2月の日記・総集編 素のちから (2011/03/01)
2/1(火)記 先生と私、または博物学者と記録映像作家
ブラジルにて 編集の合い間に家事をするというか、家事の合い間に編集をするというか。 今回は前者な感じ。
そのまた合い間に、まことに沁(し)みる本を読んでいる。 今は「森のバロック」(中沢新一著、講談社学術文庫)。 博物学の捉え方が鮮やか。
橋本梧郎先生の植物分類作業と、僕のビデオ編集作業がオーバーラップする。
2/2(水)記 アラヤ識上のアリア
ブラジルにて メインは「南回帰行」の編集。 あるもの、ないもの、すべて投入。
とりあえず、これはつくり終えたい。 「あもれいら」②というピークの後に、これだけのピークがあるとは。
2/3(木)記 しんしょうが
ブラジルにて 昨晩、エビのチリソースを作ることに。 レシピ本を見ると、ショウガが必要とある。
当地ではショウガはニンニクほどポピュラーに売られていない。 野菜中心のスーパーまで買いだしに行かねば。 と、旧ショウガの横に新ショウガが出ている。 お値段は新の方が高いが、フンパツ。
400グラムぐらいで1パックなので、そうとう使い出がある。 ネットで新ショウガのレシピを見てみる。 むむ、あんまし食指が動かないものばかり。
今日は豚肉を購入、新ショウガをたっぷりすり込んでピーマンと炒める。 のこりもののソーメンにも用いるが、なかなかフレッシュ。
こうしてみると祖国のガリや紅ショウガは、それぞれショウガの行く手の極みと知る。
2/4(金)記 ラー号の挑戦
ブラジルにて 編集作業の合い間に、台所に立つ。 「食べるラー油」を作ってみよう。 子供がPCを使っているので、ネットでレシピを調べずに挑戦。
昨年の訪日では複数の方から「食べるラー油」をいただいた。 八戸に行った時には、青森産のも買ってみた。 ラーメン屋で修行する知人からは手作りのもいただいた。 それぞれ、味わいも具も微妙に違っている。 ブラジルの家族に好評。
市販品の原材料表示を見てみると、それほど特別なものが入っているわけでもない。 ちゃっちゃかとこちらのアリモノでテキトーにやってみる。 ほう、悪くない感じ。 というより、日本から担いできた最後の一瓶より、手作り感、あったか感で優っている。 子供と一緒に冷やメシで試食するが、合格とのこと。
「食べるラー油」もこっちで作れるし、もう訪日は取り止めるか、 なんちゃって。
2/5(土)記 かいしゃくのちがい
ブラジルにて 夜。 バッハを流しながら、「森のバロック」。 編集中の橋本先生に想いをはせる。
先生は僕に「解釈」ではなく「介錯」を望んだのだな。
2/6(日)記 熱気
ブラジルにて いやはや暑くなったサンパウロ。 昨年の日本の夏を思い出す。
冷蔵庫を開けた時の涼気がここちよい。
冷蔵庫や扇風機もない時代、この町の人はどう暑さをしのいだのだろう? その頃は地べたや樹木と森林、河川と湧き水などの天然の冷房施設が身近だったんだろうな。
そうこういっているうちに、また日本だ。 避暑に行くか。
2/7(月)記 断食同情
ブラジルにて 久々に断食。 冷蔵庫に残り物のストックがだいぶあるが。
日本映像記録センター時代。 「すばらしい世界旅行」の番組体験者募集というのの審査員の片棒をかついだことがある。 趣味は「断食」です、という女性がいた。 正直、なんだかキモチわるいヤツ、と思ったものだ。 無知な人間が人を判断するというのは恐ろしい。
もっとも彼女に断食の魅力は?と尋ねても「気持ちがいいから」みたいな答えのみだったような。 それで、気持ちが悪くなったのかもしれない。
断食は慣れるまで、やや力が入らない。 昼間は運転、スコールに見舞われるわ信号断線の大通りを渡らざるを得ないわで、いやはや。 家族の夕食の支度をして、早めに休む。
2/8(火)記 不透明なガラス屋
ブラジルにて ブラジルのプロにしばしばみられる無責任ぶりにはあきれるばかり。 ここのところは、ガラス屋。 先月、再三の電話でようやく寸法を測りに来た業者は、これまで拙宅にあった付属部品を持っていったまま、消息を絶つ。 別の業者に切り替えると、寸法を測りにきたまではスムースだった。 その場で見積もりを出した。 こちらはその場で請求されるままに半額を出した。 以来、納期を過ぎても連絡はなく、電話にも応答しない…
何日も無駄に待機と抗議の繰り返し。 「明日、朝イチで必ず」というので待機していても、連絡なしですっぽかされるばかり。 日本の「蕎麦屋の出前」かブラジルの「ガラス屋の納期」か。 して、一週間のお待たせ・ご無沙汰で本日、持ってきたのは、寸法違い。 経営者、測りに来て半額を請求したあんちゃん、取り付けに来たおじさんそれぞれが他のせいにするばかり。 振り出しに戻る。
こういう人たちの集合体で、社会と国が成立しているのがすごい。
2/9(水)記 ニューフェイス
ブラジルにて 子供からFace Bookの招待状が届いている。 これについての映画をやっているようだし、次回の訪日の機中でかかっているような気もする。 そもそもこれがどんなものかわかりかねるので、まずは受けてたつ。
mixiもtwitterもそうだったが、やっているうちにだんだん勝手がわかってくる。 いっぽうmixiは肝心なコミュニティの方は管理人が消息を絶って久しい。 「講師」自ら細々と書き込みをしている情けない状態。 しかも得体の知れないのから、不遜なメッセージが入ってきて、愉快ではない。 twitterは一部の人から暴力的な数の「つぶやき」が流れてくる。 ネット事情が悪いなか、ようやくアクセスして、面識もない人の「おきたなぅ」「おやすみなさい」みたいなつぶやきにつき合わされているのもたまらない。
というわけでFace Boook。 まずはよく勝手がわからないうちに自動的に名前があがってくる友人知人の皆さんに、メッセージを添えられることに気づかないまま、友人登録依頼を送ってしまいました。 失礼のほど、ご勘弁を。
ちなみに子供に確認してみると、まちがって父親に招待を送ってしまったらしい。 フェイスか、フェイクか。
2/10(木)記 イピランガのおかちゃん
ブラジルにて 今日はいよいよ、新たな録音スタジオでナレーションどり。 昨日、下見と打ち合わせ済み。 先回のスタジオは、どうにも音質に問題があった。
場所はイピランガだが、まことに驚いた。 取材で何度かお邪魔したお宅の、まん前。
今度のテクニコ(録音技師)は聞いてみると相当の大仕事を経て、一匹狼になった人。 共感するところ多し。
まさしく今度のポストプロ作業のヤマ場。 あとはこっちのチョンボと事故が気がかり。
ナレーションの日本語内容をコントロール、チェックできるのは私ひとりである。 なかなかSF的でよろしい。 ふと西佐市さんの「浦島太郎」を想い起こす。 ものつくりなんざ、孤独な作業で結構。
2/11(金)記 ナレーションのなれかた
ブラジルにて 昨日、スタジオで録音したナレーションの当て込み作業。 すべて録り直したくなってくるような自己嫌悪にかられたり。 より絶望的な状況でのナレ録り体験を思い出して、ま、あれよりいっかと気をとり直したり。
振り返ってみれば、ナレーションを自分の手で合わせるようになったのは「あもれいら」②からのこと。 ほぼイッパツ勝負の録音スタジオでの作業で、数々の作品をつくっちゃっているのが不思議なくらい。
いじっていくと、際限のない作業。 それより、録音レベルが大丈夫かどうか。
2/12(土)記 遭難
ブラジルにて 未明から、夜まで音の作業。
子供が、旧クラスメートのフェスタに呼ばれた。 夜9時から、行ったことのない隣町にある会場。 親が車で送迎することになる。
10時ぐらいからぼちぼち人が集まってくる。 フェスタそのものはディープな深夜まで続くことだろう。 日付かわって1時ぐらいに切り上げさせる。 それまで親は、市内で探し出した夜間営業の店でアルコール抜きで待機。 町なかは、サンパウロ市とは別の国のように危険感がない。
しかし帰路。 勝手のわからない大通りの赤信号で停止中。 歩道にいた若いの二人が踊りかかってきた。 運転席の僕の首根っこをつかみ上げるではないか。 もうひとりは車の正面に立ちふさがる。 ままよ、急発車! 暴漢どもはひるむ。 クルマは、凶器として活用できると体感。
まったく深夜、知らないところに行くものではない。 とはいっても、子供の付き合いや希望もある。 招待者にこうしたリスクを負担させるこの国の未成年者の深夜フェスタが見直されるためには、今後かなりの犠牲者が必要のようだ。
2/13(日)記 4月の書初め
ブラジルにて 「優れたドキュメンタリー映画を観る会」@下高井戸シネマの今年の特集上映がアップされた。 拙作「明瑞発掘」(全三部作総集編)は4月23日(土)午前10:30から。 http://www.shimotakaidocinema.com/schedule/tokusyu/top2.html キュレーターの飯田光代さんに感謝。 3月末にいったんブラジルに戻り、これに間に合うようまた訪日の予定。
去年のオランダ足止めから、はや1年!
2/14(月)記 素のちから
ブラジルにて さあ今日も断食しちゃおう。
「南回帰行」字幕入れの段階へ。 言葉の意味合いに応じて、いくつか字体を変えるつもりだった。 が、よりシンプルにいってみることにする。
今回は、まさに「素」で始まって、素で終わらせるつもり。 素材の、素。 「味の素」抜きの、素材の素。
2/15(火)記 編み物三昧
ブラジルにて 映画のモンタージュの本質を、旧石器時代以来の編み物ととらえたエイゼンシュテイン→中沢新一さんには、まさしく覚醒させられた。 現在の編集作業は、まさしく編み物である。 おっと、といいながら、この歳まで編み物をしたことがなかったっけ。 今度、日本に行ったらサンカの末裔に箕つくりでも教わるか。
家族の新たなカリキュラムに合わせて主夫業。 その合い間にエディティング。 ナレーションをぜひ追加したいところがいくつか出てきて、新たに録音スタジオを予約しておく。 前倒しで作業していたおかげで、「素材」の発酵時間が稼げた。 移動民の知恵と定着民の知恵の両方を活かさんと。
2/16(水)記 エキストラ・オージナリー
ブラジルにて 久しぶりに爽快なドキュメンタリー映画を観た。 それがブラジルのゴミ捨て場の話だから、ますます痛快。
ブラジルとイギリスの合作でポ語題「LIXO EXTRAORDINARIO」(アクセント記号をはずしました)、英題「WASTE LAND」。 今年の米アカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされている。
アートが、ドキュメンタリーが、社会的弱者の、社会の底辺の人たちの存在の尊厳に、お手伝いしうるかというテーマに、「快答」をみせてくれた。
そろそろ締め切りとなる原稿のネタのためにと、職場兼家庭を離れてスコールのなか遠征したのだが、これは書ける。
気分爽快。
2/17(木)記 ラベル
ブラジルにて ちょっと因縁のあった画家の展示を見にいく。 そっちの方は、アートにさして心が動くこともなし。
併設展の、カシャッサのラベル展が面白かった。 カシャッサは日本ではピンガという呼称の方が広まっているかもしれない。 ブラジルの国民的蒸留酒。
地名系、ファウナフローラ系、インディオ系、有名人、ジョーダン系、スケベ系など、まさしく多種多様。 ブラジルそのものだ。 ブラジル学の教材に使える。
ずばり「原爆」という銘柄が2種類あった。 ひとつはまさにキノコ雲の図案。
こっちの方は4月までの展示。 日本から帰って、余裕があったらもう一回見てみてもいいかも。 付近の路上のグラフィティも悪くなし。
2/18(金)記 和歌山・人類史の二巨峰
ブラジルにて 「南回帰行」の方は日曜まで寝かせる。 4月の下高井戸シネマでの上映のために、3月に納品する「明瑞発掘」の上映素材をつくって、チェック。 「明瑞発掘」を改めて見直して、たまげてしまった。
「南回帰行」の作品のなかで触れることはなさそうだが、この作品をつくる、そしてここのところ生きているうえでの大きな支えが南方熊楠の存在。 時おり熊楠と伊藤明瑞を比較考察していた。 19世紀後半に生まれた二人は、生年に22年の差があるが、日本史上にとどまらない、人類史上の奇跡といえる稀有な才能を発揮した。 二人とも、時の天皇と他の追随を許さないユニークなかかわりを持った。 しかしおごらず、おもねらず、徒党を組まず・くみせずに孤高の道を貫いた。 そして遺族の温度差の違いが…
さて、伊藤明瑞は、いや明瑞も和歌山の生まれだったのだ! 明瑞の生まれた頃、父は大阪で宿屋を営み、明瑞は幼少期を奈良吉野で過ごしているので、和歌山生まれということをすっかり失念していた。
これはどんな意味を持つのか。 まとめつつ、上映しつつ、旅をしつつ考えていこう。
2/19(土)記 「静かなる決闘」
ブラジルにて 先日、フンパツして購入したブラジル版「静かなる決闘」を未明に鑑賞。 黒澤作品のなかでは語られることが少なく、駄作、失敗作とされることもある。 それだけにかえって手垢がついていず、新鮮な眼で黒澤的なものを探るのに適しているかと。 黒澤の仕事に手抜きがあるはずがないし。 モノクロームの世界での、ラストシーンの美しいこと。 改めて振り返ると、黒澤には医者モノが少なくない。 見直せば見直すほど、発見がありそう。
あえてポルトガル語字幕を消さずに見てみたが、大黒澤に申し訳なさ過ぎる、誤訳以前のでたらめが初っ端から。 カバーの後ろには「WARUI YATSU HODO YOKU NEMURU」とあり、再生するまで心配だったが、お皿はちゃんと「DUELO SILENCIOSO」だった。
1949年製作。 「ゴジラ」の5年前の伊福部昭の音楽だけでも面白い。
2/20(日)記 南回帰試写
ブラジルにて サンパウロ市の西方にある町に、橋本先生のお連れ合いを車で訪ねる。 町に入る前に、ずばり南回帰線の表示を通過。 「橋本梧郎と水底の滝 南回帰行」現在のバージョンをご覧いただく。 ポストプロ中の、最大のヤマ場。
涙と笑いのうちに、試写は終了、OK。 いくつか確認もできた。 やれやれ、である。
さあ、日本でのまったくカンケーない人たちの反応が楽しみだ。
2/21(月)記 洪水
ブラジルにて 地理学的な現象なのだろうが、地質学的光景を見る思いがした。
午後、子供の送迎に車で向かう。 ピックアップ後、激しい雨。 イグアスーの滝の下にでもいるような。
視界はきかず、坂の場所にいたので、まさに滝のように下水が吹き上がっている。 横道で待機。 次の場所は、ますます低いところ。 キャンセルを申し立てることに。
帰還するのが、まさに冒険。 片側4車線の幹線道路が見事に冠水。 千住博画伯の洪水の森を思い出すが、あんなに静かではない。 ポロロッカのあとのアマゾンの方が近い感じ。
各地で停電、信号もアウト。 いやはや、よくぞ帰った。
2/22(火)記 勝手にブラジル
ブラジルにて ブラジル暮らしが長く、日本に戻った友人の言を思い出す。 日本ではヘンなのがブラジル通、ブラジル専門家ヅラして幅をきかせているのが多く、関わりたくもない、と。
さて、日本の知人からこんなメールが。 さる日本のお店でブラジルの国民的カクテル、カイピリーニャを頼んだ。 お代わりを頼むと、ベースであるカシャッサ(ピンガ)だけを注いでよこした。 どういうことかと聞いてみると「ブラジルではこうしている」と言われた、と。
はばかりながらブラジル生活ウン10年、北から南まで、超高級から場末まで、各地でカイピリーニャをお代わりしてきたつもりである。 少なくとも、僕にはこんなのは前代未聞である。
多様性こそがウリのブラジル。 知らないブラジルには常に謙虚でありたいが、よく知りもせずに「これがブラジル」と決め付けてエラぶり、押し付ける向きとは、僕も関わりたくもない。
そういうのがイヤで、ブラジルくんだりでフリーランスとして暮らしているのである。
2/23(水)記 30年の空白
ブラジルにて 年末以来の自動車のトラブル続きで、延び延びになってしまった。 お土産に用意した日本の新年のカレンダーを今ごろお持ちする始末。 日本から訪問中の編者の細川周平さんとともに、孤高の移民作家・松井太郎さんを訪ねる。
細川さんの質問の合い間に、Saudade Booksの淺野さんが気にかけていた「うつろ舟」の時代設定について改めて聞いてみる。 「30年ぐらい、ポコッと抜けとる」。 これで決まり。 その前に、ご自身の人生も10年ぐらい抜けてるところがいくつかあるとおっしゃっていた。
93歳にして現役の作家だからこそ説得力のある時間感覚かと。
なにかの記事に、新たに長編を準備中、とあったので確かめてみると、さすがに長編は無理とのこと。 自分の見聞して記憶していることは信頼するに足りるみたい。 こと松井さんに関しては、他人のものはあんまし信用しない方がいい。
2/24(木)記 ひとり仕事だもん
ブラジルにて 最新作「南回帰行」の仕上げ、ブラジルで行なう最終的な作業中。 思わぬトラブルが続く。 非効率の極みだが、とにかくやり直してみる。 いやはや、なかなか。
2/25(金)記 ブラジル製の信用度
ブラジルにて 近くの大衆スーパーに買い物。 昨今は昨年、日本にお土産として持参して好評だった買い物バッグを持っていくことが多い。 今日はたいした買い物でもないので、手ぶらで行く。
店のポリ袋に買ったものを入れて持ち帰る。 当地ではゴミ出しに際して日本のような自治体指定・推奨のゴミ袋というものはなく、スーパーのポリ袋に入れて出すのがポピュラー。 ゴミ出し用、そして訪日土産のパッキング用にこの袋が入り用。
「重量6キロまで耐久」と印刷されたポリ袋に2リットル入りのペットボトルを入れる。 これまでの経験から6キロ耐久をさして信用していない。 袋の底をサポートするように持ち帰ったつもりだが、まだまだ甘かった。 別の袋のガラス瓶のアルコール飲料のガードに気をとられていた。 見事にペットボトル入りの方の底が抜けて、ボトルを落としてしまった。
当地のこの手のものの信用度は、3分の1以下と見た方が無難かと。
2/26(土)記 生きてゐるVHS
ブラジルにて 未明に覚醒。 土曜は子供の送迎もない。 昨年、日本の知人にいただいたVHSのビデオテープを見ることにした。 VHSになっているテレビ時代の自分の旧作をDVDに焼くための作業は時々する。 鑑賞するためにVHSをこするのは、かなり久しぶり。 まずは全面にノイズが出るが、ウラ技でクリアー。 慣れてくると、画質的な遜色も感ぜず。
先日。 ちょっと前の日本国的区分で言うと、「前期高齢者」の日系人とともに「後期高齢者」を訪ねた時。 「前期」の人は東洋人街のバザーかなにかで日本のノヴェラ(TVドラマ)を録画したフィッタ(VHSテープ)を安価で買い、お土産に持っていった。 訪問先はDVDプレイヤーしかない。 「どこかでコピア(コピー)して…」みたいな発言もあったが、そこまでのテマヒマがヴァレ・ア・ペーナ(甲斐がある)とも思えないシチュエーション。
拙宅も奥にある大量のVHS、何とかしていかないと。 移民を送る五色テープの代わりにでも使うか。
2/27(日)記 ブエナビスタ
ブラジルにて 未明にヴィムヴェンの「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」をDVDで鑑賞。 昨年、オランダのスーパーマーケットで4ユーロぐらいの安売りをしているのを見つけて購入。 しかし字幕消去のできないDVDで、オランダ語を見る度にトラウマがうずくので、そのままにしてあった。 サンパウロでお手ごろ価格のDVDを見つけ、新たに買っておいた。
最初は公開当時、サンパウロの劇場で観た。 録音スタジオでのデ=パルマばりの回転撮影、バレー学校の建物での移動ショットなど、改めてゾクゾクする。
意識していなかったが、拙作「あの戦争が始まるまでは」に影響を与えてくれていた感じ。 今回、気づいたのは登場人物たちが絶賛するマンハッタンの町並みと、彼らの住まうハヴァナのコントラスト。 ハヴァナの方が、ずっと未来世紀的な感じ。
至福のドキュメンタリー。 そう、ざらにはないかも。
2/28(月)記 何が原動力なのか
ブラジルにて 日本からお預かりして来た本を、先方にお送りする前に読ませていただいた。
「命つないで 在韓被爆者・金文成さん救援の記録」 茅野丈二 平野伸人 編著、長崎新聞社発行。
大日本帝国の植民地支配、そして戦後日本の無責任さによって、体と心をむしばまれて苦しみ続けるアジアの人々と、その家族。 それらを発掘して、はかりしれない時間と労力、金銭を投じて献身する日本人ボランティア。
わたしたちは、よく聞かれる。「何が原動力なのか」と。そんなに使命感や目的意識があるわけでもない。あえて言えば「そこに、わたしたちを待っている人がいる。わたしたちの力を必要としている人たちがいるから」と答えるしかない。(同著132ページ)
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