7月の日記・総集編 アクアレイラは雨に流れて (2009/08/01)
7/1(水)記 誰もがカメラの前では役者になる
ブラジルにて さあ子供たちも休みに。
送迎はなくなっても、食事の手間が増える。 喜びを持って。
今日は、書き物でもご紹介しましょう。 本日付のドキュメンタリー映画のメルマガ・neoneoのリレー連載。 短文だが、けっこう大変だった。
http://www.melma.com/backnumber_98339_4528832/
7/2(木)記 暗闇があれば
ブラジルにて 今日はサンパウロ市内で日系の婦人たちの集いでの上映会。 のはずだった。 別件もあり、コンタクト役の人に電話をしてみると、どうやら会場に上映機器がないらしい。 数ヶ月前に依頼のあった時、確認をしておいたのだが… 連絡系統の混乱と、なにせ年配なので、とのこと。 60代がもっとも若手という。
急きょ、1時間ばかりお話だけで、ということに。 会場には知った顔がいくつも。 「暗いところがあれば映るのかと思っていました」というのがよろしい。 すみません、プロジェクターの手持ちがなくて。 荒ごしらえだが、とにかく皆さんが作品をみたくなるような話を心がける。 まあ、及第点かな。
前後に今月の旅程のことでばたばた。
7/3(金)記 女肉屋
ブラジルにて 今月のいくつかの旅行の段取り、8月の訪日と上映会等のツメでパソコンにかじりついて半日ぐらいすぐ経ってしまう。
午後、買出しで1時間ばかり歩く。 帰路、隣の駅の肉屋を探す。 けっこう店の移り変わりがあるものだ。
この肉屋では、若い女性店員が肉を切ってくれる。 こういうのは初めて。 ちょろっと街を歩いても、発見は尽きない。
7/4(土)記 精算しないと
ブラジルにて さあ、大事な旅が続く。 これまでの精算をしないと。 ついつい、めんどくさいのと異常事態続きにかまけて放置していた。
精算作業をするための作業空間をつくるのが、ひと仕事。
7/5(日)記 静養しないと
ブラジルにて なんだか、がっくり疲れた感じ。 昨日の接待の影響もあるか。
明日から、いよいよという時。 ファミリアの方のフェスタがあったが、大事をとって静養させてもらう。
とはいえ、静養しながらやっておくことは、いくらでもある。
7/6(月)記 早着
ブラジルにて 遠足の日の子供か、合戦を迎える朝の武将か。 浅い眠りで未明に目覚める。
迎える飛行機の到着予定時刻をネットで確認。 と、定刻より1時間早い着となっているではないか! 昨晩、なじみのタクシードライバーに電話が通じなくてよかった。 早朝の予約をして、未明に電話をしてなお1時間、早めさせるのは気が引けるというもの。
ネットがつながってよかった。 異国の空港に着いて、出迎えの顔が見当たらない時の心細さは経験済み。
ばたばたと、余裕を見て、いざ出発。
7/7(火)記 ゆめとしりせば
ブラジル→アルゼンチン 豚フルピック世界3位浮上のアルゼンチン入国。 いやはや。
今宵の満月は…ちと拝めそうもない。 空は重い。
ゆめとしりせば。
7/8(水)記 にのまえさんにきく
アルゼンチンにて いい仕事のあとの乾杯は、格別。 ワインの開栓と試飲が、こんなに高揚するものとは。
値段とラベルのセンスだけで選ぶばかりも芸がない。 手打ち蕎麦とアルゼンチンワインの店「にのまえ」 http://r.tabelog.com/ibaraki/A0801/A080101/8002373/ のマスターにメールでご教示を賜る。
味の方は正直なところ、いまひとつ僕にはわからず。 通ぶるには相当、時間とカネがかかりそうだ。
7/9(木)記 マスカラをみず
アルゼンチン→ブラジル 無事、ブラジルに戻る。 結局、亜国ではマスクをつけている人をひとりも見なかった。
サンパウロの空港の物々しさも影を潜めた感じ。
サンパウロは祝日で、道路事情は夢の街。
7/10(金)記 黄昏のニッケイ
ブラジルにて あなたは旅行エージェントに何を求めますか?
ここのところ、訪日切符の手配・発券などはこちらの知人が勤め始めたサンパウロにある日系の旅行社を使っていた。 8月の訪日では日本国内でのスケジュールが立て込んでいるため、ふだんは使わない日本国内線のフライトもフンパツすることにした。 この旅行社で6月初めに日本国内のフライトのコンファームも取れ、安心して前後のスケジュールを組んでおいた。
予約からひと月が経つので、先週の段階でチケット発券を依頼して、支払いをするばかり、のはずだった。 今週の月曜になって、JALが国内線の予約を落としたというではないか。 翌日まで待ってくれ、「必ず」連絡をすると言いながら、連絡を断たれてすでに金曜。 お盆のせい、とかいい加減そうなことを言うのでJALのサイトで旅先のアルゼンチンから件のフライトをチェックするとまだ空席があるではないか。 このフライトを逃すと、綱渡りの微妙なスケジュールががたがたになり、こちらの信用にかかわるというもの。
今日、旅行社の女経営者にクレームすると、自分たちからそのフライトは取れない、JRを使ったらどうか?とのありがた過ぎるアドバイス。
そもそも、岡村にこの旅行社を紹介した知人も連絡が取れなくなってしまったが、賃金未払いに業を煮やして去ったと別筋からの情報。
いやはや。
7/11(土)記 主夫のサバド
ブラジルにて 昼は、日本の喫茶店風スパゲティ。 食後、家族を妻の実家に連れて行く。 帰りは雨。 雨の夜の街は、運転したくないもの。
夜はピザの出前でも取ってもらおうと思う。 が、いただいた野菜がだいぶ溜まっている。 思い切ってポテを作る。 ポテは、最近、レパートリーに加わった。 スープ類は、けっこう野菜が消費できていい。
7/12(日)記 シロアリは邦字紙がお好き
ブラジルにて 訪日ほかの旅が続き、溜まりに溜まっていた古新聞をチェック。 思わぬ掘り出し記事もあるからやめられない。
時々、シロアリの羽が出てくる。 と、シロアリそのものが潜んでいるではないか! 同じ紙面に2匹。 紙面をすでに食い荒らし、糞も溜まっている。
古新聞の量はブラジルの一般紙の方が圧倒的に多いのだが、よりによって日本語新聞に巣食っているところが黙示録的。
7/13(月)記 ゆうびんストーカー
ブラジルにて 先週の金曜日。 とっても大切なものを、郵便局のEMSをフンパツして日本に送った。
順調にいけば、その日の夜の飛行機に乗ることもあるはずなのだが… ブラジル郵便局のサイトの番号追跡サービスを試みる。 と、番号が見当たらない、とくるではないか!
うろたえながらか何度か同じ番号を入力すると、ようやく支局で受け付けた、との追跡結果が。
あれから三日。 追跡結果では、土曜から空港の税関で止まったまんま。 便利なシステムがあればあるで、心配事が増える。
7/14(火)記 蛹の季節
ブラジルにて いくつかの用事をこなすため、サンパウロ市内をよく歩いた。
歩きながら、蛹を想う。
外見の動きはなく、地味で気持ち悪い蛹。 しかし、その内部では這う虫から華麗な羽とともに飛翔する成虫へのメタモルフォーゼが繰り広げられている。 いったい、どんなメカニズムがそれを可能にしているのだろう?
私は蛹になりたい。
7/15(水)記 小銭稼ぎ
ブラジルにて 明日から、地方都市への旅に出る。 ブラジルを始め、外つ国(とつくに)の旅先ではチップ等、何かと小銭がいるもの。
今日は買い物等で街に出た際、なるべく小銭が稼げるような支払いをする。
さてさて。
7/16(木)記 竹の都バイーア
ブラジルにて 未明に出家。 日本からの客人の案内兼撮影で、バイーアのサルヴァドールへ。 新たな緊張。
サルヴァドールの空港でタクシーをゲット、歴史地区へ。 迫り来る竹のトンネルに驚く。
故・橋本梧郎先生の受け売りだが、竹という植物の起源はバイーアあたりだという研究者もいるとか。 さもありぬらむ。
プリンセーザ・カグヤに会えるかな。
のちに、2度とゴメンの体験が待ち構えているとは。
7/17(金)記 サルヴァドールのクソ飯
ブラジルにて ブラジルの古都サルヴァドール。 訳あって、あまり観光客は見かけない地区を歩く。 このあたりは、意外と飯屋が少ない。 あまりパッとしないが、バイーア料理、計量払い(ポル・キロ)の店がある。 とりあえずのぞいてみますか、と中に入る。 正午少し前だが、奥の方に客がぱらぱら。
と、通りがかりの市民が「ここの飯はクソだ」と親指を下に向けたサインとともに忠告してくれる。 クソほどひどくはないように見えるが…
せっかくの助言を受けて、別の店へ。 チャイニーズの経営だがバイーア料理もあって、えらく繁盛している。 こりゃあ、あたりの部類。
この調子で、思わぬ出会いにめぐり合う。
7/18(土)記 サルヴァドールの見えざる敵
ブラジルにて かゆい。 せっかく準備していた携帯用蚊取り線香を入れ忘れてしまったようだ。 部屋では無線の電波が届かないため、明け方にテラスに出た時がひどい。
蚊に刺された時のように赤くはれている。 しかし「かほどうるさき」「ぶんぶ」の音をまったく聞いた覚えがない。 しかも蚊そのものをまるで見ていないのだ。 微小なブヨの類か? あるいはベッドにノミの類が?
宿のバイアーナに聞いてみると「ムリソカ」だという。 おお、「無理楚歌」(これはHALコンピューターの変換命名)ときたか。 ウンチクは長くなるのでやめておくが、ブラジルの北東部からアマゾン河口部にかけて、蚊のことをムリソカと呼ぶのだ。
バスルームに吸血後とみられる小型の蚊を発見。 こいつらだったのか…
カンドンブレ(地元で盛んなアフロ系の民間宗教)の線香でも求めて焚くか。
7/19(日)記 アクアレイラは雨に流れて
ブラジルにて 今回、サルヴァドールに滞在して痛感したのは、緑の力強さ。 アマゾン以上に思える。 開発を拒む崖地、さらに歴史遺産都市の手入れの行き届かない建築物を濃い緑が覆っている。
はからずもC・ダーウインが初めて触れた新大陸の大地が、このサルヴァドールである。 豊かで多様すぎる生物相を目の当たりにしたダーウインの、驚きと興奮あふれる記載は「ビーグル号航海記」のピークだ。
サルヴァドールのアクアレイラ。 こんなにビデオをまわすとは思わなかった。
7/20(月)記 眼を覚ましていよう
ブラジルにて サンパウロ帰宅は、昨日深夜。 重なる旅と撮影の疲れ。 今日は安静にしつつ、断食を決行。
日本の友人にもらった「中国を追われたウイグル人 亡命者が語る政治弾圧」(水谷尚子著 文春新書)を読む。 はからずも、ウイグルで衝突事件があったばかり。 その背景をなす中国当局による少数民族への人権蹂躙の数々が、世界各地に亡命せざるを得なかったウイグル人から語られている。 こうした事実を他所のこととして、いまをおめでたく生きることはできない。
僕にとって空気の存在より当然な、言論を暴力を持って封じ込まれ、民族性をおとしめられて抹殺され続けている人たちが、現在進行形で、いるということ。
まずは知ること、伝えること。
7/21(火)記 七月全開・八月全開
ブラジルにて 昨日今日とちょろっとサンパウロにいる間に、新たにサンパウロでの上映、原稿の依頼などが入ってくる。 八月の訪日中には、さらに上映会が増えそうで日程・旅程をさらに調整。 さあ訪日前の、当初の予定の諸々もこなさなくては。
7/22(水)記 3リの旅
ブラジルにて リラックス、リフレッシュ、リクリエイト。 久々の家族旅行。 昨年末以来の日本の大事で、しばらくお預けだった。
子供が親と旅行をしてくれるのは、人生のうち、せいぜい20年あるかないか。 その間を大切に。 こんなアドバイスを読んで、心に刻んでから久しい。
我が家もあと何年あるか。
7/23(木)記 山のオフライン
ブラジルにて 今回の宿の欠点は、敷地内に自然林を観察できるところがないこと。 森さえあれば、退屈はしないのだが。 松井太郎作品の入力、および急な頼まれ原稿を済ませておく。
なんだかノートPCでの執筆作業も快適。 小説家や、映画監督と脚本家が旅館にこもって執筆をするのが、わかる感じ。 映像の編集も機材がコンパクトになってきたのだから、湯治場やリゾートあたりでつないでもよさそうだ。 主夫としては、なかなかそうもできないけど。
7/24(金)記 雨のポポル・ヴフ
ブラジルにて 今日の山は、一日じゅう雨。 「ポポル・ヴフ」(中公文庫)なぞ読み耽る。 1977年発行の文庫本で、激しく古本化している。 何度となく旅に携行しながら、なぜか通読していなかった。 こうした書物が、日本語で、手軽に読めるのがうれしい。 しかも、新大陸の山野を眺めやりながら。
7/25(土)記 1875
ブラジルにて 山の町で、イチゴ祭りを開催中。 昨日、のぞいた店で、ウリだというイチゴタルトが予定の時間に届いていない。 製造元だという店のおばちゃんの実家を、郊外に訪ねることにした。 ワイナリーが地下にあり、自家製のソーセージやサラミも作っている。 アットホーム感と清潔感が漂う。
イタリアからの祖先が、1875年にここに居を構えてたとのこと。 タルト作りにいそしむおばちゃんは、5世代目だという。 こんな山のなかに、あちこちのナンバープレートの車がひしめいて駐車。
ニッケイにこれが可能だろうか。
7/26(日)記 ゴッドファーザー
ブラジルにて 数ヶ月前から今日だけは他の予定を入れずにサンパウロにいるよう、釘を刺されていた。 親戚の子供の洗礼式の代父母をつとめることに。 式では代父母は特にややこしいことをするわけでもないが、代父母の代理というわけにはいかないようで。
18世紀建立というカトリック教会は、眼を見張る内装。 サルヴァドールの五つ星教会を思い出すほど。 思えば、先週は知人の初七日のミサで別の教会を訪ねていた。
ほどほどに立派そうな教会より、アマゾンやパラナのド僻地の教会やチャペルの方が、ずっと趣がある。
祈りの場とは? 場所に意味があるのか、等々、考える。
7/27(月)記 女たちの海岸山脈
ブラジルにて 今日から、こちらの日本語の先生たちのサンパウロ郊外での合宿勉強会に参加。 夜の余興に、拙作の上映をするというもの。
このグループからはこれまで講演や上映を何度もご依頼いただいていて、ブラジル最大のお得意さんといえる。
圧倒的に女性が多く、今回も参加者は9対1のアマゾネス軍団。
宿はHPで大西洋岸森林に囲まれているのをウリにしている。 しかし敷地内には残念ながら、自然林がない。 少しは本来の植生の観が残っているところは、ゴミ捨て場になっている。
雨で足元もぐちゃぐちゃで、散策は断念、宿題にしていた中隅さん関係の写経を行なう。
夜の上映は「赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み」とした。 最前列で映写技師をしていたが、場内の熱い空気は良く感じられた。 初めてご覧いただいた方には、もちろんわからないだろうが、こちらの手元に残っていた落丁バージョンでの上映となってしまった。 これの直しは、来週からの日本での宿題のひとつ。
7/28(火)記 女教師
ブラジルにて 昨晩で僕のオフィシャルな出番は終わったが、今日夕方まで日本語の先生たちとお付き合い。
昨日も書いたが、9割が女性。 しかも日本人一世から四世まで、年齢も見た目も、ほんと様々。 して、それぞれ気迫のようなものがある。 教えるという立場、生徒を持っているという責任と自身から出てくる何かか。
えらそーに日本文化や移民をうんぬんするより、毎日の授業、最前線で日本語を教えるということの方が、はるかに尊く生産的だと痛感。
7/29(水)記 撮りおさめ
ブラジルにて なんだか疲れが出て、午前中はだらだらさせてもらう。 外は重く、暗い。
今後のために、今日一発、撮影しておこうと思っているカットが。 天気は悪いが、もう今日しかないので、午後に決行。 久しぶりに三脚を担いで出る。
さあ後は明日の上映、そして編集とダビング、その他。
7/30(木)記 友の会上映
ブラジルにて 遅ればせながら奇縁で結ばれたサンパウロの「婦人の友」友の会の一支部で、上映。 この友の会では、サンパウロ支部を構成するいくつかの地域の単位を「最寄り」と呼んでいる。 作品は「あもれいら」②。 ブラジルでは、登場されるシスターたち以外には、初めての上映。 いい上映の寄り合いだった。 六十代で若手という日系女性たちの集いだが、参加者のコメントの鋭さに舌をまく。 そもそもこの人たち、現地のこと、シスターのことをよく知らないまま、長年にわたってバザーなどの売り上げをアモレイラに寄付していてくれたのだ。 これぞまさしく、テレ・ヴィジョン(遠隔視聴)。 僕はテレビを去って、テレヴィジョンを可能にした。
7/31(金)記 いつまで新型
ブラジルにて 日本の知人にアルゼンチンでの豚インフルエンザの大流行と非常事態を伝えると、豚インフルエンザ?ああ、新型インフルエンザのことですね、と。
64年前。 広島と長崎に原子爆弾が投下された時、軍部も国民も「新型爆弾」と呼んだ。 被爆者の方々の証言を聴くと、新型爆弾という言葉が出てくる。 いま、原爆を新型爆弾と呼び続ける人は、さすがにいないのではないか。
新型インフルエンザは、いつまで新型だろうか。
さて、今日から下の子の後期の授業が始まる。 旧型らしいがカゼでダウン、今日は病欠。 昼頃、学校からの電話で、「豚カゼ」(ブラジルではこう呼ぶ)流行を懸念する当局の勧告により、授業再開は8月10日に延期、とのこと。 子供は、とたんに元気になった。 上の子の学校は数日前から10日に延期とお達しが来ていた。
僕が日本にいた、4月下旬。 東京でだったと思うが、高校生ぐらいの男子たちが「新型インフルエンザ」の流行を望み、学校閉鎖を楽しみにしている会話を耳にした。 三か月半で、学童たちの願いは我がブラジルにまで及ぶ。
|