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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2011年の日記  (最終更新日 : 2012/01/01)
3月の日記・総集編 方丈記状態

3月の日記・総集編 方丈記状態 (2011/04/03) 3/1(火)記 ああパタゴニア

ブラジルにて
訪日前の残務・雑務に、将棋崩しのように、そっと手をつける。
焼け石に水を注ぐように、の方が近いかな。

日本でお預かりした/いただいたDVDを二つ、みておく。
えもいわれぬ不快感。
これは、どこから来るのか。

昨日、劇場で観たコッポラ監督の最新作「TETRO」のことを思う。
調べてみて日本未公開というのに驚いたが、ブラジルの評論家筋の評判も決してよろしくはない感じだった。
駄作、失敗作といわれても、あのコッポラである。

予想もしていなかったのが、パタゴニアの光景。
いかにもクロマキーっぽかったが、あのパタゴニアをモノクロームのワイド画面で拝めるとは。
マニアックなネタがいくつも楽しめる作品かと。

自作製作中、巨匠たちの仕事が光を照らしてくれていた。

今日みた作品らとは、表現に対する才能、いやまして志の落差かと。
今日のはいずれもナミのギョーカイ人のやっつけ仕事といったところかしら。
こういうのは、こっちのあるかないかの志気に悪影響を及ぼすので、創作中は見ないに限る。

さあパタゴニアを、ギアナ高地を、橋本先生の最新作を想おう。


3/2(水)記 自縛

ブラジルにて
「南回帰行」、日本持参用素材から念のためDVDを焼いておく。
どうにもナレーションの音質が気にかかる部分がある。
録音スタジオに電話、明日もう一度、作業を頼む。

昨日、他人の仕事を批判した以上…
人のふり見て我がふり直せ。
他山の石。

しかしこの期におよんでこんなことしていると、自縛が自爆になっちゃうかも。
ああ落ち着かない。


3/3(木)記 四度のスタジオ

ブラジルにて
今回、4度目の録音スタジオ詣で。
気のいいブラジル人で、おそらく料金を取ってくれそうもないから、日本製のキャンディーをお子さんたちのお土産に持参。

いくつかのささやかな「偶然」が、ことほいでくれているのを感ず。

さあこれで僕の許容範囲の音質に調整できそう。
家でさっそく作業。
次いで日本に持参するマスター素材2組のダビング。
ダビングした素材にノイズ等ないかのチェック。

作者がいうのもナニだが、見返すごとに発見があり、退屈しない。
夜明けは近いか?


3/4(金)記 色めく過去

ブラジルにて
「南回帰行」、ブラジルでの作業をどうやら終了。
いやはや。
さっそくこちらで買った小津の「お早よう」のDVDを鑑賞。
日本での小津イベントに備える。
小津作品がカラーであることに、妙な違和感。

コッポラの「TETRO」では、現在のシーンがモノクロで、過去がカラーだった。

「お早よう」の箱に入れられたままのテレビ。
祖国は地デジの御世だからこそ、52年前に小津がテレビを封印した意味に思いを馳せたい。


3/5(土)記 人生のキビ

ブラジルにて
来週土曜から始まる、逗子CINEMA AMIGOでの12日間!にわたる岡村ドキュメンタリー特集上映。
http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000119/20110118007111.cfm
映画館で供されるディナーに期間中、ブラジル料理を、ということになった。
三浦半島の海幸・山幸とコミーダ・ブラジレイラ・オカムレイラ(オカムラ風ブラジル料理)のコラボをお楽しみに!

さて。
今日はブラジルでポピュラーなアラブ料理づくりに挑戦。
ブラジルのアラブ系人口は国民の1割近く。
日系の10倍近いウエイト。
政財界の要人にもアラブ系は多い。
いくつかの料理はすっかりとブラジルに定着している。
牛ひき肉と小麦を混ぜるキビにトライ。
これに用いるミントは鉢植えで買ってきて、さっそくラム酒にも添える。

おお、キビ、なかなかのセンででけたぞ。
なんだか世間が少し広くなった感じ。
市販のヤバそうな油で揚げたのより、身体に優しい感じだし。
いろいろアレンジできそうだ。


3/6(日)記 もぬけのサンパウロ

ブラジル→
カーニバル休暇中の日曜。
夕方に豪雨でもあったら、道路の浸水で空港にたどり着けなくなるかもしれない。
大事をとって、早い時間に知人のタクシーを予約。
タクシーは国内線のコンゴニャス空港まで。
ここから国際空港まではシャトルバス。
料金、安全、確実を考慮すると、こうなる。

いやはや道がすいている。
快適そのもの。
40分で着いてしまった。
通常はスムースで1時間、ラッシュ時は2時間近くかかるのだが。

いつも、こんなだったらいいのにねえ。


3/7(月)記 空の銀幕

→アメリカ合衆国→
アメリカン航空のエンターテインメントサービス。
日本語メニューもあるが、映画のタイトルは日本語になっていても、日本語字幕がなかったり。
ない方がいい感じのサービス。

JALの機内映画のメニューがなかなか濃い。
帰りも同じだろうから、あまり無理せずに見る。
ニューヨークから成田の間に、4本。
「SPACE BATTLESHIP ヤマト」
「ノルウェイの森」
「ソーシャル・ネットワーク」
「黒く濁る村」
帰りのお楽しみも何本かあり。
リピートして見てもいいのもあり。


3/8(火)記 スーツケース大破

→日本
日本到着。
成田空港の荷物受け取りのコンベアーの前で呼び出される。
「お荷物が破損して…」と係員。
大きなスーツケースの4個の車輪の2個が根元からもぎ取れている。
ニューヨークでアメリカン航空からピックアップした時は無事だった。

JALにはさんざん乗ったおかげで、荷物にプライオリティ・サービスの札も付けられているのだが。
これは相当のアラワザをかけられたのに違いない。

こうした場合は同クラスのスーツケースと取り替えると聞いていた。
しかし実際は、被害者である客が自分で指定の修理業者に宅急便でスーツケースを送らなければならないとのこと。
しかも修理には2週間程度かかるとのこと。

係員が「お客さま、お酒類をこのなかにお持ちになりましたか?」と聞いてくる。
今回は水戸のにのまえさんで味を効いてもらうために持参したブラジル産赤ワイン、そして日本の友の依頼でお預かりしてきたカシャッサがある。
「ワインの臭いが…」とJAL係員。
ひょえ、荷物の赤ワイン染め!

このケースに予備の「南回帰行」のビデオ素材を入れてある。
リムジンバス乗り場で開けてみると、カシャッサの甘い香りが!
ハダカのまま渡してよこしたので、こっちが発砲スチロールケースに入れて、ワインより厳重に梱包してあったのだが。
液体はひと通りこぼれ出たようだ。
赤ワイン染めは逃れたが、衣類も書類もある…

あの係員、ソムリエにはなれないな。


3/9(水)記 川口画

日本にて
朝から、埼玉・川口へ向かう。
「キューポラのある街」の川口。
ラッシュの逆方向だが、電車に座れるほどのスムースさ。
川口駅前、なんだか手ごろでいい感じ。

仙台あたりより一回りコンパクトで、水戸ぐらいの規模かと。
ここ数年、拙作のフォーマットの技術的な最終的な仕上げは、在仙台のアミーゴにお願いしていた。
今回はいろいろかんがみ、お互いの関わる上映プロジェクトで親しくなった記録映像作家の岡本和樹さんに頼むことにした。
川口駅前のスタジオでの朝イチからの作業。

ある程度、方針が出たところで僕は抜けて、日本の家族の病院に見舞いへ。
夕方、ふたたび川口に戻る。
これまでのお付き合いで、岡本さんの誠意ある対応に感じて依頼したのだが、こちらの狙い通りでありがたし。
人事を尽していただいた。


3/10(木)記 小津の宿

日本にて
濃い一日。
東京・江東の病院を経て、湘南・逗子へ。
土曜から拙作特集上映の始まるCINEMA AMIGOをめざす。
駅到着後、携帯電話で道を尋ねながら、海方向へ。

よよ、こんなここちよい環境のシネマとカフェとは!
「オカムラをみるか、海をみるか」
なんてコピーを考えつつ、湘南入りしたが、予想を超える好環境。

館主の長島ゲンさんらと、母屋で打ち合わせ。
すべてが、こじゃれた劇映画のよう。

話も見るものも尽きないが、逗子から茅ヶ崎へ。
どうせ土曜から毎日、通うつもり。
これは贅沢させてもらえるぞ。

Saudade Booksの淺野さんと茅ヶ崎で合流。
西方への移動を控えて激忙中の淺野さんに「南回帰行」の完成上映の主催をお願いしてしまった。
この作品の封印を解いてもらえるのは、淺野さんしかいない。

目指すは、茅ヶ崎館。
小津安二郎監督が「ホン書き宿」として愛用した宿。
ここで人類の宝「東京物語」などの脚本が編まれた。

この映画の聖地で、淺野兄に「南回帰行」をともにご覧いただく。
宿の人はこころよく小津の間を提供してくれた。
至福。

宿の応接室は、小津監督のミニミュージアムだ。
ここに監督愛用のピケ帽が展示されている。
橋本梧郎先生の帽子が同型なのが奇遇。

余韻を共有してもらいながら、さっそく鋭いコメントをいただく。
まことに贅沢。


3/11(金)記 あの日のこと

日本にて
 早春に 松なみしずか 小津の宿

まだ時差ボケもあり、昨夜の興奮もあいまって、未明に覚醒。
持参したDVDポータブルデッキで「東京物語」を観る。
小津の間に泊まらせていただき、こんな儀式までさせていただけるとは。
「きれいな夜明けだった。はあ…」
このシーンあたりで、リアルワールドも日が昇る。
小津の間の陽だまりの縁側でまどろむ至福。

宿を出て、海岸を歩いてから茅ヶ崎市内にある郷土資料館、美術館をまわる。

東京・江東区の病院へ。
入院中の母の見舞い。
そして、地震に遭う。
母は66年前の3月10日に、東京大空襲に遭っている。
たった3時間で、およそ10万人が焼き殺された人類史上空前の大事件だ。
その頃の母は女学校の学徒動員で、金町の軍需工場で風船爆弾の部品を作っていたという。
そして2011年3月11日。

病院のテレビニュースで、今わかることを知る。
いったん病院を出る。
地下鉄入り口のあたりに、人々がたむろしている。
こっちもタムロする。
しかし、復旧の見通しがつかないという。
東京湾方面からは巨大な黒煙と異臭が。

とりあえず病院へ戻ることに。
病室でしばらく余震の時を過ごす。
夕食時も近くなり、退室。
病院の受付のテレビモニターでしばらく釘付けに。
首都圏の電車は、すべて停止しているのを知る。

通常、地下鉄を乗り継いで目黒の実家まで1時間以上かかる。
歩くとすると…
歩くのは苦ではない。
しかし明日は午前10時から逗子のCINEMA AMIGOで岡村の特集上映が始まり、夜は葉山で「南回帰行」のワールドプレミア上映がある。
これらのために体力を温存したい。
ずっと電車が不通で会場にたどり着けないのも困る。
CINEMA AMIGOには上映素材を渡してあるが、「南回帰行」のは今、手元にあるのだ。
きのう淺野ちゃんに渡しとけばよかった、シッパイ。

病院の受付には、他にも足を奪われて途方にくれる人たちが。
病院スタッフが毛布を提供してくれる。
春先モードの薄着で、上着だけでも買出しに行こうかという身に、暖かし。

電車の回復の見込みがないのを受けて、病院側がまずはより暖かい会議室、そのあとで検査室のベッドを用意してくれた。
気配りの数々、かたじけない限り。

病院のベッドで夜を明かすのは…
9・11事件の直後にサンパウロで原因不明の感染症にかかり、生まれて初めての入院をして以来だ。
おう、あの時は「パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌」の仕上げで疲労困憊している時だった。

なんなんだろう?
浅くまどろみながら、時を過ごす。
始発時間になって電車がなければ、とにかく湘南に向かって歩かなくちゃ。
間に合うか?


3/12(土)記 奉納上映

日本にて
病院の検査室のベッドにて。
地震の興奮と時差ボケの延長で、少しまどろむのみ。
午前3時過ぎ、携帯が鳴る。
ブラジルの家族からの、安否を確かめる電話だった。
なかなかかからなかった由。
午前4時、看護師さんが電車が動き始めた、と教えてくれる。
逗子にたどり着かなければならない。
情報の確認ができないが、駅に向かう。

母の担当の看護師は、青森出身だという。
そして路頭に迷う見舞い人に、毛布を、お茶を、そして寝台まで快く手配してくれた病院スタッフたち。
誰もがわが身とわが家族が気がかりだろうに。
「愛」とは、これか?
涙。

地下鉄構内は、オープンしていた。
この鉄道屋のプロ意識にも心打たれる。
大晦日から元旦のような、非日常の不思議な賑わい。
なにせ情報がないので、話している人たちの声に耳を傾ける。
地下鉄を乗り継ぐが、午前5時台の日比谷線はラッシュ状態に。

目黒の実家で荷物を仕切り直し、逗子に向かう。
JRはパニック状態、各駅停車の私鉄を乗り継いで湘南へ。
映画「復活の日」のヨシズミを思い出す。
あれ、また見たい。

CINEMA AMIGOに到着。
観客ゼロで、上映はされていなかった。
「復活の日」原作のヨシズミを思い出す。

淺野さんと電話、夕方からの「南回帰行」完成上映は決行ということで。
それまでの時間、神武寺へ行くことにする。
歩いて。
神武寺は、かつて昭和天皇が粘菌を探したところ。
映画のひとつも撮りたくなる道行き。

境内で、昭和天皇と橋本先生が重なる。
太陽と月が重なり、金環食が輝く。
里からは大津波警報らしき放送が聞こえるが、エコーして聞き取れず。

葉山・一色会館へ。
そもそも集客を期待していない、いわば儀式としての上映。
淺野さんと二人でもう一回観れればいい。

ところが、濃いメンバーが集まってくれた。
上映前に浅野さんのつかんだ上映で、福島原発でふたたび直下型地震が起こり爆発、メルトダウンが始まったらしいとのこと。
Ai,meu Deus!
祖国の終わりか。
こういうことでもなければ日本人は気づかないだろうと思っていたが、これほど早く現実になろうとは。
それにブラジルくんだりから立ち会おうとは。

死の灰到着までに時間がかかるだろうし、屋内にいた方が安全ということで、しめやかに上映。

上映中、携帯が何度か震える。
ひとつは、ブラジルから。
もうひとつは明日の上映を予定している水戸のマスターから。
電気が戻ったばかりだという。
こういう時だからこそ、上映をぜひやりましょうというが。
昨晩のTVニュースで水戸近くの大洗の津波の映像をこちらは何度も見ている。
今度の水戸上映は数ヶ月前に予約満員となった。
予約してくれた人の身辺に被害にあった人がいるかもしれない、それに岡村の水戸入りの足の確保が難しいとみられると主張して、延期してもらう。
水戸のマスターによると、原発の爆発も上屋が吹っ飛んだだけで炉心は大丈夫とのこと。
彼は理科系の自称錬金術師だった。
まずは大きく安心。

粛々と上映終了。
CINEMA AMIGOにくだって、自家製ママレードのカイピリーニャで献杯。
帰りは横須賀線が鎌倉駅で前の電車が動かないとかで30分近く停車。
大船で電車がなくなる。
それでもネカフェがあって助かった。

大船は、巨大観音バスト像と、小津映画の松竹大船の地。
これもなにかの縁でしょう。

ネカフェに泊まったおかげで、あちこちからの安否確認、お見舞いメールにある程度、返事ができた。
僕は近年、訪日後すぐに仙台に行って作品の仕上げをしていたので、よけい心配をいただいていた。


3/13(日)記 ある日曜日

日本にて
早朝5時過ぎに大船のネカフェを出る。
大船駅で運行状況を見ると、常磐線の取手以北、水戸線全線が終日運休とのこと。
水戸ライブ上映、見合わせてもらってよかった。

いったん目黒の実家に戻って荷物を仕切り直す。
一宿の義理のある病院へ。

見舞いのあと、昨日は観客ゼロで上映中止となった逗子のCINEMA AMIGOをめざす。
お、上映やってた!
「ギアナ高地の伝言」、地元の二人の人が鑑賞してくれた。
道中、考えた今回の天災とギアナ高地の関連など、ライブトークさせていただく。
今日も初回の「フマニタス」は観客ゼロとのこと。
夜の部の「ブラジルの土に生きて」もゼロで上映中止。

別件でいらしたバイオリニストの女性とバッハ礼賛で盛り上がる。

ひとりでも見たいという人がいたらライブ上映を実施するのが原則。
しかし誰もいないのは、ちょっと。
館主の長島さんは明日も予定通り上映のつもり、とのこと。
お客さんがいれば、だが。
逗子まで電車で通うのが非常時でひと苦労なので、明日からは考え直そう。

黒澤の「素晴らしき日曜日」あたりが見たくなってきた。


3/14(月)記 東京乾電池

日本にて
余震さめやらぬなか、深夜に計画停電とやらが発動。
医療現場で働く日本の姪が早朝に家を出るが、電車に乗れないとツイッター。
これは僕あたりが不急の用件で動くべきではないだろう。

いくつか早急に郵送するべきものや、近所での買い物などを行なうことにする。
買占めで混乱中と報道されるスーパーへ。
確かに米類など売り切れ。
いつもはごっそりある納豆もソールド・アウト。
こっちは日毎の糧の買い物なんだが。
このスーパーもケイカクテイデンのため、午後から休店の由。
ゆうびん局も13時までとある。

ラジオ用の電池が欲しかった。
ふだんは閑古鳥も退避するような電気屋さんでも、電池売り切れの張り紙。
こっちの欲しいのは充電できる単三電池で、これはお値がはるせいか、在庫あり。
それと、アナログテレビ用のケーブル。
500円玉を何枚か出して支払うと、よほどありがたかったらしく、何度もお礼を言われる。
まことにしょぼくれきっていた地元の商店が、妖しい活気を帯びている。

実家ではこれまでラジオでニュースを聞いていた。
アナログケーブルがあれば映るモニターがあるのを知り、人々がうんざりしながらも見入っているというテレビ報道を見てみる。

ぎゃ、福島原発、プルトニウム燃料使用の3号機が危ない!
これは人類にとってまさしく最悪のシナリオではないか!!
土曜夕方の絶望感ふたたび。
まさしく祈るしかない。

テレビに見入るばかり。
とりあえず、最悪の事態は「まだ」のがれているようだが、予断は許さない…

ツイッターからは続々、深刻な書き込みが流れてくる。
まことにわかりづらい計画停電、とりあえずわが実家には停電は訪れず。
ケイカクテイデン、流布後一日たたずして今年のはやり言葉ナンバー3ぐらいは決まりな感じ。
年末がこの国に訪れれば。

さあ、乾電池は充電できたぞ。


3/15(火)記 方丈記状態

日本にて
 また、同じころかとよ。おびただしく大地震ふる事侍りき。

数年前、日本の友人が祖国は方丈記状態、というメールをくれた。
いふもあはれかなと思ひ侍りき。
まさしく方丈記状態になってしまった。
平成二十二年弥生のころかとよ。

方丈記を読み直したい。
日毎の糧の買出し、そして今日も郵便局をまわってから本屋さんへ。
私鉄沿線の街の本屋じゃむずかしいかな。
まるで国産古典文学のみあたらない文庫コーナー。
おう、あったぜ角川文庫バージョン。

目黒の庵でテレビもラジオも消して読んでみる。
声を出して読みたくなる格調。

ま、こっちは隠遁の身と違って進行中の上映、異国においてきた家族、入院中の肉親もある。
長明のころは原発てふもののけ、あるまじく侍りき。
テレビに戻る。

 恐れの中に恐るべかりけるは、ただ原発なりけりとこそ覚え侍りしか。

地震・津波被災地の直接の知人たちの無事は確認できた。
今日の亀戸上映は、昨日午前中に中止決定。
逗子上映は、岡村作品に誰も来ない場合はアニメ上映に切り替えてもいいかと館主から電話、快諾。
18日のPARC上映は延期。
17日のAPARECIDAは決行、昨日Willieさんにお送りしたDVDが手元に届いたとのこと。
これで17日は岡村が行き倒れても、昨年のアイスランド噴火事件のようなことにはならない。
電気があれば。

電気の要らないエコ上映も考えねば。
紙芝居か。


3/16(水)記 あの戦争から

日本にて
この状況でも通勤通学せざるをえない人たちに迷惑をかけないよう、昼ぐらいを狙って電車を乗り継ぐ。
入院中の母に着替えの届け。
この時間の地下鉄は、思ったより空いている。

節電政策で構内の照明も落とし、エスカレーターもほとんど停止。
3・11以前は構内でエスカレーターでも止まっていようものなら、ひどい舌打ちをする男どもは少なくなかった。
いまは、粛々と階段を昇る。

病院のスタッフも、半分ぐらいの感じ。
母に、東京大空襲や風船爆弾の製作について聞いてみる。
大空襲のあけた朝。
一面の焦土と化した帝都、累々の焼死体。
怖さのなか、母はひとり歌を歌いながら自分を励まし、軍需工場に歩いて向かったという。
なんの歌だったかは、覚えていない。
たどりついた金町の工場は焼け落ちていた。

66年前の「あの戦争」。
大日本帝国は、大都市の大半をアメリカ軍の空爆や艦砲射撃で破壊された。
そして、広島と長崎への原子爆弾の投下。
国民だけで、300万人が死んだ。
社会を担うべき多くの成年男子が戦死した。
まさしく、国が滅んだ。

その焦土のなかから、3・11前の極相までの繁栄を成し遂げた。
このことは、いまの僕の希望だ。

そして、3・11以前の電力会社の傲慢。
以後の無策・無責任ぶり。
かつての大日本帝国の軍部と重なる。
原発礼賛・促進を暴走した電力会社と関連企業、与党政権の責任を末永く問い続かなければならない。
世の「ほとぼり」と原発がさめてからこそ。
いまは、さめることを念じるばかり。

僕あたりが念じても、スプーン1本まげられないけれど。


3/17(木)記 余震上映

日本にて
今日未明のCINEMAAMIGOさんのツイッターで、本日は朝から上映あり、とのこと。
それに間に合うよう、各駅停車のみ運行の東急東横線、そして武蔵小杉からJRに乗換えで逗子を目指す。
間引きダイヤのため、接続は悪いが、逆方向のため混雑はない。

CINEMA AMIGOにたどり着くと、計画停電のため、上映できないという。
さて。
夕方から決行予定の西荻窪APARECIDAさんの上映までは、時間がある。
CINEMA AMIGOに隣接するパン屋「わかなぱん」さんに館主の長島さんらとたむろする。
このお店は朝の停電がわかっていたので、その前に今日販売分のパンを焼いておいたとのこと。
自家製酵母パンをいただくが、絶妙の味。
モチモチ感が面白い。

昨日、都内のスーパーを何軒かのぞいているが、食パンが払底している。
24時間営業のスーパーによると、夜中の3時に入荷して1時間で売り切れたという。
逗子まで、ゆったりとおいしい手作りパンを買いに来るのもよろしいかと。
東京へのいいお土産ができた。

砂浜を少し歩き、違う遠回りの道を通って駅へ。
逗子は、退屈しない。
目新しいこと多し。

渋谷で買い物、それから吉祥寺へ。
吉祥寺から西荻窪まで歩く。
駅近くのガラス張りのフィットネスセンターは、せまい水槽にたくさんの小魚を詰め込んだ感。
この人たちが汗水たらしてこぐ固定自転車の回転を、発電にまわせないものかと足りない頭で考える。
人力発電。
究極のクリーンエコエネルギーだ。

吉祥寺はブラジリアンカフェの巡礼地でもある。
本山のAPARECIDAは南口だが、北口トンジョ方面にcopo do diaさんあり。
ここの「ゆるさ」はなかなかここちよい。
夜の上映の前に、ゆるんでいく。
ブラジル系企業で働くという女性客が携帯でニュースをチェック、今日夕方より大規模停電実施の見込みとのこと。
各企業は電気と電車のあるうちに操業を切り上げて労働者を帰宅させ始めている由。

こっちは停電でもカイピリーニャでも引っ掛けながらライブトークをかますこととするか。
copoさんの常連客が立ち寄っていく。
職場から引き揚げてきたOLさん。
「帰っても、テレビを見てると…」と絶句して泣き出した。
ママさんが彼女をアブラッソ(ハグ)する。
「うち(お店)に来ればいいよ、なにか食べるものも作っておくから」。

聖地APARECIDAへ。
すでに濃い面々が。
ついで頼もしい顔、ひさしぶりの顔が現れる。
話は尽きないが、電気のあるうちに上映。

途中、地震が2回。
けっきょく停電には至らず、2作品の上映はつつがなく終了。
時局の問題にずばりリンクする作品の上映に振り替えようかとも考えた。
しかし「アマゾン水俣病」、この当初の上映予定の作品が、日本企業の傲慢な経済活動が派生させる危険物質がアマゾンにおいても、女性と子供、とくに妊婦や胎児をもっとも脅かしていることを告発しているではないか。

しかるべき上映となった。

帰路は電車を乗り継ぎ、無事に実家まで帰還。
気になる福島の原発も今のところ持ちこたえ、アルゼンチンシンドロームには至っていないようで、やれやれ。


3/18(金)記 慰問鑑賞

日本にて
昨年お世話になった横浜のシネマジャック&ベティ。
ずばりコアな被災地に実家のある支配人らが、上映を続けている。
陣中見舞いに行き、みたかったアルゼンチン映画「ルイーサ」を鑑賞。
「ルイーサ」、主人公が被災者の方々とオーバーラップしてしまう。
ちなみにジャック&ベティでは7月に思わずヨダレが出る素晴らしい特集上映が行なわれそうで、心躍る。
お楽しみに!

上映前後に付近を歩く。
この時局、客足のすっかり落ちている地元の商店、飲食店に少しでもお金を落としたい。
沸き立つ原発にカエルのションベンをかけるぐらいのものだろうけど。
DVD/ゲーム屋さんでトリュフォーのDVDを見つけて買う。
本屋さんで怪獣系、天皇系などの本を購入。
他に客のいないタイ料理屋でタイ牛肉スープ麺600yen也をいただく。

さすがにファッションヘルスやストリートに立つお姉さんたちにまでは貢献できないけれど。

「セックスボランティア」というノンフィクションがあったが、フーゾク系でもチャリティ・義捐売春が行なわれたらスゴい。
慰安婦の慰問。
まさしく「一肌脱ぐ」だ。


3/19(土)記 東京カルカッタ

日本にて
「あなたの近くのカルカッタを探してください」。
マザー・テレサが日本を訪れた時。
カルカッタに行ってボランティアをしたい、という日本人にこう応えたと記憶する。

今日は、お見舞いのハシゴ。
訪日直前に、僕の日本の学生時代にたいへんお世話になった人が重度の難病で施設に入っていると聞く。
細かい事情がわからない。

バスで大体の当たりをつけて最寄りと思われる停留所で降りる。
おお、「60年目の東京物語」のロケ地ではないか!

よく勝手のわからない施設へ。
震災の影響で、ここもスタッフ・物資不足がうかがえる。
名前を頼りに、部屋へ。
付き添いはなく、見違えるようで、本人かどうかもわからない。
寝たきりで、意思表示ができないとのこと。

見慣れてくると、かつての面影が。
認識・理解は変わらないと聞いていたので、今度の地震の話、共通の知人の話、お互いの共通の関心の話をする。
相手の反応がわからないが、こんなことしかできない。

この人に、どれだけ教えてもらって、お世話になったかが思い起こされる。
自分はそれをおろそかにして、忘れていた。
申し訳ありませんでした。

訪日中に、またお邪魔させてもらおう。
話すネタを用意しておかなきゃ。


3/20(日)記 此岸と彼岸

日本にて
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、ホームにたたずみたたずみ今日は京浜急行で新逗子へ。
花を持って歩く子供の姿を見て、そうかお彼岸だったなとはじめて気づく。
横浜で買った神奈川新聞の日付けを見ると「大安」とある。

実家ではついついテレビやラジオに耳を傾けてしまう。
津波被災地の仮説住居が高台に設置されるという報。
たとえ今回の天災が1000年に一度クラスとしても、1万年前以上までさかのぼる縄文時代まで掘り下げていけば、何度もこの列島のヒトは今回クラスの地震や津波を体験していることになる。
約4500年前にピークを迎える縄文時代中期では、高台にムラを築くのが基本だ。
津波災害の生存者の知恵かもしれない。
縄文時代後期・晩期になるとその記憶・伝承が薄れていくせいか、ムラは低地へと移っていく。
天災考古学か。

ブラジルの妻子は、ブラジルで報道される日本の災害ニュースとネット情報で著しく心配していた。
僕もブラジルにいたらテレビとPCの前から離れられず、衰弱していたことだろう。
拙作「郷愁は夢のなかで」の主人公・西佐市さんはブラジル奥地の老人ホームで阪神大震災の報を知り、急速に衰弱していったという証言があった。
その西さんの胸のいたみにリアルに心を寄せられるようになった。

逗子CINEMA AMIGOでのライブ上映トーク、質疑応答で新たに気づかせてもらうことが多かった。
今日は電車も残っていて無事、目黒に戻る。


3/21(月)記 FUKUSHIMA発見

日本にて
旗日。
日の丸掲げる家ありや。
春分の日、冷たい雨。
西日本への疎開、放射能の雨と余震の恐れからの出控えで、雨の町は人もまばら。

テレビでは放射能を避けるため、雨天の外出では傘をさすこと、といったアドバイスが放送されている。
しかし実家には宅急便が届けられ、ドライバーかつ配達人は傘もカッパもまとっていない。
向かいのお宅では、門の外で車椅子にのった大奥さんが家人とともにデイサービスの迎えを待ち、到着したデイサービスのスタッフは車椅子ごとピックアップするため、傘などさせるべくもない。

こっちは子作りも終わった(つもり)の身。
もし僕が我が身への恐怖から予定を切り上げてブラジルに戻ったとする。
そうした人の作るカンドー的なドキュメンタリーなど、みたくもない。

今日も逗子CINEMA AMIGOでの上映とライブトーク。
夜の上映を楽しみにしていた門徒は、在日フィリピン人救援のため、来れないとのこと。
今回の僕へのギャラは義捐金にまわしてもらうことにしたし、上映作品は岡村シェフお任せの「旬な」作品とさせていただくか。

「あもーる あもれいら 第二部 勝つ子負ける子」上映前に到着。
最前列のファーストクラスシートがすべて空いているので、失礼してかぶりつきで見させていただく。
大きなスクリーンで間近に見ると、新たな発見がある。
今回も我ながらトンデモナイものを発見してしまった。
「勝つ子負ける子」は「南回帰行」とずばり対をなす作品だった。

もう一本は「ユーカリ」をと思っていたが、「60年目」でいってみる。
ふたたびファーストクラスに沈みながら、仰天。
この作品は、後日談も含めて福島がキーポイントだった。

HIROSHIMA、NAGASAKI、MINAMATAについで新たに人類に記憶されざるをえないFUKUSHIMA。
ネガティヴをポジティヴに転換する、まさしくエネルギーのダイナミックの転換が求められている。

熱いトークを交わさせていただく。
なにかの胎動を感ぜざるをえない。


3/22(火)記 通販自粛

日本にて
緊急地震警報などもあるので、実家にいる時はついついテレビをつけておきがち。

テレビは、NHK総合と地上波の民放。
時々ラジオ。
ツイッターとML。
新聞は、できれば2紙。
出先で会う人からの情報。
このあたりの情報を総合して、地震・原発問題に対処している、といったところ。

テレビのニュースで明日から宮城等、被災地への日本郵便のゆうパックを受け付けるとのこと。
東北の友人知人親戚への食べ物飲み物系のブラジルグッズのパッキングを開始。

病院への見舞い。
買い物。

夕方の中目黒駅前。
テレビクルーがなにやら撮影をしている。
どういうグループかもわからないが、何人かの成年男女が募金箱を持って震災への義捐を呼びかけている。
すぐその前に屈強なカメラマン、煌々としたライトがかまえているので、そもそも通行人の募金を妨害している感もあり、遠巻きにみていても誰も募金箱に近づかないでいる。
なんだか撮影のための募金活動といった印象も。

最近は通販で書籍類を買うことが多い。
しかしこの時局に不急の僕の本のために宅配の自動車が動き、留守にでもしていたらさらに燃料と配達スタッフの労力を割くのは申し訳ない。
落ち込み気味の首都圏含め原発放射能汚染リスク地域の消費に少しでも貢献するため、徒歩圏内の書店であるものを買っておく。
書店扱いのDVDシリーズなども買い込むと、1万円を越えたぞ。
あれはないだろ、とあきらめていた取材参考本も地元で見つけて散在なるもホクホク。


3/23(水)記 ヒドロ花

日本にて
在ブラジルのジャーナリスト・美代賢志さんのb-side、3月22付のコラムから。

それにしても、彼我のマスコミの報道の落差にびっくりですね。あおりにあおるブラジルもどうかしていると思うわけで。ずーっと昔?の神戸の地震では、実は私、グローボ局の取材を受けました。ただし、収録もの。なぜ私だったかというと、職場の日本人でポルトガル語のインタビューに答えられる関西出身の人が、私しかいなかったという消去法。
「日本の家族はどうだったの?連絡取った?」
「無事でした」
「心配って、日本語でなんていうの?」
「シンパイ」
「OK、じゃあ、カメラに向かって言ってみて」
「シンパイデス…ブフッ(笑)」
「ちょ、ちょ、ちょっと、何で笑うのよ。せめて泣いてほしいわ…、もう一回お願い」
「シンパイデス…ブハハッ(笑)」
「ちょっと、ちょっとぉ」
「いや、だって俺、家族の安否がわかってるから心配じゃないし。だいたい、ブラジルの全国ネットで俺が『シンパイ』って言ったからどうなんのよ?俺はピエロじゃないんだからさ。ポルトガル語で言わせろよ」
「そんなことしたら絵にならないじゃないの…」
「ならなくていいよ…」
結局、私の映像は没になり、無関係な人が電話の受話器を深刻な顔して受け取るの姿が放映されたのでありました。もちろん、電話の内容も自信と無関係でありました。


この話、以前にも聞かせてもらったことがあるが、古典落語同様、繰り返してうかがっても味わい深い。

僕にもすぐに思い当たることが。
昭和天皇逝去の時のブラジルを代表するテレビ局のニュース。
「東洋人街ではジャポネースが祖国の新聞に見入り…」
映し出されているのは、東洋人の老人男性、新聞は中国語。
「ジャポネースの店は次々とシャッターを下ろし…」
映像は、いつも閉まっている店の外景。

今回の震災のあとで日本の民放に出演したビデオジャーナリストが「テレビの人は、現場で自分の欲しい『え』を探している」という指摘。

僕自身、今回の震災直後の日本の民放の報道でのあざとい映像編集を発見している。
テレビに対する個々のフィルター、トランスが必要。

本日付の東京新聞の記事はまさしくスクープ、永久保存版だ。

「大津波やM9 想定却下」
 元技術者は事故や地震が原因でタービンが壊れて飛んで炉を直撃する可能性を想定し、安全性が保たれるかを検証。M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。
 だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付したという。(一面)
「人間が扱いきれるものではない。一人でも多くの人に気づいてほしいんです」(三面)


逗子のCINEMA AMIGOの岡村ドキュメンタリー特集最終上映日。
初日の時は地震で臨時休館になった葉山の「しおさい博物館」を訪ねる。
いたく面白い。
昭和天皇の採集品の展示をみて、ふたたび橋本梧郎先生と昭和天皇が重なる。

上映最終回は淺野キュレーターが祈りをこめた「郷愁は夢のなかで」。
西佐市さんの「浦島太郎」はこの度の日本の国難を預言していた感あり。
上映後の質疑応答に熱が入り、終電を見合せ。
「龍の間」に泊めていただく。


3/24(木)記 笑う病人

日本にて
今日も病人見舞いのハシゴ。

ふたたび難病の先輩を訪ねる。
小脳の機能が徐々に失われていく、10万人に一人の難病とのこと。
すでに食料の補給も排泄もチューブとなっている。
発声どころか、文字盤の指差しなどの意思表示もできなくなっている。
この人をずっとフォローしてきた人によると、認識や理解の能力は以前と変わらないようだ、とのこと。
江戸川乱歩の「芋虫」の主人公は四肢を奪われ、発声もできなかったが、最後にあの選択を遂げることはできた。
それもかなわないわけだ。

身体に触れたり、こちらから一方的に話しかけることぐらいしかできない。
今日はバカ話もしてみる。
むせるような反応を示し、はて、と思う。
シモネタを繰り返してみると、笑っているのがわかった。
笑いという表現ができるとは。

思い返せば返すほど、この人にはお世話になり、影響を受けている。
もう笑っていただくしかない。

先週に引き続き、西荻窪APARECIDA慰問上映。
今日は停電の恐れも、余震もなし。
土地なし農民たちの闘いが身に染みる。


3/25(金)記 液状カレー

日本にて
離日は来週月曜朝。
平日の日中は今日が最後だ。
トラブル続きの銀行で手続き。
病院。
夕方、東京駅アンダーグラウンド街を歩く。
ふだん(3・11以前)がわからないが、なかなかの人出。
ヒトデもいいが、ヒドラが見たい。

コロッケカレー280円「東京駅でこの値段」の看板にまさしく食指が動く。
カレーには見事に具がない。
コロッケは小ぶり、ひき肉などは見当たらず、わずかにパセリ状の緑片を一つ認めるにとどまった。

大学時代の学食のカレーは120円、実にまずかった。
具として見受けられるのは、煮ても溶けにくいタマネギの外皮近くぐらいだった。
とにかくカネを節約するため、臥薪嘗胆の思いでこのまずく、若者の腹の足しにもならないカレーを食べたものだ。

目黒駅のネカフェに寄る。
週刊誌が原発問題に新たな情報を提供してくれる。
そうか、正力松太郎がアメリカから導入か。


3/26(土)記 みたでみせた

日本にて
複数の友人・知人がミクシィやツイッターでこれを紹介している。
「原発導入のシナリオ」
http://video.google.com/videoplay?docid=-584388328765617134&hl=ja #
オンライン上でこんな長いのを見るのは初めてだと思うが、必見だった。
日本で原発という新興宗教がどのように導入されたのか。
自分の土台も改めて検証してみなければならない。

ここのところ、芝・三田あたりとなにやら因縁がある感じ。
夕方より田町駅近くの港区の施設で今回訪日のファイナル上映。
ガリ版刷りのミニコミ誌「あめつうしん」を発行されている田上正子さんらによる、昨年に続いて2度目の岡村作品上映会。
こんなに人が集まってくれるとは思わなかった。

飲み会は、チェーン店ではなく地元系でお願いする。
名前も「大金星」。
地元の学生らでにぎわっていて、こっちのメンバーの自己紹介やカントクのお酌まわりなどができなかったが、酒乱もケンカもなく、つつがなくお開き。


3/27(日)記 暗き街に蠢く

日本にて
明日は早朝に祐天寺を出家の予定。
今日のうちに実家の使用空間の掃除をしておく。

病院の見舞いと渋谷で買い物。
簡単に買えると思っていたminiDVテープが払底していて、カメラ屋をハシゴ。
もうどうでもいいような撮影はやめとけや、という天啓か。

それにしても日曜の夕方だが、照明は暗いが人出がすごい。
ハチ公前のスクランブル交差点など、斜めに横断するのが大儀なほど、人が群れ蠢いている。
ガリバー岡村が森で朽木を返した時に、パニック状態になるアリやシロアリの群れのような。


3/28(月)記 空のTSUNAMI

日本→アメリカ合衆国→
非常時なだけに細かい心配は尽きないが、ぶじ成田空港に到着。
午前中のフライトだが、空港内はさほどの混雑もない。
ふだんは金を出してまで読まないが、免税価格で週刊誌を2誌購入。

JALの機内上映映画は行きと同じはず。
おう、自粛・萎縮せずに「TSUNAMI」「ヒアアフター」も選択可能なままであるぞ。
日本では津波のシーンのある「ヒアアフター」が上映中止になってしまった。
垂れ流しのテレビならともかく。
このレベルの志で映画を公開しているのか。
イーストウッドに申し訳ない。
彼は日本人が風化させて見向きもしなかった硫黄島の戦いに、あれだけのスポットを与えてくれた日本の恩人ではないか。

「最後の忠臣蔵」は劇場で観た茨城ご当地劇映画より格段に面白かった。
ショッキングなまでの拾い物は、アニメ版「時をかける少女」。
お主、できるな。
ラベンダーの香りも、ケン・ソゴルも出てこないのだが…
主人公のタイムワープの予感をさせるシーンから、さりげなく大バッハのイタリア組曲が!
ジョージ・ロイ・ヒルのあの名作へのオマージュか!?
ロイ・ヒルの「スローターハウス5」、これはすばらしかった。
わたくしの、マイ映画。
第二次大戦中、ナチスドイツの捕虜になった米兵がタイムワープをするという話なのだが、ずばりイタリア組曲なのだ。
バッハに触れれば、タイムワープも納得できる。
時をかける旋律。

アニメ版「時かけ」、上野の博物館で古美術の修復作業をする若きおばちゃんなんてのも、よろしかった。
欲をいえばあのユーミンの名曲も盛り込んでいただきたかった。
次回のお付き合いカラオケは、これでいくか。
東洋人街のあの店には、こんなモデルノ(モダン)な曲はないだろうな。


3/29(火)記 大気汚染の香り

→ブラジル
ニューヨークで堂堂10時間あまりのトランジット。
空港のテレビでさっそく日本の危機が映し出される。
映画「野生の証明」みたいな迫力。

JALからアメリカン航空に乗り換えると、サービスの落差の大きさに戸惑うばかり。
そのJALが経営困難に陥った問題は、祖国の「平成原発の乱」とオーバーラップするかも。
現場のスタッフが身心を削って奉仕を続けても、トップは危機感がなく傲慢極まりない。

このアメリカン航空の便、仮にもJALとのコードシェア便になったせいか、少しは日本語吹替え映画が充実してきた。

さて、サンパウロ到着。
何度もこの街に「濁都(だくと)」といった形容をしてきた。
日本の煙草のけむい深夜の安い定食チェーンは、ガストだっけ。

こうしてみると、わがサンパウロの大気汚染は臭い、そして視界など、ヒトの五感で十分感知できるのが心地よい。
しばしさらば、シートベルトじゃなかった、シーボルト、いやシーベルト!


3/30(水)記 農民だけが

ブラジルにて
今度の訪日は、いつもと別の意味で疲れた。
今日一日は時差ボケに身を任せて、好きにさせてもらう。

深夜に覚醒したので日本で買ってきたDVD「荒野の七人」をまず観る。
表現者としてあたりまえのことだが、本歌に対するレスペクトが払われ、クレジットが掲げられている。
「農民だけが勝ち、土地と同じように永遠に生き残っていくでしょう」。
黒澤作品ではここまで踏み込んだ発言はなされていない。

祖国日本・うつくしまでは先祖以来の土地をつちかい続けてきた農民が土地を追われ、命を絶つ事態まで起こってしまっている。
新石器時代以来の農というヒトの営みをあざ笑い、根絶やしにするのが「絶対安全」かつ「クリーン」な原子力である。

昨日、サンパウロ国際空港のシャトルバスから乗り継いだタクシーの運転手に日本の原発の話を持ち出してみた。
彼はラジオのニュースで今日もFUKUSHIMAで新たに高濃度の汚染が測定されたことを知っていた。
いわく「冗談じゃないぜ、まったく」。


3/31(木)記 「I should be emperor」

ブラジルにて
日本では、まともに活字に目が入らなかった。
ガリ版刷りや手書きもあったから、文字そのものに。

ブラジルに戻っても、ネットで日本の原発状況の情報を探しがち。

ネットの情報は、放射線レベルが高すぎる。
ただちに健康に害を及ぼすというほどでもないが。

今回、横浜のシネマジャック&ベティに行った際に、近くの書店でマルB印の本を見つけて買った。
「ジミーと呼ばれた日-若き日の明仁天皇-」工藤美代子著、恒文社21。
橋本梧郎先生は明仁天皇にブラジルで2度、日本で2度お会いしていると記憶する。
自分でまだ気づいていない「南回帰行」のバックグラウンドがわかるかもしれない。

特に印象的だったエピソード。
現天皇は敗戦直前、奥日光に疎開していた。
すでに皇太子の座にあり、齢11歳。
東京で無条件降伏を納得しない陸軍の少壮将校グループが宮中になだれ込む事件が発生した。
同様に、宇都宮連隊の一部抗戦部隊が皇太子を拉致して会津若松に立てこもり、徹底抗戦を継続しようとする動きがあったという。
側近たちは奥日光の山奥経由で脱出する極秘ルートを検討して、リュックに食料を詰め込み逃避行に備えていたとのこと。

ダライ・ラマのラサ脱出を髣髴させる。
わずかのところでFUKUSHIMAをめぐる日本の地勢図が変わっていたかもしれない。


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