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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2014/01/02)
2月の日記 総集編 ブラジル沖波裏

2月の日記 総集編 ブラジル沖波裏 (2013/02/03) 2月1日(金)の記 時流と自流
ブラジルにて


世間から聞こえてくる時流には、あまり関心がない。
それに合わせる器用さも持ち合わせていない。
自分の時間の、いわば自流の時流を流し流れているつもり。

時折り、外の巨大な時流がこっちの細流とはからずも重なってしまうことがある。
今日は、まざまざとそれを覚えた。
さあどうするか。

流れを停めたり、変えたりすることもないかも。
かといって大きな流れに呑まれるつもりもない。

伏流水といくか。


2月2日(土)の記 ある福島移民の法要
ブラジルにて


午後、サンパウロの西本願寺にて知人の四十九日の法要。
子供のかつての同級生と母親同士が親しくなり、その同級生のおじいちゃんが亡くなった。
おじいちゃんは、日本人一世。
大晦日に逝ったので、こちらは訪日中で埋葬の時は失礼してしまった。

申し訳ないことに、お名前を存じ上げなかった。
お寺の掲示板を見るとTAKAARAとある。
タカアラ。
ブラジルでは日本語のHを省くことがしばしばなので、タカハラ:高原とみた。

日系の僧侶がポルトガル語でお焼香の仕方を説明してから、念仏が始まる。
タカアラさんはラジオ体操グループのメンバーだったそうで、ラジオ体操のユニフォーム姿で参列している日系のお年寄りが少なくない。
法要後のお茶の席で、故人のお嬢さんにお父さんは日本のどこの県の出身かと聞いてみる。
フクシマ。

フクシマのどのあたりか、海の近くか、山の方かと聞いてみるが、それはわからないという。
パパイ(父さん)は9歳の時にブラジルに来たとのこと。
享年87だから、第二次大戦前だ。
苗字は本当にTAKAARA:高荒だと知る。

寡聞にして、知らなかった苗字。
帰って調べてみると、高荒姓は福島に多いことがわかる。

亡くなった高荒さんには昨年の入院中、妻に言われて日本語の書籍を何冊かお貸ししたことがある。
当時は自分の身辺のことに追われて心の余裕がなく、僕はお見舞いに行くこともなかった。
反省。


2月3日(日)の記 ブンチェンちゃん
ブラジルにて


未明に日本で買ってきたDVD「TAXI NY」を鑑賞。
2005年劇場公開作品。
まるで期待していなかったが、面白かった。

いきなりニューヨークの強烈な自転車配達人の映像。
先回の訪日時にアメリカン航空の機内で「Premium Rush」というやはりニューヨークの自転車配達人の映画を見てなかなかの拾いモノだった。
チベット問題まで盛り込んであるニクさ。
「タクシー」の方では、チャリンコのアクションという扱いではすでにもうこれだけやっていた。

このソフトを買った狙いは、アメリカでトップに登りつめたブラジル人の超弩級のモデル、ジゼル・ブンチェンが出演しているから。
4人組の超美人銀行強盗の首領というトンデモな設定。
ニューヨークの銀行で次々と強盗をはたらくのが4人組のハイパー美人のブラジレイラという、リアリズム。
彼女たちが身内で交わすポルトガル語がスゴい。
僕あたりにはすべて聞き取れない早口のスラングだが、英語で言えば「ファック」級の言葉がびんびんに。
われらがブンチェンちゃん、先日の大火事ナイトクラブのある南部のリオグランデドスル州出身のドイツ系。
映画の最後ではニューヨークの「ギアナ高地」に。


2月4日(月)の記 粛々とつなぐ
ブラジルにて


新学年の始まった子供の送迎車が来ない。
携帯電話もかからず。
急きょ、マイカーで出動。
かつてはこれを毎日やってたか。

土日と寝かしておいた編集作業を再開。
今回のは特に孤独な作業。
記録者としてのこだわりのみ、か。
ああ早くこれから楽になりたい。

次には次の面倒もあるのだけれども。
急ぎの原稿直しなどもたしなむが、けっこうそれでも、思ったより進んだかも。


2月5日(火)の記 カーニバりそびれ
ブラジルにて


もう今週の終わりからカーニバルが始まると知る。
毎年のカーニバルの時期はキリスト教暦によるもので、太陰暦と太陽暦の組み合わせからなり、複雑で年によってかなり違ってくる。
テレビでもつけていれば、カーニバルにちなんだビールなどのCMがかなり流れているのだろうが、ニュースをたまに見るくらい。
せいぜい来週ぐらいからかと思い込んでいた。

わが家では家族で静謐に暮らす休暇だが、食材を買い込んでおかないとな。


2月6日(水)の記 悶々鬱々から、快
ブラジルにて


まさしく悶々鬱々とビデオ編集作業。
短い時間だが、寝込むほど。

夜は今年百歳を迎えるトミエ・オオタケ先生の特別展第一弾のオープニング。
小雨のなか、参加。
同時代の様々なブラジルのアーチストの作品とともに、トミエ先生の作品が展示される。
僕には、トミエ先生の作品が格段に面白い。
あるいは、面白くなってきた。

車椅子のトミエ先生に、人だかりが途絶えた時、思い切って挨拶してみる。
去年はこちらのことをお忘れのようだったが、今度はしっかりと思い出してくれたようだ。
感激。

なんだか不思議な符号がいくつかあり。
記録映像作家として、そうはない感動だ。
まことに孤独な編集作業に、莫大な力をいただいた。
ちなみに作品の主人公は、トミエ先生。


2月7日(木)の記 ジョン・ハートフィールド
ブラジルにて


用足しで街に出て、友人と昼食。
少しアートのシャワーを浴びたい。
帰路にあるラザール・セガール美術館に立ち寄る。

特別展で、ナチス批判を行なったアーチストのブラジル初公開をしているらしい。
なにせ入場無料だし、常設展で公開されているラゼール・セガールの絵画はすばらしく、お気に入り。
特別展のフォトモンタージュはJohn Heartfieldというアーチストのもの。
ナチスドイツが政権を握った1930年代のドイツの雑誌で、これだけ強烈なナチスを風刺する作品を発表し続けるとは。

帰って、ネットで調べると日本でもジョン・ハートフィールドの名で紹介されていることを知る。
ラゼール・セガールの方は、日本語では在ブラジルの日本人に紹介されているぐらいみたいだけど。
ちなみにラゼール・セガールはリトアニア生まれのユダヤ人で、ブラジルに移住した。
代表作の「移民船」には息を呑む。
常設展には見当たらないが、彼の戦争画も見逃せない。
人気のないミュージアムで、アーチストの一点ものの作品から、気をいただく。


2月8日(金)の記 ざくざくと
ブラジルにて


買い物に行く以外は「京 サンパウロ」の編集に没入。
なによりも主人公のトミエ・オオタケ先生とお話しできたのが励みになる。
記録者として、自分に対する落とし前でもあり。

世間は明日からカルナヴァル休暇に入る。
切りのいいところまで、と珍しく夜まで編集を止められず、素材の切り出しはひと通り終えた感じ。
50分強ぐらい、思っていたより詰めることができた。
撮影している時からノれなかったシーンは、けっきょく落ちる。
でも、すっきり。


2月9日(土)の記 わが交換に悔なし
ブラジルにて


昼、家族で東洋人街にて中華レストランに。

近くのCD/DVD屋で一昨日、黒澤明「わが青春に悔なし」ブラジル版DVDを買った。
なんと、2種類もあった。
ひとつは字幕・音声にイタリア語のあるヴァージョンで、もうひとつはポルトガル語とスペイン語の字幕があるという、よくあるタイプ。
イタリア語ありの方がカバーがカラーでもあり、どちらも同じ値段なのでこっちにした。
帰って再生してびっくり。
オリジナル字幕はすべてイタリア語、しかもオリジナル音声にしてもイタリア語の吹き替え。
これがなんとも安っぽく、正視いやさ正聴に耐えない。

もうひとつの方に交換を、と店を訪ねる。
若い定員が「あんたが切り替え方法を知らないんだ」とバカにしてかかってくる。
店のモニターにかけてみると、やはりイタリア語のみ。
若い定員は「これは日本語だ」と言い張りつつ、消えていった。

帰宅後、さっそく。
おお、オリジナル字幕も日本語、東宝マークもあるではないか。
ファーストカットの京都の映像が、僕の「京 サンパウロ」をほうふつさせるのも因縁。

さっそく若い男女が山林を駆けるシーン。
「七人の侍」の勝四郎と志乃、そして「八月の狂詩曲」の役名まで覚える気のしないイトコ同士のカップルのシーンを思い出す。
京都大学キャンパスを見晴らすこの山、吉田山と呼ばれている。
日本の地図帳を開く。
おう、吉田山、京都大学の真東隣ではないか。
そういえば昨年のクリスマスの日、京大から銀閣寺方面に向かうバスの車窓から吉田神社というのが見えたのを思い出す。
いまでもけっこう木々が深く、峻険な石段があったかと。

かつてこの映画を見たのは高校生の頃かと。
黒澤特集のオールナイトだったかもしれない。
プリントが悪かったのか、映像は見づらく音声は聞づらく、ほとんど眠ってしまい、いい印象はなかった。
大河内伝次郎の演説シーンが山本嘉次郎の「ハワイ・マレー沖会戦」の艦長の演説シーンをほうふつさせたこと、原節子の農婦シーンなどをわずかに覚えていた。

はるかに味わい深い映画ではないか。
原節子演ずる幸枝は貿易会社のタイプライター、戦時中に夫を亡くすなど、「東京物語」の紀子に重なっていく。
幸枝が糸川と日中戦争時代の東京で再会するシーン、バックのショーウインドーに武人埴輪が備えられているのが視覚に残る。

ああ黒澤がやめられない。


2月10日(日)の記 蚊都
ブラジルにて


朝、路上市でカツオを買う。
妻の実家でおろす。

その間、息子が腕あたりを何箇所か蚊に刺されていた。
昼食時に自家製の梅酒をいただく。
酔い覚ましで横になっているうちに、今度はこっちが何箇所が献血。

そもそもこの年末年始のサンパウロの蚊害は、新聞記事になるほど。
報道によると、予算不足でコンバットチームは活動停止状態とのこと。
新年にお会いした知人たちも、蚊対策話で盛り上がっていた。
いまのところ伝染病が発生していないことが幸い。

団地の10階のわが家では、蚊の侵入は極めて稀でありがたい。
それにしても、外出時には携帯用蚊取り線香が必須かも。


2月11日(月)の記 家族の肖像
ブラジルにて


水曜まで、カーニバル休暇。
お仕事のビデオ編集は、やめておく。
家族の催事を撮った映像、撮りっぱなしのものがたまっている。
まずは昨年のスラム地区での冬祭り(フェスタ・ジュニーナ)に着手。
プレビュー、取り込みの後、撮影順ではなくて構成をしてメリハリを付ける。

さすがにフィルモグラフィィには書き加えないが、ちょいとした小品に仕上がったかな。
さあお次だ。


2月12日(火)の記 読む女たち
ブラジルにて


カーニバルの祝日。
サンパウロ現代美術館(MASP)でのフェルメール「手紙を読む青衣の女」展の最終日。
しかも火曜はタダ。
これまで、相当な行列だったと聞いているが、さすがにカーニバル休みの朝はどうだ。
開館10時より早く出家して、フェルメーろう。

おう、ビンゴ。
楽々に無料で入場。
フェルメール展示フロアもまだ人はまばら。
短時間ながら僕と「彼女」だけになる刹那も。
この絵は昨年3月まで日本の渋谷で衆視にさらされていたようだが、日本じゃひとりだけでみるなんて考えられそうもない感じ。

未明に「極北のナヌーク」をDVDで見ていただけに、画の照明、光が気になったり。
それにしてもこのアッパッパ服の女性の顔の頬のあたりの暗い色のものはなんだろう?
痣ということはないだろうし、耳飾りか、髪の一部か?

手紙を読む女、という主題では正直なところMASPの上階に展示されているブラジル人画家HENRIQUE BERNARDELLIの屋内で手紙を読む少女の方が僕には面白い。
解説によると、読む女というのは近代的な女性の象徴だったとか。
現代のケータイみつめる女は、アートのテーマになりうるか。

先週、読み終えた「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上延著)の表紙画の書を手にする女性がとってもいい(イラスト:越島はぐ)。
昨年、成田空港で買ったのだろうか、書名と表紙画につられて購入。
期待以上の面白さだった。

家族の昼食準備に間に合う時間に美術館を出る。
エレベーターに行列ができ始めている。

カーニバル期間は、静かに書画に親しむのが、いとよろし、僕には。


2月13日(水)の記 26の符号
ブラジルにて


今日は、今日もホームビデオの編集。
家族参加型で。

ふと日本の26聖人のことが気になり、ネットで検索。
さる日曜日、サンパウロのサンフランシスコ教会で26聖人祈念ミサが行なわれた。
お世話になっているシスターの誘いをいただき、参加した。
この教会の聖堂の向かって右側に、26聖人処刑場面の絵画が掲げられた祭壇がある。

慶長元年、グレゴリオ暦1597年2月5日。
豊臣秀吉の命で、キリシタン計26人が長崎で処刑された。
ミサの席で殉教者が京都から出発したのに気づき、いま「京 サンパウロ」をつなぐ身として体に何かが走った。

今晩、検索してみると京都の西陣聖ヨゼフ教会のリンクがあるではないか。
昨年末のクリスマス、連れの希望により京都でクリスマスのミサに行こうということになり、ホテルでもらった地図で見つけた徒歩圏にあるこの教会に行ってみたのだ。
この教会の最寄りの一条戻り橋で、まず殉教者たちは耳をそがれて長崎に連行された。
そのため、この教会は26聖人巡礼の起点になっているそうだ。
ちなみに秀吉は鼻をそぐように命じたが、耳にされた由。

サンパウロのミサで神父も列席の子どもたちに語りかけていたが、13歳、14歳、15歳の少年の殉教者がいる。
役人は棄教すれば命を助けると申し出たが、応じなかったとのこと。

カトリックは自殺を厳禁しているが、この殉教というのが恥ずかしながらよくわからない。
特に10代前半の若者には、「もののけ姫」のキャッチコピーとかぶるが、「生きろ」と厳命していただきたい。
若者の死の礼賛は、僕には不気味。
永遠の命に生きよ、か。
今度、キリスト者と親しく話せる機会があったら聞いてみよう。

ところでブラジルのニュースのトップは、今日もローマ法王退位問題が続く。
おっと、アップをしながら気づく、2月13日、2×13は26だ。
もうひとつ26聖人と僕との忘れられないエピソードを思い出したが、この辺でまずは解放してもらおう。


2月14日(木)の記 忘却効果・逆効果
ブラジルにて


さあカーニバル休みも明けた。
午前中は買い物など。

午後よりふたたびビデオ編集再開。
現在まとめている映像の大半は、20世紀最後の年に撮影したもの。
当時の資料を探し出すことにする。

想定していた場所に、ない。
うう、10数年の年月は重い。
その間に、なんとも数々の自主制作作品をこさえて、資料類も溜まるに溜まっていた。

むむ、禁断の奥にか。
・・・苦闘の末、発見。
当時のファックスの元原稿や、こちらが書いた手紙のカーボン紙コピーも入っている。
すっかり忘れていた、愕然とする経緯が書かれている。
今はだいぶ乗り越えていたが、この素材のことを考えるにあたって、吐き気を催したのが何故かよくわかってきた。
我ながらよほどいやなこと以外は、けっこう忘れてしまうものだ。
それにしてもこれだけのことを忘れていたとは。
そうでもしなければ、その後、今日までの創作活動に差し障っていたためだろう。
精神衛生が保てないと、入魂はできないというもの。

こっちの作品づくりも実にナメられたものだが、ここいらで僕なりにけじめを着けさせていただくつもり。
新たに得た尊い友のおかげで、作品を浄化・昇華させていただけそうだ。
「私家版」作品づくりも、ラクではない。


2月15日(金)の記 私家版の試練
ブラジルにて


いわば私家版の超大作、といったところか。
テロップとナレーション用のデータを書き上げながら細かい映像と音声の編集を進めていく。

午後から、何度も豪雨、雷。
夏時間も終わりに近づき、ようやく夏らしくなってきた。
近くまで買い物に出て、豪雨により雨宿り。
凄い水の量。
夕方のテレビニュースでサンパウロのあちこちで洪水になった由。

落雷時に電気機器、特に精密機器は大丈夫かいなとの思いがよぎる。
しかしこの天候でいちいち中断していたら、まるで「はか」がいかなそう。
と、夕方から、ビデオ編集機がフリーズ。
何度も強制終了を繰り返して、いろいろやってみる。
どうやら、ハードディスクの問題のようだ。
マニュアルでは対処できない現象。
ブラジルでは、お手上げか。

また撮影素材から、すべてやり直しか?
ひえ~・・・
ふたたびマニュアルとにらめっこ。
パソコンの基本原理がわかっていないから、ダイナミックな荒療治がうかぶのかもしれない。
とはいっても、機械をぽんぽんと叩くようなレベルでは、なく。
皮を切らせて、骨を断つつもりで。

これが、どうやら成功。
まさしく僕だけの闘いであった。


2月16日(土)の記 整理休暇
ブラジルにて


朝イチでDVDを2枚、焼く。
DVD書き込み用のフェルトペン、試し書きをしてから使うが、さっそくかすれてしまう。
ブラジルで市販されているのは、すぐにこんな調子。
わざとキャップが緩くなるようにしている気もするほど。
なぞり書きをしたり、細書きペンで修正しようとしていって、泥沼。
また焼き直したいくらい。

チェルノブイリ原発なみに崩壊現象の生じていた身近な棚の仕切り直しに着手。
まさしく足の踏み場もなくなる。

それにしても昨日の作業と言い。
ブラジルでガラパゴス化という表現、自分で気に入っている。


2月17日(日)の記 サンパウロの東西
ブラジルにて


今日はブラジルの妻方の親戚の法事。
サンパウロ東本願寺での四十九日法要。

先日のは、西本願寺。
両方ともサンパウロ市南部だが、間違えるとけっこうややこしい。
地下鉄の駅の近くにあるのが西本願寺。
西本願寺には日本庭園があり、東本願寺には梵鐘がある。

東本願寺には、お焼香の仕方をポルトガル語とブラジル人のおばさんの写真で説明するA4サイズのフライヤあり。
焼香をする前と後に、線香の入れ物の上面を手のひらで平たくならすように、とある。
それは知らなかった。
裏面には家庭での仏壇のおまつりについて書かれ、その下に東洋人街にある仏壇屋の紹介が。
タイアップか。

茶話会の席で、義弟から東と西の違いを聞かれる。
「よくある質問」に備えて調べておこうと思って、忘れてしまった。
いつ分かれて、なにが違うのだろう?


2月18日(月)の記 保護者の反故
日本にて


さあ編集の再開、詰めに向かうぞ。

今日の夜は子供の学校の保護者会。
妻に、今日のは卒業フェスタや卒業旅行のことを決める大事な会議なので、両親の参加が必須と学校に念を押されていると脅されて。
学生は日本でしかやったことがないし、保護者はブラジルでしか経験がないので、比較ができないけど。

なんだ、両親どころか片親の出席も3割ぐらいじゃないか?
ただでさえ扇風機がいくつも爆音を立てているなかでの肉声、聞き取りにくい。
慣れてない話は、なおさら。

日本でデカセギに行ったアミーゴたちも、日本で子供の学校の保護者会じゃあたいへんだろうなあと思いを馳せる。
大半は、まず出席しないか。

それにしてもこっちの卒業旅行、業者や巨大リゾートがらみで、修学的色彩は皆無にして、きわめて高額。
ササキ農学校や元土地なし農民たちの入植地にでもスタディツアーをさせたいところ。
じゃあ3月はじめまでに予算書を用意しろといわれても、いきなりひとり相撲はできないけど。


2月19日(火)の記 四旬節の断食
ブラジルにて


訪日も近い、一日断食。
「京 サンパウロ」本編集作業の大詰め。
ナレーション原稿を読み上げては直し、シーンによっては映像を足す。
トミエ・オオタケ先生に関するわが家にあるだけの資料をそろえて目を通す。

夕食のための買い物に出るつもりが、恒例のスコール。
断食のせいか根を詰めた作業のせいか、脱力感もあり。
夜はデリバリーのピザにしてもらう。


2月20日(水)の記 ブラジル沖波裏
日本にて


午前中にイピランガの録音スタジオでナレーション録り。
それまでナレーション原稿を読み上げては手直し。
北斎についてのナレーションを足してみた。
目についた北斎展の厚い目録を開き、改めて目をみはる。

夜、食事の後でふたたび北斎の目録に見入る。
滝をこれだけ描き分けているだけでもすごい。

ドビュッシーの語にたまげる。
そうか、ドビュッシーは北斎の影響を受けていたのか!
それが「京 サンパウロ」で今日、つながった。
あなかしこ、響きあう表現者たち。


2月21日(木)の記 リオフクシマ京サンパウロ
ブラジルにて


今日は完成させたものの一般未公開の「リオ フクシマ」と完成間近の「京 サンパウロ」それぞれに思いもしない、そしてとてもうれしい進展あり。
不思議な思いに駆られながらも、まずは感謝、あとにも感謝。

3月の訪日は本来の目的が延期になってしまったのだが、これでなんとか形になりそうだ。
あなかしこ。
夜は外出してアートのハシゴ、よく歩いた。
トミエ先生のギャラリーでの新作展のオープニングの前に、世界グラフィティビエンナーレをざっと見て、ブラジル初公開というAI WEIWEI展も見ておく。

無事に帰宅、心地よい疲れ。


2月22日(金)の記 入魂の落とし前
ブラジルにて


しばしもやすまず。
日本の亡父は、己の生業を鍛冶屋と称していたかと記憶する。

不肖の親不孝の移民、今日まずは「京 サンパウロ」を仕上げて、押っ取り刀で次の作業に突入。
サンパウロでお世話になっている人が長を務める県人会の節年の式典の記録。

数年前に御奉仕撮影をさせていただいて、その時はこっちの訪日が迫っていたので、まずは撮影済み素材をダビングして謹呈していた。
その後、その映像を見たとも編集してほしいとも、なにもコメントもないので、おそらくご覧いただくこともなければ、撮影自体もあまりどうでもよかったのかもしれない。
ご覧いただいていて、何のコメントもいただけないような映像を撮影していたのであれば、それはこちらの著しい能力や知名度、利用価値の不足ということだろう。

いかなる事情であれ、撮影者は撮影した映像に責任がある。
「京 サンパウロ」もその考えから、他にあまり例がないほどの屈辱までちょうだいしながら、すべて僕の出費と責任でまとめることにした。

何年ぶりかで再生してみる。
打ち合わせのうえ、式典当日のリポーターを引き受けていた人物から、いとも軽く裏切られたプロセスまで記録されている。
岡村の作業も、実になめられたものである。
それにも我ながらふてくされず屈せず、入魂の映像を続けているではないか。
世俗的な見返りは離れて、せめて自分が魂を込めた素材には誠意を払いたい、と自分にプレッシャー。


2月23日(土)の記 スラム街の食事会
ブラジルにて


サンパウロ市南部、大ファヴェーラ(スラム)地帯へふたたび。
この地域の若者への授産活動を行なうカトリック系慈善団体の資金集めの食事会。

日本ではささやかに報道された程度のようだが、世界最多のカトリック信者を擁するブラジルでは、現ローマ法王の退位宣言は大ニュース。
今年7月にリオで開催予定のワールドユースデーに、新法王が参加するかどうかが新法王が決まる前からの大きな話題となっている。
それに若者たちが参加するための資金集めが趣旨で、こうしたイベントは初めての試みとのこと。

すべてが不慣れで、と責任者が挨拶。
バイキング形式だが、サラダ類にはじまりメインの数品まできれいに盛り付けられている。
味も程よい。
会場各所の花の飾りなどもよろしい。
資金集めが目的なら、手工芸品も合わせて販売するなどもあってよかった。
せっかく人も集まるのに残念。

かつて別件でここを訪れた時、この料理の責任者につかまったことがある。
ビデオのプロなら自分の料理講座のビデオを作ってくれ、日本からしかじかのものを寄付として買って持ってきてくれ等々と初対面の人間に度を越した頼みごとばかり、それもしつこい。
その頃、僕はブラジル奥地の福祉施設のバックアップ活動に多くの力を注いでいる時期で、日本の実家も深刻な問題を抱えていた。
そういう相手の事情はお構いなしに、利用できるだけ吸い尽くそうというあさましさに怒りすら覚えた。
この団体自体の特徴かと疑うが、この女性はこの団体でもその点で問題視されていると知る。

こっちのことを忘れているのかシャクに思っているのかささやかな羞恥心が残っているのか、このおばさん、今日は目も合わせてこないのは幸い。
料理の才能はおありのようなのに、お気の毒。
宗教の方でなんとかならないものか。


2月24日(日)の記 夏カツオ
ブラジルにて


サマータイムが終って一週間。
残暑のぶり返し厳しいサンパウロ。

夏場は路上市の魚売り場もへたった感じ。
そもそも刺身でいただけそうな魚が乏しい。

小ぶりのカツオをすすめられる。
1キロ弱のを二尾、購入。
刺身にするにも、小ぶり、

先日、カツオをまずカルパッチョにしたことを拙日記に記したところ、日本のグルメの知人からヅケもよろしいよと教えてもらう。
それ以来、刺身用の魚の量が多いときはヅケでおいしくいただいている。
今日はヅケをメインで。
タマネギを刻み、ミョウガもそえて。

中落ちはなめろう、血合いは端切れはショウガで煮て。
カツオで充実。


2月25日(月)の記 時こそ来たれ
ブラジルにて


これをつつがなく済ませることを、どれほど待ち望んでいたことか。
出自と経緯を反芻すると、また吐き気がする。
しかし僕の想像を超えた理想的な、僕個人の製作として完成することができた。

なによりもトミエ・オオタケ先生が100歳を迎える今年、お元気であること、そしてトミエ先生の作品と人柄の力のおかげ。
残暑厳しい午後。
トミエ先生のお宅に手焼きのDVDをお届けに行く。
前世紀の終わりに通った道。
相変わらず車を停める場所を見つけるのがむずかしい。

いままで強烈かつ魅力的な森下妙子さん、石井敏子さんといった移民の女性の記録を作品とさせてもらったが、あらたにトミエ・オオタケ先生が超弩級のパワーと色味をそえてくれた。
岡村の移民記録、ここに極まったかも。

ぶじ帰宅。
近くのスーパーで安い国産ウオッカとシトラスの清涼飲料大瓶を買う。
酎ハイ感覚で祝杯をひとり上げながら、夕食の支度。
なぜかユーミンの歌が出てくるぞ。
さっそくもうひとつの壮大なアートのミッションへの暗喩か?


2月26日(火)の記 鬼門の上の大作
ブラジルにて


街に出る用事のついでに。
ブラジル日本移民史料館で「移民の肖像画展」というのが今月いっぱい開かれている。
移民社会の「偉人」の絵ばっかしらしいが、行ってもみないでコメントはできない。
この移民史料館はもとより、これの入っているブラジル日本文化福祉協会やサンパウロ人文研の関係者たちからは、許しがたい酷い仕打ちをちょうだいしてきている。
先方がまるで反省する気もないのだから、許しようもないというもの。

史料館に関しては張本人たちがすでに在籍していないようなので、気色の悪いビルに久しぶりに踏み入ることにした。
きちんと正規の入場料も払うのだし、文句はあるまい。
それにしても、博物館自体が博物館入りするレベル。

「移民の肖像画展」、企画は悪くはないと思う。
しかし、なにせキュレーターもいなければ、展示されている「偉人」の一族グループからカネをちょうだいしていることがうかがえる提灯企画。
絵そのものはもとより、額縁の傷みも、まさに痛ましい。
「偉人」の絵のまなこから、涙が出てきそう。

いまの天皇夫妻が来るというので急ごしらえした9階の展示をはじめて見る。
それまで公開されていなかった東郷青児の大作「移民開拓風景」。
これは息を呑んだ。
7・3×2・1および7・8×2・1メートルの巨大な作品。
アート展でブラジルに来た東郷青児が移民の苦闘史に心を打たれ、1978年の移民70周年を記念してオープンすることになったこの移民史料館のために製作して寄贈、遺作となった。
大画面のなかにいくつもの移民たち、そしてブラジル人たちの開拓作業や生活風景、さらに大都市からイグアスーの滝までが描かれている。

これだけ絵を眺めるのは、藤田嗣治の戦争画以来。
描かれている人物の顔までは明らかではないため、日本人というより非日系ブラジル人とみられる人物像も少なくなく、それがまたいい。

帰って検索してみると、当の開拓移民経験者から描かれている道具の使用法が違う、樹の伐り口が違うなどのクレームがあったとか。
まあ、描かれているイグアスーの滝もデフォルメされていることは現場をよく知る人間にはわかる。
ブラジルにも移住後に巨匠となった画家は複数知られている。
当時の事情が気になってくる。
気にしておこう。


2月27日(水)の記 東洋人街の壁画
ブラジルにて


昨日、東洋人街のガルボン・ブエノ街を歩いていて。
和菓子の金澤の隣の壁に、目を引くグラフィティあり。
ジャクソン・ボロックを縦にしたような細かい色彩のラインの錯綜。
時間がおしていたため、遠目で歩きながら拝んだだけ。

サンジョアキン街にもオズジェミオス系の面白いのがあった。

今晩は日本からの映像関係者とのブレインストーミングに呼ばれて、またガルボン・ブエノ街へ。
ボロック系のをもう少しよく見たかったが、待ち合わせの時間に厳しく、また打ち合わせのイメージトレーニングもしていたため、見逃してしまう。
昨日は通りの向かい側だからよくわかったのかな。
今日は、暗かったし。
心の余裕もなかったか。

先週、インターナショナルグラフィティビエンナーレというのをのぞいてみた。
会場の外から見える一点が面白かったぐらいで、期待はずれだった。

グラフィティはこのヤバい路上にあってこそなのかも。
先史岩絵と合わせて考えてみたいもの。
ボロック系、次の機会まであるだろうか。


2月28日(木)の記 つごもりのおおづめ
ブラジルにて


如月も、つごもり。
日本からのメール。
拙著の解説の玉稿、そしてカバー案。
いただいた解説には、感無量、ぐらいではすまされない。
ただ、感謝。
言葉がおよばない。

思えば本のお話しをいただいてから、グレゴリオ暦はよっつ数を足した。
オリンピック一回分の時間。
その間、先方にもこちらにも、そして祖国には大変なことが続いた。

それにしても、出版というのは、勝手がわからないことが多い。
どなたかにご教示いただきたいもの。

訪日前に終わらせたいビデオ編集を粛々とたしなみつつ。


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