2月の日記 総集編 鈍行人生 (2014/02/05)
2月1日(土)の記 フマニタスの時空 ブラジルにて
西暦2014年初めての月替わりを、パラナ州で迎える。 フマニタスの、佐々木神父と再会。
スタンダードサイズ初使用のビデオカメラ。 そもそもこのカメラの使用が、数年ぶり。 ズームとフォーカスの不具合を、いきなりホンバンで思い知らされる。
フマニタスも、転換期を迎えている。 ゆくかはのながれはたへずして。
僕にとってプライベートな行為を、共友遺産にしうるかのささやかな試み。
2月2日(日)の記 はつうまの人 ブラジルにて
フマニタスは、まことにいつまでも寝ていられる思い。 山里の静謐な空気とシスターたちの祈りが漂っているせいか。
未明に、重い夢を見る。 佐々木神父が、牛山プロデューサー化して、悪意があるとしか思えない振舞いをする。
現実には、ありえがたいこと。 しかし、フマニタスの佐々木治夫神父と日本映像記録センターの牛山純一代表は、意外なまでに共通点が多い。 小太りで中背。 毛髪、少なめ。 人格者といわれながら、中小企業のおやじさんのように常に経営問題で頭を痛めている。 そして、同じ1930年の早生まれ。
こういったことを、かつて「NEO」というドキュメンタリー専門のメルマガに書いたことがある。
今日のメインの撮影は、カメラポジションがかなり厳しい。 汗だくの撮影。 老師から初穂への、魂の譲渡を感ず。
2月3日(月)の記 へたへた ブラジルにて
パラナから戻りのバスは、1時間の遅れ。 日付が今日になってから、帰宅。
さあ今日の課題は26年前!に撮影したVHSテープ二本のノンリニア取込みとDVD化作業。 うち一本は日本→ブラジル→ポルトガルと、天正の遣欧使節少年なみの大旅行をしたVHSテープだが、再生してみると状態がよろしい。
「すばらしい世界旅行」で「心霊画家」と「アマゾンの巨大ダムと動物救出作戦」を取材、放送した直後。 1万円以上のレンタル料をはたいてVHSカメラをレンタル、青森まで撮影に行った。 ちょろっとまわしたことを除いては、初めてのまとまったビデオ撮影体験といっていい。
目の覚めるようなフレームもあるが、基本的にヘタ。 トメが短く、自分でもなにを撮っていいかわからなくてパンをしている映像は見るに堪えない。 プレビュー、自己嫌悪、苦し紛れの編集、を繰り返して今日に至ったか。
もう一本、ブラジルでの友人の結婚式の映像。 この式は参加したのは覚えているが、撮影をした記憶がなかった。 見てみると、オレが司会をしているではないか。 すっかり忘れていた。 義兄がメインに撮影して、ちょろっと途中で僕が撮影したようだ。
いずれにせよ、夫婦が今も続いているから、今日のこの作業がある。
とにかく明日までに仕上げて送らないと。
2月4日(火)の記 本日投函 ブラジルにて
郵便関係を一気に手がけることにする。 手紙以外のコミュニケーションのむずかしい遠隔地にお住まいの同胞に、そして年が明けてしばらくして届いたカード類の返し。 メインは、現在リオ滞在中の友人への小包。
小包はSEDEXという速くて確実だが、料金も高いので送ることにする。 郵便局のお姉ちゃんによると、一部でストが始まっているので、期日通りに届くかどうかわからないとのこと。 その確率はと聞いても、それは何ともいえないとのこと。
やむをえない、送る。
来週からの旅に備え、まずは車を洗車に出す。 帰路、大型青果店に寄る。 洗車ほやほやの車が駐車中に豪雨を浴びる。
市内は冠水のリスクのある豪雨、水源地は危機的な渇水。
2月5日(水)の記 メカニックへの往復 ブラジルにて
日本で自動車を保有したことがないので、日本の車検というのが実感としてよくわからない。 ブラジルでは日本の車検にあたるような、国としての強制的な車の点検制度がない。 とはいえ、体も車も、問題が起きてからでは大騒動になる。 わが車は近年は駐車場で埃をかぶっていることが多くなったが、そもそもだいぶ年月も経ってきた。 来週からの遠出に備えて、メカニックにチェックアップをお願いする。
さあ帰りは徒歩。 灼熱の猛暑。 なるべく知らない道をたどっていく。 思考能力もバテバテになるが、思わぬ発見も。
もう少し涼しくなったら、もう少し雑務残務から解放されたら、散歩をたしなむか… もう少し治安もよくなってくれたら。
2月6日(木)の記 木曜の外食 ブラジルにて
日本から調査に来ている研究者の知人から、サンパウロで会いたいとの連絡をいただいた。 今晩、会食することに。 わが家の近くに大衆料金の飯屋があることを伝えるが、先方のホテルの近くで、との希望に従う。 ジャルジンスと呼ばれる高級地区のホテルを訪ねる。 近くの高級ピザ屋へ。
国産ロングネックビール、国産赤ワインにピザ、デザート。 感情は割り勘となり、虎の子のブラジル最高額紙幣を先方に渡し、先方がカードで支払い。
会話は知的で面白かったが、こちらで出銭ばかりの活動をしている身にこの出費は痛い。 次回、割り勘の場合は大衆料金のところでとお願いしよう。
それにしても、木曜の夜にして広い店内、我々がデザートをいただいている頃には満席状態。 この店も、この地区ではお安い部類のようだ。 以外にして異界である。
2月7日(金)の記 偽ベートーベン騒動の波及 ブラジルにて
午前中に自動車のピックアップ。 特に大きな問題はない由。
昨日、日本の伊東乾さんからのツイートで知った。 その後、様々な識者ががオンラインでコメントを発表しているのに接している。 偽ベートーベン事件。 全聾で広島の被爆二世を売りにしていた作曲家が実は健常者で、彼の作品を18年にわたってゴーストライターとして作曲していた音楽家が記者会見を開いた。 この偽ベートーベンは「NHKスペシャル」で取り上げられることによって日本全国区で広く知られるようになったようだ。 NHKの看板番組のエリートスタッフたちが、この偽ベートーベンにまんまとだまされていたか、共犯者として視聴者をだましていたことになる。
伊東さんは、受信料で成立しているNHKは事件の検証番組を制作するべきというが、まさしくNHKの当然の義務である。 NHKに偽ベートーベンのカンドーものの企画を持ち込んだディレクターは、責任者として発言する義務があるが、「例によって」その気配はうかがえないようだ。
あの時のことを思い出す。 西暦2005年にNHKの破廉恥行為の被害に遭って告発した僕には、先方の手口がよくわかる。 ・責任者はひたすら沈黙を保ち、移り気な世間が事件をさっさと消費(未消化のまま)してしまうのを待つ ・自分たちの保身を大前提とした、結論にそったエクスキューズの調査を行なう ・内部の良心的な告発者、外部への情報提供者は徹底的に魔女狩りをして懲らしめる
さあ会長から運営委員まで御用放送局としてグレードアップ中のNHKさん、今度はどうでしょう?
2月8日(土)の記 炎熱編集 ブラジルにて
暑い。 サンパウロに住民票を移して四半世紀以上になるが、これほどの酷暑が続くのは初めてではなかろうか。 当地観測史上、初めての記録が続く。
熱気のなか、無風状態が続き、扇風機も熱風を吹き付けるだけでかえって不快になる。 深夜になっても熱気は収まらず。 いくらか涼気が漂い始めるのは、未明の5時ごろになってから。 知的作業をするのはこれから数時間かも。
訪日を前に宿題は果てしない。 ノンリニア編集機の容量を空けなければならず、1988年撮影の映像のデータをざくっと編集して削除することにした。 われながら下手な映像を、どう少しでもカバーするか。
それなりに、僕のその後のフィルモグラフィに連なる気配のショットもあって、そこそこ面白い。
日中は、1996年撮影の映像のDVD編集バージョンを当時の新郎に納品。 帰って、酷暑のなか、また作業。
2月9日(日)の記 いきなりピカソ ブラジルにて
朝、東洋人街のホテルへ。 昨日、ブラジルに到着したガウジイこと伊藤修さんと再会。 ブラジルでお会いするのは初めてだ。
今週後半からお連れするパラナ州の土地なし農民についての映像を、ホテルで共にご覧いただく。 われながら、よくこんな取材をしちゃったな。
伊藤さんは昼まで時間があるという。 徒歩圏にあるアートスペースをご案内することに。 今回は、日本と中南米を結ぶ小規模農家のバックアップが伊藤さんのミッション。 いっぽう伊藤さんにはアーチストの顔もある。 出てくるコメントは、月並みでなく、時に難解。
さあ、これはどうだ。 ブラジル銀行文化センターのルードウィッヒコレクション展。 密閉扉を開けると、アンディ・ウオーホル作のルードウィッヒのポートレート。 その横に、どどんとピカソの大作が。 まさしく、現代アートの粋。 これはすごい。 お互い、興奮を隠せず。
午後は引き続き、酷暑の熱気のなか、ジョナス・メカスもどきに過去のプライベート映像の編集。
2月10日(月)の記 『櫻田学校の一日』 ブラジルにて
今日も一日断食をすることに。
プライベートビデオの編集は続く。 今日からは、昨年11月に撮影した茨城の私塾の映像。 畏友の櫻田博さん夫妻が運営する、在日中南米系児童の学習支援教室「キッズ&スクール」の一日に寄り添った記録。 特にこれをどうこうしようという具体的な計画はないが、櫻田ご夫妻、生徒たち、保護者たちに見てもらえれば。 3月には発表会があるとのことで、それまでに間に合わせないと。
櫻田さんへのねちっこいインタビューが面白く、カッコイイが、今回は一切カット。 目的、ターゲットをしっかり想定したせいか、思ったより順調に作業が進む。
2月11日(火)の記 素肌のルノアール ブラジルにて
涼しい未明より作業。 午前中は東洋人街の所用。 午後からパウリスタ地区へ。 所用のあと、サンパウロ近代美術館:四つ脚のMASPへ。 火曜はタダなのである。
パリにちなんだ特集。 おう、いきなりルノアール! それもガラスなしの、むき身ではないか! ルノアールだけでも、あるわあるわ。 後期印象派オンパレード。 MASPのコレクション、たいしたものである。
タダ日にも関わらず、まだ午後の時間が早いせいか、さほど人だかりもない。 危険・汚染都市もこれがあるからねぇ。
さあ帰ってから炎熱のなか、友情編集作業の再開。
2月12日(水)の記 はるかなる沖縄 ブラジルにて
再来週の始まりとともに、出ブラジルの予定。 明後日からはオフライン地帯への旅に出る。 いくつか詰めておかないと。
次回の訪日では沖縄での上映をはじめにフィックスしようとしたが、今だ詳細が決定にならず、先方からのメールが途絶えている。 念のため、照会の連絡を入れる。 時折り、思わぬメールの未着事故もあり。
2月末-3月の訪日のため、お得意先の学校関係での上映がむずかしい。 そのためけっこうブランクを持て余すかと思いきや。 どうしてどうして、うれしい悲鳴をあげたくなるほど予定が埋まってくれた。
と、サンパウロ州遠隔地在住の邦人からSEDEXという書留速達便が届く。 ぜひ会って話したいが、お体が不自由の由。 うーむ、訪日前に都合をつけられるかどうか。 つけちゃおうか?
2月13日(木)の記 この期の停電 ブラジルにて
あす未明から三日間はオフラインの旅に出る予定。 詳細を詰めあっている日本の上映・講演主催者にその旨、連絡。 訪日土産類の買い出し。
残務は果てしない。 明日からの訪問先へのお土産の和菓子の購入は、夕方に回す。 ご自分でやればいい写真の転送をフェイスブックで僕に頼んでくる御仁がいて、さすがに、ご自分でやってちょうだいと返す。
と、乾ききったサンパウロに慈雨が! 慈雨は豪雨に。 さながら黒澤映画の激しさ。 そのうえ、停電!
わ、和菓子… アパートのエレベーターも停止。 道路は水浸し。 近所の2軒の日本食材店はそそくさとシャッターを下ろしている。 その先の3軒目には電気が来ていて、近所の停電も知らず。
明日は日の出の3時間前ぐらいに家を出なければならない。 停電のなか、旅装を整えていく。 まったく、ギリになってのこうした不測の事態に備えて前倒しであれもこれもやっておかないと。 日も暮れると、電気なしでやれることは限られる。
局地的な停電らしく、ラジオをつけても政治のプロパガンダやサッカー話ばかりで、こういう時には腹が立つ。
21時過ぎ、息も絶え絶えの電気が戻る。 急ぎのメール類に急ぎの返し。 また切れた。
2月14日(金)の記 フマニタスふたたび ブラジルにて
眠りが浅い。 午前3時、まだ電気は正常復帰していない。 ネットはかろうじてつながる。
午前4時半、エレベーターは不通のままのため、荷物を担いで階段で下りる。 外に出てから重要な忘れ物に気付き、10階まで階段を上る…。 モーゼを偲んで、十戒。
東洋人街のホテルで伊藤修さんをピックアップ。 先回から2週間も経で、フマニタスに向かう。 トロい運転、しかも金欠の身で運転手だけ務めるのもシャレにならない。 特に発表の当てもないが、ちょっくら撮影もすることにする。
伊藤さんには時折り喫煙ブレイクが必要。 して、カメラを向けると、まことによくしゃべる。 ほどほどにしないと、どんどん行程が遅れてくるので要注意。
ブレイクも入れて9時間ばかりの道程。 問わず語りの旅の時間の大切さ。
伊藤さんを佐々木治夫神父にぶじ引合せ。 これで僕の役目は終わったようなものかも。
夜はさすがにうつらうつら、早めに休ませていただく。
2月15日(土)の記 佐々木神父に聴く ブラジルにて
フマニタスでは、いつもと違う夢を見る。 トラウマを蒸し返すような。 無意識の世界の好転反応、デトックスか。
午前中は佐々木神父が伊藤修さんに施設案内するのに付き合い。 午後は、農業関係者を集めて、伊藤さんに一席ぶってもらう。
2週間前に知人の少女の初聖体拝領式を撮影した、更生施設にあるチャペルに名前があるか聞いてみる。 佐々木神父はモーゼ(モーセ)のチャペルと命名したい、とおっしゃる。
以下、佐々木神父のお話から。
いわゆる「十戒」は、神が人を縛るものではなく、民がふたたび奴隷に戻らないための解放の掟である。 更生施設は、自由をとらえてしまうアルコールや薬物の奴隷から、ひとを解放するための施設だ。 ひとは、まず自分の欲:エゴイズムから解放されて自由であらなければならない。
いい時に、いいお話を聞けた。
2月16日(日)の記 虹に吼える男 ブラジルにて
サマータイム終了。 酷暑の続いた南ブラジルだが、フマニタスで気候の変わり目を体験。 毛布を出していただく冷え込み。 蚊取り線香は持参したが、長袖やチョッキ(ポルトガル語語源説あり)は持ってこなかった。
伊藤修さんは燻製料理を披露すべく、未明から仕込み。 午前中はアルコール・薬物厚生施設でのミサ。 折しも一人の初老の男性の出所記念を兼ねる。 この人が入所中に、ご子息が事故で亡くなるという悲劇があった由。 その心中、いかばかりか。
伊藤さん渾身のスモーク肉を佐々木神父、シスターたちといただいてから、出発。 ひたすら走る。 サンパウロ州に入ってから、給油と伊藤さんのスモークタイム。 行きがかり上、締めのインタビューを撮影。 さあそろそろ、と切り上げようとすると、伊藤さんの背後に虹の足もとが。 伊藤さんに告げると、歓喜してさらに語る。
2月17日(月)の記 聖ベルナデッタの微笑 ブラジルにて
昨日の9時間にわたる運転の疲れが抜けない。 後半は夜間の運転のため、眼も疲れた。
そうもいっていられず、途中まで進めていたビデオ編集を再開。 1月末にフマニタスを訪問した時の映像。 日本人の少女が、佐々木神父のミサで初聖体拝領式を行なう経緯。
フェイスブックで交信のある在日本のシスターが、2月18日は聖ベルナデッタの祝日と書いている。 ベルナデッタ! いま、まとめている映像の少女の霊名がベルナデッタなのだ。
聖ベルナデッタは1844年に南フランスで生まれ、1858年にルルドの洞窟で聖母マリアの出現に出会う。 3度目には、初めて聖母が語ったといい、その日が2月18日なのだ。 祖国日本のこの祝日にはこの映像を完成させて、ブラジルがこの日を迎える明日、少女の家族にDVDを渡すことにする。
この式の前日に、佐々木神父が少女に語る話がとてもいい。 その福音を伝える方法を考える。
2月18日(火)の記 マナカさく山 ブラジルにて
異常に冷房をきかす長距離バス。 少しは冷房の弱い後部の空席に退避。 未明に家を出たが、朝のラッシュにぶつかり、バスがサンパウロの町を抜けるまで1時間以上かかる。
車窓の光景に、息を呑む。 むらさきに覆われた山。 マナカ・ダ・セーラと呼ばれる植物の花の満開。 この花は、白から紫に変色していくという。 海岸山脈のパイオニア植物だ。 この紫のおよばない森は、原生林か。
ふたたび海岸山脈の小さな町へ。 僕がかつて取材をして、本にも書いた人の所縁の方が、ぜひ会いたいという。 ご高齢で、体が不自由の由。 訪日から戻ってから、と思うが、短期間に2度も速達書留のお手紙をいただいた。 諸々の残務もいくらか前倒しできた。 思い切って、旅立ち。
バスターミナルの手前が冠水している。 大サンパウロ圏は渇水まぎわだが、この町はかつてない豪雨と洪水に見舞われているという。
耳が遠く、長時間座っていることができないという相手のお話をうかがう。 わが亡母と同じ年の生まれではないか。 そのお年でパソコンもたしなまれるというが、手紙で伝えてきたお困りの問題は僕にも対応できそうだった。
道中、西川勝さんの『「一人」のうらに 尾崎放哉の島へ』をふたたび読む。 心理学者の浜田寿美男さんとの対談で、浜田さんが「稼ぎ」と「仕事」の話をされている。 稼ぎは、賃金を稼ぐ労働。 仕事は、お金にならなくても必要な労働。 後者は「もうけには一切ならないけれども当然のこととしてやる。」 「現代社会はほとんど稼ぎから成り立っていて、仕事がなくなっているという状態」。
僕の今日の旅、今年の2度のフマニタス行き、昨年末からのビデオ編集は、すべて「稼ぎ」と無縁の、当然のこととしてやる「仕事」。 カネごときに換算できない豊かな営みをしている、つもり。 家族が気の毒だけれども。
2月19日(水)の記 限定紅茶 ブラジルにて
大量のコピーを頼まれていた友情制作映像の作業も、ようやく終わりに近づいた。 今後は、まずこうした作業をすることもないだろう。
訪日土産の買い出しも続く。 わずかながら、これまで非売品だったブラジルで日系人の生産している輸出クラスの紅茶が手に入っている。 日本の何人かの方々に、紅茶はお好きか問い合わせてみると、どなたも好物とおっしゃる。 日本の紅茶の専門家に味も香りも色も太鼓判を押していただいた逸品だが、なにせ数が入手できず。
ふつうにブラジルで市販されている国産紅茶は、まさしく色がついているだけのシロモノ。 秘蔵の日系紅茶、今後の普及にご期待あれ。
2月20日(木)の記 小用の代償 ブラジルにて
今日は午後から外回りを一気に攻める。 セントロ(ダウンタウンの中心街)へ。 日本人社長の日本とのパイプの強い旅行代理店。 オーナーが、若き台湾系ブラジル人に代わっていた。 国力には波というものがある、わが日本の下降は311を契機に明らかに、といった話をしてみる。 と、自分たちは今後とも日本ツアーに力を入れるつもり、と返してくる。 ダークツーリズムあたりを持ち出しても、すれ違いそう。 台湾と沖縄の接点みたいな話をして、お茶を濁す。
このあと、パウリスタ地区に土産物の買い物に行くつもりだった。 メトロ代がもったいない。 「なめくじのルシアちゃん」という絵本、そしてヴィラ・ロボス系のCDを求める必要があったのだが、セントロ地区をさまよっていずれもゲット!
夜には、昨年来ご奉公してきた友情製作のDVDのファイナル納品。 東洋人街まで歩くことにする。 小用を済ませたい。
老舗のショッピングモールを見つけ、そこの階上のご不浄を目指すと閉鎖中、別の階に行けとの掲示。 その階にたどり着くと、使用料1レアル(40円強)とある。 外でアイスキャンディーを買える金額である。 大ならともかく…
銀行系のカルチャーセンターで済ませることにした。 折しも展示替えで閉鎖中だったがスタッフの出入りが多く、どさくさに紛れる。 この土曜からの複数の展示、食指をそそる。
2月21日(金)の記 夏の出戻り ブラジルにて
この日曜の夜にサンパウロに戻って以来、記録的な酷暑の終りを感じていた。 体感として、10度近く下がった時もあり。 今日の昼の外は、猛暑のぶり返しを感ず。
さあ訪日土産類の購入は、もうこの辺にしよう。 日本での上映素材のDVD手焼き。 あちこちの上映主催者とのメールでのやり取り。
晩酌には、野趣の強いローズライムを絞り込んでのカイピリーニャ。 これは日本では飲めない。 これに蜂蜜がよく合うのだ。
2月22日(土)の記 オリーブご飯か ブラジルにて
日本の知人がオンラインで、オリーブご飯を土鍋で作った、と写真をアップしているのを見る。 オリーブか。 ライスじゃなくて、ご飯なのがそそる。 土鍋もよろしい。
ネットでざっとレシピを調べてみる。 スペイン料理系ではなく、小豆島系の方がよろしい。
わが家の冷蔵庫にあったのは、緑の方のオリーブの実。 ニンジンを入れたりせず、コンソメの素は入れてみる。
うむ、わるくはない。 コンソメがきちんと溶けていない。 冷蔵庫時代の長かったオリーブが冷蔵庫臭くなっている。 3合はちょっと作り過ぎ。 その辺を反省して、いずれまた。
本場小豆島でいただけるかな?
2月23日(日)の記 ブラジルの、おもってなし 日本にて
日曜にブラジルを出るというのは、あんまりなかったかも。 しかも、昼間。 いまや我が家の前の大通り、日曜は片側一車線ずつが自転車専用レーンとなっている。 タクシー乗り場の待機車もなく。 流しを捕まえるが、通常の道順があちこちで閉鎖されていて、いやはや。
国内線専用のコンゴニャス空港から、シャトルバスでグアルーリョス国際空港へ。 なんだよ、勝手が違うなと思いきや、バスは到着ロビー階が終点となった。 乗客は出発客とクルーばかりだというのに。
出発ロビー階まで大荷物をカートに乗っけて上らなければならない。 こっちの空港では、日本のようにカートごとエスカレーターに乗ることができない。 エレベーター乗場に向かうと、工事中との掲示もなく、なくなっているではないか! 他のエレベーター乗場を探す。 延々長蛇の列。 そもそも、エスカレーターも工事中。 6月に迫るワールドカップ効果か。 たまったものではない。 エレベーターの列にはファーストレーンもなく、早め早めに出てきてよかった。
今回は諸般の事情、というか振り回されたあげく、日本航空発券のチケットで英国航空使用となった。 まったく、JALもブリティッシュもいいかげんなことばかり言ってくれた。 昨年、予約を入れて、今日は最初に優先レーンでチェックインをした。 事前の座席予約は拒否されて、さてカウンターではもう通路側の席はないという。 JALの「思ってなし」のおもてなしの連続。 おみかぎり、しかないかと再認識。
2月24日(月)の記 トーキョー被曝 →イギリス→
長時間のフライトの時は、通路側の席を取るよう全力を尽くしてきた。 今回は、日本航空と英国航空が、それぞれいい加減な情報をよこして、でたらめな対応をしたため、ならず。 機内は満席。 こういうケースは、ポータブル尿瓶を持参するか。
英国航空サンパウロ発ロンドン行き、5本の日本映画があった。 『人類資産』というのを見るが、まるでノレない。 いくらフィクション映画とはいえ、写真・音声入力機能付きの端末機器を提供すれば、開発途上国の社会的弱者たちが豊かで幸せになれると製作者たちはホンキで考えているのだろうか?
『パシフィック・リム』の日本語吹き替え版がある。 昨年、ブラジルでの劇場公開、そして機中で日本語なしバージョンと2度見ている。 しかしこっちの英語ヒヤリングと瞬時の短小ポルトガル語字幕読み能力では、きちんとディテールまでついていけてなかった。 なるほど、今度はより理解を深めることができた。 あのふたりのオタク系学者のことが、これまでイマイチわかっていなかった。
して、あのペンテコスト司令官はトーキョーでのバトルで被曝していたのだ。 海のチェルノブイリと呼ばれる福島原発事故によるパシフィック・オーシャンの想像以上の汚染が徐々に明らかになっていくなか、タイトルからして黙示録的な映画であると気づいた。 そうして読んでいくと、最後の(機内版ではまるで読み取れないが)本多猪四郎へのオマージュも、日本の反核運動への鎮魂か。
人類と地球を滅ぼさんとする真の、原子力という「カイジュー」は、日本国家と日本人そのものが育んでいたのだ。
2月25日(火)の記 レッドフォードのひとり芝居 →日本
ロンドンからは、ようやく通路側の座席。 機内映画三昧。 『ゼロ・グラヴィティ』 すごい特撮だ。 キューブリックの『2001年宇宙の旅』と比較したくなる。 キューブリック作品は、見事に人間の感情がそぎ落とされていたかと。 『ゼロ・グラヴィティ』は泣いたりいらだったり叫んだり。 宇宙という恐怖と、母なる地球のまったり感。 昆虫の羽音が、こんなに心地よく聞こえることはなかったかと。
日本語版のある映画のめぼしいものは、ひと通り見てしまった。 こっちも母なる日本語圏から抜け出すか。 ロバート・レッドフォードの『ALL IS LOST』というのを見てみる。 どどんと登場する、あの、『2001年』のモノリス状をほうふつさせる物体が効いている。 ひとりで外洋をヨット旅行中の老人が、海難事故に遭う。 イーストウッドもがんばってくれているが、レッドフォードもやってくれる。 はからずも『ゼロ・グラヴィティ』同様、ひとりきりのサヴァイヴァルドラマだ。
こんな映画に偶然、出会うことができて、とってもオトク感あり。 日本で調べると、本邦では3月にロードショー公開される由。 それにしても日本の映画料金、もう少し安くならないものか。 国が補助を出すとか、かつての名画座のような封切り料金の数分の一で何本立てかみられる映画館の復活とか。
午前中に成田到着。 機内放送では摂氏1度とかおどされていたが、「寒い」感はなし。
東京目黒の実家にたどり着く。 重い荷物を搬入。
最初の外出は時刻表と食糧の買い出し。 夜は、外だと目の玉が寒いと感ず。
2月26日(水)の記 本と人が呼ぶ/学芸大学駅 日本にて
今回訪日の、僕にとって最も気がかりなのが3月1日・下北沢B&Bでの臨床哲学者、西川勝さんとの対談。 西川さんとはまだ面識がない。 この機会をつくってくれた友にも、西川さんにも、来てくださる方々にも少しでも喜んでいただくよう努めなければ。 訪日後、さっそく西川さん関係、および尾崎放哉関係、計3冊の本に取り組むことにした。 うち2冊は、友が手配してくれた。 西川勝さんの『ためらいの看護』(岩波書店)が冒頭から実に味わい深い。 余韻を大切にしたいエッセイが続く。
「箸休め」に紐解いた吉村昭さんの『海も暮れきる』(講談社文庫)、これがめっぽう面白い。 西川さんの『「一人」のうらに 尾崎放哉の島へ』(サウダージ・ブックス)で入門した尾崎放哉が、自分の血肉になっていくのを感ず。 やめられない。
して、日本到着の夜から本日未明まで、カンテツ一気読みしてしまう。
夕方から、学芸大学駅周辺詣で。 古書遊戯流浪堂さん、喫茶平均律さん、SUNNY BOY BOOKSさん。 お仲間に再会する至福。 わたくしのために用意していただいているような古書が続々とあるではないか。 蔵書を削減していかなければならない身で、計5冊購入…
さあふたたび西川さんを読もう。
2月27日(木)の記 全身時差ボケ 日本にて
朝まで土曜の対談に備えた読書、午前中から眠り、起きて読書とパソコン、また寝て… 夜も更けてしまった。 学芸大学古書遊戯・流浪堂さんは深夜0時まで営業しているのをネットで確認。 外は小雨の天候だが、届け物に行く。
店主の二見さんに聞くと、終電近くの時間はけっこうお客さんが来るが、雨の日はNGの由。
訪日当日、首に固く赤い発疹ができて、うろたえた。 フマニタス産プロポリス軟膏を塗っておいた。 まもなく腕にも2か所。 それぞれ二つずつのポッチ(語源不明)があることから、虫刺されを疑う。 ネットで検索してみるが、南京虫か? 殺虫駆除の要ありや?
しかしこの3か所以上に発疹は増えてこない模様。 そもそも僕が来るまで無人だった冬の東京の部屋に、虫が潜み続けることができただろうか。 ネット情報によると、部屋に南京虫(トコジラミ)が生息していると、糞の痕跡があるというが、それらしいものは見当たらない。 すると、その前に長時間過ごした飛行機の機内だろうか。
かつてはブラジルの長距離バスで、ノミをいただいてきてしまうことがあった。 25日にロンドンから成田に到着した乗客と乗務員の方で、赤い発疹が現われた人は他にいるだろうか。 まずは発疹が増えることなく、ひと安心。
2月28日(金)の記 鈍行人生 日本にて
夜明けに東京の実家を出て、山梨は身延線沿線へ。 鈍行列車の乗継ぎで。 八王子ぐらいから、かなりの残雪。
せっかくなので、山梨県立美術館を早見することに。 ここのミレーを見に、たしか大学合格通知の後ぐらいに、やはり鈍行列車の旅をした覚えがある。 1970年代の終わり、ここの開館まもない頃かと。
平日の日中、がらりんとしているようで、小学生の団体がいくつも来たりしていて油断ならず。 ミレーの「無原罪の聖母」「古い塀」が今の僕には面白かった。
ふたたび鈍行を乗り継ぎ、横浜パラダイス会館へ。 アマゾンナイトという企画。 伊藤修さんと再会。 アマゾン生まれの伊藤夫人のアマゾン郷土料理をいただく。 そして前世紀のアマゾンものの上映。 こちらはエクスキューズばかりだが、意外なほど好意的に受け入れてもらった。 すでに死後となった感のある、日本のお茶の間に向けたアマゾンもの。 消えたお茶の間の追憶。
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