか。 ○○○さんじゃ、しょーがねーか。
8/19(火)記 うどんとコーラ
ブラジルにて 朝、子供たちを送り届け、車をUターンさせようとした時。 ストリート系のおっちゃんが歩いてくる。 通り過ぎるまで待機。 おっちゃん、ジャポネース(日系人)ではないか。 道に落ちていたコーラのペットボトルを拾い上げた。 ストローを投げ捨て、残っていたのを飲み干している。
畏友・細川周平さんは「日本でうどんを食べると食欲の問題なのに、ブラジルで食べると郷愁の問題とされるのはなぜか」という人類学者・前山隆氏の問いを再三、引用している。 これにちなむと。 日本で路上生活をする日本人が捨てられたコーラを拾って飲んでもブログのネタにもならないが、ブラジルの路上生活者のジャポネスの存在は、日本語新聞の格好のヒマネタとなるのはなぜか。
8/20(水)記 17本
ブラジルにて 来週からの訪日上映巡礼。 明日からミナスなので、訪日上映用の素材の準備をある程度、詰めておく。 確定している上映作品の数を集計してみると、ざっと17本。 ちなみに、上映回数だと30回以上。 この他、未編集・未発表の映像のヒミツ上映会もあり。
基本的に、上映主催者の意向で選んでもらった作品の種類が、今回だけで17本。 なかなか多様でありまするな。 他にもこういう作家、いるのかな?
8/21(木)記 黒金の街
ブラジルにて 午前9時過ぎに家を出て、現地の宿に着いたのは午後5時前。 ちょっと外国にでも来たような。 ベロ・オリゾンテの空港で、日本から来た映画監督の廣木隆一さん、日本をベースに活躍する映画評論家のマーク・シリングさんと合流。
映画祭IMAGEM DOS POVOS:民衆のイメージ2008の始まりだ。 最初の舞台は世界遺産にも指定されているミナス・ジェライス州の古都オウロ・プレット。 最初の自主制作作品の撮影の時、訪れて以来だ。
これから何が起こるのか、きちんと段取りの説明がないので、よくわからない。 20時開始というオープニングにあわせて、日本勢でバタバタ夕食をとって会場に駆けつけると、けっきょく始まったのは21時。
1770年オープン、現役のものではアメリカ大陸最古というオペラ座にて。 他のふたりは時差と旅の疲れでダウン、こちとらひとりで初対面ばかりの面々のカクテルパーティに挑む。
まあいろいろあったが、ついに始まった。 寒い! 州都ベロ・オリゾンテの気候は調べてきたのだが、ここははるかに寒いとのこと。 このあたりも事前に情報をくれていれば…
8/22(金)記 黒金デビュー
ブラジルにて 自作など日本のドキュメンタリーについての紹介のほか、ボランティア通訳、各種取材のお相手、ゲストそして上映スタッフたちの親睦等々、盛りだくさん。 宿の部屋にラインが引けたので、別の仕事も。
そしていよいよ、「VIVER NA TERRA BRASILEIRA 1」:「ブラジルの土に生きて」前編・ポルトガル語字幕バージョンの初上映。 観客のレベルの高さに驚いた。 極め細やかなところで反応してくれている。 うれしい拍手の渦。
主催者側の時間と予算の都合で、作品の半分以下、サワリないしイントロの部分のお披露目(67分、ちなみに作品全体は152分)に終わってしまったのが、玉に瑕。 そのことを皆さんに分ってもらえているのかどうか。 ま、例えば「東京物語」、最初の1時間だけでも作品のクオリティや傾向は察することができるだろう。
それはともかく、まさしく感無量。 山峡の小古都で、再生の思い。 愚直で不器用でヘンクツでも、生きていると面白いことがある。
8/23(土)記 ブラジルのバイブレーター
ブラジルにて こっちに来てから、思わぬ才能に出会ったり、意外な情報を知ったり。 新たにトップにアップした写真は、映画祭の写真担当のNetunさんに、僕のデジカメで撮ってもらった。
夕方、大西暢夫さんの「水になった村」の上映に先立ち、マーク・シリングさんと解説。 その後、廣木隆一監督の「バイブレーター」上映。 通訳のねーちゃんがしょっぱなからパニくって助けを求められ、急きょ愚生が通訳を。 「バイブレーター」、ゾクゾクするロードムービーだった。 場内からも熱い拍手が。
僕の泊まりは今晩が最後。 映画祭スタッフらと未明までハシゴ。
8/24(日)記 さらば黒金
ブラジルにて さあ、オウロ・プレットに暇乞い。 日本勢二人は、隣町の観光へ。
もう一度、ぜひきっちり見ておきたいものがあったが、週末は見れないとのこと。 お気に入りのレストランへ。 ぽつねんと座っていると、映画祭のスタッフが一緒に座らないか、と声をかけてくれる。 同席のメンバーから、けっこう面白い話が聞ける。
数日後、州都ベロ・オリゾンテに河岸を代えて行われる上映に参加できないのは、断腸の思い。 これも意味のあることだろう。 ああ、面白かった。
8/25(月)記 DOCBLOG
ブラジルにて さあ夜の便で訪日だ。 この期に及んで、ブラジルから日本から不快なことが。 追い込まれている時は、余計ムカツく。
でも、面白いこともある。 オウロ・プレットで出会ったドキュメンタリーを専門とするジャーナリストがこんなのを書いた、とメールをくれた。 http://oglobo.globo.com/blogs/docblog/ これの8月25日付。 彼からは、とても気持ちよく取材を受けた。 何を話したのか、忘れてしまうぐらい。
取材もされ慣れてくると、相手の取材態度で出来高がある程度、見当つくようになってくる。 今回は「通訳」としても少なからぬメディアの取材を受けた。 どーでもいいルーティンでやられれば、どーでもいいルーティンのあがりしかできるわけがない。 人の振り見て、わが振り直せ。
8/26(火)記 オンライン悲喜
→アメリカ合衆国→ 今回はフリークエントカスタマーのアップグレード券が使えた。 ラウンジも使用できる。 ニューヨークのラウンジでパソコンをつなぐ。 上映会用に、急ぎの原稿を叩いて送信。 かえって仕事が増えるぞ、いやはや。
8/27(水)記 ネットカフェ移民の嘆き
ブラジルにて 成田に到着。 ブラジルで奮発して買ったばかりのキャリングバッグのキャスターがひとつ、壊されている。 相当の荒業がかまされたようだ。 サンパウロ国際空港のX線検査で、腕時計が「紛失」。 ブラジル-日本の旅、まったく油断がならない。
東京の実家に到着。 さっそくネットカフェ移民生活、再開。
8/28(木)記 追悼上映
日本にて 朝、ブラジルの我が家に電話をする。 橋本梧郎先生の訃報に接す。
感無量。
今晩、「アジア系アメリカ人研究会」での上映とトークがある。 主催者に連絡。 急きょ、「花を求めて60年 ブラジルに渡った植物学者」も上映してもらう。
ところで。 アメリカに移民として渡った日本人で、博物学的業績をあげた人はいるのだろうか? こんな話ができる人も…
8/29(金)記 追悼文に差し替え
日本にて 月刊ラティーナの連載の次の号、佐々木神父のことを書き始めていた。 昨日、橋本先生の訃報に接し、急きょ橋本先生のことを書くことにした。 いまだもちろん心穏やかになれないが、こうした今の思いをこそ書いておこうと。 週明けから渡米するので、週末までに書き上げないと。
8/30(土)記 PARC開講
日本にて 今日からPARCの移民ドキュメンタリー講座の始まり。 そもそもこれが今回の訪日の核だった。 その後、ミナスの映画祭の話が始まり、こちらの最初の日にちを変更させていただいた次第。 今日は「サルサとチャンプルー」の上映と波多野哲朗監督のレクチャー。 後の岡村の会は来ず、キューバとこの作品が目的、という人が複数いたようなので、今日はおとなしくしていることに。 飲み会では運営スタッフと懇親。
8/31(日)記 愛知から
日本にて 愛知県知立市での上映。 こっちは初めての場所。 にもかかわらず、7人も友人・知人が各地から来てくれた。 参加者のレベルの高さにも驚く。 ブラジル人人口の多いところでのブラジル人がらみのイベント。 見たところ、ブラジル系は上映会には例によってきていないようだ。
ま、ゆっくり少しずつ積み重ねていきましょ。
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