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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2009年の日記  (最終更新日 : 2010/01/01)
3月の日記・総集編 アンデスに祈る

3月の日記・総集編 アンデスに祈る (2009/04/02) 3/1(日)記 また、赤字仕事だったな

日本にて
今日のタイトルは「七人の侍」の勘兵衛の台詞の本歌取り。

この日に合わせて作品を完成させて上映して欲しい、という切望に応じての制作と訪日だった。
意気に感ずのはいいが、個人の道楽の限界を超えた出費を負担することになってしまった。

今度の最新作は、あくまでも「あもーる あもれいら」シリーズの副読本、特典映像ぐらいの位置づけのつもり。
なだけに、主人公とゆかりのあったこの上映会場以外でのリクエストは、そうはないだろう。

出血を補うには程遠い。
しかしこの不況の時期にちょうだいしたカンパを重く受け止めよう。

最新作はさっそく直しが必要な箇所を指摘され、修正のための手間ヒマとさらなる出費がいたい。
さあ、それはさておき本編の仕事を再開しなくちゃ。

これで遺作というわけにはいかないもんな。


3/2(月)記 猫実家の一族

日本にて
今日は、病院見舞いのハシゴ。
浦安駅に降り立ったのは、生まれて初めてかな。

バスの車中から「猫実」という地名を発見。
「ねこざね」と読ませるらしい。
由来等、大変そそる地名だ。

神奈川の「泥亀」以来の感動が。

猫実家・泥亀家御両家結婚披露宴なんて、よろしいではないか。

ディズニーより愚生にははるかに興味をそそる。


3/3(火)記 グラウベル

日本にて
拙HPや上映会を契機としての知人・友人というのが少なくなくなってきた。
上映会を通して岡村シンパになってくれた地方在住の若い人が、所用で東京に来るという連絡をいただいた。
ついては書き上げたばかりの修士論文のコピーを手渡すか、郵送したいとのこと。
先方のつかの間の上京時間を岡村ごときとの面会で使ってしまわせては、申し訳ない。
そんな思いから訪日後の移動とどたばたにかまけて、つい返信を怠っていると、ふたたびこちらの都合を問うメールをいただいた。
ホンキなら、喜んで。

今日は急なお招きが入ったため、氷雨まうハチ公前で待たせてしまった。
今度から渋谷は岡本太郎の壁画の前にしよう。
彼は博士課程に合格したとのこと、まずは近くで祝杯。

論文は、グラウベル・ローシャについて。
夭折したブラジル映画の鬼才。
ブラジルの映画人をひとりあげろといわれたら、ためらうことなくグラウベル。
日本でも複数の作品が公開され、ソフトも出ている。
「黒い神と白い悪魔」「アントニオ・ダス・モルテス」。
最初にグラウベルの作品に触れた時の衝撃ったら。
茶番のブラジル移民百年イベント、アマゾンなんちゃらなどはまことにどうでもいいが、グラウベル作品は日本でもきちんと認識しておかないと、ますます嗤われる。

しても、いまどき岡村作品を追っかけたり、グラウベルを修士論文に書く入院青年のズレがなかせてくれる。


3/4(水)記 上映プロデューサー

日本にて
優れたドキュメンタリー映画を観る会の飯田光代代表を世田谷に訪ねる。
4月の下高井戸シネマのドキュメンタリー映画特集で、岡村作品を2本もチョイスしていただいた。

飯田さんにはもう長年、公私にわたってお世話になっている。
ひとり取材と家事に追われて、かまけて営業活動をまるでしていない不器用・ヘンクツな異国住まいのドキュメンタリー作家としては、まことにありがたい存在。
ランチまでご馳走になり、近くまで一緒に4月の上映のチラシを置きに行こう、ということに。

そこで、出会いが炸裂。
かなり、尋常ではないレベル。
思えば、飯田さんにはいろいろなかけがえのない人たちと結んでいただいた。
これぞプロデューサー、ただ感謝。

今後も制作に精進するしか、恩返しの方法がない。


3/5(木)記 Bumba出づ

日本にて
コロニア俳句で「Bumba出づ」が季語から排除されてから久しい。
すでに季刊をはるかに超えて、ほぼ年刊となった。
移民200年祭までにもう1冊ぐらい出るか、とささやかれていた。
そんな雑誌Bumbaの第32号が堂々発行された。
http://www.bumba.com.br/
スローマガジンとして、かつてより内容が濃厚なことは、確か。

愚生の「ドキュメンタリー屋さんのブラジルまんだら」も連載32回。
前身の「オーパ!」時代からを含めると、60本近く、決して短くはない原稿を書き続けてきたことになる。

今回の連載副題は「岡村ドキュメンタリーを聴く」。
次は、何を書かせていただこうか。
連載の締め切りだけは、隔月刊並みである。
よほど校正に力を入れているのだろう。
おそらく、橋本梧郎先生のこと、あたりでいってみるか。
「梧郎先生の思い出ごろごろ」とか?


3/6(金)記 「夢みの闇、心の洞窟へ」

日本にて
日本の実家に面白い本が届いていた。
「CINEMA,CINEMA,CINEMA 映画館に行こう!関西映画館情報」
創風社出版  http://www.soufusha.jp ¥1300-

ページを紐解くと、映画ファンはもとより、映画に連なる多種多彩な人たちの熱い思いがあふれている。
冒頭のエッセイ「夢みの闇、心の洞窟へ」からすばらしい。
関西だけでは、まことにもったいないボルテージ。
ジュンク堂、紀伊国屋にはたいてい置いてあるとのこと。
ぜひ手にとって欲しい(万引きはご遠慮くださいね)。

ちなみに、なんで「移民ごとき」がこの本に関わったかというと、この本の「各国映画館情報・ブラジル」の執筆を依頼されて、ちょいと書かせていただいたのでした。

蛇足ながら岡村の文中の「今年」は去年のこと。
昨日ご紹介したBumbaさんしかり、執筆依頼者のおっしゃる締め切りをまともに守ると、こういうタイムラグが生じてしまうことが。

この本についての販売店等、詳しいブログを代表の犬塚さんからご教示いただきました。
http://eiganotubo.blog31.fc2.com/blog-entry-136.html #comment236
さっそく拙HPがリンクしてあるあたり、さすがです。



3/7(土)記 プラモ少年

日本にて
事情により、日本の実家の荷物の処分をしている。
何人かの友が書籍等の受け取りを快諾してくれ、ありがたい限り。

昔の自室の押入れの奥底から、まだまだ思わぬものを発掘中。
プラモ少年だった頃の雑誌類がでてきた。
1970年代初めのTAMIYA NEWS、モデルアート、ホビージャパンなどを発見。
この分野の人たちは、いまや身近に思い浮かばない。
どなたか、お引取りいただけませんか?

まだ開封していないが、中3の時の文化祭用に作った「三光作戦・中国農村部での日本軍による虐殺」の72分の1ジオラマ入りの段ボールも見えてきた。
当時は模型部に属して、第2次大戦オタクだった。
このジオラマは当時、封切られた「戦争と人間」完結編等を参考にひとりで製作した。
今はなき目黒5中の体育館に展示したが、何の反響もなかったな。
これなんか「燃さないゴミ」で処分するしかないか・・・

東京都は、焚き火もさせてくれないし。


3/8(日)記 台湾特別区

日本にて
実家のことは、さておき。
今回の日本では、クサクサすることが少なくない。

そんな時、台湾のことを考える。
一昨年にさかのぼる台湾での岡村作品上映の仕掛け人の先生は、昨年、日本に栄転された。

しょせん、個人のコネクション。
もはや台湾からお呼びがかからないと思っていた。
ところが、その先生の教え子の院生からのコールが。

岡村訪台時の「あもれいら」第2部上映の前週の同じ時間に、学生たちに第1部を見せたいという。
ライブ上映が原則だし、第2部から先に見てもらうのも面白いんでねえの、と伝えておいた。
しかし、青年将校たちは上映を決行。
まあ、事情が事情だし。
場内は笑いとすすり泣きが錯綜したとの報告。

第1部でそれなら、第2部は、ウフフ。
しかも今回は台湾で「あもーる あもれいら」第2部『勝つ子 負ける子』と「KOJO ある考古学者の死と生」という大変な組み合わせの上映を行なうつもり。
ますます、ウフフ。


3/9(月)記 台湾原視行

日本→台湾
いとしのミジンコ島は、厚い雲に覆われている。
雨の台北もまた一興。

また、台湾に来れた!
気心の知れた仲間たちとの再会。
五感に触れるもの、すべてが刺激的。

今回、特に気を惹かれているのが、「原視」。
宿にとってもらった大学のゲストハウスのテレビで釘付けになったチャンネル。
台湾の先住民、エコロジーについての専門チャンネル。
これでチャンネルが成立するほど先住民とエコロジーのネタが豊富で、それを伝えようという戦略があるということだろう。
技術的にもしっかりしている。

これクラスの面白いことが、てんこ盛りだー!


3/10(火)記 台湾養生記

台湾にて
台湾エスコートメンバーから、なにかとこちらの体調を気にしてもらう。
昨晩も今日の昼も、養生食のレストランへ。

まったく食べてみたい料理、場所が多くてうれしい悲鳴。

今日のお店では、こちらの体調、不具合を聞いて数種ある薬膳スープのなかからオススメをしてくれる。
これで薬草酒もあれば申し分ない。

夜、今回のメイン上映をつつがなく終了。
さあ、明日は台湾山塊へ!


3/11(水)記 台湾慰霊行

台湾にて
台湾の大学院生らと台湾山地を目指す。
ひとりは修士論文で岡村作品について書くという。

かつて連れて行ってもらい、気になっていた山の民宿が目的地。
そこでプライベート上映会を開こうという計画。

はからずも道中、いくつもの慰霊碑に出会う。
しかも、日本人がらみ。

慰霊とは。
死とはどういうものか実感できない生者が、死霊を慰めることなど傲慢ではなかろうか。

聖書でいう「慰める」とは、「いたみを共有する」という意味だそうだ。
これなら、近づけるかもしれない。

いたみ、祈る。
山での上映そのものが慰霊上映となった。
上映作品は「KOJO ある考古学者の死と生」。
いい上映だった。


3/12(木)記 マングローブ駅

台湾にて
台湾山中から一路、台北淡水へ。

本日午後の淡江大学上映の仕掛け人・李先生と地下鉄紅樹林駅で合流。
紅樹林とは、ずばりマングローブのこと。
地下鉄でマングローブ観察が出来るとは、楽し過ぎる。
今回はチラと遠めに見るだけで、次回のお楽しみに。

上映前後に、淡江大学内と淡水のデートスポットを案内していただく。
台湾の多様性をいたく感ず。
実に盛りだくさんだった。


3/13(金)記 ビンロウ娘とKOJO

台湾→日本
昨晩、台北で泊めてもらったお宅にあったビンロウ(檳榔)娘の写真集を読みふける。
ビンロウ娘とは、東南アジア各地に広まる嗜好品・ビンロウ(ビンロウジと呼ばれるヤシの種子をかむ)を台湾のそこかしこのスタンドで商う女性のこと。
その女性のいでたちには目を見張るものがある。
写真集によると、こうしたイケイケのビンロウ売りの登場は15年ぐらい前のことという。
80年代初頭にはじめて台湾を回った時には気がつかなかったはずだ。
当時は、理髪庁という床屋を装ったセックス産業が台湾の都市部のそこかしこで目に付いた。
今では売春理髪はすっかり影を潜めたという。

図らずも山中で上映した「KOJO」のルーズソックス研究のエピソードがオーバーラップする。
またこの島に来る機会があるかどうか。
ビンロウ嗜好の文化は残り続けるだろう。
しかし今こそ当たり前で全盛のイケイケ系のビンロウ売りがまだ存在するかどうか。
これぞフーゾクの風俗たるところ。


3/14(土)記 きのこのこ

日本にて
日本でも自炊をするようになった。
外食の方がめんどくさいというか。
日本のスーパーでは、ついついキノコに手が出る。
ぶなしめじ、えのき、舞茸、なめこ、エリンギ等々。
いやはや、種類が増えたものだ。
しかも特売の時は100円以下。

食の宝庫・サンパウロでもキノコとなると、シメジと向こうでは称するキノコ、その他はシイタケにマッシュルーム、エリンギぐらい。
高級スーパーではヨーロッパ系だろうか、サーモン色のキノコを見かける。
サンパウロ州が原産地の姫マツタケ(アガリクス)は薬用効果もさることながら、絶妙の美味。
しかし腐敗が早く、生では栽培地以外では入手して食べるのが難しい。

日本でキノコの食いだめをしておこう。


3/15(日)記 フルバ23

日本にて
日本到着以来、諸々の合間に書店周りをつづけていた。
夕方、世田谷で友人の到着を待つ間に、駅前の本屋を踏査。
ついにあった!
ブラジルの子供に頼まれていたフルバの23巻。

相当大きい書店、マンガ専門店でもなぜか最後の23だけ欠けていた。
離日も刻々とせまり、書店で取り寄せを頼んだり、ネット通販では間に合わない、とあせっていただけに。

先日、台湾から頼まれた文庫本を見つけた時もうれしかった。
自分が読みもしない本を見つけて、こんなに満足感があるとは。
ちなみにフルバは1巻だけ付き合って続読を放棄した。

さあ買い物ミッションはまだまだ続く。


3/16(月)記 本おくりびと

日本にて
早朝の燃やすゴミ出しから、フル回転。
古書類を随時、段ボールにつめて引き取ってくれる人たちに発送。
郵便局に何度も通う。
持込みだと、送料がひとつあたり100円引きになる。
腰を痛めないといいが。

飯田さんに教えてもらったドキュメンタリー映画「彼女の名はサビーヌ」。
渋谷UP-LINKにて。
観といて、よかった。

さらに銀行、病院、買出し等々…
日にちさえあれば。


3/17(火)記 豚シャブそば

日本にて
諸々の後。
夕刻、千葉に映像記録時代の上司を訪ねる。
この先輩は、グルメなどという言葉が民衆に流通する以前からのグルメ。
ご自身でも電気もガスもない現地で、相当こりまくった料理をスタッフにふるまうので知られている。

器からミュージアム級。
割ってしまったら死んで詫びるしかないですね、などと予告しながらいただく。
メインは、豚のシャブシャブ。
そのダシを使ったフィニッシュのそばを岡村に食べさせたかった、とおっしゃる。
確かに、うまい。
野菜と豚肉からにじんだ甘みがよろしい。

ブラジルバージョンを試みよう。


3/18(水)記 渋谷密談

日本にて
日本最後の夜。
渋谷で、友と密談。
密談に絶妙な場所に息を呑む。
階段の下の畳一畳半ぐらいのスペース。
照明は、お品書きの判読が難しいほど。

これなら、密談もアルコールも弾む。
なかなかのミッション・インポシブルをすすめることに。


3/19(木)記 JALカレー顛末

日本→アメリカ→
昨年からバタバタとブラジル・日本の往復を繰り返したおかげでJALのラウンジが使えるようになった。
ダイニングルームに特製ビーフカレーというのがあるではないか。

先日、「機上最悪のカレー」としてサンパウロからのJAL機内食のマズさをご紹介した。
予告どおり、この件をJALにメールで伝えてみた。
感心にも数日後に回答が来たが、具体的に何が原因で、具体的にどのように改善するつもりかは書かれていない。
それでいて回答をHPで発表するのは見合わせて欲しい、とのこと。

ちなみに成田-台北のエコノミーの内食は小鉢の中華風サラダ等も気が効いていた。
客に台湾人、中華料理好みの日本人が多いことを意識してのメニューだろう。

さて、成田ラウンジのカレーは、十分許容範囲の味。
なぜ、サンパウロ-ニューヨークでのカレーがめちゃめちゃにまずかったか。
ブラジル人、アメリカ人はふつうカレーを食べることはあまりないだろう。
ブラジル人はカレーの何たるかを知らないのがふつうではないかな。
するとメインディッシュにカレーを持ってきたのは日本人、日系人を意識してと考えられる。
カレーという料理はチョイスしたが、レシピがいい加減だった、といったところか。

今度また機上でカレーに出会うことを期待して、というより、正直、またあのマズさに会うのがこわい。
長時間の空の窮屈な旅では、エコノミーの機内食でもそれなりに楽しみなのだ。


3/20(金)記 イーストウッドにゃかなわない

→ブラジル
機中。
JALの成田-サンパウロ路線はエコノミー席にも個人モニターがついている。
今回の最大の収穫は、クリント・イーストウッド監督の「チェンジリング」。
抑制され、かつ緻密な演出のもとに女の、そして人としての義が描かれる。
これまた控えめながらツボを押さえた音楽が美しい。

音楽もなんと、そして例によってクリント・イーストウッド自身によるもの。

不詳岡村、ひとりドキュメンタリーなどと称して、「あもれいら」②からはようやくブラジルでのナレーション撮り、そして自らナレーションのダビングまでこなすようになった。
さすがに自ら音楽まで作っちゃおうとは、考えたことがない。
もっとも、過去のスチール写真構成のシーンでもない限り、基本的に音楽は使わない方針だけど。
その分、現地音の構成・演出を。


3/21(土)記 ゴルゴ来伯

ブラジルにて
日本のコンビニだったかで購入した「ゴルゴ13シリーズ」を読む。
「パライバ・ブルー」ときた。
久しぶりにゴルゴのブラジル訪問か。

トルマリンのバイアーをしていた日本人がブラジルのパライバ州で失踪。
日本から妻が夫の手がかりを探しに来る。
そこに「……」のおじさんが。

ストーリーはソコソコ面白い。
しかし「日本人」にわざわざポルトガル語ならぬスペイン語で「ハポネス」と何度もルビを振ってあったり。
「ダシルバ」の間違いとしか思えない「ダジルバ」というキーパーソンが登場したり。
話に少しでもリアリティを増したいなら、日本にいくらでもいるブラジル通にちょっと目を通させればいいのに。
誰かが手を抜いたのだろう。
残念でした。


3/22(日)記 コリアンタウンから。

ブラジルにて
今週後半からチリ。
4月には、また日本。

会っておくべき友には、早めに会っておこうと。
サンパウロのコリアンタウンで昼飯を、ということになった。

ダウンタウンのボン・レチーロ地区。
歩くのは初めてだ。
小雨のなか、ずらっとシャッターが閉まっている。
道で韓国人のおじさんに聞いて、日曜昼でも開いているお店を教えてもらう。
おじさんは近くのお姉さんに聞いて…

大久保でコロンビア人のお姉さんにスペイン語でコロンビア料理の店を聞いたのを思い出したりして。

防犯のためだろう、びっちりドアの閉まったお店、なかは盛況。

ブラジルだけ、日系人だけで思考と行動がこりかたまっても袋小路というもの。
南米で、東アジアの味を堪能しつつ、思う。


3/23(月)記 しつけは何処

ブラジルにて
今日からつかのま、こっちの日常を再開。
凶器・自動車をそろりそろりと駆動させる。

午後から徒歩と地下鉄で町に出る。

ブラジルでは煙草を点火させて、しかも火を外側に向けて持ち歩いている輩が多い。
混み合っている道ではあぶなかしくてしょうがない。
歩き煙草による子供の深刻な火傷事件がマスコミにでも取り上げられないと、改まりそうもない。

日本では、傘を異常に振り回す輩が少なくないのに驚いた。
バカな学生から、アホなOL風、おろかな老人まで。
道路や駅の構内を歩きながら傘の移動半径の周囲を意に介さず、振り回す。

しつけの問題、ということになるか。

台湾の大学で「あもれいら」を上映した後、ケンカのシーンを受けて学生から「シスターたちはしつけをしないのか」と質問を受けた。
こっちは、おしつけビデオを作ってるわけじゃないんだけども。
絵本のシーンからでも読み取っていただけるように、それなりのしつけをしている、と答えておいたが、不服そうだった。

そういえば台湾の町や道で、しつけはどうなっとるんだと思ったことは、特に記憶にない。
バイクの波には、まいったけど。
台北の地下鉄は携帯電話の通話が禁止されていないが、それが気に障ることはなかった。

大人にしつけをしなければならないような文化・社会がおかしい、ということかな。


3/24(火)記 何のための撮影か

ブラジルにて
 当初は、旅行の思い出として撮影していたのですが、次第に彼女の能力を引き出すために撮影するようになりました。
「彼女の名はサビーヌ」Director's Interviewより。


子供たちの送り出しの後。
カメラかついで撮影に。

「岡村さんに撮影されていると、調子がいいですよ」。
被写体の方から、至福の言葉をいただく。

何のための撮影か。
今の僕には、祈りとして、ぐらいしか言えそうにない。

だからよけいカネをとれない、か。


3/25(水)記 特典追加

ブラジルにて
風邪が長引いているというフマニタスの佐々木神父に、お見舞いの電話。

「さまよう人とともに」に1カット登場する佐々木神父の姿に「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」を思い起こして感極まったという友人の言葉を思い出す。

この機会に、気にかけていた「フマニタス」の特典映像を作っちゃおうか。
2003年に「フマニタス」で紹介される農学校に頼まれて、現地向けに作った学校のプレゼンビデオに日本語字幕を入れちゃおうかという、もくろみ。
ちょっと面白い演出をして、農学校の生徒たちと楽しく作った作品。

楽しみの、おすそ分け。
ドキュメンタリストとしての義もあっての、発意。

この期におよんで、またよけいな仕事、増やしそう。


3/26(木)記 待ってるね♪岡村淳ちゃん♪

ブラジルにて
気合いを入れて新たな作品の編集に挑もうとした矢先。
ミクシイのマイミク申請が。
「ご近所さん」って、アナタ、ブラジルにいるの?

セフレという言葉を初めて知った。

友だちの友だちは、友だち。
ご希望の人、紹介しまっせ。

待たせて悪いけど、取り込み中でして…

初めまして☆

いきなりですが、、私セフレを探してるんです。

岡村淳さんには友達検索でご近所さんを探してたどり着きました。

岡村淳さんのプロフ見て惹かれたし
逆縁になっちゃいますけど、私が岡村淳さんに謝礼金を払っても良いので
私と一度エッチしてくれませんか??

これ私の写メなので気に入って頂ければ良いのですが・・・
http://ad-movies.net/ ○○○.jpg

顔写真はもう少しだけメール出来たらその後で♪

MIXIはもう退会しますけど。。MIXIって、ちょっとエッチなプロフとか
載せちゃうとすぐ駄目って言う注意メール来るから楽しくないんで。。。

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ここです♪

○○ ○○○○ で検索してくださいね♪

待ってるね♪岡村淳ちゃん♪



3/27(金)記 訪智状態

ブラジル→
チリの漢字一文字表記は「智」だそうだ。
「伯」より、いい感じ。
ささやかな偶然の積み重ねと、なによりも現地に赴任した知人の個人の尽力の積み重ねがチリ上映会に開花することになった。
チリも積もれば、である。

午前中は「ハルオ・ササキ農学校の一日」の日本語字幕入れ作業に没頭。
時間だけはかかる作業。
訪日までに間に合うといいな…

チリ行きは、一便逃したらアウトのギリ便となってしまった。
先週も縁あるグループが帰日予定の日に、午後のスコールに遭ってサンパウロ国際空港にたどり着けなかったというハプニングがあった。

早めに出家する。


3/28(土)記 聖チアゴの街で。

→チリ
神戸の鷹取教会に置かれた上映会のチラシから出会いが始まりました。
3年後に、チリで一花。

深夜のサンチアゴ国際空港に到着。
サンパウロ調達日本食類ぎっしりのキャリングケースを開けられる。
今度だけは、と罰金をカンベンしてもらう。

とりあえずの宿から移動したホテルは、山が望めてベロ・オリゾンテを思い出す。

とっても不思議な再会あり。

在チリの日本人対象の上映会、なかなか皆さんのノリがよく、おかげさまで成功裏に終了。
ブラジルの日系人どもが、ぬるま湯でエラソーにしていることを、再認識。
日系人の存在率は、単純計算してみると、ブラジルとチリでは、なんと8000対1になるようだ。

バスタンチ盛りだくさんの一日だった。
あなかしこ、あなかしこ。


3/29(日)記 パタゴニアンテイスト

チリにて
なんと言っても今回のチリ遠征では、昨日の上映会がメイン。
いい感じで終了できて、心地よい疲労を楽しむ。
橋本先生とのパタゴニア踏査の記録「風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌」
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20040714000274.cfm
の話も、もう少しいておけばよかった。

朝食後、部屋に戻り、さっそくビールの栓が開く。
有志と、尽きない話。
聞き上手がいると、ついついオフレコ話に力が入ってしまう。

夕方から、学生街に繰り出す。
パタゴニアを名乗る、小じゃれたカフェバーへ。
お隣の大人数グループは、ドイツ人か。
反対の隣は、なんとブラジル人。
小ぎたなく激しいポルトガル語が聞き取れちゃうのも、愛嬌。
向いのカップルは、アメリカ人とスウェーデン人。

従順な野良犬、物乞いのおばさん、大道芸の11歳の少年。
いちいち、よろしい。
…牛肉のパタゴニア風アサードは、ブラジルでは味わったことのないほどの不味さだったけど。


3/30(月)記 聖ヤコブ的メトロ

チリにて
どっちに転んでも、99パーセント以上の日本人にはカトリックのことなど、あんまし関係がないだろう。
そのマイナーな世界では、聖チアゴは聖ヤコブといった方が通りがいいようだ。

現在のラテンアメリカにサンティアゴ(聖ヤコブ)という名の都市が数多く存在することからもわかるように、インディオとの戦いにおける聖ヤコブの奇跡的な介入の伝説は多い。
「インカの反乱」ティトゥ・ユパンギ述 染田秀藤訳/岩波文庫 訳注より


今日は何度となく地下鉄に乗る。
自分のなかで、聖ヤコブの街の地下のささやかなトポグラフィーが構築されてくる。
夜、長距離バスでゲバラゆかりの町へ、南下。


3/31(火)記 アンデスに祈る

チリにて
サンチアゴから夜行バスで6時間半。
未明の町の冷気は、南極にだいぶ近づいたことを感じさせる。

アンデスに、陽が昇る。

午後、今回の上映の首謀者・国司さんのリクエストで、アンデスを望む居間で拙作「ブラジルの土に生きて」前編を鑑賞。

今になって、とんでもないことに気づいた。
この作品の前編の黒子とも言うべきブラジル移民の父・水野龍は初めての南米訪問の際、チリから徒歩とロバでアンデス山脈を越えてブラジルに向かったのだ。

そして後編のキーパーソンは、ブラジルの軍政時代にアジェンデ政権のチリに亡命していた。

ただ、アンデスに頭を垂れ、掌を合わせる。


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