6月の日記・総集編 アマゾン/大いなる教え (2011/07/03)
6/1(水)記 アマゾンの闇ふたたび
ブラジルにて ブラジルの新政権による森林法の改悪、そしてアマゾンの巨大ダム建設の強行推進。 それに歩調を合わせるように、この1週間足らずにアマゾン各地で計四人の農村活動家が暗殺されている。 日本で例えるなら、ゲンパツに反対したり高い放射線値につべこべいうような輩は「盗電」会社がヤクザ系の孫受けぐらいを使って殺しちゃうわけだ。 無力感。
少し時間を作れるうちに、とVHSの素材のままのかつての拙作のDVD化に着手。 テープのノイズがひどくなっていたりでやり直しを繰り返し、けっこうな手間がかかる。 岡村作品上映は原則として上映希望者のリクエスト作品を上映しているので、DVD全盛になってからリクエスト希望のない作品は、あえてDVDに編集し直していなかった。 近年、けっこうレアものの要望もあり、ひととおりDVD用素材を作ったかと思っていたが、まだ大事な作品がもれていた。
1992年と1993年のアマゾン新水俣病取材の作品。 文明と傲慢な欲望が垂れ流す、みえない水銀、放射能。 改めて見直して、現在の日本の原発禍問題と重なることの多さに驚くばかり。 特に最初のは、僕がこれからはドキュメンタリスト、記録映像作家と肩書きをつけてもいいだろうと自分に認めた作品。 自らも水銀中毒となったアマゾンの神父が、 「アマゾンは問題が大きいです。しかし希望もあります。その希望によって、未来があると思います」と語ってくれていた。
過去にいただいた灯を、ふたたびともしたい。
6/2(木)記 絶望と希望のはざまで
ブラジルにて アマゾンに世界第3位のパワーの巨大水力発電ダムを作るという計画に、ついにブラジル環境局が許可を出してしまった。 かたやアマゾン開発派に目障りな農村の活動家は次々に暗殺されている始末。 サンパウロでは、ATMの爆破泥棒がブーム。
いっぽう祖国。 ツイッターで入ってくる福島の原発禍の情報には、慄然とするばかり。 次の大地震は、次の人災はいつかという状況で原発利権派は反省どころか、国土と子孫をさらに蹂躙しての利権狙いに暗躍している。
そんななか、ツイッターで知ったこの記事に感極まる。 「放射性物質吸い取る細菌 タンザニアで発見」 富山新聞・石川のニュースから。 http://www.toyama.hokkoku.co.jp/subpage/H20110527102.htm 「自然の中にはもともと大きな環境修復能力が備わっている。」 人類は命のありがたさへの感謝、そして子孫を無事に残す義務をおこたり、下種な欲望から、自然界に存在しなかった物質を拡散してこの星を損ない続けているというのに。
放射能健康推進説のトンデモ学者らがさかんにとりあげて、かえってフクシマへの恐怖から観光客が引いて閑古鳥状態だという自然の放射線地の高いブラジル・グアラパリあたりにもなにか福音が潜んでいるかもしれない。
削除されるともったいないので、この記事、貼り付けちゃいます。
放射性物質吸い取る細菌 タンザニアで発見 田崎和江金大名誉教授は26日までに、タンザニアの首都ドドマ近郊で、ウランなどの放射性物質の濃度が高い土壌中に、同物質を吸着する細菌が生息していることを発見した。福島第1原発事故後、放射性物質で汚染された土壌の処理が大きな課題となる中、「微生物が放射性物質を固定して拡散を防ぐ『ミクロ石棺』として役立つ可能性がある」としており、今月中に福島県で土壌調査を実施する。 2009(平成21)年3月に金大を退官した田崎名誉教授は、昨年11月にタンザニア・ドドマ大に赴任し、今年4月まで地質学担当として教べんを執った。講義の傍ら、世界的なウランの大鉱床があるドドマ近郊約50キロの町バヒで、これまでまとまった研究がなされてこなかった土壌中の放射性物質濃度などの調査に乗り出した。
手始めにタンザニア全土の約100地点で計測し、バヒと周辺で放射性物質濃度が顕著に高いことを確かめた田崎名誉教授は、バヒの水田土壌を採取して調査した。
電子顕微鏡による観察では、体長数百マイクロメートル(マイクロメートルはミリの1千分の1)の細長い糸状菌の生息が確認された。菌体の周りには粘土鉱物の塊が多く付着しており、この粘土は周りの土壌に比べて極めて高濃度のウランやトリウムなどの放射性物質を含んでいた。
福島第1原発事故の後、現地周辺では、放射性セシウムなどが高濃度で検出された土壌の除去、保管の方法について議論されている。田崎名誉教授は、土壌中の微生物の生息状況を調べるため、今月中に福島県飯舘村などへ入って調査を始める。
田崎名誉教授は1997(平成9)年のナホトカ号重油流出事故後、石川県沖における調査で石油分解菌の海水浄化作用を確認した。08年には北國新聞社の舳倉島・七ツ島自然環境調査団副団長として、輪島市沖の七ツ島・大島で、大気汚染物質を取り込む微生物被膜を発見している。
福島での調査に向け、田崎名誉教授は「自然の中にはもともと大きな環境修復能力が備わっている。微生物の力を生かした汚染土壌処理の可能性を探りたい」と意気込んでいる。
6/3(金)記 4ヶ国民とともに
ブラジルにて 夕方からサンパウロのファヴェーラ(スラム街)での上映、そのまま夜行バスでクリチーバ行きという強行スケジュール。
今日の上映では先方より18時に最寄りのターミナルに来られたし、バスで地下鉄アナローザ駅から4-50分所用と連絡をいただいていた。 実際には夕方のラッシュでたっぷり1時間半以上かかった。 荷物があり、足場の悪い状態での満員バスで立ち尽くし、これだけで相当の罰ゲーム。 なにゆえの罰か。 ターミナルから会場に向かうと、マリファナの匂いを漂わせる男が行き交い、緊張感を盛り上げる。 事前の腹ごしらえで入ったファヴェーラ内のパステル屋がなかなかうまかった。
日本のブラジル人コミュニティのある町で僕の作品を上映してもブラジル人がほとんど来ないのと同様、今日もファヴェーラの住民は、まばら。 しかしこのファヴェーラには世界各地からのボランティアの若者が入っている。 上映には、わかっただけでドイツ人、スウェーデン人が参加。 家族連れで自動車で来た日本人駐在員にも感激。 確認できただけで、4ヶ国民が鑑賞してくれたことになる。 こういうのは、めったにないかも。 「フマニタス」を上映、反応は良好、ポルトガル語の質疑応答も活発。
バスと地下鉄を乗り継ぎ、深夜バスに間に合う時間帯に無事に長距離バスターミナルにたどり着き、ヤレヤレ。 そもそも今日、予定されていたメトロのストが中止となり、助かったぞ。
私の旅は明日も続く。
6/4(土)記 クリチーバで日本語を学ぶ
ブラジルにて 寒い。 首に手拭いを巻く。 夜行バスは途中、3時間近く停車。 トラック事故でサンパウロとクリチーバを結ぶ幹線道路が閉鎖されたためとのこと。 晴天でさほど冷え込まない朝のクリチーバに到着。
待ち合わせ時間は12:45にホテルの食堂で、とのこと。 それまでオスカー・ニーマイヤー美術館へ。 美のシャワーふたたび。 「コロンビアのいたみ」フェルナンド・ボテロの作品がごっそりみれた。 地元パラナ州の女性画家の作品展も秀逸。
今回は、南パラナ地区の日本語教育研修会での余興上映。 夕方の上映まで、こっちも講座に付き合う。
「先生、お元気ですか。昨日の宿題はむずかしかったですね。」 この日本語の間違いはどこか、という問題。 日本語とポルトガル語の違いから来るオチ。
夜はこれを書いた地元の大学院生とフォンデュ会食。 http://www.jornalmemai.com.br/2011/01/jun-okamura-%E2%80%93-a-imigracao-japonesa-vista-por-dentro/
6/5(日)記 ハンドアウト
ブラジルにて 今日は終日、クリチーバで日本語研修会。 今回、ハンドアウトという言葉を初めて知った。 二人の講師が使っていたから、最近の流行なのか。 講義に際して配られる資料、ぐらいの意味らしい。
おそらく僕は子供の頃から「プリント」で育ってきた。 「レジュメ」という言葉に接したのは大学時代、70年代ぐらいだろうか。 いま、311を経てハンドアウトか。
今日のオカムラ枠は2時間30分。 「ブラジル移民のひとり芝居」 「きみらのゆめに」 「明瑞発掘」 の3本立てとした。 「きみらのゆめに」はワールドプレミア上映。 フクロウのシーンがやたらに受けていた。 若い女性の先生が多いせいか。
昨日の開会の時、この時だけ来る地元の日系のお偉いさんたちが、この度の日本の災害で日本企業がブラジルにさらに進出して活発になり、日本語教育が求められる的なウマイ御高説をたれていらした。 つい不肖オカムラは日本語の母国が消滅した時の、日本語教育の意味というような話を昨日、してしまう。 生々流転。
6/6(月)記 いたみの共有
ブラジルにて 帰りの夜行バスは、行きより少し値段のはるのだったが、だいぶ暖かだった。 未明からごった返すサンパウロのバスターミナルと地下鉄。 同じくサンパウロからこの研修会に出張した日本語の先生と、帰路が同じ方向。 クリチーバのニーマイヤー美術館で「コロンビアのいたみ」フェルナンド・ボテロの特別展を見た話をすると、ボテロを知っているのに驚いた。 ボテロの世界はまことにいたいが、旅先で偶然、ボテロをごっそり見ることができたのはありがたい。
思えば金曜夕方のバス立ちっぱなし罰ゲーム以来の連戦で、疲れた。 帰宅後、メールのチェックをして急ぎのだけ返し、午後の出陣まで消息を絶たせていただく。
6/7(火)記 噴火・豪雨・停電
ブラジルにて 妻の日本の親戚がブラジルに来ている。 イグアスー見物に行き、チリの火山の噴火のため、帰りの飛行機が飛ばなくなったという。 この報で、はじめてチリの火山噴火事件を知る。 さる土曜に噴火が始まったという。
クリチーバで滞在したホテルは名前からして日系だが、客が使用可能なPCは日本語の表記もできず、テレビの多チャンネルにもNHKは入っていない。 ナショジでフクシマの惨状の特集番組があり、チャンネルはここにフィックスしておいた。 日本政府・電力会社・御用マスコミがいくらごまかしても、外ではこういうのを見ているぞ。
夕方より豪雨。 冬季には珍しい。 夜、停電。 311を東京で体験しているので、備えはあっても動じることはない。 日付けが変わっても電気は戻らず。
6/8(水)記 信号無視
ブラジルにて 拙宅は、未明に電気が戻る。 アベニーダの向こう側は、まだ真っ暗なまま。
日中、街に買い物に。 信号が復帰していなく、交差点の直進を禁止していたり、交通整理が出ているところがある。 交通整理も自動車に指示を出しても、歩行者のことは眼中にないようだ。 歩行者は自己判断するしかない。 通常から歩行者用の信号などは不備ばかりなのだが。
史上最悪レベルの放射能汚染の有事に児童をないがしろにする国と、どっちがいいだろう。
どっちもね…
6/9(木)記 盲画
ブラジルにて pinturas cegas。 ブラジルの日本人長老画家、トミエ・オータケ女史が60年代に目隠しをして描いた絵画への呼称。 日本語に訳しこむと「盲画」ということになるか。 トミエ・オータケインスチチューションで特別展。
トミエ先生の作品はソコソコみてきたつもりだが、これがいちばん面白かった。 そもそも10年ぐらい前、この巨匠の取り巻きに乗せられて、彼女の活動にしばらく付き合って撮影していたことがある。 不本意なことがいろいろあり、やめてしまい、撮影素材はオクライリとなった。 今日の展示をみて、ご縁の記録を不十分ななりにまとめて先生にお贈りするのもありかな、と一瞬、思い直す。 日本人一世の女性にして、ブラジル社会のなかで破格に上り詰めてしまった人。 実に異質なキャラクターだった。 橋本梧郎先生と1歳も違わなかったから、現在97歳か。 自分が何を撮っていたのか、みてみたい気持ちが強い。 まあ、途中でやめてしまうだけの然るべき道義があったのだから、慎重にしましょう。
限りある自分の時間の使い方を、少し迷う。
6/10(金)記 オズの魔法の粉
ブラジルにて 家族のお祝い、外食にしようかという案と、家でスキヤキあたりでも、という案。 後者に決定。 すき焼き用牛肉を日本食品店で買い、平飼いの鶏の有精卵も買う。 日本からだいぶ前に担いできた、ゆで時間25分という手打ちうどんもゆでて。
家族は満腹。 イッパイ機嫌で小津監督を思い出す。 小津の脚本執筆宿・茅ヶ崎館で教えてもらった。 気のおけない客が来ると小津は部屋で自ら鍋奉行をつかさどり、すき焼きをふるまった由。 最後にカレー粉を入れたという。
ブラジル製カレー粉でやってみた。 すでに煮詰まったすき焼きに、絶妙。 これはまことに意外な喜びだ。
拙作にもカレー粉、かけてみるか。
6/11(土)記 F1ストーカー
ブラジルにて 最近、ブラジルでタルコフスキーの合法DVDがアクセス可能な値段で出回るようになった。 今回、ブラジルに戻って以来、ちびちびと購入してはたしなんでいる。
「サクリファイス」「ノスタルジア」、そしていよいよ「ストーカー」! 日本での公開以来の再見だと思う。 30数年の間に、自分のなかでいくらかずれたイメージを構築していた。 そして、すでに自分のなかのデジャヴュとなっている。 かつてチベット高原の取材では、ひたすらタルコフスキーを想っていたものだ。
ふたたび観直して、慄然。 これはずばりフクシマの立入り禁止地域ではないか。 あふれる汚染水と廃墟。 「100,000年後の安全」をサブテキストにすると、ストーカーの意味がより鮮明になる。
タルコフスキーはチェルノブイリについて、黙示録のニガヨモギを持ち出して言及したという。 「惑星ソラリス」で日本の首都高に未来都市をみたタルコフスキー。 その後、フクシマのカタストロフィを既視して、映像化していたとは。
となると、あの少女が重い。 「2001」のスターチャイルドと表裏をなすか。
6/12(日)記 「小津ごのみ」
ブラジルにて 先回、日本で買ってきた「小津ごのみ」(中野翠著、ちくま文庫)を一気に読む。 面白く、読みやすく、勉強になった。 しかも爽快。 小津本は黒澤本ほど読んではないが、これは新鮮な驚きと共感を持って読めた。 311後に観て、疑問の多かった小津の「風の中の牝?」(1948年)についても、すっぱりと斬ってくれて心地よい。 それにしてもこの作品の「階段落ち」シーンは強烈だった。 さすが松竹蒲田の伝統。 小津の「銃後の夫人」モノで、あの「東京物語」(1953年)の紀子さんと比べて、田中絹代演じるこの女性の存在はあまりに重い。 あるいは軽い。 この本にもほとんど触れられていない「戸田家の兄妹」(1941年)を昨日、DVDで鑑賞。 爽快というコメントの多い結末だが、その後の大日本帝国の歴史を知る身としては、これまた実に重い。
瀕死の大日本帝国は、原爆によってとどめをさされた。 いま、民主日本は原発によって亡国の危機を迎えている。 国ほろびても小津作品はのこる、か。
6/13(月)記 イタ飯おあずけ
ブラジルにて 今日は断食。 7月訪日と上映の段取り等。 まとまったビデオ編集作業はちょっと手控えておく。
日本の編集者と方針を練った原稿を、書き始める。
気になっていたイタリアの国民選挙。 ツイッターで吉報。 イタリア国民の圧倒的多数が脱原発の意思表示をした。 ビバ! さすが、ムッソリーニを自分たちで処刑した国だ。 それに比べて、我が祖国は…
イタ飯とワインでお祝いしたいところだが、断食でしばしおあずけ。
6/14(火)記 黒い座布団
ブラジルにて 不思議に、リンクがリンクを呼んでいく。 先週、息子がPCで「ポロロッカ」を調べているのを知った。 日本の量販店ではない。 アマゾンの大逆流の方だ。 地理の授業の宿題だという。 父が日本のテレビ局計3局のポロロッカの取材のディレクターを務めた話をするが、あまりピンと来ないよう。 最も評判を呼んだ「新世界紀行」のポロロッカ取材の番組をVHSから編集してDVDに焼いて、学校に寄贈することにした。 在サンパウロで実際にアマゾンのポロロッカを体験した人など、殺人体験のある人よりはるかに少ないだろう。
先日、サンパウロの旧レコード屋で買った今村昌平監督「黒い雨」のDVDを午後、観ることにする。 4月の訪日の時の最初の大事件は、田中好子さんの訃報だった。 スーちゃんなどと、気安く呼べない。 この映画は公開後ほどなく見ているが、当時の僕には広島原爆投下後の市内のシーンが安手のお化け屋敷のようで、シラけてしまった記憶が残っている。 主演の田中さんの死、そして福島原発の大惨劇のあとで観直すと… ポルトガル語の勉強と、日本語で聞き取れないところのサポートとしてポルトガル語字幕指定で再生。 すると字幕の下の画面が黒くつぶれる、ギョーカイ用語の「座布団」がかぶってしまうではないか。 こんなに大きな面積を潰してしまうとは、映画に対する冒涜。 このDVD、正規版なのだが字幕なし再生が不可能で、そもそも原版に英語字幕が乗っかってしまっていることがわかる。 しかたがないので、英語字幕版で鑑賞。
おっと、田中さん演じる矢須子の叔父は、北村和夫さんだったか! 「新世界紀行」で僕がポロロッカ取材を担当した『満月の夜のミステリー』のナレーターは北村和夫さんだったのだ。 僕はこの取材の現場監督を務めたのみで仕上げには参加していないので、ナレーターが誰だったか失念していた。 今回、久しぶりに番組を見直して北村さんだったと再認識した次第。 この番組の放送も「黒い雨」の公開も1989年というのも、なんとも奇遇。 まず、音楽から。 武満徹さんのこの音楽にはCDでも親しんでいたが、最高峰の部類の作品ではないだろうか。 映画そのものは、311以降、そして福島レベル7のいま、あまりにいたい。 矢須子の二度目の入浴シーン。 これほど残酷なエロチシズムは、他に思い出せない。 そして、そのあとの鯉のシーン! 今村昌平監督作品はガキの頃にひととおり見ている。 あまり性に合わず、なおも僕の心を深くえぐったのはドキュメンタリーの「人間蒸発」ぐらいだったが、改めて観なおす必要がありそうだ。 原爆症の発病してからの矢須子の弱々しい声が、日本のワイドショーでさんざん流された田中好子さんの最後のメッセージの声質と重なる― 広島市内の再現シーンのリアリティについては、身近にいる実際の被爆者の方に改めて聞いてみよう。
英語字幕版だからこそ、わかったことがある。 日本語で「ピカ」や「原爆」として語られることは、ずばりradiationと訳されているのだ。 英語圏の人たちには、言葉にごまかされずに原爆の被爆も原発の被曝も同じものだとよく理解できるわけだ。 暴走する原発推進屋、そして福島事故過小視派に封印させてはいけない大切な作品である。
6/15(水)記 スーパーの女
ブラジルにて 子供の件での待機時間。 近くのスーパーに行ってみる。 サンパウロでも、中の下クラスの地区。 なぜかこのあたりには他にスーパーがなく、いつも混み合っている。 今日はまた尋常ではない。 レジ待ちがすごい列。
購入物20品までの「急行」の列に付くが、ナメクジの歩み。 前になにやら落ち着かないおばさんが、カートとともに並ぶ。 このおばさん、その前にいたおばさんに「カートを見といて」と言って別のものの物色に出てしまう。 カート番を任命された女性は、列が進むたびにおばさんのカートも動かす。 おばさんは時々戻るが、あいかわらず列が動かないので、またどこかへ行ってしまう。 ようやくレジに近づき、おばさんも戻るが…
付近をよく見ずに動き回るので、近くにあった棚の商品に体当たりして床に落としてしまった。 コーヒーのフィルターだっただろうか。 「あたしは体が痛いから」とかがんで拾うこともせず、落としたいくつもの商品をまるでゴミのように、ぜんぶ足で蹴って端に寄せた。 こっちがしゃがんで拾うのも、おばさんの奴隷みたいでヘンだ。 ブラジルのゴミは日本人に拾わせておけばいい、と思われても問題だろう。
さらにレジに近づく。 おばさんは足元の高さにあった特売品をみつけて、すばやくかがんで猟食するではないか。 日本の、すでに古典となった「いじわるばあさん」を思い出す。 青島都知事が実写版を演じていたな。
6/16(木)記 たたきあげ
ブラジルにて パソコンを「必要悪」で使っても自分は生涯、原稿は紙に書くと思っていた。 ところがいまや構想のメモも書かず、全体のプランもたっていないままそのままパソコンでたたき出してしまうことがふつうになってしまった。
7月の横浜・シネマジャックアンドベティのグラウベル・ローシャ監督特集に岡村がゲストとして参加、最新作「南回帰行」も併映してもらうことになった。 岡村バージョンのローシャ解説をJ&Bのチラシ用に書くことになり、指定の字数にまとめてさっそく送っておいた。 ついで担当の字数計算間違いの報があり、倍増してリライト。
さらにチラシに割り付けてみると、字数に余裕があり、どうしましょうかという相談メールが届く。 倍増版でもだいぶ削り、凝縮していたので、新たにリライトする。 おお、天啓レベルの発想が! こ、これだ、これだったか!! 一気に書き上げる。
やばく、あらたに敵を作るかも。 こっちは覚悟のうえ。 さあオッケーが出るかどうかの踏み絵。
「辺境の邪悪な龍と原発計画 ブラジルの映像遺産ローシャの日本復活に乾杯(ビバ)!」。
6/17(金)記 冬の移民語り
ブラジルにて 6月18日は、移民の日。 明日は土曜、子供の用件がある。 今日、「うつろ舟」の松井太郎さんを友人を誘って訪ねることにする。
311と原発事故のこと、グラウベル・ローシャと松井文学など、興味は尽きない。 祖国が傾斜・滅亡に大きく踏み出してしまった今、母国と断絶した日本語文学・松井太郎の世界がリアリティと重力を増して、ますます希求されるだろう。
6/18(土)記 ジュルベば、
ブラジルにて 子供の学校の六月祭。 この祭は、深い。
夜、寝付けなくなり「ジュルベバ」をひっかける。 これはブラジルの大衆的薬用酒のひとつ。 昔の日本の風邪薬のような味わい。
ブラジルチドメグサはもれていたけど… 橋本先生の「ブラジル産薬用植物事典」でジュルベバを調べてみる。 おお、こりゃすごい!
「煎剤として黄疸、発汗、下熱、利尿、肝炎、糖尿病、水腫病、胃アトニー、腹痛に用い、外用としては潰瘍、丹毒に用いる。(後略)」 しかも「2次林や原野、牧場に育成する」とあるではないか。
フォークロアは偉大な智恵であるな。 その対局に原発あり。
6/19(日)記 エスカベって、
ブラジルにて 路上市の魚屋。 ブリをさばいてもらって待機中。 イワシを待っている老婦人が話しかけてくる。 「エスカベッチェ、食べたことある?」 まさしく食指の動く語り口。 「私はポルトガル系なんだけど、やっぱり魚ね。 タマネギとトマト、それにローリエを敷いて。 オリーブオイルと、いいお酢。 それで火を通すの。 水は入れなくていいのよ。 私は一週間、こればかりよ。」 おばさんはイワシの開き、1キロ購入。
この口伝をもとに、やってみる。 PCが異常に遅いので、ネットでレシピを調べず、テキトーにアレンジ。 イワシにうっすら塩をまぶし、他のものと並べ挙げてからオレガノをおまじない程度に振りかけて、弱火でことこと。 じわじわとイワシと野菜の水分がにじみ出てくるのが楽しい。
けっこうなお味で家族にも好評。 ヴィーニョ・ヴェルデが飲みたくなってくる。 ブリとイワシの刺身もつくるが、自分でもこっちには箸もつけず。
レシピは、PC上のみにあらず。
6/20(月)記 スペインの雨
ブラジルにて ちょうど1年前にブエノスアイレスで上映した「フマニタス」スペイン語字幕版。 アルゼンチンの郵便事情が異常に悪く、最終的なチェックが間に合わなかった。 すぐに直しておきたかったが、先方の手配違いなどでそのままになっていた。 ようやくどこに不具合があったかがわかり、訂正箇所を列記したデータを先週いただいた。
少なくない赤字箇所。 スペイン語入力にあたって、見やすい字体と思って使ったアルファベットの文字がけっこう暑苦しかったので、それも改めることに。 そうすると割付が全部変わってくるため、すべてやり直すことにした。
先週半ばから始めて… 今日は早朝からキンキンに作業を進める。 途中で編集機がフリーズ。
通常、この編集機は途中で不測の事態が生じても、直前までの作業を自動でバックアップしてくれていた。 ところが、今日は、その機能が働かず! すべてやり直し。
けっきょくこちらの勘違いだったが、データの不備事態の遭遇パニックも。
まあこのスペイン語版、一筋縄ではいかないわ。 特にこれをどうするという当てもなかったのだが、意外な筋から意外な話もあり。 期待はしないけど、面白い。
6/21(火)記 復活の日
ブラジルにて ついに家のデスクトップが起動しなくなった。 もう年数もそこそこ経っている。 きょうび、家庭にPCがないと子供の宿題にも差し障る。
とうさんはこっちのPCにいくつかトラウマがある。 上の子にノートPCの購入も辞さないから友だちや詳しいのにどうするのがいいのかリサーチするように、と伝えてあるのだが。 期末試験もあるようで、進展がない。 こっちは自分のノートPCがあるのだが、近々にノート持参で旅に出なければならず。
いちおう、修理も当たってみるか… 前のPCのトラブルの時。 最初に頼んだ業者には「荒業」をかけられ、料金はしっかり取られて機械は直せないまま。 あげくに「なんでブラジルで日本語のフォントなんか使う必要があるのか」と八つ当たりの捨て台詞まで吐かれてしまった。 次に日系の名前に希望をつないで頼んだ修理業者には、デスクトップを持ち逃げされてしまった…
ダメモト覚悟で、近くのそれらしいオフィスに聞くと、修理もするとのこと。 持ち込んでかなりの時間… こっちが心配になるほど遅くまで対応してくれる。 おお、復帰! リカちゃんの布団ができるほど埃もたまっていたので、それも清掃してもらう。 「マシンそのものはいいよ」とのこと。 そもそもこれの起動があまりに遅い。 なぜ遅くなったかをわかりやすく説明してもらう。 対策として、メモリーをふたつ増加することに。 動く、速い!
子供たちも感動。 子らよ、いままでよくも「大トロ」のPCに耐えてきたものだ。
ツイッターで日本の夏至情報がいくつもあり。 こっちは今日が冬至。 太陽もPCも復活。 ほんの少し、PCの基本を体得した。
原子力だって、今度の事故がなければ生理的にイヤなだけでなにもわかっていなかったなあ。
6/22(水)記 カトゥピりて百年
ブラジルにて ネットが重度だった頃、動く兆候が見られるまで、要チェックの新聞記事などに目を通していた。 最近では料理系の記事が勉強になった。 最もインテレサンテだった(ブラジルコロニア語ボケの兆候)のは、カトゥピリの特集。 ブラジルのクリームチーズの一般名称かと思っていた。 ちょうど100年前にミナスジェライス州で考案された丸秘レシピの登録商標とは。 その名は「土語(橋本先生へのオマージュ)」の「すばらしい」的な意だというのもすばらしい。 記事では、グルメのスペシャリストたちが、たとえばブラジルでポピュラーなピザのカトゥピリとチキンのトッピングの是非を論じている。 スシネタへのカトゥピリの使用については、さすがのブラジル人も反対派ばかり。 こうした識者の声をよそに、巷のニホン飯屋にはカトゥピリチーズ使用のマキズシが出回っている。 これにはささやかなNGの一票を投じたい。
で、今日ようやくカトゥピリのバックグラウンドを理解したうえで出先のスーパーで購入。
今年は探検考古学者ハイリー・ビンガムがペルーのマチュピチュ遺跡を発見して百年。 カトゥピリとマチュピチュ発見の100年をかみしめる。
かたやブラジル日本移民の百周年。 「砂糖に群がるアリ」と邦字紙に評された日系社会の有象無象の醜聞が100年から3年経って告発され始めた。 記念式典実行委員が日本の業者から仕入れたハッピ類に利ざやを乗っけて参加者に売り、しかも料金を日本側に払っていなかったことが判明。 それこそ破格の「陛下のゴカシキン」は誰がどのようにむさぼったのだろう。 そもそも砂糖に関心はないけど。 作家としての魂の健康のために、なんちゃって。
今後もシュガーレスでいこう。
6/23(木)記 「東京の子供たち」
ブラジルにて こういうタイトルだと、放射能からの避難・疎開のことかと取られる時局となってしまった。 小津安二郎監督「生まれてはみたけれど」、1932年公開の作品のポルトガル語タイトルの邦訳。
今日のブラジルは「キリスト聖体の日」の祝日。 子供たちも在宅。 こっちもまた旅に出る。 スペイン語字幕作業、今日はやめて炊事によけい時間を当てる。
テレビモニターとDVDデッキが空いている時に、先日サンパウロで買った「東京の子供たち」を鑑賞。 お、サイレントだな。
子役たちの違和感ない演技に感服。 戦後の小津作品の子役たちもすごいが、ずばり子供たちが主役のこの作品は白眉。 バテレンの呪術も強烈。 ラストのほにゃけた感じは、時代の落とし子らしさか。
すでに小津はこの作品で子供使いを極めていた。 さあ明日からちょっくら国内旅行。 まずはリオの若大将。
6/24(金)記 リオの行列
ブラジルにて サンパウロは厚い霧に包まれた。 コンゴニャス空港閉鎖!
今日から日本の客人の案内でリオへ。 常連は慣れっこになっているせいか、空港にはうろたえている人も見当たらない。
ま、アポのある取材じゃなくてよかった。 キャンセル便が続くなか、我が便は1時間半遅れで蒼穹へ羽ばたく。
最近のリオの観光ホテル事情がわからず、サンパウロの日系旅行社を通したのだが… これはもうサギの部類。 海岸の空に舞うのは、カモメか。
日本のガイドブック筆頭のキリスト像に行きたいという。 午後2時にケーブルカー乗り場に着くと、大混乱。 午後7時の便しか残っていないという。
情報を集めると、他に乗合自動車があるという。 いかにも胡散臭いが、これも長蛇の列。
昨日の祝日を利用にして4日間の連休としているブラジル人の観光客がひしめいていることがわかった。 列、そしてギューギューの車、そしてまた列。 へろへろとキリストさんの前まで上りつくが、 展望台が落ちるのではないかと心配になる人出。
いやはや観光なめちゃあかんな。
6/25(土)記 リオのかおり
ブラジルにて さあ今日はフェヴェーラ(スラム)ツアーだ。
客人はなんだかよくわからないままオカムラの口車に乗っかった感じ。 出発時からハプニング、アクシデント続出。 ガイドはブラジル、カリオカ、ファヴェーラに魅せられたドイツ人。 最高級の私立学校や領事館に隣接するファヴェーラ・サンタマルタへ。 このツアー、ジープで乗り込むのがウリだが、ファヴェーラに向かう山道でエンコ。 かつて麻薬組織の狙撃手が潜んで、上ってくる警察を撃ちまくったという藪が周囲に広がる。 いまや駐在所ができて「平和化」されたというが。
山の斜面にへばりつくスラムの頂上から下界の「シャバ」までスラム内の歩道を降りていくというコース。 こっちには面白くてたまらないが、客人は言葉も出ず。 わが同期のマイケル・ジャクソンのビデオロケ地もあり、ここにマイケルのモザイク画と、おそらく等身大の全身像がポーズを決めている。 現在の芸人たるもの、スラムに乗り込むなり反原発を表明するなりカッコヨく生きていただきたいもの。
スラム内のパン屋兼カフェに立ち寄る。 フリーズ状態の客人はミネラルウオーター、僕と独人はカフェ。 奥に構える店主風のが日本人っぽくも見える顔をしている。 「おとうさん、僕の同胞じゃあ?」 とこっちはマイケル・ジョーダン作戦に出る。 「日系じゃあないけど、日本に行ってみたいもんだね」 「でもおとうちゃん、我が祖国はいまや地震にツナミに放射能で外に逃げ出す状況だよ」 カウンターでサーブしてくれていた、デビュー当時のいしだあゆみのような、憂いと蔭のある美しい女性が口を開いた。 「テレビで見てるけど、ほんとに気の毒なことになっちゃったわね…」 と、これまた憂いをこめてお見舞いの言葉をくれる。 これ以上は軽口も聞けない。
「シャバ」近くまで降りたところで、スラム住民によるスラム起こし・ガイド要請を図っているという若い女性からアンケートを頼まれる。 客人から「もうだめ、ニオイが耐えられない」とクレーム。 下水はかなり整備されているとのことだが、なおも滝状のドブがむき出しになっているところも見せてもらっていた。
ちなみに原発王国のフランス人はもっともファヴェーラ好きの国民で、リオのファヴェーラに住んだり、建物のオーナーになっているのが増える一方とのこと。 原発からのエスケープか? まさかね。
ファヴェーラと放射能をめぐって、いろいろ思い出すことがある、とりあえずこの辺で。 ファヴェーラと原爆とか。
まさかね、と思って後出しで調べてみてビンゴ! この日はズバリ、MJの三回忌の命日! そういえばファヴェーラのおっちゃんから午後、マイケルにちなんだショーをやるけど?と声をかけてもらったなあ。
6/26(日)記 香具師と椰子芽師
ブラジルにて 橋本梧郎先生からこの星のヤシの種の多さ、分布の広さについては聞いていた。 しかし話題はパルミット(ヤシの芽ないし芯)の食用文化については及ばなかった。 ブラジルを代表する珍味美味だと思う。 タケノコと白アスパラガスの間のような見てくれと味といおうか。
このパルミットの流通に燃える日本の知人を、サンパウロの地元で案内、会食。 パルミットについてはこちらも聞きたいことがいろいろあったので、興味は尽きない。 どうやらパルミットの食用文化があったのは、中南米に限られるようだ。 フィリピンでも、辺境の島でヤシ酒はだいぶいただいたが。
いろいろなスペシャリストと親しく付き合えるのは、ぜいたくかも。
6/27(月)記 窓のない窓・橋のある川
ブラジルにて 今日からは客人を連れて、アマゾンへ。 グアルーリョス空港からアマゾナス州都マナウスへ。 窓側の席を頼んであったのだが、窓のない窓側だった。 狭い機内は満席でごった返し、身動きがとれず。 今度から窓側を頼む時は、窓がある窓側かどうか確認しなくちゃ。
マナウスが面するアマゾン河の最大の支流・ネグロ河に橋がかけられるとは聞いていた。 ちょっと来ないうちに、まだ開通はしていないものの、ひと通り完成しているではないか。 これにはたまげた。 対岸まで、約4キロをまたいでいる。
タクシーに乗るごとに運転手にこの橋のことを聞いてみる。 隠蔽情報で、だいぶ人が死んでいるとのこと。 人柱か。
ネグロ河畔のホテルからの河の眺めは、絶景のひと言。 あらたなアマゾンの楽しみ方を発見。 ネグロ河面に、ソラリスの海をみた。
6/28(火)記 森のつぶやき
ブラジルにて 日本人向けにわかりやすく言えばアマゾンのジャングルロッジだろう。 しかし橋本梧郎先生、中隅哲郎さんクラスまでいかなくても、少しは森のそれぞれの違いを意識する教養と体験があると、アマゾンの森にジャングルという言葉はふつう使わない。 アマゾンのロッジぐらいにしておくか。
朝食後、町のホテルから陸行水行、邪馬台国に至ルようにエコをウリのロッジへ。 もう乾季が始まり、水位も下がり始めている。 ところが、豪雨。 ロッジが用意していた午前中の行事は中止に。 雨あっての熱帯雨林。 歓喜の雨。 少し周囲の森を見て、毛を水滴に濡らす毒毛虫発見。
このロッジはWi-Fi通信可能の触込み。 しかし電波をキャッチできるのは食堂部分のみという。 夕食時間は19時30分から21時まで。 食後、ノートPCを担いできて接続を試みるが、まさしく虫の息の電波。 メールをあけることも容易ではない。 こんなところまで来て無粋なことをしたくないが、2週間後には訪日の分際。 各方面との上映等の打ち合わせなど、急を要するやりとりが山積みで、加えて予断を許さない病人もいる。
21時を過ぎると清掃をするから出て行ってくれ、とケンモホロロに言われる。 フロントにPCケーブルがあるからそれを使ってくれ、とのこと。 フロントにはアフリカン出自の英語圏文化のにいちゃんが先に1本のみのケーブルを押さえて、PCを叩いている。 しばらく待機するが譲り合いの気配はない。
スタッフに交渉して、明朝6時にはこのラインをこっちが使用する約束。 にいちゃんのPC画面を見ると、ツイッターのページだった。
食堂からPCごと追い立てられた観光客は、他にもいた。 僕のような急ぎの業務などという人はまれで、大アマゾンの森のなかからメールやツイートできることを家族友人知人にハローと発信したくなるのが人情というものだろう。 それがアマゾン観光とロッジの宣伝に自ずとつながるというもんだが。
せっかくこんなところにきても、生半可に電波がつながる可能性があると、かえってイライラして精神衛生に悪い。
6/29(水)記 アマゾン/大いなる教え
ブラジルにて 午前6時。 ロッジの無人のフロントで、ケーブルを使って接続。 これも遅い・重い・落ちる。 オフラインでいくつかのメールの返信文も用意してあったが、とても送れる状況ではない。 緊急の要件だけ、かつての電報のような短文で返信しておく。 ひと仕事だぜ。
予定通りなら、明日にはシャバに出る。 森からのネット接続トライはもうやめることにする。 セルヴァ観光から戻り、夕方。 ロッジの部屋の冷房はうるさいので、止めて網戸を張った窓を開け放つ。 森羅万象の一期一会のセッションがステレオ効果で繰り広げられる。 世界最大の熱帯雨林のフィトンチッドを浴びて。
俗事を考えたり、瞑想したり、うつらうつらしたり。 驚いた。 311以降、晴れることのなかった頭のもやもや、不快感、恐怖感、憤りなど諸々のネガティヴなものが消えてしまった。 それどころか、ポジティヴで安らかな、静けき心に。
体と心の放射能除洗に、アマゾンエコツアーを。 これはまじめに推奨したい。
6/30(木)記 「あなたたちもできるでしょう?」
ブラジルにて アマゾン・マナウスはなんたって国際観光スポット。 昨日、合流点観光からオプショナルのオオオニハス探訪のボートに乗り換えた時。 まだポルトガル語のおぼつかないベネズエラ人の英語ガイドが同行。 このボートの乗客だけで、日本人のほかにオーストラリア人、イスラエル人、インド人のグループが乗り合わせた。
昨晩、アマゾンの森羅万象のなかで原発問題を考えていて、このロッジでイタリア人老夫婦の観光客と何度も顔を合わせて、英語で会話も交わしていたのを思い出した。 この度のイタリア国民の英断に、お祝いを述べていなかった。
本日、出発前にまたこの老夫婦にお会いできた。 「この度のイタリア国民の脱原発を選択した英断をお祝い申し上げます」 「あなたたち日本人も、できるでしょう?」 そのために闘っているつもりです、アマゾンから背中を押してもらいました、と述べて暇乞い。
アマゾンの誓い。 いっぽうブラジル政府が強行するアマゾンの巨大ダム建設。 アマゾンの法森林伐採等に反対する農村活動家の相次ぐ暗殺。 このコントラストに問われる自分。
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