12月の日記 総集編 日本時空旅行 (2012/12/03)
12月1日(土)の記 アナスタシアとデニソヴァ ブラジルにて
今日一日は完全に、時差ぼけに身を任せてでれでれとさせてもらう。 飛行機のなかから読みふけった「アナスタシア」(ナチュラルスピリット)を読み終える。 中部大学の上映にゲストとしていらしてくれた人からいただいた。
シベリアのオビ川沿いに交易船を出す企業家が出会った妖精のようなナゾの美女アナスタシアが伝える英知の数々。 すべて実話、ノンフィクションとのこと。 まことに不思議な話。
地図帳を引っ張り出して、オビ川のあたりを眺める。 ナゾの少女の骨が発見された南シベリアのデニソヴァ洞穴とは、ある程度かぶるのだろうか。
12月2日(日)の記 師走の綱渡り ブラジルにて
次の訪日が迫っている。 気を引き締めて、こっちのファミリア訪問の寸暇に作業再開。 まずは「リオ フクシマ」のナレーション原稿の再チェック。
さあ、もう一作品あるぞ。 師走の綱渡りだ。
12月3日(月)の記 リオフクシマヒロシマナガサキカマクラ ブラジルにて
時差ぼけ状態のまま、深夜よりビデオ編集のお仕事。 「リオ フクシマ」の仕上げがメイン。 さらに11月に鎌倉で撮影を依頼された、在鎌倉の広島・長崎の被爆者の方々の証言をまとめることになった。 「リオ フクシマ」がこちらの録音スタジオでのナレーション録り待ちの段階に入った。 編集機が空いているうちに「被爆の記憶 鎌倉からの証言」(仮題)の素材取り込みとイントロの編集に突入。
毒抜きのため、今日は断食。 明日に予約していたスタジオ録音は、先方の都合で明後日に延期。 いやはや、よく働いてしまった。 家族の夕食もこさえる。
12月4日(火)の記 原子炉撤廃は家庭から ブラジルにて
こっちでreatorと呼んでいるのは、日本ではなにになるんだろう。 辞書やネットで調べると、ずばり「原子炉」になってしまう。 照明機器の備品で、プラスマイナスのコードをソケットに差し込むよう変換するパーツである。 コンバーターというのかな?
わが家の居間の電気が、留守中につかなくなっている。 数ヶ月前にこのreatorを換えてもらったばかり。 新しいランプに変えてもNG。 団地のメンテの人に来てもらう。 アフロブラジリアンの二人。
未使用のはずのランプが壊れていて、reatorも焼けているという。 こちらがパーツを買って、また来てもらうことに。 どうもreator、クセモノである。 照明器具屋で、これなしの一式を買ってみる。 すぐに壊れたのも、気づいたら壊れていたのも、今度買おうとしているのもどれもこれも中国製。
アフロブラジリアンの、さっきの子分格のがひとりで来る。 そもそもこっちには恥ずかしながら原理がよくわかっていない。 こんなの付けられるかよ!とののしられ続けている感もあるが、ぐっと耐える。 まあ、電気はついた。 原子炉廃絶には、忍耐も必要。 以前より暗いが、ないよりまし。 電気なしで済ませていた留守家族も、なかなか。
その前後、今日も未明から、えらく仕事をしてしまった。 日本での段取りもすすむ。
12月5日(水)の記 イピランガ録音 ブラジルにて
イピランガの録音スタジオでのナレーション録り、4本目。 先方の都合で午前8時半からとする。 日本映像記録センタースタッフ以来の30有余年の録音作業、これだけ早い時間の開始ははじめてかも。
新たなシステムを導入とのことだが、それに伴なうトラブルも多し。 このあたりは電気のreator系同様、相手に任せるしかない。
家に戻り、さすがにぐったり。 素材チェック等、後まわし。
夜は、カニのパスタづくりに挑戦。 まあまあのセンか。 沖縄で食べたあの妙味には至らず。
12月6日(木)の記 時差ボケの効用 ブラジルにて
未明に作業開始。 「リオ フクシマ」のナレーションの音合わせ。 少しカットを詰めたり、ナレーションの文章の順番入れ替えもあり。
日中は酷暑。 日没後も酷暑。 これは日の出前に稼ぐに限る。 時差ボケをそのまま活用できるわ。
「早寝早起きの健康の大原則を愚直に守ること」と肥田舜太郎先生も薦めておられるぞ。 それより先を行っている感じ。
12月7日(金)の記 選挙 ブラジルにて
まったく、祖国日本を滅亡から救うのは、天災と外圧か。 このタイミングのどうやら死者ゼロという震度5弱、津波。 神風という言葉を思う。
在外日本人として、投票に行く。 こっちの投票受付けは8日まで。
いまだに鉛筆で書いて、二重に封をした速達封筒を日本国の領事クラスが手荷物として飛行機でブラジルから日本まで担いで行って投函、というアナログというよりアナクロの選挙。 今回は東洋人街の日伯援護協会が会場。 動員者の数がすごい。 投入される日本国民の血税も相当なものだろう。 祖国からの最期の授産か。
ついでに外回りの用事をいくつか済ませて、自宅編集作業に戻る。
12月8日(土)の記 おとあわせ ブラジルにて
「リオ フクシマ」のナレーションあて、ベースの作業を終了。 少し寝かせて、「鎌倉の被爆者」の方の続きの作業を明日、未明から行なうか。 機材の無事を願うばかり。
ヒトの方は、とりあえず持ちそうだ。
昼はすき焼きのリピート、夜はホットドッグ。
12月9日(日)の記 パステル合戦 日本にて
日本ではむずかしいものを、なるべく食べておこうという方針で。 昼は、路上市のパステル(ブラジリアン揚げ餃子)でいこうと。 なじみの店の他に、サンパウロ市パステルコンペ第2位というパステル屋も出ていることを発見していた。 こちらを試してみる。
種類の多さには目をみはる。 具は、たっぷり。 付きものの、サラダやヴィナグレッテと呼ばれる野菜類を刻んだものもいただいておく。 これはキャベツの芯ばっかし。 これに関しては、なじみの店の方に軍配。
数日前に行った東洋人街のパステル専門店、これもコンペ優勝だかのふれこみだった。 この店は高いばっかしで、皮といい、具のメルトダウン具合といい、審査員との著しい嗜好の違いを感じるばかりであった。
ま、いずれにしても日本にまで行っていただきたいシロモノではない。
終日ビデオ作業。
12月10日(月)の記 断食収め ブラジルにて
今日も、一日断食をしておく。 おそらく、今年最後。
「リオ フクシマ」少し寝かせて一気に仕上げに向かう。 むむ、やり直しが続いてしまう。
日中、家族の件で自動車を繰る。 ついでに、しばらく飲めないお気に入りのアルコール類を買い込んでおく。
サンパウロは酷暑の折ゆえ、機材の放つ熱もなかなか。
12月11日(火)の記 めがあがる ブラジルにて
日本の母が、眼を根を詰めて使って疲れきることを「めがあがる」と言っていた。 ググッてみたり、広辞苑を繰ったりしてみるが、「上がり目」系の言葉はあっても、眼精疲労系の使用例が見当たらない。 あれは母の造語か、東京圏の方言か。 またナゾが増える。
「リオ フクシマ」の仮マスターテープ制作に向けて、まさしく、めがあがる。 せっかくダビングしたテープにノイズが走る。 やり直し。 見逃していた映像の乱れ、音声の乱れに気づく。 やり直し。 どうにも、あずましくない。 やり直し。
ひえ~・・・
12月12日(水)の記 自虐編集 ブラジルにて
「リオ フクシマ」、この期におよんでいじりたいところがいくつか出てきた。 いじる。 日本持参の仮マスター、作り直し。 ふたたびノイズ等をチェック・・・
もう焦りを超えて、清明な境地に達しつつある感すら。
12月13日(木)の記 Wara Wara ブラジルにて
開催中のブラジル映画回顧上映で、ぜひ観ておきたい作品を日にちを間違えて見逃してしまった。 そもそも自分の映像の方で追いまくられていたのであるが。
今日、所用でダウンタウンに出るついでに、レアものを思い切って観ておく。 第1回ボリヴィア映画祭。 居酒屋の名前ではない。 スペイン人が侵略して来た頃の、アユマラ族の王妃の名前がWara Wara。 1920年代にボリヴィアで撮影されたサイレント映画をヨーロッパ、南米諸国の援助を得て修復したもの。
スペイン軍を避けて王妃ワラワラはアンデス高地の洞窟に潜み続ける。 出会ったスペイン兵士との恋。 インディオ役の人たちは、北米インディアンのようなたくましい人ばかり。 肝心なワラワラだけが、白系の女優なのが、残念。
それにしても80年以上前にボリヴィアでこうした映画を作って、それがサンパウロでほいほいと見れちゃうことがすごい。
12月14日(金)の記 蜘蛛巣城 ブラジルにて
自分が映像的に、出がらしになった感じ。 訪日を控えて、名匠のマスターピースで少しは肥やさなくては。 ポルトガル語字幕が助かる、黒澤明「蜘蛛巣城」DVDにて鑑賞。 これを踏まえておかないと、「影武者」「乱」はきっちりと語れないな。 どうして黒澤さんはこんなにこれらに傾倒してしまったのだろう。
12月15日(土)の記 ブラジリアン逆ギレ ブラジルにて
ブラジル出家前日。 あわただしい、のひと言。 この期におよんで、午後より子どもの稽古ごとの発表。 近くの大学のホールが会場。
14時開始予定、それに遅れないよう撮影準備をしてかまえる。 開始が遅れること1時間50分。 「リオ フクシマ」より長い。 大サンパウロは、タイムイズマネーの大都市。 しかも師走、最大のフェスタ・クリスマスの直前である。
主催者は詫びるどころか… 今日はあんたがたは大事な家族のために十分、時間を空けてあるはずだ。 いつ始まるのか、順番はどうなっているんだなど、いっさいスタッフに尋ねないでもらいたい。 雨で音響設備の到着が遅れてしまった。 そもそも12月分、先払いの1月分の月謝を納めていない生徒、今日の参加費を払っていない生徒もいるではないか。 すぐにでも未払い分を払ってもらいたい。 こっちは自腹を切ってここを借りているのだ。 しかも朝早くから重い機材を担いで準備をして…
屋外でのイベントでもなく、レインフォレストの地でこの程度の雨をエクスキューズにされてたんじゃあ… これだけ逆ギレされても、にくめない代表のキャラは見事。
子どもの出し物が終わって早々に引き揚げると、街は大停電、長い。 土曜のせいか、ラジオはお気軽で、さんざんダイヤルをまわしても、この見渡す限りのブレイクアウトのニュースを流していない。
ヤバい選挙予想結果が伝えられる祖国と、このブラジルと…
12月16日(日)の記 地球彷徨 ブラジル→アメリカ合衆国→
早朝、サンパウロを出家。 今回のチケットは、こちらのJALにカネを払ったもの。 取れたのはアメリカン航空ニューヨーク乗換えで羽田に行くはず、の便。 ニューヨークからはアメリカン航空運航のJALとの共同運航便。 これはニューヨークでの接続時間が1時間半未満である。
アメリカでの入国審査、手荷物ピックアップと通関、再入国とボディチェックがあるため、そうとうきわどいコネクションである。 そもそも今日の便も出発遅延となるが、ニューヨークからの便も遅れるので問題ないとアメリカン航空のスタッフに言われる。
ニューヨーク行きは到着が1時間遅れ。 着陸後にそれらしいおばさんに聞いて渡されたのは、緊急接続の赤紙ではない。 なんと、ニューヨークからロンドン、ロンドンから成田の便のチケット。 大回りのコースに振り替えられたのだ。 夢にも見ない、ロンドン行き。
到着が一日遅れるため、急いで日本で約束をしている人に連絡をしなければならない。 荷物をニューヨークでピックアップして新たなタグに張り替える時も、ロンドン行きに搭乗する時も、まるでこっちの手落ち、こっちが悪いような屈辱的な扱いを受ける。 日本というぬるま湯を出ると、アメリカでのジャップの扱いは、こんなもんか。
12月17日(月)の記 鏡のはかば →イギリス→
夢にも見なかったロンドンへ。 さすらいの航海、先に立たず。
ロンドンから英国航空で成田へ。 機内映画が、意外としょぼい。
英国航空で、ただ一本、上映されていた日本映画はなんでしょう? それは、ひみつ。 ひみつのアッコちゃんでした。 「鏡のはかば」という言葉に魅かれる。
「リオ フクシマ」以来、鏡を意識するようになった。 わたしは、鏡。
12月18日(火)の記 身近なアメリカの暴力 →日本
午前中の成田に到着。 BA(ブリティッッシュエアウエイズ)が呼び出し人・オカムラジュン様と掲示している。 名乗り出ると、荷物のタグが羽田になっていたので、とのこと。 ニューヨークですべて、アメリカン航空の職員に命じられて僕自身が張り替えている。 不審。
大きい方のスーツケース、両側のカギの部分がアメリカのインスペクションの白いガムテープでぐるぐる巻きにされている。 これまでもアメリカのトランジットでロックを解除されていることは何度かあった。 今回もニューヨークでトランジット時に当局がロックを解除して、補強にガムテープを巻いたのだろうぐらいにみた。
目黒の実家に到着。 カッターでガムテープを切って剥がして愕然。 ロック部分が両側ともこじ開けられて完全に破壊されている。 二度と使用できない状態。
今回はJALグローバル空港のメンバーとしてサンパウロのJALで発券・購入しているし、そもそもJALのコードシェア便だった。 サンパウロで荷物を預けるとき、アメリカン航空(AA)からはお決まりの手荷物を誰がいつ、パッキングしたか、危険物はないか等々は尋問されているが、ロックをしているとアメリカ当直に破壊されるリスクがあるといった説明はまったくなかった。 JALで電話をたらいまわし(かけ直すのは「お客様」)され、荷物を最後に渡したBAに電話をされたし、とのことで、電話を聞くとインターネットで調べるので時間がかかるといい、確かに時間がかかった。 ようやくBAの担当につながると、今日か明日に返答とのこと。
到着早々、ここまでで大変な時間を使用、かつ消耗。 そもそも気分が悪い。 けっきょく本日中にBAからの連絡は、なし。 不快な思いは、大切な明日に持ち越される。
12月19日(水)の記 双子誕生 日本にて
朝から、東京大久保のビデオ編集スタジオ・ビデオウォークさんへ。 「リオ フクシマ」「被爆の記憶 鎌倉からの証言」2作品のマスターテープ制作作業。 通常はスタジオの渡部さんと僕との二人の作業。 今回は「鎌倉」の製作依頼人、「鎌倉で映画とともに歩む会」の藤本さん他の立ち会いとなる。 奇しくも2作品とも核と日本人についての作品。 同じ日の誕生の双子である。 二卵性双生児だろうな。
プライベートの方の懸念事項もなんとかクリアー。 さあ、行かう。
12月20日(木)の記 冥府縦断バス 日本にて
多磨霊園へ。 これまで家族・親類の運転する車で行くことが大半。 公共機関でのアクセスをきちんと覚えていない。 ネットで調べると、墓地のなかを縦断していくバスがあるようだ。 知らなかった。 なんだか新。 深大寺の鬼太郎茶屋と結ぶ路線も欲しい。
西武線多磨霊園駅前で、長時間停車を続けるバスに乗る。
死の、豊かな世界へのアクセスのチャンス。
12月21日(金)の記 一陽来復 日本にて
日本は、冬至。 一説に、マヤ暦による最後の日。
秋葉原からいったん祐天寺に戻り、下北沢へ。 「リオ フクシマ」の関係者にお集まりいただき、内輪のお披露目上映会。 クレーム、ブーイングもなく、やれやれ。 黙っていても、こちらの意図をさっそく見抜いてくれる人がいるのがうれしい。 しばらくプライベートに専心するため、この作品は少し寝かせて発酵させるつもり。
12月22日(土)の記 いち観光客として 日本にて
早朝、東京の実家を出発。 新幹線でまずは新神戸下車。 鉄人28号と三国志で町おこしを図る新長田へ。 JRの駅員にロッカーの場所を聞く。 残箱わずか。 日本で買ったキャリングバッグだが、通常サイズのロッカーに入らないではないか。 大型のロッカーはない。 近くの売店の人に聞くと、地下鉄の方に行けばあるかも、とあいまい。 時間がない。 ガラガラと引きずって、原寸大18メートルの鉄人28号増を目指す。 案内表示には、南側の信号を渡り、西側の白いビルの裏とある。 知らない場所に来て、東西南北を把握できる人がどれだけいるというのか。 白いビル、もどれが白だかわからない。
神戸市の観光調査員のアンケートを受ける。 向う側のチョイス。 土産、食事にいくら使う予定かなどのアリモノの質問にのみ答える形。 ロッカーの件など、観光客としてのナマの声を伝えるが、それが書かれる気配はない。 調査員の人はいい人なんだが。 ついで宝塚まで出るが、ロッカーを2か所ハシゴ、大型はあっても空きはない。 罰ゲーム状態で引きずって歩く。 こちらも目的の場所までの駅からの徒歩所要時間、案内もかなり不親切。
新大阪に出て、山口へ向かう。 荷物を考慮した工程を組まないと。
12月23日(日)の記 ヤマグチ フクシマ 日本にて
山口市内を、荷物を引きずりながら歩く。 こじんまりとした、山の迫る、あまりひと気のない県庁所在地。 福島を思い出す。
鉄路、岡山に戻って四国島に渡り、愛媛どまり。 伊方原発近くが震源の、震度3の地震があったばかり。 このあたりは阪神淡路大震災の時も相当に揺れた由。 メメント・モリ、メメント・天災。
12月24日(月)の記 道後道断 日本にて
松山市内をざっと観光。 神州最古の温泉とされる道後温泉は、白鷺が発見のきっかけとか。 山口の湯田温泉は、白狐が発見のきっかけの由。 白い動物と、温泉発見に因果関係ありや。 白蛇の湯、ありや。
秋田の縄文の大遺跡の高台の下には、いまも温泉がこんこんと湧いていた。 縄文の温泉遺構ありや。
松山駅から再び鉄路。 京都到着。 在京の友と旧交を温める。
12月25日(火)の記 雅断絶 日本にて
ネットで見つけた京都御所前のホテルは、なかなかよろしい。 しかもこっちの予算内の価格。 御所の東の山並み、冬の日に白みて、いとあはれなり。 手ごろな庭園まであり、他の観光客のいないぜいたくさ。
相当ユニークな、知恵熱でも起こしそうな組み合わせのコースを回る。 一般的なのは、銀閣寺ぐらいか。 哲学の道を好んだ20代を、ふと思う。 当時は、西田幾多郎をひも解くことはなかったけど。
そういえば、雅(みやび)という京都限定販売の煙草があった。 いま、本稿を書くにあたって調べてみる。 1978年から1987年までの生産販売だったことを知る。 禁止してくるものへの反発から、こっちが少し煙を吹かした時期と重なっていたとは。 さほどのサウダージ(郷愁)も感じないが、そんな時代もあったとさ。
12月26日(水)の記 冬枯れの関東を 日本にて
昼は世田谷で、夜は土浦で親しい人たちと会食。 親しい人・友がいると、あったかい。
常磐線の車窓から、冬枯れの北関東の里山を見やる。 さ迷い歩いてみたい心象風景。
12月27日(木)の記 白い縄文 日本にて
みちのく。 雪の山形路へ。 白い大地。
雪で遊ぶ子供。 折しも訳あって、縄文のことを考えていた。 東北の縄文人は、積雪期をどのように過ごしていたか。 あれだけのアート、造形をものした縄文期の人びとである。 雪の造形もあったのではなかろうか。 縄文の雪祭り、スノーアートの祭典。
もしありえたとしても、考古学の手法では何も関知しえないだろう。 完成後にオシャカにするチベットの砂絵のように。 残らない、残さないという潔さ。
12月28日(金)の記 日本時空旅行 日本にて
山形寒河江温泉、雪の露天風呂の朝。 縄文人の温泉観などというのも考古遺物からでは関知しえないだろうな。
東京へ。 東京駅地下を手始めに、オタクスポットのハシゴ。 旅の懸念の必需品も購入。
二十八日といえば、目黒不動の縁日。 目黒の実家で旅装を解いて、夜8時過ぎに出向くと、もぬけの殻。 わが少年時代は、夜でも冬でも露店でにぎわっていたかと。 不動の、何が動いたのか。
学生時代に発掘調査で携わった目黒不動遺跡のあたりを回って、実家へ帰る。 縄文中期の住居址が発見された。 入り口部には、乳児の遺体を納めたとみられる埋甕があった。 腹を痛めて産み出したわが子の亡骸を納めた甕を踏む縄文かあさんを想う、ふゆの目黒の夜。
12月29日(土)の記 東京の軍事基地 日本にて
お弔いで、西多摩の斎場へ。 帰路、広大な軍事基地の脇の道を通る。 横田基地。 沖縄を除く日本で最大のアメリカ空軍基地とのこと。
日本の首都に外国軍の巨大基地あり。 沖縄を身近に感ず。
12月30日(日)の記 祐天寺カレー巡礼 日本にて
今回の訪日は、自分にとって内省の旅でもある。 今日は目黒、渋谷、中目黒と回って祐天寺へ。 カーナ・ピーナというカレー店に入る。 僕の高校時代ぐらいからあったと記憶。 3種類あるうちの、いちばん辛い辛さを頼む。 お店の人に「辛いですよ」と忠告を受ける。 まことに辛い。 胃がひくつき、顔面から汗がほとばしる。 聞いてみると、創立35年とのこと。
先日は駅前の鉄道情緒のカレー店「ナイヤガラ」に乗車。 来年で50周年、来年よりもとの中目黒寄りのガード近くに戻るとのこと。 駅長(店長)さんの名前が内藤さんというのを、初めて知った。 子どもの頃は、ナイヤガラのカレーのテイクアウトがごちそうだったかと。 当時の僕は、さほどカレーを好まなかったが。
ナイヤガラの店内で再現されている鉄道世界そのものが、すでに過去のものになってしまった。 ふと、サンパウロ東洋人街の日本人移民相手の飲み屋がオーバーラップ。
12月31日(月)の記 故郷の大晦日 日本にて
故郷日本・目黒で年を越す。 ブラジルで特殊な文房具の購入を頼まれていたのを思い出す。 祐天寺駅前の文具のソーマさんが、今日も営業していて助かる。 しかもイッパツでモノを見つけてくれた。
年の瀬の、このサウダージ(郷愁)感は日本文化に属するものならではか。
水戸の手打ち蕎麦処にのまえさんが、わざわざ送ってくれたお蕎麦をかたじけなくいただく。 年越しは祐天寺で。 テキヤ系の出店は、なし。 それにしても、すごい人。 以前はなかった、地元の太鼓グループの演奏あり。
年越しの呪術の数々。
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