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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2012年の日記  (最終更新日 : 2013/01/07)
1月の日記 総集編 耳をとじれば

1月の日記 総集編 耳をとじれば (2012/02/01) 1月1日(日)の記 涼気新年

ブラジルにて
ブラジルで年を越すのは、もう20数回目。
サンパウロでこれだけ涼しい正月は、はじめてかも。

マヤ暦では、今年で最後とか。
現地では観光はじめ便乗商売が盛んとの報道あり。

妻の実家でおせち料理をいただく。
例年は猛暑と薮蚊の攻勢がすごい。
本年は一箇所の献血ぐらいで済んだ。


1月2日(月)の記 辰年のねずみ

ブラジルにて
年末は、年内収束を宣言していた部分の書き下ろしべったり。
なんとかそれを成就して、気が抜けてしまった。
さっそく指摘をもらった部分をリライト。
その前に、ノートPC用のマウスを新たに購入。

辰年のはじめに、マウスを新規購入か。

さあ冷蔵庫をすっきりさせないと。


1月3日(火)の記 バイキング襲来

ブラジルにて
昨晩に引き続いて、冷蔵庫内のものでエコノミー・エコロジー料理。
夜に至っては中華まん・スパゲティ・ふかしご飯等々のバイキングと化した。
まあ及第点の処理かと。

バイキングという言葉の由来を検索。
ばい菌とはあまり関係ないらしい。
北欧の海賊形式ぐらいかと思いきや・・・
ウイキペディアでも不明。
検索を進める。
なんとわたくしめの生まれた年に生まれた和製カタカナ語ではないか。

日本以外じゃ通用しない海賊。
各国の日系社会なら通じるかも。
戦前移民相手にはむずかしいかも。


1月4日(水)の記 海ゆかば

ブラジルにて
まだ通ったことのない海べりの街道を行く。
カーフェリーで渡れる大西洋の島へ。

目測で、伊豆大島の3倍ぐらいある感じ。
宿は、崖の上。

海岸山脈の崖を下ってみる。
バナナ林あり。
バナナの向こうに、磯と大海!
南島の兵隊さんになった気分。


1月5日(木)の記 汀にて

ブラジルにて
午前、家族二人とともに、昨日の磯へ下る。
一服。
山からの細流が流れ込むところに、ひとりたたずむ。

潮騒と清流のせせらぎ。
パタゴニアの氷河湖以来のダイナミックで繊細な音の展開。
そして、啓示。
モーゼが海を割ったような。
生と死へのパースペクト。
3年前のイグアスーの滝以来だ。
ここに、呼ばれたか。

宿に戻って取り出した手ぬぐいにさらに驚く。
南方熊楠手ぬぐいだ。

午後、両耳とも難聴状態に。
Wi-Fiの波のいい時に、家庭の医学のにわか勉強。
橋本梧郎先生もこれだったな。


1月6日(金)の記 再会・森の忍者

ブラジルにて
久しく人の通った形跡のない、草深い道。
こういうところにこそ…
おお、いたいたツノゼミ!

短時間で3種は確認。
あの究極の、ヨツダマも!
マクロ撮影が可能なデジカメを構える。

いずれのツノゼミも、異常にすばしっこいぞ。
時期の関係だろうか。
粘菌にも出会いたいところ。

合い間合い間に「モラエスの日本随想記」(ことのは文庫)を読む喜び。
東京での上映会に来てくれた方からいただいた。
およそ100年前に徳島に隠遁したポルトガル人と、日本文化をめぐって対話のできるぜいたくさ。
しかもこの大西洋森林の島で。


1月7日(土)の記 大陸へ

ブラジルにて
午前中、近場の滝へ。
花とロウソクを備えた儀式のあとがある。

難聴状態のまま、島をあとにする。
こっちの交通法規に聴覚の規定はあったかな。
山道、豪雨、雹(ひょう)まで難をそえる。

迷った末に立ち寄った山の飯屋にただようカルチャーがよかった。
土地に根ざした価値に光をあてるセンスに拍手。

生涯にあとどれだけ家族旅行ができるだろう。


1月8日(日)記 二重苦・鮮魚なし

ブラジルにて
そもそもポルトガル語のネィティヴではないし、難聴が加わって二重苦状態。
待望の路上市へ。
3週間ぶり。
ふだんは4軒が競い合う魚屋が、1軒のみではないか。
日本でいえば、河岸(かし)が休みで、というやつだろう。
完全な売り手市場になってしまった。

サシミで食べられる魚は?
と聞くと、チリ産サーモンと、おそらくボラと言った。
チリじゃけは、島のレストランのおやじも大枚はたいて食べる気はしないと言ってたな。
ボラは泥臭いと言う偏見がある。

焼き魚用に和名のない魚を買っておく。
アサリの活きが意外といいのには驚く。

難聴状態だと、味覚も落ちる感じ。

二重苦状態ゆえ、今日のパーティは失礼させてもらう。


1月9日(月)の記 耳をとじれば

ブラジルにて
難聴状態だと、かえってみえてくることもある。
近くに用足しに出る。
交通状況の把握は、けっこう音に頼っていることに気づく。
難聴状態では、他の感覚を駆使して、といっても視覚だろうが、よけい注意しないと。

今週から再開しようと目論んでいたオーディオヴィジュアル作業は、とりあえず延期。


1月10日(火)の記 OTORRINOLARINGOLOGIA

ブラジルにて
数えてみると、アルファベットで20字ある。
耳鼻咽喉科のこと。
庶民レベルではあまり使わないだろうな。

午後、サンパウロ日伯援護協会の診療センターの耳鼻科で耳をみてもらう。
両耳とも洗浄してもらい、どうやら蘇生。
こちらで援協と呼んでいるが、毎年、会費を払っていてよかった。
専門医にかかるとこれぐらいかかる、と聞いていた金額の数分の一で済んだ。
奇怪・不愉快なことの多い当地日系社会だが、これはありがたみを感じる。

地下鉄で往復する。
難聴状態の往路でも、メトロの駅名アナウンスは聴こえた。
聴力が回復してみると、都市には無駄な音が多すぎると感じる。
雑音騒音。

耳を塞がれた感じもつらいけど。

森羅万象のオーケストラに委ねたい…


1月11日(水)の記 船戸三昧

ブラジルにて
いつの訪日で買ってきたのだろう。
昨夕、船戸与一著「河畔に標なく」(集英社文庫)を発見。
聴力回復のお祝いに、読む。
ガンガンに面白い。

文庫版で約620ページ。
深夜まで読み耽る。

今日も、続きが気になる。
作業は、後回し。

舞台は、ミャンマー中北部。
「アジアの深き闇」とは、いかにも。
諸々のストーリーが、こよりのように撚り合わされていき…

午後、ようやく作業再開。
松井太郎さんとの対談を、起こす。


1月12日(木)の記 パエリャ諸々

ブラジルにて
原稿書きをメインに。
うーん、あんまし面白くないような。
少しもだえる。
これが終わらないと、ビデオ編集に入れない。

夜は、パエリャとする。
お正月にもらってきたエビを使って。
インディカ米を1キロ、買出し。

これのレシピは、まさしく十人十色。
米を洗うか否かに始まって…
まあ、そこそこできた。
水をもう少し控えてもよかったかも。


1月13日(金)の記 浮草発見

ブラジルにて
来週からまたビデオ編集開始のつもり。
眼の使用時間・能力の限界もある。
他人様の作品を鑑賞するのは、今のうち。

未明より小津の「浮草」(1959年)を鑑賞。
先日、ダウンタウンで見つけて買った。
ちなみにポ語タイトルは「ERVAS FLUTUANTES」、浮かぶ雑草。
1959年のカラー作品だが、小津安二郎名作映画集のラインナップにもなかったような。
そうか、これは松竹ではなく、大映映画だ。
小津が晩年に大映で撮っていたこと、恥ずかしながら認識していなかった。

これは驚き、たいへんな作品だ。
原節子の紀子さんワールドとは、だいぶ勝手が違うぞ。
伊勢の田舎町を訪れた旅役者の一座の話。
京マチ子、若尾文子といった女優がすばらしい。
一座の座長の、出し物の芝居と一座のメンバーに抱く差別・偏見が強烈。
これをもっと以前に観ていたら、コロニア演劇人の小泉照男さんの描き方も少し違っていたかもしれない。

しかもこれは小津自らのサイレント作品のリメイクだというではないか。
小津、すご過ぎ。


1月14日(土)の記 ブラジルのぬり壁

ブラジルにて
洗面所の天井の汚れが何とかならないか、と旧年中から声が出ていた。
天井部のペイントは、ミケランジェロばりのワザがいるようだ。

とりあえず、居室の壁のいちばん汚れのひどい部分を塗り直してみようということになった。
昨日、近くのペンキ屋でひととおりの素材・道具をそろえる。
昨日のうちに紙やすりかけ。

50を過ぎて、初塗りである。
昨晩は、武者震いとまではいかないけど。
今日は早朝から作業。

なかなか…
二度塗りをするのだが、一度ではまことにムラが目立つ。
4時間おいて、二度塗り。
なおもムラが気になる。
これは三度目に挑むか、と覚悟するが、時間が経つと、まんざらでもない。

芸域が広がった思い。
さあ次はどこを塗ろう。
天井知らず。


1月15日(日)の記 縄文正月30年

ブラジルにて
facebookを開いて、気づく。
石川県の「左義長」、隠岐の「とんど」が写真で紹介されている。
そうか、今日は小正月であったぞ。

不肖岡村の卒論のテーマは小正月行事に縄文のこころをみる、というものだった。
タイトルは「ドングリとマユダマ 現代日本文化における縄文文化的要素の痕跡」、ううん副題がちょっと違ったかもしれないが、こんな感じだ。

故・宮本常一は著作のなかで、小正月行事に想像以上に起源が古いものがあることを推測しているが、慧眼。
僕の具体的な仮説を当時、モグリ聴講させてもらっていた「イモと日本人」の坪井洋文先生にぶつけてみたことがある。
二つ返事で納得していただけた。
肝心の主任教授には、見事にスルーされたけど。
みな故人になってしまった。

卒論提出から、30年。
縄文文化の今日的意義、さらに「あそび」をとらえたのは時期尚早だったが、悪くないと思っている。
30年後も日本各地でローカルな小正月行事が継続されていること、感無量。
エトノスはこっちの想像以上に、したたかだ。

この卒論、英語タイトルもつけた。
「2001 B.C. : A JOMON ODYSSEY」。


1月16日(月)の記 堀本投手逝く

ブラジルにて
朝イチでPCを立ち上げ、日本の通信社のサイトにアクセスして…
元巨人軍投手・堀本律雄さんの訃報を知る。
http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2012011600600

福島原発事故の影響で、堀本さんにお目にかかった。
3月12日の福島原発爆発のその日から、神奈川・逗子のシネマアミーゴで岡村作品特集上映が始まった。
目黒の実家から逗子に通うにも、電車は各線とも混乱を極めた。
放射雨に打たれながらアミーゴに到着すると、観客ゼロというライブ上映史上初の事態も。

その日は未明のツイッターで本日も上映決行と発信されたのを確認。
運行している電車を乗り継いで、三浦半島へ。
戒厳令下の静まりの逗子に到着すると、計画停電で、電気がないではないか。
館主の長島さんは隣接した「わかなパン」にいらした。
わかなパンさんは停電の予定時刻の前にパン焼きをすませ、営業していた。

すぐにまた数時間かけて帰京する気にもなれず、パン屋さんにへなりこむ。
すると、大リーグのジャケットと、確か帽子は巨人軍といういでたちの老紳士が通りがかり、お店を覗き込んだ。
パンを買うことにした紳士に「お父さん、野球オタクでいらして?」みたいな感じで話しかける。
お父さんは財布から年代ものの野球カードみたいのを取り出す。
「これ、ボク」といったような自己紹介だったろうか。

運動神経ゼロで体育教育を忌み嫌い続けた岡村も、小学生時代は野球ファンだったことがある。
「巨人の星」が連載されていた頃。
アンチ巨人だったけれども。
失礼ながら巨人の堀内投手は覚えていても、堀本投手は存じ上げなかった。
「ボクは堀内君より少し上なんだよ」とぶしつけな質問に応じてくれた。
話をうかがっていて、読売の正力が逗子住まいで「正力詣で」があることを知る。
逗子は日本の原発の父・正力松太郎の根拠地だったのだ。

その日の夜は東京も計画停電入りの可能性が予想された。
西荻窪APARECIDAさんも予定されていた上映決行の構え。
逗子から、たっぷり時間の余裕をみて西荻窪へ。
以前から気になっていた寺院建築風の銭湯に寄る。

店内各所に往年の長嶋茂雄のポスターなどが張り巡らされている。
番台のおじさんに巨人ファンだと確認して、堀本選手のことを聞いてみる。
一世を風靡する存在だったらしい。

堀本さんが巨人軍で新人王を獲得したのは、1960年。
こっちはようやく2歳の時だ。

余命一年弱という感じは、まるでなかった。
逗子の方に、頭を垂れる。


1月17日(火)の記 ペインティングとエディティング

ブラジルにて
昨日から、ステーキハウス横浜ガウシャでのアレイダ・ゲバラさんの講演と対談の映像の編集作業にようやく着手した。
今日は屋内ペンキ塗りの続き。

一度塗って、乾かす時間に炊事と編集。
映像制作者は数あれど、ペンキぬりと編集を自宅で同時並行する人は、人類史上あまりいないかもしれない。


1月18日(水)の記 ペンキ模様

ブラジルにて
朝から夜までペンキ塗り。
乾燥待ちの時に、ビデオ編集と炊事。

壁用の水性ペンキは水で薄まり、水で汚れも落ちて手っ取り早い。
しかしドアなどの木材部分用は油性で、乾燥まで倍の時間がかかる。
加えて揮発臭が家族を侵す。
こっちはシンナー遊びの趣味はなかったが、田宮のプラモづくりで相当の免疫がある。

このままでは受話器からキーボードまでペンキ染めになりそう。

そうそう、明灰白色と明灰青色の違いをネットで調べてみよう。


1月19日(木)の記 二亀を追うもの

ブラジルにて
塗りかべ作業は、とりあえず撤収。
ビデオ編集をメインとする。
横浜ガウシャでの、アレイダ・ゲバラさんの講演記録。
講演はともかく、ガウシャ店主・伊藤さんの動きが面白い。

この時は拙作「フマニタス」のスペイン語字幕版を上映して岡村もトーク、のはずだった。
撮影と上映、トークの3役を頼まれたため、どなたかに撮影をサポートしてもらう必要が出てきた。
故・佐藤真監督門下で、佐藤さんの縁でお付き合いのあった岡本和樹さんに頼んで快諾していただいた。

ひとり取材を始めてから、2カメの撮影というのは初めてではないかな。
野外上映なのに雨、主賓は来ない、段取りは次々にハズレという状況のなか、岡本さんにはよく長回しとフォローをしていただいた。

同時撮影したものを、スイッチャーなどを使わないプリミティブな手法で編集するのも初めて。
ローテク、無コストを通すつもり。
それでこそアレイダさんの伝言に応えるというものだろう。

さあどうなるか。


1月20日(金)の記 pek塗りたて

ブラジルにて
アレイダさんの記録は、機械が壊れず、そこそこの作業時間があれば何とかなりそうだ。
まあこんな仕事もめったにないだろう。
とにかくコストをかけず、ジバラでまかなえる範囲を目指す。
相手は、ゲバラ。

一昨日の日記をアップしようとして、ペンキという言葉の語源が気になる。
少なくてもポルトガル語ではなさそう。
ググってみると、オランダ語のpekから来ているらしい。
pekがペンキに変色か。


1月21日(土)の記 サマショーロと呼ばれている人達

ブラジルにて
「サマショーロと呼ばれている人達がいます。それは行政の指導に従わないで、立ち入り禁止に指定された村に戻ってきたり、出てゆこうとしない『わがまゝな人』という意味です。」
「貝原浩画文集 風しもの村 チェルノブイリ・スケッチ」(パロル舎)の冒頭の画文である。

チェルノブイリ原発事故時、風下となってしまったベラルーシを繰り返し訪ねて、景観と人々を描いた渾身の画文集だ。
預言書となってしまったこの画文集の迫力に、僕の言葉は追いつかない。

まずはこの本のあとがきの言葉をふたつ、書き写しておきたい。

「スケッチとは、ある瞬間を切り取ったものだ。しかし、芸術家の感性を通して切り取り、紙の上に鉛筆と水彩の筆を走らせて記録した瞬間は、もはや消えていく瞬間ではなく、永遠につながる普遍性を持つ。」(柳田邦男)

「自然界の生き物たちの命に相容れない放射性物質を管理することなどできないことを、チェルノブイリは語り続けている。」(神谷さだ子・JCF/日本チェルノブイリ連帯基金事務局長)



1月22日(日)の記 もっとモヒート

ブラジルにて
刺身用にアジ系の魚を買う。
「なめろう」用にネギを使いきってしまった。

日曜の午後でも開いているスーパーへ。
アルコールコーナーも物色。
国産のラムがそこそこの値段。
バカルディの半額ぐらい。

ミントも買ってモヒートといくか。
今日も未明からアレイダ・ゲバラさんの映像編集だったし。

そもそも人の作ったモヒートを飲んだことがない。
ネットでレシピを調べる。
そうか、ソーダ系がいるんだったか。
ま、アリモノでアレンジ。
これがほんとのキューバしのぎ。


1月23日(月)の記 友だちになりたくない有鉤条虫

ブラジルにて
昼は豚肉のパイン炒めとする。
肉に火を通しながら思い出す。
知人の義兄弟がブタの寄生虫に脳をやられて植物人間状態となり、介護がたいへんという話を聞いたばかり。

日本語だと有鉤条虫症ということになるようだ。
ブタやイノシシの寄生虫が、よく加熱していない肉などの摂取で人体に取り込まれる。
ヒトの眼球や脳などに寄生すると重篤の症状となる。
日本の近年の発症例では、輸入キムチが疑われた。

こってりと火を通さないと。
ブラジル、牛肉が高くなったからねえ。

さあ次回訪日では目黒寄生虫館をぜひ訪れよう。


1月24日(火)の記 ブラジル音痴の感激

ブラジルにて
パウリスタ方面で所用。
ついでにアート展鑑賞に映画鑑賞を抱き合わせる。

「A MÚSICA SEGUNDO TOM JOBIM」(ポルトガル語表記対応でないPCだと文字化けの可能性あり)、直訳すれば「トム・ジョビンによる音楽」、観たかったドキュメンタリー映画。
現在83歳の巨匠ネルソン・ペレイラ・ドス・サントス監督の最新作。
ブラジルの人間国宝同士の組み合わせといえる。

冒頭のスタッフとエンドの使用音楽・映像のクレジット以外は、字幕もナレーションもインタビューも一切なし。
あっぱれ!
はっきり言ってブラジル音楽音痴の僕でさえ、感動に酔ってしまうほど。
その方面のオタクの方は、悶絶死を覚悟された方がよろしいかも。
この映画で死にたい向きも少なくないことだろう。
腹上死は理想にしろ、あまり人聞きはよろしくない。
銀幕死なら。

これぐらいのネタバレは愛嬌ということで、以下書きます。
よけいなことは知りたくない方は、ここまでにしてくださいね。

日本・日系がらみで小野リサ、フェルナンダ・タカイが登場。
驚いたのはマルシアの登場。

エンドクレジットの前に、ジョビンの言葉がひとつ、インサートされる。
「LINGUAGEM MUSICAL BASTA」、音楽言語だけで十分。

そう、ドキュメンタリーも映像言語だけで十分。


1月25日(水)の記 一位と三位と

ブラジルにて
今日はサンパウロ市の記念日で、市内は祝日。
昨日、パウリスタ大通りのCAIXA culturalで「7 X CIDADE」(7かける街)という七人のアーチストの街をテーマにしたアート展を見た。
旧石器時代以来のアートを考えるうえで、刺激的だった。

会場にあったチラシによると、現在地球上で最大の人口集中地帯が東京、次いでインドのニューデリー、その次が大サンパウロ圏だという。

3位と1位を往復する生活をしているのか。
三週間後にはまたトップに向かっているはず。

アレイダさんの記録のアリ地獄作業、またノイズが出てやり直し。
テープ自体のクオリティの問題か、電気事情なのか。

午後、豪雨。


1月26日(木)の記 カシキアレ経由

ブラジルにて
ラムはなかなかトロピカルかつラテンで面白い。
代表的なカクテル、モヒートのレシピにはビターを垂らすとある。

同じくサトウキビが原料のピンガにアマゾンの薬用植物グアラナとムイラプアマを漬け込んだのがある。
だいぶ日数が経ち、それだけではそうとう苦くなっていた。
これを注いでみると、ぐぐんと味が広がり、深まるではないか。

ビターについて調べてみる。
なんと、ベネズエラはオリノコ川流域に行き着いた。
オリノコ川流域にあるアンゴスチュラというところで考案された薬用酒アンゴスチュラビターであり、現在はトリニダード・トバゴで生産されているとのこと。

オリノコとアマゾンはカシキアーレ川でつながる。
アマゾンビターがマッチするのは、むべなるかな。

橋本梧郎先生とのオリノコ川、そしてギアナ高地の旅を想う。
「ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌」は2月25日、水戸で上映予定。

して、「アレイダ・ゲバラの伝言」はようやくマスターテープを完成。
これは2月19日に横浜大口でお披露目です。


1月27日(金)の記 ジュースになった男

ブラジルにて
訪日前に、短編をひとつ編集しておきたい。
さすがにアリ地獄状態の作業からすぐに、という気にはなれない。

未明より、先日買ったブラジル映画「O HOMEM QUE VIROU SUCO(ジュースになった男)」のDVDをまわす。
この映画、製作年がジャケットには1979年、本編中には確か1980年、オンライン上では1981年とある。
まあその頃なんだろう。
この年代の作品にしてデジタルマスター版である。

ブラジル北東部の寒村出身で、サンパウロのスラムに住まいながら吟遊詩人を続ける主人公が、殺人犯と間違えられる。
主人公はサンパウロの底辺、周縁をさまよっていく。
大都市でのロードムービーだ。
ちょうどこれからつなごうとしていたサンパウロのスラム地帯が舞台の拙作と重なっているではないか。
尊厳を持って生きていくことのむずかしさ。

それにしても、30年前のサンパウロのスラムは、まだ緑があったんだな。

タイトルの意味が、今ひとつわからない。
夜、メトロ内のモニターニュースでアメリカで禁止されている農薬検出のオレンジジュースがブラジルでも販売されたとあり。

ジュースが重す。


1月28日(土)の記 アシタカせっ記

漢和辞典に、ない。
この項を書くために調べてみて、「せっ」の漢字は宮崎監督の造語だったと知る。
漢字まで作るとは。
映画「もののけ姫」の宮崎監督が想定していたタイトルが「アシタカせっ記」。

ブラジルにて
「もののけ姫」をVHSで鑑賞。
再生機そのものが青色吐息状態、テープも音声等、劣化が始まっているようだ。
装丁は重層で、VHSならではの感じ。
4500円も出して買ったのか。

日本で封切り時に映画館で見た覚えがあるが、ディテールを記憶していない。
そうか、1997年の封切りか。
この年ははじめての自主制作作品の仕上げのために訪日、はからずも牛山純一師匠の葬儀にも立ち会うことになった時だ。
おそらくへろへろ状態で、映画館で覚醒を続けているのがむずかしかったのだろう。

15年ぶりか。
壮大な図式。
ハンセン病者と見られる武装コミュニティというのが強烈。
社会的弱者らのコミュニティが森を破壊して、そのしっぺ返しが迫るとは。

森に火を放ち、原子力で灯をともすに至るまでのヒトの過ちを想う。


1月29日(日)の記 朝サシで

ブラジルにて
客人に朝食を。
日曜なら路上市で刺身用の魚が買える。
和定食をサービスすることに。
朝から刺身とは、豊富な種類の鮮魚で有名な富山・氷見の旅館並みだ。
かつて、森下妙子さんと舌鼓を打った。

あんちゃんはスズキ、サンピーター、カンブクを勧める。
スズキはお値段がはる。
サンピーターという鯛のようなピンク系の魚はまだチャレンジしていないはず。
サンピーター、聖ペテロの英語読みだ。
これでいってみる。

明日から下の子の学校が始まる。
その心中、察するにあまりあり。
昼・夜はこの子の好みにあわせて我が家にとってのご馳走を振舞う。

かなりの台所の立ち時間なり。
食べる喜びと人類の歩み。
おいしいものを食べておいしいと感じる心の余裕は持ち続けていたい。
それをなくしていた時期もあったな。


1月30日(月)の記 陣内さんのこと

ブラジルにて
夕方、日本のテレビ取材の南米取材を仕切る大御所から電話。
この人のことを誰かにきっちり取材してもらいたい。
アマゾン談義が続くなか、マナウスのATSツールの元社長・陣内衛(まもる)さんの訃報に触れる。
大御所はご存じなく、たいへん驚かれる。

まさに元旦、現社長の島準さんがブラジル日本交流協会のMLに訃報を流したので知った。
年末に転んで頭を打ち、手術を繰り返して大晦日に亡くなられた由。

大御所も世話になっていたと言うし、僕も最初のアマゾン取材の時からお世話になっていた。
日本のマスコミ業界者でブラジル領アマゾンを取材した人は大方、この陣内さん、そしてかつての陣内さんの共同経営者でベレンのアマゾントラベルサービスの北島義弘さんにお世話になっていることだろう。

陣内さんはノーブルな雰囲気ながら、まるでいやみ、臭みのない人だった。
慶応義塾のOBで、日本では大映映画に勤務されていたという。
ガメラの着ぐるみに入っていたという説もあるが、これは行き過ぎだろう。
大魔神だったりして。
従兄弟がアマゾンにいるので訪ねてみたのが移住のきっかけ、とご本人から聞いた。

僕の1983年の最初のアマゾン取材の折。
当時の陣内さんのオフィスはマナウス中心街のジェツリオ・バルガス大通りのホテルの入口にあった。
「すばらしい世界旅行」の取材中だったが、上層部の指示で急きょ移動しなければならなくなった。
その時のカメラマンの稲葉さんは日活OB。
夜、稲葉さんお気に入りの店で陣内さんに会った。
明日にでも移動を、という話をすると、陣内さんはこれからオフィスに行って切符を切りましょう、と気軽に応じてくれた。
無人の夜のアマゾンのオフィスで、陣内さんは鼻歌交じりで手書きで飛行機の切符を切ってくれた。

拙作「アマゾンの読経」の取材の際も、貴重な証言者への紹介の労をとっていただいている。
正月に陣内さんのことを、と思いつつ、つい書きそびれてしまった。
アマゾンに向かって、改めて頭を垂れる。


1月31日(火)の記 ペテロ受難曲

ブラジルにて
日曜日に刺身用に買ったサンピーターという魚。
昨日、調べてみてどうやらティラピアの一種とわかった。
ぎょえー。

ティラピアはアフリカ原産の淡水魚。
ブラジルでも広範に養殖されるようになった。
中米からの報告では、本来の生態系を破壊し、しかも養殖ティラピアは人間の心臓に悪い物質も含まれているという。

そもそも淡水魚、止水に生息するのを食するのは苦手。
コイやフナなど、泥臭さのせいだと思う。

アマゾン取材が続き、そうも言っていられなくなった。
そもそもアマゾンの魚料理は、泥臭さを感じることがない。
ライムや香草類の使用のためだろう。

残ったサンピーター(聖ペテロ)、俗名ティラピアをどうするか。
昨日から味噌漬けにしておいた。
昼に焼いて子どもといただく。
むむ、いける。

しかし豊富な海水魚の手に入るうちは、あえては。
ちなみにティラピア、日本ではイズミダイなどと称しているとか。


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