5月の日記・総集編 白夜の智恵 (2011/06/01)
5/1(日)記 北関東風強し
日本にて 祖国の五月を二日酔いで迎える。 JR鈍行を乗り継いで、水戸へ。 山手線は架線にタオルが巻きついたとかで、ドクターストップ。 常磐線は線路内にベニヤ板が飛び込み、反則技でストップ。 さらに強風のため徐行。 水戸まで4時間以上かかり、上映のギリになってしまう。
手打ち蕎麦・にのまえさんでの上映、今回は6回目。 希望者オーバーでだいぶお引取りいただいた由。 恐縮です。 3時間半を超える「KOJO ある考古学者の死と生」を上映。 質疑応答では初めて気づかされる鋭いご指摘もいただく。 若い人たちが懸命にこの作品を受け止めてくれて、感無量。
おとなうごとに上映の場と観客がどんどん成長していくのを体感する、納豆菌のような驚異の営み・にのまえ!
5/2(月)記 水戸三昧
日本にて 水戸・桜川縁で朝を迎える。 今日は月曜だが、連休期間のため、茨城県近代美術館は開館とのこと。 しかも震災支援の意から、連休明けまで無料という太っ腹。 して、お題は「ふるさとを描く いばらき美術風土記」。 期待以上の面白さ。 展示場の演出がニクい。 いいキュレーターがいるのだろう。 原爆展自粛の目黒区に、爪の垢の支援を。
みどりとみずいろが、まぶしかった。 人をヒトたらしているものは、アートかもしれない。
宿にあったチラシで、水戸駅近くになっとうなんでも展示館というのがあるのを知る。 これも面白かった。 納豆を旧石器期いらいの日本列島の歴史と地理をふまえて、どう位置づけるか。 勉強になった。 新大陸に豆の発酵食品があるか等、想いは馳せる。
バスで帰京、夜のアパレシーダ上映で、納豆話まで披露。 話は拡がり、店主Willieさんからフェイジョン納豆なるものが存在することをご教示いただく。 最後にブラジルにねばねばとつながって、オチもつく。 イカ納豆があるのなら、ナメクジ納豆もありか。
5/3(火)記 さつきとメイ
日本にて さあ今日から小岩でメイシネマ祭の開催。 小岩の商店街、心なしか開かない貝のような店が増えた感じ。 4本の上映、うち1本はシモタカで見たばかりなので、その間は近くのネカフェで作業。 サウダージ・ブックスの淺野さんに明日の「南回帰行」上映にちなんで寄稿をお願いして快諾いただき、電子落手。 タイトルは「路上のミクロコスモス」。 読み返すごとに余韻のひろまる格調。 特に後半、朗読したい思いに駆られる。
明日のトークに備えてネタの創出と推敲にかかる。 会場の脇に隣接する社が気になる。 小岩の地神にご挨拶しておかないと。
5/4(水)記 新緑によみがえる
日本にて 今回訪日のメインイベント。 いよいよメイシネマ祭で「南回帰行」の上映。 頼もしい顔、うれしい顔、意外な顔。 みなさん、ありがとうございました。
みなさんの視線をたっぷり吸い込んで、橋本梧郎先生と「南回帰行」、蘇生しました。 わが子を、世に送り出した思いも。
淺野卓夫さんとメールで魂を揺すぶりあう。 嗚呼パラナの大地。
5/5(木)記 メイの結婚
日本にて 三日間にわたるメイシネマ祭の千秋楽。 下高井戸で観たものもあり、全作品をたしなむことができた。 原発問題も受け、農というものをみつめたい思いが強まる。
上映の前後合い間に会場の小岩コミュニティホールの周辺をけっこう歩いた。 お気に入りのお店もいくつかできる。 意外なスポットとしてはサンロードをもう少し直進して、右側に見える「トトロの家」。 メイシネマのネーミングの由来に「となりのトトロ」があることをキュレーターの藤崎さんに聞いていたので、奇遇。
上映終了時に、藤崎さんより、今年いっぱいでこの会場が使えなくなるという報告あり。 メイちゃんも、幼女から少女へとメタモルフォーゼを迎えるか。 嫁入りまで、見届けたい。 彼女の父は考古学者だしな。
5/6(金)記 トラブルを越えて
日本にて 実家にて国内いくつかに梱包・発送作業など。 夕方からPARCでの上映会。 これが今回訪日中、最後の上映。
担当との事前の打ち合わせでぶったまげる。 今回の上映作品のひとつ「あの戦争が始まるまでは・原爆編」の上映用素材をすべて、さる人のところに送ってしまったというのだ。 3月の段階で上映用のより高画質のminiDVテープ1本と、バックアップ用のDVD1枚をPARC宛てに送っておいた。 この作品は在福島の俳優・和田恵秀さんの同名の舞台の通し稽古を記録したもの。 和田さんがこの舞台の宣伝を望まれていたので、すでに日本での手持ちのこの作品のDVDはすべて「これは」という方々にプロモーション用に送ってしまっていた。 311以降、さらにこの作品をお見せしたい方と出会い、PARCの担当に頼んで、DVDをその人に転送してくれるよう、お願いしておいた。 して、担当はminiDVも送ってしまったというのだ。
福島から和田さんもお見えになられた。 和田さんの方で大量にコピー・パッケージ化されていた拙作DVDを持参されたか聞いてみるが、持って来ていないとのこと。
しかたがない。 当初の予定通り、僕が持参した「六ヶ所村」と、たまたま持参していた別の二作品を、ご来場の皆さんにチョイスしてもらって上映することにする。 オカムラ作品のリピーター、シンパとおっしゃってくださる方々が多数集まってくださる。 ちょうだいしたカンパはすべてPARCにチョイスしてもらった福島原発災害関係の団体に送ってもらう。 和田さんからもカンパとしてご著書の寄贈をいただいた。
そもそも3月の予定していた上映が311問題で順延になったのだが、今回のトラブルにより7月の岡村訪日時にリ・リベンジ上映決行と主催者の弁。 カンパは福島の母と子の放射線問題のグループに送られる由。 いいところを見つけてもらった。 今日のカンパの総額は、通常上映をはるかに上回った。 次回もまたカンパを募って送れるというもの。
5/7(土)記 南回帰行同行記
日本にて サウダージ・ブックスの淺野卓夫さんがメイシネマ祭での「南回帰行」公開にあわせての書き下ろし「路傍のミクロコスモス」を寄稿してくれた。 加筆・修正してブログにアップされた。 http://saudade-books.blogspot.com/2011/05/blog-post.html 特に後半、声を出して読み上げたい格調がある美文だ。
今朝、小説家の星野智幸さんによる「南回帰行」レビューに接する。 http://hoshinot.asablo.jp/blog/2011/05/07/5850279 文士!! 今回は星野さんに命名いただいた「ライブ上映」ならではの一期一会のリアクションも読み込んでいただいている。 1990年代、あれは星野さんの小説デビュー以前になろうか、立教大学ラテンアメリカ研究所報に書かれた「岡村淳氏の豊かさ」以来、何度その文に泣かせていただいたことか。
涙腺リフレッシュして、馴れ合いを許さず、こうしたかけがえのないウオッチャーたちの期待を裏切らない作品づくり、そして生き方に精進していきたい。
5/8(日)記 人脈剪定
日本にて 昨年、訪ねたオランダのシーボルトハウスの中庭。 ウツギが植えられている。 ウツギはシーボルトが日本から持ち帰り、ヨーロッパに庭木として広がった由。
日本で、僕としては本業に差し障るほどご奉仕させていただいていたつもりの人から、誹謗中傷罵詈雑言のシャワーメールをいただく。 こちらの善意と善処をここまで悪意にとるとは、さすがはアーチスト。 自他ともに認める先方の人格上の欠陥は今回まさに確認できたが、その芸と作品は惜しい。 それゆえの返信はしておく。
ふだん用いない方のメルアドに、思わぬ人からのメール。 おそらく先方がよかれと思ってしてくれたことが、その先に出鱈目な組織と人があり、気を病んで連絡を控えていたようだ。 新たにつながり、うれしい限り。
去るものは追わず、来るものはこばまず。 でもあんましヘンそうなのは、未然にこばまないとな。
実家に、どうやら昭和のはじめぐらいにはあったらしいウツギの古株がある。 新葉に枯れ葉が混じり、虫つきもあった。 公道へ張り出す気配もあり、少し刈り込みを続けた。 すると、なんとも可憐な花がたわわに。 最初は白い花が、徐々にあかみをおびていく。 美しい。
くさった人脈も枝葉も、思い切って切り捨てよう。
5/9(月)記 白夜の智恵
日本にて 先日のAPARECIDAでの上映後、店のドナからドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」の感想を聞き、少し無理してでも見たくなった。 渋谷での上映は混雑しているようだが、吉祥寺でも上映されているとのこと。 しかも吉祥寺は月曜がメンズ・デーで1000YENポッキリの由。 男子として生まれてよかった。
実家のローテーションの合い間に、いざ吉祥寺へ。 おお、こんなこじゃれた映画館ができていたとは。
映画はフィンランドの孤島の地中深くに建設中の核廃棄物保管施設を紹介する。 映画は解説だけ読んで知った気にならないで、やはり見なきゃお話にならない、と基本を再確認。 とても知的で、想像力豊かに原子力発電の問題を提示して、考察している。 「絶対安全」神話の布教とカネのばら撒きに終始した日本の原発行政と電力会社の対極をなす。
原発推進、反対にかかわらず、すでに生じてしまっている膨大な核廃棄物をどう処理するかが今の人類には求められている、とまず問題を提起。 そして、まさしくサイエンスフィクションのような次々の問いをまじめに考えていくのだ。 キューブリックの「2001年宇宙の旅」をほうふつさせる、時空とさめた知性。
鎌仲ひとみさんの「ミツバチの羽音と地球の回転」ではオルタネイティブの発電の可能性をスウェーデンに求めていた。 「100,000年」もフィンランド、スウェーデン、デンマークなどの北欧の知性の結集だ。
日本の混迷に光をさすのは、白夜のくにぐにの知性と感性か。 11年前の今月、みまかった先輩のご尊父は、日本で稀有の北欧語の専門家だ。 次回、お訪ねして、ぜひそのあたりを聞いてみたい。
5/10(火)記 スーツなきスーツケースに
日本にて 実家の買い物等で外出。 スペインの伯爵号を名乗る何でも屋に。 子供たちの好きなマンガのキャラの寝具あり。 今回は食糧品の持込みを控えるため、ブラジル帰りの荷物はけっこうスペースに余裕あり。 このあたりを買い込む。
書籍を詰めたカバンの方は、マンガも多いが相変わらず重い。 こっちも歳だし、腰でもやられたらアウト。 特に他人様の荷物で苦労するのはもうほどほどにしたい。 無償・持ち出しの好意・善意にナンクセをつけられて逆ギレされるのは、もうたくさん。
5/11(水)記 SAMIDARE
日本にて SAMIDAREとスペると、ラテン語の響きがあるな。
明日は早朝、寺を出る(祐天寺を出発、の意)ので、今日中に掃除・荷造り等を済ませておかないと。 洗濯物には、あいにくの雨。
洗濯機の乾燥機能という手もあるだろうが、時局柄の節電というより根っからの貧乏性で躊躇してしまう。
道中、まとうつもりのシャツやGパンは、生乾きでも身につけて体温で乾かすとするか。
5/12(木)記 そら見たこと
日本→アメリカ合衆国→ 早朝、実家を出る。 恵比寿のリムジンバス乗り場まで、タクシー。 早朝の流しのタクシーが減った感あり、時間ギリギリでヒヤヒヤ。 運転手さんに客足について聞くと、「外人さんが減った」とのこと。
成田でのプチ朗報。 第2ターミナル、61番登場口の手前にかなり大きな本屋さんがオープン。 いままでのキオスクに毛の生えたような規模の店の3倍ぐらいはあろうか。 出国後だから、消費税5パーセントオフが魅力。 いずれにせよ機内持込みになるので、そうは量を買えないけど。
ニューヨークまでのJALの機中では、食事とうつらうつら以外は映画三昧。 寸評を2本。 「太平洋の奇跡 フォックスと呼ばれた男」 少しは期待していただけに、がっかり。 若い俳優がギャーギャーどなるばかりの芝居で、大東亜戦争の激戦かよ。 イーストウッド監督あたりの緻密な演出で見せてもらいたかった。 「ザ・ライト-エクソシストの真実-」 あのフリードキンの「エクソシスト」へのオマージュも楽しい。 フリードキン作品も若き神父の苦悩も描いていたな。 最近の我が身に生じたことだが、お慕いしてご奉仕していた人から罵詈雑言誹謗中傷の縁切りメールをいただくことに。 日ごろから当人は偉大な宗教者の加護があると言ってはばからないが、先方に狐狸か悪魔がついたと考えると、納得がいく。 くわばらくわばら。
ニューヨークの入国審査と出国時のチェック、意外とゆるい。 ジェロニモ騒動があったので、懸念していたのだが。
5/13(金)記 ブラジル人運転手の戦慄
→ブラジル 灰色に沈む大サンパウロが視界に入る。 日本からはご法度となった食糧品持参を控えたが、あっけなく通関をパス。 シャトルバスで市内の空港に向かい、そこから拙宅までタクシーという最近の定番で。 市内のコンゴニャス空港で相変わらずの長蛇の列につき、タクシー待ち。
運転手に行き先と道順を伝えると、舌打ちが聞こえ、返事もない。 近場のせいか。 外は渋滞。 まことに気まずい。 こういうのがいやで、タクシーは控えるようになった。 運転手は、コロニア語でいう「ハングロ(半黒)」。 英語ならアフリカン・ブラジリアンか。
渋滞のなか、運ちゃんが「リオからかい?」と聞いてくる。 「ジャポンだよ」。 そのあたりから盛り上がる。 日本でブラジル料理が食べられるのか、との問い。 日本のシュラスカリア(ブラジリアン焼肉屋)はスポーツ競技みたいに時間制限のある店もあるぞ、というのが大受け。 「必殺」のオチは、最近、日本で複数の死者を出したユッケ中毒事件。 「えッ、ジャポネースはナマの四つ足まで喰らうのかい!?オレはナマザカナだってご免なんだぜ!!」 「ブラジルじゃあ『腹ペコを殺す:空腹を満たす』という言い方をするが、日本じゃ焼肉屋でホントに女・子供が死んでるわけよ」とソコソコのオチがついて、到着。 運ちゃんにたっぷりのコーヒー代ぐらい上乗せ、握手して別れる。 最初の舌打ちは、渋滞のせいだったかも知れない。
ハングロに ハングル話 サンパウロ 作者のハングリー精神を読み取っていただきたい。
5/14(土)記 今日のブラジル人
ブラジルにて 昼、息子と徒歩圏内にある大衆シュラスカリア(ブラジリアンバーベキュー店)へ。 安心して食べられるブラジリアンユッケを、というのはウソ。
なじみのマネージャーが来て、握手。 「しばらく見なかったね」 「昨日、日本から帰ってきたんだよ」 「おお!!そりゃあたいへんだっただろう。 日本の家族のところは、地震は大丈夫だったの?」 「だいぶ揺れたけど、とりあえず無事だったよ。 まだ放射能が心配だけどね。 それに『余震』がまだ続いて…」 「ええ!まだ地震が続いているのか!?」
そもそも大地の揺れなど想像もできない多くのブラジル人に「余震」を伝えるのは用意ではない。 「『地震のあまり』という現象があって…」 土曜の昼で店は混雑、彼に他からのお呼びがかかり、ポル語で言う地震早わかり講座はオシマイ。
日本の311災害に心を寄せるブラジル人、複数と話したが、初期にこちらのメディアが喧伝した、大災害にあっても略奪もなく、秩序正しく…を賞賛する声ばかり。 FUKUSHIMAから転居してきた人への差別、子供へのイジメ、政府とTEPCO(東電)による人間の尊厳をあなどる傲慢さをTPOにあわせて伝えることにしている。 21世紀にもなって、祖国で生じた人類の負の世界遺産。 「遺跡」の範囲はいまだ拡がるばかり。
夕方から車で知らないところに行く用件があり、カイピリーニャはそこそこに。
5/15(日)記 ブラジルの大アジ
ブラジルにて さあ路上市にサカナの買出しに。 思えば今回の滞日中、サシミらしいサシミを食べた記憶があまりない。 特に魚類の福島産放射能を恐れていたわけではない。 フトコロ具合に比例して日本での食生活は貧しくなるばかり。
マグロ、サーモンといったこちらの定番はそもそも値段が高いので、パス。 いつもとちがうあんちゃんにすすめられるままに、大き目の種類のアジを買うことに。 大ブリでもアジ、なんちゃって。 2キロ強のウエイト。
三枚におろしてもらう。 骨の周囲の肉は昨今、スプーンで削ぎ落として「なめろう」にしている。 これが家庭で好評。 肝心のサシミはちょっとコリコリしすぎた感じで、まさしく大アジなり。
ワサビ、ショウガをきらしてしまい、チューブの柚子コショウでお茶を濁す。 大根もストックがなく、しおれたキャベツと味噌汁用ワカメをツマに。
いろいろ買い出さないと。
5/16(月)記 海賊と義賊
ブラジルにて ふたたびブラジルに戻ってからも、大きな「お気になり」は日本の原発問題。 ツイッター上の信頼できる複数の筋から3チャンネルで放送された「ネットワーク…」が必見、早急にYou Tubeで見ておくべし、と発信している。 仮にも著作権にこだわる分際であるので、よほどの事情がない限り、You Tubeは見ないのだが、例外の事態と判断する。
見ていると、NHKのかつて袖ふれ合ったことのあるスタッフがからんでいるのがわかり、頼もしい。 そもそも7分割されているものが、当方のラインの不良により、ぶちぶちと途切れてしまい、見終えるまで一日作業だ。 NHKの良心的な部分の結集の番組といえる。
僕が2005年以来、告発しているのは、無責任かつ傲慢に欺瞞と隠蔽を重ねるNHKの首脳部だ。 行政や東電と同じく、首脳部が無能かつデタラメで、現場が最前線で劣悪な状況のなか、まさに命がけで組織を支えている。 こっちが作家生命をかけて告発してきたNHKのエライさんは、とっくに天下りをかましていると聞いている。 NHKのETVでは、僕も他の日本の報道番組ではハナもひっかけられなかった「ブラジルの土地なし農民」を放送させてもらっている。 NHKの良心と仕事ができたことは、僕の誇りでもあり、ガン化した上層部と闘い続ける活力源でもあった。
スポンサー収入や入場料、DVD販売といった営業で成り立っている作品ではない。 スタッフも被写体となった勇気ある方たちも、そして番組自体がより見られたがっているのを痛感する。 制作者も被写体もこだわっていないだろう著作権に拘泥せず、多くの人たちでこの勇気を共有したい。 この作品を見られることを最も嫌っているのは、東京電力はじめ原発推進と事故に責任ある行政と産業、御用学者に御用文化人だろう。
5/17(火)記 「上関原発の真実」
ブラジルにて 拙サイトで何度か紹介させていただいている「あめつうしん」最新号No.264が届いた。 通常とは違う編集になっている。 緊急トップ記事の大原清秀さん著「神主殺人事件 上関原発の真実」はたいへんな衝撃だ。 しかもこれは3・11以前に書かれたものという。 映画「祝の島」や「ミツバチの羽音と地球の回転」には触れられることのなかった上関原発をめぐるショッキングな事実と犯罪の数々が告発されている。 いくつかご紹介させていただきたい。
かつて祝島の漁民たちは現金収入を求めて、島根原発の原子炉の中に入っての定期検査の労働に当たっていたという。 島に帰ってきた漁民たちは「がんや白血病に冒されバタバタと死んでいったのである。」 原発の是非を問う上関町長選挙の時には「中電は、エタイの知れぬ男たち100人雇い入れ、上関町に半年間住まわせ、原発賛成派の候補に投票させた。選挙が済むと、エタイの知れない男たちはどこかへ消えてしまった。」 中電の原発建設計画の炉心部にあたる場所に四代正八幡宮という神社があった。 宮司は原発建設に断固として反対した。 すると「何者かが、林宮司名義の辞職願いを偽造し、東京の神社本庁に出した。神社本庁は直ちにこれを受理、林宮司を解任し、別の宮司を持ってきた。その別の宮司は、すぐさま田ノ浦の社を中電に売却した。」 林宮司は裁判に訴えたが、山口地裁で倒れ、そのまま亡くなった。 宮司の弟が裁判を受け継いだが、裁判所は神社の杜の中電への売却は有効とした。
まさしく神をも恐れぬ、神社本庁、司法ぐるみの組織的犯罪だ。
多くの人たちにこの事実を共有してもらいたい。 「あめつうしん」の入手は編集代表の田上正子さん(電話およびファックス03-3229-7580 Eメール masa.tanoue@nifty.com )へ。
5/18(水)記 「恐怖の解剖」
ブラジルにて ブラジルに戻っても、これを観直すまでは何も手に付かない思いだった。 昨日、確か在庫があったはずと目をつけておいた店に行き、DVDを購入。 ポルトガル語タイトル「ANATOMIA DO MEDO」、いいセンついた意訳だ。 黒澤明監督「生きものの記録」。 最初に見たのは高校生の時だったか、黒澤のオールナイト特集に忍び込んで。 ブラジル移民になってからもどういう機会だったか、新たに観て劇中に登場するブラジルの映像に目をみはった覚えがある。
冒頭から最後まで、さまざまな黒澤作品がオーバーラップする。 311を経て、ブラジルでこの作品を堪能することになるとは、感無量。 言葉が、なかなか追いつかない。
黒澤の「生きものの記録」の公開は1955年。 「七人の侍」の翌年だ。 第五福竜丸の被爆が前年の1954年、本多猪四郎と円谷英二の「ゴジラ」が1954年。 正力松太郎の日本テレビの「原子力の平和利用」が1955年だ。 黒澤VS正力。 正力の遺産にはヘドが出るどころか、ヒトのDNAすら冒され、祖国は棄民を量産、さらに亡国の危機にさらされている。 黒澤の作品は半世紀以上を経て、半減期どころか、妖しい光を放ち、日本人の、人類の映像遺産としてようやく評価が追いついてきた。
先達が遺してくれた志を、勇気を糧として、継承したい。
5/19(木)記 「きみらのゆめに」
ブラジルにて 日本の原発災害、実家の大事がおおきな気がかり。 ブラジルに戻りながら、心が祖国に奪われていると何かこちらで事故でも起こしそうだし、そもそもこちらの家族に申し訳ない。 無味無臭の放射能災害と異なり、硝煙と血生臭い犯罪と事故に満ち満ちているご当地サンパウロだ。 「生きものの記録」も観たし。
で、昨年、完成させた子供の日本でいうと中学レベルの学校の卒業記念ビデオの日本語字幕版製作に着手。 つくっていて面白かったし、この若者たちのはじける生命力、将来への希望と夢を、複数の原発が同時に大事故という人類史上、未曾有の災害に襲われている祖国の、シンパの皆さんにお伝えしたくなった。
7月の訪日には間に合いそうだ。 「AOS SEUS SONHOS」が原題だが、「きみらのゆめに」を邦題としてインサート。
5/20(金)記 「きみらのゆめに」2
ブラジルにて 作品のポルトガル語の聞き取りと翻訳。 かつては専ら妻の協力をえていた。 いまや娘が戦力となり、ありがたし。
こっちの中学レベルの授業の翻訳。 なんの授業かぐらいはわかるが、内容はそうとう難解なり。 たとえば化学。 こんなのがわかったら、今ごろゲンパツのエキスパートかも。
おかげさまで、想定より早く終わりそう。 「ササキ農学校の一日」は今度のの半分ぐらいの尺だったが、しゃべり→字幕だらけでけっこうたいへんだった。
それにしてもこっちの中学生の語り、日本語にしてみるとまたいちだんと泣かせてくれる。
5/21(土)記 グラウベルの既視
ブラジルにて 昨日、こっちの新聞の付録でついてくる文化情報誌で知る。 サンパウロでもグラウベル・ローシャ監督特集上映。 昨夜は、家庭の件でパス。
土曜の夜、21:30からの上映。 強盗リスクを考えると、あんまし外に出たくない時間だが。 アウグスタのCINESESの窓口に並ぶ。 なんと入場無料というではないか。 なんという太っ腹。 器からこころにくいコーヒーを頼み、ストリンドベリイ小作品集をひもときながら、開場を待つぜいたく。
今晩は邦題「アントニオ・ダス・モルテス」。 スクリーンで観るのは初めてだ。 ブラジル楯状地のフォークロア。 先カンブリア期の大地で繰り広げられるブラジル史のイリュージョン。
僕は、この作品の舞台を歩いてきた。 きょう、初めてそのことに気づかされた。
5/22(日)記 サンパ my love
ブラジルにて 今日も夜のグラウベル。 アフリカでロケした「七頭の獅子」(1970年)のデジタルマスター版。 これをみた日本人は、そうはいないだろう。
21:30の開始までにだいぶ時間が空いた。 地下鉄駅近くのコンジュント・ナショナルをのぞいてみる。
おお、気になっていたデブレー展が開いているではないか。 19世紀に主にブラジル南部の風景画を描いたフランス人。 19-20世紀のブラジルの風景画に、いたく惹かれてしまう。 そもそも日曜も21時まで、しかもタダで美術展が拝めるというのはスゴい。
この建物の回廊部分の展示もよろしいものが多い。 今日はダウン症の人たちのアート展。 根源的な、自然界に感じる美を想う作品が少なくない。 収穫。 もちろんこれもタダ。
まったくサンパウロはえらい文化都市だ。 小文字で愛を捧げる。
5/23(月)記 賢治の方のミヤザワ
ブラジルにて メインの作業は「きみらのゆめに」日本語字幕付け。 ポルトガル語だと聞き流していた発言を、日本語に訳してみて画面にあててみるとスゴい。 その心性の高貴さは、すぐ思い出すのでは日本の宮沢賢治。 14-15歳の少年少女が、これだけのメンタリティを。
日本でお見せするのが楽しみ。 その前にクリチーバあたりでお見せしちゃおうか。
5/24(火)記 学校を選んだ親に感謝
ブラジルにて 息子の学校の記録映像への日本語字幕付け作業、大詰め。 日本でいうと中学の卒業を迎える時期の少年少女に、個別にインタビューしたのだが、何人もが「この学校を選んでくれた親に感謝している」と自発的に述べている。 我が家は妻の奔走による学校選びだった。 夫は学費の足しの稼ぎもなく、情けない限り。
放射能禍に脅かされる日本の福島の子供たちと親たちを思う。 ブラジルでは特に都市部で公立学校のレベルの著しい低下、犯罪の増加などから経済的に中流以上はふつう、子供たちを私立学校に通わせている。 学費もまちまちでバカにならないが、その分、オプションも豊富だ。
学校まかせが国まかせになってしまう日本国では、親が感謝される存在を目指さなければならないかもしれない。 国土を、そして子孫のDNAをも侵す原子力を利権に目がくらみ国策として選択・推進し、核犯罪と未曾有の核事故を起こし続けている放射能汚染の国で、親である限り。
5/25(水)記 納豆菌は不滅です
ブラジルにて 今日の邦字紙の記事には、いくらでも突っ込みを入れたくなる。 まずは「納豆が消える?震災被害の影響 東洋街にもジワリ」。 店頭には日本からの納豆が山積みだが、売りつくした後の仕入れの目処が立っていない、とある。 そもそもブラジルにはサンパウロだけでもブラジル国産の納豆が2種類、販売されているんですが。
よほど納豆にこだわる編集方針のようで、コラム欄には3週間ほど前に日本から出張できたという会社員が日系食堂で納豆ご飯に感激していたというエピソードが紹介されている。 「日本では買うことすらできないのにブラジルでは納豆が食べられるなんて」とえらく喜んでいたとある。 僕は東京ですでに4月の段階で、スーパー各店で納豆は銘柄の異動はあっても量的に不足していないのを確認している。 記者か発言者の、どちらかが事実の誤認をしているようだ。
3・11後の日本各地での納豆切れは僕にもショックだった。 そしてそれなりに研究して、ブラジルでも日本でも自家製納豆の製作に成功した。 納豆不足を嘆いたり、あおったりするより、自分で作る方が早いし、そもそもいさぎよいというもの。 いつまでも政府や東電ごときの情報操作にのせられて一喜一憂しないためにも、これぐらいの生きる智恵がほしい。
APARECIDAのWillieさんから、日本の東北でブラジルのフェイジョン豆で納豆を作っている人がいるらしい、と聞いた。 ブラジルに戻ってストックのあった黒フェイジョン豆で挑戦するが、これはもう出来過ぎの部類の作となった。
もとはブラジルの日本語情報紙の移民妻の納豆レシピがきっかけでの製作。 水戸の納豆ミュージアムで情報を集め、自分なりにプロセスを改良したのだが、ばっちしだった。
今度はブラジル産日本茶を使って「手もみ紅茶」を作ってみよう。
5/26(木)記 待つ。
ブラジルにて 日本から来ているおそらく若い人からメールがあり、僕に会いたい、頼みごともある、とのことで。 ブラジルに来て半年、まだシュラスカリアにも行ったことがないという。 それなら我が家の近くで肉でも食いながら話でも、と今夕、最寄りのメトロの改札口で待ち合わせ。 先方の都合に合わせた時間設定とする。 こういう場合、ふつう先方が時間前、少なくとも時間通りに来ているものかと。
待つこと1時間。 まさか待たされるとは思わなかったので、読み物も持ってこなかったのは「読み」が浅かった。 30分ぐらいで帰りたくなったが、帰ってからふたたび電話で呼び出されるのも苦痛。 先方にこちらの携帯電話の番号も伝えてあるが、先方は携帯を所有しない由。 「想定外」の交通渋滞に巻き込まれ、ぐらいのところだろうが、1時間経ち… そもそも僕を含めて、ブラジルごときに自ら乗り込んでくる人は、どこかしらヌケている。 あるいはナメている。 ちなみに相手は女でもおかしくない名前だが、事前にさるルートで確認したところ、男。
駅の人間模様は、それほど退屈はしない。 僕の横で化粧用の筆を取り出して顔面装飾を長い間、ほどこしていたねーちゃん。 ようやく彼氏らしいのが現われ、二人で無言のまま数分間、抱擁。 これがいちばん印象に残ったな。
5/27(金)記 縄文時代のリサイクル
ブラジルにて ブラジルに移住しながら、縄文や横浜とは不思議と新たな縁が生まれている。 ネット上で、こんなのを発見。 「比較文化史の試み」 http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka8/b793.htm
僕が学生時代、横浜の遺跡調査の報告書に書かせてもらった論考が引用されている。 あれを書いたのは、1981年か。 遺跡から発掘された土器・石器から、縄文時代のリサイクル活動に迫るという、今様な内容。 30年前には時期尚早だった。
大学の図書館にこもって戦前の考古学・人類学関係の文献を漁った。 往時の研究成果をもとに、「再利用」「再生」「転用」と道具の2次使用を分類、定義づけた覚えが。 さすがにオリジナルの報告書はブラジルに持参してこなかったけど。
遺跡の調査報告書はほとんどが書き捨ての文章ばかり、という点でテレビ番組とオーバーラップする。 3 decadesを経て、学部の学生が書いた舌足らずのものが他人様に引用してもらえるとは。 ひとえに縄文文化の豊かさの故だが、なき古城泰学兄の御霊に報告したい。
5/28(土)記 生きる光
ブラジルにて 東京電力をはじめとする日本の電力会社首脳のでたらめ・欺瞞と傲慢が次々と白日にさらされている。
大震災の当日、東京電力の清水社長は「関西財界人との会合」と偽り、夫人と秘書まで連れて奈良のお水取りなどのプライベート観光を楽しんでいたことが暴露された。 http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/nuclear/news/20110528k0000m040139000c.html うそつきはどろぼうのはじまり。 まさしく盗電、ブラジルのスラム並みである。 スラム住民から電気は盗んでも、人命と国土を侵したりしないぞと怒られそうだが。 部下を引き連れての土下座などで何も事態は改善されないだろうから、ぜひ今度はご夫人連れで福島第1原子力発電所の「お水取り」を披露していただきたい。 このうそつきトップの苗字が「清水」というのもかなりのブラックユーモアだ。
下品な話題の除染を試みよう。
家族で山と森のある宿に一泊旅行でも、と願っていた。 しかし昨今のブラジルの物価高は相当なもの。 そこそこの宿で、日本の中級の温泉旅館ぐらいの料金である。 家族四人だと、目をむく金額に。 近くのブラジリアン日本飯屋に切り替える。 森の闇と光に想いを馳せながら。
最近、ブラジルの大西洋森林で新種の発光キノコが発見された。 闇の熱帯林の土壌を照らす光。 日本でも伊豆諸島や紀伊半島の発光キノコが知られている。 東京の夢の島植物園で国産発光キノコのあかりを体験したが、新聞の文字の読める明るさだったのに驚いた。 さまざまな発光生物。
ヒトによる昆虫の利用の歴史は蜂蜜採り、蚕の絹などが主。 発光昆虫の活用はどうか。
発光キノコのディスプレイがあれば、屋内の常夜灯ぐらい望めるかもしれない。
いのちのつくるひかり。
5/29(日)記 「ブエノス・ディアス、ニッポン」
ブラジルにて 特筆すべき本を読了。 「ブエノス・ディアス、ニッポン~外国人が生きる『もうひとつの日本』~」ななころびやおき著・ラティーナ発行。
スペイン語をたしなみ、東京で弁護士事務所を開く著者が日本で関わった様々な外国人の事件が紹介されている。 司法の最前線で奮闘する弁護士なだけに、ナミの物書き、ジャーナリストでは入り込めないプライバシーや闇にも踏み込んでいて、興味は尽きない。 というより、自分が日本を頻繁に訪ねる在外日本人でありながら、知らなかった数々の祖国の非日本国籍人をめぐる問題に、慄然とする。 無力感と、自己嫌悪。
ななころび先生は、そんな読者も優しくフォローしてくれる。 不法滞在と障害という二重苦をリポートする最終章「底知れない格差」はまことに重い。。 そのなかで紹介される、ペルーの極貧地域の障害者救済にあたるカルメンさんの言葉。 「あなたにできることを、できる範囲でやっていくこと」。
ペルーから日本に出稼ぎに来た夫妻に、日本で生まれた娘はダウン症だった。 日本の特殊学級に適応していた少女と家族に、入国管理局は強制送還を命じる。 著者と事務所のスタッフたちの、手弁当で南米を往復しながらの奔走が始まる… 結びの文に、強く線を引いておいた。
この本は雑誌「ラティーナ」の連載をもとにしたものだ。 心打つ後日談を知った。 雑誌でこの連載を担当した女性編集者が、著者に魅かれてこの弁護士の事務所で働くようになった。 そして一念発起して司法試験に挑戦、みごと自分も弁護士となり、ななころび先生の事務所で特技のスペイン語とラテンなノリを活かしながら、今もともに活躍している。
人は、変わることができると改めて教わった。
5/30(火)記 ストリンドベリイ発見
ブラジルにて ―明かりのついた空っぽの部屋なんて、暗いよりずっと気味の悪いもんだ― (「ストリンドベリイ小作品」『夕立ち(稲妻)』」より)
どことなく、北欧づきを引きずる。 タルコフスキーは核の恐怖をいかに描いていたか、気にかかっていた。 先週、サンパウロで彼の遺作「サクリファイス」の正規版DVDを発見、ウヒウヒと購入。 おお、スウェーデン映画だったか。 ポルトガル語字幕で見るが、あとで日本語の資料を漁ってみると、情けないぐらい設定と筋をフォローできていなかった。
今日は「ストリンドベリイ小作品」(アゥグスト・ストリンドベリイ著、古城健志訳、コスモヒルズ発行、2007年)を読了。 ストリンドベリイは、スウェーデン文学を世界文学に押し上げたといわれた人。 日本でも1920年前後に新潮社と岩波書店から全集が出版されていたが、いずれも絶版になっている。
この本は2作の戯曲と1作の短編を納めているが、目をむく面白さである。 特に戯曲「より強きもの」は息を呑むほど。 登場人物は、女優という設定の女二人。 「Wの悲劇」みたいだが、映画「レイチェル・カーソンの感性の森」を思い出した。 ひとり芝居にアレンジしてみても面白いだろう。
あれだけ日本の本屋に本があって、なおかつ出版され続けて、ストリンドベリイがなかったとは。 いい脚本がない、などとほざく演劇人は、ストリンドベリイを知っているのだろうか。 いずれにせよ、妙縁からこの日本語ではレアとなっていた作品に出会って、とっても得をした気分。
5/31(火)記 MがWに変わる時
ブラジルにて 午後、子供を車でピックアップ。 「おやつでも、食べるか」。 マクドナルドがいいと言う。 ま、数ヶ月にいっぺんなら。 オヤジも、いつもいられるわけではなし。
帰路の道中にあるM印へ。 駐車場、がら空き。 レジに3人は店員がいたが、自分たちの話題に夢中で、立ちすくむ客を見向きもしない。 待つこと数分。 その間、表示価格の高さに目をむく。 父親は昨日、断食をしたあとでもあり、パスすることに。
それでも息子のセット価格で16レアイス。 邦貨にして800yen以上。 日本なら、牛丼屋で二人で食べてお釣りの出る価格。 それで、オヤツ。 しかもトレイに敷く紙を、裏表逆によこしやがった。
気を利かして21レアイス出すと、お釣りがないときた。 また立ったまま待たされること数分。 「あとでお釣りを届けるから」と聞いた。 席で息子が食べているのを、手持ち無沙汰に待つ。 女はなかなかお釣りを持ってこない。 息子に確認すると「食べてから取りに来い」と聞いたという。 こちらは何の証明もないし、あの女がいなくなったらアウトではないか。 ますますヤキモキしていると、息子が食べ終わる直前に、女が5レアイス札を持ってきた。 ゴメンの一言もない。
とにかく、ブラジルの物価は高くなった。 そろそろ日本からブラジルへの出稼ぎ志向が始まるかもしれない。 もっとも、無芸の日本人にブラジルに来られても、稼ぎようがないだろう。 70数年前まで、日本が「鬼畜」米英に宣戦するまでは、奴隷の代わりの労働力としてブラジルに出稼ぎに行くのは食いつめ者たちのひとつのオプションだったが。
おっと、今の日本の特技がブラジルで活かせるかもしれない。 ブラジルでは現在、複数の原発が稼働中、フクシマの事故を受けてもいまだに増設計画をひるがえしていない。 フクシマ事故での経験を活かした危険な原発の下請け労働者なら、ブラジルも喜んで日本人を受け入れてくれるかもしれない。 かつての奴隷代わりの故事は繰り返すか。
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