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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2012年の日記  (最終更新日 : 2013/01/07)
7月の日記 総集編 いつものように幕が開き

7月の日記 総集編 いつものように幕が開き (2012/07/09) 7月1日(日)の記 至福のミサ

ブラジルにて

今日は朝食後にフマニタスを失礼するつもりだった。
ところが昨晩、佐々木神父が朝9時にレクペラソンでミサをたてると知った。
なにか、ありそう。
出席させていただくことにする。

このレクペラソンについては、拙作「赤い大地の仲間たち」では触れていない。
アルコール・麻薬依存症の人たちの更生施設だ。
昨年のクリスマス、佐々木神父はここでのミサにいたく感動したと電話で知らせてくれていた。

フマニタスより、もう少し奥に入る。
20-50代ぐらいの男たちが共同生活をしている。
畑仕事や木工などの作業もたしなんでいる。
朽ちた木を用いた箱庭的アートなど、なかなか面白い。

アルコールと薬物を抜いた男たちは、青年のような活気をみなぎらせている。
佐々木神父はシンプルでわかり安い言葉で語りかける。

聖パウロ、聖ペドロの祝日にちなんで。
教会とは、権威とキンキラに包まれたもでいいのだろうか?
いまの君たち一人一人こそが、教会なんだよ。

ミサ後、神父さんの肩を叩きながらお祝いの言葉を告げる。
「神父さん、止められませんね」。
佐々木神父自身のノリと、参加者の感動が十分に感じられた。
今日の佐々木神父は、入れ墨もあらわな男の聖書朗読という光景をいたく気に入っていた。

日本の人たちに、どれだけこのよろこびを伝ええるか。


7月2日(月)の記 佐々木神父の福音

ブラジルにて

帰路のバス、家出女と軍事警察官がもめて30分近く足止め。
日付が今日になって、サンパウロ到着。

今日は断食しよう。

日本の原発事故と再稼動反対行動について、佐々木治夫神父からうかがった言葉。
本日付ツイッターで紹介したものを、こちらでもお伝えしたい。

「近頃、世界の現状を見ながら、つくづく考えることは、福音宣教は教会の信者数を増やすことでも、熱心な信者を作ることでもないという、皆さんもよくご存じのことです。福音は人間らしさを失ってしまった人たちに、もう一度、イエス様のような人間らしさを取り戻すものでしょう。」
「一つの目的に向かって、行動を起こすとき、一致が生まれますが、理屈をこねたり、教理を振り回すとき、分裂が起こることを、教会の歴史を顧みながら考え直す機会が福島の問題から与えられたことを感謝したいと思います。」
「理屈でも教理でもなく実践こそ、イエス様が教えてくださったことですね。イエス様の教えには理屈も教理もありません。これは教会が作ったものです。」

7月3日(火)の記 やきすそば

ブラジルにて

子どもたちの学校は休みに入っている。
昼は、ヤキソバにしようということになった。
近くの日本食材店に、乾麺を買いに行く。

ブラジル製のヤキソバ用乾麺は、数種類ある。
新たに、見たことのないのが。
手に取ると「やきすそば」とひらがなで表記されている。
ヤキソバのポルトガル語での表記はYAKISSOBAがふつう。
YAKISOBAとすると「ヤキゾバ」と読まれてしまう。

YAKISSOBAのポルトガル語表記から、日本語文化圏に属さない輩が日本語表記のデザインを試みて「やきすそば」が誕生したのだろう。
意外と「焼き酢そば」だったりしてと深読みもしたくなるが、これはなさそう。
亡父は固焼きソバに酢をかけるのが好きだったけど。

世界史のスパンで見て、日本国の加速度的な衰退は明らかと思う。
そんななか、日本文化の新解釈(あるいは誤解)のプロセスを、マージナルな位置で目の当たりにしていく、この気持ち。


7月4日(水)の記 サルヴァドールてふ迷宮

ブラジルにて

「サルヴァドールの水彩画」はすでにマスターテープ製作の段階に入った。
しかしノイズが走ったり、一部の編集データがずれていたり、少しいじりたくなったりで、何度もやり直し。
すでに人智を超えた部分もあり。
今度はOKかもしれないし、まだ何度もやり直さなければならないかもしれない。

まだ他の作業もあるし、いやはや。


7月5日(木)の記 イペー色

ブラジルにて

子どものクラスメートたちが近々、訪れるという。
拙宅は、他人様にお越しいただける状態ではないのであるが。

アパートの床材の、破損・欠損部だけでも少し修繕しようと発念。
どのようにしたらいいか試行錯誤。
今日はペンキ屋に2度、通う。

最初の作戦がはかばかしくない。
ペンキ屋で木材の色のパテがあったのを思い出し、それにトライすることに。
その、もっとも濃い色が欲しい。

色名はずばり木の名。
モグノ(マホガニー)ぐらいの黒茶色が希望。
店にあるいちばん濃い色は、なんとイペーだった。
イペーは宮沢和史さんの歌にもうたわれるブラジルの国花・国木。
黄色、ピンク、白の花が美しい。

(今回、調べてみて、「イペー」は英語名でもあるのが驚き。)
ノウゼンカズラ科の植物で、大木になる。
日本でタヒボという怪しげな名で薬用として売られているのも、イペーの一種、のはず。

イペーは材としても優れているとは聞いていたが、あまり身近にはない感じ。
さっそく手足がイペー色に染まる。


7月6日(金)の記 貼り床の思い出

ブラジルにて

今日は終日、アパートの部屋の床の修繕作業。
考古学徒時代を思い出す。

僕が発掘作業で主に手がけた関東地方の縄文時代の住居址の床面の多くには、「貼り床」という関東ローム混じりの土を固めたものを貼り付けてあった。

(いま、ネット上で調べてみると、この「貼り床」については意外なほどヒットしない。どうやらきちんとした研究も、概念規定もあまりされていないようだ。さすが、日本考古学。)

この貼り床をはがすと、新たな遺構が見つかることもあった。
埋甕とよばれる、おそらく死産児や生後まもなくして死んだ乳児の遺体を納めたとみられる土器なども。
踏むという行為、そして床は、なかなか「奥床しい」。

夕方になって、子どもの友人たちの集いは、旅行に行っているのが多いので、延期にしないかという連絡。
かなりの脱力感。


7月7日(土)の記 ファヴェーラの海ふたたび

ブラジルにて

リオ以来の疲労、さらに二日間の根を詰めた貼り床作業で全身がいたむ。
今日はふたたび、サンパウロ市南のファヴェーラ(スラム街)の海へ。
そのなかの施設での、冬祭り。
妻と娘は朝から手伝いに。
僕と息子は昼から参加。

このファヴェーラの拡がりは、リオの観光ファヴェーラどころじゃない。
まさしく大海の拡がり。

いちおうビデオカメラを準備した。
撮るつもり、撮る体調じゃなかったが・・・。
家族の記録の延長、撮らざるをえなくなり。

ビデオカメラに向けられるヤバい視線を複数、感ず。

取り込み中につき、編集はしばらくカンベンしてちょうだい。


7月8日の記 霧雨の海岸山脈に琉球寒緋桜が咽んだ

ブラジルにて

橋本梧郎先生のお連れ合いを訪ねようとして、なかなか果たせないでいた。
こういうのは思い切って、多少の無理をしなければ進まない。
「水底の滝」の旅の小橋さんと予定をすり合わせて、いざ。
現在は、サンパウロ市から150キロほどの山地の息子さんのところに身を寄せておられる。

わずかに迷っただけで、よくもたどり着いたものだ。
ゆきさん、お元気そうでうれしい。
標高1000メートルの山地。
常に霧雨が舞うという。
庭の花々がまぶしい。
30年ほど前に、この土地を買ってから植えたという琉球寒緋桜が満開。

霧の熱帯林のなかに日本人移民が咲かせた桃色の華。
黒澤も描くことのなかった境地。
まもなく、この土地を離れるという。

移民史が、過去形で語られる日は近い。


7月9日(月)の記 シスターおこし

ブラジルにて

さあブラジル出家まで、あと一週間。
今日から、先日アモレイラを訪ねた際に行なった堂園シスターへのインタビューの書きおこし作業。
21日からの横浜シネマジャック&ベティでの「あもーる あもれいら」三部作上映用自家製プログラムの記事にするため。
今週中に、これの目鼻をつけないと。


7月10日(火)の記 グアルーリョス空港は眠らない

ブラジルにて

夜。
家族の用事で、自動車にてサンパウロ国際空港へ。
街は、夜のラッシュ。
ようやく抜けると、暗い夜道をぶっ飛ばさなければならない。
空港はしょっちゅうだが、自分の運転では、かなり久しぶり。
けっこうややこしい。
駐車場は相変わらずいっぱい気味。

日付が変わってからのフライトがけっこう増えている。
エミレーツ、カタール、南アフリカ等々。
デカセギ相手っぽい日系旅行社の係員を見かける。
未明までチェックインのお付き合いをするのだろう。
他人事ながら、たいへん。

帰路は空いていれば空いているで恐ろしいのが、この国。
いやはや疲れる。


7月11日(水)の記 昼食地図

ブラジルにて

学校が休みに入った子どもと、昼を食べに出る。
我が家の周辺の徒歩圏にも、かなりの数の昼飯を食べさせる店あり。
ちょっと気になっていたが、ひとりでは入りづらかった店を制覇。
意外と食事スペースが広く、きれいにしていた。
飲食を通して自分のなかの地図が濃くなっていくのが楽しい。


7月12日(木)の記 ジャッカルのあの日に帰りたい

ブラジルにて

来週に迫った横浜シネマジャック&ベティの「あもーる あもれいら」三部作上映。
この上映のために自家製プログラムを作ることに。
それ用の新たな堂園シスターインタビューの書き起こしと構成をほぼ終える。

ここいらで気分転換の要を感ず。
日本から買ってきて未見だったDVD「ジャッカルの日」に食指が動いた。
1973年製作・公開。
僕は中学3年生だったが「ジャッカルの日」を試写会だけで3回、観ている。
この映画は中3の映画少年を、虜にした。

数十年ぶりに見直す。
ハッタリのない、重厚なシーンとディテールの行き届いたカットの積み重ね。
ロードムービーとしての面白みもあり。
自分のドキュメンタリー志向の原点は、ここにあった。

当時、覚えた俳優の名はエドワード・フォックスとデルフィーヌ・セーリグ。
改めてデルフィーヌ・セーリグの魅力を味わう。

この記載のために彼女のことを調べてみると・・・
1990年に亡くなっていた。
父親は、考古学者の由。
遺体はモンパルナス墓地に眠るとある。
奇しくも、モンパルナスは「ジャッカルの日」のクライマックスの舞台。


7月13日(金)の記 肉と筆

ブラジルにて

来週、21日からに迫った横浜シネマジャック&ベティの「あもーる あもれいら」三部作上映。
これのための自家製パンフレットは、肉筆手書きのものをコピーするつもりでいた。
お手本誌はガリ版刷りミニコミ誌「あめつうしん」。
PPC用原稿用紙に、まず鉛筆で下書きをしてみる。
あまりに、悪筆。
中学高校時代はガリ版をそこそこたしなみ、大学時代も肉筆個人誌を出していたのだが。
お手本誌と比べると、そのまずさが顕著。
しかも今回はジャック&ベティさんで「あめつうしん」も販売していただく予定。

急きょ予定変更。
Wordでの印字にしてみよう。
自分の原稿より他人様の原稿の方が多いので、こだわりより読みやすさを重視。
Wordって、便利っぽいが、それもロクに使いこなせない私。

7月14日(土)の記 外フェイジョアーダ

ブラジルにて

外食は、けっこうクセになってしまう。
今日は土曜。
ブラジルの食堂でナショナル・プレートのフェイジョアーダを供するのは水曜と土曜の昼のみ。
先日、開拓した近所の食堂にフェイジョアーダを家族で食べに行くことに。

庶民価格でボリュームもたっぷり。
店によるヴァリエーションも面白い。
催促すると、フェイジョアーダに付きもののアルコール、バチーダのサービスもあり。
飲み足りない量だが、国民的カクテル・カイピリーニャを別に頼むといい値段になってしまう。
瓶ビールにしとくか。
カイピリーニャは、うちでけっこうなのが飲めるし。

昼寝をしたくなる満腹感で、夜もまだ引きずる感じ。
あわただしくない土曜には、悪くないかも。


7月15日(日)の記 ジャポン祭り幻視行

ブラジルにて

7月の三日間、サンパウロの恒例となった日本祭り。
ここ数年、この時期の訪日が重なり、ご無沙汰していた。
明日のブラジル出家を前に今年も立て込んでいるが、ぜひ行きたい事情が。

ブラジル日本都道府県連合会が主催で、各都道府県人会がブースを出して郷土色(もどき)を販売しているのがミソ。
たとえば僕あたりにはイタリア料理の地方差まで看取できないが、大半のガイジンにとって日本料理のそれはわかるはずもない。
それでいて、ヤキソバみたいのを郷土料理として販売してブラジル人が長蛇の列を作っているのが泣かせる。

最終日、好天の日曜ということもあり、リオのピープルズサミット以上の混雑率。
会いたいと思っていた複数の人に会える。
二度と顔も見たくないのも見かけるが。

祖国が沈んでいくなか、ジャポンというだけでこれだけ人が集まるというのは、日本のサブカルチャーの力なんだろうな。

本日参上の理由は、ブラジル映画・邦題「汚れた心」の試写会があるから。
日本から有名な俳優陣を招いて、ブラジル人製作スタッフがブラジル日系社会の勝ち負けテロ事件を描いた映画。
14時開始というのが16時だったり、席の仕切りがでたらめだったりするが、映画そのものは想像以上のいい出来。
この問題を描いた映像作品もいくつかあるが、日本人がつくってきたものどもより、はるかにいい。
昨今の日本ブラジルがらみの映像作品は、ノーコメントとしかいいようもないのばかりだったが、これはだいぶ違うぞ。

そして、この作品に感じる息苦しさ。
イーストウッドの「硫黄島からの手紙」、若松孝二さんの「実録・連合赤軍」に通じるものだ。
仲間を含めた、他者のいのちを大切にしない→死まで強要する日本人集団の特性、ないし狂気がよく描かれているに他ならない。
我々日本人は、負の遺産もいさぎよく、ガイジンの手を借りずに人類の共有として昇華していこうではないか。
ヤキソバだけじゃ、もったいないぞ。


7月16日(月)の記 アモレイラ通信

ブラジル→

本日午後、サンパウロ出家である。

今回まとめたアモレイラの堂園シスターのインタビュー原稿を、ご本人に目を通していただきたい。
これが一日仕事となった。

詳細は省く。
電話、ファックス、郵便、メール。
あらゆる方法を使い、それぞれ一筋縄ではいかず。

サンパウロ国際空港から搭乗前の電話で、ようやくOKをいただく。
日本まで持ち込まずに済んだ。
やれやれすっきり。

今日の教訓。
こういうのは、とにかく早めに動くこと。
複数の通信手段は用意しておくこと。
確認はしつこく、怠らないこと。

それにしても、ファックス送信なんて何年ぶりだろう。
これだけでもウン時間かかったな。
先方はずっと話し中。
しびれを切らせて確認電話をすると、受話器がビミョーに外れてたとか。
けっきょく送信はNG。
いまさらファックス機をメンテに出したり買い替えたりは、さすがにちょっと…


7月17日(火)の記 秘すればバッハ

→アメリカ合衆国→

ニューヨークまでアメリカン航空、それからJAL便に乗り換え。
都合、5本の映画を見る。

心地よい驚きは、原田眞人監督「わが母の記」の音楽。
伊豆の山里の風景にバッハが流れる。
これ、絶妙。

外国映画でバッハを巧みに使用した映画は何本も挙げられる。
邦画では…
日活ロマンポルノの、団地妻モノあたりにあったかと記憶する。
これも悪くなかった。

「あもーる あもれいら」の取材したシーンのなかに、堂園シスターが子どもたちにヨーヨー・マの無伴奏チェロ組曲を聞かせて好きなことを言わせるというのがある。
これという盛り上がりもなく、初期の段階でカットしたけど。

けっこう僕の頭ではバッハの流れているシーンが少なくないかも。
秘すればバッハ。


7月18日(水)の記 ババーとガイジン

→日本

機窓から、なつの房総の水田と里山。
ここちよいみどり。

シャトルバスとタクシーで、目黒の実家へ。
駒沢通りにヨーヨーをぶらさげるねーちゃん、浴衣姿のねーちゃん。
おう、今日まで祐天寺の、みたままつり・盆踊り大会だ。

まずは実家で武装解除、急ぎの連絡等。
お寺に繰り出してみることにする。
サンパウロのジャポン祭りをしのぐ若者の密度。
21時までのようで、まだ盆踊りもやっている。

ラスト近くに相馬盆唄、というニクい選曲。
フィナーレは、東京音頭を2回。

踊りの輪を見つめると…
ババーと…ガイジンが目立つ。

ああ、東京音頭。
拙作「60年目の東京物語」。
訪日した主人公の森下妙子さんが音頭を取り、姉の家族と「浦島太郎」を歌うシーンがある。
あの時、現場ではみんなで「東京音頭」を踊ったっけ。
「浦島太郎」と「東京音頭」の両方、番組に盛り込むわけにはいかず、浦島を選んだっけ。
むずかしいチョイスだったな。


7月19日(木)の記 まったり平均律

日本にて

まずは急ぎの郵便物。
ジャック&ベティでの上映開始は明後日、猶予はない。

劇場に打ち合わせに。
小林副支配人にお世話になった自家製パンフレットの出来のすばらしさに息を呑む。
おかげさまで、想定をはるかに超える装丁となった。
内容は、濃すぎるほど。

絵と文で、絶妙の作品紹介を綿密に書きおろしてくださった、劇場近くのカフェ・まったり屋のクマ子さんにごあいさつに。
http://www.age.cc/~neopapa/mattari/index.html
作品から想像していた感じとは、だいぶ違う。
お店の雰囲気が、これまた絶妙。
昭和時代かと思わせるお値段400円という冷やし中華と、アイスコーヒーをいただく。
一杯のアイスコーヒーのために、わざわざ豆を挽いているではないか。
生きることの希望を感ず。

ジャック&ベティに置かれている無料の「毎日クマこの映画がイッパイいっぱい」を先回、手にした。
この表現方法に打たれて、小林さんに「あもれいら」を書いていただけるか打診してもらった次第。
何度も拙作をご覧いただき、推敲を重ねていただいたのがよくわかる。
僕が作品に込めたメッセージを、実に丁寧に発酵させて、開花させてくれた。

帰路、学芸大学駅から徒歩30秒という喫茶店を10分ぐらいかけて探す。
先月、リオでお会いした人がフェイスブックでこのお店のことを紹介していた。
店の名は「平均律」。
伊豆の山里が香る。
店内で福林春乃展「扉tobira」開催中で、これまた大きな収穫なり。
www.heikinritsu-cafe.com

訪日草々、こんなに盛り沢山な出会いをいただけるとは。


7月20日(金)の記 サイカドーハンタイと移民も叫ぶ

日本にて

行こうと思えば行けるのに、これに行かないのは恥ずかしい。
所用を繰り合わせて、金曜夜恒例となった首相官邸前抗議アクションに向かう。
国会議事堂前駅は当局によって出口を封鎖される由。

田園都市線沿線から、そのまま半蔵門線で永田町駅で降りることにする。
途中からプラカード類を持った人が、続々乗ってくるかと思いきや…
まるでそれっぽい人が見当たらない。
電車も駅のプラットホームも、ゆるい人の出。

自分の業務以外の眼中になさそうな人、花金フィーバーでウキウキな感じな人。
おいおい、今にも大地震が来るんだぜ。
もうひとつでも原発事故が起こったら、この国はアウト。
それを防ぐために、何ができるか。
子孫にも、祖先にも恥ずかしくないように。


7月21日(土)の記 いつものように幕が開き

日本にて

映画「牛山純一」の藤本プロデューサーが、メールで二度、葉山の神奈川近代美術館で開催中の松本竣介展を強くすすめてくれた。
明日22日まで。
葉山となると、電車だけでは行けない。
それに「あもれいら」の上映に加えて「牛山」のゲストトークの聞き手という大役もある。
しかし、これだけすすめてくれるには…

休息は電車内でとることにして、思い切って今日の上映開始前に葉山を目指す。
まずは金沢八景以降の車窓の里山に癒される。
展示は、必見だった。
絵画から勇気をいただく、という稀有な体験をする。
こういうものをすすめてくれる知人のいるありがたさ。

ジャック&ベティは同じ京浜急行沿線で、便のいいこと。
今日のゲストは、映像記録時代の先輩、熊谷博子さん。
熊谷さんは僕を一人芝居じゃなかった、ひとり取材に導いてくれた恩人。
そのことを伝えると、ご本人は忘れていた。
本人が知らないところで、人から拝まれている人って、かっこいい。
うらまれてる奴はうじゃうじゃいるが。


7月22日(日)の記 アウエー即ホームグラウンド

日本にて

今日の「牛山純一」ゲストは、売れ筋監督の松江哲明さん。
僕は今年の下高井戸で松江さんの作品を見に行き、トークも拝聴したが、お話しするのはこれが初めて。
昨晩の熊谷博子さん相手とは、だいぶ勝手が違う。
お客さん、松江さん、藤本プロデューサーの三者のソコソコ満足度を目指すには、どうすべきか。
いやはや。
松江さんは引き出しが多く、直球もへたな変化球も死球もソツなく打ち返してくれて、まあ好ゲームだったかと。

その後はこっちの「あもれいら」生トーク。
アウエーの血戦のあと、即ホームグラウンドで背水の陣の戦に挑むようなもの。
いやさけっこう消耗するが、懇親会まで付き合ってくださる皆さんに癒していただく。
ありがたい。


7月23日(月)の記 ブラジル移民のひとり舞台

日本にて

プライベートなことどもを経て、黄金町へ。
さあジャック&ベティ「あもーる あもれいら」上映と生トーク。
二日続いた「牛山純一」のゲスト相手の聞き手を終えて、今日から一人舞台だ。

常にある程度その日に話すことを想定しておくが、自作を皆さんと見ながらどんどんトーク内容をつくり変えていく。
今日は特に、自分でも意外な話をしてしまった。
今晩のが、なまトークのひとつのピークかも。


7月24日(火)の記 昇天トーク

日本にて

根津の弥生美術館へ。
「大伴昌司の大図解」展。
http://www.yayoi-yumeji-museum.jp/
常設展にしていただきたい内容。
僕の原点のある程度の部分は、大伴ワールドにありそう。
大伴さんが日米開戦前のメキシコで幼年時代を過ごし、遺跡に慣れ親しんだというのが面白い。
この巨人が30代にして夭折されたのは、まことに残念。

知人と劇場近くの喫茶店で少しお話をしてから、ジャック&ベティへ。
上映四日目。
連日、その日のトーク内容の概要を事前に練っておいてある。
しかし上映を一緒に見ながら、どんどん内容を変えていく。
今日は思わぬ話をしてしまった。
ときどき話したことはあるが、文字にはしていないことども。
いずれにしろ、もはや後には引けないぞ。


7月25日(水)の記 アートの出会い 出会いのアート

日本にて

「あもれいら」連日の上映を消化しつつ。
来たる土曜からの「森一浩展」関連上映、ならびにブラジルに戻ってから即、着手する予定の「リオ フクシマ」の編集準備作業に入る要あり。

日中、世田谷鶴巻の向井潤吉アトリエ館で友人と待ち合わせ。
http://www.mukaijunkichi-annex.jp/main_j/index.htm
アクセスには難儀したが、すばらしい空間。
作品が、アトリエのパーツになっている。
向井潤吉については意外なことをいくつも知る。

恒例になったジャック&ベティ上映後の懇親会。
チラシにコメントを使わせていただいたラテン映画配給の比嘉さんが参加してくれる。
酒席のツマミに、先月のリオでの珍プレー話を披露。
なんと次回作「リオ フクシマ」の主人公になるであろう坂田さんとこの比嘉さんが、高校の同級だったとのこと!
しかも二人でバレー部を切り回していたというではないか!!

いやはや、これは想像だにできない奇遇。


7月26日(木)の記 まったりするこころ

日本にて

日中は私用であちこち回る。
ジャック&ベティの上映も、明日までとなった。
上映前に劇場近くの「まったり屋」さんに寄る。

二日前に来た時は、私語もはばかるほどお客さんがみっちり入っていた。
今日はちょうど他の客がいないので、店主のクマ子さんとお話をすることができた。
本日のメニューにある、冷やし汁かけうどんとトッピング乗せご飯のセットをいただく。
ご飯のトッピングは刻みキュウリの昆布のねばねば和え。
冷やしかけ汁うどんにもキュウリ、そして枝豆、ミョウガ等々。
みどりが涼しげで食欲を誘う。
これほど心のこもって繊細な手作り料理は、訪日して初めて。
しかもセットで500円である。

まったり屋さんには一昨日もお邪魔した。
そこそこ落ち込んでいたが、お店にあった「まったり屋 道楽日記2010」を読んで共感とともに励まされた。
道楽。
道を楽しむ。

今晩の上映と生トーク、そして懇親会に挑む力をいただく。


7月27日(金)の記 三位一体上映

日本にて

今日は、プライベートもヤマ場。
夕方、横浜黄金町へ。
いよいよジャック&ベティ「あもーる あもれいら」一週間にわたる連続エンドレス上映の千秋楽。

ラストトークでは、映画館と作り手と観客の三位一体という喜びを語るつもりだった。
が、師の牛山純一にも触れたくなり、「ブラジルの心霊画家」がらみで牛山さんを少し語る。

最後の懇親会は、お馴染みとなった階下の聚香園。
再稼働反対クラゲの酢の物、ナスのあつあつ土鍋炒め、ロックの紹興酒も恒例。
今日はまことに多彩な顔ぶれとなった。
時間が限られ、スペースの都合で岡村が移動してひとりひとりとお話ができなかったのがちょっと残念。

おかげさまで、まことに貴重な一週間だった。
夢よもう一度。


7月28日(土)の記 マクラザキ サルヴァドール

日本にて

日本到着日に指定のとれた一番早い「ひかり」で日本列島を南下。
新大阪で「さくら」に乗り換え、鹿児島中央駅からバス。
移動中に身心を休める。

みたびの枕崎。
ホテルにチェックインする時間もない。
明日から開催の「森一浩展」前夜祭で、岡村の友情上映。
このイベントに合わせてまとめた「サルヴァドールの水彩画」の世界初上映である。
会場は焼酎白波で知られる薩摩酒造の花渡川ビアハウスにて。
大きめのテレビモニターでの上映だが、観客数は130人を超える。
関係者の尽力の賜物だが、街頭テレビ状態。

あくまでも主役は森さんということで。
森さん、枕崎を離れた人たちにご覧いただくのが楽しみ。


7月29日(日)の記 ちゃんサネ洞窟ライブ

日本にて

今日は鹿児島枕崎で「森一浩展」のオープニング。
サブタイトルは「ブラジルから石巻から枕崎へ」とちょっとわかりにくい。
ちゃんサネさんは枕崎出身のマルチ芸能人で、ジャズマンでもある。
森さんが、ちゃんサネさんと石巻BROTHERSの石巻義損ライブ活動に心を動かし、自分の作品展の前夜祭とオープニングでのライブ演奏をお願いした、らしい。

オープニングセレモニーのテープカットの後、ちゃんサネさんらのライブとなった。
会場に並ぶ森さんの絵を見た感想を即、音にするという趣向。
打ち合わせなしのちゃんサネワールド。
これは面白い。

森さんの作品に洞窟性を感じていた。
ヨーロッパの旧石器時代の洞窟壁画遺跡では、演奏も行われていたらしい。
そのノリが再現される。
http://love.ap.teacup.com/cyan/

午後のこっちの上映は、規模はコンパクトだが、十二分の手ごたえ。
夜の懇親会で、ちゃんサネさんの隣の席となったが、移民ギャグで一目置かれていたオカムラ現場監督も、たじたじタジマハール。


7月30日(月)の記 島唄

日本にて

鹿児島枕崎からバスで鹿児島中央駅へ。
つづいて九州新幹線で新鳥栖まで。
長崎本線に乗り換え、終点の長崎へ。
大波止港まで荷物を引きずって歩く。
フェリーにて伊王島へ。

今年、アモレイラから日本に戻られたシスターを訪ねて。
真夏の光にうだる島の港で、シスターが出迎えてくれた。
「あもーる あもれいら」完結編をご覧いただくのが目的。

ミュージシャンの宮沢和史さんは、沖縄で出会った一人の女性のために、あの「島唄」をこさえたという。
修道院が予約してくれた宿のテレビに、東京から担いできたポータブルDVDデッキをつなぐ。
シスターと二人で鑑賞。
シスターはポルトガル語で歓声を上げ、堂園シスターのことばに拍手を送った。

ようやく「あもーる あもれいら」シリーズを「成仏」させた思い。


7月31日の記(火)の記 ナガサキ オカヤマ

日本にて

長崎の島の夏。
台湾を通り越して、フィリピンを感ず。
遠藤周作を読み返したくなる。

北上開始。
岡山。
城下地区のシネマ・クレール。
ヘルツオークの「世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶」にようやくありつく。
ブラジル移民を入れて、観客は3人…

パンフレットを買うと、原発の写真が。
作品はショーヴェ洞窟から30キロという原発で結末を迎える。
ヘルツオークのナレーションで語られることが本当だとしたら、原発を存続させる余地はまったくない。

橋本梧郎、中隅哲郎の両先達を語れる友と再会。
夜行ぎりぎりまで歓談。


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岡村淳 :  
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