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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2012年の日記  (最終更新日 : 2013/01/07)
6月の日記 総集編 「リオ フクシマ」

6月の日記 総集編 「リオ フクシマ」 (2012/06/02) 6月1日(金)の記 フマニタス、リオ、ブラジルの土

ブラジルにて

「フマニタス」の佐々木神父から電話をいただく。
できればこちらから出向いてお話したいことがあるのだが、いろいろ障害があった。
先方のお話を聞いて同意したあと、こちらからもトホホな話を伝える。
神父さん、大笑い。
あの神父の大笑いは、なかなかレアだゾ。

もう今月になったリオの件で進捗あり。
いざ、リオデジャネイロ。
鉢の木をくべん。

さて、原稿三昧。
まさしく、さんまいになった。
常に「ブラジルの土に生きて」の石井さんご夫妻のイメージにつつまれる。
ある程度、終わりも見えてきた。

まことに、ビデオづくりとは別の次元の作業なのです。


6月2日(土)の記 熱犬の思ひ出

ブラジルにて

さあ夕食は、何にするか。
冷蔵庫に特売で買ったソーセージがまだだいぶある。
カショーホ・ケンチ(犬・熱いのポルトガル語、ずばりホットドッグ)は?
子供たちは大賛成。
テヌキの部類で、ラクだ。

ホットドッグの添え物で、タマネギのカレー粉いためを作る。
この習慣は久しい。

日本の亡父はモトキチ(モーター狂)だった。
大日本帝国陸軍航空隊の戦闘機の整備兵。
戦後はカミナリ族という、後世の暴走族の草分けだったらしい。
僕の幼少の頃は、ダイハツのハイゼットという乗用車を愛用していた。
休みのたびに、車に僕を乗せてどこかしこと出向いていた。
近場では、駒沢公園。

ここに、自動車のホットドッグ売りが出ていた。


6月3日(日)の記 月光の原稿

ブラジルにて

14番目の月ぐらいか。
寝室の窓からムーンライトが射す。
丑三つタイムに目覚める。
パソコンでも起こそうかと思うが、やめる。

追い込みの原稿の内容に思いをはせる。
なんだか、いいひらめきがいろいろ。

メモを書きとめておく。

日中、家族との用事以外は原稿叩きに専念。
夕方、ひとまず脱稿。

執筆脳が、火照り続ける。

あとは、一晩寝かして推敲するつもり。
「時をかける移民」、悪くないかも。


6月4日(月)の記 ナレーション前日

ブラジルにて

来週、おそらく決行しそうな遠征に備えて、断食。
ここのところ、かかりきりだった原稿書き足し分をもう一度、推敲。
島の編集者に送る。

「サルヴァドールの水彩画」。
明日のナレーション録音に備えて、映像との読み合わせ。
エンディングの部分のカットの順番をいじってみる。
ひとつ、カットを落として。
これでけっこうスッキリしたかも。


6月5日(火)の記 ブラジル的適応

ブラジルにて

深夜、窓ガラスも割れんかとばかりの暴風雨。
朝なお雨。

いま一度、ナレーションの読み合わせチェック。
何度となくナレーション録りを体験しているが、やっぱし緊張がある。

傘さして、地下鉄に乗って馴染みになったスタジオへ。
大将、遅れることしばし。
ようやく準備をするが、ケーブルの具合が悪いらしい。
いろいろ手を尽くすが、NG。
「明日以降」に延期に。

思わぬブランク。
雨降りで荷物もあり、おうちに帰ることに。

折りしも原稿の書き足し希望のメールが入っている。
その作業に没頭することに。



6月6日(水)の記 売春婦の夢

ブラジルにて

ふたたび、録音スタジオへ。
今日もNGだったら、キレるしかないかな。
・・・ぶじ終了。
今回は、ナレーションも短めだし。
ラストの、キメのナレーションがどうも決まらない。

録音後の聞きなおしで、プリンターで印字したナレーション原稿の語句の、ツボの部分が雨で消えていたことがわかる。
この作品のテーマそのままでないの。
な、なんなんだ?

さっそくリテイク。
それにしても、この作品のいちばんの、ツボが、ヘソが。
異国で、日本語理解者はわたくしひとりで、何役もしているからチョンボも当然ある。
それを一人でフォローできるかどうかだ。
あぶねー、あぶねー。

ちょっと美のシャワーを補給しないと、次の作業に踏み込めない感じ。
来週までのジャコメッティ展を見ておきたい。
しかし、子どもの件があるので時間的に厳しい。

先々週、客人を誘って休館日で見逃したリオの売春窟をテーマにしたアート展なら、道順だ。
Lasar Segall美術館のこの企画展は、来週まで。
これは見ておくべきだった。

今日の件名は、ブラジルを代表するアーチスト、シセロ・ディアスの作品のタイトル。
衝撃。
この絵にお三度を踏む。
他に訪問者もなく、退屈そうなガードマンのあんちゃんと、この絵について談義。

売春婦の、夢。
アートのありかを、考える。
ドキュメンタリーしかり。


6月7日(木)の記 ブラジリアンあんか

ブラジルにて

今日のブラジルは「聖体の祝日」という国民の祭日。
キリスト教暦というのはなかなかややこしく、この日は木曜に設定される。
そのため学校、会社はじめ木曜から日曜まで4連休にしてしまうところが多い。

雨が続く。
体感温度10度ぐらいの冷え込み。
家族で、妻の実家へ。
わたくしは、ドライバー。

この実家、なかなか無線LANの波がよろしい。
パソコン仕事をすすめておく。

足元に、ちっこく暖かいものがある。
おう、ノートPCのアダプターだ。
ちょっと暖を取るのにちょうどいい。

これがこんなに熱を帯びているのも不気味だけど。


6月8日(金)の記 ミニじゃこ

ブラジルにて

来週からのリオ遠征に備えて、何かとあわただしくなってきた。
その期間に終わってしまうジャコメッティ展をぜひ見ておかなければ。

実は、ジャコメッティの作品にはこれまでいい印象を持っていなかった。
それは作品そのものというより、ジャコメッティ作品が史上最高価格で落札というような、アートを金額で話題にして評価するという風潮に対する嘔吐感に由来するものだろう。

サンパウロ州立ピナコテッカでの特別展では、絵画から彫刻まで約280点が並ぶという。
これは見ておくべきだった。
1910年から60年代までの作品群を通しで見ることにより、彼のしっかりとした基礎的表現力がうかがいしれる。

特に心引かれたのが、高さ1センチ前後ぐらいの、ミニ彫刻。
シャープペンの芯のカスぐらいの小品でありながら、しっかり「ジャコペッティして」いるのだ。
もっとよく見たい。
僕には珍しく、ほしい。

他の予定が押しているため、走り見るにとどまる。


6月9日(土)の記 ブラジルを食べるHP版

ブラジルにて

来週からリオへ遠征することに。
それから戻ると、まもなく訪日だ。
残務雑務にあせる。

今回はブラジルに戻ってすぐに「サルヴァドールの水彩画」の仕上げ作業に着手した。
主人公の絵描き・森一浩さんがブラジル出発直前だったので、まず森さんといろいろ詰めておくため。
そのため、日本での上映等の、挨拶メールが後手になってしまった。
リオに行く前に他の残務とともに済ませないと。

以下、来週からリオに来られる同胞の参考に。
ブラジルの食事がメチャクチャ高いという風評が広がっているようで。
メチャクチャに高いところもある、といったところかと。

それより、日本製の食材を持ち込んで、空港で見つかれば没収です。
これの補償に、東京電力が応じるかどうか。


昼は、息子と二人で近くの大衆系の食堂に行くことにする。
この界隈は、住宅地、商店街、教会、オフィス、学校がまんべんなく広がっている。
昼飯を食べられるところは多い。
おカネがあれば。

息子のチョイスは、ちょっとシステムがややこしいところ。
ブラジルの昼食ではポルキロ:計り売りという、バイキング形式で自分が皿に取った分の重さで値段をとられるシステムが多い。
ちなみにレートは1レアル=約40円で、安めのところで1キロで20レアイス(レアルの複数形)ぐらい。
小食の人にはオトクだ。

今日の店では、一皿に取り放題で10.90レアイス、お変わりし放題だと13レアイスという料金。
サラダ類、各種肉類、水・土曜限定のフェイジョアーダまで、20種ぐらいの料理がある。
きれいだし、味もいいセンだった。
親子で将棋崩しかリオのオン・デ・アスーカルかというぐらいの山盛りに挑戦。
父は国産ビール大瓶、息子は600ccのスプライトを頼み、ふたり合計で約1300円、満腹。
食後のコーヒーは、タダ。
昨日、家族のお祝いがあって行った日本メシ屋だと食後のコーヒーが3.50レアイス(約140円)とのことで、やめた。

ブラジルの大衆メシ屋、多様性があって面白いです。


6月10日(日)の記 メルアドの十字架

ブラジルにて

今日中に、ひと通り日本への御礼メールを片付けたい。
せっかく送っても、例によってNGが少なくない。
NGには、こっちのメルアドの入力ミスも。
あとは、手書きのメルアドの読み間違え。
6とbとか、まあなかなかやっかいである。
エラーの出たメールを、メルアドを他に推測される記号に読み替えて送り直して。
それでも2度、3度とNGとなると、けっこうガックリ。

ただのコピーではなく、アンケートに手書きのメルアドを読み込んで入力する作業。
先方が自分のメルアドに込める思いが、いろいろうかがえて面白い。

今日はメルアドに + というのを、おそらくはじめて見た。
これもNGで帰ってきちゃったけど。


6月11日(月)の記 原田正純先生のこと

ブラジルにて

原田正純先生の訃報をまずツイッターで知った。
絶句。
じわじわとくる涙で、仕事にならない。

ブラジルの日系社会の「名士」のおっしゃるような「サムライ」はグロテスクで敬遠。
原田先生は、いいサムライだった。

僕の数少ない恩師だ。
しかもブラジルに移住してからの。
笑顔で、おしつけがましいことはまるでなく、社会的弱者の尊厳を教わった。

日本でも常に歓待していただいたが、こちらがアマゾン水銀汚染問題から遠ざかり、あらたに先生にご報告できることもないので、遠慮していた。
もう先はないかも知らんから、そんなことをおっしゃるのを一度ならず聞いた覚えが。
一期一会だった。

おりしも、RIO+20会議が始まる。
20年前の地球サミットでは、水俣病全国連というののブラジル訪問のお付き合いをした。
今回は別のグループにお付き合いすることになった。

20年前、原田先生が「僕は行かん」とはっきりおっしゃっていたのを思い出す。
リオどこじゃなくアクセスの悪いアマゾンの現場には、何度も足を運んでくださったのだが。

はじめての著書の加筆・修正中の訃報だった。

原田先生。
ありがとうございました。
いただくばかりで、著書のひとつもお返しできないままで申し訳ありませんでした。
先生を心に留めて、敢えてリオに行ってまいります。


6月12日(火)の記 カジバでサンバ

ブラジルにて

いやはやドンブリ勘定は危ない。
他人様のお手伝いで10日以上、サンパウロを空けるとなると・・・
!!

「サルヴァドールの水彩画」もまだ仕上がってはいない。
とにかく、ナレーション当てだけでもリオに行く前に済ませないと。

7月の「あもーるあもれいら」三部一挙上映の方。
とりあえず、いまこっちでできることはしておく。

いやはや追い込まれた。
今日はキッチンドリンクもバンシャクもお預け。
ホンキで追い込まれると、飲みたい気もおきないもんだ。


6月13日(水)の記 どたばたと

ブラジルにて

未明から「サルヴァドールの水彩画」作業の続き。
これほどナレーションのあて、ばらしに細かく挑んだのは、初めてかも。

午前中でひと段落付けて、編集機をばらす。
残務と旅の支度の追い込み。

機材類も多い。
夜バス乗車のバスターミナルまでは地下鉄。
駅までの道中の強盗を警戒。
家族に駅までエスコートしてもらう。

リオ行のバス、手ごろなのがその場で買えるかがとりあえずの最後の心配。
いくつかオプションがあり、安心。
バスの領収証を、と日本側から再三、連絡があった。
やはり、チケットの半券しかない。

さあ、出発。


6月14日(木)の記 リオ開戦

ブラジルにて

夜バスで目覚めると、午前4時45分。
リオ着は5時より少し早いぐらいとのことだった。
窓の外は、もう大都市な感じ。
圧倒的な、ねむ足りなさ!!
やる気は、さらになし…

天井の電気がつく。
椅子を起こす。
なかなかに涼し寒いリオのバスターミナル着。

消灯、門戸を閉じるホテル到着。
荷物を預けるが、パソコン等心配。
して、リオ国際空港へ。
楽しい運転手との会話に励まされる。

空港のベンチでエネルギー温存。
一行到着後の段取りづけで、空港内をまわる。
えごころをいたく刺激するオブジェあり。
エゴコロジー、なんちゃって。
なんだか、いわゆるスイッチが入っちゃった気分。
取材モードで高揚。

ビデオカメラを取り出して、チャンスを狙う。
ガードマンが、何のための撮影だと聞いてくる。

2便に分かれてくる一行の待機だが、両方とも遅れ。
いろいろあったが、無事すべて合流。

以降、リオ大移動ミッション。
こんなにいろんなブラジル人と話し込むのは、久しぶり。

夜は、初対面の日本人男性二人と枕を並べて、異都に眠る。


6月15日(金)の記 友と再会

ブラジルにて

ホテルの朝食の始まる6時からレストランで待機。
三々五々おりてくるスタッフに、それぞれブラジル式朝食のノウハウ、珍味を解説。
以降、深夜まで、出会いのテンコ盛り。

今回のミッションに引き入れてくれた友に再会。
福島の有機農家の方々とともに。
友とは、ブラジル式に抱擁。
これのできる友のいる喜び。

グループ活動は、自分の至らなさ、欠点を気付くいい機会だ。
ポルトガル語と英語、こんだけ話すのも久しぶりかも。
日本語はもちろん、いちばん話す。
さっそく声が枯れてきた感じ。

ちなみに、ネット環境はなかなか厳しい。
ネットのデトックスにはちょうどいいが、ここでの業務にも、置いてきた諸々にも差し障りあり。


6月16日(土)の記 ジャパンパビリオンの茶番

ブラジルにて

早朝から深夜まで、よく働いた。

メインイベントは、アスリート広場ジャパンパビリオンでの福島原発事故についてのシンポジウムの撮影。
会場側から突然、時間短縮を命ぜられて、パネラーたちの基調報告のみに終わる。
肝心なディスカッションや質疑応答が、まったくなされなかった。

わが代表は抗議するが、暖簾に腕押し、ヌカに釘。
終了後、会場では次の予定が詰まっているわけでもなく、長い休憩タイムに入る。

ジャパンパビリオン内には日本政府関係・大企業のブースがひしめき(どこも閑古鳥の生息域となっている)、原発推進企業がいくつも見受けられる。

そうした政府・企業関係者にも参加したいという願いから、ジャパンパビリオンで原発問題シンポを開いたとのことだが、こんな有様である。
そもそも場所はリオの陸の孤島。
日本から乗り込んできたメンバー以外の参加は、非常にむずかしい場所。

なんなんだ?


6月17日(日)の記 「リオ フクシマ」

ブラジルにて

今日のメインは「ブラジルの反核グループ連合主催による、福島原発事故被害者の合同記者会見」。
の、はずだった。
現場で30分以上前から、待機。
福島の有機農家の方々は、もういらしている。
ブラジル側は、まだまだ。

結局。
日本人だけで、僕の数えでは10人が報告した。
主催者・司会がタイムアウトを告げても、延々と報告を続ける人。
記者会見なのに「皆さん、隣の人と手をつないでください」みたいのがあったり。
そもそも日本語とポルトガル語のみとのことで、英語圏のジャーナリストたちは、いち早く席を立っていった。
あまりの長さ、途中のインターバルも質疑応答もなく、他にも予定のある記者さんたちは、どんどん去っていく。

発言者のなかには、話が違う、こんなことなら来るべきではなかった、と憤る人も。
まさしくカオスだった。
撮影をしながら「リオ フクシマ」というタイトルのドキュメンタリーにまとめてみようと思う。

カタカナのフクシマにやや違和感を覚えてきたが、リオとの併記なら収まりやすいかも。


6月18日(月)の記 移民とローシャ

ブラジルにて

リオ合流後、五日目。
現地の混乱もあり、わが隊も混乱を極める。
今日、わたくしは午前午後と2度、国際空港に行き、それぞれ新たに到着するメンバーをピックアップ。

その間、僕にとっては「リオ フクシマ」の奇跡的な縁つなぎと撮影を行なう。

夕方、本隊がいるべきはずのところに行くと、もぬけの殻。
ケータイ電話、PC事情も混乱を極める。
それだけに、石巻日々新聞のようなアナログな知恵が要求されるのだが。

ひとり、延々としたフラメンゴ公園のピープルズサミットの夕べを歩く。
気になる歌と踊りの一団の練り歩きがある。
アンチ・カピタリズムを唱えている。

そうだ、あのグラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」の踊りの一団をほうふつさせる。
撮影したり、見とれたり。
すると、なんと「o sertão vai vira mar(拙訳だと「大地は海に」)」の歌が始まったではないか!

東日本大震災、福島原発事故の翌年のリオ環境サミット、民衆フォーラムの場でアントニオ・コンセリェイロの預言=呪詛がよみがえるとは!
号泣。

そうか、今日は移民の日だ。
水野龍さん。
百四年めの今日ここに、日本人移民がいます。
畏友・印鑰さんのおかげ。


6月19日(火)の記 フォゴ・アミーゴ

ブラジルにて

フォゴ・アミーゴとは、友軍による友軍に対する攻撃。
サッカーで、うっかりミスで味方の蹴ったボールが自分のゴールに入ってしまうような失態にも用いられる。
(アップ時に調べてみて、英語のfriendly fireが語源と知る)
これを味方から、故意にやれらると、けっこうきく。

今日は僕がリオでお付き合いしているJNDB市民ネットワーク主催による、ピープルズサミットでの福島原発問題の報告と参加者との質疑応答。
結局、僕ひとりがすべて通訳することになってしまった。

20年前の事件を思い出す。
当時の僕は、アマゾンの水銀汚染問題に心を痛め、微力の活動をしていた。
それを知った日本の弁護士の頼みで、水俣病全国連というグループのブラジル訪問のお世話をした。
アマゾンでのシンポジウム。
日本にも留学に行っている日系の医師が通訳を引き受けた。
が、途中で疲れきったポーズをとった。
いきなり、僕に通訳が回ってきた。
その時のブラジル人の大学の先生かなにかの発言者は、水銀汚染問題とどういう関係があったのかも不明。
通常使わない、意味の取れない、よく言って形而上学的、文学的な言葉の羅列だった。
意味不明だから、訳しようがなく、何度もどういう意味かを聞き返した。
すると、会場の日本人からブーイング。
さらに、当地の日本語新聞に悪意と憶測の中傷記事まで書かれてしまった。

これは、かなりのトラウマとなった。
今回は、こっちの代表の坂田さんが主に発言する。
昨晩までに概要を渡すとのことだったが、今朝になった。
慎重にふだん使わない言葉をチェック、イメージトレーニングを重ねる。

今回のリオでの多言語での集会を見て、通訳の能力・把握度・演出が成否のカギだとわかってきた。

今回のお付き合いを引き受けるにあたって、期間中、岡村が好きなように撮影してOKというのを坂田さんに最初に確認してあった。
カメラを胸にため、時折り撮影しながらの通訳を行なう。
会場のブラジル人からの発言は周囲の騒音もあって、聞き取りにくい。
僕が発言者に近寄って聞き、また席に戻っての通訳を繰り返す。
するとこっちのチームの撮影担当から、僕がジャマのとクレームが投げられる。

まさしく、空白になる。
すべてのリズムが狂う。
お仕事をしているこっちがジャマなら、自分が動けばいいだけの話。
そもそも、この場はオレをノセてナンボだということが、まったく理解されていないかなしさ。

担当は撮影のプロではないし、僕と坂田さんの契約条件も把握していないようだ。
あとで、きちんと申し上げておく。

ちなみに本日の寄り合い、スクリーンもない白昼に音声のない映像を流す(しかもPCにイヤホンで岡村に音を聞かせて、同時通訳せよという指令!)など、劣悪なコンディションだったが、参加者からはかなりの好評をいただいた。

満身創痍、まさにへろへろ状態。
しかし本隊解散の後も、会場を歩く。
努力がすぐに結実。
これまた、信じがたいナイスな出会いをいくつもいただく。

動ける限り、足で、全身で稼がないとな。
これは、僕個人の闘いだ。
さすがに、20年後はむずかしいだろうけど。

20年前。
印鑰さんがいて、小貫さんがいて、故・原後さんがいたなあ。


6月20日(水)の記 地球人との遭遇

ブラジルにて

今日も盛りだくさん。
午前中は、新たに大道展示の設営。
その後、隊長の運動靴を買いにダウンタウンへ。

午後から、市内での合同デモ合流予定。
ブラジル反核連合の待ち合わせ場所は、ブラジル原子力発電公社ビル前、14時との印鑰情報。
たどり着くと、誰もいない。
UNDB部隊は、それぞれお気に入りのグループのデモに続くことになる。

僕はデモの道順ながら、一顧だにされない、カンデラリア教会前の8人の少年たちの虐殺現場に留まる。

夜はUNDB部隊のコンサート鑑賞のお世話。
僕は部隊から事前に登録してもらえてないので、会場の場所を調べて案内するという便利屋業務のみで、入場不可。

シネランジア地区で、環境映画祭をやっているのを思い出し、それに行く。
おう、オヤジどものあこがれ、セヴァン・スズキが舞台挨拶中ではないか。
それにしても、し尿くさい映画館。
「ヒマラヤン・メルトダウン」という映画と、グレートバリアリーフの短編の上映。

客の入りは座席の半分弱といったところ。
先客の女性より、一席空けて着席。
すると、インド人風の大男がやってきた。
こっちに座席を詰めろ、と英語で命じてくる。
まあ、従う。
しばらくすると、僕が手にしていた上映プログラムをよこせ、と言ってくる。
見た後、返してくるかと思ったら、その気配もない。
こんなこともあろうかと、とは夢にも思わないが、他のスタッフにも、と余分にゲットしておいてよかった。

グレートバリアリーフの映像で、アボリジニの老人の大写しの映像が。
すると隣の男、なにがおかしいのか、大声で野卑な笑い声を上げるではないか。
国際環境イベントの場で、笑いものにされる先住民って。

上映終了後、スタッフなのか、英語のみの男性の話が続き、会場から「誰かポルトガル語に訳せよ!」の声。
すると、隣の男がこっちに「ユー、トランスレート!」と命じてくる。
ブラジル風の「あんましできないよ」という手振りで答える。

終了後、Tシャツにバミューダ、サンダル姿の隣の男に、プログラムを返せと言う代わりに、「あんた、どこの国の人?」と聞いてみる。
「オレか、オレはプラネット・アースからだよ」
「オレもそうだよ」と応じる。
「そうか、オマエも地球人か!?」と握手をしてくる。
こっちを、ドレイの星から地球人に仕えに来ているとでも思し召しだったのであろうか。


6月21日(木)の記 インドとインディオ

ブラジルにて

今日のわが部隊のメインの作戦は、バンダナ・シバさんのインタビューを撮ること。
シバさんは日本語では環境保護活動家となっている。
今回のリオ会議での、民衆側のイコンといったところか。
フラメンゴ公園のピープルズ・サミットの生物資産海賊行為(ととりあえず日本語にしておく)のシンポジウムに登場するという。
これも会場が変わったという情報がある。
デタラメを確信を持って断言する人もいて、混乱を極める。

腰の重い人が多いので、飛脚を買って出て奔走。
シバさんそのものらしき人が歩いているのを目撃。

シバさんがユーカリ問題について書いたテキストは、ポルトガル語の訳本が出て、たいへんお世話になった。
このシンポはシバさんと、ブラジル先住民のオピニオンリーダー、アイルトン・クレナッキが出席の由。
アイルトンとは浅からぬ縁があり、こちらの知的生産物も搾取されたままである。
インド人のシバさんはきちんと登場したが、インディオのアイルトンは欠席。

わが部隊のメンバーのお連れ合いがシバさんと親しいということで、自分のスピーチの後、退席する彼女にインタビュー突撃。
取り巻きのすごいこと。
正面に構える部隊の撮影担当に、また「ジャマ」といわれないよう、外したポジションからこっちは謙虚に撮影。
シバさん、言動ともに、たいしたものだ。

ところが、本隊のビデオは撮れてないとのこと。
今日どころか、今回全体の最大のヤマ場である。

こちらも余裕があれば、シバさんにひと言、ユーカリの本がとても役に立ったこと、そして御礼を伝えたかった。
欠席したアイルトンも、日本ではアマゾン先住民のように消費されたが、日本の大手製紙会社合同の大ユーカリ植林プロジェクトであえぐミナスジェライス州のクレナッキ族の出である。
シバさんに感謝の意ぐらい伝えてもいい立場だろう。

まあこんなことも、印鑰さんとわたくしぐらいしかカンケーないかも。


6月22日(金)の記 時よ止まれ 君は美しい

ブラジルにて

リオ本会議も、ピープルズサミットも本日までと言うことを隊長はじめ把握していないのがすごい。
坂田隊長、体調不調。
僕が同行してそこそこにケア。
サンパウロから持参したブラジル産生薬を謹呈するが、これが効いたとのこと。

夕方、ピープルズサミットで飛脚をするが、約束していた先方はすでに不在。
体調に代わって、お詫びのメールを入れなければ。

買い物ギリのタイムに、ダウンタウンに向かう。
歩道橋から見た黄昏のポン・デ・アスーカルの奇峰に息を呑む。
地質学的、地球時間のなかに照らされているのだ。
祈りとともに、珠:レンズを向ける。

印鑰さんが、しばしばリオは世界で最も美しい街、と語っていた。
今回の旅では何度か実感。
だが、この光景にはもう言葉も感情も停止。

ブラジル人の若者グループが写真を撮ってくれ、という。
おどけ続けて、なかなかポーズを決めない。
「おい、いいかげんにしてくれや!」

すでにあの光景はなかった。
一期一会の絶対時間、絶対光景。
僕のこころに焼きついている。

夜のTVニュースで、ジルマ大統領による閉会宣言が映し出される。
しかし我が部隊は玉音放送をものともせず、明日、玉砕作戦に挑む由。

同室の本業デザイナーのスタッフが、こっちのポルトガル語のキャッチをもとに、明日の玉砕作戦のためのポスターを描き続ける。
見事である。
彼は午前2時半まで描き続け、付き合う。
彼にもっと最初から描きまくってもらえばよかったのに。


6月23日(土)の記 徹底抗戦

ブラジルにて

すでにリオ環境サミットもピープルズサミットも昨日で終了したが、我が部隊長は徹底抗戦を指示。
日本からの部隊は朝もゆっくり、夜は観光気分。
こっちは未明から深夜まで、よく働いた。

ホテルでのネット事情。
部屋ごとにエキストラ料金を払って、WiFiをつなぐことにした。
しかし、PC一台で、かなり限界。
我が部屋は3人部屋で、ネット発信業務を主とするスタッフが起きている間はつなぎっぱなし。
もうひとりも小さいのをつないでいる時が多い。
僕の業務になったらしい隊長の代行メール送信および各スタッフおよび他の日本人グループからの頼まれごと、さらにポルトガル語のネット上のリサーチは、7階の部屋からロビーに降りてPCをつながなければならない。
ロビーの使用は午前6時から深夜0時ぐらいまで。
これ以上に及ぶと、従業員にチップでなんとか切り抜ける。

まずアサイチで今晩のディナー会場を探す。
そしてテント類の撤収のすすむフラメンゴ公園の大道で、週末のジョギング、ウオーキング、サイクリングに来たリオ市民相手に、福島原発問題の告発。
坂田隊長と僕は、昼食抜きで現場に留まる。

夜は、スタッフほぼ全員がそろってのディナー。
ディナーの場所について、ブラジル音楽の生演奏はじめいろいろ注文があったが、なんとかクリアー。
ひとり、今晩のフライトでブラジルを発つスタッフがいて、僕が空港まで送る。
残留スタッフからチェンマネを頼まれ、深夜のアントニオ・カルロス・ジョビン国際空港を第1ターミナルから第2ターミナルまで往復。

明日の段取りもネットで調べなければならないが、早朝まで待たないと。


6月24日(日)の記 天上の森

ブラジルにて

今日が日本からの一行の、最終かつ唯一の自由行動日。
しかし、結局わたくしがすべて仕切ることに。
一向にはファヴェーラ(スラム)ツアーとチジューカの森ツアーを勧めておいた。
一日で両方はむずかしいので、どちらかをチョイスしてもらうことに。

ファヴェーラツアーはそもそも外国人観光客向けのもので、ウエブサイトも予約もすべて英語でOKである。
希望者が何人かいるので、どうぞご自身で調べて予約を進めるように、と数日前から再三、申し上げておいた。
ところが、誰もやろうともしない。
誰それさんがやってくれる、みたいなインフォーマルな憶測ばかり。

仮にも国連から招待状をもらい、なんとか基金からの助成でブラジルくんだりまできているにしては、あまりに・・・

いずれにせよ、高尾山の保護活動に取り組んでいる坂田さんはぜひチジューカの森にお連れしたかった。
チジューカの森は、調べるほどに面白い。
僕もチジューカ国立公園の、ミュージアムも兼ねたビジターズセンターには、まだ行ったことがない。
けっきょく、別のホテルでハプニングが生じたというメンバーのほかは全員、さらに他の団体のメンバーも参加してのチジューカ行きとなった。
われらがホテルで、事前にミーティング。
僕が仕切るが、今回の旅でのミーティングというのは、これが最初で最後な感じ。

タクシーを2台、用意。
2台とも、チジューカのビジターズセンターなど知らないと言う。
僕の乗らない1台は、植物園に向かおうとしていた。
僕の方の運ちゃんは、けっこう気が効く。
無線で、本部に問い合わせ。
16年、リオでタクシードライバーをやっているが、そこに客を連れて行ったことはないとのこと。

ブラジルでいちばん使えるガイドブックに記載されていて、こっちは国立公園のウエブサイトも調べているんだけど。
いずれにせよ、今回のリオ環境会議も、いかに現実の目の前の自然と無縁のところで行なわれているかを、象徴している。

せっかく生スラムの前を通ってこちらが解説しても、ファヴェーラツアー参加を希望していた同乗者は身内のおしゃべりに夢中で、聞いていない。
さらに高級邸宅街を上って、リオ天上の熱帯林へ。
タクシーを降りて、ビジターズセンターと「魂の滝」という滝を目指す。

山の森に入ってからの一同のノリは尋常ではない。
こっちもこのコースは初めてのため、地理的時間的把握ができないのが気がかり。

坂田さんと熱帯山林の小径を歩きつつ、語りつつ、撮影しつつのひとときは、よろしい時空だった。
歩く彼女を前から受け、こっちも後ろ歩きしつつカメラを回しながら語り合う。
木の根につまずいて転ぶも、すかさず立ち上がって話は続き、カメラはまわし続けたまま。
こういうのは、はじめてかも。

滝で脱魂・入魂。
14時に約していたタクシーが来ないのにはうろたえるが、少し下山して足を確保できるのがわかった。

さらにばかばかしいトラブルは続くが、とにかく本隊をチェックインするまでも自分の任務として執行。
森に感謝。


6月25日(月)の記 帰宅。

ブラジルにて

昨晩は、リオ国際空港で本隊に暇乞いしてからがまた大変だった。
予想通り、資料類でごっそり荷物が増えた。
すでに一人で運べる量ではない。
それを引きずりながら、まず高いタクシーでバスターミナルへ。

未明のサンパウロ到着まで、ほとんど何も覚えていない。
今回のリオ滞在中の、あらゆる冷房よりも寒いサンパウロに到着。

とても地下鉄で運べる荷物の量ではない。
やむを得ず、タクシー。
ああ出費がかさむ。

して、我が家に到着!!
まどろんでも、浮かぶはリオの混戦のことばかり。
今週末に別のミッションのパラナ行きを組めるか、次回訪日期間を延ばせるか、さらに横浜、鹿児島の上映の検等々、早急に着手すべきこと多し。

まだあの森の余韻が残っている。
思えば、森のなかで蚊の一つにも喰われた覚えなし。
リオの町なかのホテルではロビーでもエレベーターでも、だいぶ蚊に献血させられたけど。


6月26日(火)の記 リオ→サルヴァドール、はるかなるみちのり

ブラジルにて

一日経っても、リオの過労が抜けず。
リオでの11日間のブランク、プラスこれはいたい。

「サルヴァドールの水彩画」のミックスダウン作業の通しのチェック作業に入るが、遅々としてすすまず。
リオでの諸々と、このサルヴァドールの世界の落差が大きすぎる感じ。

パラナにも行かにゃならんし。
相変わらず、リオ混戦の夢ばかり。


6月27日(水)の記 要50時間

ブラジルにて

サンパウロの我が家にたどり着いて、50時間。
ようやくリオでの疲れから抜け出しつつあるのを覚ゆ。
さあ、このブランクをどこまでカバーできるか。

いやな言葉になってしまったが、ようやく「サルヴァドールの水彩画」まとめ作業の再稼動、臨界に達した感じ。
作業の合い間、子どものことで車で街に出る。


6月28日(木)の記 「立場を鮮明にせよ」

ブラジルにて

リオから日本に帰ったメンバーに、facebook上で申し上げることはきちんと申し上げておく。
通じているかどうかは、不明。
この問題を通じて、今回のブラジルミッショングループのなにが問題だったかを自分なりに整理できた感じ。
このグループ、まだ今年中に別の国際会議に参加する由。
「失敗学」をきちんと学んでいただきたいもの。
バンダナ・シバさんが指摘した「日本人のおごり」は、我々自身に多分に投げかけられていることを自覚すべき。

僕の発言の根拠は、マタイ伝10:34のイエスの言葉。
本田哲郎さんの「小さくされた人々のための福音」をひもといてみる。
見出しにこうある。

分裂をおそれずに立場を鮮明にせよ。小さくされたものが平和を生み出す


6月29日(金)の記 ブラジル風イタリア組曲>

ブラジルにて

今晩からのパラナ行きの長距離バスのチケットを昼間、買いに行く。
ターミナルの近くにあるメモリアル・ダ・アメリカ・ラチーナのアート展ものぞく。
ブラジルアートにおけるイタリアの影響を概観した特別展を開催中。

イタリアに留学に行ったブラジル人画家、ブラジルに帰化したイタリア人画家、イタリア移民の子孫の画家と盛りだくさん。
その濃密な関係は、日本とブラジルとは桁違い。
おそらく日本語の情報になっていない、お気に入りの画家の実物にも会えて、感激。
ゆっくり堪能させてもらって、タダですからありがたい。

さあ、延び延びになっていたパラナミッション。
夜バスは冷えるぞ。


6月30日(土) おおいなる大地

ブラジルにて

バスは1時間ばかり遅れているようだ。
北パラナの空が白み始める。
靄のかかる朝焼けの大地に、息を呑む。
人類のあずかり知らぬ、地質学的光景。

今年初めて訪ねるアモレイラの街は、ますますカラフルになった。
そのかげで、貧富のコントラストはますます強まっていることだろう。
堂園シスターに再会。
先方の作業が一段落するのを待つ。

チャペルの前のソファに座り、質素ながら掃き拭き清められた祈りの空間に、姿勢を正す。
あらためて第三部「サマークリスマスのかげで」をご覧いただく。
引き続き、文字用インタビュー。

午後より、フマニタスの佐々木神父が迎えに来てくださる。
ぜひお見せしたいというパウロ・フレイレ入植地にご案内いただく。
あの頃の子供たちが、いい青年に育っていて。

夜、佐々木神父が日本の原発事故問題をイエスに照らして語ってくれた。
これはぜひツイッター等で紹介したい。

まことに、豊かな一日。


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