5月の日記 総集編 なめくじ男の感謝の涙 (2013/05/06)
5月1日(水)の記 ラビアータの花嫁と黒いマリア 日本にて
午前5時の山形・鶴岡に到着。 夜行バス夕陽号では希望者にバスターミナル至近のホテルの屋上温泉と朝食バイキングの割引券がもらえる。 これはありがたい。 温泉を名乗りながらジャグジーは塩素くさく、雪見障子ぐらいのわずかな透明ガラスからうかがう屋上の景観もあまりぱっとしない。 まあ割引料金で500円、あまり望むべくもない。
決して便利ではないバスで、加茂水族館へ。 クラゲ展示種類数世界一。 ついに、ついに来ましたよ。 クラゲ展示は地下にあり、最後に見ろと順路づけがしてある。
クラゲ以外の展示はぱっとせず、こっちもクラゲだけ見れればいい。 パラオの海水湖のクラゲに始まり、さすがにクラゲの種類は多い。 北米のミズクラゲの仲間・ラビアータの優雅さに見とれる。 白いベールとウエディングドレスの花嫁。
大型モニターでクラゲの一生についての映像を流している。 解説の音声のボリュームが低く、見学者は静かにしていないので画面に耳をすり寄せても聞き取れない。 ボランティアの名札を付けた老人が女性客に付きまとってウンチクをかましている。 女性客が逃げ切ったところでボリュームを大きくしてくれるよう頼む。 いやそうに、できないと言われる。 なんのための解説だろう?
時間をかけてクラゲを観察していると、場内に流れるキンキンした音楽が煩わしくなってくる。 どうやらエンドレスでこれのCDをかけているようだ。 音のコンセプトは、あまりにお粗末。 日本でポピュラーなミズクラゲを観察しているだけでも十分に面白い。 わざわざここまで来て、ボランティアの老人に邪険に扱われなくてもいいかもしれないことに気付いただけでも有意義。
ターミナルへの帰路、到道館という施設内のミュージアムで小松均という山形出身の日本画家の、最上川を描いた連作の対策を鑑賞。 横山大観の「生々流転」より取材がしっかりしていて、僕にはこっちの方が面白い。 ついで鶴岡市中心部にあるカトリックの天主堂にある、黒い聖母マリア像が見たい。 雨のなか、拝観。 抱えた幼子イエスの頭部像はブラジリアンバロックであってもおかしくない感じ。 黒いマリア像の方は、なんともオリエンタルな顔立ち。 明治時代にフランスから持ち込まれた像とのこと。 ブラジルの守護聖母アパレシーダのマリア像も、黒いマリア。 落ち着いたら調べてみようか。
5月2日(木)の記 露天のとき 日本にて
山形寒河江、お気に入りの温泉ビジネスホテル、サンチェリーで朝を迎える。 午前1時から5時までは入浴できない。 昨晩は夕方に到着、ひとっ風呂より先に急ぎのメール作業をしているうちに、ほぼ真っ暗になってしまった。 今朝も夜明けの入湯を楽しみにしていたが、新たな急ぎのメールを入力・送信しているうちにすっかり明るくなってしまった。 露天の一番おいしい時間を朝に夕に逃してしまう。 この宿の露天ぶろ、無心もよし考えごとにもよし、僕によくなじむ。
夜は山形駅から夜行バス。 地元山形の人たちが、寒い寒いと連発しているぐらいだから相当寒いのであろう。 こっちは荷物がけっこうあるので上着も持たず、かなり凍える。
5月3日(金)の記 駆け込みメイシネマ祭 日本にて
夜行バスは午前5時に北千住駅着。 荷物の仕切り直しもあるので、いったん目黒の実家に戻る。 ああ寒かった。
メール類のチェック、荷物の詰め替え、シャワーの禊。 いつもと違うルートで目黒駅まで歩く。 と、目黒川のあたりで村雲司さんにバッタリ。 いつもメイシネマ祭の会場でお会いする。 村雲さんは小説「阿武隈共和国独立宣言」を発表した時の人でもある。 僕も興味深く読ませてもらった。 目黒区立美術館で6日まで作品の展示があるため、メイシネマにはうかがえない由。
JR総武線平井駅下車、小松川区民館ホールへ。 藤崎代表はじめ、レギュラーメンバーとの再会。 松林要樹さん、本田孝義さん、小池征人さんら本日の上映作品の監督たちと親しくお話し。 さあいよいよ明日はこっちの番。 風邪をひいてないようでありがたい。
5月4日(土)の記 忘れられない日本の上映会 日本にて
メイシネマ祭2日目、いよいよ「リオ フクシマ」上映。 水俣の上映の時につくってもらったフライヤを、昨日のうちに小松川のA3まで拡大コピーしておいた。 会場に貼らせてもらう。 メイシネマ祭限定の配布資料として、星野智幸さんのレビューを転載させてもらった手作り原稿を、けさコピー。 こういう時に限って、コンビニのコピー機を長時間、先客に占拠されてうろたえる。 「港の人」の里舘代表が鎌倉から大量の拙著を引きずってきてくれる。
よくぞこれだけ人が集まってくれた。 遠来の人、思わぬなつかしい人、そして新たな出会い。 下高井戸シネマのときのトークを反省して、今回のメイシネマ祭でも他の監督は誰もメモ類を見ずに語っていることから、こっちも野帳類を見ずに話してみることにする。 ま、僕みたいに毎回、違う話をする人はあまりいないだろうけど。
大量の売れ残りを覚悟していた「忘れられない日本人移民」、完売、不足。 会場前の中華料理屋「珍宝」で懇親会。 岡村だけそれぞれのテーブルをブラジル式バーベキューのように回る。
上映会に来てくれた家族が、別テーブルにいた。 中学一年生の少女が食べ終わって家族とともに席を立ち、僕のところに来た。 「こんなこと、言っていいのか、やっぱりやめておこうかな…」 ぜひ聞かせて欲しいとお願いする。 「(『リオ フクシマ』を見て)日本人が恥ずかしいと思った」。 鋭い。 そう思えることが救い、と言葉足らずに応える。
有志で二次会へ。 さらに今日、初対面ながらよくなついてくれる若者と、三次会、そしてマンガ喫茶の深夜パックへ…
とてもいい上映とトーク、懇親会ができたと思う。 まさしくマンキツでしめる。
5月5日(日)の記 うんちのトラウマ 日本にて
もう電車は動いている時間。 平井のネットカフェで起き上がり、もらい物などで荷物が多いのでいったん目黒の実家に戻る。 仕切り直してふたたび平井、メイシネマ祭最終日。 休息の時、昨晩ネットカフェを共にした若者がすぐ目の前にいる。 二日酔いがきつそうで、僕のことも気付いていない。 声をかけると「あ、どーも。」「ネットカフェ、サイコーですねー」ぐらいの返答。 名前はヨネチャンとしか聞いてないまま。
「さなぎ」の三浦淳子監督が、じぶんが「運動音痴」だったことをトークでカミングアウト。 運動神経オンチ、略して、うんち。 僕もこれだった。 久しく忘れていたし、今度の拙著では触れるスペースもなかった。 まことに苦痛だった小中高の体育の時間。
メイシネマ祭最終上映は「オロ」。 上映後に藤崎代表が、監督の岩佐さんが昨朝、亡くなったことをあかす。 東北の被災地に上映に行き、深夜に宿泊先で転倒したとのこと。 その時も一緒だった代島プロデューサーらがあいさつ。 オロの話、ドキュメンタリーの話をするのが供養、という藤崎さんに賛同して懇親会。 延々と己を語る人はいても、オロの話が出ない。 僕は映像記録時代、オロ少年が6歳の頃、置いて行かれて食堂で働いたというチベットのシガツェという町に取材に行ったことを披露。 岩佐さんがご存命なら、この場でチベット談議ができただろう。 メイシネマの今後、という話が飲み会のベースになる。 藤崎さん、ボランティアスタッフの皆さん、ありがとうございました。
5月6日(月)の記 ピカドンの辰 日本にて
ラジオ番組、NHK第一で、話者はなぎら健壱さんだと思う。 「男はつらいよ」についてのウンチク。 フーテンの寅は、最初のテレビバージョンでは「ピカドンの辰」という名前だったという。 ぎょっとして、ネットで調べる。 主人公はピカドンの辰と名乗り、広島の原爆に遭ってケロイドになり、背中にキノコ雲の入れ墨を入れていたという。 強烈すぎる。 広島を舞台にした深作欣二の「仁義なき戦い」シリーズでも、これだけ強烈な設定はなかったかと。 山田洋次監督の「家族」から「東京家族」まで被爆者の影が付きまとう感があるのは、当然かもしれない。
夕方より西荻窪APARECIDAさんで「あもーるあもれいら」第一部の上映。 店の客の、若い保育士がぜひ見たいとのことで、まずは少人数でも上映の場を設定すればやりましょうということになった。 彼氏はけっきょく場所を設定できかねていて、APARECIDAのWillieさんがお店を提供してくれた。 彼の集めてくるメンバーをレスペクトして、こちらの声掛けはやめておいた。 すると彼が集めたのは、ふたり。 これなら、個人宅かカラオケボックスで行なってもよかった。 カンパ額は、ひとりあたり封切り映画の子供料金以下。 まあ、最初のお試し期間ということで。 ぜひ次も見たいとのことだが、次はもうWillieさんと僕に甘えないで、集客か資金カンパにもう少し真剣に熱を入れるべし、が条件。
5月7日(火)の記 デリートしますか 日本にて
実家の荷物を少しずつでも減らさないと。 古い手紙類を処分。 残しておいてはいけない手紙もあった。 破く前に反省を込めて目を通す。 そうか、そんなことがあったのか。
できれば、目の前で焼きたい。 それも御法度の東京の町なか。
処分がこんなに遅れてごめん。 こころに、刻んだから。
5月8日(水)の記 明瑞の傍に 日本にて
実家で段ボールに詰めてあった書籍を分別。 2箱分を送り出すことに。 カネは欲しいが、どうにも古書店に売りに行くのは気が進まず。
明治時代の天才神童書道家・伊藤明瑞ギャラリーのある山口県の龍昌寺さんにお願いして引き取ってもらう。 http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2012/0511/10p.html 日本郵便のウエブサイトは、途中でフリーズ状態になってしまう。 電話でも集荷に来てもらえることがわかり、コール。 ほんの少しさっぱりした。
もう少しバッサリ処分するべきだったかな。
5月9日(木)の記 1600余ページ 日本にて
いよいよ明日。 本を出すのは初めてだから、書店でのトーク・対談というのも初めて。 対談の相手は旧知の細川周平さんだから、あまり気をつかわなくていい。
礼儀、義務として細川さんの2巻にわたる大著「日系ブラジル移民文学」を読み上げなければならない。 ブラジルから担いできたのだが、「ながら」で読める軽い本ではない。 細川さんが積年、どれだけこの仕事に真剣に取り組んでいるかを垣間見ているだけに、いい加減には読めない。 連休明けから集中して読む。 予定の所用も後回しにする。
なんとかあす午前中ぐらいには読み終えられるか。
5月10日(金)の記 トークにありて思うもの 日本にて
午前中に細川周平さんの大著を読了。 さっそく今夕の対談に備えて、横線を入れたところをチェックし直す。
事前に「港の人」の里舘代表と打ち合わせ。 渋谷東急本店にあるMaruzen&ジュンク堂の巨大さには驚いた。 インディ・ジョーンズ第一作の、ラストシーンに出てくる収蔵庫のような。
粋なスタイルで登場した細川周平さんとは、ごく軽く打ち合わせ。 そして本番、トークショー。 気心が知れているだけに、二人で交互にぼんぼんゴールを決める。 ワールドカップ最盛期のブラジルのサッカーみたい。 横長のスペースでの対談なので、お客さんの全貌を見渡せないが、リアクションは快調とみた。 京都からお越しいただいた細川さんもご満悦、またやろうとまで言ってくれ、あなかしこ。
飲み会は流浪人岡村が動けない狭さだったのが、ちと残念。
5月11日(土)の記 なめくじ男の感謝の涙 日本にて
泣いても笑っても、生まれて初めで最後の処女出版記念会の当日。 天気予報通り、朝から雨。 「ナメクジディレクターを祝うのにふさわしい天候で」という挨拶の冒頭でいこうか。 会場は、てっきり連込みホテル街にあるオーディトリウムの下と勘違いしていた。 早めに到着するが、そうか、ここはアップリンクとは違うのだと雨に濡れながら気づく。
会場で、ブラジルから大枚はたいてこの日のために買ってきたCD、「ブラジル風バッハ」を渡す。 しばらくして、素っ気なく、かかりませんと返される。 EMIのEU製で、もう何度か視聴済みなんだが。 これからはポータブルDVDデッキに加えて、CDデッキも持ち歩かんといかんとか? して、会場は開始も終了も時間厳守とクギを刺される。
大切な友人知人が続々と集まってきてくれる。 ひとりでいる人を他の人につないだり、本にサインしたりに専念。 自分が5人も増殖できれば、それぞれの人たちと談笑できるのに。 おかむらさんおかむらくん、と連呼されてご挨拶をいただくが、もうそのおかむらは、このおかむらではないような感覚。 けっきょく時間厳守の会場では、アルコール以外は口にできず、食べ物はなにがあったのかもわからなかった。
みなさん、飲み物食べ物、足りてましたか? 行き届かなくて失礼しました。 ありがとうございました!
5月12日(日)の記 この一杯 日本にて
昨晩は二次会、三次会へ。 酔いと疲労、睡魔のミックスダウン。 3時過ぎ、まだまだ元気なアマゾネスらは、ラーメンを食べていくという。 引き際を誤った老兵は、ネットカフェへ。 始発までのつもりが例によって寝過ごし、パック料金にしておきゃよかった。
夕方は、まずは上映のある学芸大学駅・平均律へ。 と、近くの古書店・流浪堂で個展開催中の、こうのまきほさんが平均律で待っていてくれた。 ちょうどこちらも頼みたいことがあった。 なんとも話が早く済んだ。 乞う・ご期待。
今日の上映、まずはシェフにお任せで「花を求めて60年 ブラジルに渡った植物学者」を上映。 その心は。 橋本梧郎先生もトミエ・オオタケ先生と同じ年の生まれ、今年で生誕100年なのだ。 トミエ先生のブラジルでの華々しい取りあげられ方に比べて、橋本先生はあまりにも… 次いで「京 サンパウロ/移民画家トミエ・オオタケ八十路の華」を上映。 なんとも、お二人に通じるものがあることよ。
連日の過労にもかかわらず、「港の人」の里舘代表が鎌倉から拙著を担いできてくれる。 終了後、平均律の下の「鳥勇」でふたりで。 実にいい酒。 里舘さんから、思わぬ話を聞かせてもらう。 連日の疲労もぶっ飛ぶ。
5月13日(月)の記 横浜をあるく
市線沿線。 実家の用向きで、横浜市の青葉区を広く歩く。 東急沿線の田園都。 鶴見川の少し上流、谷本川の水域か。 水田に水を引く時期か。 谷に広がる緑地公園に、息を呑む。 潜在植生が生きる。 新緑と陽光。 ある原風景。
こんな場所が徒歩圏にあったら、どれほど豊かだろう。 嫉妬すら覚える。 ま、もう少し暑くなると蚊が大変かも。 でも日本人には、携帯用蚊取り線香という知恵がある。
「今年もまた、暑くなるぞ」。
5月14日(火)の記 ロペスと駒場 日本にて
渋谷で買い物をしてから、Bunkamuraのアントニオ・ロペス展へ。 いたく感動。 さほど人もいないのが見る側にはありがたい。 あの鉛筆書きのマリア像、老眼をガラスに引っ付けるぐらいの近さでまさしく接することができた。
1958年に描いた絵に、2011年になって加筆をしたり。 作画に10年20年かけている作品がいくつもある。
僕が、2001年に撮影したトミエ・オオタケ先生の映像を今年になってまとめるということなぞ、これといった変哲もないのだな。 ひとりで創作に立ち向かう画家たちからは、ドキュメンタリー映像作家たちより教わることが多い。
午後、東大駒場で上映予定があり、それにあわせてロペス展を去る。 あとの予定がなかったら、いつまでもあのなかに佇んでいたかもしれない。 上映前、伊東乾さんのオペラ指導の授業を見学させてもらう。
先日、劇作家の平田オリザさんをフォローした想田監督の「演劇」5時間余りを退屈せずに見た。 片膝建てて、時にはうつらうつらと自分の芝居の稽古を眺め続ける平田さんよりも、全身の動きが活発で頭の回転が異常に早く、気配りとサービスたっぷりの伊東乾さんの授業2コマにわたるパフォーマンスは、退屈どころか、見惚れるほど。
5月15日(水)の記 林試体験 日本にて
一昨日、横浜市の緑地、公園、農地の豊かな存在に嫉妬を覚えた。 用事の合間に目黒区と品川区の間にまたがる「林試の森」公園に行ってみる。 日本国の林業試験場だったここが市民に開放されたのは、僕がブラジルに移住した後のこと。 存在は知っていたが、まだ立ち入ったことがなかった。
公園に至るまでの道は、方位感を狂わせるほど、ごちゃごちゃしている。 しかし遠目にそれらしい森が見えてきて、それを目指す。
なるほど。 うん、悪くない。 地べたを踏む心地よさ。
日本の林業・発祥の地といった記念碑まである。 ひとつ、しっくりこないことが。 ノグルミのプレートがいくつか目に入る。 ノグルミは本来、西日本に分布する植物だが、林業試験のため導入されたようだ。 その手の、在来ではない試験的に移入された樹木が少なくない。 ベンチに座って、目の前の高木を見ると、メタセコイア。
ヒトによる開発さえなければ、あまねく黒く広がっていたはずの、もとのあらまほしき植生を見せてくれ!!
5月16日(木)の記 ふらめんこ y ちゃんちゃんこ 日本にて
Bunkamuraのアントニオ・ロペス展にチラシのあった練馬区立美術館の「牧野邦夫-写実の真髄-展」をぜひ見たい。 画家の森一浩さんからはフランシスコ・ベーコン展を強く勧められている。 うーん、今の僕には練馬の方が。
直通化などと大宣伝をしながら、やたらに接続の悪い東急・地下鉄・西武を乗り継いで練馬・中村橋へ。 牧野邦夫、これはすごい、なかなか言葉をつむげない。
次の大事な予定があるので、繰り返し見ることもせず。 小型とはいえ撮影機材を雨のなか担いでいるので、堂々3300円の分厚く重い目録も買い控える。
池袋、新宿と乗り換えて、代田橋下車。 「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の飯田光代代表の記念フラメンコパーティ。 ご招待いただいたので、撮影を申し出る。
お姉さんたちのフラメンコ、まことにカッコイイ。 とても撮り甲斐のあるパーティだった。 そこそこきちんと撮れていますように。
そして、尋常ではない人のつながりを知る、また。
5月17日(金)の記 生ベーコンの奇跡 日本にて
明日早朝、出ニッポン。 実家の掃除など、あと始末。
思い切って森一浩さんにすすめられていたフランシス・ベーコン展に行ってみる。 これまで森さんが強く推した美術展で、外れたことはなかった。
竹橋の近代美術館。 うーん、これがベーコンか。 教養、知識としては受け止めるが、僕の感性には正直、響いてこない。
せっかくなので、収蔵品の展示も冷かしていく。 陳列替えされた戦争画に、すごいのがある。 と、わが名を叫ぶ声。 なんと先週、渋谷で対談した在京都の細川周平さんではないか! FMラジオの収録があり、ふたたび上京した由。 近くの茶店で美術談義。 お互いこの分野の話もできるとは思わなんだ。
帰路、学芸大学の流浪堂、平均律に再び寄る。 実家の冷蔵庫を片付けて、出家。 天然温泉・平和島で仮泊。 いや~ゴクラク。 しょっぱい湯はよく体に沁みるぜ。
5月18日(土)の記 羽田来光 日本→アメリカ合衆国→ブラジル
天然温泉平和島。 午前3時の屋上の露天風呂。 数人が湯船につかっているが、会話もない。 水音だけが響く。 宗教的ですらある感じ。
午前4時のシャトルバスで、羽田国際空港へ。 午前5時前には、滑走路を望む窓際に腰掛ける。
おう、正面に線香花火の膨れ玉のような御来光。 ぐんぐんと天空目指してのぼっていく。 あな、とうと。
搭乗機は、ひたすら日出づる彼方へとすすむ。
→アメリカを経て、同じ日付のうちにサンパウロに到着!
5月19日(日)の記 拙著のお届け ブラジルにて
少し仮眠をとり、朝となる。 日曜。
拙著「忘れられない日本人移民」を、第五章の森田隆さんのお店に届けに行く。 森田さんのお店「スキヤキ」は日曜も営業。 店の奥に運動用の自転車が置かれ、森田さんは銀輪部隊快走中だった。
拙著をお渡しすると、開かれずに「これはいい本だ」。
日曜の路上市へ。 ブリと、イワシを買う。
夜は時差ぼけで、ブリを刺身におろしもせで、寝てしまった。
5月20日(月)の記 丑三つライター ブラジルにて
久し振りに、日本の大手雑誌から原稿依頼をいただいた。 締め切り迫る。 日本からの移動中に、出だしは書いて、構成は考えていた。 時差ぼけで深夜に覚醒したので、未明までにいっきに書き上げる。
返り血どばどば浴びそうな内容。 こんなので、いいのだろうか? 推敲しつつ、少しねかせるか。
しばらく電話のつながらなかったマットグロッソの溝部さんとお話ができた。 ひと安心。 住所を確認。
拙著国内郵送分、第一弾を発送。 夜は、長年お世話になってきた人に拙著を謹呈にあがる。
5月21日(火)の記 サンパウロのつばき ブラジルにて
そういえば東洋人街、ホテルの地下に「つばき」というレストランがあったな。 高い、まずい、人が来ない。 名前は変わったが、この三拍子は揺るがさない方針のようだ。
所用で、地下鉄に乗る。 日中は常に混んでいる。
近くのオヤジがクシャミ。 ツバキがわが顔面を直撃。 オヤジは、まるで当然そう。 再攻撃を避けて、体を反転する。
とっさに、ズボンのポケットから手拭いを出してぬぐおうかと思った。 すると、手拭いがキモチワルイ。 シャツの袖でぬぐうぐらいにしておく。
日本でも相当、満員気味の電車に乗っている。 が、ツバキをかけられた記憶はない。
サンパウロでは、仮面着用でメトロに乗るか。 ツタンカーメンとか。
5月22日(水)の記 友情編集開始、そしてマリア ブラジルにて
いったん片付けてあったビデオ編集機をふたたびセット。 また陋屋が狭くなる。
日本経済新聞の本日付夕刊に、「忘れられない日本人移民」の書評が出るという。 そわそわ。 まずは知人が好意的な書評が掲載されていた、とフェイスブックでメッセージをくれる。 ひと安心。 ついで編集を担当してくれた浅野さんが写メで撮った記事を電送してくれる。 書評そのものがすばらしい文章、感激。
さて。 離日直前に撮影させていただくことになった映像の取り込み。 「優れたドキュメンタリー映画を観る会」代表の飯田光代さんの記念フラメンコ会。 冒頭をつないでみるが、いい感じかも。
ブラジル銀行カルチャーセンターで、ロシアの映画監督・ソクーロフ特集をやっている。 あの「太陽」のソクーロフだ。 気になっていた「ドルチェ」は明日。 今日は「マリア」というロシアの農民女性のドキュメンタリーを見に行く。 うわ、これまでタダだったが、4コント(約200円)とられるようになった。
映画は、同時録音でない音声を編集してあてた、懐かしい手法。 肩透かしな展開が面白い。
昼間、鉄板で大量に作っておいたヤキソバを夜もいただく。
5月23日(木)の記 マベとシマオ ブラジルにて
在サンパウロの日本人の友人に、拙著を謹呈するため、東洋人街で会う。 飲茶系の店で会食。
ひと駅歩いて、セー広場にあるカイシャ・クルトゥラルという銀行経営の文化施設へ。 トミエ・オオタケとならぶブラジルで開花した日本人アーチストの巨匠、故・間部学(まべ まなぶ)の特別展「コーヒー園の雨」を鑑賞。 入場無料。 間部学は熊本の出身、10歳の時に家族とともにブラジルに移住、サンパウロ州奥地のコーヒー農場での労働に従事した。 今回の展示は彼の初期の作品、サンパウロ州奥地の光景、自画像から抽象画に開眼するまでを展示。 面白い。 が、みごとに誰もいない。 東洋人街にマナブ・マベ美術館を建設中ときくが、ひと駅ずれると、こんなものかよ。
ソクーロフの、とにかく見てみたかった「ドルチェ-優しく」を見る。 小説家の島尾敏雄の未亡人・島尾ミホの独白のドキュメンタリーということになろうか。 奄美大島ロケだけに、南海の難解。
ネット上で解説を探すと、ソクーロフはあえて雨音や波音、足音などを加えて独白を聞きづらくしたようだ。 岡村の「リオ フクシマ」のジャパンパビリオンでのシンポジウムの音声が聞きづらいなどとクレームされる人は、ソクーロフを見てから出直してほしい。
「ドルチェ」、カメラは、大津幸四郎さんではないか。 大津さんには僕の映像記録時代、日本国内ロケで撮影を担当していただいた。 ソクーロフのカメラマンと仕事をしているなんて、カッコイイではないか。
大津さんには昨年、渋谷の映画館でばったり会った。 またお会いできたら、ソクーロフの音の秘密を聞いてみよう。
5月24日(金)の記 アマゾンの喪に服す ブラジルにて
本日付の「サンパウロ新聞」にアマゾナス州ウルクリトゥーバの丸山芳次さんが賊に襲われ、亡くなったという記事が出た。 昨日、サ紙の松本記者から電話取材を受け、岡村のコメントも掲載されている。 今回、ブラジルに帰って間もなく、マナウスのATSturの島さんがメーリングリストでベレンの北島義弘さんの訃報を伝えてくれた。 週明けにさっそく北島さんに拙著を郵便でお送りしようとしたところだった。 ベレンでの葬儀からマナウスに戻った島さんが、丸山さんの訃報を電話で教えてくれていた。
丸山さんご夫妻には拙作「アマゾンの読経」の取材の時にお世話になった。 アマゾン大江(アマゾン高拓生たちがアマゾン河を「大江」と称していたことを丸山さんから教わった)の畔で地元の人たちに慕われて暮らす丸山さんご夫妻のシーンは、「アマゾンの読経」のなかで白眉の美しさだ。 客船からモーターボートに乗り換えて、ナポレオンと地元で呼ばれていた丸山さんのお店兼ご自宅に到着。 さっそく丸山さんから「アマゾン大江で水浴びしませんか」と誘われる。 ピラニア、毒エイ、吸血ドジョウ、ワニ、アナコンダ。 断れるわけがない。 ままよ、ミルクティーの色の大江に入水。 石鹸を泡立てて体に塗ると、それに魚が食いついてくることがわかる。 ご夫人が手間をかけてこしらえてくれたピラルクーのカマボコは、まさしく絶品だった。 お二人の話は、興味が尽きなかった。 ブラジルで、アマゾンで、誇りたい日本人に会えた。
アマゾンに生きた敬愛するふたりの先達・同胞をなくし、言葉も出ない。
業務は山積み。 日中はずっとビデオの編集・・
5月25日(土)の記 日本の俺俺とブラジルのおれ ブラジルにて
今日は家庭内の人口密度が高いので、ビデオ編集はほんの少しだけにしておく。 読むべき本・資料がだいぶたまっている。
日本では、今日から星野智幸さん原作の「俺俺」映画版が公開。 原作の「俺俺」を文庫版で再読。 星野作品はいずれも映像化がむずかしいものばかり。 「俺俺」は最たるもの。 映画スタッフのお手並み拝見が楽しみだ。
細川周平さんが大著「日系ブラジル移民文学」で、松井太郎さんの小説「うつろ舟」についてこんなエピソードを紹介している。 「うつろ舟」がブラジルで発表された当時、ブラジル日系社会の文芸評論家は「うつろ舟」の主人公が「おれ」という一人称を使っているのが、主人公は農場主の息子だったという設定からして不自然、とあげつらったそうだ。 ブラジルの日系文学界でも、評論家や著名作家がせっかくの新しい次世代の才能の芽を踏み潰した例が、いくつもうかがえる。
松井太郎さんは「おれ」を書き直したりはしなかった。 いまや祖国では、「俺」が文字を越えて、映像でも増殖中。
5月26日(日)の記 あかとみどりと ブラジルにて
日曜の路上市へ。 魚をちょっと買って、邦貨にして約3000円。 こちらでは牛肉より高い。 オカズ三食分ぐらい稼がないと。
鮮やかなイチゴが目に入る。 サンパウロ内陸の大農場ホテルで、支配人オススメのイチゴとキウイのカイピリーニャ(ブラジルのナショナルカクテル)をいただいたのを思い出す。 何軒か屋台を見て回り、そこそこの値段の店で両者を購入。
そのままだとフレバーが気にかかるカシャッサ(サトウキビの蒸留酒)で、まず昼に試飲。 なんとも色がよろしい。 畏友・浅野卓夫さんにコメントをいただいたように、なんたって色彩で移民を表現してますから、なんちゃって。
夜はこれまたそのままだとイマイチな日本製日本酒にイチゴとキウイ、サケピリーニャ。 これがまさしくフルーティでさわやか。 氷が解けていくので、アルコール感も極めて控えめ。 実はカサッシャがなくなってしまったための苦肉の策でした。
日中は、夜の照明では読みづらい古い史料を少し読み進める。
5月27日(月)の記 ふらめんこ→上野英信 ブラジルにて
今日は、断食。 迫る次回訪日に備えて、ささやかなデトックス。
友情撮影の「ふらめんこ y ちゃんちゃんこ」をいったんつなぎ終える。 日本の飯田さんに経過を報告して、指示待ちとする。
さあ1週間ほど遅れて「後・出ニッポン記」(仮題)素材プレビュー、書き起こしの再開。 これは、おろそかには取り組めない作業だ。 さて、どうしよう。 上野英信、まさしく巨人である。
5月28日(火)の記 筑豊から福島へ ブラジルにて
今日は日中ずっと、仮題「後・出ニッポン記」の撮影素材のプレビューに専念できる。 故・上野英信を師と仰ぐ犬養光博牧師がサンパウロで行なった講演の部分に突入。 息を呑むすばらしさ。 犬養先生が、上野の「遺言」と称する「筑豊よ」ではじまる絶筆のメモ。 筑豊が、そのまま福島に重なってくる。
いま、この記録をまとめる理由を、義を、体得。 編集方針も変えてみよう。 はじめに素材ありき、だ。
5月29日(水)の記 みどりのすし ブラジルにて
いやはやこういう映画があるから、自分から少しは動かないと。
午後、外回りをいくつか。 今年で2回目の環境映画祭が開かれているのを、こっちの新聞の文化欄の小さな記事で知った。 去年に比べると扱いは格段に小さい。 去年はこれのおかげで、尊敬していたエイドリアン・コーウエルが亡くなったこと、そして彼の未見の作品に触れ、関係者のトークも聞くことができた。
次回訪日が近づき、自分の仕事のまとめもあるので、エコシネマ三昧とはいかないけれども。 「SUSHI : The Grobal Catch」というアメリカのドキュメンタリー映画をぜひみておこうと思い、サンパウロカルチャーセンターへ。 入場料約50円、観客は10人強、ジャポネースは不肖オカムラのみみたい。
世界的なブームとなった寿司のネタが、地球上のどこで捕えられてTsukijiに運び込まれて、さらに地球上のどこまで届けられているか。 クロマグロを中心に紹介していく。 「中国人にこのまま寿司ブームが広まったら、野生のクロマグロは絶滅するだろう」。 オーストラリアでのクロマグロ養殖の取組み。 アメリカでは「持続可能な」ネタ専門のスシ屋があった! 店のスタッフがそれぞれのネタの持続可能度を説明していく。
恥ずかしながら私、寿司には目がないが、自前の時はその値段、他人のおごりの時はその味わいに気をとられるばかり。 自分のいただく寿司の持続可能度、エコロジー性は考慮していなかった。 そもそも、日本にそんな寿司屋があるのだろうか?
この映画のことをざっと調べても、ほとんど日本語になっていない。 これは必見だった。 あれもこれも見たくもなるが、家庭もあるでよ。
5月30日(木)の記 出会いの街 ブラジルにて
今日は、キリスト聖体の日という祭日。 日本からブラジルの地方都市に日本語教師として派遣されている人が、地元の日系の若者たちに岡村作品を見せたいと連絡をしてきた。 その人が所用でサンパウロに来るとのことで、お会いすることに。
待ち合わせは、東洋人街の華人経営のホテル。 入口に、在アマゾンの知人がいるではないか。 亡くなられたアマゾントラベルサービスの北島さんのことなど、話は尽きない。
街、そして出会いというのは面白いもの。 偶然に、なにか意味や法則を求めたくなってしまう。
5月31日(木)の記 情事ルジラブ米南 ブラジルにて
情事ルジラブって、わるくないじゃないか。
先の訪日の際、思わぬことから畏友・伊東乾さんにブラジル移民関係の資料の複写をいくつかちょうだいした。 本日、1936年発行の「南米ブラジル事情」(海外興業株式会社発行)を読了。
「外国人の哄笑を受けないように服装其他の挙動に注意しなければなりません。」 この警句をいちばん気に入った。 その他、これを了承した上でブラジルに移民していたならば、勝ち負け事件などというグロテスクな事態は起こりえなかっただろうと思うような、今日なお色あせるどころか貴重な指南に富んでいる。
「地球の歩き方」あたりより、僕にははるかに面白かった。
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