2月の日記 総集編 牛山力 (2012/03/02)
2月1日(水)の記 サンパウロアート散歩
ブラジルにて 昼過ぎまで小品のビデオ編集。 午後から、気になるアート展、映画のハシゴ。 メトロのサンタ・セシリア駅は構内の廃墟をほうふつさせるオブジェが眼を見張る。 作者名が見当たらない。
まずは知人の在サンパウロの日本人(ポルトガル語の肩書きはビジュアルアーチストとある)の仁尾帯刀(におたてわき)さんの写真展「無意識の彫刻」へ。 これは息を呑んだ。 サンパウロ市内の近代建築と廃墟の同一画面でのコントラストが基本。 ひたすら歩き回り、場所を見定めたらひたすら瞬間を待ち続ける。 耐久力と忍耐力、そして美的センスの結集だ。 大判の画面からは、見直すごとに発見があり、それが心地よい。
仁尾さんは僕より若く、僕より後にブラジルに移住した人。 ブラジルで、サンパウロで自分のライフワークを見出した作家の喜びと自信が作品群から感じ取れる。 恥知らずに無意識・無自覚にケータイで写真を撮る行為の対極にある作家の境地を見た。 2月24日まで。 http://www.funarte.gov.br/evento/exposicao-escultura-do-inconsciente-de-tatewaki-nio/
訪日前にもう一度二度、見にうかがいたいところだが、むむ、まだ自分の仕事が。
2月2日(木)の記 ガスごもり
ブラジルにて 昨日から集合住宅の都市ガスが検査のため、止められた。 そのため昨晩は、ピザの宅配。 それにしても、プロパンガス使用の頃に比べれば楽になった。
今日の日中にガス会社のスタッフが開栓とともにチェックに来るので、その時は誰かが在宅すること、とのお触れ。 これを後日に回すと特別料金を徴収される由。 こういうのは、何時になるかわからない。
で、今日は外出の予定を組めず。 ガスが戻ったのは午後。 けっきょく一日ひきこもって「クリスマスツリーがめばえるとき」の編集作業と炊事など。
2月3日(金)の記 迷宮の千切り
ブラジルにて 歩けオロジストの日本人の友人と会って昼飯でも、ということに。 ちょっと歩きますけど、面白いところが、ということで歩く。 ビデオ編集のおこもりが続いていたが、外はだいぶ夏らしくなっている。
中央市場街の先。 熱帯圏の市場の臭い。 日本なら電動カートだろうが、こちらは人力の手押し車が行きかう。 迷宮のなかを、さらに奥へ。 ふとチベット・ラサのパルコル(八角街)を思い出す。 そんななかに、日系人の経営する食堂が。
紫キャベツ、ケール(コウヴェマンテーガ)の千切りサラダがうっとりするほど、きれい。 ケールの生食はちょっときついのだが、これぐらいの千切りだと、いける。 店のおじさんによると、このあたりは最近まで所番地の表示もなかったとか。 おいしい食事にお礼を言って、店の名を尋ねると、特になく、おかみさんの名前で呼ばれているとか。 ミシュランのガイドにあるのばかりが食い物屋ではない、と当たり前のことを教わる。
それにしても、あれだけの千切りはスライス器みたいのを使っているのだろう。 家人に話すと、ブラジルのおばちゃんたちはまな板なしで見事な千切りをするとのことで、この迷宮の千切りもその技に違いないとのこと。
かつての日本の学校給食の千切りもけっこう細かかったが、あの技はいかに。
2月4日(土)の記 切ってつないで
ブラジルにて 「クリスマスツリーのめばえるとき」はまだ作品情報をアップしていないものの、作品リスト中の最小規模のロケになるだろう。 しかし編集、特に日本語字幕版製作となると手間と時間がかかる。 昨朝、編集機のトラブルがあったときは覚悟もしたが、なんとか持ち直している。 つなぎ作業はすでに終えて、今日も未明から字幕入れ作業。
昼、コーヴェマンテイガ(ケール)を千切りにしてみる。 もちろんまな板を使い、肉や魚用の包丁を用いる。 ふむ、悪くないかも。 消毒も兼ねて塩をまぶして軽く揉むが、これだとシャキシャキ感が損なわれるな。 家庭内で千人切りというのは難しいだろうが、千切りなら。
2月5日(日)の記 ブラジルなめろう
ブラジルにて 路上市へ、魚の買出し。 馴染みのあんちゃんがこっちを見つけて、自分の売り場を離れて刺身用の魚をすすめてくる。 スズキは却下。 アジを2匹購入。
となると中骨の身を、なめろうとするか。 JALの機内誌に、なめろうの記事があった。 なめろうといえば味噌。 もともと船上での料理のため、醤油のような液体ではこぼれるおそれがあるため、味噌を使うようになった由。 なるほど。
それにしても、意外とこっちのアジの中骨は少ない。 お、一匹は内部出血か。 新生姜をたっぷり使おう。
サンパウロは、新生姜の季節。
2月6日(月)の記 笑うツリー
ブラジルにて 訪日も近い。 思い切って、今日も断食。 未明より引き続き小品「クリスマスツリーのめばえるとき」の字幕付け作業。
ポルトガル語では聞き流していた、さりげないセリフを日本語にしてみると、これが感動ものだったりして。 これが、ブラジル力か。 これがあるから、こんなめんどくさいこともしたのかも。 そして、子どもたちの笑顔。
「彼らの笑い声は、惑星地球に新しい光が輝くための、喜びと希望です-自由な選択ができる惑星、笑いの惑星に。」 (「インディゴ・チルドレン 新しい子どもたちの登場」より)
どうやら、できた。
2月7日(火)の記 私はナメクジを殺した
ブラジルにて 生物学的死を確認したわけではないが、おそらく死んだだろう。 わがアパートの窓際に、メダカを一匹飼えるぐらいの容積の小さなプランターがある。 わずかにミント系のハーブが残っているのだが、先日、空いたスペースに小ネギの根の部分を植えてみた。 子どもの小指の先ぐらいの小さなネギだったが、あのネギのきつい腐臭が強く漂った。 早朝見ると、赤ちゃんサイズのナメクジがエンパイアステートビル上のキングコングのように、ネギの株の上に繰り出しているではないか。 けっきょくこの小ネギは緑濃い新芽も出していたが、腐ってしまった。
さてまた新たに小ネギのネギを植えてみた。 日没後、ナメクジの登場を発見。 なんと2匹。
かつて小バラの害虫駆除にとホームメードした「トウガラシのピンガ(サトウキビのスピリッツ)漬け」があるのを思い出した。 使用前に、小バラが枯れてしまった。
いい忌避剤になるかも。 ネギ上に垂らすと、小ナメクジを直撃、瞬時に縮み上がってしまった。 オキシジェンデストロイヤーを投下されたゴジラさながら。 ナメクジは軟体動物だから、骨も残さないか。
忌避が目的で、殺意はなかった。 そもそもこの液体、適度に希釈して霧吹きで小バラにかけるつもりだったことを思い出した。
2月8日(水)の記 ナメクジビール、ナメクジコーヒー
ブラジルにて 昨日の日記をアップするため、ナメクジの駆除について検索してみる。 ナメトールとかいうような専門の駆逐剤もあるようだが、そういうのは除外。
飲み残しのビールで集めて駆逐、というのがけっこうあり。 面白いほど集まってくるらしい。 ビールに溺れたナメクジが不気味に膨張するようだ。 ちなみに、ナメクジのイチオシの銘柄は? 蛞蝓(なめくじ)と麒麟というのは、相当の画数だな。
コーヒーがらを散布すると、ナメクジが忌避するとも。 これを採用。 ナメクジは、紅茶党か。 ビールひと筋か。
午後、出先で強烈な局地スコール。 雹もはじける。 ナメクジも剥がれ落ちそうな豪雨であった。
2月9日(木)の記 酷暑散髪
ブラジルにて サンパウロは寝苦しいほどの酷暑となった。 髪の毛がうっとうしくなり、午前中に東洋人街の馴染みの床屋さんをマルカ(予約)しておいた。 日本語新聞ではわからない東洋人街の裏話がいろいろ聞ける。 しかも、頭が軽くなった。
それにしても、きたない街である。 お年寄りを誘導する視点で足元を見ると、危険だらけ。 えらそーな御仁たちは、こんなとこ自分の足じゃ歩かないから、関係ないか。
2月10日(金)の記 インディカで、いいんでっか?
ブラジルにて 日本の知人の依頼で、こっちのコメのことを少し調べてみた。 これがなかなか奥深く、稲田のなかか、藪のなかか。
ブラジル南部で栽培されている日本米:ジャポニカ米は、販売状況から見ると、大半が長粒品種のようだ。 ジャポニカ米でも長粒だと、生米を見ただけではインディカと区別がつかない感じ。
ポルトガル語のサイトを調べてみる。 日本でも知られるワールドワイドに有名なサイトによると、コメの起源は7000年前の日本とか。 神国日本主義者は今日でも少なくないようだが、コメの起源まで日本とするのはさすがに聞いたことがなかった。
昼に、冷蔵庫に残っていた鶏ヒジキご飯を蒸かしていただく。 ブラジル産のモチ米をもちいたもの。
そもそもこっちのモチ米は、長粒ばかりだ。 気になって調べてみると・・・ おお、そもそも東南アジアのモチ米は、インディカ種だというではないか。 モチ米イコール、ジャポニカ種と思い込んでいたのだが。 すると、このブラジルのモチ米は?
インディカとジャポニカの違いは、含有成分の問題のようだ。 いずれにしても亜種のレベルの違いだから、交雑するだろうし。
食欲が減るほど、米の問題は複雑。
2月11日(土)の記 ぶらじるソーメン
ブラジルにて 今日はいくらか収まった。 サンパウロ、昨日までは猛暑で深夜も寝苦しいほど。
昼は昨日、日本食材店で買ったそうめんといくか。 ブラジル製そうめんは、この店だけで3種ほど売られている。 日本からの輸入品もあるのだが、倍の値段の差がある。 貧乏が染み付き、国産(もちろんブラジル国)そうめんを買ったのだが・・・
ううむ、食感、のど越し等々、日本産より値段分は十分に落ちる。 これならイタリアン毛髪パスタを、そうめん風味でいただいた方がよかったかも。 他を節約して、そうめんぐらい日本製を求めるか。 放射能制限ですべて輸入禁止になる前に。
2月12日(日)の記 すしのくいどころ
ブラジルにて 古新聞の整理とスクラップなど。 紙面半分以上のポルトガル語の記事を読むのは正直、気合いがいる。 しかし西田幾多郎「善の研究」に比べれば・・・ 昨年、西田幾多郎記念哲学館を訪れた際、まず西田の随筆等を読むことを勧められた。 首都圏の大きい本屋で見当たらず、Amazonで取り寄せる日数もなく、「善の研究」そのものを買ってしまった。 ・・・日本語であることはわかるのだが、意味がほとんど取れない。 自分がこれほど頭が悪かったのか・悪くなったのか、とあきれるほど。 「善の研究」を時おり開くと、まだポルトガル語の記事の方がいいや、という効果がある。
まさに雑多に読んでいく。 サンパウロ州の高級海岸リゾートのビーチで、日本食がブームとか。 サシミ・スシ・テマキの類。 あわせて飲むシャンパンが邦貨1万円以上とのことだから、食べ物の方の値段も相当なものだろう。 日本の海岸で寿司というのは、あんまし聞かないような。 日本なら、ブラジル式バーベキューか。
北米の日本人寿司職人の記事あり。 今どき家庭でもそこそこの寿司が食べられるのだから、寿司屋に求められるのは買い物力、コミュニケーション、パフォーマンスと。 なるほど。
夜は手巻き寿司とする。 チキンとレタスのマヨネーズ和え・サルピコンが悪くない。
さあ訪日前のやり残しは、なにとなにと・・・
日本の福島第一原発2号機の温度が、80度越えとか。 これは温泉卵づくりの温度を越えている。 カップ麺まで、あと一歩ではないか。
2月13日(月)の記 ポン・デ・ケージョ開眼
ブラジルにて ブラジル出家を明日に控え、用事を増やしている感じ。 それにしてもブラジルのコメ事情・歩みはライフワークにふさわしい深み・複雑さがありそう。 どんどん新たなことがわかってくるが、とりあえずこの辺で。
日本でポン・デ・ケージョをこさえて披露してみようと思い立つ。 生まれてこのかた、自分で作ったことがない。 関西の友人から所望されて何度か担いでいったポン・デ・ケージョの「もと」があるのを思い出した。 これでいってみるか。 まずは訪日前に、直前だが予行演習を。
ほう、卵を入れることなど恥ずかしながらこの度、初めて知った。 買い物や運転などをすませてから、夕方になる。 ハンバーグよか、こねやすいか。 焼く前の大きさはどれぐらいがいいものか。
焼くこと40分。 ふむ、及第点だな。
レパートリーが増えたぞ。 でも、ビジターが出身地の名物料理を作るって、あんましないかもね。
2月14日(火)の記 空のイニシエーション
ブラジル→ ここにきて、PCの修理問題とか。 これなどでバタバタして、タンスから出しておいたジャケットを持参するのを忘れてしまった。 日本は極寒と、複数の方々から警告をいただいていたが。 成田で、段ボールでも探すか。
何十回、繰り返しても家庭と居住国を一時的にも離れるのは、感慨あり。
昼下がり、いつものタクシー乗り場は待機車なし。 乗り場後方に荷物降ろしの車が停車して後方からの視界をふさいでいる。 僕の前に、付添い連れの歩行困難なお年寄り女性が来ていた。 一緒にヤキモキ。
ようやく捕まえた流しのタクシーの年配の運ちゃん、シャトルバス乗車のための最寄りの空港までというのに、国際空港まで行けとしつこい。 車は、国際空港まで持つかどうかヤバい感じの重い異音が。 最後に笑えるハプニングがあり、気まずい思いを持ちこさないで済んだ。
シャトルバスは、できているのも知らなかったグアルーリョス空港の第4ターミナルに立ち寄る。 なんのインフォメーションもないので、旅慣れの身でも軽くビビる。
まずはロンドンへ向かう。 ニューヨーク行きほど乗客も客室乗務員もすさんでいないのがよろしい。
2月15日(水)の記 異国航空の楽しみ
→イギリス→ 今回は、ロンドンでトランジット。 機中のエンターテインメントサービスに、何本かの日本語吹き替え作品から1本だが日本映画(「アンフェア the answer」)もある。
「The Debt」という映画が拾い物だった。 ナチスのビルケナウ強制収容所で、わが日本軍の731部隊ばりの人体実験と殺りくを繰り返した外科医を、若きモサドの男女3人が東ベルリンで発見、拉致。 イスラエルへの連行を測ろうとするが… (後日の調べで、この映画はイスラエルで作られた映画をハリウッドでリメイクしたものと知る。異国航空の日本語吹き替え版もあるのに、日本公開の予定はないようだ)
イギリスのTVドキュメンタリーも数多く視聴できる。 いくつか見てみる。 なにかと勉強になるねえ。
客席内を離着時と食事の時以外は暗くしている長距離便では、特に満席の場合、寝ている乗客のことも考えるとなかなか読書灯をつけて読書という訳にもいかない。 なにか映像を見るか、寝くさるか。 寝るのはいつでもできるが、この機会を逃したら難しい映像は、見とかないと。
2月16日(木)の記 成田の午前様
→日本 ロンドンからのフライトは、やや遅れるが日本時間午前9時台に成田に到着。 成田に午前中に着くというのは、初めてかも。
リムジンバスの車窓は、冬枯れの光景。
東京の実家に到着、武装解除。 旅のよごれをさっと流す。
40時間ぶりぐらいに体を横たえる。 つかの間のいっぷくのあと、隣県へ。
日本に戻って、絶望的な気持ちになるのは、テレビをつけた時。 希望を感じるのは、客が少なくない大き目の書店に入った時。 さっそく原発事故関連の本を2冊買ってしまう。
2月17日(金)の記 ハイビジョンというモノカルチャー
日本にて 訪日後、最初のお仕事。 大久保のビデオスタジオ・ビデオウォークさんで「あもーるあもれいら 第三部 サマークリスマスのかげで」のマスターテープ作りのやり直し。
日本の業界情報の最前線に触れられて刺激的。 日本のビデオカメラはハイビジョン方式一辺倒で、その他はどんどん切り捨てられている由。 ハイビジョン方式(縦横比 16:9)で録画された映像を従来のスタンダードの映像(縦横比 4:3)に変換すると、ぼけぼけになってしまう問題が生じているとのこと。
画質の向上、ハイビジョン化が善であり進化であるとされ、その「恩恵」に預かるには強制的に16対9のサイズが押し付けられる。 テレビの誕生以来、作り手も視聴者もなじんできたスタンダード、4対3の比率の画面は時代遅れ、陳腐の烙印を押されつつある。
画質と画面比は別物であるべきものなのに。 発電イコール原発を推し進めてきた「お上」と同じニオイがする。
視野狭窄とされようとも、4対3に確信犯としてこだわりたい。 あえてひとつ、ゲリラとしての例外はあるんだけども。
2月18日(土)の記 横濱三昧
日本にて もともと東横線沿線住まい。 考古学徒時代は、横浜市内の遺跡発掘調査が長かった。 人生において、浅からぬ縁のあるところのひとつだろう。
朝から横浜。 まずは田園都市沿線の丘陵地帯。 ついで、横浜駅と港近く。 日没後は、小机エリア。
まことに多様な横浜市。 今日はシウマイを買いそびれた。
2月19日(日)の記 大口あけて
日本にて さあ今回の訪日で最初の上映。 場所は横浜線大口だが、伊藤修さんのステーキハウス「ガウシャ」ではなく、大口商店街の寄合所をお借りした。 今日の上映の集いは伊藤さんの誕生祝いも兼ねる。 お店だと主催者兼主賓の伊藤さんがアレイダさんの講演の時と同様、料理の準備等で裏方に回ってしまうことを避けるため、別の場所を見繕ってもらった。
まあ、ボツボツの感じで事故もなく終了。 本日初公開の「よりよい世界のために アレイダ・ゲバラの伝言@横浜ガウシャ」は伊藤さんの企画と依頼による製作。 恩返し作品。
2月20日(月)の記 神奈川の被爆者
日本にて 祖国巡礼の身、節約を原則としている。 しかし東京を離れた時の地方紙にはカネを惜しまないことにしている。 100円ちょっとだし、その分、他をもっと節約すればいい。 昨日は神奈川で上映だったので、神奈川新聞を購入。 それで、翌日、つまり今日のこの催しを知った。 時間的にも体力的にもちょっときついが、思い切ることに。 奇しくも今回、日本に来て「黒い雨」を新たに購入して読み直しているところだ。
神奈川在住の広島・長崎の被爆者の証言DVDの上映と、被爆者との懇談会。 神奈川のコープ:生協の主催プロジェクトのようだ。 神奈川に現在、5000人の被爆者がいるというのは驚きだ。 同席した「神奈川県原爆被災者の会」の役員の人は、ブラジルの被爆者平和協会の森田隆さんをよく御存じだった。
そのあと、2件をまわる。 昨晩、急きょ山形の親戚訪問のスケジュールをフィックスして、ひーこらと夜行バスの空席をネットでおさえて。 積雪1メートル、長靴を履いていらっしゃいと脅されている。 真夏のブラジルから来た私。 身ひとつと、土産物だけ担いでやってきた。 厚手のサンダルと、長めの短パンで行こうか。
浜松町から、夜バスで北へ上る。
2月21日(火)の記 雪のふる田舎町を
日本にて 夜行バスは午前4時20分に山形着。 暗く白い街を、まずは駅を目指して歩く。
数年前、山形駅の観光案内所でネットカフェの所在を聞くと、以前あったのがつぶれてしまい、近くの県の国際交流センターの在日外国人用のPCを使うよう勧めてもらった。 今回、ネットで調べて、駅前に僕も会員カードを持っている全国チェーンのインターネットカフェができたのを知る。 バス会社のターミナルから駅前まで歩くが… ない。 駅の反対側もまわってみるが、ますますない。 駅前の交番は、誰もいない。 僕の日本での携帯電話はプリペイド式で、メール機能等は、ない。 開いている店は牛飯の松屋、コンビニ、カラオケ屋ぐらい。 駅の待合室も閉まっていて、駅構内にはまだアルコールが残っているらしい、ふらつくストリート系のおじさん、よこたわるおじさんのふたりしか見当たらない。 こりゃあ、ブラジルから一時帰国の移民の行き倒
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