堂守ひとり語り (2009/10/05)
「この雨ではさぞお困りのことでしょう。あいにく神父さまはお留守ですが、なあに、かまいませんや、わしの部屋で休んでください。いま灯をいれますから、ご覧のとおりひとり暮らしの寺男でなんのもてなしもできません。さいわいに賄いの婆さんが持ってきてくれた、ポレンタ(トウモロコシの団子)があるので、二人で晩めしとしましょうか。おやりになる、そうでしょうて、お顔にかいてある。いやー、これは失礼を申しましたな。 ここは旅人には宿もしないほどに、人見しりのつよい村ですが、その気質のままに造っている地酒のよいのが、ごくやすく手にはいります。お口にあいますかどうか、まず乾杯といきましょうか。
ほうー。それではあなたは外交員でほうぼう歩くほかに、行く先ざきの風土や俗習などを調べていなさると。うちの神父さまもジオグラとかいう学問にたいへん興味を持っておられます。なんですか、ジオグラフィア・ウマナ(人文地理学)といいますか、神父さまは旅から戻られたのち、大きな地図をひろげて、線をひいたり丸をうったりしておられるとき、わしなど分からないなりにわきで見ていますと、 ―のうージョンよ、この山のこちらとあちらでは、民の信仰心が妙なほどに違うのだ、どうしてかのうー。 などとおっしゃられることがあります。遠くの見知らぬ土地などは、わしなど見当もつきません。無学な寺男などの答えられる事柄ではありませんが、他国から流れてきた人たちの話では、内陸の奥ふかいところでは「呪われた土地」という者もあるほどで、ひどく雨のない国とも聞きました。けれどもなんとか人の暮らしがたつほどの量はある、それがかえって悪いとは奥地からきた人の話ではありましたが。
短い旱魃はつねのことで、ひどいのになると一九一七年のようなのがきます。いやはや、あの年の前後は目もあてられぬ惨状だったときいています。農民たちはぎりぎりの際まで土地にしがみついていて、いざ避難する段になって、どの方面にいけば飲み水にありつけるやら、当てもない何十レグア(一レグアは六キロメートル)もの彷徨になります。なけなしの水をあつめた五、六本の瓢など、子供づれの家族などは二日とは保ちません。灼けきった荒れ地に迷いでた人たちは、まるで炮烙で炒られる豆のように、数えもできぬおおくが飢渇に倒れたといわれておりますな。
どうぞ、どうぞ。お好きなら遠慮はご無用ですよ。このケージョ(チーズ)はわしの手作りで、チュー公どもに用心しただけあって、一年ねかせますと風味に違いがでますな。 なにか話せ、とおっしゃいますか。さようですな、わしもこの歳までにはいろいろな事件を見たり聞いたりしていますが、これは流れ者から聞かされたもので、いまもって忘れずにいるので、ひとつお話しすることにしますか。
ずいぶんと昔のことです。あれは何年ごろでしたか、砂糖の値がひどく下がって騒いだのは覚えていますが、あの年のことです。旱しらずのこの地もその年は雨がすくなくて、天候の異変といわれましたが、雨期になっても雲をともなう東風はふかず、内陸から熱風が押しだしてきましたが、被害については語りつながれていないのをみますと、いくらかの減収ぐらいですんだのでしょうな。
ところが、奥地ではいつ雨があがったものやら、思いだせないほどの月日がたっていました。今日も昨日もすぎさった日々も、遠い山脈からのぼる太陽。のぼるにつれて沸きかえる水銀のような玉は、その日いっぱい広野を灼きに灼きます。小石まじりの赤茶けた地所、涸れ川をまえにぽつんと建っている貧しげな家、それについたいくらかの小屋、追い込みの柵、柴木でかこったわずかばかりの畑、前には葉を茂らせていた庭の植木も、すっかり裸木になった。そんな影ひとつない、ちりちりと陽炎のたつ昼すぎの炎暑を思ってみてください。
このような農場のひとつに、女房に死なれ、母親を亡くしたアニジオという男が、娘と二人ぐらしをしていました。その男の土地も適当に雨さえあれば、土壌はこえているので、ミーリョ(トウモロコシ)、マンジョッカ(木芋)、いんげん豆などよく穫れるのです。まあなんとか雨のあった年は、季節がめぐってくれば、主食となるマンジョカを掘りおこしてうすい輪切りにして日に干します。当座用にはすりおろし、焙って缶にたくわえます。甘蔗からはラッパズーラ(煉瓦のようにかためた粗糖)、随意につくれる干肉、豚脂の塩ものなどを確保しておけば、あとはハンモックに寝て、自然の恵みに満足しておればよいという楽園なのです。けれども神さまがご承知なさらないといいますか、何年かのうちには、ひどく雨のない年が回ってきます。
その地方は、二年ごしの旱魃に農場の貯水池は底をさらけだし、小地主の土地は井戸まで涸れはじめ、早くも逃げだした人たちのあとは、住居と設備は残っていても、生き物の影はまったく絶えてしまいます。そんな状況のなかでアニジオがなんとか踏みこたえていたのは、彼の土地の奥にある崖から湧く水にたよっていたからで、言うまでもなく、この旱では家畜のすべてをうるおすほどの量は望めないのは道理で、彼も自家の家畜がつぎつぎに倒れるのを見すてていました。
けれども、アニジオが娘と二人で暮らしていくには、当分の支えにする食料は蓄えていたので心配はないといっても、まったく人のいなくなった土地で小さな家族が生きのこったとして、財産であり、食料供給のもとになり、交通手段になり、また友でもある家畜がいなくなれば、人間の生存もおぼつきません。
おなじ国といいましても、海岸に近いこの地方と、遠い奥地とはこうも違うものですかね。恵まれたこの教区では、何代もの神父さまがたの教化で、血なまぐさい事件のたえたのは有り難いのですが、人びとは賢くはなるかわりに信心はうすくなりました。 そりゃあ、聞いたところによりますと、セルトン(未開の土地)では殺伐な事件はいまだに起きるといいますが、荒れ野を根拠にしているカンガセイロ(野盗の群れ)でも、時には町を襲っても、寺院に参り神父に罪の告悔をするほどの信心はあるのですな。前に神父さまが言われたのは、そんなところを指されたのでしょうか。
雨はいつくるともまったく予想がつかないので、アニジオは家をすてる日のことを考えて、五頭のロバだけは大切に飼って、がんらいは家族の食料であるミーリョ粒に手をつけてから、もう三ヵ月にもなったのです。なにしろ相手は大食いの連中ども、日に日に空になる袋をみては、なんらかの打つ手をせまられていたのです。そんな事情で、彼はどうしても一度は買出しの旅にいかねばなるまい、と考えるようになったのです。
さきに、アニジオの家族は人煙たえた辺境に、父娘ふたりだけで踏みとどまっていると話しました。ところがアルフレードという隣人も頑固に居座っていたのです。この二人の男たちはごく近くに住んでいたのですが、彼らは昔から張り合っている仲で、交際とてなく、どうかして祭日などで出会っても、顔をそむけるような両人でした。アルフレードの家柄といい、所有地の面積でも押され気味のアニジオは、いどまれた勝負ではなかったが、先に逃げだした者が負けときめて、男の意地で張り合っていたのです。
この二人がいつごろか不仲になったのか、こんな辺境でまいにち変わりばえのない暮らしをしておれば、隣人とのいがみ合いでもなければ、生きる張りあいもないのかもしれませんて、たとえていえば、牡山羊の角あわせのようなものですな。それも話の筋として詮索してみれば、どこにでもある恋の怨みというところでしょう。ちかくの地主の娘をものにしようと、二人で競ったのが尾をひいたわけです。
アニジオは投げやりなところはあっても、気性のはしった器用な男で、ビオロン(ギター)の名手で、人の集まる田舎の祭り場などで、「帰らぬ牧夫」や「おー、すげないロザーナ」を弾じて歌えば、聞く者はみんなしんみりと耳をかたむけたし、「ひと目惚れ」「色気旦那」に曲をかえれば、荒くれ男たちに手を打たせて浮かれさすほどの弾き手でした。 他方のアルフレードは、これはもう生まれながらの牛飼いで、愚直な反面、諦めのできない粘液質の性で、陰にはらんだ執心が、これから先に起こってくる事件にかかわってくるのです。 この地方ではアルフレード一家と事を構えるのを、小地主たちは避けていました。それというのも、隣接した地主の一人が変死しており、その後、隣人の土地は紆余曲折はあっても、アルフレードの父のものになったので、人びとの口にのぼるようになったのです。 けれども、アルフレード一家だけが陰険というのではなく、この辺境に根をはっている地主たちのおおくは、素性もわからず、過去をたたかれて埃のでない者はいないのですがね。
娘はアデリアといいましたが、話としてはこの辺いちばんの器量よしとしときましょう。その娘をアニジオとアルフレードが競い合ったのですな。娘の父親はおなじ南部からきたアルフレードの肩をもって、歌などはなんの腹のたしにもならんわいと、アルフレードとの結婚を望んでいたのです。そんなわけで、父親に返答をせまられた娘は、馬をだしてアニジオのところへ逃げていくという結末になったのです。
世間もひろく、学問のありなさる貴方が、一言も口をおききにならず、わしのような田舎者の物語をきいてくださる。ご退屈ではありますまいか。はい、はい、そういうものでございますか。それでしたら語り甲斐もあるというものですな。 この町では、わしは法螺ふきのジョンでとおっています。人によっては、お前の話が真実なら聞いてやろうが、どうせ勝手に発明した嘘だろうと馬鹿にします。えー、嘘でもよい、本当らしく思わせるようにと、つまり美しい話とか、身につまされる話、不幸な人の慰めになる、または人の世をふかく考える道しるべにする。これはよいことを教えていただきました。
かるかや草の茂みで、ヒョローヒョローピーとなく鶉の声を聞いて、かすかな季節の移りかわりを知ると、神父さまのおっしゃったのを覚えておりますが、脂ののったのを焼き鳥にしたいと、舌なめずりする連中に言ってやりましょう。真実と虚構は紙ひとえ、ようするに物語などというものは、心に写った一枚の絵姿、永くその想い出は忘れられないと、へへー、このわしにも若い時がありましたからな。 また別な人は、それから先はどうなるかと、やたら筋だけを急がせるのもいますが、これは聞き下手のやたての催促というところで、痩せ犬になげてやった一切れの肉のように、ただ腹の足しだけにペロリと呑みこまれてはたまりませんて、話の面白いところは、このあぶったうす塩の干し肉のようなのが上等で、噛んでいるうちにじっくりと、下に味がからんでくるような―。
ちょっと話が横道にそれましたが、筋をもとに戻しますと・・・、まえから相愛の仲だったとはいえ、娘のほうから頼っていったというので、アニジオの男は一だんとあがるし、つづいて娘っ子は生まれるわで、夫婦は幸せに暮らしていたのですが、あまりの幸福には魔がさすの譬え、アデリアはしだいに弱って亡くなったのです。 男やもめになった彼はまったく人柄が変わってしまい、もう人の集まるところにビオロンをさげたアニジオを見ることはなくなりました。彼は鬱病のようになって、幼児など関心のそとにあったのですが、そのころ、まだ壮健でいたアニジオの母が、孫の世話をしたのです。
娘のシモネが少女期になりますと、母親ゆずりの美貌が目だってきました。若くして死んだ妻に娘が似てくるのは、アニジオも辛かったのか、娘を邪険にはしなかったのですが、親らしい心づかいや、優しい言葉などはかけなかったのです。 ところが、日ごろ病気ひとつしたことのないシモネが、とつぜん寝ついて食事もしなくなったのです。さすがに父親も心配になり、娘をクランデイラ(女祈祷師)の許に連れていきました。わずか五分ばかりの診察で、父親はお祝いを告げられたそうですが、シモネの身になってみれば、祖母は亡くなっており、相談できる同性はひとりもなく、もう生きた心地はなかったでしょうに。そうたいに薄幸な娘で、自分の出生が母の死につながったのを知り、それゆえに父は自分に冷たいのだろうと考えたのです。けれども賢く従順な性質だったので、誰を恨むということはせず、これは自分の運とあきらめていたのです。
ところで、アニジオがアルフレードと張り合っていることは話しましたな。すると同じ伝で、アルフレードもアニジオの動きに気を配っていたのです。アルフレードは旱魃がいまほど窮迫していない時期に、家僕の一人をつれて援助物資のきているアラブタの町へ出かけているので、農場の溜め池の底がみえてきたとはいえ、あくまで耐乏するとなると、彼のほうがアニジオよりも一日の長があるようでした。 アニジオにしてみれば、ここが正念場として踏みこたえるには、どうしても一度は買出しの旅にでなければと思いながらも、かよわい娘をともなっての広野のいきもどり、どうしても七、八日はかかる苦しい長旅を考えると、そうすぐには実行はできなかったのです。
降雨を待ちつづける農民の心境は、一日でもはやい慈雨の到来を願いながらも「これだけの日照り続きだ、そう思うとおりにはならんわい」という期待と諦めの入りまじった複雑な心境で、しだいに日をかさねるうちに、さすがのアニジオも自家の都合などもう考慮しておれなくなり、娘を家にのこしてでもアラブタへいこうと決心しました。 たった七日の旅だ。娘には大きな甕いっぱいの水はある、食料の心配はない、薪も家のなかにつんでおこう。こんな辺境でも怖いのは人間だが、そんな奴は逃げだしているか死んでいるだろう。ここ半年に誰一人訪ねてきた者はいない。アニジオはそのような状況をみたうえで旅の予定をくんだのです。 さて、出発の準備となると、自分と曳きつれていくロバ五頭ぶんの飲み水を溜めるだけでも、かなりの日にちはかかります。久しくつかわず壁にかけたままの鞍をおろし、豚脂を念いりにぬり、よわった皮紐はあたらしく替え、持っていく食料から火打ち石のような小道具までそろえたのち、アニジオは娘ひとりでも家は守れるよう窓に戸板までしらべ、突風でずりさがった丸瓦も修理したのです。
旅にでる日、アニジオは牛追い服を着こみ、銃はななめに背負い、自分の鞍には野営のための毛織りカッパを前立てにおき、弾薬の包みや小物のはいった袋はふりわけて吊りさげました。つづく二頭にはX型の木鞍をおわせ、水樽、皮袋、瓢につめた飲み水をつみました。他の二頭には食料をおきました。四頭のおもがいに結んだ紐を、アニジオの乗った鞍の後部の金輪にとおしたのは、主人の望む方向にむかって、五頭の足並みがそろうよう配慮したからです。 この度の苦難を予想される旅は、アニジオの半生にもかつて経験のないもので、どんな事態に出会うか、彼もあらかじめ知ることもできないほどの状況にあったのです。七日もの父のいない留守に、胸もつぶれる思いのシモネでしたが、それでも健気に柵の戸をおして父を見送ります。鋼のような荒野の男のこころにも、一抹のいつくしみの情はわいたのですが、父は顔にもださずに、 ―おれの言ったことは守るだよ― と、馬上から声だけはかけたのです。 ―父さん― 娘は胸がつまり、その先はなにも言えません。父は愁嘆場を打ち切るように、 ―やあ― と声をかけると、馬の腹の拍車をあてました。
もし、お客さま、鶏が鳴いているようです。お疲れなら休んでもらいます。この爺の夜話など、どこで止めてもかまいませんでな、お望みなら、かいつまんで結末だけは申し上げますが。えー、聞いてやろう、終わりまでつづけよ、とおっしゃいますか。それでは、わしも熱をいれてここまで話しましたので、つづけることにしますか。
そうしてアニジオが旅にでたその日、アルフレードは自分の土地の丘に上がっていました。隣人の農場とは大小のちがいはあっても、干害はおなじように襲いかかります。 ただアルフレードは、父の代につくった貯水池を持っていたのと、いまだに実権をにぎっている母(教育はあり、南部の耕地主の娘だという彼女が、なぜ牧夫あがりのアルフレードの父と一緒になって、こんな辺境にやってきたのかは誰も知らない)の指図で、旱魃のごく初めに長途ボーア・ビスタまで牛群をおくったのが、彼の得策になっていたのです。けれども望みをたくしている溜め池も、ここ一ヵ月まえから底が見えてきました。
もともとこの地方の半乾燥の土地では、財産として家畜を計画的に殖やすのははじめから無理で、ここでは家畜は柵のなかにいれるのですが、奥地では反対で家とか畑は柵で囲うのですな、まあ言ってみれば、人間の力のおよばないほどに土地が広く、自然のなりゆきに任すというわけです。 そんなわけで旱魃がひどくなると、弱い生き物からしだいに消えていき、骨ぐみに干皮をかぶせたような痩せさらばえた牛馬が、地面にはっているわずかな枯葉も見のがさず、舌でまいて口にいれながら、岩石ばかりの高台まで上がって、石にくっついた灰色の苔までなめて腹の足しにしようとします。けれども刺で身をまもっている山嵐のようなサボテンだけは、山羊のいかもの食いでもよりつきません。救荒飼料として人が刺をはらってやれば、家畜の飢えだけは防げます。そのような目的もあって、アルフレードはサボテンの植生をしらべようと、その高台に立っていたのです。
眼のとどくかぎりに広がる赫い大地は、今日もまたおき火にあぶった鉄板のように灼けはじめています。すでに死にたえた眺望のなかで、青いものといえばサボテンの群生だけで、その先のはるかな北西のほうに望まれるのは、国境の山脈です。 この土地の者であの山脈を越したものは誰もいないと言われています。景気をみて入りこむ行商人の口では、西のほうへ気のとおくなるほどの旅をして、あの山を越すとその先に大きな河が流れている。南部から汽車というものがきていて、河岸の都会では毎日がお祭りのように人が動いていると、アルフレードは聞かされたことがありました。
折にふれ、自分はなぜこんな土地に生まれたのかと、彼なりに考えることもあったのです。毎日が汁気もないトウモロコシの荒挽きの団子、焙った木芋の粉、それにつく焼いた干し肉、食ったあとでは決まって胃が痛んだ。どうせ長くは生きられないだろうから、と思い「みんなのマリザの家」へ遊びにいっても、帰りは胸くその悪くなるような売女ばかり、命にかえてもと恋したアデリアは、アニジオのものになった。そして一年ばかりで死んでしまった。まるで殺されにいったようなものだが、アデリアにおれが申し込んだときは、お父さんに話してからと言ったもんだ。一人娘だったからな。親父はおれの味方だと思ってつい油断した。その間にアニジオの女たらしが手をだしたのだ。 いまでもアデリアは死んだとは思えないし、あの面影はわすれないでいる、畜生め!
日ごろのかたちにならない憤懣が、過去の想いにさそわれて、むらむらと怒りの炎となって立ちのぼったのです。感情のはけ口がどこにもない彼は、目のまえの大きな石を思いきりの力で押し上げました。ぐらりと浮きあがった石はみずからの重みを支えられずに、急坂をころがっていき、岩に突きあたって飛びあがり、サボテンの幾株かを押したおしながら、谷底に消えていくのを見送った彼は、なんとなく気分が軽くなったのです。 おれでもやろうと思えば、この世の終わりまで動く気配のない石でも動かせるのだ。いくら頭で考えても手と足を使わなければ、願望という奴は先方からやってくるものではないと、このようにアルフレードは考えたとしてください。
もとより思慮も浅い牛飼いですから、石のつけた荒々しい跡は自分の力と思いちがえ、満足した気分になって遠くに目をやりました。するとアニジオ側になっている涸れ川にそって、風もないのに異常とおもえる土煙がたっていて、その前方に馬の一団が動いていきます。 この困難な時期に馬を曳いて旅たつ者は誰だろうか。アルフレードが疑問をもったのはこのことでした。この地方の四十粁以内でまだ居座っている家族は、自分の家族とアニジオだけなのは、敵対しているだけに情報があるのでした。
アルフレードが掌を眼のうえにかざして視点をこらすと、騎乗した男が先頭になり、四頭の馬をしたがえ目指しているのは、」アラブタの町なのは疑いもないのです。 いま彼の立っている丘の下の乾いた川の源は、昔から野盗も通わないといわれた、岩また岩の重なりあった山地で、カヌードスの乱(十九世紀の末期、アントニオ・コンセレイロを首領としたおおがかりな農民の反乱)の残党といわれるアニジオの祖父が、司法の手を逃れてひそかに隠れ住んだ土地だけあって、そこから出てくる者はアニジオだけぐらいは、鈍いアルフレードでも推理できるのでした。奴もいよいよ音をあげて逃げだすかと思ったのですが、隊のなかには男ひとりで娘は見えません。うーん読めた。彼はアニジオの行動が理解できたのです。奴は食料の調達にでかけるのだと。それでは娘ひとりで留守をしているのだろうか。この時アルフレードは、自分の人生がなにか抗しがたい黒い影の力につかまれて、強く押しだされるのを感じたのです。
誰もこんな旱魃がくるとは予想もしなかった二年前のこと、J・コウト大佐(軍人の階級ではなく、奥地の大地主にたてまつる呼び名。ボスほどの意味)が農場に滞在しているとの噂がたつと、近辺の地主たちはあつまってきて、サン・ジョン(聖ヨハネ)の一夜を騒ぐというのが、この地方の恒例のようになっています。 日ごろは大佐は州内でもっとも豊かな農業地帯の、広大な甘蔗農場で暮らしているのですが、まあ、都合でちょっと身を隠すとか、他になにか思惑でもあってか、気まぐれにある期間この地に逗留していくのでした。なかには昔ふうに胤おろしにくるのだと噂する者もいましたけれども、若い者が知り合う社交の場や、地主たちの世間話の場にもなっていたので、大佐が来ていると知ると、馬でまたは馬車をしたてて、半日がかりの道のりもものともせずに集まるのでした。
その年はアニジオも娘のシモネを伴って、大佐の機嫌うかがいに出むきました。女房を亡くしてからの彼は、人の騒ぐところでは楽器は手にしなくなったのですが、たまには娘を祭りにつれだしてやる親心はのこっていたのです。 ひと晩じゅう焚き火をしてにぎわうので、すぐに親しくなった娘たちから、シモネは歌にもなってながされた父と母のロマンスを知らされ、それ、あそこにいるのが間抜けのアルフレードよとささやかれ、シモネは見知らぬ中年男に目をやると、相手もなんとなく感じとったのか、こちらを見つめてくるので、彼女は顔をそらせて友との笑い話にくわわりました。
アルフレードにしてもその日まで、アニジオの娘など気はかけなかったのですが、人ごみの中でもすぐ分かったのは、若い頃のアデリアに生き写しだったからです。いまでもはっきり知っている彼女の眼は、うすい茶色でぬれた瑪瑙のようにうるんでいた。シモネのは灰色に青をさした色あいで、虹彩のふちは細い黒糸でくまどられ、瞳はくらくてふかい。彼女は自分の魅惑は知らなくても、見つめられた者はふかい情をかけられたような印象をうけるのでした。 アルフレードは年甲斐もなく妙に胸がさわいだのです。あの頃はまだ固い蕾であったが今はどのように艶やかだろう。母親が娘にかさなり、過去の思い出で目もくらみそうになりました。 アニジオは旅にでて、いくら急いでも七日はかかる。柵はとりはらわれ、忘れられない女がもっと若くなって、手のとどく枝に熟れてなっている。そのシモネが死ぬほどの思いで、山犬が吠え、ふくろうの鳴く夜の留守をさせられているのだ。おれがただ手を差しだすだけで、この胸に飛びついてくるはずだ。あとは野となれ山となれ、いま思い切ったことをやらなければ、一生しっぽもあげられぬ負け犬になる。いままで嫁ももらわずに独りで通してきたのも、シモネが、いや、アデリアが忘れられんということだ。彼女も笑顔で接してくれたこともあったのに、アニジオの奴にだまされ、奴が得意のときにあの歌をはやらせ、おれをこけにしたのは許せない、アニジオには半生からの恨みがある。シモネをアデリアのかわりにして情をかけてやろう。 怨恨と情欲がアルフレードの頭にうずまき、理非善悪の判断を狂わせてしまったのです。
高台から戻ると、彼は母と唖の家僕の三人で昼食の卓につきました。サボテンを伐っていって何日ぐらいもつか、いつ天候が変わるか、とかの話題になり、母が手ぶりで唖に話しかけると、家僕も身ぶりで返事をかえしています。そんな話はアルフレードは上の空で、 ―おっ母ぁ、アニジオの奴、買い出しにいきよった。五頭もつれてなぁ、この分だと、奴は戻ってきて、お宅もお困りでしょうからと、豆の一袋もよこすかもしれんて。かわいそうに、娘は一人で留守らしい― 彼がさっき丘から見てきたことを口にだしました。若い頃の色香のまだのこっているアルフレードの母は、息子から話しかけられ、彼女だけに許されているコーヒーをぐっと飲みこむと、目をひからせて息子を見ました。 ―いつだえ― ―今朝だ。アラブタへいったのなら、七日は帰れない勘定だて― ―フレドよ、お前の心底は読めたど― ―なんでぃ、おっ母ぁ― ―息子よ、その年になっても、まだ婆の知恵がいるのかよ、お前の心は女のことでいっぱいじゃろが― ―おっ母ぁ、おれの気持ち分かってくれたか、いまから娘をつれにいくつもりだ― ―なんということをお言いじゃ、いまいってみい、娘とあなどると撃ち殺されるぞ― ―おれ、命がけだに― ―そこでだ、アニジオの旅は七日はかかる、途中にあるトンバドールの山坂は難所の一つ、旅人はよく山賊にやられる。唖をつれて三日たった朝、発つがよい。わしの読みはなあー、親さえ片づけておけば、オンサ(豹)の仔でも、楽に手にはいるということさ。それにしても、子は親に似たことをするのおー― ―親父はなにをしたというのだ― ―お前もお父うの子と言ったまでよ―
三日の後、アルフレードは選りぬきの馬四頭をそろえ、食料、水、飼料をつみ、すぐにでも出発できる用意はととのったのです。それまでに彼は家僕に主従だけに分かる手話で説明しておいたのです。唖が理解してにんまり笑ったところでは、狙う相手はアニジオと分かっているようでした。猪でも山犬でも撃ちそこねたことのない、この名手にかかっては、狙われた者の運命はもう決まったようなものです。アルフレードらは老母のたてたこまかい計画のもとに、二日の旅をして、トンバドールの狭い山道を重荷にあえぎながら上がってくる旅人を待ち伏せるわけです。
父親の形見のウオルサムの懐中時計が午前六時を示していて、もう家をでる時刻になっても、唖はどこにも見あたりません。追い込み柵にいくと、言いつけられた用事はすんでいて、四頭の馬はすぐにでも出発できるようにしてあります。彼は心せくままに家僕の部屋をのぞいてもそこにもいません。 廊下をはさんで四つもの空部屋のある家で、いちばん奥の部屋は母親の居間になっていますが、アルフレードはなんとなく近寄るのをためらわれたのです。彼はベランダにでて、階段に腰をおろして、前から疑惑をだいていた、亡父、母、唖の関係に思いがおよんだのですが、この度のような仕事の前には、ふたりして相談すべき何かがあったのでしょうか。 そこへひょっこりと家僕が姿を見せました。不具者にありがちな無表情からは、どんなことがあったのか、うかがい知るのは困難でした。
旅の旦那、眠気さましにコーヒーはいかがですか。神父さまが南の都会から求めてこられたものですが、テルミカとかいう瓶でして、便利なもので昼にいれたものが、まだ舌をやくほどですわい。 ところで、これから先のある箇所ははしょることにします。ここはこの地方の由緒ある寺院でして、昔、奇蹟がありましたとか、いまでもおおくの人たちが信心をよせておられます。本堂には救世主さま、聖母さま、聖人がたの像やすがた絵がおいてあります。 このわしは罪ふかい男ですが、いまはこうして神さまの雑役をつとめている身でありますれば、話の筋とはいえ、この聖域でおそろしい悪行を語るのは慎まねばなりますまい。 あー、そうでございますか、それではあなたのお許しをえたので、話をすこしとばすことにしますが、肝心なのは終わりのほうにありますので、では、もうすこしお聞きください。
アルフレードと家僕は家をでてから五日めに、駆け込むように追い込み柵に入りました。 ―おっ母ぁ、上首尾だった。唖の一発で、奴は三十米の崖下におちよった。五頭の馬も手綱に曳かれてつぎつぎになぁ― ―誰にも出会わなかったかえ― ―この旱魃だ、誰に会うというだが、トカゲ一匹見なかったで、おっ母ぁ、いまから娘の家にいってもいいかや― ―フレドよ、待つだよ。雛っ子は巣の中で、父の帰りを待っていてどこにも行きはしない、もう一日だけ待っていけ、寂しい恐ろしいで、娘っ子はお前に抱きついてくるだろうて。けれども息子よ、あの件だけは性根にすえて寝言にでももらすのではないぞよ、唖にもよく言っておくからに―
捕獲された猿のように落ちつかない一日をすごしたアルフレードは、翌日、馬の支度をして、隣人とはいえ一度もきたことのない土地に入りました。 丘の上から見た地形をたよりに、涸れた川床によっていきます。馬は用心しながら前脚の蹄のふみどころを、ごろた石の間にさがしながらすすむと、二つの岩山がせりだした間に、いくつもの穴が川床にうがってあり、そこににじみ出た水が空を写して、鏡のように光っています。その脇に土を削って土手にあがれるように小径がつけてあるので、アルフレードはいっきに馬をやって、だらだら坂を上がっていくと、扇のように前方はひらけ、背後は岩山に囲まれた要のところにアニジオの小屋はあります。
石に泥を重ねてつんだひくい壁、波うった屋根にのせた丸瓦の住まい、アデリアはこんなところに逃げてきて死んでいったのだと思うと、昔と今が入りまじり自分のように思えなくなったのですが、あのことをやりここにきたのはシモニが目的だと考えなおしたのです。 小屋の回りにはなんの遮蔽物もなく、近づいていって家人にとがめられたときの口上は考えておいたのですが、それでも撃たれる気づかいはあるのです。アルフレードは気にせず馬を庭まで乗りいれました。家に人がおれば飼い犬が吠えてくるのはとうぜんなのですが、彼が声をかけても、小屋のなかは寂として、人の気配さえ絶えているようです。
アルフレードはなんとなく錯誤を感じて、ぐうっと息がつまったのです。おおきな失敗をやったのではないか、はたしてシモネはひとりで留守をしているのだろうか、父親が旅立ちにさきだって、娘をどこかに預けたのではないのか。ここまで考えおよんで、アルフレードは自分の危惧に首をふったのです。 日帰りのできる範囲内で、彼が娘を預けてもよいと頼れる者に誰がいるというのか。あの日、アニジオの帰れぬ旅を見送った眼には、万に一の間違いはないという確信がアルフレードの胸にあったのです。 シモネはいる。いるに違いない。死ぬような思いで番犬をおさえているのだろう。アルフレードは戸口に立って、 ―誰かー― と呼びかけたのですが、家の中は底なし沼のように来訪者の声をのんで、なんの反応もありません。つづいて戸をかるく打ったのですが、やはりなんの答えもないので、いらだった彼は戸を足げりにしたのですが、家は無人のようです。 なんとなく異常な気配に、アルフレードの不審はたかまり家の裏にまわったのです。するとそこに、一つがいの山羊がうずくまっていて、眼は空虚に見ひらいていても、鳴く声をだす気力もないらしく、汚れた剛毛、垂れ下がった顎、乾いて白くなった舌、これはもう飼い主が何日もかまいつけなかったものと思えるのです。
掛け出しをつけた壁にそって足をはこんだアルフレードは、戸板の隙間から内をのぞいたのですが、照り返しのつよい日照りの中を歩いてきた眼には、暗い台所の様子はなにも識別できません。 彼は思い切って腰の山刀をぬき、戸の閂をはずすと、さっと差しこむ明るみで、台所のたいがいは眼にはいります。床は土のたたきで、真ん中には食卓、一方の隅には竈があり、使いきってない薪の残り、鉄鍋はくどの上に、食器の類は柵にと、荒れ野に住む女たちの習慣のひとつになっている家の中がよく片付いているさまなどは、土着の彼には別に変わったように思えなかったものの、なにか妙な気配のしめているのは感じたのです。 台所の一方は壁で仕切られているので、まだ部屋はあるはずだと考え、家の横にまわると広くもない敷地なので、崖によせて住まいを建てたらしく、壁と崖はせまい露地になって巧まずして少数の家畜なら追いこまれる囲いになっています。ところが、僻地にはどうしても必要な馬はいないのです。まして娘ひとりの留守居というのに。
不審にかられた侵入者は、扉をおして柵の中にはいると、崖にむかった壁に用もないと思える小窓があって板でふさいであります。もうここまできたアルフレードは、どうしても望みはとげるつもりで、山刀の先を蝶番にあててこじると、古い金具はポロリと落ちて、戸はガラリと内側にあいたのです。 するとほんの目の前に、縊れ死んだシモネが吊り下がっていたのです。二匹の番犬も主人の下にうずくまってこと切れていました。
それから、間もなく待ちに待った雨がきました。涸れた川にも流れはよみがえり、農場の溜め池の水位も日に日にあがって、生き残った牛のなく声も和やかに、やがてこの僻地も緑の地になるはずなのに、あの生死の境にたたされた飢餓の日の凶行は、アルフレードにはひとつの悪夢のように思われて、その後なにひとつ仕事が手につかずになってしまいました。 家を捨てる日がきました。 ―おっ母ぁー、おら鬱(ふさぎ)の虫に食いつかれただよ― ―読みが狂ったで仕方がねえわさ、お前は極悪のことをしてでも、果たそうとした夢があったじゃないか、おっ母ぁはなあー、自分のできなかったことを、お前に叶えさせてやりたかっただけよ、諦めるだよ。お前は見てはならぬものまで見てしまったでな、好きなようにするが良い。ただ言っておくがな、虫のよい後生は願わんこったぞ―
あー、もう二番鶏が鳴いております。これでわしの話もおわりとしますで。 えー、なんですか、近ごろにない身につまされた話を聞いたとおっしゃいますか。まるで見てきたようだと、とんでもない。わしはジョンと申します。サン・ペドロ・デ・カンポベルデ寺院の寺男で、けっしてアルフレードのような人殺しではありません。
こんな雨の日でしたな、ひとりの男が宿を求めてころがりこんできました。わしの一存で泊めてやりましたが、宿なし男は翌日もう起きられませんでした。食物も水もうけつけない末期の癌でした。わしは神父さまの許しをえて、十日ほど看てやりましたが、この話はアルフレードという流れ者の死ぬまえに聞いたもので。 はい。その男の無縁塚はつい先頃までありましたが、墓地が手狭くなったとかで、掘りかえされました。そうですな、その男が死んでからでも、二十年は経ちましたかな」。
(1990年「コロニア詩文学」36号〈ブラジル発行〉初出。2009年、拙HPでの発表のための入力に際して、著者の承諾を得て岡村が最小限の改稿を行なった。)
( つ づ く)
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