9月の日記・総集編 縄文クレソン (2008/10/02)
9/1(月)記 機中ドキュドキュ
日本→ ブラジルからの時差も覚めやらぬまま。 成田からアメリカに向かう。
サンパウロ→成田では、せっかくアップグレードできたのに、映画のラインナップはイマイチ・イマニだった。 月替わりとなり、エコノミーでもたっぷり食指の動く作品が。 なんと、ドキュメンタリー映画が2本もあるでないの。
まずは「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」。 あの「タクシー・ドライバー」のマーティン・スコシージ監督による。 監督自身の見せ方だけでも面白い。 ステージは、17台のカメラを使用という。
もういっちょ、「敵こそ、我が友 戦犯クラウス・バルビーの3つの人生」。 フランス製作。 ナチス・ドイツの戦犯、クラウス・バルビーがボリビアの軍事政権にいかに貢献したか。 拷問のテクニックの伝授などの分野で。 バチカンやアメリカの協力を得て―― 書物では読んでいたが、映像はまた格別。 祖国日本の事態とも並行する現実だ。
9/2(火)記 ミミズ万匹
アメリカ合衆国にて アメリカは東海岸地方に来ている。 住宅地を散策。 倒木をひっくり返して、びっくり。 肉太のミミズがうじょうじょである。 3回、試みて、3回とも。 ミミズがブラジルのシロアリのような、有機物の分解の主役を占めているのだろうか。
9/3(水)記 アメリカ取材史
アメリカ合衆国にて 今日も、今日はよく回した。 裸足になって撮影。
最初のアメリカ取材は1984年。 「すばらしい世界旅行」も毒蛇・大蛇モノ。 これはシンパ向けのテレビディレクター時代作品リストにも載せていない失敗作。 1985年の穴埋め取材のチョウチョは、ちょっと面白かった。
ひとり取材になってからのアメリカ取材は初めて。 お楽しみに!
9/4(木)記 アメリカ、しばしさらば。
アメリカ合衆国→ 素材チェックや荷物整理などで、ほとんど眠らず。 未明にチェックアウトして、再び現場へ。 現場から直接、空港へ。
なかなか濃い日々を送ってしまった。 素材はとっても面白いが、さてどうなることか。 さあ日本モードに切り替えないと。 明日から訪日のコアたるPARC講座だ。
9/5(金)記 さあ日本時間だ
→日本 さあこれから3週間あまりは日本だ。 日本時間に適用しよう。 お楽しみのPARC講座・岡村編の始まり。 まずは講師のワクワクぶりを、受講生の皆さんに伝えたい。
9/6(土)記 イモ焼酎で、反省会
日本にて さあPARC自由学校でのドキュメンタリー講座、講師岡村に変わっての初日だ。 いきなり「郷愁は夢のなかで」でどうだ!
プロジェクターの映写技師も担当することに。 プロジェクターの脇にいると、暑いこと。
今日は、まずは薩摩焼酎で。 さあいい感じでスタートを切ったぞ。 明日は朝から港ヨコハマに河岸を変えて。
9/7(日)記 横浜・妹の力
日本にて 今日は横浜でダブルヘッダー上映。 午前中からPARC講座。 同じメンバーで、場所を一つ一つ変えて上映していくというのが楽しい。 他にこんなのやった人っているだろうか?
午後は能見台にコマを進める。 上映中もずっと外の受付を守ってくれた女性に感謝。
PARC講座の方もスタッフを含めて女性陣が盛り上げてくれて、ありがたい限り。
9/8(月)記 夜の資料館
日本にて 去年ぐらいだっけ? 夜の博物館でどうのこうの、って映画、見とけばよかった。
横浜の海外移住資料館で上映。 宮沢和史さんコネクション。
会場は縦長でスピーカーは前のみ、音声レベルの設定が難しかった。 集まってくれた人たちも、まさしく多様で、どこからウケを取ったらいいものか、とにかくしゃべる。
飲み会ではPARC講座の3人お嬢がそれぞれいい味、出してくれた。
9/9(火)記 今宵も横浜
日本にて 少しは無理しても会いたい友人がいる。 横浜は大口のGAUSHOさんのお店で会食。 気持ちのいい若者に、こっちの気持ちもよくさせてもらう。 遠くまで来てもらって、サシであまり話ができずにゴメン。
9/10(水)記 都内転転
日本にて 今回は上映・移動以外に割り振れる時間が極めて少ない。 今日は世田谷でのあいさつ回り、買い物、スクリーニング等々。
ネットカフェのフラットシートだと寝ちゃうし、映画館に入っても眠ってしまう。 中後盤戦に体力を温存せねば。
9/11(木)記 奉仕園上映
日本にて とても熱い上映会だった。 14年も前に小さなテレビ局で放送した作品を、新たに見るべき人たちにご覧いただく。 ありがたし。 新たに、ドキュメンタリー屋冥利に尽きる指摘もいただく。 面白い出会いの場だった。
9/12(金)記 一衣帯水
日本にて 品川から、横須賀線で。 三浦半島に友人が開いたスポットへ。 未編集・未発表映像のプライベート上映会。
天候のよい時は、伊豆大島を望むという。 地質・植生ともに伊豆大島に近い感あり。 緊張。
9/13(土)記 観音堂燃ゆ
日本にて 24時間フル回転だった。 ついに実現してしまった。 伊豆大島観音堂が輝いた。 感無量。
9/14(日)記 PARC岡村講の皆さんへ
日本にて PARC自由学校の移民とドキュメンタリー講座、伊豆大島にてつつがなく終了。 すばらしい寄り合いだった。 何人かの参加者が、一生忘れられない・・・とコメントをくださったが、まさしく講師にとっても一生モンのインパクトだった。
皆さんからちょうだいしたエールを糧に、旅と、上映とトークと、そして制作を続けます。
こんなメッセージを補足させていただければ。 「ひとりをおそれず、なかまと歩む」 今回、ご覧いただいた拙作中の西佐市さん、藤川辰雄さん、さらに橋本梧郎先生、森下妙子さん、そしてナマミの佐々木美智子さん、ついでにオカムラなどの歩みから、そんなあり方がかもし出されているのではなかろうか、と。
9/15(月)記 沖縄入島
日本にて むむ、溜まった疲れが抜けていない。 そうもいっていられず、旅支度の再チェック。 羽田へ。
沖縄! いちいち面白い。 ピックアップに来てくれた桜坂劇場のスタッフに、道中、質問攻め。 この彼女が岡村のマニアックな質問によく答えてくれて、旅の楽しみは倍増。 好奇心が疲労を凌駕。 橋本梧郎師のパワーの秘訣、この辺にあったのか。
9/16(火)記 アーニー・パイルさんをご存じですか
日本にて いよいよ沖縄初上映。 しかも1日に同じ作品(フマニタス)を4回、上映というのも初めて。 4回とも各回、トークをさせていただきたい、と主催者に申し出ると驚かれ、気づかっていただくが、決行させていただく。 各回、別のネタと構成で実施。
3連休明けの平日、なによりも台風13号圏内という悪条件のなか、集まってくださった方々ぞ、宝。 アーニー・パイル国際劇場ドキュメンタリーシリーズ第3回、しかも日本人による作品上映と製作者の参加は初めてという栄誉。
4回目の上映で、アーニー・パイル(Ernie Pyle)へのオマージュを捧げるのを失念してしまった。 1945年4月18日。 米軍の従軍記者として、沖縄戦に参加。 陥落直前の伊江島で、日本兵に狙撃されて戦死、44歳。 ググってみると、アメリカには彼の名を冠した図書館もある。 この人の名をいただく劇場で、ドキュメンタリーを観る・つくる芽を育むお手伝いをさせていただいたことの至福。
9/17(水)期 沖縄の皆さんへのお詫び
日本にて ノー天気なブラジル移民100周年の今に。
100年前の、第1回ブラジル移民船・笠戸丸の時から沖縄出身者への差別・偏見があったと伝え聞いています。 僕が自らブラジル移民となってからの20余年の間にも少なからぬ沖縄出身者への差別・偏見を見聞きしてきました。 自らブラジル移民と称する者として、彼らの無知と傲慢さに深く恥じ入るとともに、お詫び申し上げます。
国際通りのあたりを歩きながら、そんな思いにひたすらかられる。
9/18(木)記 亀戸で。
日本にて なんとも不思議な上映会だった。 なんだかよくわからないまま引き受けたのだが。 尋常ではない偶然の出会いが隠されていた。
この出会いを契機に、かつて一部のシンパの皆さんのお渡ししたリストにある高校時代の幻の作品が、よみがえる可能性が少し出てきたぞ。 あのリスト、すでに当方には入力データがなくなってしまって。
9/19(金)記 大阪のお気に入り
日本にて 新幹線車中では、ぐったり。 沿線で予定されていた被・取材がキャンセルとなったため、大阪駅近く、中崎町のお気に入りスポットへ。 http://www.arabiq.net/ 日本での数少ないお気に入りスポット。 小1時間の滞在だったが、まさしくリフレッシュさせてもらう。 店主森内さんのこだわりの空間と品々が、ズバリ僕にとってのカルチャーと重なる心地よさ。 季節のコーヒーも絶妙だった。
9/20(土)記 土佐日記
日本にて 別件で高知入りする刎頚の友と合流、「南風」にて高知へ。 道中、高知についてのレクチャーをいただき、上映と講演に備える。 さっそく長編2本の上映。 観客の皆さんの反応はよろしい。 講演のボルテージをチューニング。 それにしても若い人が少ない。
講演、懇親会もおかげさまでいい感じで終了。 さあ上映は明日も続く。
9/21(日)記 土佐日曜市にて
日本にて 午前中はホテル近くに立った日曜市を訪ねてみる。 これが絶妙に面白い。
どうして人々がこんなに人懐っこいんだ? 那覇のような観光客相手感が極めて乏しい。 食指をそそる食材・グッズが目白押し。 まだ遠征が続くので買い物は極力、控えたかったがついついあれもこれも買ってしまう。
東京・中央から見た辺境の文化的豊かさこそ、この国の救いと感ず。
9/22(月)記 高知→山口→広島
日本にて 高知から高松にほいほいと移動するのはオカムラらしくないでしょーが。 でも、ここまでせんでも。
無理をしたけだけの、いやそれ以上の手ごたえはあり。 お楽しみは、これからだ。
9/23(火)記 高松燃ゆ
日本にて 広島の酒都の友のところで昆虫観察までさせてもらう。
さあ、ふたたび空海の島へ。 高松。 知人が誰もいないところでの上映。 上映が進み、トークとなり、懇親会の頃にはもうホームグラウンドのノリ。
香川出身でアマゾン・トメアスーに入植した大西邦光さんの葬儀に参加したという青年が研修に来ていたのには驚いた。
おかげさまで、これまたいい上映、いい出会いの場だった。
9/24(水)記 鳴り物入りの経過・・・
日本にて 高松から、倉敷のお気に入りスポットで思わぬ掘り出し物を見つけて。 JR車中でひたすら安息、東京の実家に到着。
意外な再会を遂げた高校時代の悪友からモノが届いている。 彼がすでにあちこちで告知をして、リニューアル上映の待たれる岡村の幻の8ミリ映画の音声テープ在中。
?カセットテープの質感が違い、しかも意味不明の注記が。 テープの劣化を恐れつつ、実家にあったポータブルデッキにかけてみる。 再生! 拙作とはまるで関係ない、中学生らしき連中のメッセージ。 AB面とも、そんな感じ。
送り主に電話。 「それはオレの中学時代のだろう。それはそれで大事なものだから送り返してよ。全部、ちゃんと聞いた?」。 こっちは古カセットのチェック屋か? この送り主、さる日本の大手映画会社の勤務である。 関連映画の精度が思いやられる。 どっちにしろ、お互いあの程度の高校に行ってたのは、お里が知れるというもの。
そもそもこの映画の音声テープ、高校教師になった別の悪友が生徒に見せたいというので20数年前に貸与したもの。 この男が岡村に返却せずに今回の送り主になぜか送りつけ、送り主はこれまで「覚えがない」と関連を否定していたのだが。 イヤハヤのひとこと、お騒がせである。
先の記載を見て、岡村の幻の作品リストを送り返してくれた畏友もいるのだが。
9/25(木)記 東京の過ごし方
日本にて 午前中から都内で打ち合わせ。 昼にランチを、とおっしゃっていた人と連絡が取れなくなる。 その時間を利用して渋谷で諸々の買い物をする。 自分用の書籍を見る時間はなかったが、それ以外の最低限はいちおう済ませたかな。
実家ではひたすら皆さんにお送りする資料のコピー、手紙書き等々に追われる。 先方の都合ばかり押し付けてくる不本意な用事は謝辞しておいてよかった。
さあ、八戸決戦だ。 そして出国だ。
9/26(金)記 仙台→八戸/みちのく一人旅
日本にて 北日本へ。 仙台で途中下車、友と牛タン横丁で昼食。 さらに北上。 新幹線の最果て・八戸に。 初対面の人が上映会を二日にわたって仕切ってくれる。 初日の今日は、八戸フォーラムという市民主催のシネコンで。 すこぶる意欲的なプログラムを組んでいる。
音響がすばらしかった。 「フマニタス」「ギアナ高地」の2本立て。 「ギアナ高地」の劇場公開は始めて。 主催のYAMさんが橋本先生の遺影とヒマワリの花束を飾ってくれた。 蕎麦湯割り蕎麦焼酎とカイピリーニャをいただく。
それにしても、寒い! 「オカムラサン、それしか着るものないんですか!?」 と何人にも言われる。 日本列島、なめてはいけなかった。 防寒具まで気が回らず…
9/27(土)記 縄文クレソン
日本にて 八戸にて。 昨晩のトークで地元の是川遺跡へのオマージュを述べた。 縄文屋にとっては聖地のひとつだ。
今朝の地元紙のトップニュースにびっくり。 是川遺跡などの北海道南部と東北北部の縄文遺跡群が昨日、世界遺産の暫定リスト入りしたというではないか。 出き過ぎ。
今日の上映は13時から。 10時に迎えに来てくれたYAMさんと、二つ返事で是川遺跡へ。 地元出土の遮光器土偶群がテンコ盛り。 これはスゴい。 細い眼にたっぷり見つめられてしまう。
遺跡公園内で、お父さんたちが縄文土器の野焼きをしている。 色々と貴重な話を聞かせていただいた。 遺物群の出土した泥炭地からは今も水が沸き、クレソンが群生している。 縄文が、今も僕を見放さず、静かに見つめてくれていた。
縄文と、僕。 卒論の時のテーマがこれから発芽するかも。 縄文遺民。 ♪ 縄文時代が、夢なんて…
9/28(日)記 ねっとかふぇ移民ノ出国
日本→アメリカ→ 八戸はまさしく寒いほどだったが、東京もだいぶ涼しくなった。 風邪もひかないで済んだよう。 成田に早めに到着。 ヤフーカフェに。 日本の友ふたりからのメールがうれしい。
けっこうハードなスケジュール、我ながらよくこなした。 羽田みたいに成田のヤフーカフェもドリンクができるといいのに。 ネットカフェに始まり、ネットカフェで閉める。
来るものは拒まず、去るものは追わず。 新たな出会いの数々に感謝。
9/29(月)記 着けばブラジル
→ブラジル ブラジル再び。 入国審査官のおばちゃんと、日本の虚像と実像についての会話。 アメリカの入国審査官ですら、簡単な会話を仕掛けてきたり、片言の日本語をサービスすること、しばしば。 思えば、日本の出入国審査官とは、会話らしい会話をしたことがないな。 国の顔としての教養ともてなし、遊びを教育してもらいたいもの。
タクシーの運ちゃんとはジョーダンを飛ばしあい、まあブラジルはこの辺がオキラクである。 やれやれブラジル。 車窓より、久しぶりに青い空を見る。
9/30(火)記 ブラジルでれでれ
ブラジルにて 昼過ぎまで、家事はパスさせてもらう。 とはいえ、時差の関係で深夜から覚醒。 急ぎが望ましいことをメールで進めておく。
締め切り状態の原稿もあるので、書く体制は作っておく。 「あもれいら」Ⅱの編集も火急速やかに再開しないと。
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