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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2013/12/06)
6月の日記 総集編 駒場のヤマ場

6月の日記 総集編 駒場のヤマ場 (2013/06/03) 6月1日(土)の記 奇跡の人探し
ブラジルにて


日本から来た知人の人探しで、車を出す。
サンパウロ市内の住所。
電話への応答はないとのこと。

マージナル・ピニェイロスは大渋滞。
渋滞をようやく抜けて、金持ち系の地区へ。
住所から探しあてたのは、こじゃれた一軒家。
インターフォンに応答はなし。

地域で雇っている守衛に聞いてみる。
家の主は2年ほど前に引っ越したという。
こちらの事情を話す。
すると彼の妻が、かつての住人のお嬢さんと働いているというではないか。
電話番号を教えてもらう。

まずは僕から電話でポルトガル語で用向きを伝える。
訪ねたい人は重篤で入院中の由。
いずれにしろ、あとはイモヅルだ。

なかなか、こうはいかない。
午後の家族での外出予定の運転手役は、交通大渋滞を理由に明日にしてもらう。


6月2日(日)の記 日曜日はアメよ
ブラジルにて


久し振りに雨らしい雨のなかを運転。
車を覆っていたサンパウロの黒い汚染塵灰を洗い流してくれる。

夕方、ふたたび環境映画祭へ。
外国人が撮ったらしい日本の山村のドキュメンタリーが狙い。
日本から来ている知人を誘ったものの、待ち合わせ時間に遅れてしまい、合流できず。

併映の短編、直訳すると「Alosの死」というのが衝撃だった。
イタリアのAlosという羊の飼育などを生業とする山村に、石油化学工場がやってくる。
ある晩、工場から毒ガスが流れ出し、村は多くの死者を出して壊滅してしまう。

もう一本の「祈-Inori-」。
過疎化の激しい奈良の山村のお話。
牛山純一プロデューサーのもとだったら、試写で罵倒されてボツとされるような、何も起こらない話。
僕は、嫌いじゃないけど。
なんとプロデューサーは河瀬直美さんで、監督はペドロ・ゴンザレス・ルビオというメキシコ人。

帰ってから、夕食の支度。


6月3日(月)の記 サルガドる
ブラジルにて


「地球上の46パーセントは『創世記』のままの状態だ。それを守らなければならない。」
セバスチャン・サルガド『GENESIS』より。

日本本土決戦に備えて、今日も断食。
午前中は近くで人に会う。
午後、仮題『後・出ニッポン記』序章の部分のプレビュー。
だいたいの感じはつかんだ。
あとは不足分をどう工面するか。

家族の夕食の世話をしてから、読書タイム。
細川周平さんの大著をしのぐウエイトのセバスチャン・サルガドの『GENESIS』をひもとく。
入手時は正直、『ザ・ワーカーズ』や『大地』『エクソダス』の時のような感銘は乏しかった。
しかしポルトガル語の序文を読んでいるうちに、その至高な志のプロセスがひしひしと伝わってきた。
ブラジル・ミナスジェライス州の父から任された土地の潜在植生の回復を図っているうちに、この難行を決意したとのこと。

以降は過激になり過ぎるので、この場ではこの辺で。


6月4日(火)の記 予告ダイジェスト版
ブラジルにて


断食明け。
冷蔵庫に残っていたグリンピースご飯をおかゆにしていただく。

仮題「後・出ニッポン記」、編集途上のバージョンを日本の大学や学会でお見せする予定となった。
あまりいい加減なものも見せられない。
それ用のものをつくることにして、素材を抜き出し、編集開始。

今日は日中、近くに買い物に行くぐらいにしたので、けっこう作業ははかどった。
ポイントは、これを見た人が、本編を見たくてたまらないようにすること。

6月18日、ブラジル移民の日に祖国で披露できるかな。


6月5日(水)の記 編集の快
ブラジルにて


奇遇。
午前中に、サンパウロ新聞絡みの人のところにお参りと献本に行くつもり。
今日のサンパウロ新聞に、拙著の紹介記事。
岡村の人と作品を知る友人が書いてくれただけに、行間と、その先までよくつかんで丁寧に書いていただけた。

さあまた編集だ。
どうにもラストが、在日日本人的な、ありがちテレビ的だ。
すでにソコソコ過激なコメント、字幕処理のつもりだが、が浮かんでいる。
それにふさわしい動と静の映像を引っ張り出す。

なかなか、なかなかと自画自賛。
予告ダイジェスト版の方が本編よか面白い、とか言われたらどうしよう。
よかよか、どっちも岡村作品です。


6月6日(木)の記 聖市千客万来
ブラジルにて


次の訪日まで秒読みとなったが、珍しく会食が続く。
今晩は、わがホームグラウンドの大衆シュラスカリアにて。
話は弾み、軽く4時間以上が経過。
映画などのエンターティンメントで、これだけ持たせるのは至難の業かも。
ヒトの究極の娯楽は、気のおけない友との、こうした会食とおしゃべりかもしれない。


6月7日(金)の記 サンパウロの予感
ブラジルにて


さあいよいよ訪日に備えたDVD家内手工業焼き。
午後から外回りをいくつか。

強気だったブラジルの通貨レアルが値崩れ気味、1ドル=2.16レアイス。
この日曜からサンパウロの地下鉄・バスは3.20レアイスに値上げ、各地で抗議のデモ・暴動。
とにかくブラジルは物価が高すぎ、外国人観光客からも敬遠されている。
かたや日本人も巻き込まれる凶悪犯罪は増加の模様。

物の値段は上がる一方だが、いくつか値崩れのしている品もある。
そろそろ、あちこちからほころびが出ている感じ。


6月8日(土)の記 岡村氏と捏造
ブラジルにて


同じ岡村姓で、先方は考古学のエキスパートだが、一族でもなければ面識もない。

訪日前に読むべきもの、やるべきことは大連山として目前に立ちはだかっている。
しかしこれは早く読んでおきたい。

元文化庁主任文化財調査官・岡村道雄著『旧石器時代捏造事件』山川出版社。
考古学史上に特記されるべき捏造を繰り返し続けた藤村新一の、日本の歴史を書き換えた「業績」を無批判に積極的に評価し続けた著者の責任は、重篤。
僕は、西暦2000年11月の毎日新聞のスクープによる捏造発覚前に、この岡村氏が講談社から鳴り物入りで発刊した「日本の歴史・第一巻」を購入して、彼が得意になって高みから描く、大捏造「日本原人」の生活誌を読んで、吐き気を催した覚えがある。

まだ膿が出し切れていない感じ。
プロの学者が実名で発表したものについては、ぜひ実名で公表してもらいたいものだ。
出版社に回収させた、ご自身の描かれた歴史書での妄想のサワリだけでも採録してほしかった。
藤村の、秩父での捏造石器埋蔵遺構について、秩父原人の宇宙観、男女の原理などが読み取れるなどと、「他の追随を許さない」ことを書いていたのは誰だったか。

原子力発電所の事故がオーバーラップして止まない。
超・地震国でずさんな立地調査しかせずに原発を林立させて「絶対安全」などというオカルトを喧伝し続けたことと。
大事故が起こってから冷静な頭で少し考えてみればインチキだとわかることが、大手を振ってまかり通っていたこと。
そして事故の究明も収束も待たずに、またオカルトがリバイバルしてくる。

人は、とんでもない愚かな過ちを起こし続ける存在だということ。
幻の日本前期旧石器時代人の教え。


6月9日(日)の記 ブラジャパめしの恐怖
ブラジルにて


これはとても漢字で「日本食」と書けるようなシロモノではない。

今日は午前・午後・夜とお外。
夜は家族の節目のお祝いの外食。
ネットでたまたま、我が家から車で15分程度のところにあるレストランチ・ジャポネスを見つける。
写真は、いい。
スシ・サシミ等の食べ放題システムもある。
値段は我が家の徒歩圏にある店の2倍近く。
味とクオリティとサービスも2倍を当然、期待したが…

出迎えたのは、まさに日本文化の質の悪いカリカチュアを具現したスタイルのキモノのブラジル女。
天井は赤ちょうちんで埋め尽くされ、加茂水族館のちょうちんクラゲも仰天。

最低レベルのクオリティの食器、しかも割れているのを出してくるとは「ショッキ」ング。
サシミのトロはなくとも、サービスはトロい。

このスシのネタは?
知りたくもない、油で炒めたネタを巻いて、さらに油で揚げている。
とにかくスシにあんまりアブラを使わないでけれ!

料理作家としての向上心も気配りもない。
テキトーにジャパめしモドキを出しゃあカネになるだろう、ぐらいの志かと。
げに、こんなレベルと高い値段設定で、満席状態ではないか。

たいへんなホラー体験。
最近、日本メシ屋狙いの強盗が頻発しているが、それがなかっただけでもありがたいと思わなきゃ。

過ちは繰り返さないように…


6月10日(月)の記 メルまくり
ブラジルにて


サンパウロ出家一日前。
先回、日本でお世話になった人たちへの挨拶・御礼のメールが片付いていない。
朝から、ひたすらメール打ち。

土産類等、追加の買い物。
何か忘れてないかな?

家族のことを考え、ヒトのこれまでのあゆみを想う。


6月11日(火)の記 わが地のジビエ
ブラジルにて


いよいよサンパウロ出家の日。
フライトは日付が変わってから。
今日もメール系作業。

ブラジル被爆者平和協会の森田さんらにあいさつ。
来週の鎌倉での「被爆の記憶 鎌倉からの証言」上映へのメッセージをいただく。
今日は出家タイムが遅いので、夕食も作る。

前の大通りにタクシーが一台、待機していて助かる。
はじめてのドライバーのおじさん。
日本はどうだい、と聞かれ、原発事故の問題を語る。

と、自分の日系の女性と一緒になった甥が日本に出稼ぎに行き、311の災害に遭い、離れたところに避難したという。
日本を見かぎり、ブラジルに帰ってきて、泳いでいて発作でも起きたらしく、溺死してしまったという。
20代はじめの若さの由。
それ以上の詳細はわからない。

おじさんはこの地区で生まれ育ったというので、半世紀近く前のこのあたり:サンパウロ市サウーデ地区について聞いてみる。
「ジビエとか、いたの?」
「なんだい、それ?」
「野生の動物。食べられるやつ」
「うーん、食用ガエル」
「えー、食用ガエル? で、どんなところにいて、どんなふうに取って、実際に食べたの?」
おじさんは、僕の知らない単語をいう。
どうやらモリのようなもので、それで突き刺したという。

そんな会話のうちに、国際線の空港行きシャトルバスに乗り換える国内線のコンゴニャス空港に到着。
日本の故郷目黒の縄文もいいが、ブラジルの我が家のあたりの狩猟採集民の話も面白いぞ。


6月12日(水)の記 ドバい感じ
ブラジル→ドバイ首長国


今回は6月に就航したばかりのエミレーツ航空のドバイ乗換え羽田行き。
評判のエミレーツ航空はどんなもんか。

なので今回はラウンジが使えない。
アルコールなし、Wi-Fi接続なし、ゲートの前の椅子で待つ。
必要を駆られて重い本を持参した。
読書にうってつけ。

客室乗務員女性たちのエキゾチックなコスチュームに生唾を呑む。
乗客はキャパの三割ぐらい、ガラガラ。
機内は新品の香りプラス芳香剤がただよう。
さっそくエンターティンメントサービスをチェック。

新着映画もごっそりあるが、あまり食指が動かず。
日本映画も10本以上あるものの、うーん。
全体の膨大な数のなかでドキュメンタリーは2本。
知人から勧められていた「シュガーマン」があり、さっそくアクセス。
英語音声のみで字幕なし、インタビュイーのしゃべりばかりで、ついていけない。
日本映画をいくつかかけるが、どれも僕を引っ張らない。

エコノミーの食事、もっとチョイスがあるかと思ったら2種で、まあナミである。
そもそも料金が格安だったし、感謝しましょう。
それにしてもドバイまで14時間以上。
フリーチャージのアルコールを各種いただき。

ドバイ到着。
次便まで10時間以上あり、エミレーツがホテルを提供してくれることになっていた。
しかし機内でのアナウンスも地上でのケアもない。
青いユニフォームの空港案内係に聞くが、こいつがとんでもないデタラメをかましてくれたおかげで、いっきにドバイに悪印象を持つ。
ブラジル並み、いやさそれ以上にいい加減な情報をよこすスタッフが何人もいて、路頭に迷いかける。


6月13日(木)の記 ドバイ一憂一喜
ドバイ首長国→


意外と同行の日系人は一人もいない。
エミレーツ航空が提供するホテル。
ドバイの観光案内にあるようなホテルではなく、空港の至近にある大衆トランジットホテルといった感じ。
室内インターネットサービスはなく、Wi-Fi使用はビジネスセンターに行けと言われる。
なんと30分で7.14ドル也。
10ドル札を出すと、おつりは現地通貨のみ。
ネット環境は、遅い、重い。
しかもフリーズがかかり、フェイスブックのメッセージのチェック・返信もままならず。
ミネラルウオーターの小瓶は3ドル也。

部屋でテレビのチャンネルサーフィン。
これが面白い。
アラビア語だろう放送のほかに、スペイン語・イタリア語のチャンネルが複数あり、韓国のチャンネルもひとつ。
わがNHKは選外。
イスラームの宗教番組が、妙によろしい。
読むべき本があるが、一期一会のアラブ番組三昧とする。

ヴァウチャーにはディナー込み、とあるが、フロントで聞くと、ないとのこと。
朝食は5時半から。
これが面白かった。
ホントにいろんな旅客がいる。
イスラーム女性も、衣装、肌の色、器量とまことに多様。
料理は煮豆だけで2種、卵料理にソーセージ、オランダほか外国産のチーズ、トマトやマッシュルームの焼きもの、イギリスパンにクロワッサン、アラブの種無しパン、フレッシュフルーツと保存用フルーツ等々。
人もメシもブラジルとは異なる多様性。

空港内には意外と雑草が目につく。
橋本梧郎先生がいらしたら、目を輝かせて標本採集のための無理難題を言い出しそう。
なんたって、ミッションインポシブルのドバイ。


6月14日(金)の記 学大巡礼
→日本


エミレーツ便は零時1分羽田着の予定。
到着直前の機内アナウンスで、到着1時間後に品川駅までの京急のバスを用意している由。
これはありがたい、深夜なだけに羽田からの足を気にしていた。
零時7分到着。
手荷物受取りスペースにいた地上職員に聞くと、このバス便について知らなかったが、無線で調べてくれる。
外は雨、蒸し暑いバスのなかで待機。
品川からタクシーで祐天寺の実家へ。

身辺整理、仮眠。
祐天寺駅、学芸大学駅近辺で所用にあたる。
学大が面白くなってきた。
『忘れられない日本人移民』平積みのすてきなお店が二軒もあり!


6月15日(土)の記 サンチャ、そしていざ水戸
日本にて


未明に、修正版の画像が届く。
さらに格段とよくなった。

『リオ フクシマ』のイメージ画の描きおろしをお願いした、こうのまきほさんと三軒茶屋で会う。
実物三点を拝見。
うん、質感もとってもいい。
これはコピー画像では伝わらない。
画材は独自であり、構図と色は斬新かつ着実なものが。
彼女のバックグラウンドを少しうかがい、なるほどと思う。

額に入れてもらった絵を担いで、東京駅からバスで水戸へ。
今日から二夜連続の水戸上映。
初日は北口、ホテルシルバーインの2階にあるギャラリーカフェMINERVAさんにて。
ホテルで旅装を解いて、そのままエレベーターで降りれば上映会場という贅沢さ。

ちょうど1週間前にブラジルで急きょデータの間違いを修正した『京 サンパウロ』改訂版の世界初上映。
お客さんのリクエストにより、事前に「ブラジルの心霊画家」をオマケ上映。
すごい組み合わせとなったが、いい感じだったかと。


6月16日(日)の記 水戸で夜のカーニバルに遇(あ)う
日本にて


連泊は楽チンである。
朝食会場の地下の居酒屋で、給仕のおばちゃんと盛り上がる。
もう何度目になるか、茨城県立美術館へ。
企画展はキュレーターが飛ばし過ぎた観。
僕には二度とごめん、という感じ。

むかつきを抑えながら、収蔵品展の方ものぞく。
今まで見たことのない「夜のカーニバル」という絵に息を呑む。
角浩(かど ひろし)、茨城出身の画家の70代の作品。
リオのカーニバルは、フランスからやってきた藤田嗣治も1930年代に描いていて、藤田のもいい。
今どきのカーニバルはそのドハデさとは反比例して、絵画にはなりにくいだろうな。
角作品は、その「あわい」で土俗の闇を描いたというか。
なんだか、いんちき絵画評論家っぽくなってきたぞ。

さらに今回、こっちに来てから知ったプチ展を二つ回る。
けっこう歩いたぞ。

夕方からご存じ「にのまえ」さんで『リオ フクシマ』上映。
議論風発、まさに眞家マスターの望むところかと。
すでに「水戸岡村会」という名称が流布し始めて、有り難い限り。
こっちも、夜のカーニバルかも。


6月17日(月)の記 水戸そして西荻
日本にて


水戸シルバーインをチェックアウト。
にのまえの眞家夫妻に千波湖畔のガラス張りのカフェにご案内いただく。
話は尽きず、ランチもここで。

バスで帰京、荷物を仕切り直して西荻窪へ。
『リオ フクシマ』のイメージ画を描いてくれた、こうのまきほさんの作品を23日に上映を行なうAPARECIDAさんに展示させてもらう件。
水戸に持参した作品と、最初に岡村が購入した作品を持参。
店主Willieさんは7月いっぱいぐらいまでお店の壁に展示してもいいですよ、とうれしい太っ腹。
ブラジル移民105周年、『リオ フクシマ』公開、そしてフェスタ・ジュニーナ(六月の冬祭り)にちなんで、いい感じ。
作品は見られることで成長する、発酵するという画家の森一浩さんの言葉を思い出す。

さらに今宵もお店で面白い出会いが。
さあ明日は今回最大のヤマ場。
武者震い。


6月18日(火)の記 駒場のヤマ場
日本にて


満105周年を迎えたブラジル移民の日。
今回訪日中の最高峰のイベント。
けっこうぴりぴり。

東大駒場の伊東乾さんの授業ワクで、画家の富山妙子さん、音楽家の高橋悠治さんとご一緒する。
「傾向と対策」、ここのところお二人の本をずっと読んでいた。
高橋さんの文章、対談はむずかしくてなかなかついていけない。

今日は拙作の上映、トーク、加えて撮影も行なう。
この日の上映のために編集した『後・出ニッポン記・序章』(仮題)ダイジェスト版の前に、あえて移民モノではなく、「ブラジルのユーカリ植林と日本」を上映する。
ご出席いただいたドイツ文学者であり、ワーグナー研究者の高辻知義先生が岡村の「ユーカリ」の問題は、ワーグナーがオペラ「ニーベルングの指輪」で描いたものと通じると指摘してくださる。

富山妙子さんは、故・上野英信の著作集の装幀をされた方でもある。
ディナーの席でうかがった富山さんのブラジル訪問時のコメントには、わが意を得たり。

とにかく、もうへろへろ。
大きな過失もなかったようで、なにより。


6月19日(水)の記 小屋にいったよ!
日本にて


午前中は日本で屈指のブラジル通と渋谷で喫茶、尽きないお話。
午後は映画『俺俺』を見ようとも思うが、昨日の疲労を引きずっている。
この体調で眠っちゃうともったいない。

乃木坂のTOTO DALLERY MAでまもなく終わっちゃう「中村好文展 小屋においでよ!」に行くことに。
コンセプトがすばらしくよろしい。
こっちの人生観を照らしてくれる。

想うのは、拙作『郷愁は夢のなかで』の西佐市さん。
アマゾンの分水嶺地帯の大平原。
その国道沿いの掘っ立て小屋で世間との付き合いを絶ち、ひたすら自分バージョンの「浦島太郎」をあみ続けた。
当時、時代の最先端の技術といわれたカセットテープレコーダーにたまげた西さんが、いまや祖国の精神文化とライフスタイルの最先端に。

西さん、…。


6月20日(木)の記 クートラスも行ったよ
日本にて


雨。
オフィシャルの予定はないので、アートの見溜めをしておく。
まずは六本木下車、Gallery SUを探す。
迷って楽し、六本木→麻布台。
クートラスについては、そこいらにある厚紙を使ったアーチストと知人から聞いたぐらい。
どうぞご勝手に、のモダンアート系と思いきや。

袋小路の一軒家の、いとおしくなるギャラリー。
ラッキー、他に誰もいない。
しゃがみこんで、クートラスの小品群を拝ませていただく。

本国フランスではさして評価されず、日本で知る人ぞ知るの盛り上がりとなった由。
経済的に困窮しても、よけいなチャチャを入れられずに、自分の描くべき絵のみを描き続けたという精神に共感。

記録映像作家に、その精神、ありや。


6月21日(金)の記 鎌倉と画質
日本にて


今日は午前10時開映、鎌倉で『被爆の記憶 鎌倉からの証言』を日本語字幕入りで上映。
全編お話の作品を文字起こしして、字幕を入れるというのは大変な作業で、これをボランティアでしてくださったスタッフの皆さんに感謝。
しかし、少しでも良い画質で、とDV原版をお渡ししてあったのだが、DVDから取り込んで字幕付けをされたようだ。
いわば、VHSでコピーしたビデオを大画面で上映するようなもの。
YouTubeあたりへの短い投稿で、小さなモニターで軽く見るならこれでもいいのかもしれないが、1時間38分の作品。
僕のオリジナル作品の字幕と、今回、付けていただいた字幕の鮮明度の差を見れば一目瞭然。
少しでも良い画質でご覧いただきたいというのが、仮にも映像作家である者の願い。
残念でした。

で、画質のいい方と、画質が落ちる日本語字幕のついているのとがあったら、あなたはどちらを選びますか?


6月22日(土)の記 巷は土曜
日本にて


上映のはざまのオフ日。
明日の『リオ フクシマ』ダブル上映を思うと、やや武者震い。
遅れてしまったメール作業に取り組む。

西荻窪APARECIDAのWillieさんにお借りしたDVD、ブラジル映画『バイバイ ブラジル』を鑑賞。
10数年ぶりか。
出だしから、まことに面白い。

エミレーツ航空の機内サービスにあった最近の、存在も知らなかった日本映画の数々のことを思い出す。
冒頭の5分10分を見てもまるでどうでもいいのばかりで、苦痛なほど。
自分が映画不感症になってしまったかと危惧していたが、わが感性はかえって敏感になっているようで安心。

ブラジル映画史上、屈指の名作のロードムービーと再認識。
しかもブラジルのロードは長く、広いぞ。

巷は土曜、こっちは毎日が土曜みたいで、堅気の皆さんに申し訳ない気も。


6月23日(日)の記 夢とオルフェと
日本にて


午後から西荻窪APARECIDAで2度にわたる『リオ フクシマ』上映。
予約制として、ひと月前に満員締め切り。
ホームグラウンドとはいえ、そこそこの緊張もある。

新宿のルドン展、今日までと知り、思い切って上映の前に足を運ぶ。
宣伝コピーは「-夢の起源ー」。
ヒトは、夢をいかに表現しうるか。
絵描きにはできても、記録映像作家には無理、ではなかろうか。
少なくとも僕には。
ルドン、ちゃんと博物画も描けて、夢の表現に挑むというのがすごい。

未明からHDマスター版『黒いオルフェ』をDVDで鑑賞。
このDVD、近日発売の予定だが、これまたAPARECIDAのWillieさんのおかげで観ることができた。

『リオ フクシマ』上映のトークで話しきれなかった、この『黒いオルフェ』新バージョンへのコメントを『リオ フクシマ』も絡めて書きましょう。

映画少年時代に『黒いオルフェ』を見ていたかどうか、定かに覚えていない。
ブラジルと縁ができてから、ビデオレンタルでVHSを借りてみたのは、かすかに記憶。
フランス語音声バージョンで、それだけでいたく興ざめして、映像には入れ込めなくなってしまった。
新バージョンを再生、冒頭から色の強烈さに息を呑む。
以前のとは、別物の感あり。
音声もポルトガル語版とフランス語版があるが、フランス語版は相変わらず間が抜けている。
ポルトガル語版がすごい。
リオの50年以上前のスラング、今も日常的に耳にするカリオカ(リオ人)の小汚い言葉はすでに当時から使っていたというあたりも 「通」には面白いぞ。

これを事前に見てたら、『リオ フクシマ』編集のノリに影響してたかも。
共通のショットとしては、例えばトンネルのなかの赤い照明とか。
『黒いオルフェ』のテーマは「愛と死と再生」に還元できそう。
『リオ フクシマ』で僕を驚かせたコメントに、さる知人の女性からいただいた「受精の瞬間を感じさせる」というもの。
女性からいただく「受精」の言葉は重く、尊い。

今日の上映では2度とも議論風発。
すでにひと通りのコメントは出尽くしているぐらいに思っていたが、さらに多様な見方がされているのが面白い。
事故もなく、なによりでした。

上映前後に出版記念会ではお店に却下されてしまったヴィラ=ロボスのCDを聞いてもらおうと思って、忘れちゃった。


6月24日(月)の記 涼食家
日本にて


山形に親戚がいて、だいぶ訪問している。
が、「山形のだし」という食べ物は最近まで知らなかった。
昨年だったか、伊勢佐木町にあった「まったり屋」さんでいただいたのが初めてかもしれない。

深夜にスーパーで売られていて、買っておいた。
キュウリにナス、ミョウガ、シソ。
粘り気は昆布からだろうか。
まことに暑い時でも食欲をそそる傑作、ご飯もすすむ。

昼は、水戸にのまえ風冷やし蕎麦でいってみる。
冷たいだし汁をかけてある蕎麦のうえに、梅肉とカイワレダイコンが乗る。
これも涼味ばつぐん。
そばつゆがちょっときつかったので、米酢を注ぐと、なんともまろやかになった。

サンパウロあたりでは、冬にちょびっとスープやフォンデュを出す店があるぐらいか。
夏場の料理なんか、あったっけか。
「冷やしフェイジョアーダはじめました」とか?


6月25日(火)の記 友情撮影・愛の川
日本にて


西荻窪・ブラジル系出会いスポットAPARECIDAで知り合った人から、読み捨てならぬメールあり。
けっきょく友情撮影を決意。
まずは今日から先方に会って撮影を開始することに。
しかし事前に状況が変わったとのメールがあり、撮影を決行する義がかすみ、戦意も萎える。
かといって、今さらキャンセルともいかず。
とんだ敗戦処理撮影手かも。

電車を乗り換え乗り換え海老名駅。
さらにバスで30分強。
神奈川県愛川町のブラジル人学校。

「あもれいら」の撮影感覚がよみがえってくる。
ありゃ、こんなのが撮れちゃったぞ。
狙ってはいたが、それ以上の「撮れだか」。
2時間以上、まわしてしまう。
今回の訪日中、あと二日は撮影を決意。
APARECIDAさんでお披露目できるような短編にできるよう努めたい。
仮題は『ばら ばら』。


6月26日(水)の記 『俺俺』を見る
日本にて


雨のなか、外回り。
各所に濡れた傘入れのビニール袋があるが、資源のムダ観たっぷり。
リピートして使えるマイ濡れ傘袋がオシャレかも。

渋谷の映画館で、星野智幸さん原作の映画『俺俺』を見に。
事前にネットで調べておいた上映時間と変わっている。
今どきの映画鑑賞は、その日に時間を確認しておかないといけないことを知る。
想定していた上映時間は別の映画になっているので、後に行くつもりだった病院のお見舞いを先にする。

映画『俺俺』は冒頭から凝った仕掛けたっぷり。
パンフレットを読むと、繰り返しこの映画は何度も見ることをすすめている。
一回では多くの仕掛けをとても見抜けない。
さすがに劇場に何度も通えないが、ヒコーキでやってくれたらイイネ!

中盤からは、近年製作の「ウルトラセブン」シリーズみたいな感じ。
特撮と怪獣がほとんど出てこないで、奇矯な設定をシナリオと役者の芝居で引っ張っていこうとする。
平日の午後、観客は3割程度、うち9割以上は女性。
カメナシ君お目当てと見た。


6月27日(木)の記 いざ鎌倉上映
日本にて


せっかくの鎌倉行き。
約束の前に、鏑木清方を見に行ってみる。
こじんまりと手ごろなミュージアム。
展示作品も涼しげでよろしい。

鏑木清方からルノアールへ。
ガラナをいただきながら、ユニークな打ち合わせ。

さあいよいよ『ブラジルの土に生きて』上映。
よみがえる、あの世界。
思わぬ人たちが続々と来てくれて、うれしい悲鳴。
泊まり込みで懇親会をやりたいほど。

ありがとうございました。


6月28日(金)の記 関西ダブルヘッダー
日本にて


終電で鎌倉から帰還、わずかな仮眠で起床。
祐天寺裏のバス停で蚊に刺される。
品川より、予定の「ひかり」乗車。

新大阪下車、十三のホテルに荷物を置く。
せっかくなのでピース大阪を見ておく。
東京では行政の側が展示しない空襲のコーナーが圧巻。

午後イチで大阪・桜井のカフェ神音比(かんなび)で上映。
先回より多くの人が集まってくれた。
押っ取り刀で兵庫・夙川。
アミーンズカフェというパン屋さんで上映。
いずれも『リオ フクシマ』。
新たに想像もしない批判をいただき、こっちも熱くなる。

主催者側に岡村の終電時間のチェックをお願いしておくが、もう電車はないとのこと。
カンパのなかからタクシー代をいただくが、それ以上の金額。
ホテル代以上の額のタクシー代となる。
活動・製作資金にまわしたかった。


6月29日(土)の記 岸辺のアルバム
日本にて


午前中、京都のミュージアムを覗いてみるつもりだった。
しかし時間的に厳しい。
大阪で見たいミュージアムも土曜は午後からでNG。
部屋でパソコン作業をたしなむか。
と、主催者の方が近くの案内を買って出てくれる。

淀川べりの採集民の居住地に知人がいるとのことで、ご案内いただく。
いやはやホームレスという範疇には入らない、コテージ住まいの域のお宅が続く。
川べりの東屋は、快適のひと言。
こころよく迎え入れてくれたおじさんに、都市の川岸の採集民の知恵をあれもこれもと聞いてしまう。
いちいち面白い。

午後から、三津屋商店街のみつや交流亭での上映とトーク。
昭和38年に起こったから「みつや」とのこと。
上映もトークも交流会も、大盛況。


6月30日(日)の記 風流の谷のイノシカ
日本にて


驚いた。
フェイスブックで静岡の友が、今日の新聞に「忘れられない日本人移民」の書評が載っていたとアップ。
なに新聞か尋ねると、朝日新聞。

ホテルのフロントのスタッフが新大阪行きのバス停を知らなかったり、JRレイルパスでは「のぞみ」のほか「みずほ」も乗れないことがわかってうろたえるなどするが、なんとかする。
広々とした「さくら」で九州島へ。
熊本で乗り換え、肥後大津駅へ。
駅から山の稜線に立つ風力発電の風車が見える。

文化創造館「風流(カザル)」でのお楽しみ上映、昼の部・夜の部。
それにしても濃ゆい人たち。
東日本からの避難者も少なくない。
来場の皆さんと話し合いながら、上映作品を決めていくのが楽しい。

若い人が目頭をぬぐいながら見ているのがわかり、こちらに感染。
深夜まで話は尽きず。
朝日新聞を購読している人がいないところも泣かせる。


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