移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2013年の日記  (最終更新日 : 2014/01/02)
9月の日記 総集編 優しさの未来へ

9月の日記 総集編 優しさの未来へ (2013/09/05) 9月1日(日)の記 神戸の希望
日本にて


昨晩の懇親会は複数のニューフェイスの人、橋本先生をご存じな人にもご参加いただき、橋本梧郎先生生誕百周年・在野の有志の上映の集いにふさわしい場となった。
僕は東京駅付近・鍛冶橋からの夜バスに向かう。
バス着は30分の遅れ。

夜行バスはカーテン完全締切りで、夜景が拝めずにまことにもったいない。
大阪を経て、午前8時台に神戸三宮に到着。
ひと汗流すため、ネットで探しておいた早朝も営業の二宮温泉というところへ。

学園都市駅下車、神戸市立外国語大学での原爆文学研究会は、かなりのボルテージである。
午後より岡村の『リオ フクシマ』『消えた炭鉱離職者を追って・序章』を上映、引き続いて広島大学の川口隆行さん、佐賀大学の高野吾郎さんと鼎談。
かつてNHKの番組ディレクターだったが、上司とケンカをして辞めたという高野さんの読み込みは、うなるほどの鋭さ。

もっとも感激したのは、この大学の英米文学化に学ぶブラジル人の女子学生。
彼女はブラジル人の核問題への意識の高さにいたく驚き、感激していた。
彼女はブラジルに生まれ、家族の日本就労に伴なって訪日、もう8年もブラジルに帰っていないという。
この大学にパスするまでの困難は、察するに余りある。
教員にも、学生らにも愛されているのがわかる。
まさしく、日本で暮らすブラジルなど諸外国系の若者たちの、希望の星だ。

数々の出会いに、感謝。
懇親会の後、三宮のサウナへ。


9月2日(月)の記 里山の湯
日本にて


神戸三宮のサウナのインターネットブース。
ずばりネットカフェのお座敷シート。
肝心なネットがとろく、使い勝手がよくない。

本日午後の上映のセッティングをしてくれた人は、まことに痒いところによく手を差し伸べてくれる。
会場の最寄駅から一駅、高槻駅近郊の二つの温泉の入場券を手配してくれた。
より緑に囲まれた奥の方に行ってみよう。
しかし市バスを降りると、なかなか強烈な雨。
摂津峡の散策は断念して、停留所近くの祥風苑という方に入湯するこことす。

ここの屋上の露天は、なかなかよろしい。
里山と水田を望む。
それにしても雨が強く、目前の里山が水煙を上げ始めた。

会場は摂津富田駅からあるくカフェぽお。
手づくり感あふれる気さくなスペース。
主催者の依頼で、東京の実家からポータブルDVDプレイヤーを担いできた。
しかしプロジェクターもないことを知る。
お店にあったテレビモニターを使うことにして、不肖の監督が奥の部屋から運び、配線。

月曜の午後、しかも大雨、駅から徒歩10分以上。
主催者ともう一人の方に見ていただければいいぐらいのつもりだった。
しかし、人が寄ってくるわくるわ。
多種多彩な方々が集まってくれたようだが、誰が誰やらよくわからず。

懇親会は、監督抜きで十二分に各所で盛り上がっている。
こちらは深夜、京都からのバスの前に京都で友人に会うことになり、おいとま。
雨あがる。


9月3日(火)の記 埼玉・作兵衛
日本にて


夜バスは真ん中の席だったので、まるで外景を拝めず。
早朝の新宿駅に着く。

目黒の実家にまずは戻る。
さあこの数日をどう使うか。

昼から思い切って出家。
埼玉・東松山の丸木美術館を目指す。
森林公園駅から、レンタサイクル。
おじさんに、時間がないから駅のエレベータを使って反対側に行くことをすすめられる。

山本作兵衛展を見る。
目黒の展示で見ていたと思うが、山本作兵衛に絞り込んでみると、味わいが違う。
わかりやすくインパクトある構図と色、解説書きだ。

ブラジルに戻ってから『消えた炭鉱離職者を追って/サンパウロ編』の編集に突入するための、自分で設けた必須通過点。

午後5時までに自転車を返さなけれならない。
せっかく学芸員の岡村さんにお話を聞く機会をいただいたが、そそくさと切り上げざるをえず。

なんだか、けっこう疲れたぞ。


9月4日(水)の記 山川さんちは、いま
日本にて


「フリーゾーン2000」時代にナレーターとして3作品ほどお世話になった山川建夫さん。
声もすばらしいが、お人柄もこれまでの歩みもすばらしいお方。
近年はツイッターで発信し始めている。
共鳴すること多く、再会の時を望んでいた。

さる日曜の橋本梧郎先生生誕100周年記念上映に来てくれた!
さっそく今日は山川さんのシマ・千葉県市原市で再会。
日本にもあった「量り売り」の食堂で会食。
ついで拙作『リオ フクシマ』をご覧いただく。
全国行脚の末、移り住んだという房総半島中央部のお宅にご案内いただく。
映画の一本も撮りたくなる環境。

隧道の先のレインフォレストのお宅は、湿度80パーセントの由。
楽しいこと、やりましょうと盛り上がる。

夜、ご案内いただいたオツな店、女将のイトコがブラジル住まいとかや!


9月5日(木)の記 菊川市の無断連日公開上映を告発
日本にて


静岡県菊川市が岡村の製作・著作作品『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』を8月に岡村に無断で連日の公開上映を行なった問題について。
この事実を知った岡村が市側に問い合わせると、社会教育担当という人物から今後は十分に気を付けるとの謝罪のメールがあった。
しかし市側は自らの約束をさっそく反故にして、今度は市のホームページの市長のページで、市長の言としてこの無断公開上映という自ら非常識を認めた業績を市側の橋本先生顕彰事業だとして、製作・著作者の存在をそぎ落として宣伝し始めたではないか。

太田順一菊川市長にこれはどういうことか、8月30日に問い合わせたが、市側からはなんの回答もないままである。
ホームページなどの公の場での製作・著作者への謝意または謝罪、ないしは事後承諾として常識的な額の上映料の支払い、という妥協案もこちらから提示したのだが、ご意見無用とされてしまった。
先方に未必のまちがいもあったかもしれない、と気を遣ってこの件を8月31日の民間有志による東京での橋本梧郎先生生誕100周年上映では明言を差し控えておいたのだが。
菊川市側は太田順一市長の責任のもと、確信犯として、悪意を持って無断連続公開を行なって自らの宣伝に利用し、製作・著作者と橋本先生の名誉をおとしめ続けて、市民をも愚弄し続けていると判断せざるを得ない。

この問題をわがウエブサイト、ツイッター、フェイスブックで今日、公にすることとした。
多くの友人・知人に思いを共有していただき、かたじけない。
この場で、改めて御礼申し上げます。

今日は夕方より若い人の取材に応じて、夜は次回完成を予定している最新作の主要人物と諸々の打ち合わせ。


9月6日(金)の記 成田往復のかげで
日本にて


今日から私用で特別態勢に入る。
いっぽう昨日、公表に踏み切った菊川市による拙作の無断連日公開事件については、想像を超える多くの方々から応援のメッセージが届き始めた。
こういうつらい状況の時こそ、真の友、仲間が自ずとわかるというもの。

成田空港まで最安値の方法で向かう。
空港での待ち時間を想定してノートパソコンを持参するが、今日は空港のフリーWi-Fiが相当にとろく、フェイスブックのコメントも書けず。
成田からはリムジンバスで帝都へ。
車内モニターでWi-Fiが使えると英語でうたっている。
ノートパソコンを立ち上げてみると、Wi-Fi使用にはスカイプの電話料金が取られることがわかった。
トロい電波でこれを使うと、交通渋滞のなかのタクシーのメーター状態で出銭が重なるばかりという体験があり、断念。

日本全国のさまざまな友人・知人からご教示をいただき、菊川市の問題は何重にも先方に非があることがわかる。
こちらの告発文は不勉強のまま、勢いばかりでよく練れていなくて、汗顔の至り。


9月7日(土)の記 縄文とブラジル独立
ブラジルにて


今日は早朝から実家の大掃除。
昼前に出て、淡路町のPARCへ。
13時からの縄文講座の打ち合わせ、機材チェック。
講座はこれまで硬めの内容で、メンバーもまだ固い由。

講座開始、トークをしつつ反応を見るが、確かに硬い。
通常のオカムラ路線は控えることに。
堂々3時間半の岡村のプライベート超大作『KOJO ある考古学者の死と生』を上映。

講師は途中、抜けてサンシャイン60へ。
本日のみのブラジル展内覧会に招かれたため。
サンシャイン60の展望フロアにリオのカーニバルの衣装や小道具、写真が並ぶ。
正直なところ、展望の方が圧巻。
その意味を考える。
カーニバルは、闇のなかの照明で見るもの、と気づく。

縄文芸術も同じではないだろうか。
そんな考えをまとめつつ、PARCに戻る。
メンバーの関心は縄文講座とはいえ、脱原発、反原発なので、そちらの方にこっちの話もスライドして、闇のアート論はやめておく。

明日のメインイベントがあるため、懇親会は9時ぐらいで失礼するつもりが、なかなか席を立てず。
丸ノ内線を乗り過ごして、けっきょく渋谷から罰ゲームの徒歩帰り、とほほ。


9月8日(日)の記 優しさの未来へ
日本にて


痛飲と深夜ウオークでへろへろ、猛省。
目黒の実家で法要。
『明瑞発掘』の竹林史博師の法話はライブ法事にふさわしく、インクのにおいのする刷りたての新聞に触れる思い。

会食は祐天寺・来々軒階上の個室で。
1933年創設。
お店の当代のトークは興味が尽きない。
いい食事ができたと思う。

ブラジルから持参した『黒い海の記憶』(山形孝夫著)の一説を読ませていただく。

なぜ苦しみや悲しみが慰めに変わるのか、宗教にはそうした思いがけない魔法の機能があり、それが悲しみに沈む人間に生きる希望をあたえ、命の息を吹き込むからである、と私には思われる。死者を記憶すること、それが悲しみを慰めに変え、私たちの生き方を優しさの未来へ変えていく。


9月9日(月)の記 フォーつくる人
日本にて


中目黒、そして渋谷でたっぷりと買い物。
夕食は渋谷のソトメシ。
ビルの地下にベトナムの米麺・フォーの専門店があった。
香味野菜たっぷりなヘルシー感。
揚げ玉とモヤシをかけ放題というのも面白い。
ベトナムでも揚げ玉があるのだろうか。
「コム・フォー」というのが店名。
店員のお姉さんに「コム」とは何のことか聞いてみる。
コメだという。
日本と語源がいっしょか。
調理にはベトナム人スタッフがいるんですね?と聞いてみる。
「ぜんぜんいません」との返答。
恐るべし、日本のエスニック化。


9月10日(火)の記 横浜農業
日本にて


横浜・鶴見にある馬場花木園という和風庭園にご案内いただく。
園内にある植物のプレートがわかりやすく、学名にもなじめる。
それにしても、ヤブ蚊のすごいこと。

近くで代々、農業を営む方のお宅も案内してもらう。
先代はこのあたりの地場野菜・寺尾大根を広く栽培していた由。
横浜の農業といえば、丘陵上の畑作ばかりをイメージしていた。
ところがこの方のところは、住まいも現在の耕作地も谷戸と呼ばれる谷の低地。
ブルーベリーの実りの時。
いやはや、奥が深い。


9月11日(水)の記 島から島へと
日本にて


早朝5時台、祐天寺裏を出家。
タクシーを拾えず、目黒通りまで歩く。
JRを5本乗り継いで、昼前に岡山県宇野港へ。
まずは直島へ向かう。

アートによる地域おこし・島おこし地帯。
フェリーで上陸後、本村地区へ。
この地区で実施されている家プロジェクトの「石橋」千住博作品を観るのが課題。
作画後、数年にして茶色の斑が浮き出ているのが看取される。

離島予定時間まで、他の作家の作品を見て回ることにする。
どれも、とはいわないが、ほとんどがすばらしいではないか。
ジェームス・タレルの「南寺」、杉本博司の「護王神社」など、人類史に遺る傑作ではないだろうか。
サンパウロ・ビエンナーレあたりでは僕が感じることの希な、現代アートに感動があることを体感。

余韻に浸りながら、宇野港に戻って、豊島の友と瀬戸内の幸に舌鼓をうつ。
友の島にわたり、植島さんの民宿にお世話になる。
ここの刀自は、旧約聖書にちなんだお名前。
友は、すごい鉱脈を掘り当てていた。


9月12日(木)の記 豊島発アート巡礼
日本にて


瀬戸内・豊島にて朝を迎える。
全身の疲労、民宿・植島さんの布団の心地よさでなかなか起き上がれず。
淺野島民が島の厳選スポットを案内してくれる。
豊島美術館、これはあっぱれ。
敷地内のキノコの種類の豊富さに驚く。
内部の音のひびきに、アンコール遺跡群を想い起した。
そして、三角アートの奇跡。
記録映像作家をいざなう、三角。

離島、本州へ。
ふたたび電車を乗り継ぎ、兵庫山中へ。
有馬温泉・元湯龍泉閣。
ここに、『あもーる あもれいら』のポスター画を描きおろしてくれた綱本武雄さんのキッズ壁画がある。
実物がぜひ見たくなり、綱本さんを介して宿泊をお願いした。
滑空するヤンマ、飛翔するカブトムシ。
随所に配された絵本嗜好、等々。
いつまでも眺めていたい快作。


9月13日(金)の記 いつまでも子供でいたい
日本にて


有馬温泉からバスで宝塚へ。
このあたり、松本清張の映画化作品の舞台になったっけか。
さすがに宝塚は温泉のハシゴにあらず。
手塚治虫記念館ふたたび。

昼に知人に会うことになり、駆け足ミュージアムとなる。
モニターの映像観賞に専心。
手塚治虫本人の言あり。
「いつまでも子供でいたい」、それがマンガを描き続ける理由。
共感するものあり。

電車を乗り継いで四国入島。
四国中央市in。
ここは「手羽」が名物とブラジルで教えてもらった。
その巨大さに仰天。


9月14日(土)の記 山の人生
日本にて


四国は山が近い。
四国中央市を起点に、いくつかご案内いただく。
まずは道の駅・霧の森と「わきの茶」。
緑茶の手もみ作業を体験させていただく。
これ、セラピーにいいかも。
ずっと気になっていた「わきの茶」さんを訪問できて感無量。
四国の山並み同様、奥が深い味。
こめられているものが違うと知る。

別子銅山関連遺跡もご案内いただく。
「東洋のマチュピチュ」とか。
見応えはあり。
鉱山と鉱夫がこの国の近現代を支えた。
地面のほじくり返しは節度を忘れて、禁断のウランに欲望を重ねていく。
そしてこの国は、核で滅びようとしている。

廃墟・遺跡化する祖国を幻視。


9月15日(日)の記 台風巡礼
日本にて


台風18号が南から迫ってきた。
寝台特急サンライズは小田原の手前あたりで大雨のため徐行。
約40分の遅れ。

祐天寺駅では豪雨の真っ盛り、ずぶ濡れになる。
仕切り直して水戸へ北上!

駅前の水戸シルバーインにチェックイン、ミネルヴァさんの雑貨を楽しみ、インド産のミニ画板を買っちゃう。

堂々17回目の、にのまえさん上映。
作品は『あもーる あもれいら 第三部・サマークリスマスのかげで』。
神妙に上映。
感無量。


9月16日(月)の記 台風に 追われ 向かって 追いかけて
日本にて


ビジネスホテルのテレビを、昨晩からほぼつけっぱなしで台風18号情報を把握。
水戸からどの経路で山形に向かうか。
昨日は水郡線も水戸線も運休となった。
観光系はカットして、いったん上野まで戻るのが確実と判断。

水戸駅。
予定していた特急は来ず。
どうやら運休。
ようやくやってきた別の上り特急の混み合う自由席車両へ。
強風により途中停車、徐行運転。
『七人の侍』を鑑賞して余りあるほどの時間の遅れ。

上野にたどり着くと、どうやら台風は通り過ぎた感じ。
関東平野を新幹線で北上。
霊峰富士と筑波嶺が妖しく浮かび上がる。

みちのくin。


9月17日(火)の記 山形でトルコ
日本にて


一週間のジャパンレイルパス使用、最終日。
プライベートの大仕事。

さくらんぼの産地として知られる山形寒河江市。
さくらんぼの原産地であるトルコと交流があり、道の駅に隣接したトルコ館というのがある。
のぞいてみた。
いわばトルコの物産店。
わが一行以外は店のスタッフしかいない。

カッパドキアの遺跡を模した瓶のトルコワインというのが、時局柄、泣かせる。
小瓶を思い切って購入。
そういえばトルコ航空がブラジル-日本路線の売りを始めていたな。
1940年に引き続いて、また東京オリンピックがキャンセルとなったらトルコはますます身近になる。


9月18日(水)の記 菊川市の返答なき連絡とさらなる追求
日本にて


岡村淳製作・著作作品の『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』を、寄贈者不明の地元の図書館にあったVHSテープを使って岡村に無断で連日にわたって公開して、岡村の抗議に謝罪をしておきながら、今度は市長自らが製作・著作者を無視して無断上映の「功績」をPRするという、地元出身の橋本先生を顕彰するどころか尊厳をおとしめた静岡県菊川市役所と太田順一市長。
岡村の重ねての抗議の公表と、多くの方々の抗議から半月余りを経て、菊川市教育委員会社会教育課長から本日、以下のメールが岡村に届いた。

岡村 淳様
(8月13日、14日「パタゴニア 風に戦ぐ花」映画上映について)

 表題の件につきまして、製作・著作者である岡村様にご連絡をせず、上映したことにつきましては、岡村様をはじめ関係者の方々の心情を深く傷つけ、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。

 また、専門家との法的確認や意見調整に時間を要し、回答が遅くなりましたことについて、改めまして深くお詫び申し上げます。

 今回の上映は、菊川市名誉市民「橋本梧郎先生」の生誕100年を機に、氏の遺徳を改めて顕彰しようと実施したものでございますが、菊川市のホームページやフェイスブック、広報チラシへの製作・著作者名の未記載については、みなさまへの配慮が不足しており、大変なご迷惑をおかけしました。
 今後の上映につきましては、岡村様に確認させていただきますので何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

菊川市教育委員会   
社会教育課長 竹田安寛
電話 0537-73-1114

岡村の質問も、多くの方々の抗議をも無視して、ご意見無用で問題の矮小化をはかろうとしている。
このメールをフェイスブック上で公開したところ、さっそくさらに多くの方々から失望と怒り、岡村への同情と応援のご連絡をいただいた。
我々が泣き寝入りする気がなく、問題の本質をごまかされるつもりもないことを早急に先方に意思表示するため、今日中に以下のメールを返しておいた。

菊川市教育委員会
社会教育課長
竹田安寛 様

9月18日付御メールを受領しました。
遺憾ながら、私が最終的には8月30日付で御課の渡辺氏と太田順一市長に問い質した質問の答えがありません。
繰り返しになりますが、改めて質問いたします。
1.拙作の無断公開上映を繰り返して、それを部下には謝罪させながら、御市のウエブサイトのご自身のページで公式に宣伝した責任者の太田順一市長ご自身は本件についてご存じなのでしょうか?
ご存知でしたら、ご自身の名前と責任で公式にお答えするべきではないでしょうか?
2.私が提案した2点の善処策について、なんら回答がないままですが、菊川市は拒否したと判断・公表してよろしいでしょうか?
繰り返すと、
 ①菊川市が拙作の無断上映を公式に宣伝した静岡新聞ならびに菊川市ウエブサイト等での岡村への謝罪ないし謝辞の掲示
 ②製作・著作者に対する常識的な額の上映料の支払い

今回の事件はご承知のように一製作・著作者の私の範疇を超えて、日本とブラジルの多くの橋本梧郎先生、および岡村淳の支持者・シンパ、さらに図書館関係者、映像・メディア関係者、マスコミ関係者並びに善意の市民の皆さんの注目するところとなっています。
残念ながら貴殿の今回の回答について、これまで私の知りえたすべての意見は、失望とさらなる憤りを伝えています。
すでに今回の事件は公の問題であり、また私は橋本梧郎先生の遺志を継ぐ者として、私と多くの支援者の納得のいくまで菊川市と太田順一市長の対応を公表し続ける所存です。

西暦2013年9月18日・東京にて
岡村淳


9月19日(木)の記 寿・三溪
日本にて


昼は世田谷で会食。
時間を気にしながら、待ち合わせ時間を遅らせてもらって横浜・石川町駅。
日本三大ドヤ街のひとつ、寿町を訪ねる。
ここで活動するNPOのメンバーと意気投合し、次回訪日時に寿町で拙作の上映会をやろうというノリがすすんだ。
今日は事前の下見と打ち合わせ。

東アジアの、不思議な一角に来たという感じ
身心に感じる危険度はサンパウロやリオの「やや危険な地帯」より低いかも。
わずかな地面や鉢植えの植物が少なくなく、台湾・台北の裏町あたりを思い出す。
橋本梧郎先生がご健在だったら、こういうところの植物調査も面白かったかも。
寿町の一角の居酒屋がよろしかった。
「ヒゲ茶割り」を何倍でも飲んでいたかったが、こちらの当初の計画に賛同してくれていたスタッフが見事に仕切ってくれた。

今日から行なわれる横浜・三溪園の観月会へ。
毎晩、園内で生演奏が行なわれる趣向。
今宵は琴のグループだが。
寿司屋に行って、お任せにしたらキムチ系の突出しを出され、さらにミニハンバーグを握って出された思い。
サンバのリズムだという演奏とか。

現代人のこころも揺さぶる中秋の名月。
月を読む民・縄文人は、いかばかりだったことか。
寿町から三溪園の観月会という流れは人類史上、そう何人も試みていないかも。


9月20日(金)の記 楽しみながら、創る
日本にて


地元での用足し。
午後から、京橋のLIXILギャラリー「中谷宇吉郎の森羅万象帖」展。

「どんなに小さなものでも、ものを創る歓びは、何ものにも換えられない。」
「君、仕事は楽しみながらするものです」
中谷宇吉郎


石川県出身の中谷は寺田寅彦の薫陶を受けた物理学者で、雪の結晶の写真撮影で知られる。
さらに岩波映画製作所の前身である中谷研究室プロダクションを設立している。
何重にも興味深い人と仕事。

それにしてもLIXILといい、TOTOといい、いわば便器屋さんの文化活動とセンスのよさは目を見張るものがある。

離日を前に、見逃すわけにはいかなかった『風立ちぬ』を渋谷で鑑賞。
友人知人から、必見と言われたり、見なくてもいいと言われたりであった。
時に違和感を少し感じつつも、じわじわと宮崎ワールドにはめられていく。
関東大震災のエピソードを始め、中谷宇吉郎と堀越二郎があるいは重なる。

避暑地に飛び交うトンボ、夜の街灯に群がる羽虫が秀逸。
そして、祖国の壊滅。
預言者・宮崎駿ここにあり。
軍用機の研究開発が、原子力発電所の研究開発にオーバーラップ。

祖国壊滅後、異国でささやかに伝わる宮崎アニメと荒井由実の音楽を幻視・幻聴。


9月21日(土)の記 墓地でぼちぼち考えた
日本にて


昨日より、彼岸in。
日本初の公園墓地・多磨霊園へ。
今でもわが実家からのアクセスは至近とはいえない。
1923年、関東大震災直前の開園。
当初は東京都民からアクセスが不便と不評だったが、東郷平八郎元帥の埋葬により、人気が高まったとか。

めざす墓所は、広大な園内の外れ。
夏がぶり返す炎天、クーラーきんきんで窓を閉め切った乗用車どもを避けながら歩行者は行く。
正門近くに外人墓地の一角があるが、どうやら中国人系とアラブ系ばかりのよう。
神をも畏れぬ異教徒どころか、無神徒どもの化外の地に果てんとする人の思いやいかに。

植物遷移の見本を見るような、草ぼうぼうの墓所に心惹かれる。
どれぐらいの放置でどれぐらいになるのか。
人出の入った墓所より興味深い。

帰路、入り口からすぐにある「みたま堂」に立ち寄る。
遺骨の長期収蔵施設、共同墓所。
悪くない現代建築である。
建物内の半地下の広大なスペースは冷房も行き届いている。
彼岸の時期は24時間オープンという気配りぶり。
若い母親と小学生ぐらいの子供、といった組合せの参拝者がいくつも目に付く。
円形の施設の壁側にぐるりとベンチが並ぶ。
女性、そして子供たちの嬌声がコンクリートの空間に響く。
肉親の埋葬から、今日まで、それぞれにどれだけのドラマがあったことだろう。

縄文期の埋葬施設である配石遺構、ストーンサークルが僕のなかでここに重なる。
個別の区画の墓より、こっちの方がずっと心地よい。
死者で、死者を契機に生者が賑わうよき季節。

そしてこの国は核廃棄物の長期収蔵施設のビジョンもないまんま、国中が核廃棄物所蔵地化。


9月22日(日)の記 成田の早じまい
日本→


夜には出ニッポン。
出国準備で大わらわ。
朝は地元で面白い発見と出会い。

恵比寿ウエスティンホテルでリムジンバスに乗車、やれやれ。
今回の出国は、成田空港第一ターミナル。
ユニクロから無印、キャラクターショップまであるではないか。

消費税フリーになる出国審査後のゲート内の売店に期待。
書籍類は第二ターミナルに比べると、かなり品薄なので要注意。
しかもこちらが搭乗する前、20時には飲食物の売店がさっさと閉まり、少なからぬ搭乗待ちの客たちをよそ目に騒音を発てて床の掃除が始まる。
なかなかにさびしい、場末感漂う祖国の玄関口。


9月23日(月)の記 恋するナメクジ
→アラブ首長国連邦→ブラジル


エティハド航空のエンターティンメントサービス、相変わらず中国映画、韓国映画のコーナーはあっても日本映画は皆無だというのがかえって心地よい。
あまりノレない未来映画やエジプト映画を見る。

最大のスクープはアメリカのアニメ映画『エピック/EPIC』。
のちに調べると『アイス・エイジ』の製作スタッフによるもので、全米では今年5月に公開されたが、日本の公開はまだ未定のよう。
一人暮らしで森の生物の研究を続ける父のもとへ、ハイティーンの少女が訪ねる。
少女は、森を守る小人・リーフマンと小動物たちの不思議な世界に迷い込んでしまう。
作品の狂言回しを務めるのが、なんとカタツムリとナメクジのコンビ。
ウルトラQのナメゴンをほうふつさせる小太りのナメクジの、肌の質感が見事。
おキライな向きは鳥肌を立て、嘔吐を催すだろう。
このナメクジが、主人公の少女に恋をするというのもナメクジファンを悶えさせてくれる。

2億年といわれるナメクジ史のなかで、映像作品では拙作「ナメクジの空中サーカス 廃屋に潜む大群」とともに特筆されるべきかと。
ナメクジの美術史デビューは、管見では日本だと江戸期以前にさかのぼれそうだ。
意外と日本以外では現代以前のナメクジ画の存在そのものがむずかしいかも知れない。


9月24日(火)の記 時差ボケ痛飲
ブラジルにて


ブラジルに戻ったのが昨晩。
自己嫌悪に陥る失敗もあり。

日中はでれでれとさせてもらう。
夜、時差ボケでふらふら気味だが、日本から来て間もなく帰る畏友とイッパイ。
セバスチャン・サルガドと「風立ちぬ」をサカナに盛り上がる。
痛快・痛飲。


9月25日(水)の記 二重苦の罰ゲーム
ブラジルにて


二日酔いに時差ボケ。
映像作家などと名乗りながら猛省すべきことあり、罰ゲーム。

次回訪日まで、スケジュール的には追い込まれている。
だが今日は創造作業には不向き。

急ぎの課題図書をひもとく。


9月26日(木)の記 水着続出
ブラジルにて


訪日中、祐天寺駅でもらってきたフリ―マガジン「R25」にサンパウロで目を通す。
「『断食』のススメ」や「ドライエージングビーフ」など、捨てがたい記事が少なくない。
ドライエージングビーフはひと月ほど寝かせた肉で、表面にはカビ等が生え、チーズ臭があるという。

さて、昨日一日サボってしまった。
しぶしぶと編集機をセッティング。
まずは、いろいろあった『ばら ばら の ゆめ』の編集再開。
佳境に達してきたところで、メモリー容量不足。
まだ作品リストに記していない『ふらめんこ y ちゃんちゃんこ』のマスターテープをもう一本作って、編集データを空けることに。
コピーを終えたマスターテープをノイズ等がないか、試写チェック。

この2作品に思わぬ共通点が。
いずれも主要登場人物が水着で登場する。
ちなみに、おふたりとも還暦を過ぎている。

さあ先を急ごう。


9月27日(金)の記 猪四の勝利
ブラジルにて


朝イチでイピランガ区の録音スタジオへ。
『ばら ばら の ゆめ』ナレーション収録。
時間的にもコスト的にも、想像以上に詰めることができた。

スタジオ近くのお気に入りの店で、靴とベルトをフンパツして買う。
トラックの荷台などに用いる布のシートやタイヤをリサイクルした靴類。
思えば、最初にこの店で靴を買ってから訪日したのは311の直前だったな。

ふらふらへろへろながら、ここまでこぎつけた。
少しインターバルが欲しい。
京橋のLIXILギャラリー付属の書店で買った『「ゴジラ」とわが人生』本多猪四郎著を読み耽る。
あの『ゴジラ』がこの監督の手でつくられたことの僥倖。
311の前年に出された本だが、しっかりと核の問題がおさえられている。

夜は、子供のリクエストを受けて、牛丼をつくる。


9月28日(土)の記 土曜返上
ブラジルにて


土曜返上どころか、平日より作業をしてしまったかも。
時差ボケを利用して、未明から作業。
昨日、録音した『ばら ばら の ゆめ』のナレーションをばらして、あて込んでいく。

夜、外出すると気温16度。
こっちは春分を過ぎたんだが、肌寒く、小雨舞う。


9月29日(日)の記 アカラジェる
ブラジルにて


主日の今日も未明から作業。
その作業中の作品『ばら ばら の ゆめ』に登場する日本のキーパーソンとサンパウロで再会する。

午前中、ブラジルツアー中の西荻窪Aparecidaのドノ、Willieさんと我が家の近くのメトロの駅で待ち合わせ。
ナイショの買い物。

先回、Willieさんと一緒にカフェをひっかけたバールが閉まっている。
別の場末系のバールにお連れするが、スペースのないにぎわい。
さらに場末感あふれる中国人経営のバールまで行くと、カフェがないと言われる。
むむ、その横のスーパーマーケット並びのスタンドでお茶を濁すか。
ここは日系人の経営だが、アカラジェがある。

アカラジェは、ブラジルのこころの故郷といわれるバイーア州の料理。
豆をベースとした、スナックともバーガーとも例えられるヴァリエーションの多い食べ物。
ここではひとつ8レアイス、邦貨にして約350yen、日本なら牛丼牛飯の食えるプライス。

この店のは、それだけのボリュームあり。
豆ベースのパン状の母体のなかに、エビをはじめとする具が収まっている。
具のひとつはオクラたっぷりのねばねばで、山形のだしならぬバイーアのだしといったところ。

アカラジェという食べ物、サンパウロでも知らない人、食べたことのない人の方が多いかも。
店の日系のおばちゃんも、それをいかにも日本人まる出しのふたりが注文したことを喜んでいる。
いかにも手作りのチリソースもいいが、ブラジル製ショウユがあればもっとあずましかったかも。
して、店の名はNISSEI(二世)。
アフロと、ブラジルバイーアと、日系の習合。


9月30日(月)の記 最近聖市交通事情
ブラジルにて


家族の用件で、早朝から車を繰る。
最近のサンパウロ市の交通事情、大きな変化あり。
市バスの往来する大通りなどでは、朝のラッシュ時、右側の車線がバス専用レーンとなった。
ちなみにブラジルの自動車は右側通行。
これまでは路上駐車が当たり前で、右側の一車線がつぶれていた。

乗用車が右折する際にどのあたりで右側の路線に入るかなど、ややこしい。
右側車線で徐行でもしようものなら、後方のバスが激しくパッシングをかましてくる。
随所で交通局のスタッフが、罰金閻魔帳を手に虎視眈々とわが車のようなカモを狙っている。

こちらが穏やかに運転していると、三重連の市バスがこっちの車線にはみ出してきたり、専用レーンのある市バスが平気で追い越し車線に割り込んできたりで、もうシラフで運転などしていられない心境。

帰宅後、ビデオの作業にお買い物、さらに自動車の件での手続き。
なんだか疲れた。
ブラジルに戻ってようやく一週間か。


前のページへ / 上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2017 岡村淳. All rights reserved.