移民百年祭 Site map 移民史 翻訳
岡村淳のオフレコ日記
     西暦2014年の日記  (最終更新日 : 2015/01/02)
1月の日記 総集編 ブラジルのガラパゴス

1月の日記 総集編 ブラジルのガラパゴス (2014/01/03) 1月1日(水)の記 正月そうそう
ブラジルにて


いやはや、元日朝のサンパウロの町の運転事情の快適なこと。
クリスマス以上のすかすかぶり。
時よ止まれ きみは美しい。

こちらの家族の新年会。
昼過ぎまでおせち料理の作製が続く。

今日は台所に立たず、監修役にまわって持て余し気味の大刀自のお話の聞き役を務めるとする。
さあ、できた。
どなたからいただいたか、わからないという「越後桜」という新潟阿賀野の大吟醸を開ける。
美味。

備えあれば、憂いなし。
「万が一」の葬送の際、宗派をどうするか。
これまできちんと詰めていなかったことを持ち出す。
先方のとりあえずのご意向を義兄弟らと確認。
やれやれ。

すでに開封済み、賞味期限も過ぎたブラジルの日本酒がある。
まずい。
料理用が、席の山。
冷蔵庫整理の名目で飲み干すとするが、これは悪酔いしそう。


1月2日(木)の記 猛暑強風
ブラジルにて


朝はおせち料理の残り・和食編。
昼は正月用のブラ飯、サウガジーニョと呼ばれる揚げ物スナック類の残りをいただく。

真夏の猛暑日和ながら、風が強い。
強い風音と室内のものが飛び散るので、窓を開けていられないほど。

一日中、御礼兼年賀のメールを打ち、送り続ける。
ありゃ、一歩も外に出なかったな。


1月3日(金)の記 時なしのかまえ
ブラジルにて


金曜日には、サンパウロの主要紙FOLHA、ESTADOそれぞれに一週間分のイベント情報を記した小冊子が付いてくる。
映画欄、アート欄をざっとチェックするのが常。

うわ、トミエ・オータケ文化センターでAntanas Sutkusの写真展をやっているではないか。
しかも、1月5日までときた。
僕が先回、訪日してからの開催で、これは見逃していた。

Sutkusはリトアニアの写真家だが、彼の存在を知ったのは、昨年の大きな収穫。
亜熱帯の夏の太陽が少し傾いてから出かける。

写真のすごさは、いわずもがな。
ソ連共産主義支配時代の、リトアニアの市井の人たちの日常の情景。

昨日、北斎展の目録とともにふたたび目を通したアントニオ・ロペス展の目録にあった言葉そのもの。
「そこには静止した時があるのではなく、永続する瞬間があるのである。」(木下亮氏)

掲げられたSutkusの言葉にも息を呑む。
ざっと、試訳。
「過去をふりかえると、いつ、どこでその写真を『つかまえた』のかを思い出せない。私にはいつでも、時がないのだ。」
「今日では、写真をとることがむずかしい。(中略)いまや人々は、あなたに写真をとってくれと頼むのではなく、あなたのカメラを壊したがっているのだ。」


全文はかなりの量で、今日は鉛筆を持ってきていない。
警備員にこのテキストだけ写真をとっていいかと聞くと「会場内は禁止」とつれない。
階上ではトミエ先生の生誕100歳記念展示が開かれている。
ほとんど無人状態だが、むき出しのペットボトルをぶら下げている若者がいても、お咎めなし。

キューブリック展では、カメラだけはOKなものの、ポシェット、ウエストバッグ類も持ち込み禁止だったけど。

あまりにも安易かつ無自覚に動画までがそこらじゅうで撮られている世のなかで、記録映像作家は、自分はいかにあるべきか。
大切な気づきの瞬間をいただいた。


1月4日(土)の記 神は細部に宿り給う
ブラジルにて


この項を書くにあたって。
タイトルの言葉に、僕は学生時代、民俗学で出会った。
その原典を恥ずかしながら自分で直接、確認をしていない。
当時はシラーかゲーテ、といわれていたと記憶する。
いま、検索してみると、もう少し新しいドイツ人ということになっている。
いずれにしろ、ドイツ起源のようだ。

さて、今日はサンパウロ近郊の有機農場へ。
昨年はスチールカメラをめぐって、これまた恥ずかしいトラブルをいくつか起こしてしまった。
そのあげくに年末に日本で買ったカメラは頑丈さ、マクロ撮影機能にこだわった。

そこいらの活字や爪先を撮っていても、いかがなものか。
マクロ機能のテストを野外撮影でやってみる。
これはこれで、奥深し。

思い出した。
かつて日本を代表する昆虫写真家を、この農場にお連れしたことがある。
当時はより手入れがされておらず、虫好みの環境となっていたのを彼はえらく喜んでいた。
その後、彼はブラジルをはじめとする世界の昆虫を網羅した大著を出した。
あのなかにこの農場の写真はあったろうか?

この人をブラジル各地にご案内して、僕自身いろいろと学ばせてもらった。
ツノゼミ等の珍虫奇虫に感動して、僕は「神は細部に宿り給う、ですね」と僕の知る限りの出典も添えて伝えたものだ。

彼の大著のあとがきを見て驚いた。
アマゾンのインディオに聞いた言葉として、この言葉のクローンが掲げられていた。
インディオに怒られるかも。


1月5日(日)の記『どですかでん』の朝
ブラジルにて


『どですかでん』を見たかった。
ブラジル国産のDVDも売られていたのだが、なぜか昨年後半ぐらいから、黒澤、小津あたりのブラジル国産DVDが店舗から姿を消してしまった。

未明に覚醒。
我が家にあるはずのVHS版を探す。
なんとか見つかるが、今度はVHSデッキの不具合。
どれぐらいのブランクを置いての再生だろう。
湿式、乾式のクリーニングを繰り返す。
よみがえるVHS、そして黒澤初のカラー映画、武満徹の音楽。

何年ぶりぐらいの見直しだろうか。
いたく感動。
僕がなぜドキュメンタリーをつくり続けたかを、そのまま教えてくれるセリフが二つ。

それにしても、かつ子というキャラクターに息を呑む。
観賞後にネット検索していて、こんなのが存在するのにも魂消(たまげ)た。
http://blogs.yahoo.co.jp/suzushim/58975937.html

今の僕にとっては、『どですかでん』が最高。
新年早々、Sutkusと黒澤に、なぐさめてもらう。


1月6日(月)の記 日本語本の介錯
ブラジルにて


ブラジルに暮らして。
日本語の本は悦びであるとともに、頭痛の種。

こちらの身近な日本人が、日本から最近来た人の置いて行った本が面白くないので、ゴミとして捨てたと聞いて驚いた。
これぐらいじゃなければ、だめかもしれない。

で、陋アパートにたまるばかりの我が蔵書。
近年は、こちらで亡くなった日本人の遺した書籍まで、遺族から託されることもある。

今どきの日本なら、よほどの本以外は手元になくても、さほど難なくなんとかなるだろう。
それに拙著を引き取ってくれる人も、親しい古本屋さんもいる。
ここは、ブラジル。

サンパウロには図書館を持つ日系人団体もあるが、そこの顔役からは僕の仕事のおいしいとこ取りだけを図られ、あげくの果てに卑しめられている。
そんなところには、さすがに。

こちらの友人が日系の老人団体につながっているのを思い出す。
聞いてみると、日本語本寄贈ウエルカムのようで、安心。

よく見てもいなかった、家族の友人が託してきた、その人の亡父の本類をチェック。
『ふくしま春夏秋冬』などというのがあるではないか。
故人が大切にしていただろう、家庭の医学や冠婚葬祭系、技術書も。
もうぼろぼろだが、それだけ重い。
その友人自体は、ほとんど日本語がわからないようだが、書き込みから落書きまであるこれらの古書は、家族の遺品として保管するように諭すとする。

介錯も、蘇生もむずかしい。


1月7日(火)の記 聖市カラオケ
ブラジルにて


今日は、東洋人街にある沖縄出身の夫妻の経営するカラオケへ。
日本人の友人知人らの新年会だが、前座か余興か、まずは拙作の上映を、ということになった。
作品は『サルバドールの水彩画』、ブラジル初公開。
事故に備えて、そして少しでもいい画質で、とポータブルDVDレコーダー、さらにminiDVテープのマスターテープとポータブル再生機を持参。
miniDVの方が格段に画質も色味もいいので、赤白黄色でつないでもらう。
ご覧いただくのはカラオケ用のモニター。

店内はこちらの希望のように暗くならず、サブのモニターは白黒画像しか映らない。
かえって白黒の方がディテールがわかって面白かったという声も。

店内には、シネスコサイズの巨大な額がある。
すでに退色が激しく、これが額であることも、何の画像であるかを判別することも難しい。
先史岩絵を見るつもりで、目を凝らす。
満開の桜と水面の後ろに、富士山か。
宝永の大噴火以前の画像だろうか。
ママさんに聞くと、30年以上前のもの、とのこと。

ウチナンチューが、富士山をどう思ってるか聞いてみておけばよかった。
飲み過ぎ。


1月8日(水)の記 午前サマーの代償
ブラジルにて


昨晩の、拙作上映を前座とする飲み会。
久しぶりにサンパウロでの気の置けない日本人仲間との酒席。
発起人の方が特別に用意してくださったのが「足てびち」。
沖縄の豚足料理。
僕に出されたのは、丼いっぱい豚足が密集。
豚足のコラーゲンと骨のみ。
そうはいただけず、ひたすらアルコールに逃げてしまった。
豚さん、ごめんなさい、「あしからず」。

どうやら他の方々には大根などの煮物のなかの一品としての豚足だったようだが、どうしたことか、僕にはトンソクばっかし。

かつてブラジルの沖縄系の大会で、ヤギ肉とアルコール臭たっぷりのヤギ汁を断りきれずにいただき、ひどい体調不良を起こしたっけ。
ほんらいヤギ汁はヨモギや生姜で臭みを緩和するものと後に知るが、僕のいただいたのは、ヤギ肉のブツ切りを煮て、ピンガ(ブラジリアン焼酎)を注いだだけの感があった。

すでに地下鉄も逃し、近くに住まう友人のご厚意に甘えて、始発頃まで仮眠させてもらおうと思っていた。
するとお店に来ていた別の日本人のお客さんが、同じ方向だから車に乗せてくれるということに。
して、途中の24時間営業のベーカリーでビールをいただくことに。
もはや、聞き手となるが、どんな話だったか、大筋程度しか思い出せず。
帰宅は午前4時近く。
へとへとにして、へろへろ。

今日はひたすら時の流れとアルコールの代謝を待ちたいところだが、罰ゲームの家事。
ものも食べたくない身で、食事の支度。

次回は、沖縄薬膳料理でお願いしたいもの。


1月9日(木)の記 節をながめて
ブラジルにて


ブラジルの家族の、節目の時。
諸々の手続きの一部に、運転手としてささやかな協力。

わが子の節目の時、自分の時のことを思い出す。
その時の自分の親へ想いを巡らせる。
けっして、よい子ではなかった自分を反省するばかり。

家族の休暇、さあ残りの日時をどうするか。
こっちの用事と関心もあわせて、数次方程式といったところ。


1月10日(金)の記 米印の金曜日
ブラジルにて


年末年始と沈滞ぎみだった。
ここにきて、公私ともにささやかな進捗。
お昼は、五目鳥飯のリクエストあり。
ちょっと探してみたが、もち米がみあたらない。

ブラジル産インディカ種のもち米、および油揚げを買い出しに。
かつて茨城の大子で買った凍みこんにゃくを、レシピをネットで探して、戻してみる。
ジャポニカ系のブラジル産うるち米を1割以上入れてみたが、ちょっともちっぽ過ぎた感じ。

夜はまたリクエストに応えて、冷蔵庫に残る白飯で卵チャーハンとする。
明日は家を空けるので、いろいろ処理しないと。

詳しくは書けないが、取材のアフターケアが、なかなかたいへん。


1月11日(土)の記 嗚呼海岸山脈
ブラジルにて


数日前に、フェイスブックを通じて、僕が取材を続けていた、すでに故人となった人の遺族だという人から連絡があった。
ナゾの多かった人の、新たなナゾ。

問い合わせてきた人の住まいは、サンパウロの町から200キロほどのところ。
休暇中の家族の慰安もかねて、一泊旅行を計画。
その町の郊外にあるらしいロッジを昨日ようやく予約ができた。
僕の大好きな海岸山脈。
ツノゼミが、トンボが、粘菌が僕を呼ぶ!

海側の道から行くという裏ワザを宿の人から教えてもらう。
が、陽気のいい土曜の朝は大混雑。
こちらも裏ワザを思いつき、ロドアネルになんとか抜けて。
本来のクリチーバ街道へ。
こんどはこっちの複線化工事とかで、ラジオの電波も通わない山中で、売り子が群れを成すほどの大渋滞。

5時間かかる…
昼食もとらで、まず遺族と面会。
公にはしずらい話ばかり。
めったにない、せっかくの家族旅行。
渋滞の疲れと空腹の家族に申し訳なし。

先方の話は止まらないが、まずは渡すべきものも渡して失礼する。
あこがれのロッジは…

招かれざる客。
オーナーの親族友人どもでごった返す。
サンパウロでも耳を覆いたくなるような音楽が、暴力的ボリュームでファウナを脅かしている。
そもそも部屋は2時からOKのはずが、一族郎党が占拠したまま。
他に移ろうか、と切り出すが、宿のスタッフはすぐに部屋を空けさせる、音量も下げさせる、という…

部屋は換気も悪い屋根裏のお仕置き部屋みたいなところ。
妻子は疲れ切ってベッドに横たわる。
ああ、申し訳なし。

一泊の旅でも、これだけ申し訳ない思い。
妻子を言い含めて、ともに南米移住をさせてしまい、後悔も詫びも言い尽くせなかった移民の諸先輩の胸中を想う。


1月12日(日)の記 サンパウロで昼食を
ブラジルにて


ロッジのチェックアウトは午後2時。
家族たちは一刻も早く帰りたいという。
むべなるかな。

朝のコーヒーを飲んで、…
フルーツが自慢のブラジルの宿の朝食で、果物系は濃縮工業加糖オレンジジュースのみ。
パンは一人一個限定。
問題点の羅列は計り知れず。

唯一、気の利いていた女性スタッフも間もなく帰るという。
オーナーの一族郎党どもに消されないうちに脱出を。
郎党どもは、共同トイレにビールの空き缶を放置、使用したペーパーは床に散乱、ブタ小屋以下。

帰路、気の利いたところを見つけて昼食を…
昨日の大渋滞が幻のようなスムースさ。
電波が通るところに来ると、さっそく家族の携帯が鳴る。
訃報、今日午後の埋葬の報せだが、どこにあるともわからない墓地。

危うし、昼食。
いずれにせよ、これというレストランどころも見当たらずにサンパウロの町に近づく。

情報の混乱があり、家人は葬儀参列を見合わせるという。
我が家から遠からぬ、住宅街にあるレストランへ。
えらいにぎわいで、順番待ち。
年配のボーイたちは、性格俳優系の味わいのある人ばかり。
旅のなかで、いちばん落ち着いたひと時かも。


1月13日(月)の記 キビといつまでも
ブラジルにて


昼にキビを作ることにした。
ブラジルでは主にスナックとして食されるアラブ系の料理。
雑穀のキビとは無関係、と思う。

これに付きもののミントを友人宅からいただいていたのが、まだ残っている。
さらに主要材料のキビ粉:ひき割り小麦の在庫がある。
袋の賞味期限を見ると、ほぼ一年経過。
いかに久しくキビを作成していないか。

本場では羊の挽き肉が使われているようだ。
日本人移民より古く、幅広くブラジルに貢献しているレバノン移民が導入して、レシピをヒツジからウシに代えたとされる。
こちらのアラブ料理店では、ナマの牛挽き肉を用いた生キビというのもある。
タルタルステーキを思い出して何度かいただいたことがある。
これまでこれにあたったというのは聞いたことがないが、どうだろう。

久しぶりの自家製キビ、悪くない。
より和風、我風のアレンジが可能かも。
和風アラビアン。


1月14日(火)の記 「日本人でよかった」
ブラジルにて


岡村もついにヤキが回ったと思われるかもしれない。
もちろん日本でこんなことを言うつもりはない。
異国で同胞に会う、というお話。

外出からアパートに戻った時。
エレベーターで日本人らしき、ご夫婦らしいカップルと、その娘婿、という感じの3人が乗り合わせた。
見たことがない。
老カップルは、90歳近いご高齢と見た。

あとから乗った僕は「失礼します」と小声の日本語であいさつ。
それが耳に入ったかどうかわからないが、上昇中に「日本人ですか?」と聞かれる。
そうです、と答えると女性の方がとても喜ばれた。
先日、引っ越してきたばかりだという。
老男性の方は、老齢による問題の成果、ほとんど反応はない。
この老カップルを僕が夫婦と断定しないのは、なんだかよく似ていて、兄弟かもしれないから。
すぐ下の階にいますので、なんなりと、と伝える。
女性はうれしい、心強いと連発。
「二世ですか?」
と聞かれ、
「日本生まれです」
と答えると、ますます喜ばれる。

僕もこの歳で日本人移民としてはまだ若い方だろう。
その若い日本人というのは、けっこうレアなのだ。
異国で思わぬ同胞に会えた時のうれしさ、こころ強さは、体験していないとわからないかもしれない。
同胞を食い物にするのもいるのだけど。


1月15日(水)の記 ブラジル小正月
ブラジルにて


ブラジルでお世話になっている人が仕切る県人会の、大きな節目の式典が昨年行われた。
積年のご厚意へのささやかな返礼として、友情撮影をさせていただいた。
60分テープに4本ほど収録したもののカットを整理する編集を師走に行ない、3時間弱の関係者試写バージョンをDVDに焼いて、年末に先方にわたしておいた。

今日はそれを基に、本編集に入るための試写と打ち合わせ。
その事前に、あらたに3時間バージョンを試写していて、こっちなりに1時間弱にまとめる編集の見通しがついてきた。

どこか個室で打ち合わせを、と希望を伝える。
すると沖縄系カラオケの2階があるが、コンセントがないという。
それでは、ポータブルデッキをフル充電して。

お店にうかがうと、他に来客がないので、電気もある1階で試写と打ち合わせをさせてもらう。
作品の捧げ主からは特にトンチンカンな要望もなく、まずは安心。
登場人物の重要度などがこちらにはわかりかねるので、直接、打ち合わせをしていただかないと先に進めないのだ。
それにしてもこうした式典、要約や見せ場を作るにもあまりに内容のない挨拶、支離滅裂な挨拶、そしてブラジル側からは政治家の宣伝の多いこと。

けっきょく、他のお客さんは誰も来なかった。
「水曜日は、頼母子があるから」とのこと。
そもそもこっちのタノモシというのは、なにが行なわれているのだろう?
今日は聞きそびれてしまった。
強盗にも襲われず、虎の子の機材をぶじ、持ち帰れて、やれやれ。


1月16日(木)の記 東北伯をいただく
ブラジルにて


東洋人街にある、いくつかの日系団体を回る用事ができてしまった。
めったにないこと。
会いたくもない輩も、少なくない。
ざざっと、四団体をまわって所用を済ます。
先方と違って、こちらにやましいところもないので、堂々と行こう。

こちらの生活が長い日本人の友人と昼食を。
まさしくサンパウロ市の中心にあるブラジル東北料理店を提案してもらう。
こっちの知らない店。
いきましょう。

この手はけっこう小汚い店が多いのだが、意外とさっぱりして客層もさっぱり系。
強烈だという内臓系はパス、干し肉・木芋・お豆類混ぜ合わせのプレートで。
お味も値段もお手頃なり。
液体バターというのは知らなかった。

話が弾んでいるうちに、外では猛烈な雨。


1月17日(金)の記 オコノミーとイモ文化
ブラジルにて


夜は、お好み焼きを作ることになった。
わが子と食材の買い出し。

わが家では、生地の小麦粉に長イモもをおろして混ぜている。
長イモはブラジルでは「カラ」と呼ばれ、ジャガイモに比べると出現率はだいぶ低いが、サンパウロあたりの品ぞろえの多い店なら、たいていならんでいる。
年末に買ったのが、まだ冷蔵庫に残っていたな。

さて、カラを冷蔵庫から取り出す。
そもそもこのカラ、売られている時からすでに切り口に青カビが生えていることがしばしば。
皮をむくとなんと、全部が全部、茶色くいたんでいるではないか。

日本列島では、稲作に先行して縄文期にイモの農耕が行なわれていたといわれるようになって久しい。
人類史を概観すると、イモは保存がきかないから食糧:富の蓄積には結びつかず、イモ栽培では稲作のような巨大な権力を生み出さなかった、というのが定説。

さて、長イモの代わりに冷蔵庫にあったヤーコン芋をおろしてみるが、粘性の補充には程遠い。
すでに長イモ使用レシピに慣れたわが子が近場に探しに行き、最後の一塊を買ってきた。
安くはないが、掘りたて感たっぷりのカラだ。

祖国へのひいき目抜きに、ピザよりお好み焼きの方がよろしいな。


1月18日(土)の記 土日のとほほ
ブラジルにて


今日も追い込み中のビデオ編集を進めておく。
ある程度、見通しがついてきた。

さあ2月下旬からの訪日の段取り。
南は沖縄から、北は北海道まで上映希望をいただくというありがたさ。
上映希望は週末に集中して、移動もあるから、なかなかむずかしい。

世のなかの土日と平日の比率が逆転してくれれば、ありがたい、なんて思ったり。
いずれの方々も金儲け、商売ではなく、岡村の作品を見たい、見せたいと思って動いてくださり、ただ感謝です。


1月19日(日)の記 ココにラムわり
ブラジルにて


VHSテープの引き取り手がなく、捨てるしかないというのが情けない。
かつて日本でテレビ番組を録画して、ブラジルまで担いできたものの未視聴というのも、かなりの数。
そのまま捨てるには忍びなく、焼け石に水、メルトダウンの原発にヘリで散水のペースで視聴。

日本のタレントがキューバの田舎の庶民の家で、ラム酒のココナッツウオーター割りのカクテルをご馳走になるシーンあり。
わが屋にブラジル産のラム(カシャッサではない)あり。
路上市で、「緑ココ」と呼ぶココナッツウオーターを購入。
ラム割り試飲。

うーむ、ココ味が消えている。
そもそもココナッツウオーターはポカリスエット以上に自然に体になじむ味わい。

路上市では夏枯れか、刺身用の魚のチョイスに困った。
1キロ半以上の大アジを買う。
有機農場の赤シソが届いている。
ネットでレシピを検索、刺身用アジ、紫蘇の葉、ショウガ、ミョウガに醤油とゴマ油。
絶妙・至福の美味しさ。
ラムは合わない、カシャッサのカイピリーニャでいただく。
アジの刺身を新生姜のおろしでいただくのも、またよろし。


1月20日(月)の記 プールサイドで麦茶でも
ブラジルにて


今日から、家族の新しいシフト。
ダメおやじは、せいぜい好物をつくってあげるぐらいしかできない。

イッパイやりたいところだが、思い切って一日断食をする。
午前中、パウリスタ地区のホテルで日本人の知人と待ち合わせ。
プールサイドでお話ししましょうということになった。
和菓子と麦茶を持参していただいたが、麦茶のみいただく。

ブラジルと日本の共通の知人の近況を伝えあって、話は尽きない。
この方とは、ブラジル発行の日本語の雑誌で連載を共にしてい「た」。
その雑誌、本来は月刊だったのだが、徐々に「半減期」が倍増。
311の前年に入稿を急かされて、校正まで済ませている。
だが、そのまま未刊が続き、かといって休刊や廃刊の通知もない。
お互い、あの時の原稿はいまさら発表できませんね、とうなずき合う。
名前を出して、ものを発表するとはそういうことだ。

この雑誌の動向は、在ブラジルの日本人の信頼度、責任能力のひとつの鏡になるかもしれない。
人のふり見て。

午後からは引き続きビデオ編集。
なんだか、想定をはるかに超えるいい出来になってしまった感じ。
フィルモグラフィーには入れないだろうけど。


1月21日(火)の記 ブラジルのガラパゴス
ブラジルにて


映像編集の都合で、miniDVテープが必要になってきた。
日本からひと箱10本買ってきたぐらいでは追っつかなくなってきて。
こちらで買うと、日本の巨大カメラ屋の3倍近い値段。
うーん、日本でもっと買っとけばよかった。

先日、サンパウロでさるお方に映像を試写していただく際、DVDよりminiDVの方が画質もよろしく操作も自在にできるので、miniDVデッキを持参した。
僕がminiDVテープをいじっていると御仁、「まだそんなのがあるんですか?」とおっしゃる。

昔の名前で出ています。

わが家の隣駅近くのスタンド商店街に、このテープを売っている店がいくつかあり。
ちょっと前は同じSONY製でも生産国がいくつかあったが、いまはメキシコ製ばかりのようだ。
かつてはよくVHSテープを買いに来たものだ。

僕が所属していた映像記録でも、80年代半ばには16ミリフィルム取材からビデオ取材に切り替わっていった。
その頃、毎年のようにブラジルを取材に訪れるようになった。
最初のブラジル取材は16ミリフィルム、翌年からはUマチックビオでの取材になった。
日本のテレビ業界でビデオ取材が当たり前になっても、ブラジルで16ミリフィルム取材を続ける、映画畑出身の日本人がいた。
僕が当時、彼を見ていたように、今の僕が見られている。

ブラジルで、ガラパゴスになった私。


1月22日(水)の記 昼夜鉄板
ブラジルにて


思えば四半世紀以上前のブラジル移住時に、日本から担いできた電化製品のひとつ。
鉄板焼き機、いまだに重宝している。
電気アイロン使用時に同時使用するとブレーカーがブレークするので、要注意。

昼は中国製の乾麺を戻して、ヤキソバをつくる。
電気鉄板焼き機でつくると、カリカリ感がなかなかよろしい。

夜はリクエストに応えて、ハンバーグをつくる。
これも鉄板でいってみる。
ハンバーグの場合、鉄板だとジューシーな肉汁も乾いてしまうのが難点。
フライパンの場合だと、にじみ出るこの肉汁をベースに絶妙なソースがつくれるのだが。

鉄板利用で、ケールのカリカリ焼きもつくってみる。
ふむ、わるくない。
ケールを持て余した時にいいぞ。


1月23日(木)の記 カラオケ試写
ブラジルにて


いよいよ。
師走にブラジルに戻ってから手掛けていた、さる県人会の節目の式典の友情撮影記録の編集版を、その長に試写していただくことに。
場所は、先日の新年会前座上映と同じ、東洋人街の沖縄系カラオケ店。
先回は画面を16:9から4:3にすんなり切り替えられたのだが、今回はできなくなっている。
長の招いた若い人がこのあと別の用事があるので、ということと、他のお客さんが来ないうちに、とのことで、やむをえず横長画面で試写を行なう。

終了。
特に問題なしとのことで、やれやれ。
これだけのものになるとは、僕自身が驚いている。

このお店、なにかと「ゆるい」のがよろしい。
しかし、オーダーをするのも、ゆるくされている店主夫妻に気兼ねをしてしまうことあり。
カイピリーニャのお代わりを頼みたいが、店主夫妻はあとから来た客のテーブルにともに座り込んで、なにやら話が弾んでいる。
後ろでじっと立ち続けても、気がつかれないまま。
話の切れ目を見て、控えめにお代わりを頼んでみる。
その客に舌打ちをされてしまう。

店主夫妻の舌打ちでなかったことに感謝。

このお店、上映の際に店内を暗くするためには電球を手でひねって消灯という、アナログ形式を採用している。
正月の上映の際、暗くなった店内で「ガマみたい」と言ってみた。
店主のおじさんは意外そう、かつうれしそうに「あんた、ガマを知っとるの?」とおっしゃった。
島尻のひめゆりのガマなどをお参りさせてもらったことを伝える。
沖縄で、洞窟のことをガマという。
実に県民の四人に一人が殺されることになった沖縄戦では、このガマに住民や日本兵が逃げ込んでいた。

今日、おじさんに生まれの年を聞いてみる。
1940年!
沖縄戦の時は、5歳だ。
聞くと、母、祖母とともに島尻のガマに潜んでいたという。
どこまで、覚えているだろうか。
そして僕にそれを聞かせてもらう義があるだろうか。

長は席を立ち、若い人二人と別の店で飲み直し。
すでに地下鉄もなく、午前サマー。
昨年来の懸念の作業に目鼻がついたのだから、いいでしょ。

そして、ガマの闇を想う。


1月24日(金)の記 過去の華燭
ブラジルにて


年末以来、中断していた友人の結婚式ビデオの編集をすすめていく。
「60年目の東京物語」や「大東亜戦争は日本が勝った!」を放送した年の撮影である。
1996年。
それなりに自分の撮影術も形を成している時期、といえる。

過去の自分との対話でもある。
経済的価値や不特定多数への発信とは無縁。
なれど、こういう作業ができることのありがたさ。


1月25日(土)の記 アイス山茶
ブラジルにて


家族をあげてのお片付け作戦。
夕方、旧大陸在住の友をお迎え。
今日はサンパウロ市の祝日で、市内はがらがら気味。
お目当てのレストランもお休みのようだ。

まずは友に愛媛の脇製茶場の「やまちゃ」をアイスティーで提供。
昨年の四国訪問時に、念願の脇製茶場の訪問がかなった。
かねてから気になっていた四国山中の自生種の茶について聞いてみた。
現在、脇さんのところで栽培しているお茶はほとんどが静岡の藪北種だが、「やまちゃ」と呼ばれる自生種の栽培も続けているという。
その逸品。
アミノ酸控えめでタンニン強く、僕にはこっちの方がおいしい。

学生時代に山口・嘉年(かね)の龍昌寺でいただいた自家製だというお茶の味覚の記憶が、宮本常一の記載とともによみがえってくる。

何種かの茶をふるまうが、友にもこれが一番気に入られたようだ。
日本人よ、本来の味覚を取り戻せ。


1月26日(日)の記 鯵鱸
ブラジルにて


旧大陸から来た友と、サンパウロの我が家の至近の路上市を歩く。
彼は魚にうるさく、釣り師でもある。

さあ刺身用の魚、なにがあるか。
アジとスズキを買う。
それぞれお刺身にして、かつアジはなめろう風、スズキはセビッチェにもいたす。
ヘタな自称日本料理店よりよろしいかと。


1月27日(月)の記 ツノゼミのうたがきこえる
ブラジルにて


原産地は地中海なのに、どうしてチョウセンなのだろう。
アーティチョーク、和名はチョウセンアザミ。
昼は生ワインにアーティチョークのピクルス、アーティチョークのリゾットをいただく。

友を乗せてラポーゾ・タヴァレス街道を西へ。
ワイン街道のランチ。

お目当ての山荘は、かつて家族で来たことのあるところだった。
アートの趣味、厚みがよろしい。
潜在植生のみどりに、ゾクゾクする。

『シャイニング』と『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』をかけ合わせて、醤油を隠し味にしたようなホラードラマでも考えたくなる。

さっそく森の小径を散策。
ヤッホー、すかさずツノゼミ!
友にツノゼミ入門のレクチャー。
3種確認、3種目はちょっとレア。

ナメクジと粘菌にもお会いしたい。
雨が欲しい。


1月28日(火)の記 森のいたずら
ブラジルにて


海岸山脈のロッジ。
午前中は、ファゼンダ(大農場)の再生林のなかを縫う小径あるき。
上り下りを繰り返しているうちに、だんだん方向感覚がくるってくる。

森のさきに、草むらが広がる。
サッカー場の廃墟だ。
なんだ、その先の廃屋は。
ホラー映画から、SF映画に。
ああ、面白い。

この宿のプールは森の湧水を切り通しから落として集めた趣味のいいつくり。
そのほとばしりを求めて、トンボ、チョウ、鳥類が集まってくる。
午後は、ひと泳ぎ、ひと読書してうつらうつら。

リフレッシュ。


1月29日(水)の記 森のふしぎ/海のミルク
ブラジルにて


昨晩遅く、お湿りがあった。
粘菌よ、キノコよ、ナメクジよ、覚醒か!?

朝、ひとりでいちばん近い森の小径へ。
驚くほど地面は乾いている。
あの程度の雨では、湿りもしなかったか。

移動中の葉切りアリの行列を発見。
兵隊アリがしっかり行列をガードしている。

森にほんのささやかなかかわりをして、しばし観察。
アマゾン以来。
森の緻密な仕組みの、ほんの片鱗に触れるが、畏敬の念ばかり。
核被害から何も学ぼうとしない人類が呪わしい。

午後、サンパウロ市へ。
恐れていたラッシュに遭わず、やれやれ。

東洋人街へ。
友と、生ガキ食べ放題の店へ。
海の幸に詳しい友によると、イタボガキの種類だという。
ライムと醤油でいただく至福。


1月30日(木)の記 思い立ったが
ブラジルにて


東洋人街に、2軒の日本式ラーメン屋がある。
友のリクエストで、その新しい方へ。
味噌ラーメン、邦貨にして1000円強。
高い。
わが家の近くでブラジリアンバーベキュー食べ放題をいただいて、お釣りがくる値段。
お味は、日本の並レベル。

国内線の空港で見送り。

さあ、作業のピッチを上げないと。
と、こちらの知人家族の消息を知る。
To shoot, or not to shoot, that is the question.

よし、パラナの奥地まで行って撮影してつかまつるか。
さあそうとなると、あわただしい。
各方面に連絡。


1月31日(金)の記 いざサンジェロ
ブラジルにて


夜なべ仕事で、式典ビデオを一枚一枚、DVDに焼いていく。
午前中、バスターミナルにパラナ行きのチケットを求めに。
行きも帰りも希望の便が買えた。

いざ、フマニタスのサン・ジェロニモ・ダ・セーラへ。
数日間、オフラインとなるので、交信の頻繁な筋にその旨、連絡メール。

結婚式ビデオの編集も少し進めつつ、秘蔵のビデオカメラを取り出す。
通常の自分の仕事では用いない、ハイビジョンカメラ。
愛機VX-2000から、こちらに切り替える。
スタンダードサイズでの使用は、今度が初めて。
バッテリー、音声などをチェック。

暴飲暴食がたたってか、昨日から内臓不調。
夕方、東洋人街の生薬専門店でガジュツを求めてから、ウイスキーをいただきながらの打ち合わせ。
虎の子の機材を取りに、いったん家に戻り、再チェック。

さらにガジュツのカプセルをいただきながら、夜行バスに乗る。


上へ / 次のページへ

岡村淳 :  
E-mail: Click here
© Copyright 2017 岡村淳. All rights reserved.