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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2012年の日記  (最終更新日 : 2012/12/03)
5月の日記 総集編 どちりな あもれいら

5月の日記 総集編 どちりな あもれいら (2012/06/02) 5月1日(火)の記 神戸南蛮

日本にて
上方を発つのは、今日の夜中。
伊丹の美術館で熊谷守一展を見るつもりだった。
会場に到着して、本日休館と知る。
ブラジルで5月1日に見られる関西のアートというのを検索して、マークしたんだけど。
日本のミュージアムがゴールデンウイーク中に振替休日を決め込むとは。
役所仕事だな。

もう一つの気がかり、神戸市博物館の「南蛮美術の光と影」展に転身。
これは必須だった。
日本人絵師たちの描いた西洋風俗図に引き込まれる。
まず日本人が描いたとは思えない長崎大殉教図との比較が興味深い。
日本人が、いかにキリスト教を、西洋文化を咀嚼しようとしたか。

作者が言うのもなんだが、「あもれいら」を日本人の描いた宗教画として考えてみたい。


5月2日(水)の記 てこねチラシ

日本にて
ちょうど格安バスの事故が話題となっている。
大阪からの夜行バスは、3列シートながら4列より安い料金のを見つけ、飛びついた。
どんな仕掛けがあるかと思いきや…

トイレがなかった。
乗車直前まで、上方の友人と梅田の地下で痛飲していた。
小用を済ませていなかったら、厳しかったぞ。
ほかに、例えば読書灯がなかった。
なれど、乗務員は二人で安心。

無事、品川駅到着。

プライベートの用事で外出。

明日からはメイシネマ祭。
昨年から、メイシネマ祭限定の特別作品資料を作るようになった。
今年は、主催の藤崎さんの手書きプログラムにならって、こっちも手書きでいってみることにした。
それ用の文具の買い出し。

やってみると、そう生易しいものではない。
手書き道、なかなか奥深いものがある。
中学の頃の学級新聞つくりを思い出したり。
津波の後の石巻日日新聞なんてのもあったな。

藤崎キュレーターに、手づくりチラシの秘伝の奥義を伝授いただこう。


5月3日(木)の記 平井と辺境

日本にて
今日から、方たがえしたメイシネマ祭が始まる。
これまでの小岩駅から、総武線で二つ手前の平井駅。
この機会がなければ、生涯この駅で降りることはなかったかも。

関東地方各地で注意報・警報も続出の大雨となる。
交通費節約と健康のため、JR目黒駅まで歩きたいところだが、足元からびしょ濡れになると厄介かも。
最寄りの祐天寺駅へ、方たがえ。

小岩時代より2倍ぐらい広い会場だ。
しかし雨のせいだろう、観客もまばらでもったいない。
今日の最大の収穫は、羽田澄子監督の「遥かなるふるさと 旅順・大連」。
羽田さんは、牛山純一より年上だ。
個人の記憶とこだわりを、巧みに紡いで現代史の文脈のなかでドキュメンタリーに昇華・還元する。
凛とした、という言葉がふさわしい御人かと。

これまで深い付き合いはなかったが、気心の知れた若いジャーナリストと会場で再会。
「軽く」飲みましょうか、ということに。
すでに周辺のディープスポットの目星をつけておいた。
ひとりではさすがにちょっと、という感のお店の扉を開く。
これは、ビンゴ。
彼は南アジアの辺境を、わたくしは多少は南米の辺境を歩いてきたつもり。
そのふたりをして、ふかく感動せしむるお店。

この彼、日本のマスコミ目線ではまるでスルーされている地域に、ずっと取り組んできた。
その辺の不器用さがご同慶の至り。
まず、日本で売れるかどうかで地域とテーマを選んでいる同業者がいくらでもいるというのに。
して、彼はついに本を出したというではないか。
わがことのように、うれしい。
明日、一筆入れて持参してくれる由。

そしてお店の方だが、お勘定で二人とも声を上げた。
安い方の驚き。


5月4日(金)の記 どちりな あもれいら

日本にて
メイシネマ祭二日目。
山手線に乗って、新小岩駅で人身事故発生、総武線は快速も各駅もすべて停止中と知る。
運転再開見込みは10時50分、平井のメイシネマの上映開始予定は10時30分。
僕は早めに出て秋葉原で足止めだから、他にも間に合わない人が多いことだろう。
メイシネマの藤崎代表に携帯電話で報告しておく。

ようやく動いた総武線で平井駅に到着。
メイシネマお馴染みの人たち、上映ボランティアスタッフらと一緒に早足で会場に向かう。

午後から、いよいよ「あもれいら」上映。
うれしい顔、なつかしい顔、意外な顔が集まってくれて…
もちろんトーク内容はきちんと用意しておいた。

メイシネマ祭で出会った人のお連れ合いが映画好きだが難病で外出困難、と知った。
その方のところに2度ほど出前上映をして、2度目はブラジルのナショナルプレート、フェイジョアーダまでそのお宅で作らせていただいた。
こちらの方が力をもらい、ライブ上映を確信するに至った。
その方が、亡くなった。
ご自身がたいへんな難病でありながら、病院で介護してくれた日系ブラジル女性の体調を案じて僕に相談を持ちかけるような人だった。
これぞ、あもーる:愛。
この上映を、故人に捧げさせていただいた。

打ち上げを経て、山手線を乗り過ごしながら実家に戻る。
ネットで見つけて購入した「どちりな きりしたん」がようやく届いていた。
17世紀初めの、きりしたんの教義書。
先日、神戸で南蛮美術を見ることができたことも、重なるではないか。

そこから照らし出される行先は。


5月5日(土)の記 酒席のノリ

日本にて
三日間のメイシネマ祭の最終日。
最後の上映作品は「よみがえりのレシピ」。
藤崎代表のこだわりが、よくうかがえる。
山形で在来野菜を守った人たち、それを伝える人たちに、自分を肯定してもらう思いがする。

メイシネマ祭恒例の打ち上げ、今年は平井駅前の居酒屋。
例によってお店の人に、こっちが幹事と思いこまれる。
来年もメイシネマ祭が続いてほしいとい一同の願い、伊勢真一監督のブラジルに行ってみたい願望表明あたりが伏線となって、トンデモナイ計画が浮上してしまった。
それもトンボがらみ。
平井:飛来で、トンボで、トンデモナイか。

酒席のノリに終わるか、あるいは?
降りる理由はいくらでもあるが…


5月6日(日)の記 盧舎那仏とポロック

日本にて
上映の合間の、日本のGWのアート巡礼。
奈良での盧舎那仏との再会に始まり、竹橋でのポロック発見に終わったかと。

ポロックはニューヨークなどで単品で見ていたが、あまりピンとこなかった。
しかし、ブラジルで画家の森一浩さんが絶賛していた。
日本でのジャクソン・ポロック特別展は、今日まで。
混みそうだが…

いやはや行っておいてよかった。
幕の内弁当の一品としてポロックをかじっても、わからないというもの。
せめてポロック定食、できればポロックコースで通して味わないと。
森一浩さんの作風、ひいては天才書道家の伊藤明瑞に通じるものも感じる。

今度は、どこでポロックに会えるだろうか。


5月7日(月)の記 ヒカリエのかげで

日本にて
さあ離日体制に入らないと。
残務類に着手。

上映にも来てくれた高校時代の同級生が、オカムラを口実に有志を募って一席、設けてくれることになった。
高三の時、筆禍事件を起こして自主謹慎に追い込まれた拙者は、意識的に高校関連を避けていた。
ま、当時も今もこんなのにこだわってるのはわたくしめのみ。

場所は、我々が現役時代にナンパやマンビキに精進した東急文化会館跡に新たにそびえた空楼ヒカリエ。
長野の味噌メーカーが経営するというお店だ。
たしか「もやしもん」の主人公は、長野の酒屋の出身じゃなかったっけ?
しかし店のスタッフもかつてのクラスメートたちも誰も「もやしもん」を知らない。
ここは、オレの知ってる日本か?

ブラジルでも、特に大学時代のクラスメート、アミーゴのつながりというのは相当なものだ。
僕は大学時代は各地での遺跡発掘三昧で、クラス方面では幽霊より影が薄かった。
そもそもブラジルに移住してしまい、一匹狼ならぬ、一匹カピバラになっちゃったし。

往時は挨拶ぐらいしか交わさなかったクラスメートと、タメグチをかましあうのも楽しいものだ。
場所柄、かもしあうか。
「かもすぞ。」はちなみに「もやしもん」用語。

祖国で日本のサブカルを説くとは、かなしからずや。


5月8日(火)の記 カタガミ!

日本にて
最初に、知人のツイッターで知った。
三菱一号館美術館の「KATAGAMI Style」展。
これは必見だった。
日本の庶民・職人文化の粋は、ヨーロッパの人々を魅了して新たに開花した。

このワザ!
器面を覆い尽くす縄文土器の、過多なまでの装飾と通ずるものではないか?
余白を活かす日本文化の流れとは、別物か?

どっしりとくる図録、参考文献もフンパツした。
ブラジルでゆっくりと眺めるとするか。


5月9日(水)の記 平井ふたたび

日本にて
日本の実家においてある小型のビデオカメラとポータブルDVDデッキを、リュックに詰める。
メイシネマ祭で通った江戸川区平井へふたたび。
薄暮の駅あたりの光景から撮っておこうと思ったが、雨。
雨の平井駅近辺をまわす。

メイシネマ祭最終日の打ち上げの酒席で。
主催の藤崎さんの高校の同級生と、トンボ談議で盛り上がってしまった。
して拙作「ナゾの巨大トンボを発見!」を見ようということになって。
ひょっとしたらひょっとしてしまうかもしれないので、カメラを回しておくことに。

平井駅前の、その極楽系のトンボの御仁の商店系自宅のビルにて。
藤崎さんも行きがかり上、立ち会ってくださる。
そして、ナゾのトンボ関係者の参加。

ブラジルの巨大トンボ・メシストガスターをめぐって一同、興奮。
拙作はスペシャリストをして驚嘆せしめ、藤崎さんに恥をかかせないで済んだ。
近くのトンカツ屋で盛り上がり続ける。
こちらに質問が集中して、撮影どこじゃない。
すると、メンバーに意外な電話が…

本業の傍ら、持ち出しでドキュメンタリーの上映を継続する藤崎さんもさることながら。
生業の傍ら、これだけトンボにのめり込む御仁たちも相当なものだ。
東京下町の町民文化、あなどりがたし。

そこそこ撮影した映像、とりあえずはオクラ入りかな。


5月10日(木)の記 シャケと龍

日本にて
離日前日。
残務は、山積み。

少し無理をしても、なんとか見ておきたいアート展あり。
そもそも「鮭」をウリにしている東京藝大の高橋由一展を見ておきたいと思っていた。
先日、ブラジル滞在中の画家の森一浩さんと電話で話す。
森さんは東京国立博物館の「ボストン美術館 日本の至宝」展の龍を見るか、ブラジルに行くか迷ったという。
あの森さんをしてブラジル行きと天秤にかけさせるような龍の絵。
ボストンに見に行くより、がんばって上野で見るか。
シャケはまた日本で見れるだろう。

鶯谷に着くと、激しい風雨。
おう、「みどころ」のひとつは「二つの名龍」ときたか。
長谷川等伯「龍虎図」と曽我蕭白「雲龍図」。
たしかに、大きいので迫力だが。
どちらの龍も、マンガチックでユーモラス。
こわくないのだ。
思えば千住博さんの大徳寺別院の龍も、ニャロメチックだったな。
龍はユーモラスに、という伝統があったのだろうか。

われらが東宝特撮映画のキングギドラあたりは、邪悪感たっぷりだったが。

いずれにせよ展示物の量は少なく人数は多し。
足早に龍二頭だけ戻って見直して、図録も買わないで次の予定地へ。
ありゃ、町で日本航空ボストン便開設のポスター。
ボストンで見た方がエキゾチックでよかったかもね。
塩ジャケが食べたくなるじゃないの。


5月11日(金)の記 あと一歩

日本→アメリカ合衆国→
リムジンバスで、成田へ。
3週間ちょっと前に訪日した時を思い出す。
首都圏の桜は終わったものの、街道のみどりはまだ冬から抜け切れていない感じだった。
ところが今や、みどりがまさしく萌えている。

♪たのしや 五月 草木は萌え・・・
小学校だったかで習った歌を思い出すが、あれは誰の元歌だろう?
どうも日本の音階ではない。
詩も訳詩ならば、やはり5月に草木の萌える北半球、ヨーロッパか。
成田のラウンジでさっそく調べると、モーツアルト。

アメリカン航空の成田のラウンジを初めて使用。
フリークエントトラベラーの特権。
日本航空のラウンジより、オリエント志向が強くて面白い。
大正年間に刷られた廣重がずらりと飾られてあり、これを見ているだけでもよろしい。
ショーン・コネリー扮するジェームス・ボンドでも出て来そうな。

利用客はほとんどがガイジン。
しかし男子トイレに入ってみると、ガイジンさんの用足し中でも女性が掃除していたりする。
セクハラという語が一般化して久しいが、こうしたブラジル奥地でも考えられない因習はそのまま。

さすがにラウンジのトイレは清潔だが、今回も日本到着早々、男子トイレのキタナさに驚いた。
男子の小便器の下の液漏れがヒドいのだ。
これはブラジルの一般男子トイレでも、あまり見かけた覚えがない。
考察。
そうか、ホースの長さの差か!!

平均的長さの日本男子は、もう一歩、朝顔(男子小便器)に踏み出す必要がありそうだ。
しかし下面がすでに液漏れで汚れていては、ますます遠のいて、さらに汚してしまうというわけか。
小便器自体の構造改革が手っ取り早いか?
足の部分に陶板でも敷き、液漏れの想定される部分は玉砂利にせせらぎの「かわや」なんてどうだろう?


5月12日(土)の記 オーソリティとホスピタリティ

→ブラジル
日付は昨日になるが、帰りもダラスで乗換え。
入国審査の列に1時間ばかり並ぶ。
長旅の後(こっちはまだ途中)に、延々と長蛇の列に立たされる。
午後の時間帯だが、ずらりとある審査ブースで機能しているのは3分の一程度。
様々な言葉で書かれている「ようこそ米国へ」の文句がしらじらしい。
これまではほぼフリーだった入国時の荷物検査も長蛇の列。

さっそくの出国にはおなじみのX線検査。
例によって靴もベルトも外さなければならない。

行きのダラスでは、ひとつのトレイにノートPCと靴を一緒に入れて怒られて、やり直しをさせられた。
今回はノートPCと靴を別々のトレイに入れて、ひとつにしろと怒られる。
定見なく、権威で怒り、旅行者を萎縮させるのが目的ということか。

ブラジル、サンパウロのグアルーリョス国際空港の入国審査の列は数分程度。
かつては難攻を誇った税関審査も、先回同様、記入書類の回収もない。

航空運賃とマイレージをにらみつつ、今後のルートを検討しよう。


5月13日(日)の記 ナメクジを読む

ブラジルにて
路上市での魚の買出し、夕食の支度以外は時差ぼけに身をゆだねる。
食指の動く本・マンガを読んだり、うつらうつら。

最近、日本では通い先の道順にある横浜青葉台の大型書店をよくのぞいている。
ここは5000円以上買うと、併設したカフェのドリンク券がもらえる。
ここでのカフェのひとときは、日本での温泉入湯に勝るとも劣らない心地よい時間。

さて訪日早々「ゲッチョ先生のナメクジ探検記」(盛口満著 木魂社)という本を石の下を探していて(これはウソ)見つけた。
ついに、出たか、この手の本が。
訪日前日までこらえて、ようやく購入。

本日読了、感無量。
わが処女作「すばらしい世界旅行」『ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群』(1983年放送)がいかに先駆的な作品であったかを再認識。
日本でイボイボナメクジの存在が最初に報告されるのは、1987年か。
ナメクジ相に関して、我が取材地シンガポールと日本の南西諸島がつながっていることもよく確認できた。
そして新たな疑問が、いくつか。

ああ、誰かとナメクジの話がしたい。


5月14日(月)の記 胡瓜のブラジル

ブラジルにて
サンパウロは、冷たい雨。
日本キュウリがほしい。
一本でも日本キュウリ。

ブラジルで一般的なキュウリは日本のキュウリより短くぶっとく、水っぽい。
サラダぐらいはともかく、和風料理には向かない。

雨のため、近くのスーパーで済ませようとする。
が、ここにはブラジルキュウリしかない。
ちょっと離れた、より野菜類の充実したスーパーを目指す。

うわ、キロで5レアイス(1レアルは40円強)もするではないか。
通常は2-3台じゃなかったっけ。
だいぶ足元が濡れてきたが、さらに遠い野菜類に特化したスーパーまで向かう。

ぎゃ、こっちは6以上だ。
反転して、さっきのスーパーで購入する。

日本では野菜類は高くてなかなか手が出なかった。
サンパウロも雨続きで野菜が上がったということだが。

ま、ブラジルのモノの値段はがんがん上がっていることは確か。


5月15日(火)の記 「下手に描きたい」ふたたび

ブラジルにて
拙作「下手に描きたい」( http://www.100nen.com.br/ja/okajun/000044/20100503006405.cfm )を見直しておく。
われながら、不思議な作品。

画家森一浩シリーズ第2弾「サルヴァドールの水彩画」の編集再開にあたっての通過儀礼。
今週末にブラジルを発つ森さんに電話をして、お会いするアポを取る。

ブラジルや日本、あちこちでアート展を見てまわったのも、趣味な訳ではない。
プロの絵描きと対峙するには、こちらも遅ればせながら少しでも眼を肥やし続けるしかない。
さあ次は先の試写時のメモのチェックだ。


5月16日(水)の記 アートてふ肴

ブラジルにて
日中、久しぶりに1時間以上の運転。
ひと月もブランクがあると、だいぶ「道相」が違っている。
けっこう疲れる。
特に、工事現場。

夜、まもなくブラジルを発つ絵描きの森一浩さんと大衆シュラスカリアへ。
古今東西のアートを肴に飲み、食べるというのはなかなか贅沢かと。


5月17日(木)の記 ピンガ報応

ブラジルにて
「サルヴァドールの水彩画」のナレーション書きをはじめる。
ブラジル製の原稿用紙に、鉛筆で。
完成後、PCに叩いて入力するけど、まず紙と鉛筆で。

昨今はナレーションなし、ナレーションも解説字幕もなしの作品も作っている。
今回はナレーションで映像と音声だけではうかがいしれない情報を当てて、相乗効果を狙ってみる。

午後、いくつかの用足しで街へ。

東洋人街で、安い白シメジを買った。
夜はブラジルの焼き魚の定番アンショーバの塩焼きに、シメジご飯。
ブラジルの国民的スピリッツ・ピンガ(カシャッサ)は和食にもよく合う。
同じサトウキビのスピリッツでも、ラムだとこうはいかない。
工業生産のピンガは砂糖を加えているのが常だが、問屋で計り売りで買った純正モノなので、なおよろしい。
山ライムを絞り込んで、いやはやけっこうでござる。


5月18日(金)の記 「廃屋のひかり」

ブラジルにて
以前、記したと思うが「サルヴァドールの水彩画」はタランチーノばりに章分け設定にしてみることにした。
第二章「廃屋のひかり」のくだりのナレーションを書く。
サルヴァドールの歴史地区で見つけた廃屋を、絵描きの森一浩さんが座り込んでスケッチする。

粗編集した素材を森さんに試写していただいて、現場では想像もしなかった思わぬことをいくつかうかがうことになった。
サルヴァドールの廃屋に、画家はなにを見ていたか。
久しぶりに興奮しながらナレーションを書く。
「ギアナ高地の伝言」の、日本の小学生たちの合唱のシーンのような。

お楽しみに。


5月19日(土)の記 「悪い奴」と旧友

ブラジルにて
「だまされただけ?
 これでまた日本中がだまされるんだ!」
黒澤明監督「悪い奴ほどよく眠る」より。

「HOMEM MAU DORME BEM」、ポルトガル語のタイトルもズバリ。
一昨日、フンパツしてDVDを購入。
今朝未明より、イッキに鑑賞。

この映画、日本の高校時代ぐらいにオールナイトの黒澤特集で一度ならず見ている。
しかし、笠智衆さんが小津シリーズや「男はつらいよ」の御前様とはうってかわったオッカナイ検事役で登場したことぐらいしか覚えていなかった。
はじめての作品同様に、あらたに黒澤作品を観ることのできる喜び。

笠智衆さんと宮口精二さんの共演シーンがあるではないか。

思い出す。
僕は中学時代から映画鑑賞にのめりこむようになった。
兄貴の影響などもあるが、目黒五中の級友だった後藤君の影響がかなり大きい。
後藤君はその後、千葉に越してしまい、浪人時代ぐらいから音信が途絶えてしまった。

この後藤君が当時、地下鉄の中で笠智衆さんと宮口精二さんが一緒に乗っているのに出くわしたというのだ。
ふたりは山田洋次監督の製作中の映画の話をしていたとか。
後藤君は中学の至近距離に住みながら遅刻の常習犯だったようなキャラだが、ウソ・捏造ばなしは特になかったかと。

後藤君、今も映画を見ているだろうか。


5月20日(日)の記 さつきのかきぞめ

ブラジルにて
デスクトップでちゃらちゃらと、でなくて、少し気合いを入れて書くものがいくつか。
昨日から寝室に小机を運び、ノートPCを設置。
昨日一件、今日一件、叩き上げる。

もうひとつ、やや本格的な書きものをしたためるようになった。
ノレる枕の部分が浮かび、入力しておく。
さあふたたび書きものモードも併行だ。


5月21日(月)の記 アマゾンの快人、逝く

ブラジルにて
年配の方に「好漢」という言葉を使っていいものだろうか。
ナイスガイなどという米語系も失礼だろう。

アマゾン・パリンチンスの尾山多門さんの訃報に接した。
日本の家族会の方が、メールで伝えてくださった。

5月14日、ご自宅の愛用の安楽椅子で亡くなった由。
16日に埋葬、パリンチンスの藤川真弘師の隣の墓所だろう。

岡山出身で、アマゾンでジュート栽培に成功した尾山良太氏のご子息。
僕は「アマゾンの読経」の取材でパリンチンスで何度かお会いして、貴重な証言をいただいた。

多門さんは日本人として、人間として実に素敵な人だった。
何人に対してもおごらず、卑屈にならず、筋を通した人だ。
アマゾンの大地を耕し、野に暮らすインテリだった。
こうした人と直接、関われて教えをいただいたことは、僕にとって誇りであり、生きていく支えである。
多門さんとの四方山話のひと時は、なんと豊かだったことだろう。

北方のはるかアマゾンに頭を垂れ、黙祷。
多門さん、ありがとうございました。


5月22日(火)の記 「自分をえらんで生まれてきたよ」

ブラジルにて
僕の若い友人が昨日、日本ではじめての著書を出版した。
現在、沖縄に暮らす、いんやくりお君の「自分をえらんで生まれてきたよ」。
http://blog.rederio.jp/archives/779
祖国の金環日食の日、しかも沖縄本島で震度3の地震まで起こるとは、でき過ぎな感じ。
わがことのように、いや、わがこと以上にうれしい。

りお君が生まれる前からご両親とは親しくしてきた。
彼の預言的発言のことはだいぶ以前から聞いていた。
両親のお人柄を熟知しているし、本人とも親しくさせてもらってきたので、疑う余地はない。
きちんと読ませてもらうのが待ち遠しい。

そしてふたたび友に会えるときを心待ちにしている。
りお君、ブラジルからのとっておきのプレゼント、お楽しみに!


5月23日(水)の記 鮫喰い人

ブラジルにて
未明にラジオをつける。
サンパウロのメトロがストに突入。
それでも妻子は仕事、学校に行くという。
ただ案じるばかり。

昨日から、異大陸から来た友人と過ごしている。
彼は今日中にリオに向かいたいとのことだが、動きが取れなくなった。
ラジオとテレビでニュースのチェックを続ける。
サンパウロの道路は史上最高の渋滞とのこと。
メトロの駅での暴動も発生。

夕方になって、ストは収束との報あり。
メトロが機能するまでにはタイムラグがある。

東洋人街に行くこともかなわず。
友と近くの日本風レストランへ。
ここで出る白身の刺身の魚種が知りたかった。

友人は釣りもたしなみ、サカナに相当うるさい。
カジキマグロ?
さっそく却下される。
白身とはいうが、褐色がかったクリーム色だ。
店員は、peixe-prego、釘ザカナだという。
魚屋では聞いたことのない名前だ。

友人いわく、カレイを思わせるがこれほど肉厚でもないし、オヒョウでもないし・・・
わからん、と宣言。
夜行バスでリオに向かう友を送り、さっそくPCで釘ザカナを調べてみた。
キクザメ。
さめかよお。
酔いも、サメる。

キクザメそのものへの言及は見当たらないが、日本でもサメを刺身にする文化を持つ地域もあるようだ。
釘ザカナの刺身、まずくはなかったが、サメと知ってまでカネを出して食べる気もしない。
サンパウロは他においしい魚がいくらでもあるし。


5月24日(木)の記 梅昆布茶の味

ブラジルにて
友人客人も帰っていった。
今晩からのつもりだった州外への遠征も、先方の都合により延期することに。

よし、思い切って断食。
いったんばらした編集機を設置、「サルヴァドールの水彩画」の作業再開。
ナレーション書き、面白いぐらい。

家族の食事は作るが、味見ができない。
こっちもお茶類での水分補給は必須。

朝から飲んでいると、緑茶も飽きてくる。
よく断食中にたしなんだ石州産まめ茶もなくなってしまったみたい。

どこでゲットしたのかも忘れたが、梅昆布茶の一杯分の細長いパックを見つけた。
これでいくか。
絶妙に、うまい。
梅昆布茶、パスタの隠し味だけでの使用じゃもったいない。

一日断食で、自分の味覚のルーツを再確認。


5月25日(金)の記 佳日の果実

ブラジルにて
断食明け。
ほんのすこし、オナカが軽くなったかな?

なぜか断食の翌日は無性にフルーツを摂取したくなる。
ふだん、サケで補完している分か?

冷蔵庫に、カレーに使ったマンゴー、やや傷みかけがあり。
おいしくいただく。
見向きもしなかったが、奥の方にブドウがあったっけな?
赤の種のない、クリムゾン種。
めちゃめちゃに甘くておいしい。

果実に感謝。
ポルトガルの友にもらったイベリコ豚の生ハムと、冷蔵庫に残ったメロンのコンビは後日にするか。


5月26日(土)の記 ありがた感謝

ブラジルにて
大事な、急ぎのメールをいくつか。
なんだか疲れた感じ。

断食明け二日目なので、まだアルコールは控える。
時折り、日本でナメクジ本とともに買ったハキリアリ本を開く。
はっきりいって、面白い。
はきりありって、面白い。

テレビ時代の僕は、このアリにさんざんお世話になっている。
岡村作品最多出場の生物だろう、もちろんヒトをのぞいて。
自主制作以降は・・・
「ギアナ高地の伝言」で。
ついに、ハキリアリをアートに収めたかと。
自分で指摘しなけりゃならないのが、愛嬌。

入門者の方々にサービス。
ハキリアリは、葉切り蟻。
南北アメリカに生息。
地上の植物の葉などを切り取って、巣中に運んでいく。
そして、地中でこの葉を養分として、キノコを栽培している!
農業を営む、社会分業など、もっとも高度に進化した昆虫かと。
ちなみにこのキノコはヒトに卸すのではなく、自分たちの食用です。


5月27日(日)の記 野菜の証明

ブラジルにて
走行距離約100キロ。
サンパウロ郊外の菜園に、有機野菜の収穫に行くことになる。

恥ずかしながら。
学生時代、さんざん土掘りをして土に親しんでいた。
しかし、これは遺跡の発掘。
ブラジルで少なからぬ年月を土地なし農民、零細農民らと過ごしてきた。
だが、これはビデオカメラを手にしての取材のため。

自らの農作業となると、皆無に等しいかも。
今日の短時間の収穫作業が、いちばんだったりして。

けっこう面白いではないか。
無心もよし、もろもろ考えながらもよし。
ナメクジ、カエル、カメムシ、テントウムシ、ハキリアリ・・・
草むしりも、また一興。

少なくとも野菜をより無駄にせず、より味わって、よりありがたくいただくことができそうだ。


5月28日(月)の記 ブラジルの雑景/ガソリンスタンドから

ブラジルにて
車の燃料計のカラータイマーが点灯。
さあ、どこで入れるか。

格安だが、以前、寄ってみるとカードを受け付けないところが帰路にあり。
いちおう、現金もある。
そこそこ他の車も来ているから、まあクオリティもだいじょうぶだろう。

若いあんちゃんがアテンド。
油まわり、水まわりも見てくれて、バッチリだという。
通行人の女性を見やりながら、
「ブラジルのオンナはいいだろう?」
とこっちに振ってくる。

特にこれと言って・・・
そこは、他愛のないバカ話。
「まったくだ。で、あのネーチャン、アニキのオトモダチかい?」
このレスは意外だったようで、
「まさか」
とかわされる。

ふと、日本と比較してみる。
初対面と言っていい、そこそこ日本語を話すガイジンの紳士が車をスタンドに着ける。
店員は会話つなぎとはいえ、通行人を見ながら
「ダンナ、日本のオンナはいいでしょう?」
みたいのってありうるか?

意外と江戸末期や明治ぐらいの雲助系あたりにはあったかもね。


5月29日(火)の記 ライムライト

ブラジルにて
晩酌用の、ピンガ(カシャッサ)は量り売りで買ってきたお気に入りがある。
定番のリモン(ライム)を切らしてしまい、パインとオレンジなどを絞り込んでいた。
残りのパインを傷んでいると捨てられてしまい、昨晩は数年前に日本から担いできた小瓶の「かぼす」の絞り汁を投入した。
いまいち。
オレンジ類はまだだいぶあるが、ピンガには弱すぎる。

思い切って、至近の食料品店まで降りることにする。
野菜果物乾物までひと通りあるが、値段はスーパーや路上市より数割は高い。

おう、リモンは5個で1レアル、邦貨にして40円。
路上市より、ちょい高。
肌はみずみずしく、程よくやわらかい。
1個8円とは、ブラジルで久しぶりにモノが安いと感じる。
日本のスーパーでかつてライムを求めたら、メキシコ産で1個150円もした。

手弱なわたくしでも、かんたんにたっぷり絞れる柔らかさ、果汁の量。
先週、友人と行った店ではグアバとショウガ入りなどものめずらしいカイピリーニャ(ピンガのカクテル)がいろいろあった。
ライムがやっぱし基本だな。
この際、カラグアタ(ブロメリア)の蜜という珍味まで注いじゃう。
ブラジル海岸山脈の絶品也。


5月30日(水)の記 長井茂春さん逝く

ブラジルにて

mixiで日本の方からメッセージをいただいた。
世田谷の埋蔵文化財発掘調査で長年にわたって活躍された長井茂春さんが亡くなったという。

長井さんには、僕が大学1年の時に参加した世田谷・岡本の下山遺跡の発掘調査以来、お世話になってきた。
まさしく学兄である。
縄文文化への関心をベースに、様々なエスノロジーの知見をご教示いただいた。
数々の珍味美酒もごちそうになっていた。

拙作「KOJO」の完成後、音信が途絶えてしまっていた。
今日、訃報を伝えてくれた人が、長井さんが難病を患い、東京のナースホームに入居したと教えてくれた。
以来、訪日の度に、極力お見舞いにうかがっていた。

正確な診断名が確認できていないのだが、小脳の機能が衰えていく難病らしい。
体を動かせない、寝返りを打てないどころかナースコールのボタンも押せない。
指差しどころか、瞬きや舌などを使っての意思表示もできないのだ。
それでいて、頭脳は明晰の状態らしい。
わが身に置き換えて、想像してみてほしい。

長井さんはアタマがよすぎて、大学進学も拒否したと承っている。
結婚もされなかった。
古城泰さんは数々の論文を残してくれたが、いまオンラインで検索しても長井さんのものは皆無に等しい。

ナースホームの長井さんの個室にうかがうと、テレビからNHKが大音響で流れているのが常だった。
まず、ボリュームを下げる。
問わず語り、反応もうかがえないまま、こちらの近況、共通の知人の動向、縄文研究の最近などをゆっくりとお話しした。
特にシモネタでは息を一気に漏らすような反応がうかがえた。
偶然かと思ったが、複数回、確認できた。
身動きができない状態のまま、こちらの話がわかっているのだ。
医学の進歩と、瞳孔の動きなどで長井さんの意思を確認できるようになって、あらわさないままだった壮大な知見を伝え残してくれることを願い語って、おいとましていた。
この程度の見舞いの繰り返しは、僕が長井さんからいただいたことからすれば、ほんの些細なことに過ぎない。

先回の訪日では、5月8日におうかがいした。
より反応がうかがいづらくなった感じで、毒気はあっても色気もない岡村の訪問と問わず語りは、無駄どころか迷惑ではないかとすら考えてしまった。
亡くなったのはそれから一週間も経たない5月14日だという。
とても死相はうかがえなかったが。

長井さんへの感謝を記すとともに、生きているうちにこそ、無理をしてでもという僕の思いを生きている人たちに伝えたい。


5月31日(木)の記 発掘調査とこころのやまい

ブラジルにて
終日、だらだらと原稿作業。
祖国の時局柄、不謹慎なたとえになるかもしれないが、原稿脳、もうそろそろ再臨界かも。

昨日、訃報をアップした長井茂春さん、そして周辺の諸々を考える。
遺跡の発掘現場というのは、少なくとも僕が関わってきた多くは、考古学といった学問とは縁遠い世界だった。
古城泰さんの学術発掘などは除いて。
知性や教養ともかけはなれて、グロテスクなハラスメントがひしめいていた。

思えば、発掘作業に関わってから、心の病を患った人、それに近い状態までいってしまった人は、少なくないようだ。
これは、たまたま僕が特殊な例をいくつか見聞きしてしまったせいなのだろうか、あるいはより一般的なことなのだろうか?
少なくとも、僕が発掘調査に関わっていたのは、旧石器遺跡捏造事件発覚の20年近く前だが。

これは、大いに発掘調査の主体によるのかもしれない。
だいぶお世話になった横浜の現場では、もとからだいぶ変わっていた人はいても、現場によって心を痛めたという人は思い浮かばない。
愛をはぐくんだカップルはいくつかあったようだが。


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