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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2011年の日記  (最終更新日 : 2012/01/01)
10月の日記・総集編 女たちのセハード

10月の日記・総集編 女たちのセハード (2011/11/03) 10/1(土)記 学校

ブラジルにて
大学時代の、悪夢を見る。
まれにあり。
そもそも自分の受講科目の時間割もきちんとわかっていない状況。
必修科目の時間割もおぼろになっている。
あちこちでの遺跡の発掘作業の合い間に大学に顔を出していたようなものだった。

今日は子供の高校の、いわば文化祭。
中一レベルの女子のベリーダンスというのが強烈だった。

自分の中学、高校時代のことを振り返る。
子や孫の存在・成長というのは、まことに自己の人生の内省にかなっている感じ。
いつも、ひとりでやってきたな。


10/2(日)記 ケムール貝

ブラジルにて
こちらで、メシリョンと呼ばれている貝。
日本でいうムール貝の仲間だろう。
今日も路上市の魚屋で見る。
決して安くはないので、パス。

昼、近所の大衆シュラスカリア(ブラジリアンバーベキュー店)に。
土日は料金もアップするが、料理のグレードもアップ。
今日はビュッフェ形式のサラダの部に、メシリョンがあるではないか。
路上市のみずみずしいのより、小粒。
この料金で、贅沢はいえない。

この貝、身に白と赤があるのが気になっていた。
これは検索ですぐ判明。
白がオス、オレンジがメスとのこと。

ナメクジやカタツムリは雌雄同体なのだが、貝によっては雌雄異体もあると知る。
ちなみに、ムール貝は生物学的にはイガイ科に属する由。
意外。


10/3(月)記 地球も回る 目も回る

ブラジルにて
本業の編集作業の合間に。
11月の訪日では、首都圏以外での、初めての人たちとの上映が複数実現しそうで、なんだか楽しい。

訪日便のフィックスは、ひとつ先方の連絡待ちをしていたのだが、すでに10月も第2週に突入してしまったので、すすめることに。

来年早々の訪日も考えているため、日本発券のブラジル往復チケットを組み合わせることを考える。
オーストラリア経由という壮大なルート。
これはオンライン予約状況が刻々と変化して、1日ずれると金額が10倍以上、違ってくる。
ロシアンルーレットの迫力。

トルコ経由というのが往復11万yenであるではないか。
友人が客死した地を空から追悼するのも悪くはない。
これもエージェントに直接問い合わせで、けっきょく18万円ぐらいになることがわかった。

ドル計算してみると、高値感バッチリのこちら発券のチケットとそう変わらなくなってくる。

こころはあちこちに幽体離脱したが、けっきょくおなじみのルートか?


10/4(火)記 アモレイラのテプイ

ブラジルにて
テプイとは、ギアナ高地にあるテーブルマウンテンの現地での呼称。

「あもーるあもれいら」完結編の編集も佳境に。
いくつものクライマックスが。

当初、想定していたクライマックス部分の字幕付け。
このシーンの発想の原点は、牛山純一プロデュース作品にあるのを思い出した。
あの作品の、特殊進化、適応放散か。

このクライマックスは、いわば平坦なので、テプイを思い出した。
ほかにパタゴニアのフィッツ・ロイ級の峻峰が随所にあり。

牛山さんの命日に二日早いが、黙祷。


10/5(水)記 Cichorium

ブラジルにて
ケールと白菜の中間種のような野菜が来ている。
聞くと、こちらでアルメイロンと呼ばれる西洋野菜のようだ。

ポルトガル語検索で学名を調べる。
そこから日本名を探すと、チコリーないし、チコリ、和名はキクニガナときた。
図像でみると、うす黄緑の、小舟型。
イタ飯系のサラダなどで見るやつだ。

それにしても我が家のは大きい。
そのままでは、十分に苦そう。

今朝、アボガドと生クリームのミックスをこれでいただくというのにトライ。
とてもよろしいではないか。
絶妙の取り合わせ。

昨晩、この野菜の名前を調べていて、ふとサティが聞きたくなった。
藤田嗣治の評伝を読んでいるせいか。
CD初期時代から聞き続けてきたサティを引っ張り出す。
そうか、アルド・チッコリーニのピアノだった。


10/6(木)記 異邦人

ブラジルにて
覚えているところでは、ブエノスアイレスと秋田で見た。
藤田嗣治の作品。

「藤田嗣治『異邦人』の生涯」(近藤史人著・講談社文庫)を読了。
在外邦人の末席をけがす者、そして表現者の端くれとして、心がひりひりいたむ。

「ギャラリーフェイク」の主人公の名前がフジタなのは、オマージュか。

藤田のブラジル、いやさラテンアメリカ時代のエピソードがもっと知りたい。
彼のブラジル到着は1931年。
橋本梧郎先生がブラジルに到着した年の3年前だから、これは古い話だ。
秋田の展示では、メダマの巨大壁画よりブラジル時代の作品の方が僕にはずっと面白かった。

それにしても藤田の戦争画、実物を拝みたいものだ。


10/7(金)記 宗教画

ブラジルにて
「あもーるあもれいら」第三部『サマークリスマスのかげで』、最後のクライマックス部分の字幕付け作業に突入。
シーンの随所を静止画でみることになり、新たな気付きが少なくない。
この色味、構図、そして意味。
泰西宗教画をみる思いぞする。
エル・グレコとか。

拙作のサマークリスマスといえば、「フマニタス」のラストシーン。
新たに重いサマークリスマスが産まれる。


10/8(土)喫茶どーむ

ブラジルにて
日本のサッカー選手がヨーロッパでの試合で「フクシマ」と連呼されたとのニュースを思い出す。

ブラジルでは原題どおり「HIROSHIMA MON AMOUR」、日本語タイトル「二十四時間の情事」をブラジル版DVDで鑑賞。
どうしてもフクシマをふまえて見ざるをえない。

この映画が広島で撮影されたのは、まさしく愚生が生まれた年。
広島の原爆資料館の展示物を公民館に移して、原爆資料館で原子力平和利用博覧会が開催された1956年の2年後である。

まさに当時の広島の記録という点では興味深いが、原爆スラムらしいのは出てこない。
なんとも不思議で奇妙な映画で、素朴な突っ込みも入れたくなってくる。
ま、映画だから。


10/9(日)記 無是有あり。

ブラジルにて
「夢是有」という手もあるか。
うーむ、でも「無是有」にしておくか。
ムゼウ、ポルトガル語でミュージアムのこと。

思い切って訪ねたサンパウロ市郊外の日系老人ホーム「憩いの園」のなかにムゼウができていた。
昼なお暗い一室に創設者の渡辺マルガリーダ女史の関連資料、皇室がらみの資料、入居者だったとみられる人たちの遺した歌集などが置かれている。

今日は「UNDO-KAI」の日で園内は通常の日曜よりはるかに訪問者が多かったが、ムゼウはひっそりと静まり返っている。
電気もついていないし、こっちが入っているうちに外から施錠されてしまうのが心配になる。

わが「南回帰行」はずばり日本人移民とミュージアムをめぐるお話。
「ブラジルの土に生きて」では石井延兼さんのお宅の「ムゼウ」と呼ばれる一角が映し出される。

この場所そのものが、入居者の方々そのものがムゼウ感あり。
諸行ムゼウ。


10/10(月)記 バスクの風

ブラジルにて
昨日、カルパッチョと刺身でいただいたカツオが残っている。
とろけるようなカツオ。

さあどうするか。
ネットでレシピ検索。
カツオのトマト煮というのがある。
ホールトマト水煮一缶使用、とあるが、熟し過ぎトマトがちょうど2個あり。
挑戦。

バスク風料理とのこと。
カツオの身がけっこう崩れてしまうが、家庭でこんなのが食べられちゃうとは。

フランシスコ・ザビエルはじめ、バスクの諸々に想いを馳せる。
冷蔵庫から世界が拡がる。


10/11(火)記 アートの森

ブラジルにて
所用で街に出る。
それに抱き合わせで、気になっていたアートスポットをいくつかまわる。
「あもれいら」編集にどっぷり浸かっている間に、これはぜひ!という展示が終わっていたりして。

「みえない地図」という企画展示。
サンパウロ市北部の山地にどばっと線やネットがかけられ、熱帯と亜熱帯に峻別している作品が印象に残る。
緯度による区分では、まさにサンパウロ市はこうなるのだ。

ピニェイロスのギャラリーで開かれているJesus Herreraというスペイン人の画家が描いた熱帯林画がよろしかった。
http://www.ppow.com.br/portal/2011/08/26/exposicao-de-jesus-herrera/
人口の床面の奥に拡がる熱帯林。
僕には珍しく、ほしい!と思わせる作品であった。


10/12(水)記 のむこ のまれるこ

ブラジルにて
今日のブラジルは、旗日。
ブラジルの守護聖母アパレシーダの祭日であり、子どもの日でもある。
子らには、日本からこの日を期して買ってきたグッズを贈る。

訳ありで、自動車を出す。
平日なら、まずパスをするが、守護聖母効果で交通はスムース。
サンパウロを訪れた知人と会食。
飲み過ぎ。

ま、子どもの日だし。
子どもはそんなに飲まないか。

東京でいちばんカイピリーニャのおいしい店と定評のある西荻窪のブラジリアンスポット・アパレシーダの開店5周年にちなんでということで。


10/13(木)記 聖市アートの森歩きふたたび

ブラジルにて
長距離バスの切符を買いに街に出たついでに、いくつかアートスポットを回る。

ピナコテーカはお気に入りの常設展が、改装中。
案内にも切符売り場にも、そんなお知らせが目につかなかったところがブラジルっぽい。
階段をヒーコラのぼって、ようやく知る。
せめて階下に上は工事中とぐらい一筆欲しいところ。

特別展だけでも盛りだくさんなので、ちょいとホッとした気もあり。
アートも腹八分目ぐらいが、よろし。

18-19世紀の博物画のナメクジ類に目をむく。
15世紀イタリアのマドンナ像が、原節子みたいで。

さあ今晩から、ふたたびアモレイラへ。


10/14(金)記 北パラナの郷愁

ブラジルにて
すごい濃霧。
雨混じり。
朝、アモレイラ着。

明日の土曜日が「先生の日」なので、今日の保育園はお休み。
シスターたちに優先してこちらの作業に付き合っていただく。
しかし途中、毎度のことながら、なにかと電話や来客が多い。

大きめの問題としては、隣の老人ホームに大雨のため、大穴が口を開けたこと。

おかげさまで昼食までにこちらの用事を片づけていただく。

午後のバスでサンジェロニモダセーラのフマニタスに向かう。
バスだと時間はかかるが、途中の小さな町に立ち寄っていくのが面白い。

佐々木神父と再会。
フマニタスは落雷で、井戸のポンプが焼けてしまったという。
「働く車」の出動。
深さ120メートルもの井戸のパイプとポンプを、夜更けまで引き出す作業。
佐々木神父は飽かずに眺めている。

日本酒を勧めていただくが、製造日から八年ほど経ち、飴色に輝いている。
まさしく老酒。
単純飲用より何か他に活用できそう。

神父さんがお元気そうで、何より。


10/15(土)記 油面の法面

ブラジルにて
朝のバスでフマニタスを失礼するつもりだった。
しかし佐々木神父がサポペマ等、お連れしたい、コルネリオまでお送りするとのことで甘えることに。
まさしくグレードアップしたササキ農学校を見るのは楽しみ。
しかし電気はついているものの、クラクションにも誰も応じない。

午後。
コルネリオに向かうが、佐々木神父をして「こんなのは初めて」と言わしめる豪雨。

法面の随所から増水期のイグアスーの滝さながらに水がほとばしっている。
「法面」という言葉は日本からの客船の講師を務めた時に、ひいきにしてくれたお客さんが後日、送ってくれた論文集で知った。
あれには「のり面」とあったかと。

佐々木神父の後輩の日系の神父が交通事故で九死に一生を得たばかり。
17年前にサポペマにお連れいただいた時も、山道で車がエンコしたっけ。
ぶじコルネリオのバスターミナルに到着するが、今度はバスが遅れ。

パラナにまつわる宿題に着手しないと。


10/16(日)記 サマータイムはラストタンゴで

ブラジルにて
道中ずっと雨、バスはどんどん遅れる。
この日曜からサマータイムの始まりで、1時間繰り上がり。
サンパウロのメトロは深夜1時までの営業だが、バスのサンパウロ着は夏時間の1時25分。
しかしメトロは前日時間で運行していてくれた。
やれやれ。

夏時間午前2時に帰宅。
バスでずっと消灯していたせいか、寝つかれない。
こちらの新聞社が発行したDVDヨーロッパ映画選「ラストタンゴ・イン・パリ」を観ることに。
1972年製作。
日本公開時は相当のセンセーショナルだった。
こちとら中学生。
高校生の頃に、ごまかしてみた覚えあり。
ちなみに当時のブラジルは軍政時代で、この映画は1979年にようやく公開されたとのこと。

ずばり先日みた「24時間の情事」とオーバーラップ。
お互いに名前も明かさないでのセックス三昧という共通点か。
片方が異邦人というのも共通。
こじつけていけば、「24時間」の深夜クラブ「カサブランカ」と「ラストタンゴ」のタンゴ会場も重なるではないか。
「ラストタンゴ」は音楽からして「タクシードライバー」をほうふつさせる。
「タクシードライバー」は1976年製作、大まかにいえば同時代か。
どちらも大都市のけだるい生理をよくとらえている。

それにしてもベルトルッチ監督が製作時、弱冠31歳というのが驚き。
改めて、あとを引きそうな映画。


10/17(火)記 断食朗読

ブラジルにて
さあ今日は断食。
「あもれいら」完結編のナレーション録音は、明日をコンファーム。
今回は初めから新たな方式をとってみることに。
原稿と映像の読み合わせ。
録音前は、ライブ上映や講演の前より、ずっとナーヴァスになる。

午後より、子どもの送迎。
いっしょに軽食をとりに入ったところは、ノルデスチ(ブラジル北東部)料理屋ではないか。
干し肉、ヤギ肉、内臓系などあっち方面の定食いろいろあり。
今日は紙パックのココナッツウオーターを飲むにとどめる。
いずれバイオン・デ・ドイス定食といくか。
そこいらのバール程度の大衆食堂だが、しっかりサービス料10パーセントとられる。


10/18(火)記 奇縁を縫う

ブラジルにて
アサイチでもう一度、ナレーションの読み合わせ。
「南回帰行」ですでに録音作業をしたイピランガのスタジオへ、メトロで。

いわば、映像記録以来の「日式」から、こっち系の「伯式」に収録方法を変えてみたので、格段にスムース。
とにかく、自分でコントロールするしかない。

そもそも不思議としかいいようがないのだが、このスタジオのまん前に、かつて取材で何度か訪れた日本人移民女性のお宅がある。
NHKの「日曜スペシャル」にも登場するのだ。

先回は彼女は病気ぎみで見かけない、とスタジオの夫婦に聞いていて、こちらもワサワサして声かけも遠慮していた。
今日はスタジオを出る時に、セニョーラ(奥さん)が外にいるというではないか。

何年ぶりの再会か。
集中治療室に10日以上、入っていたという。
いまや歌も出るほど回復されたようだ。

あがってカフェでも、福神漬けでもとすすめられるが、いったん失礼する。

家に戻って素材をチェック。
最初の時と同様、レベルが低い。
先回は往生して、追加録音の時にレベルを上げてもらった。
今回は拙宅でやりくりする方法を考案。
手間だが、もう一度、イピランガの上まで行くより早い。

夕食時までかかるが、これでなんとかなりそう。

それにしても縁のある場所、人というものはあるものだな。


10/19(水)記 魯山人を想い、ナレーションをあてる

ブラジルにて
買い物、子どもの送迎、炊事以外は、ひたすら昨日、録音してレベルを変えたナレーションを分解して選んで、あてていく作業。
新方式でよかったかどうか。

(前略)個人作家たる以上は、何一つすら他人に任せることなく、製作の悉くを自分で作るべきが当然だと思う。
北大路魯山人

ひとりは、オレだけじゃない。


10/20(木)記 タピオカの夜

ブラジルにて
汎ブラジル的には決してポピュラーとまではいかないかな。
サンパウロあたりでは、タピオカの名前で、屋台で主にスイート系のスナックとして売られている。
バイーア以北および、アマゾン河流域の気のきいたホテルでは、朝食の際に専門のタピオカ焼き担当がいて、お好みのをアツアツで焼いてくれる。
アマゾンのインディオ諸部族では主にベイジュと呼び、ヤノマモでは丸い鉄板で焼いていた。
鉄器導入以前は、セラミック使用か。

昨日、近くの肉屋のレジのところで、パライバ州のタピオカの粉が売られていて、購入。
今朝、焼いてみるとソコソコいける。
夜はこれをメインにチャレンジ。

毒マンジョーカ芋の、さらして青酸毒を抜いたもの。
これが粉だけなのに、焼いているうちにお好み焼き・ピザ状に固まっていくのだ。
チーズ、パルミット(ヤシの芽)、ビーフジャーキー、ミックスベジタブルといろいろ具をお好みでいってみる。

南米先住民の壮大な知恵だ。
これを味あわでおくべきか。

もっと現地で焼いているのを観察しておけばよかった。


10/21(金)記 大アマゾンの半魚人

ブラジルにて
「半魚人」について検索してみる。
と、かなりの頻度で「半魚人」と「鹿児島」がセットのキーワードになっていることがわかる。
数ヶ月前、ツイッターで鹿児島でナゾの吸血生物「シュッパカブラ(チュパカブラ)」が出現、との「ムウ」系の情報が流れた。
桜島活動化との関連か。
そういえば海底原人ラゴンの出現も海底火山がらみだった。

けっきょく鹿児島の半魚人は、鹿児島中央にある居酒屋の名前とわかる。

魯山人のことにふたたび思いをめぐらせていて、その字面から半魚人にいきついた。
映画「大アマゾンの半魚人」の製作は1954年、わが「ゴジラ」と同じ年だ。
日本のテレビで何回となく放送されていたと記憶する。
おそらく僕が「大アマゾン」を意識した嚆矢になるかと。

今日は終日、「あもれいら」のナレーションと同時録音の現場音のバランスを合わせる作業。
これを業界用語で「ミックスダウン」というのかな。
これを自分でたしなむようになったのは、「あもれいら」②から。
それまではテレビ時代は音効さん、自主制作以降はスタジオさんにお任せしていた。

いわば、運転免許もないタクシーの乗客が運転手になったようなものだ。
自分で運転するようになると、いろいろとわかってくることが多いぜ。
他人のひどい運転とか。


10/22(土)記 郷愁の落水荘と放射能汚染

ブラジルにて
見当たらなかった国際縄文学協会の会誌がごっそりと現われた。
12月4日の上映会に備えて目を通していく。

夕方、息子と「サンダーバード」のDVDを見ることに。
最後の訪日の際、DVDマガジンとして発売されていたもの。

孤島のトレイシー家の邸宅を見て、驚く。
フランク・ロイド・ライトの落水荘をほうふつさせるではないか。
長じてから落水荘の写真を見るにつけ、妙な親しみを感じていた。
幼少の頃に親しんだサンダーバードにルーツがありそう。

トレイシー邸の内部のアート趣味もなかなかで、写楽の役者絵が2点、うかがえた。
人形劇でここまで凝るとは、なかなか。

初回のストーリーでは、ロンドン発東京行きの原子力旅客機に爆弾が仕掛けられる。
爆発を防いでも乗客は放射能汚染に見舞われてしまう危険がある、というお話。
今どきの日本のテレビなら、電力会社がスポンサーを降りるだろう野心作。


10/23(日)記 映画まつり

ブラジルにて
サンパウロ国際映画祭が始まってしまった。
ざざっとプログラムを見て、ぜひ観ておきたいのが2本ほどある。
あとはまずは会場に行って分厚いカタログを買ってこないと。

午後、とりあえず1本。
ブラジルのドキュメンタリー「HOLLYWOOD NO CERRADO」。
フーテージとCGを駆使した作品だが、そのセンスのよさには息を呑むばかり。
まず日本で上映されることはないだろうけど。

今年のメインイメージはブラジルを代表するマンガ作家マウリシオ・デ・ソウザの洞窟壁画と先史人で、これがまた秀逸。

自作のまとめと国内巡礼があるので、おまつりはほどほどにしておかないと。


10/24(月)記 身辺整理

ブラジルにて
「慰問上映と」と打ち込んだつもりが「慰問所ウエイト」と変換されてしまった。
今週半ばから、知人を訪ねてブラジル内陸部をざっと回るつもり。

その前に「あもれいら」をひと通り詰めておきたい。
全3部分のスタッフクレジット入れ作業等々。
この3作の間に、技術的には諸々の変化があったなあ。

日中の外は、夏の灼熱。


10/25(火)記 あもーる ありじごく

ブラジルにて
いろいろ考えたが、「あもれいら」完結編のマスター版制作は日本のビデオスタジオでお願いすることにした。
そのための素材テープをこっちの編集機からコピーする作業に入る。
1時間テープで、2本に一度ぐらいはノイズ/ドロップアウトが起こる感じ。
それをチェックして、傷があったらまたやり直ししてまたチェック、というアリ地獄のような作業。
今回の作品のファーストシーンがそれを予見していたか。

明日からの旅のバスチケットを買いにバスターミナルまで行くが、思わぬ落とし穴アリ。
明日、乗車しない方のバスターミナルまで行かないとチケットが買えない・・・

いろいろあった後、サンパウロ映画祭でいちばんみたかったヘルツォークの「忘れられた夢の洞窟」の会場、切符売り場に到着。
上映キャンセルとか。
映画祭スタッフに詰め寄ると、素材が税関で止められているとか。
いや~ん。


10/26(水)記 山頭火の夜

ブラジルにて
早朝より、ありじごく作業の続き。
ようやく脱出。
すかさず、今日からの旅のお土産にするDVD焼き作業に入らんとする。
なぜか、マスターテープが見つからない。
さあ困った。
編集機のリムーバルメモリーにまだ消去せずにあったのから、ふたたびマスター起こし。
なんとか間に合うか。
機械に作業させているうちに、頼まれもの・土産物などの買い物を繰り返す。

午後、あわただしく出家。
最初の町までは、かつては直行便があったのだが、なくなったようだ。

ブラジルのバス旅にはいろいろなコツがあることを再確認。

サンパウロ市の北のカンピーナスまで行って、そこから乗換え。
カンピーナスのターミナルで行き交う人を眺めていると、「明日に向って撃て」の旋律が勝手に浮かんできた。
南米の場末感からか。

やれやれでカンピーナスから、リオデジャネイロ発クイアバ行きに乗車。

まずは前後左右に客がいないのがありがたい。
少し心細い読書灯をともして、「山頭火随筆集」を開く。
旅のシチュエーションは異なっても、山頭火は沁みる。


10/27(木)記 女たちのセハード

ブラジルにて
夜明けとともに、車窓に大平原が浮かび上がってきた。
収穫後の大豆畑や、牧草地か。
おお、これぞブラジル楯状地。

ひたすら車窓を追う。
あ、屈曲した木々がわずかに取り残されている!
そうだ、ここは地球上の熱帯サバンナ地帯でもっとも動植物相が豊かなserradoと呼ばれる大地なのだ。
あまりにも本来の植生が根こそぎにされているため、寝起きの頭にすぐにserrado破壊のことが浮かんでこなかった。
日本政府と日系人たちは、1970年代以来、この破壊に莫大な貢献をしている。
21世紀になっても無知と傲慢からこの大地を「不毛」と呼ぶ日本の全国紙にその根拠を明らかにするよう問いただしたが、ごまかされたままだ。

ゴヤス州の小さな町で下車。
日本の知人と再会。
いちいち刺激的。
その人の義母が、やたらに地元の薬草に詳しい。

大いなるcerrado。


10/28(金)記 ブラジルのおじさん

ブラジルにて
二日酔いと寝不足。
しかし、朝の空気のおいしさに驚いた。
雨季の始まるセラードの空は、ピーカン。

ふたたびバスで、マットグロッソに向かう。
楯状地の楯のヘリということになろうか、絶景地帯を行く。
このあたり、拙作「郷愁は夢のなかで」に写り込んでいる。

して、西さんのかつての道路縁の住まいのあったあたりは、モーテルと土地無し農民たちのもぬけの殻のベースキャンプに挟まれていた。

20数年来の知人を訪ねる。
もう親戚みたいなもの。
まだまだ知らない話、意外な話が出てくる。
今宵も日付を超えてお話。


10/29(土)記 旅の朗読

ブラジルにて
「ブラジルのおじさん」の朝は早い。
早朝4時には起床。
建物の見回りや、労働者の朝のコーヒーの準備を始める。
今こっちが起き上がってもかえって気を使うだろうし、明るくなるまで休ませてもらう。

「あもれいら」の編集の合い間に書いていた、ずばり「ブラジルのおじさん」と名づけていた草稿を朗読して、聴いていただく。
書いたものをお送りしたのでは、ダイレクトの反応がわからないし、訂正の必要な箇所を電話で尋ねても「あんたのいいようでかまわんよ」としかおっしゃらなかっただろう。
慎重に構えたいデリケートな部分もあり、これは乗り込んで読んで聞いていただくしかないと判断した次第。

昨晩は共通のブラジル人の友人が乗り込んできて、ひとしきり諸々を延々と話し、おじさん自身もハイになっていた。
こちらの最大の目的の朗読は、今朝に持ち越した。

ご家族の事情も考慮して、今日の午後には失礼することにした。
今日もまたブラジル人の友人が話に来る、というし、その前に片付くかどうか。

緊張とともに、至福の時間でもあった。
おじさんの反応は、感無量。
あえてカメラを回さない刹那をこそ、僕は大切にしたい。

まだまだ先は長いが、いちばんの峠を越えた思い。


10/30(日)記 森の生活/バスの生活

ブラジルにて
日本の最長時間のバスは、何時間ぐらいだろう。
南米だと、たとえばサンパウロからペルーのリマ行きあたりで5日間だったかな。
まあバスも飛行機も、24時間も乗っているとうんざりこんである。

昨日の午後、マットグロッソ州のロンドノポリスを発ったバスは、州境の大型トラックの列で2時間ほど立ち往生。

こっちは山頭火を読了、ソローの「森の生活」(上)を開いたり、惰眠を繰り返したり。
サンパウロ着は、3時間の遅れ。
ロンドノポリスからサンパウロまで、飛行機の直行便ならサンパウロから成田まで着いている時間だ。

これぐらい長いと、乗客間で社会みたいなのが出来上がり、そこからうかがえるブラジル人気質がまことにケッサク。


10/31(月)記 恥の上書き

ブラジルにて
バス乗車中の時間の方が長い旅だったが、自分が上書きできたような感じ。
訪日まで、新たな日常を歩むか、なんちゃって。

ちょっと書いたものを推敲してみるが、加筆修正、これはもう別ファイルにしないと。

断食をして、車で子供の件で町に出る。


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