10月の日記・総集編 アマゾン・ライブ (2010/11/02)
10/1(金)記 先生と私・再開
ブラジルにて 昨日、日本に「明瑞発掘」シリーズの「明石編」手直しバージョンと「東京編」ほっかほかのDVDを郵送。 続いて久しぶりに橋本梧郎先生の残りの映像のチェック作業を再開。 まことに、濃厚。 今日もとっぷり、のつもりが午後から急に家族のシフト変更のため、外出。
橋本先生が僕に投げてくるメッセージ、そして、ゆき夫人のキャラが絶妙。 ここのところ、一気呵成で撮りあげた作品のまとめが続いた。 さあ、こってり系の再開だ。
10/2(土)記 「あの戦争」
ブラジルにて 和田恵秀さんの舞台の通し稽古を撮影した拙作を「ただいま制作中!」にアップすることにした。 すでに編集してDVDに焼いて日本の和田さんにお送りし、納品を確認している。 追って自主制作作品リストに移すつもり。
この2作品、11月に和田館主の福島・心滋館にてワールドプレミア上映の予定。 豪雪でなければ。
10/3(日)記 縄文からアマゾンへ
ブラジルにて 昨日、ようやく叩き始めた気の重い原稿。 今日、一気にすすめようと思っていたが、家族がPCを使いたいという。 ダウンロードでかなり時間がかかりそう。
本でも読むことにする。 まずは縄文関係。 この夏に訪れた三内丸山のミュージアムショップで旅先にもかかわらず、ホクホクと何冊も買ってしまった。 意外とあっけなく読了。 ついでアマゾンを舞台とする本を開く。
今日は総選挙で路上市は休み。 投票時間が過ぎると同時に、選挙速報を求めてテレビをつける。 ブラジルは鉛筆と封筒の日本と違ってオンライン投票だから、結果が出るのも早い。 なんと大手の2局は日曜の通常のオメデタイ娯楽番組ではないか。 国の大統領がどうなるかという時に。 お隣の国のようにクーデターが起きてもこの調子かな。
10/4(月)記 「橋本梧郎と水底の滝」
ブラジルにて 次回の橋本梧郎、第1作めのメイン部分の映像をチェック。 そもそも残りの映像を3部に分けることを考えていたか、できるかどうか。 しばらくはこのことで悩み続けそうだ。
作品の通しのタイトルは「橋本梧郎と水底の滝」としておくか。 第1作のサブタイトルは『南回帰行』。 第2作の『ブラジル移民祭のかげで』が成立するかどうか。 その場合の第3作のサブタイトルをどうするか。
横になってからもそのことを考え続ける。
10/5(火)記 記録映像のありか
ブラジルにて ひとり取材は始めたものの、編集作業は日本で行なっていた頃。 訪日中に日本の知人が結婚式を挙げることになり、友情撮影を引き受けた。 式場にビデオ撮影もパッケージになっているのだが、ぜひオカムラサンにも、ということで。 なかなか撮りがいのあるいい式だった。 その後、人づてに夫婦仲がかなり厳しいと聞き、友情撮影をしたことも忘れかけていた。 ある時、当時の新郎が言うではないか。 今でもオカムラサンに撮ってもらったビデオを時おり深夜、家でグラス片手に見ている… 編集をしないで、撮影素材をそのままVHSにコピーしたものである。 見ている時、いやそもそも連れ合いは「まだ」一緒かを聞く勇気はなかった。
早朝より、子供の学校を撮影。 登校シーンは先日、学校側がアレンジしたヤラセを撮ったのだが、どうにもキモチが悪い。 やはり不器用にじっと待機し続けてシュートするに限る。 生徒たちもカメラに慣れ、いいシーンがいくつか撮れた感あり。
まず、親たちがびっくりして喜ぶだろう。 そして。 いずれ本人を越えて、その子孫たちが… もちろんこっちの命はないだろうが、DVDの劣化はどうなるか。
10/6(水)記 縄文-アマゾン-ファヴェーラ
ブラジルにて 縄文の聖地ぐらいにまつりあげられそうな三内丸山遺跡。 最盛期のムラの沢の水はかなり汚染されていたとの研究あり。
サンパウロ。 水曜日は映画館が割引になる。 自分の仕事もアップアップだが、仮にも映像作家。 話題作、気になる映画はチェックしておかないと。 「5×ファヴェーラ」を鑑賞。 詳しい資料をチェックしていないが、リオのスラムの住民たちが作った5編の短編映画。 人殺しがあるのは1編だけ。 あとの4編はそれなりに幸せなエンディング。 糸の切れた凧を探しに川向こうのスラムに乗り込む青年の話、クリスマスイブに停電となった山のスラムに向かう電力会社の男の話が特に面白かった。
スラムに感じる「サウダージ」。 あの、ドブくささ。 縄文時代や、アマゾンのヤノマモ族との日々とも重なる。 人が集団で密に暮らす空気感かな。
10/7(木)記 「旅の途中」
ブラジルにて 朝は冬の寒さ。 午後には夏の雨。
「橋本梧郎と水底の滝」、荒削りながら自分なりに骨格が見えてくる。 大切に伐り出してきた原木のなかの、かすかな仏の輪郭。
自分なりのドラマツルギーにそわない章分けを思いつき、そのつもりになってきた。 第二部の副題「旅の途中」というのが浮かぶ。 「旅の途中」で検索してみると、アニメの主題歌、ペンションの名前からラーメン屋の屋号まである。 副題での使用なら、特定の作品からの悪意ある姑息なパクリとはみなされずにすみそうだ。
さあ第一部完成まで、もうサプライズの横入りの作品はないだろうな?
10/8(金)記 ツールの使いよう
ブラジルにて ホームページの他に、ミクシィ、ツイッター。 包丁とカッター、ペーパーナイフみたいなもので、用途に合わせた使い様ありか。 十得ナイフみたいなのも持ち運びには便利だが、うっかりバッグに入れたままにして空港で任意放棄を何度もやってしまった。
ミクシィのコミュニテイ「岡村講」では近年、書き込みも枯れてきた。 ダメモトで再来週からのアマゾン・トメアスーでの上映についてアップしてみると、在茨城のかつてアマゾン在住の人、そして地元アマゾンで今回の上映に協力してくれている人からの書き込みをいただき、人の輪が広がった感じ。
ツイッターではもっぱら他人様のつぶやきに聞き耳を立てている。 こちらが黙ってるばかりではズルな感じなので、時おり書き込んでいる。 佐藤真監督特集「まひるのほし」のスカイプでのトーク出演について書いてみた。 そもそもこの作品に関して佐藤門弟だという主催者にほとんど情報がない。 するとなんと、この映画に関わったという人から応答が。 おかげさまでだいぶ風通しがよくなり、こちらの予想と感想がそうズレてなさそうなことがわかった。
ホームページ日記の方は、ご覧のように遅れても全日、書きますので。 これはこちらに応答がなくても、予想外の影響があると最近も伝えられた。 新たに心しないと。
10/9(土)記 だっこう
ブラジルにて あんまし自分のガラじゃない、重い内容の原稿。 いいかげんなことも書けない。 まだ締め切りまで少し日にちがあるので伸ばし伸ばしにしていた。 冒頭だけ書いて、後が進まない。 覚悟して臨む。
とりあえずいったん書き上げ。 いやはや。 そうか、まだ月曜未明の生トークがあるぞ。
もうひとつの宿題は明日でも手がけるか。
10/10(日)記 ああ眠れない
ブラジルにて 埼玉川口で始まった佐藤真監督作品特集上映。 11日の「まひるのほし」上映後にゲスト出演することになった。 といってもスカイプでの生トーク。 拙宅ではカメラなど用いていないので、声のみの出演。 日本時間14時40分にはパソコンの前でスカイプを開いて待機されたし、とのこと。
日本との時差は12時間。 こっちは深夜の2時20分。
こちらの「主夫」生活は朝が早いので、夜も早い。 寝過ごしちゃうのもシャレにならないから目覚まし時計を仕掛けるが、そもそも眠れない。 アルコールでも引っ掛けたいが、酒臭いのがスカイプでばれてもあずましくないだろう。 自作、自分のことならともかく、他人様、しかも相手は故人、さらに特にこちらがオセる作品でもないのでむずかしい。 そもそも観客の顔も見れないし、まさしく空気が読めない。
ああ眠れない。
10/11(月)記 怪獣のいる空港
ブラジルにて リアクションはまるでわからないが(スカイプの切れ際に拍手音がわずかに聞こえたが)丑三つ時の生トークを終了。 覚醒してしまって眠れない。 かといってアルコールを飲む気にもなれず。 DVDで山中貞雄「人情紙風船」を観ることに。 学生時代にスクリーンで観て以来だ。 フィルムセンターだったか、銀座並木座だったか。 清野又十郎のキャラに、あらためて慄然とする。
家事やら資料チェックやら買い物やらの日中。
夕方より当方特撮映画DVDシリーズ「大怪獣バラン」を観ることに。 先の訪日で担いできて、さっそく息子と観たのだが、時差ボケと疲労でほとんど寝てしまっていた。 これは幼少の頃にTV放送で見て、学生時代にテアトル池袋だったか文芸座だったか、たしかオールナイトの怪獣特集上映で観てガッカリした覚えがある。 「日本のチベット」岩手・北上川流域の土俗という設定に魅かれ、岩手の縄文土偶にからめて考察しようかと。 しかしあまりに強引・粗雑な脚本。 意欲喪失。
空港と怪獣について考える。 不肖岡村とマイケル(ジャクソン)の生年1958年に公開されたバランは、延々と羽田空港で自衛隊と戦いを繰り広げる。 「サンダ対ガイラ」(1966年)ではガイラが羽田空港沖から上陸、空港を破壊する。 「大巨獣ガッパ」(1967年)でもメオトの巨獣が羽田空港を恐怖に陥れる。 して、成田空港は? 成田は怪獣ブームも下火の1978年に開港。 しかしその後、1984年の新ゴジラの登場以来、東宝だけでも10余本の怪獣映画が製作されている。 ひととおり見たはずだが、成田空港が登場した覚えがない。
我らが怪獣にも成田空港は魅力がないのか。 きっと怪獣にも成田は遠いのだろう。 いまや羽田なら怪獣は見れなくても、同じくバランの年に生まれた千住博画伯の巨大作品が見れるぞ。
10/12(火)記 キッチンナチュラリスト
ブラジルにて ブラジル学を提唱されていた故・中隅哲郎さんは自らも台所に立ち、「台所は化学実験室だ」とおっしゃっていたとか。
今日のブラジルはアパレシーダの祝日。
昼食は豚肉のパイナップル炒めとする。 日曜の路上市で買ったパイナップル、炒めるのが惜しいほど甘い。 味付けは薄口醤油とコショウのみ。 香草類はまるで使わずに豚肉の臭みも消え、絶妙なお味に。 ああ、ブタとパイナップルのコンビネーションの妙味。
朝食で早くもなくなってしまった自家製トマトピューレ。 トマトとマンジェリコン:バジルの組み合わせも絶妙そのもの。
食文化の妙味に思いを馳せるも楽し。
10/13(水)記 ストックホルムからの脱出
ブラジルにて ストックホルム症候群。 人質となった人たちが、犯人と長時間を過ごすうちに犯人に同情・共感を覚えること、といったところか。 ググらないで書いてみたけど。
さて、映画に関しても同様のことが。 最初に見てつまらない、不愉快と思った作品を、いろいろな事情で細かく再見しなければならないことがあり… なんだかその映画のことが脳裏から離れない。
この件でお世話になった知人より、いいものに触れて断固、絶つべし!とアドバイスいただく。
今日は水曜日で映画館の入場料が安い日でもある。 先週末に封切られた話題の国産映画「TROPA DE ELITE(エリート部隊) 2」をシネコンで観る。 現在、ブラジル国内の3館に1館以上はこの映画がかかっているというマンモス上映だ。
監督は日本でも公開されたドキュメンタリー映画「バス174」のジョゼ・パジーリャ。 リオのバスジャック事件を検証したこの映画は、まさしくストックホルム症候群が登場。 前作「エリート部隊1」はベルリン金熊賞を受賞、パジーリャは国際舞台に踊り出た。
さて、新作。 リオの警察とファベーラ(スラム街)の犯罪組織の癒着の根源を政治の中枢まで追求していく。 これはすごい、これはいい。 感動。 ブラジルにはあまたの深刻な問題が林立している。 しかしその対策と解決の萌芽もブラジルにあることを感じる。
ストックホルムから脱出できそうだ。
10/14(木)記 和風ブラジリアン
ブラジルにて 先週末、家庭でブラジルのナショナル・プレート、フェイジョアーダを作った。 残りを昼、子供といただく。 うまい。 手間をかけただけのことはある。 ますますいんちきなメシにカネを出して食いたくなくなる。
和風フレンチ、和風イタリアンというのは聞くが、和風ブラジリアン料理ってのはあったっけ? ブラジリアン柔術ならあるけど。 そもそも「和国」ではブラジル料理の知名度なんざ、伊仏あたりに比べたらケタ違いに低いか。
10/15(金)記 ブラジルのクロサワ
ブラジルにて 来週から始まるサンパウロ国際映画祭に、日本から野上照代さんがいらっしゃる。 黒澤明監督の右腕として、スクリプターからプロデューサーまで務められた。 山田洋次監督の「母べえ」の原作者でもある。
サンパウロで黒澤監督の絵コンテ展、そして野上さんの著書のポルトガル語出版記念などが催される。 しかし不肖岡村はアマゾンでの上映があるため、まさしく野上さんと入れ違いになってしまう。 今月9日付の当地を代表する日刊紙「FOLHA DE S.PAULO」にカラーで2ページにわたって野上さんとKUROSAWAについての特集記事が掲載された。 このなかでフォーリャ紙記者の質問への野上さんの日本語の手書きの回答が写真で紹介されている。 「現代でもクロサワ映画特集では、1万人以上(400人ぐらいの館で)の客を集めている。ただし、若い人は少い。」
先週、息子の学校で卒業記念のビデオの撮影をしている時。 女性の校長が、教育関係者らしい視察の男性に僕を紹介した。 「さながらスティーブン・スピルバーグですね?」 「アキラ・クロサワと言っていただきたい」。 しまりのない笑いで幕となったが、どうやら相手はクロサワをよく認識していないようだった。
7月にサンパウロで出会ったアルゼンチン人のジャーナリストと日本映画の話になり、ちょうど持参していた「『七人の侍』と現代」(岩波新書)を見せると、「今は別のクロサワ監督が有名になっているね」とそっちの方に持っていかれてしまった。
1990年代に通っていた撮影現場(「ブラジルの土に生きて」)ではブラジル人のインテリ層の出入りもあり、いつの間にか僕は「クロサワ」という、もったいない名前で呼ばれていたものだ。 「オカムラ」を覚えるのがめんどくさかっただけだろうけど。
時代は変わった。 だからこそクロサワを語り続けないと。 ヘタなドキュメンタリーを見るより、黒澤映画の方が桁違いに勉強になるというもの。
10/16(土)記 イタ松くん
ブラジルにて さる日曜の路上市でマンジェリコン:バジルの鉢植えを買った。 倍ぐらいの鉢に植え替えるように、とのことでそれも行なった。
それにしても2ヶ月以上、床屋に行っていない頭のように密生している。 さっそくトマトピューレやトマトサラダに散らしているが、なにせキツい味でこれも度を越せない。
生バジルの大量使用のレシピを調べてみた。 バジルペースト、ジェノベーゼというのを知る。 どのレシピを見ても「松の実」を合わせるように、とある。
いくつかの食糧品店をまわり、中国人の店ものぞいてみるが、ない。 今日、やや高級なスーパーを見てみた。 お、あった! イタリアからの輸入モノで、わずか20グラムで約900YEN。 バジルの鉢の3倍以上の値段。 次回の訪日で探すか。
ブラジルでは南部でピニョンというパラナ松(アラウカリア)の大きな実を時期になると大量に消費するが、あれは代用がきくだろうか。
しばらく、まつのみ。
10/17(日)記 よむ
ブラジルにて 昨夜は子供のクラスメートの誕生パーティあり。 ケーキを切るのは深夜12時だという。 車での迎えがイヤハヤ。
今日からサマータイムで1時間早まるので、けっきょく入刀は深夜1時だ。 深夜は強盗対策で信号待ちを避けるなど、昼とは違った運転をしなければならない。 そもそも週末の夜の町は、アルコールや薬物でおかしいのが多いので、イヤハヤである。 無事帰宅してヤレヤレと時計を見ると、もう3時を過ぎているではないか。
でれでれと起きる。 いくつか、読んでおくべき本が。
知人がツイッターで学生に本を読むよう口をすっぱくして書き込んでいる。 ここで考える。 仮にも学生なら、ウソでも本を手にする機会は少なくないだろう。
問題は、学校から離れた僕のような輩だ。 酒席でのウンチク話など、見事なほど記憶に残らない。 液晶モニター上でたどる情報も、電源オフと共にほとんど消えてしまう。 やっぱし、本を読まないと。 老眼傾向で小さい字、暗いところでの読書がしんどくなってきた。 ここでどうするかで差が出そうだ。
ま、もちろん本によるけどね。 ナイショにしたいほど面白い本を読む。
10/18(月)記 ブロック解除
ブラジルにて ブラジルの生活事情を説明する時。 かつては「ブラジルは小切手社会でして」などとよく言ったもの。 個人でも少し値の張る買い物は、口座のある銀行から発行される小切手帳を使う、というのがふつうだった。
いまやカード社会。 小さな商店から、路上市の出店までがカード使用可能になってきた。 それでも個人相手の支払いなどで小切手も生きている。
久しぶりに小切手を切ることになった。 新しい小切手帳を使用する時はブロック解除を銀行に申請する必要があったかと。 かつては小切手帳にその旨、記してあったが今は見当たらず。 不渡りで相手に迷惑をかけてはいけない。 銀行への電話問い合わせが大仕事。 機械にさんざんもてあそばれ、たらいまわしにされて、電話問い合わせ用の暗証番号から取得しなければならず。 PCからのアクセスも不能になっているではないか。 ブロック解除に半日… 今日は月曜、銀行の長蛇アナコンダの列に並んで見るのと、どっちが早かったか。
ツイッターあたりでノー天気なブラジル礼賛を書き連ねている御仁にお裾分けしたい。
10/19(火)記 梧郎語録
ブラジルにて 「ごろうごろく」にしようかと思った。 でも「今日の橋本梧郎」にしておいた。 橋本梧郎先生の晩年の映像いじり作業の合い間に、これはという発言をツイッターにアップしようかと。 今日は「わしがやらんと、誰も知らん」。 2007年9月、研究室にて。
橋本先生の名前を利用して、さらに資料類をくすねて私腹を肥やす輩。 労力も金銭も使わずに、おいしいとこどりを図る輩。 橋本先生と縁がなければ知ることもなかったグロテスクな人間は少なくない。
これからの編集作業で、落としてしまうかもしれない橋本先生の発言が惜しい気持ちから。 まさしく、オレがやらんと、誰もやらん。 明日からアマゾン行きのため、しばらく途絶えるかもしれないけど。
10/20(水)記 クロサワ・ヴィムヴェン
ブラジルにて アマゾン行きの荷物を持ってパウリスタ地区の高級ホテルへ。 日本でのテレビ屋時代の同僚が、黒澤明監督の右腕・野上照代さんのお供でブラジルにやってきた。 野上さん、旧同僚と共にホテルのラウンジで歓談。 黒澤監督との修羅場をくぐってこられた方だけあって、全身から迫力が漂ってくる。 それでいて「母べえ」を書かれたような繊細な気配りを岡村ごときにも示してくださる。 気になっていたことも、直接おうかがいすることができた。 と、ラウンジにスチールカメラを持ったヴィム・ヴェンダースがやって来るではないか。
映画の都と化すサンパウロを後に、アマゾンの玄関口ベレンに向かう。
10/21(木)記 アマゾンには魚がない
ブラジルにて 5年ぶりにトメアスー移住地へ。 昼は日系人経営のレストラン。 鉄板焼きがウリとのこと。 メニューにある魚料理はない、という。 アマゾンで魚がない!
頼んだミックス鉄板焼きにはイカや小エビも混ざっている。 近年は海岸部に釣用の船を持って、海釣りを楽しむトメアスーの日系人もいて、そっち方面からも海産物が入るという。
注文取りのねーちゃんに魚のない理由を聞いても「ないから」とラチがあかない。 付き添ってくれた人によると、グループ客の予約が入っているようで、そっちにまわされているのでは、とのこと。
ギョっとした。
10/22(金)記 アマゾン上映事情
ブラジルにて 午後からトメアスー移住地での上映初日の部。 トメアスー文化協会の階上のホールで。 外光はしっかり切れるし、広さも申し分ない。
欲を言えば、音響設備がちょっと残念。 会場内の冷房の轟音。 小さいスピーカーを配置しているため、場所によって音のばらつきが大きい。 外を通る木材満載の大型トラックの走行音。 あれ、このシーンに女性の日本語なんて聞こえたかな、と驚く。 と、最前列のおばちゃんが携帯電話でお話をしていた。 まあこれも愛嬌の範疇かと。
トメアスーの日系人はどっぷりNHKの国際放送を見ている。 そのため日本でも時折、言われるような「長い」「冗長」「ヘタ」みたいな声が上がるかと覚悟していたが、意外なほどなかった。
主催者側が、今回の上映に至る複雑怪奇な事情を簡潔に話してくださり、それは見事だった。 後に昨晩、悶々と書かれたという、けっきょくボツにされた複数のスピーチ原稿を垣間見させていただき、恐縮。 ベレンの旅行社アマゾントラベルサービスの北島さん始め、いろいろな人たちの熱意と意地の結晶で、この上映が実現した。
10/23(土)記 アマゾン・ライブ
ブラジルにて 午前中は篤農家の農場見学。 昼から第2トメアスーの上映会場のお隣の農場の、原生林を流れる小川のほとりでご馳走になる。 真昼の原生林の静かなこと。 少し森を歩かせていただくが、日本人たちの歓声のみが響く。 迷った時は、この音が頼りだ。
今日は夕方からの上映。 明かりの入る場所なので、日没と共に上映開始としたという。 どんな場所かと聞くと、ふだんはマージャンをやるスペースとのこと。
これは実際に行ってみて驚いた。 母屋に隣接して作った、柱と屋根のあるいわば巨大なベランダ。 シュラスコ(焼肉)焼き場もある。 そこに椅子を並べ、スクリーンとプロジェクター、大きなスピーカーを設置してもらってある。 まさにアマゾンに開かれたスペース。
予告を兼ねて上映開始。 ご夫人たちが用意してくれたカレー始め手作り料理、どれもよろしい。 トメアスーの日系人の料理の腕は、かなりのものだ。
18時ちょうどぐらいに日没。 映写効果はどんどん高まってくる。 上映作品は岡村にお任せさせていただき「ブラジルの土に生きて」とした。 作品の舞台のミナスジェライス奥地の環境音と、アマゾンの虫たちのライブ音との絶妙なセッション。 作品が佳境に入ると、スクリーンの背後の熱帯林から満月が昇る! 画面に引き込まれるように、蛾が一匹、控えめにスクリーンに張り付く。 壁を這うのは、ヤモリかトカゲか。 蚊の類は、気になるほどのこともない。 作品そのものの音響効果は、昨日より桁違いによろしい。 こういう上映をやってみたかった。
途中の休息を入れると3時間近い長丁場。 終映後、夜も更けてこの辺でお開きに、と申し上げると昨日の評判を聞いた人たちから、ぜひ「ギアナ高地」も、といううれしいリクエストが。 アマゾンの日本人耕地で見るギアナ高地。 いい空気だ。
終了後、ドキュメンタリー屋冥利に尽きる感想をいくつもいただく。 思えば、第2トメアスーには何度も取材でお邪魔させていただいてきたが、拙作上映はこれが初めて。 第2のセニョーラ(ご婦人)たちにぜひ「ブラジルの土に生きて」の石井敏子さんのお姿を伝えたかった。 僕の想定以上のメッセージが、確実に伝わったのがわかる。 この上映に尽力してくださった皆さんの喜びもわかる。
久しぶりにうまいウイスキーをいただいた。
10/24(日)記 アマゾン食い倒れ
ブラジルにて トメアスーから州都ベレンへ。 昼は超穴場の高級レストランで魚の土鍋料理をいただく。 味付けは絶妙。 油メシとピロン(魚汁のファリーニャ固め)が味噌汁のお椀で出てくるのがエキゾチック。 満席の客にもボーイにもアフロ系、インディオ系、日系は見当たらず、客層だけ見ていたら、ブラジル南部かと思うぐらい。
トメアスーのホテルでは無線LANが使えるということだったが、落雷などのトラブルもあり、けっきょく僕のPCはつながらず。 緊急の連絡があったら、と気をもんでいたが、ベレンのホテルでPCをつなぐと、特に急ぎの事態はなく、ホッとする。
アマゾン河口のサンセットクルーズで、お子様には見せられない地元のダンスを拝ませていただく。 夜は河畔で地元の食材を新感覚で料理した諸々をいただく。
ベレンの波止場の生ビールは絶妙にうまいぞ。
10/25(月)記 「生きる」を見きる
ブラジルにて 暁のグアルーリョス空港に到着。 シャトルバスとタクシーを乗り継いで帰宅。
今日は、先方からの連絡待ち。 疲れはたまっているが、アマゾン熱がさめない。
いただいたばかりの「黒澤明MEMORIAL10」(小学館)第7巻の「生きる」のDVDを観ることに。 いやはや何年ぶりだろう。 脚本構成のすごさ、カメラのすごさに新たに眼を見張る。 いままで見過ごしていた絶妙なカットも発見。
最初に「生きる」を観たのは、再公開された高校生の時。 たいへんな衝撃だった。 高校時代、教師にはおよそ恵まれなかったが、生涯の指針となる映画とめぐり合えたのは僥倖だった。
10/26(火)記 国際映画祭のすみで
ブラジルにて 旅から戻ったばかり、本業も家事も立て込んでいるが、映画祭期間中はそわそわしてしまう。 サンパウロ国際映画祭、400本以上の映画が上映されるのだが、総合カタログを入手しないと詳細がつかみづらい。
夕食を準備した後、カタログ買いがてら、1本みようと出かける。 イギリスのドキュメンタリーで、ストリートアーチストを追っかけたというのが観たい。 上映10分前に到着するが、すでに満員札止め。 20を越える会場で同時開催されていて、火曜の夜でこんな塩梅。 とりあえず分厚いカタログを買う。 地下鉄代もバカにならないので、このままは帰れない。 徒歩圏にある映画館で、通常上映の国産ドキュメンタリー映画を観ておく。
カタログの裏表紙に驚嘆。 これは、ひょっとして。 黒澤教徒にはわかる。 「夢」で映画化されなかった一編の監督自身によるイメージ画とみた。 摩天楼の谷間を落ちる男、捕まえた天使。 ビンゴ! まことにニクいセンス。
10/27(水)記 独占上映
ブラジルにて 昨晩は満員札止めで見逃したサンパウロ国際映画祭。 分厚いカタログをチェックした。
今朝、午前中から上映されるチリの女性アーチストのドキュメンタリーを観てみようと発念。 場所はサンパウロビエンナーレ会場というのもそそられる。
先回、この会場を訪ねた時と同じ行き先のバスに乗ったのだが、今日のはルートが違った。 上映に10分ほど遅れてしまったのだが、映写担当のねーちゃんが「字幕が英語になっちゃった」とメニュー画面からやり直し、こちらにはラッキー。 けっきょく英語字幕で。
フィールドでのアートというのは、まさしくアートの初源であろうし、刺激的だった。 して、観客は僕ひとり。 途中、カップルが入ってきたが、数分で出てしまった。 なんとも贅沢な。 もし監督がチリから来ていたら、しんどかったろうな。 超インディーズのオカムラも、さすがに観客ゼロの上映は未体験。
10/28(木)記 ナゾの郵便事情
ブラジルにて 先月、日本に書留便で送ったDVDが戻ってきた。 理由が記されていない。 住所の書き間違えかと思って先方にメールで確認してみるが、間違いはないという。 先方の職場の方にもう一度、送り直し。
合わせて、アマゾンでお世話になった人に、資料類をコピーして送る。 自宅のプリンターでコピーしてみるが、かえってエラーが多く、たっぷり時間と手間がかかる。 これからは枚数が多い時はコピー屋を使おう。
いやはや郵便作業で半日かかる。
10/29(金)記 刺青発掘
ブラジルにて 地方都市の大学に日本から留学に来ている友人が出聖(サンパウロに出てくること)。 サンパウロ国際映画祭に誘う。 2本ハシゴ。
2本目の「THE WAY OF THE INK」は、フランス人の男性ジャーナリストが日本の著名な刺青師に入れ墨を彫ってもらいながらインタビューをしていくという話。 実にエキゾチックで、教わること多し。 日本じゃ刺青のある人から目をそらすことが普通で、作品そのものを凝視する機会がない。 このドキュメンタリー、フランス映画となっているが、カタログで調べてみると、監督はパメラ・ヴァレンテというサンパウロ生まれの女性のブラジル人ではないか。
そういえば今年、サンパウロで日本からブラジルにタトゥーの勉強に来た日本人の青年に会った。 日伯刺青交流は深いぞ。
10/30(土)記 キャタピラー、ブラジルを行く
ブラジルにて 会う用事のあった日本人の友人を誘って、サンパウロ国際映画祭「キャタピラー」(若松孝二監督)を観に行く。 300席の映画館が、満席。 なにかとかしましいブラジル人たちが、上映中も上映後も息を呑み続けていた。 作品のなかで執拗に現れる肖像写真、そして最後に続く実写映像と字幕から若松監督の意図は明らかだろう。
日中戦争から第二次大戦敗戦までの間、わが大日本帝国は人類史上、稀有な汚点を残したと思う。 例えば映画では「軍旗はためく下に」(深作欣二監督)や「ゆきゆきて、神軍」(原一男監督)などが告発しているように、食糧不足から死んだ敵兵を、そして現地人から友軍兵士までも殺して食べる、というような。 そうまでして、誰の、何のための戦争だったのか。
この映画、欲をいえば、この設定で主人公の結末もこのようであるならば、大乱歩・江戸川乱歩「芋虫」へのクレジットを入れてもらいたかった。
10/31(日)記 狭き門
ブラジルにて 日中は家族の件で。 夜。 20時20分からシネマテーカにてサンパウロ国際映画祭の一環として黒澤の「羅生門」デジタルマスター版が上映される。 シネマテーカはちょっとややこしい場所にあるのだが、思い切って行ってみる。 けっきょく満員札止めで入場もできず。
連休の始まりの日曜の夜、しかも大統領選の開票中、そしてこのアクセスの悪い場所にこれだけ… 映画の南都サンパウロにはクロサワがしっかりと生きているのを実感。
交通費は惜しいが、行かないで後悔よりよかった。 さあもう映画はこの辺にしておくか。
|