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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2013/12/06)
4月の日記 総集編 シモタカ立志編

4月の日記 総集編 シモタカ立志編 (2013/04/03) 4月1日(月)の記 家族つながり
ブラジルにて


次の訪日も近いが、今日から古くて新しい作品のまとめに着手する。
素材を探し出すのに苦労するかと思っていたが、すんなりとひと通りそろった。
仮題は「後・出ニッポン記」。
記録文学作家・上野英信の金字塔「出ニッポン記」のその後を、1999年に上野を師と仰ぐ犬養光博牧師夫妻の案内をしながら撮影したもの。
当時はビデオを編集するだけでスタジオ経費が数10万円はかかり、他にも赤字仕事ばかり抱えていたので、この地味な記録をまとめるには至っていなかった。
この度、犬養先生が転機を迎えられ、日本の親友二人に強く推されるなどもあって、編集を決意した。

さっそく犬養先生と岡村がサンパウロのファヴェーラ(スラム)まわりでニセ警官に襲撃された時の映像。
実に中途半端な映像だが、どうしよう。

午後、日本で見つけて歓声とともに購入した山田洋次DVDマガジン「家族」を観ることに。
最初に見たのは映画少年時代。
ずっとソフトが欲しかった。
付属冊子もすばらしい。
こうした良質の意欲作が、僕の糧になってきたのだな。

昨年、ブラジルのアモレイラから長崎に戻ったシスターを訪ねた。
このシスターの新たな配属先が長崎・伊王島で、「家族」の風見一家の旅の出発点。
映画の連絡船のシーンで、おそらく長崎純心聖母会所属のシスター二人が写りこんでいる。
シスターは映画にも登場する天主堂の裏手の修道院で、静かな祈りの生活をされていた。

風見一家はみなカトリック信者で、笠智衆演ずる風見源蔵の洗礼名は、ベルナルドと知る。
ベルトリッチ映画に登場する笠智衆を夢想。

ラスト近く、北海道の開拓村でベルナルドの歌う炭坑節。
これにも慄然。
「出ニッポン記」は南米各地に渡った炭鉱離職者を訪ねる記録なのだ。

DVDの特典映像に山田洋次監督のインタビューが収録されているのはいいが、特に「家族」のことを話しているわけではないのが残念。
なぜ日本のカトリックという、特異な設定をえらんだのだろう?
そして、日本で他に炭鉱を舞台にした劇映画はあったか。
「空の大怪獣 ラドン」ぐらいしかすぐに思い浮かばないけど。


4月2日(火)の記 サンパウロ美術館でジェームス・ボンドを想う
ブラジルにて


昼前に、パウリスタ地区で用足し。
樹影濃きシケイラ・カンポス公園を少し散策、ツノゼミと粘菌を想う。

火曜は、MASPことサンパウロ美術館が、タダ。
まずは特別展の肖像画展を観る。
レンブラント、ハルス、ゴヤなど。
タダにもかかわらず、東京の著名美術館のような人ごみがないのがありがたい。
それにしても、ばばーどもが美術館でかしましいのは、どうやら日本人の特徴のようだ。
どうしてなんだろう。

常設展のゴッホ、モネ、モジリアーニらの気に触れる。
おう、モジリアーニ。
「007/スカイフォール」の上海の高層ビルのシーンに写り込んでいた、モジリアーニ風の扇子を持つ女の絵のことが気になり、調べようとしていたのを思い出す。
帰宅後、さっそくPC。

これか、モジリアーニ「扇子を持つ女」。
2010年にパリ市立美術館で盗難された絵ではないか。
それだけで1本の映画になりそうなネタを、まさしくサラリと盛り込んじゃうサービス精神に感服。
この映画にはターナーも出てきたな。

未明に覚醒してしまうので、午後は眠い。
5月に予定している東京の大きな本屋さんでの対談の件で、不思議な動きあり。


4月3日(水)の記 「日本語の長い旅」
ブラジルにて


ブラジル訪問中の畏友・細川周平さんを、孤高の移民小説家・松井太郎さんのところへお連れするミッション。
久しぶりの車の運転、しかもこうしたお仲間だと運転中につい話が弾んでしまうので、とても緊張。

同じサンパウロ市在住でありながら、松井さんとは文通を続けている。
日本の出版関係者に不義理をされてしまい、間に入ってしまった僕は松井さんのお手紙での再三の問い合わせにも返答に窮していた。
これらも、細川さんが解決してくれる。

でたらめな自称研究者、ものかきなどは枚挙に暇はないが、細川さんは見事な義理と人情の人。
アマゾンで体調を崩してしまったとのことで、静養・自愛をお願いする。

細川さんの刊行して間もない大著『日本語の長い旅・日系ブラジル移民文学Ⅱ」(みすず書房)の「ここから辺境へ-松井太郎の世界」をアパートに戻って読ませていただく。
松井さんもさっそく読まれていることだろう。
細川さんとの長い旅が思い出され、感無量。

なにやらこっちも疲れがどっと出る。
夕食は、ピザの出前にしてもらおうか。


4月4日(木)の記 水俣・シングー
ブラジルにて


午前中、あちこちとメールのやり取り。
その合い間に先月、水俣のほっとはうすでの上映会の際にいただいたDVDを観る。
1991年に放送された番組。
生まれてからずっと写真を撮られ続けていた胎児性水俣病の患者さんが、自分で写真を撮るようになり、写真展も開くようになったというドキュメンタリー。
このなかに、岡村が写っているではないか!
それも数カットにわたって、バストショットまである。
水俣での国際会議に出席したのはいつだったかな、と過去を振り返っていた。
1991年の11月だったことがわかる。
カメラを構えている胎児性水俣病患者に会い、周囲の連中がずかずかばしゃばしゃと写真のシャッターを切りビデオをまわすなか、自分はカメラを構えたりしないのが我ながらいじらしい。

なんだか疲れを引きずっている。
しかし思い切ってCINESESCの優秀映画祭に行く。
眠っちゃうのが心配。
昨年、劇場公開で見逃したブラジル映画の大作「XINGU」。
インディオ保護に奔走したヴィラス=ボアス兄弟が、アマゾンのシングー川流域にインディオ保護のための国立公園を作る経緯。
海賊版ででも見ておこうという気が起きていたのを自制し続けた。

なんとも美しい話だ。
崇高であり、ブラジルの誇りだ。
劇場とスクリーンで見てよかった。
「すばらしい世界旅行」では故・豊臣靖ディレクターの時代から杉山忠夫ディレクターまで、ヴィラス=ボアス兄弟、そしてシングーのインディオたちを取材して紹介し続けていた。
牛山純一プロデューサーの強いこだわりがあったからだろう。
日本のお茶の間に、この尊い物語を放送し続けたことは誇っていいと思う。
僕は幸か不幸か、シングープロジェクトに関わることはなかった。
もし関わっていたら、僕の性分からして、相当のめり込んで引きずっていただろう。
そうなっていたら、おそらく僕の少なからぬ日本人移民ものは生まれていなかっただろう。

いまやブラジルのジルマ政権は、内外の反対を押しつぶしてこのシングー川に巨大なダムを強行に建設しようとしている。
人類どころか、地球に対する犯罪。

僕は、なにをどうしよう?
あれもこれもと、どれも中途半端以前の失敗を犯しているサンプルを目の当たりにしたばかり。


4月5日(金)の記 名刺発掘
ブラジルにて


出版の行程がよくわからないが、拙著は校了の段階に入ったようだ。
5月に東京で予定されている出版記念会、お世話になった方々への献本などのため、諸々の方々の連絡先・住所をリストアップしないと。
すでにいくつもある過去の名刺ファイルを発掘するのがひと苦労。
重さで倒壊している棚に置かれた諸々を取り出していく。

名刺ファイルも100円ショップあたりのものは滑りやすく、収納したはずの名刺がすべり出て始末に終えない。
近年のかなりのものは発見できたが、まだキーパーソンを見つけられず。

連絡先も、フェイスブックしかわからない人、ツイッターのみが連絡手段の人と、多種多様。
転換期なのか、こうした百花繚乱が続くのか。
とにかく乗り越えないと。


4月6日(土)の記 OIRANアート
ブラジルにて


なんだか疲れ気味。
家でごろごろ本でも読んでいたいところ。
が、いま逃すとおしまいのこともある。

思い切って起き上がる。
イビラプエラ公園・ビエンナーレ会場でのサンパウロ国際アートフェアへ。
入場料30コント、約1500円、それだけでもこっちでは高額だ。

世界各地のギャラリーが出店。
これはビエンナーレより面白いかも。

ポルチナリ、カヴァルカンチ、ラゼル・セガルなどのブラジルの巨匠の絵画がぼこぼこあるではないか。
トミエ・オオタケ先生もある。
ピカソ、ダリから奈良美智まで。
そこいらの美術展よりずっと逸品がそろっている。


して、ナミの美術展とは作品も、空気も違う。
それを考える。
そうか、ここにあるのは売り物なんだ。
僕あたりには、値段を聞くのもはばかれるけど。

こっちに媚びた声をかけてきたのは、東京のギャラリーのお姉さんぐらい。
あとのいかにもお高いギャラリーのスタッフからは、清貧の日本人求道者など見向きもされない。
いずれにせよ、カネさえあれば手に入る作品ども。
なにか作品そのものはこっちに媚びを売っているような感じが。

話に聞く吉原遊郭の花魁みたいなものか。
こっちは冷やかしだけだけど、カネさえあればなんとかなるのだ。

洞窟壁画以来、アートはどこでどうなっちゃったのだろう?
カネと商いが入っちゃうと…


4月7日(日)の記 シャイニングの迷宮
ブラジルにて


第18回ブラジル国際ドキュメンタリー映画祭がサンパウロで始まっている。
今年は例年より上映本数も上映館数も控えめな感じで、気ぜわしい身としてはホッとしている。
体が重いが、昼からダウンタウンに繰り出す。
ミニペットボトルに緑茶を詰めて。

まずはデンマーク映画「Rent a family Inc.」(Kaspar Astrud Schroder監督)。
解説をみると、リューイチという日本人としか思えない名前の主人公が、ふつうの生活をしているようでパソコンや携帯電話を用いてアブノーマルな活動をしているというお話のようだ。
ずばり日本のお話。
いろいろな事情のある人のために、仮の家族を演じるリューイチさんのドキュメンタリー。
千葉に暮らすリューイチさんの家族がまた面白い。
こうしたお仕事が必要とされる日本と、リューイチさんの「演技」は観客のブラジル人たちに大受け。
こんなの、よく撮らせたなというシーン、リューイチさんがワイヤレスマイクを付けているのが「業務上」だいじょうぶなのかなとドキュメンタリー屋として気になる部分も。
最後のクレジットのなかで、事実に基づく再現も行なっている、とあり、納得。

一本おいて、河岸をパウリスタ地区に変えて。
たっぷり期待している「Room 237」(Rodney Asher監督)。
スタンリー・キューブリックのあの「シャイニング」にこめられた、さまざまなナゾを探るという。
「シャイニング」の公開は1980年。
いきなりのワイドなエアーショット、そしてベルリオーズだったか、キューブリック好みの不気味な選曲に度肝を抜かれた。
語り合いたいシーンの多い映画だが、公開30年を経て、この映画の謎解きを続けているシネフィルが少なくないというのが、凄くもうれしい。

例えば、北米インディアンの虐殺。
そして、ホロコーストへのキューブリックのこだわり。
さらに、月とアポロ計画。
「IQ200の人間の作品に挑んでいる」というコメントがわかりやすい。
映画好きでよかった。
さすがキューブリックだ。
この映画を見れただけでも、効率悪く大枚はたいて短期間だけブラジルに戻った甲斐があったというもの。

ところで「シャイニング」もさることながら、遺作となった「アイズ・ワイド・シャット」も相当なものではなかろうか。
先日、この日記で山田洋次の「家族」について書いたところ、日本の友人から「家族」についての「妄想」(と本人が形容する)解釈を伝えてきたが、こうした妄想や謎解きを喚起できる映画そのものがすばらしい。
それでこそ洞窟壁画の後継者。


4月8日(月)の記 愚かな人間たちの物語
ブラジルにて


読書タイムは細川周平さんの大著「日系ブラジル移民文学」にあてていた。
はずみで「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」(大鹿靖明著、講談社文庫)に浮気をして、深みにはまってしまった。
成田空港の改造社で購入。
これは必読書だ。
特に第1部は繰り返し読まれるべきだ。

例えば東電会長だった勝俣とは何者だったのか、社長の清水は事故当日の平日に夫婦で秘書を連れてどんな観光をしてどうウソをついていたのかなども、よくわかる。
そんなこと以上に、あの時、日本国は地球の生態系の一部とともに滅亡する寸前だったことは、肝に銘じておくべきだ。
これだけの国難を福島の切捨てだけですませてはならない。
いったい、なにが起きていたのか、たかだか一昨年前のことだ。
きちんと何度も見つめなおそう。

「本書は愚かな人間たちの物語である。」と内扉に刻む筆者の骨太な精神がいい。
大朝日という所属があるにせよ、筆者の批判はその朝日にも及ぶ。

慎重を期した僕の「リオ フクシマ」はある意味、生ぬるかったかも。
まあ、映像は、言わないでもわかるべき人にはわかる。
岡村以外に、だれが愚かか。


4月9日(火)の記 百年の孤独
ブラジルにて


自宅での作業、諸々の根回し連絡。
リクエストのあった肉じゃが作製のための買い物。

夕方、当地の邦字紙勤務の友人から電話。
今年は故・橋本梧郎先生の生誕100年になるはずだが、こっちでなにかをするか、ご存知かとの質問。
これはうっかりしていた。
たしかに橋本先生はトミエ・オオタケ先生と同じ年の生まれの早生まれだった。
トミエ先生は今なお現役で、その名を冠するインスチチュートもいくつもの100歳記念イベントを始めている。

橋本先生の没年はブラジル移民100周年の年で、忘れもしない。
来年の七回忌には「橋本梧郎と水底の滝」シリーズ第二部を完成したいとは思っていたが。

そもそもブラジルで橋本先生の取り巻きの一味からは、橋本先生のご存命の時に、僕による橋本先生の記録活動を利用するだけ利用しておとしめて、活動そのものを脅かすような破廉恥な仕打ちをいただいている。
しかし内部にシンパがいるので、何かあればこちらにも聞こえてきているだろう。

いま、予定しているいくつかの作品の仕上げの順番を考える。
正直なところ「橋本梧郎シリーズ」は根強いファンもいるが、ぜひ早く続編をというお声はあまりちょうだいしない。
どれを優先してまとめるかは、あくまでも僕の問題なのだが。

それにしても僕がしぜんと皮肉抜きで先生づけで呼んでしまうこのふたりの共通点とギャップに、言葉を失うばかり。
どちらの先生にも、僕にしかしえない映像記録をすでにものしていることは感無量。

だが、まだ先もある。
さあどうしよう。


4月10日(水)の記 中隅哲郎さんを拝む
ブラジルにて


もろもろ外回り。
リベルダーデ駅前広場では、花祭りのブースが出ている。
列が短くなった頃を見計らって、せっかくだから。
そうか、東大寺などのにこやかなミニ釈迦像は、このセレモニーのためのものかと今更ながら気づく。
目の前のミニ尊像は、そうとうな劣化コピーの感ありだが。
甘茶を掬ってかける。

「ブラジル学」の故・中隅哲郎さんのお宅に寄って、お線香をあげさせてもらう。
毎年、四月のお命日の時には下高井戸シネマの上映と重なってしまう。
ご夫人とは、話が尽きない。
そうか、享年六十三か。
今どき、早すぎ。
昨日の橋本梧郎先生の件といい、死者をきちんとつないでいくのも出会いの恩恵をいただいた者のお役目というもの。

中隅哲郎で検索エンジンをかけると、複数の著書があるだけに出てくる出てくる。
本を出すというのは、こういうことでもあるのだな。
中隅さんの業績は、伝わる人には伝わっていく。


4月11日(木)の記 ANTANAS SUTKUSのよろこび
ブラジルにて


訪日を前に、気になるアート系を一日がかりでサンパウロ各所で漁(あさ)る。
最大の収穫は、ANTANAS SUTKUS、リトアニア出身の写真家の作品群。
先の訪日前に見て、昨日も見て、今日は二度、展示を訪れた。
カイシャ・クルトゥラル・サンパウロにて無料で展示されているとはいえ、僕にとっては稀有の行為。

写真を見て、これだけよろこびを覚えたことも、繰り返してみたことも、前例がないのでは。
世界的にはブレッソンなどと並んで語られる写真家のようだが、検索してみると見事なまでに日本語圏では咀嚼されていない。

モノクロームの正方形の世界の、まず構図に惹かれ、見続けるうちに被写体の人物の表情に惹かれていく。
会場ではブラジルのテレビ局製作の彼のインタビュー番組が流されている。
彼の言っていることは、わが意を得たりのことばかり。
厳存するひとに対して、演出などとはもってのほか。
ただの、正確で輝く鏡であること。

ブラジルの展示のタイトルは、um olhar livre、自由なる眼。


4月12日(金)の記 「南溟の覚醒」
ブラジルにて


出版周りの諸々、ある程度の目鼻がつく。
またまたの訪日土産の買出し始め。
手ぶらでともいかないのがつらいところ。

訪日後、さっそく画家・森一浩さんのはじめての絵本「あんぐりぃあかちゃん」(論創社)の出版記念会がある。
とっておきのお祝いを思い切って準備することに。
昨年7月、森さんの日本のホームグラウンド、鹿児島枕崎で行なわれた回顧展。
そのオープニングで、鹿児島のミュージシャン・ちゃんサネさんのジャズバンドが、森さんの作品の印象を即効で演奏するという試みを行なった。
僕は拙作の記念上映をするゲストの立場で、ビデオカメラもまさしく携帯用のものを持参している程度だった。
他にどこかがきちんと撮る気配もないので、上映準備の合い間に撮影。
これが凄かった。

洞窟壁画空間での演奏、かくや。
ちゃんサネさん自身、こうした試みは初めてとのこと。
見直してみて、これは撮りっぱなしにはできない映像と再確認。

「南溟の覚醒」というタイトルが浮かぶ。


4月13日(土)の記 今朝ニュールンベルクで
ブラジルにて


一昨日、ダウンタウンのCD/DVD屋で見つけた。
1961年製作、スタンリー・クレイマー監督の「ニュールンベルク裁判」。
それどころではないといえばそれまでだが、気になって購入、未明より思い切って鑑賞、187分。
ブラジル製DVDのパッケージの解説は、間違いだらけ。
監督名も、原題も間違い。

てっきりナチスの大物戦犯を裁いた話かと思っていた。
しかしナチスの4人の法律関係者を裁く話。
キャスティングがあまりに豪華なので、登場人物もそれクラスと勘違い。

福島原発事故問題とかぶってやまない。
大衆はなにを知っていてなにを忘れたがり、権力はなにを忘れ、忘れさせようとするのか。
人として、忘れてはならないこと、責任を明確にして裁くべきことがある。
同じ過ちは、すぐそこに来ているのだ。

ポルトガル語の字幕は、視聴者に読まれる気遣いがされているとは思えないズレと短さ。
英語でもポルトガル語でも、法律関係の用語はおかげさまでなじみが薄い。
日本語字幕版でしっかり見直したいもの。


4月14日(日)の記 ブラジル五目
ブラジルにて


家族に人気の鶏肉とヒジキのオコワをつくることに。
ニンジン、インゲン、油揚げ、さらにタケノコ、シメジ、コンニャクと入れたから、五目どころか八目。
岡村八目。

もち米はブラジル製で、長粒米、どうみてもインディカ種。
インディカ種はぱさぱさなものと思い込んでいたが、東南アジアのもち米はそもそもほとんどがインディカ種らしい。
もち米の調理法はややこしく書かれていることが多いが、適当に鍋で炊いても失敗がないのがありがたい。
しかも今日は自家製発芽玄米を入れ込んだ。
おこげもまたよろし。

もちもち好みといえば、照葉樹林文化論。
中尾佐助先生と照葉樹林文化論を提唱していた佐々木高明先生も先日、亡くなった。
縄文学徒時代に、照葉樹林文化論には大きな刺激を受けた。
先月、訪問した水俣には照葉樹林が残っているとのことだが、森歩きもかなわなかったな。
訪日したら、地元目黒の林試の森でもさまようか。
臨死体験の森。


4月15日(月)の記 ヴィラ・ロボスを買いに
ブラジルにて


さあ新たな出ブラジル前日。
出版記念会のときのBGMのCDを用意しないと。

生演奏ということも考え、日本の知人に相談もした。
しかし他人様にお願いして、タダという訳にはいかない。
そもそも初めてのことで会の勝手がわからず、お願いしたミュージシャンに失礼になってもいけない。
著者がミュージシャンに気を遣って、来客のもてなしがおろそかになっては本末転倒になってしまう。
そのあたりを考慮して、複製音楽の再生にしようと思う。

やはり、ヴィラ・ロボスだろうな。
結婚式はバッハでいった。
葬式はバッハかヴィラ・ロボスか迷うところ。

お気に入りのCDは日本に置いてあるが、すでに購入後、四半世紀が経ち、満身創痍ぎみ。
新たな購入に、サンパウロで思い当たる最大クラスの場所へ。
なんだよ、ここでも「ブラジル風バッハ」をそこそこ並べているアルバムはひとつしかない。
しかもEMIの輸入盤、2枚組で邦貨にして4000円也。
音楽といえば無料ダウンロードの時代に、高い。
ま、ナマの人を頼んだらお車代でももうちょっとはずまなければいけないし。

迷宮渋谷で、移民を語り、ヴィラ・ロボスを流す・たのしや五月。


4月16日(火)の記 あるいい日旅立ち
ブラジル→


目障りな古新聞の束のチェックと身辺の散らかりの整理が、サンパウロ出家の今日の課題。
銀行の用事、残りの買い物で外回り。

道中どこまで読めるか、細川周平さんの大著「日系ブラジル移民文学」ⅠとⅡを機内持ち込み荷物とする。
細川さんとの対談に備えて「遠くにありてつくるもの-日系ブラジル人の思い・ことば・芸能」も読み返したいところだが、数か月前にお貸ししたサンパウロの知人のところに先週、出向くと、ご本人は長期休暇で外国に遊びに行っているとのこと。
署名入りの大切な本を他人に貸すものではないと反省。


4月17日(水)の記 東京機上家族
→アメリカ合衆国→


今回のフライトは「悪妻」JALの同じアライアンスであるアメリカン航空ダラス経由。
コードシェアとかいいながら、JALでチケットを買ってトラブルが起こってもJALはいっさい責任を取ろうとしないので要注意。
日米同盟なんぞ、有事にはそんなものである。
しかも同じ料金を取られて、アメリカン航空のサービスは落ち目のJALのさらに二段は落ちる。
飛行機が落ちないのを願うばかり。

まずブラジル-日本の長時間フライトでアメリカン航空のこの薄いエンターテインメントサービスでは、日本語バージョンのすべての映画を見尽してもまだ時間が余る。
げんなり気味でダラスから乗り換えたフライトで液晶画面をいじる。

なんと!
サンパウロ→ダラスでは韓国のアクション映画だった枠が「東京家族」になっているではないか!
見たくてたまらないが、映画館には足を運びにくい、まことに複雑な思いの映画である。

あの「家族」の山田洋次監督の、小津安二郎監督の人類史上のマスターピース「東京物語」への60年目のオマージュ。
ちなみに今度の拙著「忘れられない日本人移民」では結びに至るまで三か所でこの「東京物語」について言及している。
すでに、わたしの一部をなしている作品なのだ。

その意味を説明するのが難しい涙が止まらず、乗客三割程度の空いている機内でよかった。
山田監督はよくぞこの「負け戦」に挑んだものだ。

成田までエンドレスでこの映画を再生して、もう他の映画などまるで食指が動かない。
1953年の「東京物語」はさておいても、同じ山田洋次監督の1970年の「家族」との比較でも感無量。
いみじくも「家族」製作の際に山田監督が語った、映画に写りこんでくる社会→国の姿に。

地球上の大移動をしながら気づいたことをいくつか。
「東京物語」ではあり得なかったいくつかの変化。
・品川駅にながれる中国語のアナウンス
・横浜のホテルで深夜に大騒ぎをする若い中国人のグループ
・はとバスの外人カップル

そして地図と地球儀の映り込み。
・東京都下の平山家の2階の廊下に貼られた日本地図
・周吉の友人、おそらく社会科の先生だった故・服部さんの書斎にある地球儀
・広島・大崎上島の平山家にある、おそらくかつての子供部屋の地球儀

一族に移民もガイジンもいない家族の物語でも、日本という国、地球という星が見えてこざるをえない時代になったか。

大メディアと代理店の製作に参加する映画の中では、3月11日、津波、陸前高田、南相馬という言葉は語られても原発と放射能には触れられることがない。

原爆文学を研究するわが友なら、この主人公の老夫婦は広島の被爆者と読み込むことであろう。


4月18日(木)の記 わが祖国はみどりなりきか
→日本


午後の成田に到着。
税関を抜け、シャトルバスのチケットを買ってから、乗車時間まで無料Wi-Fiの恩恵にあずかってノートパソコンを開く。
車窓から成田近郊の里山を眺める。
関東の4月下旬の植生はこんなに茶褐色だったっけか。
優勢でぼさぼさなタケも埃っぽい。
新緑という感じではない。

深い眠気に襲われつつ、渋谷到着。
タクシーに乗り換えて目黒の実家へ。
意外に都心のみどりは新緑の心地よさがある。

やれやれ。


4月19日(金)の記 いきなりマン喫かよ
日本にて


どうしても時差ボケでへろへろになる。
先は長い、無理せんでいこう。
日中、いくつか外回りをしようと考えていたが、変節。

下高井戸で出版社「港の人」の里舘代表と待ち合わせ。
最初に刷り上がったわが著をいただく。
息を呑むデザイン、質感。
言葉が続かない。
まことにすばらしいのひと言。

今晩は下高井戸シネマ・優れたドキュメンタリー映画を観る会のドキュメンタリー特集前夜祭。

ミュージシャン・友川カズキさんを描いた「友川カズキ 花々の過失」の上映と友川さんのライブ。
会場で顔見知りだった人と、思わぬ共通の知人がいることがわかり、終了後、軽く飲みましょうという話に。
しかし「すぐドキュ」の飯田代表のお声がかりで、友川さんとの打ち上げに参加することに。
友川さんのライブぶりは相当なものである。
とてもこの境地までには、と思いながらライブを拝聴していた。

と、なんと打ち上げ会場では友川さんご自身が僕の隣に座ってきた。
追っかけ、取り巻きが何人もいるし、若い女性もいる。
時差ボケ天然ぼけの岡村あたりが出る幕ではないので、折を見て席を替わろうとするが、友川さんがそれを許さない。
ドキュメンタリーではわからなかった友川さんのノーブルな魅力を体感。

…そして誰もいなくなった。
遅くまで飲んでいた人たちは近くに住んでいたり、チャリがあるなどだった。
友川さんは世田谷区内のアジトに行くとのこと。
昨晩、日本に着いたばかりの移民が深夜ひとり凍てつく街に残される。
電車はなく、タクシー代などもってのほか。
そうだ、シモタカに並レベルのマンガ喫茶があった。
6時間パック。
フラットシートがなく、椅子席。  
禁煙席でも煙草くさい。
アメリカン航空のエコノミー席とどっちもどっち。

生まれた初めての自著を手にした夜が、これ。
オカムラらしいかも。


4月20日(土)の記 田園に酒す
日本にて


下高井戸シネマでモーニングショー、レイトショーのドキュメンタリーを鑑賞。
その合間に森一浩さんの出版記念会@千葉・佐倉。
佐倉の数駅手前ぐらいから田園と里山の光景が。
水を引き始めた田の奥のあちこちで、たき火の煙が上がっている。
こうした煙をなんと呼ぶか、田渕俊夫さんの画集にあったが、手元にない。

駅を降りると、ほのかにこの煙がかおる。
決して不快ではない。

すでにたけなわの宴では芸大系、枕崎系と猛者ばらが気炎を上げている。
こちらも飲まざるをえない。

時差づかれ、飲みづかれ。


4月21日(日)の記 水戸・ワイエス・あもれいら
日本にて


まずは下高井戸シネマのモーニングショーで一本鑑賞。
時計を気にしつつ、あわただしく映画館を発つ。
今日は決死作戦、上野から特急をフンパツして水戸へ。
時は金なり。

新たに泊まることになったホテルにチェックイン、「にのまえ」の眞家マスターに紹介されていた喫茶店に寄って挨拶をしておく。
早歩きで水戸県立美術館へ。

やった、見れたぜアンドリュー・ワイエス展!
ワイエスは知る人ぞ知るアメリカの画家。
おう、これが実物か!
印刷版と実物のギャップがこれだけ大きい作品も珍しいかも。
白紙に水彩絵の具が基本。
紙自体の白をハイライトとして活用、拙作「サルヴァドールの水彩画」で森一浩さんが披露した、あれだ。
そして、汚れとも見えないこともない、こまかい「よごし」がいい。
自分がプラモデル少年・よごし系だったことまで思い出す。
そして今度、気付いたのがワイエスの風の表現。
森さんにまたいろいろ聞いてみよう。

17時からの手打ち蕎麦処にのまえさんでの第13回岡村淳ライブ出前上映に車で参加する常連さんに、美術館前でピックアップしてもらう。
「あもーるあもれいら」、あの第二部『勝つ子 負ける子』の上映。
うれしいことに予約で満員御礼。
上映後のディスカッションは盛り上がりっぱなし。
眞家マスターのうれしそうな顔。
お話し会の賞品を保育園で開ける子と開けない子の違いは文化によるものか、日本でも同様かみたいなことで、熱く対話が続く。

今回訪日後の最初のライブ上映であるにのまえさんに、出版社が最初の少数の刷り上がりを送ってくれた。
悪筆の岡村にぜひサインを、と何人にもおっしゃっていただく。
さすがに事前に速成書道講座には通わなかったが、にのまえさん用に考えていたフレーズを添える。
誠によろしい幸先。

お店の今日のスペシャル料理は、ブラジルのナショナルプレート・フェイジョアーダ。
おそばは食べ損ねたが、茨城の地酒は三銘柄を堪能。
みなさま、ごっつあんです。
最初の、とろっとしたのがよろしかった。


4月22日(月)の記 上京物語
日本にて


午前11時からの下高井戸シネマ・ドキュメンタリー特集のモーニングショーに間に合うよう、水戸を発ちたい。
河原乞食の分際としては、極力、別料金の発生するJRの特急の使用は控えるべき。
バスでは渋滞にぶつかったら映画に間に合わなくなる。

すると、7時47分発の鈍行上野行きか。
地元民に聞いてみると、かなり混む可能性が。
こちらはDVDポータブルプレイヤー、ノートPC等を持ち歩き、また納豆スナックなどのお土産もいただいてしまったため、かなり荷物が重く、かさばっている。
2時間近い満員列車はキツいかも。

ホームに入ってきた列車はかなりの満員状態だったが、水戸で高校生軍団がごっそり降りた。
ヤッホー、座れたではないか。
日本の友人が送ってくれた指田文夫さんの「黒澤明の十字架」を読み耽り、時にはウトウト。
黒澤の作品と人に僕も抱いていた漠然とした疑問にシャープな光を放ってくれる。

シモタカには十分、間に合った。
モーニングもレイトも見ておいてよかった。


4月23日(火)の記 飲み遅れる人
日本にて


今日も朝と夜、下高井戸シネマでドキュメンタリー三昧。
途中、8時間近く空く。
この間いったん祐天寺の実家に戻るとすると、お得な裏ワザがあることにようやく気付く。
下高井戸と三軒茶屋をつなぐ世田谷線は、140円均一の乗車賃。
一日券というのが320円であり。
一往復半すれば、もうモトが取れる。

モーニングショー「逃げ遅れる人々 東日本大震災と障害者」飯田基晴監督。
レイトショー「遭難フリーター」岩淵弘樹監督。
飯田監督がトークで語った「記憶の半減期は短い」という言葉を野帳にメモ。

夜の部終了後、顔見知りの若い記録映画監督が、ブラジルのことで聞きたい、という。
友川カズキさん激賞の居酒屋「きくや」できく。
ついつい乗せられて、世田谷線最終を逃す。


4月24日(木)の記 雨に咽ぶ前夜祭
日本にて


午前中は下高井戸シネマで「歌えマチグヮー」を鑑賞。
沖縄那覇の栄町市場の町おこしのお話。
僕は昨年、この栄町の飲み屋をブラジルコネクションの女性に案内していただいた。
その時にここを舞台にする映画が公開されるとは聞いていた。
どんな映画だか見当がつかなかった。
なんだか、いい話。
ドキュメンタリーのすそ野を広げてくれた。
市場での生業と音楽活動を両立させる人たちに、縄文時代の人たちを見る思い。
今日の上映会場で、新田義貴監督の他に現地を知っているのはこのブラジル移民にいただろうか。

夜は荷物があるので、いったん実家に戻る。
昨日ぐらいの予報だと今夜から雨、あす朝は荒れるとか。
悪天候と原発事故が、ずばり客足を脅かすことは痛感している。

APARECIDAさんでは福島原発事故直後以来の人の入りの悪さを覚悟。
上映後にもぼちぼちと人が来てくれて、なんだか安心。
なぜか今日は男衆ばかりだった。
男の夜、男の上映会。
今日、ご尊父の告別式だったという人が来てくれた。

父親の葬式を終えた夜に、岡村のドキュメンタリーを観る。


4月25日(木)の記 シモタカ立志編
日本にて


結婚式と葬式を合わせてやるようなボリュームと食い合わせの悪さ。

下高井戸シネマで「リオ フクシマ」をモーニングショーで上映。
東京初公開かつ劇場初公開。
あわせて、初めての著書「忘れられない日本人」の発売日記念の販売。
この二つを兼ねたトークというのは、なかなかの至難の業。
だれか指南してくれ、とか。

なんといっても映画館は興行であるので、無党派・無宣伝(無教会みたいな味もあるではないか)・無銭製作(三無主義だ)の岡村としては、ひやひや。
平日木曜の午前10時50分開始というワクにもかかわらず、おかげさまでいい感じの人の入り。
トークは、さすがにむずかしかった。

「リオ フクシマ」は想定以上の好評。
まことに妙なり。
ひとりで何冊も買ってくれる人もいて、拙著は完売。

懇親会は不思議な出会いに満ち満ちて。
今日はまさしくイニシエーションだったかも。
仲間たちのおかげで、三無主義でもなんとかなった。

星野智幸さんがさっそく絶妙な解題をアップしてくれた。
http://hoshinot.asablo.jp/blog/
なるほど、そういうことだったのかと足元を照らしていただく。


4月26日(金)の記 読書独学蕎麦
日本にて


下高井戸シネマでの「優れたドキュメンタリー映画を観る会」特集上映は、多様で驚きの出会いに満ちている。
今回は前夜祭で、よく会場で見かけていた作務衣姿の御仁に声をかけていただいた。
なんと、僕が日本で南米でお世話になってきた人の、高校の同級生だとおっしゃる。
「くりはら」という蕎麦処を下北沢で開けているが、本来は陶芸が専門だった由。
お蕎麦の方は金・土・日のみで、先週末はご夫妻とも岡村同様、ドキュメンタリー三昧でお休み。

今朝、「すぐドキュ」朝の部をひっかけてからお店に行ってみる。
お店目前で銀輪に乗る栗原さんにばったり。
金曜は、夜のみとのこと。
こっちがよくチラシを見ていなかった。
蕎麦屋に行くのにチラシをよく見てたまるか、寿司屋じゃねえんだ、とか?

まあどうぞ、と招き入れていただき。
麦酒から、米酒。
蕎麦屋さんにも陶芸家にもいろいろ聞きたいことはあった。
店内には目を引くアートがちらほら。
蕎麦屋は、文化。
創業は文化文政、とこれはただ韻を踏んでいるだけ。
栗原さんはこれから夜の部のそばを打つと知り、いったん退席。

夜のシモタカ上映まで世田谷区内の温泉でも、と考えていたが転向。
夜の部の「くりはら」をぜひ。
下北沢を散策、ようやく見つけたネカフェで開店を待つ。

できあがって盛り上がる初老のおやじどもなどに交じって、十割蕎麦をいただく。
かつてない蕎麦体験。
身心の糧をいただく実感。

陶芸教室を開いていた栗原さん。
長野の友人の打った蕎麦を食べて、自分もやってみようと思った。
自分は教室には通わず、本を読んで独学。
道具も自分で工夫して作った。
もちろん器も。
特に余所の蕎麦屋を探索することもなかったという。

ネットで検索してもらえばわかるが、それで大方が絶賛する境地に達したのだ。
ごちそうさまでした。


4月27日(土)の記 蛇崩がえり
日本にて


今日のナイトショーが「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の特集上映の千秋楽。
シャシンは「長嶺ヤス子 はだしのフラメンコ」。
これは見ておいてよかった。
地母神・縄文・シャーマン。
長嶺さんのキャラは絶妙、大宮浩一監督のスタンスには共鳴するところが多い。

昨晩の「100万回生きたねこ」との相違が面白い。
共通点としては、死期を意識している女性、表現者である日本人女性、そして猫。
演出も映像も、両作品ともうまいが、味わいはフレンチと中華料理ぐらいの違いがある。
さらに両者から、死を超えた再生、復活、よみがえりという声が聞こえてくる。

今年の特集上映は特にプログラミングが僕に響いた。
いろいろな出会いもいただき、すべて僕の血肉となっていく。

世田谷線で三軒茶屋に着くと、すでに零時近い。
地図表示を見て、近くに蛇崩川緑道というのがあるのをつかんでいた。
思い切って歩く。
目黒区の谷戸前川緑道よりいく段かステージが高い。
思索、そして地霊の体感、まことに贅沢な時間。
おおっと、ここに出るのか!

さあ蛇崩の語源を調べてみよう。
縄文講座で使えそう。


4月28日(日)の記 霧社修行・思い出の春
日本にて


これだけの映画体験は、ふたたびありえるだろうか。
横浜シネマ・ジャック&ベティでついに「セデック・バレ」全2部を鑑賞。
1930年、台湾山中。
台湾を植民地としていた日本の官憲の横暴に、山地の少数民族セデック(かつてはタイヤル族と呼ばれていた)は一斉蜂起。
日本人たちの運動会の日に襲撃して、130人を殺害、斬首した。
大日本帝国は威信にかけて軍隊を投入、毒ガスを投下。
蜂起組と対立関係にあるグループを矢面に立て、制圧した。
霧社事件と呼ばれる。

僕の学生時代。
縄文への想い、民族学ごっこ志向、そして鹿野忠雄という動物学者・民族学者へのあこがれから、高砂族と呼ばれていた台湾の少数民族を訪ねて遊んだ。
気になっていた霧社も訪ねた。
そして、バスのなかで声をかけられた。
その人がこの事件のキーパーソンの一人、映画ではビビアン・スーが演じる日本名高山初子、部族名オビン・タダオさんだった。
昨日、実家の荷物を整理していて、オビンさんの孫娘、年頃だったふたりとの写真を発掘したところだった。

よくぞここまで映画にしてくれた。
実際の部族の人たちがきちんと部族語で語る。
良質の民族誌フィルムでもある。
僕の記憶ではメル・ギブソンの「アポカリプト」以来。

そして後年、この映画でも触れられる川中島の近くで部族の経営する民宿にて拙作「KOJO」を有志とともに鑑賞した。
宿のおじさんは人類学者・鳥居龍蔵のタイヤル族訪問時の写真などを見せてくれた。
鳥居はブラジルも訪ね、アマゾンを遡行している。

感動冷めやらぬまま、ジャック&ベティの階下のパラダイス会館で、主幹のヅルさんたちと今年の多文化映画祭の候補作の拙作を試写。
これがまた長尺。
好評で安心。
第一回ブラジル移民団と台湾少数民族を結ぶエピソードを思い出した。

え、昨日じゃないか、笠戸丸が神戸を出港したのは!?


4月29日(月)の記 過去のプチ消去
日本にて


目黒に実家にて。
故人のもの、自分のものを引き続く少し処分。
けっこうな手間と暇。
東京タワーでの山本作兵衛展に行こうと考えていたが、断念。
メール系の作業も尽きない。
明日は上映・トークから夜バスの旅。


4月30日(火)の記 縄文、アマゾンそしてアキバ
日本にて


限られた時間と体力。
なにをするかより、なにをしないかの厳しい選択。

旅の前の梱包・送付は最小限になる。
午後、学芸大学駅「平均律」で打ち合わせ。
バロックの簡易シャワーを浴びて神田PARCへ。
「アマゾンvs縄文」トークと上映。
いくらでもネタはある。
「いつまでも聞いていたいお話でした」というコメントがうれしい。

ヤノマモの男たちの素行をDVととらえる声が複数の女性から上がる。
「戦争の人類学」という視点からヤノマモは人類学者にとらえられてきたが、DVの人類学というテーマでヤノマモを学ぶのも興味深い。

それにしてもいい寄り合いだったかと。
懇親会もまことに楽しい空気だが、22時台秋葉原発の夜バス・山形鶴岡行きを逃してはならず。
奥のプチ細道へ。


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