12月の日記・総集編 ミミズのアセンション (2011/01/02)
12/1(水)記 山形撤退
日本にて 日本の親類を訪ねる。 山形駅で接続待ち。
以前、駅の近くのネットカフェを利用した。 駅構内の観光案内所で確認してみると、今はないとのこと。
このネカフェ、フリードリンクコーナーに味噌汁が充実していた。 トッピングも別に数種類、用意してあって。 さすが東北の観。 ネカフェやコンビニから見える地方色が面白い。
どこかメールのチェックのできるところは? 駅ビルにつながる建物にある国際交流センターに無料で使用できるパソコンがあるという。 これからの上映の詰めなど、基本的にメールでやっているので助かる。 日本で使用している携帯電話はあるが、メール機能はなし。
日本の地方都市よ。 外国人観光客を少しでも誘致したいとホンキで思っているなら、せめてコイン式のPCでも設置していただかないと。
12/2(木)記 小さな旅の、小さな楽しみ
日本にて 左沢線と「つばめ」を乗りついで、いったん東京に。 車中で睡眠不足を補いながら、地方新聞やお気に入りの本をひもとく喜び。
東京で、荷物が厳しいがもはや日にちがないのでブラジルの家族のための買い物を進めておく。 これも楽しみ。
昨年の、アマゾンの、関係ないというより関係もしたくないばーさんに頼まれた責め苦のような買い物は、ヌンカ・マイス(ブラジルコロニア語でノー・モアの意。ヌンカにこめられる否定の度合いはnoよりneverに近い)だけど。
12/3(金)記 ミナカテルラ
日本にて 未明、雨。 実家からJR目黒駅まで歩く。 小さな傘だったため、ずぶ濡れ。 大雨で、新幹線も徐行。 東海道本線はストップとのこと。 新大阪からの和歌山方面行きのダイヤも大幅に乱れている。 和歌山南部は強風。
なんとか南方熊楠関係の二つの施設のハシゴがかなう。 これからまとめる橋本梧郎作品へのモチベーションを高めるため。 バスタンチ(註:ブラジルコロニア語で「たくさん」の意)高まったぞ。 見といてよかった。
12/4(土)記 六甲の麓で
日本にて 尼崎の宿の朝食は、バイキング。 カレーまであり。 たっぷりいただく。
地元の知人に後を引く話をうかがう。 昼前に甲子園口へ。 ブラジル日本交流協会の関西地区の研修候補生と関係者を相手に午後から夜まで上映。 「ユーカリ」「郷愁は夢のなかで」「あもれいら②」ともりだくさん。 若者たちが、アンケートをこってり書いてくれたようだ。 読ませてもらうのが楽しみ。
12/5(日)記 広島までの寄り道
日本にて 午前様で宿に戻り。 二日酔いで尼崎→新大阪へ。 まずは新神戸で友人と再会、モーニングサービス付きコーヒー。 次いで岡山にて南米で知り合った人とランチ、ままかり他。
あっという間に広島。 主催者とは、ブラジル以来かも? よくぞ本業がたいへんななか、上映会を実現してくれた。 会場や機材を提供してくれた方々とは、それぞれ共通の知人がいて盛り上がる。 会場には続々と人が集まり、満員御礼で申しわけなく。 ありがたし。
まずは居酒屋、続いて進駐軍っぽいビリヤードもあるバーへ。 さすがに今日の酒量は控えめ。 カミカゼというカクテルを広島でいただく。
12/6(月)記 NO MORE→MOA
日本にて 広島のホテルは、平和公園に至近の場所と知る。 朝食後、歩いてみる。 諸々の想いから、感無量。
東京への帰路、熱海のMOA美術館に寄ってみることに。 駅からバスで、えらい坂を上る。 うっすらと伊豆大島が見える。
入館料1600円。 仰々しいエスカレーターが続く。 縄文土器と土偶、弥生土器、埴輪のいずれも出土地が記載されていないのが驚き。 そもそもこれといった目玉がない。 これだけ手間隙かけてやってきて、大枚払ってこの程度の展示かよ、という思い。
しかもまだ開館時間なのに、モップを持ったおじさんがこっちを追いかけるようにモップ攻めしてくる。 泥靴でも履いてきたかと、わが方の落ち度かと疑うほど。 さらに電気掃除機で轟音をたてるおじさん。
どこか基本からおかしいぞ、この美術館。
12/7(火)記 義塾上映
日本にて 田町駅から、慶応義塾三田キャンパスへ。 そこいらの大衆大学とは一線を画す空気が。
文化人類学の先生のご指名で、「死と再生」の年間テーマの枠で拙作上映とトークを行なうことに。 あえて先住民モノではなく、「ブラジルの心霊画家」でいくことにした。 今回の上映巡礼のなかでは、横浜に次いで気をもんでいた。
大教室だが、学生たちは見事に講師から距離を置き、コの字型に遠巻きに座っている。 遠すぎて、リアクションがつかめず。 学生たちの反応がほとんどわからなかったが、主催の教授をはじめ、参加された何人かの教員たちからはえらく受けてしまった。
それぞれと話していると、思わぬ共通の知人がいることがわかるなどして、まことに奇遇な思い。
12/8(水)記 霊岸上映
日本にて 「霊」を地名にいただくところは、そう多くはあるまい。 茅場町・霊岸橋先のギャラリー・マキさんで「パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌」を上映していただく。 4:3サイズの作品だが、16:9で見ている気分になる。
ブラジルに戻ったら「橋本梧郎と水底の滝 第1部・南回帰行」のまとめにかかるつもり。 先週の紀州行きと並んで、おかげさまでモチベーションを高めるのに大いに役立った。
12/9(木)記 お上智上映
日本にて 今回、訪日してからのノリで決まった上映会。 いろいろな大学でこれまで上映をしてきたが、学生そのものの企画による上映というのは意外に乏しい。 シューカツ中の女子大生が企画してくれたというのが、うれしい。 彼女の動機が「アマゾンの裸族が見たい」というのも健康的。
ヤノマモ族と、ユーカリを上映。 ユーカリにちなんで、一人でも戦える、という話を若い人たちにしておけばよかった。
近くの南米料理屋で飲み会。 予想もしない不思議な発展あり。 太っ腹な御姉様のご厚意で、ラテンアメリカ3カ国のワインを空ける。 ブラジル産はひどい安物を置いてあり、ラベルを見て却下。
12/10(金)記 予備日のつもりで
日本にて 数日後に控えた離日、翌日の実家での法事の準備のため、今日は予備日としておいた。 ところがいくつか予定が入り、時間設定も間違えてしまって…
残務が増えて、疲労がたまる。 おお、来週の今日はサンパウロで撮影だぞ。
12/11(土)記 法事と胎内記憶とブラ飯
日本にて 実家での法事。 故人がひいきにしていたイタ飯屋のあと、ブラジル料理をふるまうことに。 フェイジョアーダに、ピカーニャのシュラスコでどうだ。
昨晩から豆と自家製塩漬け肉を水に浸けておいた。 今朝は煮たり、刻んだり、肉を切ってブラジルの荒塩をまぶしたり。
法要は、「明瑞発掘」シリーズの竹林師にお願いする。 法話のなかで「胎内記憶」等で知られる池川明医師の著書を取り出し、これには驚いた。 僕の日本の知人が深く関わっている本だ。 竹林師によると、池川医師が調査した子供たちの胎内記憶と、仏典の記述に一致することが多いという。 こういう話をうかがうと、法事も、さらに生きていること、死を迎えることもワクワクしてくる。
ちなみにフェイジョアーダもピカーニャも、大好評。 日本酒には、あんまし合わないけれども。 バチーダ・デ・リモンも作ったが、ライムの日本価格が高すぎるのでブラジル製のリモンの粉ジュースを使ったため、甘すぎと強すぎで敬遠されてしまった。
12/12(日)記 銀座の森
日本にて 離日前日。 病院に行く前に、銀座に寄る。
「下手に描きたい」の森一浩画伯の個展が銀座の画廊NICHE GALLERYで開催中。 さてどの辺だろう、と現場近くで地図と住所を再チェックしようとした時に、向こうから来たマスク姿の森画伯に遭遇。 拙作ドキュメンタリーに登場するのとはまた異なる森一浩作品を、たっぷり鑑賞できる。 「TAGGAN」というのが特に面白かった。 直接、作者から作品にまつわるエピソードをうかがえるのがよろしい。 まるで岡村ライブ上映だ。
ちなみに12月19日まで。 中央区銀座3-3-12 銀座ビルディング3F。 電話03-5250-1006 連日11:00-18:30オープン。
12/13(月)記 悪人と海洋
日本→アメリカ合衆国→ 午前6時過ぎ。 割増料金の終わったタクシー待ち。 タクシーの運転手さんと、これからは羽田、という話で。 恵比寿からリムジンで成田へ。
廃墟化していくこの空港を、幻視。 JALのラウンジ、朝のせいか、いつもあるカレーがない。 昨今は朝カレーブームとかで、ビジネスホテルやカプセルホテル・サウナの朝食にもカレーがポピュラーになっているのに。 時流に逆行する日本航空らしい。
成田―ニューヨークのJAL便は、廃止されたサンパウロ直行便より機材が新しいのがありがたい。 エコノミーでも、数多い映画プログラムを好きな時に始めから見ることができるようになった。 ニューヨーク着までに5本、まさしく見まくる。 大きな収穫は、李相日監督「悪人」。 現在の日本航空の縮小続きの国際線運行路線図さながらに、日本人の心の荒廃と低下を象徴したような、重い黄昏感。
中国映画「海洋天堂」、これは拾いもの。 もはや残り時間で間に合う長さの、これといってみたいプログラムがなくなり、作品解説を見やって発見。 自閉症の息子と、余命いくばくもない父親のドラマという。 機内でしかたなく見る、昨今の日本映画の難病・死病もののようなステレオタイプのクサさはなく、自閉症の表現もがんばっている。 行きも帰りも自閉症の映画に機中で当たるとは。
12/14(火)記 AMERICAN'S CHANGE
→ブラジル ニューヨークでは、約12時間のトランジット待ちだ。 アメリカン航空のラウンジ、スペースは広い。 しかし日本航空やイベリア航空に比べると、無料サービスが存在しないといってもいいレベル。 つまらなそうなほんの軽食ひとつで、10ドル近く取るのだ。 JALのコードシェアでの乗客には、無線LAN提供もなし。 ソファに深く座り、桐野夏生「OUT」を読み進めつつ、何度もうつらうつら。
日付はまだ13日のうちに搭乗。 おっと、行きの時の「女看守」が乗機口に待ち受けているではないか! しかし、何か表情が柔らかくなった感じ。 して、今回は毛布と枕の入ったビニール袋の中に、イヤーホンもあるではないか! まさかアメリカン航空が拙HPをチェックして改善したなんてことは、ありえないだろうけど。 「女看守」には食事の時、飲み物のお変わりまでサービスしていただき、恐縮。 ベルイマンの映画にでも出てきそうな、ノーブルな顔立ち。 お若い頃は、さぞかし。 機内で、今回も「TEMPLE GRANDIN」を上映している。 なぜか映画のボリューム設定が異常に低く、飛行機の轟音にかき消されがちだが、トーキー版で見ることができた。 日本航空に比べての数少ないアメリカン航空のメリットは、着席と同時にエンターティンメントサービスを見ることができること。 日本航空だと、離陸後30分ぐらいしないと始まらないのだ。
アウチスト(自閉症の人)のテンプルを演じたこの映画の主演女優クレア・ディンズ、誰だったか身近な人に似ている。 思い出した、サンパウロの「アウチスト友の会」でしょっちゅう出会う少年だ。 これは驚き。
雨のサンパウロに到着。 真夏とは思えない涼気。
12/15(水)記 ミックス疲労
ブラジルにて 時差ボケで、深夜に覚醒してしまう。 息子の中学の記念DVDの作業があるので、さっそく編集機を組んで着手。
今日一日ぐらいゆっくりしたかったが、主夫業で外出・炊事。 日本での諸々の疲労、帰路の疲労等々まざりあい、かえって妙にハイになっちゃったり。
さっそくハラのたつことも少なくないが、なんてったってブラジルである。 ハラ立ちも省エネモードにしておかないと、持たない。
12/16(木)記 「海洋天堂」補記
ブラジルにて JALの機中で最後に観た映画「海洋天堂」が気になって、ググってみて驚いた。 日本未公開ではないか。 機中上映映画で日本先行上映だったり未公開の場合、その由、プログラムの小冊子に記載されるものなどだが、それもなかった。 そもそもプログラムのずっと最後の方にひっそりと収まっていた作品だった。 主演のジャック・リーは有名なアクション俳優だったとは。 彼は死病を抱えた、アウチスト(自閉症といわれる人)の青年の父親を演じている。 それが、しょうがい者の若者を記録した拙作の、主人公の父親を姿格好までほうふつさせて、よけい胸に迫った。。 監督はアウチストの施設で約10年間、ボランティア活動をしていたとのこと。 アウチストの行動のディテールの描写などもなかなかのものだった。
飛行機上映用に日本語字幕版のものがあり、まだ日本で劇場公開されていないとは。 この辺の流通のしくみがよくわからない。 ちなみに、この映画の日本公開を呼びかけるサイトあり。 http://oceanheaven.amaterasuan.com/ 中国語では「アウチズム(自閉症)」が「孤独症」と訳されていることも知る。 auto+ismの訳語だが、「自閉」同様、「孤独」もしっくりこない感じ。 こういうのは意訳の訳語がひとり歩き、ひいては暴走してしまう。 日本でも「自閉症」と「引きこもり」の区別もつかない「知識人」あり。
12/17(金)記 卒業ビデオとレッカーと
ブラジルにて いよいよ今晩、息子の卒業式。 不肖の父が公式ビデオ撮影を担当。 イベント業のプロだという、生徒の母親が会場設定をはじめ諸々を仕切る。 ある程度の時間配分を伝えてくれなければ、撮りようがないと言っておいたのだが、進行表が確認できたのは、今朝。 分刻みの細かい設定がしてあるではないか。
して、時間通りには始まらず。 とにかく失敗はできない。 写真班は事前に2カメでばしばし撮りまくっている。 孤独なビデオ撮影者は、本番開始まで極力むだなショットの撮影は控える。 硫黄島・沖縄本島守備隊のように、敵上陸をじっと待つ。
ま、なんとか1時間以内に編集できそうだ。
会場は激しいディスコと化し、我が家が早々に引き揚げた時間ですでに日付が変わっている。 べらぼうな駐車料金を取られ、こっちによこした車を引き取って発進、大通りに入ってまもなくエンコ。 深夜にかかわらず、ガンガンに車はやってくる。 とにかく手押しで端に寄せるしかないか。 してまもなく、後方から赤のライトの車が! 交通局の作業車だ!! レッカー車待ち、帰宅まで新たなドラマが。 レッカー車は初体験でした。 無事がなにより。
レッカー車のおじさんに事故の経緯を話す。 「車を人手に渡すとねえ…」 レストランの車番に車を預けて盗まれたこともあったっけ。
12/18(土)記 初稲荷
ブラジルにて 外メシか、うちメシか。 家族のリクエストをこさえることに。 稲荷寿司を初めて作ってみることになった。
寿司飯は炊けるし、油揚げの煮付けもできる。 稲荷寿司はなんだかめんどくさそうな先入観があったせいか、みずから「いなって」みたことがなかった。 ブラジル産の油揚げは、ちょうど稲荷寿司1個体分ぐらいの小型。
簡単とはいかないが、やっているうちに少しずつコツがわかってきた。 ソコソコ好評だが、次回はもっとグレードを上げられそう。
ブラジルでは、仮にも日系人が作っているはずだが油揚げもシャリもカラカラ・バサバサの稲荷寿司に出くわすことも。 いくらキツネのいない大陸だからといって、あれはないだろ、と自分で作ってみてよけいわかる。
12/19(日)記 太陽の大地にて
ブラジルにて 今回、ブラジル入国時に免税店でDVDのポータブルデッキを買った。 ブラジルでの上映の際の「出し」に使うため。 パソコン出しは何かと事故が多い。
念のため、日本製のDVDライターで焼いた皿を店頭で再生してみたのだが、オッケー! 以前に免税店で買ったDVDデッキ同様、リージョンフリー設定かと思いきや… 日本用DVD、ヨーロッパで買ったDVDは読み込まないではないか。 いやはや複雑怪奇。
せっかくなので、フンパツして初めて衝撃を受けたブラジル映画、GLAUBER ROCHA監督の「deus e o diabo na terra do sol」のソフトを購入。 本日、実に久しぶりに鑑賞。 荒削りだが、力で押し切る気迫にあふれている。
直訳すると「太陽の大地の神と悪魔」だが、日本語題名は「黒い神と白い悪魔」、これは絶妙。 7月のジャック&ベティでの、おかむらまつりの併映作品にリクエストしたのだが、上映権切れで実現ならなかった。 松井太郎著「うつろ舟」とあわせて鑑賞すると、このパワーコンチネンタルのすごさをよく味わえるかも。
12/20(月)記 ワルツの時間
ブラジルにて 息子の卒業式のビデオを編集。 生徒たちが親、そして代父母らとワルツを踊るシーン。 「美しき青きドナウ」の旋律にいたく感動してしまう。
日本でフツーに育った分際では、おワルツなどはまるで縁がなかった。 この曲を耳にしてすぐに浮かんでくるのはキューブリックの「2001年宇宙の旅」だ。 改めてこのワルツ曲があのシーンに絶妙にあうことを痛感。 ワルツ文化に育った人たちは、さらなる驚愕を覚えたことだろう。
それにしてもリヒャルト・シュトラウス、ヨハン・シュトラウス、ハチャトリアンとキューブリックの選曲センスは天才の域だ。 先日、見直すと登場人物が猿人と白人ばかりなのが気になったが、音楽も白人によるものであるのがこの作品の特色だろう。
して、なぜにこれほど青きドナウに感動してしまったのか。 卒業式で生徒たちが選ぶ曲は、水の結晶もただれるようなファンキーなものばかり。 他がそんなBGMのシーンばかりなので、僕の身心が無意識のうちに反応したのだろう。 バッハにでも浸って身心をリフレッシュしないと。
12/21(火)記 ミミズのアセンション
ブラジルにて プラナリアの類だろうと思った。 よく観察すると、ミミズではないか。
この数日、自動車のトラブルの件で振り回されていた。 以前からのメカニックが他にも顧客を待たせたまま、消息を絶つ。 知人に紹介してもらった別のメカニックの作業所の前で、豪雨のなか1時間半近くレッカー車の到着を待つ。 道路の反対側にある街路樹でもながめようかと思う。 もしや、粘菌でも。
して、濡れた幹を匍匐上昇する長さ3センチほどのミミズを発見。 「ミミズの木登り」は日本では不可能なことの例えかと。 で、いったいミミズは何を求めて?
新熱帯区の熱帯・亜熱帯では樹上に土壌が築かれ、樹上で一生を送るカエルやミミズがいるという。 世界最大のトンボ・メシストガスター取材時に、樹上の宇宙について調べたことを思い出した。 樹上にミミズがいるからには、トリなどによる移送は考えにくいから、いつかは地上から木登りをするパイオニアがいることになろう。 その瞬間に立ち会ったか! これは、笠戸丸移民どころじゃないぞ。
なんでこんなにトラブルが重なるのかといぶかっていた。 これを見させてもらうため、と思えば感無量。 「ナメクジの空中サーカス」から「ミミズの木登り」にとアセンションだ。
12/22(水)記 きらめく夜のかげで
ブラジルにて 今夕はサンパウロの鹿児島県人会館にて、日本人の旅人が主催の上映会。 少人数だったが、参加者のノリがよろしかった。 旅人自ら握ったという塩結びが泣かせる。
場所は墓場の下で、金縛りにあったとか、妙齢の白人娘のオバケに出会ったとかの話を聞いている。 オバケより、ドロボウが怖いサンパウロ。 墓地の通夜場の向かいのハンバーガー屋に主催者らと繰り出して、缶ビールを飲む。 おっと、もう地下鉄が間に合わない。 バスを乗り継いで帰ることに。
深夜0時を回っているのに、パウリスタ大通りは大渋滞。 事故か? どうやらあちこちに輝くクリスマスのイルミネーションを見に来る車でごった返しているようだ。 潜在植生を伝える森の公園の樹木にも激しい電飾が。 1000万人以上の国民が飢餓状態だという国とは思えない。
バスの接続は極めて悪く、我が家にたどり着いたのは午前1時半。
12/23(木)記 お届けブギ
ブラジルにて 今回はやたらに日本でブラジルへの届け物を頼まれてしまった。 離日前日、日本の実家宛て問答無用で大包みが届いたり。 「相手に取りに越させればいい」などと頼む方はオキラクだが、お年寄り、ご病気の方を相手にそうもいかない。
こちらに戻ってから何かと取り込んでいたが、クリスマス前には済まそうと昨日から動く。 先方の電話が不通だったりして、なかなかスムースにはいかない。
うだる空気のなかをお届け作戦。 サンパウロは坂の多い街だと今さらながら思う。
12/24(金)記 ナタール人
ブラジルにて 冷夏といった日々のサンパウロ。 クリスマスを直前に、急に夏らしくなってきた。 こうこなくちゃ、と思いつつもさっそくバテる。
なんといってもナタール(クリスマス)はブラジル最大のお祝いかつ節目。 あれもこれも片づけようと思いつつ、けっきょくはなかなか。
日付変更を前に激しい打ち上げ花火攻勢。 今年は、いやに近い感じ。 ワールドカップの買い置きか? 開け放した窓から飛び込んでこないかとビビる。
12/25(土)記 アーメンソーメン
ブラジルにて 妻の実家で、クリスマスの昼食会。 バカリャウ(輸入物の干し鱈)料理。
夜は軽いものを、と子供のリクエスト。 いただき物の日本製素麺を氷水に泳がせる。
そういえば、アーメンソーメン冷やソーメン、というクリスチャンへの揶揄言葉があったな。 けっこう起源は古そうに思う。 明治時代か。 あるいは南蛮時代にさかのぼるか。 軽く調べてみっか。
12/26(日)記 カツオの一本買い
ブラジルにて クリスマス開け、路上市に魚を求めて。 出店率は通常の2/3といったところ。 フェスタの後の弛緩、そして年越しという次のフェスタへの期待がうだる熱気のなかで増殖を始める。
体長50センチ近いカツオを勧められる。 冷蔵庫に入らないよ、と言うが、いくつかブロックにして包装するから、と押し切られる。 値段は30レアイス、邦貨にして約1500円とまあ手ごろ。
昼にまずカルパッチョでいただき、好評。 夜は刺身、塩焼き、細かく崩れた身の生姜煮とカツオ尽し。 これでようやく半身を消費。 さあアラはどうしよう。 気分は枕崎。 枕崎には、カツオバーガーなんてのもあったな。
12/27(月)記 末期(まつご)の旅
ブラジルにて 例年は、年末年始にはビデオ編集作業は行なわない。 今年は非常体制とする。 橋本梧郎先生との最後の旅の映像をチェック中。 まことに重い。 最後に橋本先生は、僕に何を託そうとしたのか。
新境地、別境地の作品になりそうなことは確か。 今年中にどこまで稼げるか。
おっと、また思わぬ予定が入りそうだ。
12/28(火)記 郵趣の友
ブラジルにて 希望開始日より5日ぐらい遅れて、年賀カードの執筆を始める。 日本の新年を迎えてから投函される人も毎年いるので、こちらもその返事で1月末ぐらいまで五月雨状態でカード書きが続くことになる。
クリスマス・イヴの前日にサンパウロ中央郵便局の記念切手売り場に買い出しに行った。 窓口も待ち客も閑散。 五つある窓口のひとつしか機能していない。 10分近く待ち、「いやに閑散としてるね?」と聞くと「いつもこんなもんよ」とのこと。 10年ぐらい前までは、けっこうにぎわっていたのだが。 日本もブラジルも切手はそうとうヴァラエティに富むようになったが、このウン10年、切手マニアという人は聞かなくなってきた。
ブラジルは、なかなかの切手大国。 額面が高額で、かつマニアックすぎて年賀カードには不向きなので購入は控えたが、コウモリ型のシール切手。 さすがにチスイ(吸血)コウモリはなかったが。 ブラジルの古生物学の父・ルンドの記念切手など、カンドーもの。 この感動を共有できるような人が、まだいたっけ?
12/29(水)記 熊楠忌
ブラジルにて ツイッター情報にて、今日は南方熊楠の命日と知る。 日本で南方熊楠顕彰館と南方熊楠記念館を回ったのは、まだ今月のこととは。 記念館で購入した「縛られた巨人 南方熊楠の生涯」(神坂次郎著・新潮文庫版)をスーツケースから引っ張り出して、ふたたびひもとく。
巨人熊楠のエピソードのひとつひとつに、故・古城泰学兄がオーバーラップする。 熊楠が逝ったのは、日本が真珠湾を奇襲攻撃したその月。 来年は没後70年。 この年に「橋本梧郎と水底の滝 第一部・南回帰行」(仮題)を完成できそうだ。
はからずも、今日は断食。 ロンドン時代、困窮のあまりに一日一食でしのいだという熊楠をしのぶのによろしいかも。
12/30(木)記 「日本の原発奴隷」
ブラジルにて 今日は、ネタがいくつもあるが、あえてこれに絞ろう。 これも日本の大晦日発信のツイッターで知った。 シューカツを控えながら岡村日記などにアクセスする若い人には、特に精読していただきたい。 http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm
アンダーライン。 日本で起こっている事態の最大の矛盾は、原子力を誤って用いた結果について世界中で最も良く知っている社会の中で、ほとんど何の抗議も受けずに、この悪習が生じているということである。
気になるのは、これが2003年の記事のこと。 その後の状況は、どんなものだろうか。 日本の現政権が、原発産業の海外セールスに躍起になっていることは確か。 ホームレスまでパッケージで輸出するつもりか。
12/31(金)記 橋本じめ
ブラジルにて するべきことは、いくらでもある。 橋本梧郎先生の記録の映像チェックに宛てる。 希望目標スケジュールとしては、今年中にこれを終えたかった。 通常よりがんばり、終了!
「撮影どこじゃない」まことに大変な現場だったことを思い出す。 どうまとめて、終わらせるか? 追加撮影をするべきか?
まずは第一部をまとめよう。 そのあとに「あもれいら」完結編もあるし。
大晦日までポストプロ作業というのは、稀有の事態。 橋本先生は亡くなる年、元旦の朝から標本の整理をしていたっけ。
以下、西暦2011年の日記に続きます。
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