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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2013/12/06)
1月の日記 総集編 僕の啓蟄日記

1月の日記 総集編 僕の啓蟄日記 (2013/01/07) 1月1日(火)の記 神々の梯子
日本にて


祐天寺で20分以上並んでお参りした後、氏神である中目黒八幡神社へ。
どこから出てきたかと思うほどの人出。
こちらも20分以上、並ぶ。
これまで、こんなに並んだ記憶がないのだが。
黒ベールの外人シスター二人が隅の方で写真を撮っている。
目が合うと「ハッピー・ニュー・イヤー!」と言われて、こちらも返す。

午前中、所用と都内のカトリック教会のお参りを経て、鎌倉へ。
まさしく人で溢れ返っている。
観光ついでに大切な仕事も片付ける。
日没の大仏にお参り。

冬の日没の弱陽がこんな白味の強い色を大仏の青銅の肌にもたらすかと目を見張る。
これはライトアップの照明のせいだった。


1月2日(水)の記 砂の鎌倉
日本にて


初夢は、橋本梧郎先生からのプレッシャー。
鎌倉の宿だが、座布団やシーツに尋常ではない量の黒い砂が現われる。
昨日、由比ヶ浜を歩いた際にこっちの体に付着した砂を散布しているのかとうろたえる。
どうもその気配もない。
砂かけのおばばか。

鎌倉の長い同好の知人にいくつか案内をしてもらう。
聞くとこのあたり、砂害、塩害が並大抵ではない由。
正月早々、人生の師の墓参もできて感謝。


1月3日(木)の記 水族の館
日本にて


しながわ水族館に行ってみる。
東京湾と東京湾に注ぐ河川、といったローカル展示がいい。
サワガニの生態も見れる。
いくつかのクラゲ類、大アクアリウムのエイ類も見もの。

正月企画として、イルカ、アザラシ、アシカのショーが数時間の滞在のうちにハシゴできた。
こういうのはテレビの視聴者と一緒で見る側の希求がエスカレートするばっかしで、たいへんかも。

ゆっくりクラゲの時空を見つめていたい。


1月4日(木)の記 鎌倉ヒール
日本にて


昨晩はお年始の挨拶にうかがった先で、深く酩酊。
自己嫌悪のなか、早朝から鎌倉へ.
カジュ・アート・スペースという、築75年の民家を利用した織物をはじめとする工房での上映。
荏柄天神の近く、というのだけ覚えて行って、そこそこ迷う。

火鉢を背中に映写技師を担当。
身内でひっそりと、と思いきや、午後の部では30人以上、老若男女の賑わいとなった。
不思議な出会い、発展がいくつも冬場の静電気のように炸裂。
自己嫌悪どこじゃない事態。

地元の方の手作り・優雅な夕餉にご招待いただくが、夜の西荻窪APARECIDA上映があるので、ボロが出ないうちにおいとま。
APARECIDAは例によって、不思議な一期一会となった。

プライベートの訪日旅行で、トリプルヘッダー上映の一日。
さあ次回3月訪日に備えよう。


1月5日(金)の記 臣節を全うす
日本にて


離日まで秒読みとなり、残務が目まぐるしい。
そんななか、無理にインサート。
新年に鎌倉で教えてもらってしまった。

竹橋の国立近代美術館で60周年蔵出し特別展示が行なわれている由。
戦争画は見れるのだろうか?
藤田嗣治の戦争画は!?
ネットで調べると藤田のアッツ島、サイパン島が展示されているとある。
この機会を逃したら、アウトかもしれない。

無理を承知の強引なスケジュールを組んでみる。
見れた・・・
伝説の「アッツ島玉砕」は書物の白黒写真で見ていたが、「サイパン島同胞臣節を全うす」は全くのはじめて。
時間ぎりぎりまで、画の前にかぶりつく。
すごい。
後出しではない凄さ、迫力だろうか。
「同胞」たちの南洋的コスチューム、一部の女性のエキゾチックな顔立ちが、わがブラジルの、アマゾンの同胞に連なってくる。
言葉が追いつかないが、まことに僕にとっては必見だった。


1月6日(日)の記 平和島通信
日本にて


未明に祐天寺を出家。
予約していたタクシーで羽田へ。
けっこうかかる、金額が。

事情により、ぽっかり一日空いてしまった。
中有のとき。
オプションで考えていた平和島温泉を目指すことに。

いちジェネレーション前から、スーパー銭湯の走りの大衆温泉として機能しているのは知っていた。
幼少の時に連れられて行った記憶がかすかにあり。
しかしいまやシネコンやドンキホーテと同居のビルの中に収まっているとは、行ってみて初めてわかった。
京急平和島駅から無料シャトルバスあり。
競艇系のおじさん、マイカーのない庶民らとともに、軍艦島、じゃなかった平和島へ。
ネーミングそのものが安倍内閣から変更を強制させられそうな、まさしく平和遺産だ。

東京の温泉特有のコーラ色の液体を想定していたが、薄褐色の海水なみのしょっぱいお湯。
地底2000メートルまで掘削して湧き出した化石湯という触れ込みだが、どうしてこの化石はこんなにしょっぱいのだろう?
なかの食堂は七草粥を提供してくれるのがうれしい。

羽田発早朝便に合わせたシャトルバスのサービスがあるのが何より心強い。
午前4時発。
寝過ごさないようにしないと。


1月7日(月)の記 入浴→ニューヨーク
日本→アメリカ合衆国→ブラジル


未明の平和島温泉からマイクロバスで羽田へ。
客は総勢7名。
出発前に屋上の露天風呂入湯。

アメリカン航空ニューヨーク乗り継ぎ。
なんだかアメリカン航空の客室乗務員の態度、「ふつうに悪い」から「やや悪い」まで向上した感あり。

松が取れる直前の深夜のグアルーリョス空港に到着。
深夜でもDUTY FREEはえらい列。
荷物は全員X線検査。
なれどもお咎めなし。

今度はタクシー待ちの列。


1月8日(火)の記 犯罪都市入門
ブラジルにて


グアルーリョス国際空港のタクシーカウンターで、カードでチケットを購入。
深夜で荷物もあり、仕方なし。
列にならんで順番待ち。

荷物を積み込んだ運転手に行き先の大通りの名前を伝える。
「到着したら、すばやく荷物を降ろしてくれないと、車ごと盗まれてしまうから」とクギを刺される。
日本の送迎タクシーとの落差。
来年にワールドカップ、3年後にオリンピックを控えた国の最大の都市のこれが実情。

ヘタに道を指図して強盗にでも遭ったらたまらないので、ショートカット抜きで少しでも交通量のありそうな大通りをまわっていく。
インディアナポリス大通りは男娼とも女娼ともつかない立ちんぼさんたちでにぎわっている。
おねーさん方も、命がけだろうな。

無事に生還。
しばらくは身心を休ませていただこう。


1月9日(水)の記 ご近所の007
ブラジルにて


今回の訪日はプライベート旅行だったが、「60年目の東京物語」ロケをほうふつさせる密度だった。
すぐには現実に復帰できず。
こういうときは適度に荒唐無稽系のDVD鑑賞だ。

日本で買ってきた「007は二度死ぬ」をまわす。
ほぼ全編が日本ロケ。
以下、ネタばれあります。

なんだか小津監督のカラー映画で映し出されるような日本で、ジェームス・ボンドがミスター・ビーンなみの活躍をするというのがエキゾチック。
丹波哲朗扮する日本の秘密警察のボスの専用車は、地下鉄丸の内線。
国宝姫路城が忍者訓練所。
ブラジル移民の多い鹿児島・坊津が悪の巣窟のロケ地というのもいい。

ウイキペディアあたりでウンチクを拾うと日本人ボンド・ガールの浜美枝と若林映子は「キングコング対ゴジラ」での共演がプロデューサーの目に止まったとか。
「悪」のスタッフたちのユニフォームが黄色と赤で、これは東宝特撮シリーズ「地球防衛軍」のミステリアンそのものかと思うが、製作年に10年の隔たりがあるか。
阿蘇山も登場することだし、怪獣のひとつもゲスト出演させてほしかった。


1月10日(木)の記 ぶらじるさんぴん
ブラジルにて


時代劇のセリフ「このさんぴん!」のピンはポルトガル語起源らしい。
ピンときた。

昨年、沖縄のさんぴん茶のことを書いたのを目にした方から、さんぴん茶の茶葉のパックをいただいた。
ブラジルでいただいてみる。
ジャスミン茶が苦手というこちらの家族も、これならと好評。

調べてみると、ジャスミン茶よりジャスミンフレバーが控えめとのこと。
これなら、ウーロン茶葉とジャスミン茶葉をブレンドして、ブラジルでも作れそう。



1月11日(金)の記 ポロネギの誓い
ブラジルにて


夜は、家族で徒歩圏の大衆焼肉レストランへ。
ここの、ポロネギ(英名リーキ、当地ではアーリョ・ポロと呼ばれる)のマヨネーズサラダが僕のお気に入り。
先回はレシピが変わり、気を落としたが、また復帰している。

ポロネギは、日本の下仁田ネギを短くしたような形態。
安くはなく、そうは食べられないものなので、市場で買うこともまれ。
日本で、下仁田ネギを使って同じようなサラダを作ってみたが、苦くて強くてきつく、NG。

日本では各地の伝統野菜がとても面白い。
さあこっちでは、世界の野菜に挑んでいこう。


1月12日(土)の記 「氷晶のマンチュリア」
ブラジルにて


昨年11月、東京から沖縄に向かう朝に落手した。
「氷晶のマンチュリア」河野美穂著、現代書館。
羽田に向かう電車でプロローグを読み、その志の高さに姿勢を正した。
沖縄関係の資料に浸るために、そのままお預けになっていた。

昨日、ごちゃごちゃのサンパウロの陋アパートを探すこと数時間。
自分で片づけていないものを探し出すのは、大変。
しかもどうやら日本語文化圏、読書習慣のない人が片付けているとなると。
意表を突くニッチェから発掘。

深夜、読み耽る。
止めることができない。
著者が中国で、日本で訪ね歩いた、日本に利用され、捨てられ、消されようとしている人たちの肉声。
旧満州国の日本人残留婦人、朝鮮系の人たち。
南米移民との相似を思うが、決定的な違いは侵略の植民であり、軍隊を伴なったことだろう。

日本国に捨てられる、日本がなくなる。
あらたなリアリティとともに、読み、語り伝えていきたい。
著者の河野さんは僕と同じ歳。
あらためて姿勢を正す。


1月13日(日)の記 ブラジル初ガツオ
ブラジルにて


日曜の路上市に、魚の買い出し。
馴染み一軒目。
おにーちゃんがボラをすすめてくる。
「ボラはきらいなんだよ」。
特にオプションをすすめてこない。

馴染み二軒目。
やはりボラをすすめてくる。
他を聞くと、1テンポ置いてからカツオをすすめてくる。
かなり大ぶり(カツオでも大ぶり)。
量ってもらうと、4キロ半。
35レアイス、邦貨にして約1400円。
思い切って奮発、3枚におろしてもらう。

まずは昼食の足しに、カルパッチョにしてみる。
なんだか全身血合のような赤さ。
薄口しょうゆ、白ワインがないので、濃口とみりんで。
うーん、まあまあ。

冷蔵庫のスペースも限られている。
アラをさっそく煮てみるが、これはいける。
夜はガス火でたたきといってみた。
鹿児島から担いでいた、甘口のしょうゆがよろしい。

ちょうどめくっていた向井潤吉展のカタログ。
「1960年頃、世田谷区弦巻の自宅庭でカツオのタタキを藁火でつくる向井一家」という写真が。
今どき東京では焚火は禁止と聞いているが、庭の藁火も御法度か。


1月14日(月)の記 ワイエス13
ブラジルにて


ブラジル滞在中の画家、森一浩さんに用件があり、電話。
ついでに昨日、展示会目録に見入ったアンドリュー・ワイエスについて聞いてみる。
ワイエスの水彩画は日本の美学生にとってバイブルのような存在という。

昨年11月、福島県立美術館の常設展でワイエスの作品に目を見張った。
アメリカの農村風景を描いた水彩画。
金額もはり、荷物にもなるが、過去の特別展の目録をフンパツして購入。

昨日、目録を読んでたまげる。
古い屋敷に住む障害者の姉と弟、第一次大戦を戦ったドイツ移民の農民一家のエピソードなど、画面だけからでは推し量れないサイドストーリーが強烈。
それらもあふれるからこそ、心ない僕あたりも捉えたのだろう。

森さんは、ワイエスの作品の余白の味わいも指摘。
これはずばり森作品に通じることである。

自分は自分の作業を納得いくまでやっていこう、という希望のようなものをいただいた。


1月15日(火)の記 結婚とムダンサ
ブラジルにて


今日は東洋人街方面・外回りの用事をいくつかまとめる。
久しぶりに移民床屋・大塚さんに散髪してもらう。
共通の知人が三度目の結婚をしたらしい話が出る。

「結婚とムダンサ(引越し)は何度もするもんじゃない」
大塚さんは、かつてのお客だった台湾人のホテル経営者からこう教わったとのこと。

夜の待ち合わせまで時間がある。
この辺で安全に喉を湿して、ゆっくり本が読めるところとなると・・・
和風なつくりのマクドナルドか。
店側のすすめる高いセットではなく、安めの組合せをオーダー。
テラスの椅子やテーブルは汚れ、ごみの回収もお粗末だけど。
ヴェン・テ・ヴィーという国民的な野鳥が寄ってくる。
マクドナルドの客どもがパンのカスなどで餌付けしたようだ。

日本人町だなどといっても、そこそこゆっくりできるのは、マックぐらいという文化。
お先マックら。


1月16日(水)の記 ナゾの武将Leyasu
ブラジルにて


昨年末、サンパウロのわが家にブラジルの有名出版社が出したDVDシリーズのうちの「影武者」があることを知った。
厚紙で中身はカラーの解説冊子にもなっているカバーは美しく、センスもいい。
日本の黒澤関係者にお土産に持参しようかと思ったほど。
とりあえず再生してみるが、きれいに再生できた。
「リオ フクシマ」および「被爆の記憶 鎌倉からの証言」の仕上げで大童だったので、数十分の鑑賞でお預けとする。

先週、わくわくとふたたび頭から再生。
40数分いったところでフリーズとなる。
別のデッキでも同様。
このシリーズは不良品が多く、すでに交換も不可能と聞いていたが、うちもアタリとは。
無念。
で、昨日、あらたに市販のブラジル版「影武者」を購入。
カバーのクオリティはだいぶ落ちるが、中身は2枚組みだ。
中身でカバー。

全編再生可能。
黒澤の美学に浸る。
日本語版ウイキペディアによると、国外バージョンは上杉謙信のシーンなどがカットされているとのこと。
ブラジル版にはこれもあったぞ。
泣かせるのは、徳川家康がLeyasuとなっていること。
IとLの読み間違えだろう。

レイヤース 失われたアーク。


1月17日(木)の記 サウス・サイドストーリー
ブラジルにて


準備中の拙著の校正作業。
この期におよんで、書き込んだこと関連の、新たかつ甚大なストーリーを知ってしまう。
できれば原稿を削るべき時期になって、とても書き足しはできない。

アマゾンの先住民ワイミリ・アトロアリ族。
軍政時代のブラジル国軍が、国策の国道開通のため、彼らの虐殺を行なったらしいという噂はあった。
ようやく熱帯林の闇の奥に、内視鏡が入ろうとしているようだ。

知らずに、知ろうともせずに、想像力も欠いた約30年前の僕がアマゾンにいた。

せめて行間に厚みと深みのある記載を心がけたい。


1月18日(金)の記 紙とネットと
ブラジルにて


鉛筆作業の合い間に。
昨年、区分だけしておいた新聞記事を少し整理。

ポルトガル語の短くない記事を読み込むのは、気力的にも視力的にもやや覚悟がいるけれども。
でも、面白いものがいくつもある。

ブラジルの人口の86パーセント強が、都市部在住。
第2次大戦中、ナチスドイツはイタリアでマラリア拡散の生物戦を図った。
サンパウロ州内で、日本人移民の「勝ち組」グループのものと見られ人工のトンネルが見つかり、考古遺跡に指定。
等々。

ネットで見つけるネタよりはるかに面白く興奮する気がするのだが、これは僕だけだろうか?
そしてなぜだろう?


1月19日(土)の記 同世代の黒澤
ブラジルにて


メインの作業は先方の返答待ち。

黒澤を見よう。
「影武者」の余韻に浸っていたいが、「乱」を再見することにする。
わが家にDVDあり。
まずは「影武者」で家康に扮した油井昌由樹の演技力のアップに驚く。
そして改めて、原田美枝子の強烈な演技。
「白痴」の原節子と久我美子の火花散る演技合戦をほうふつさせる。

原田美枝子、宮崎美子は不肖オカムラと同じ年の生まれ。
おっと、二人とも12月生まれとは。
僕も含めて、ほぼ同じ時期に母の羊水のなかに滞在していたとは。

それにしても、見事に宮崎美子のアップ映像がない。
なぜだ。
「乱」公開の1985年、こっちは映像記録で牛山純一の一兵卒だった。
日本のロードショー、おそらくオールナイトあたりで見たのだろうが、よく覚えていない。
黒澤の、おっかないエピソードを知る度に、わが牛山を思い出さざるを得ない。

さあ次は「夢」にすすむか、「蜘蛛巣城」に戻るか。


1月20日(金)の記 アジをおろしミリンを思う
ブラジルにて


路上市で、魚を調達。
刺身に、なにがいいか。
ボラは、タダでもいらない。
スズキをすすめられるが、値段が高級魚。

小ぶりのアジを2尾、購入。
中身の骨の周囲の肉をスプーンでこそぎ、なめろうとする。
うむ、ミソの塩味がきつい。
ミリンでも。
ミリンか。

何年か前、日本の知人から三河みりんというのをいただいた。
味わってみて、その芳醇な美味さに驚いた。
ブラジルでも国産ミリンが2銘柄ほど生産販売されている。
甘い料理酒程度のシロモノ。
比較にならない。

醤油は、日本からの秘蔵のストックがある。
ミリンも少しフンパツして担いでくるか。
液体持参だと、アメリカ経由ではまたスーツケースを破壊されかねないが。


1月21日(月)の記 ドゴラの負け
ブラジルにて


「東宝特撮映画DVDコレクション」『宇宙大怪獣ドゴラ』を子供と鑑賞。
がっかり。
1964年、東京オリンピックの年の製作。
かつて日本でテレビ放送版を見てがっかりした覚えがある。
怪獣も、ドラマもしょぼくてはもうお手上げ。
パッケージにいわく「ゴジラよりももの凄い、空から襲いかかる謎の大怪獣!!」
嗚呼。

昨年、山形の書店で買った「加茂海岸のクラゲ」(東北出版企画)を折りに触れてめくっている。
息を呑むすばらしさ。
これでいくと、横浜ジャック&ベティの手前の大岡川のクラゲは、ミズクラゲか。
ドゴラ製作の頃は、まだ水族館でクラゲの飼育を見ることができなかったのだろうか。

クラゲの時空が、僕を呼ぶ。


1月22日(火)の記 好かんでもスキャン
ブラジルにて


人生で、これだけスキャニングするのは初めてかも。
拙著のゲラに朱を入れて、日本の編集者に返す作業。
わが家のスキャナーとデスクトップPCでは編集者の希望するPDF形式にならず、JPEGで、しかも圧縮うんぬんがよくわからないので、ファイルをひとつずつ送るので勘弁していただく。
そもそもPDFとJPEGといった違いも理解できていない。

一字一句の手直しで、こちらの頭の容量は限界気味。
血がにじむほど、のたうちまわって一字一句を綴ったという上野英信の著作を読み直して、姿勢を正す。

もう前世紀のことを思い出す。
日本から来たライターに、数十枚の原稿のファックス送りを頼まれたことがある。
現在とは比較にならない高額の国際電話料金に加え、送信エラー、紙詰まりなどいくつものリスクがあった。
あれを思えば、楽で楽で申し訳ないほど。
そのうえ、郵便を思えば。


1月23日(水)の記 京 サンパウロ
ブラジルにて


さあこれからまとめるつもりの作品の素材を探す。
うーん、思ったより難航。
あった!

まずは堂々京都ロケの映像を巻き戻しつつ、プレビュー。
おう、もう13年前ではないか。
京都の秋の紅葉を狙った。
美しさに息を呑む。
自画自賛。

「京 サンパウロ」というタイトルが思い浮かぶ。
日本の知人から提供していただいたCDを聴く。
想定とは違う曲を使うことを思いつく。


1月24日(木)の記 たらちりの父
ブラジルにて


ブラジルでタラ(バカリャウ)料理といえば、ノルウエー産の干し鱈を戻した高級料理がふつう。
が、生身のタラも手に入る。
ピカタなどを時折り、作っている。
白菜、豆腐の残りもあり、サンパウロは相変わらずの冷夏。
たらちりといってみる。

先日、書いたポロねぎを買って入れてみる。
生産者はサンパウロ郊外の日系農場。
うん、関東の太ネギよりしゃきっとして煮崩れしない感じ。
味もよろし。

国産ラム酒を引っかけるが、今になっていただきものの日本酒があったことに気づいた。


1月25日(金)の記 夢のなかへ
ブラジルにて


サンパウロ市制記念日で、サンパウロ市は休日。
未明から、黒澤明「夢」をDVDでふたたび鑑賞。
画家がらみの作品を新たに編集するにあたっての心構え、という大義もできた。

画家志望の主人公が、あこがれのゴッホの絵の世界に入り込んでしまうという夢が強烈。
僕自身が、数々の黒澤ワールドに入り込んでいくのを幻想。

映画ファンを自認するようになって最初に見た黒澤作品は「酔いどれ天使」かと。
今度はわが原点に入り込むか。


1月26日(土)の記 ハシゴ読み
ブラジルにて


思い返せば年末は「リオ フクシマ」と「鎌倉からの証言」のまとめの追い込みで、およそ本が読めていなかった。
ますますバカになってしまったかも。

今日は日本語の本をハシゴ読み。
いくつか、線引き。

「世の中で立派な本を出している医者や坊さんに自分の体をあずけたら救われるかもしれないと思うことがよくあるが、これはあぶない。一冊分の原稿を書くためには本業はかなりお留守になっているのではないか。」『4百字のデッサン』野見山暁治著

「総じていえば、日本の近代美術史において、東北の美術家たちは主流に属していない。時流をこえたところに確固として存在し、その故に彼らの芸術は、いまなお示唆的であるかにみえる。」酒井哲朗『東北の美-縄文から現代まで-』展目録

「人生は心からしたいと望むことをするためにある」
『前世への冒険』森下典子著


1月27日(日)の記 スシとなめくじ
ブラジルにて


ブラジル南部のナイトクラブの大火事、まずは日本語のツイッターで知る。
こちらの地上波で特別枠のニュースが流れ始めたのは、昼ぐらいから。

昼は五目鶏ひじきおこわ、夜は手巻き寿司とする。

「日本人が知らない世界のすし」福江誠著、これは成田空港で買ったんだっけ、読了。
奇怪なスシはブラジルが本場かと思いきや、世界各地にはブラジル人もびっくりのスシがあるようだ。
カラーページが、まことにカラフル。
日本のナメクジと、アメリカのバナナナメクジの差ぐらいあるかも。
この本は、日本人が海外で起業することの心構えという点でも十分に面白い。

異国でそこそこ成功したスシ関係者が指摘するのは、現地でのコミュニケーション力の大切さ。
技術もさることながら、チームワークやリーダーシップ、異文化コミュニケーション力。
こちとら、ひとり制作だからけっこう違ってきた。
こちらのスタッフを使ってのグループ制作時代を思い出すと、ぞっとする。

ナメクジのスシと、どっちの方がよりぞっとするか。


1月28日(月)の記 断食と音楽
ブラジルにて


飲み過ぎ食べ過ぎが続いた。
とりあえずできる時に、一日断食。

まとめ始めた作品に、珍しく長い音楽使用のシーンを想定している。
こういうのは合わせてみないとわからない。
そもそも最初の想定とは、だいぶ変わってきた。
このシーンがメインで、そのための作品になるかも。

技術的にも可能かどうか不安。
とりあえずやってみる。
可もあり不可もあり。
久しぶりに根を詰めてAV仕事をしてしまう。

とりあえず、が2度出てきたが、とりあえずいいか。


1月29日(火)の記 僕の啓蟄日記
ブラジルにて


ブラジルに戻って、3週間。
まずはプライベートの件をメインにして、以降、書きものの校正などに当たっていた。
して、先週よりようやくあと送りになってしまった作品の素材の編集作業にひっそりと着手。
いわばスランプ状態に甘んじていた感じ。

今日になって、本業の方で3件もいっきに吉報が届き、大きく前進。
1件でも祝杯もの。
断食開けのため、アルコールを飲めないけれど。
さあ冷夏のサンパウロで啓蟄だ。


1月30日(水)の記 境界の考現学
ブラジルにて


朝、PCで日本の47newsにアクセス。
対馬の寺社から重文級の仏像が複数、盗み出されて、韓国に持ち込まれていたとのこと。
対馬から韓国まで、50キロメートル弱。
サンパウロ市から、隣の州までもいけない程度の距離。

今回、ブラジルに戻ってから「境界の考古学 対馬を掘ればアジアが見える」俵寛司著(風響社)というブックレットを読んだ。
俵さんは拙作「KOJO ある考古学者の生と死」にも写り込んでいる、気鋭の考古学者。
国境の島から見えてくるもの、考えるべきことの数多に、東京→サンパウロとメガロポリスでへらへらと過ごす身は姿勢を正すばかり。
ブックレットに盛り込まれている、対馬をめぐるサイドストーリーのいくつかだけでも面白い。

1950年の九学連合対馬調査といえば、日本の人類学・民俗学・考古学を少しでもかじった者なら字面ぐらい知っているだろう。
この調査団第一陣が対馬に向かったのは、朝鮮戦争が勃発して、北朝鮮軍が南下、国連軍と韓国軍が追い詰められて釜山陥落直前となる時期だった。
拙作「アマゾンの読経」のキーパーソンである田中龍夫が山口県知事を勤めていた時期で、田中は山口に韓国亡命政府を受け入れる準備をしていたと聞いている。
田中龍夫はブラジルロビーの政治家で、側近に「票にならない」と止められながらも、中南米移民のために尽くしてくれた、われわれ移民の恩人である。
とりあえず、対馬とブラジル、移民が思わぬところでつながった。

「国民」「国境」というものの無批判・無反省な容認・黙認の上に立って研究活動を展開すること自体、歴史的事実よりもむしろ新しい戦後の社会に対する理解の欠如を示し、それは日本の歴史を研究するものとして「重大な自己否定」となった。(俵寛司、前提書)

「研究」を「表現」全体に広げて読み取るべきだろう。


1月31日(木)の記 洞窟とジャングル
ブラジルにて


昨年、日本で岡山まで追いかけて観たヘルツオークの「忘れられた洞窟の夢」。
けっきょく2Dでの鑑賞となった。
ブラジルでは映画祭でイレギュラーに上映されたのみで、一般上映の話はとんと聞かなかった。
それが先週から低価格のシネSESCで、しかも3Dでの上映が始まったではないか。
この機会は逃せない。
3D映画鑑賞は、これがはじめて。

ヨーロッパの旧石器時代の洞窟画は、壁面を加工せずに、自然の凹凸を巧みに利用した、いわば「見立て」のアートだといえる。
その「見立て度」を体感するに、3Dはもってこいだ。
あまり言及されていないようだが、ヘルツオークはこの映画に強い反原発のメッセージをこめている。
フランス政府の協力のもとにこの映画をつくり、反原発で締めるというのはあっぱれだ。

スピルバーグやジョージ・ルーカスの協力を仰いで原発のリスクを訴えた「夢」を製作した黒澤明とともに、誇るべき映画人の心意気だ。

出先で黒澤明の「酔いどれ天使」ブラジル版のDVDを購入。
さっそく鑑賞、30数年ぶりかも。
黒澤のエッセンスが詰まっているのを、再確認。
それにしても、あの「ジャングル・ブギ」のシーンは強烈。
作詞・黒澤明だ。
ひょっとして黒澤の南米・アマゾン志向がうかがえないかと、歌詞を検証。
うーむ、「南の海」や「雌豹」はこじつけられるにしても、火を吐く山がある。
南米の火山は熱帯降雨林地帯とはずれるし、ちょっときびしいか。


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