3月の日記 総集編 ありがとう、夏の妹たち (2014/03/03)
3月1日(土)の記 堂々ダブルブッキング 日本にて
おそらく今日が今回訪日中、最大のヤマ場。 午後からの対談に備える。 西川勝さんのご著書の線引きしたところを再読。 そして、話のネタ候補の書き出し。 まだお会いしたことのない人との対談というのは、かなりの緊張。
会場の下北沢B&Bは、地図を頭に入れてきたつもりが、迷う。 と、今回の仕掛け人で瀬戸内の島から上京してくれた淺野さんの呼ばう声。 またしても助けてもらった。
なんともそそる本屋さん、しかもかなりの客でにぎわい、うれしい空間。 臨床哲学者の西川勝さんとまずは初対面の挨拶、打ち合わせは、なし。
本番となり、西川さんから上野英信の話が出てきたのには驚いた。 備えてきたことは、さほど持ち出すことができなかったが、お客さんたちの満足度やいかに。
下北沢から、埼玉は深谷へ。 今日はダブルブッキングである。 人身事故でもあれば、上映のトークに穴をあけてしまう。 映画好きの大学の映画研究会仲間が、社会人になってから企画した岡村作品上映の第2弾。 『あもーる あもれいら』①②を一挙上映。 ②の上映中に会場到着。 若い人たちが多い。 真面目なトークと質疑応答、懇親会。
東京までは、遠い。 なごりはおしいが、明日もある。 いずれも自分で及第点とするか。
3月2日(日)の記 ボリビアの夜 日本にて
さっそく疲れが沈殿しているのを感じる。 うーん、でもせっかく水戸に行くからは県立美術館の「天心の思い描いたもの―ぼかしの彼方へ」展を見ておきたい。 目黒駅までバスをフンパツするが、東急バス8分の遅れ。 それでも上野からの鈍行列車に間に合った。
岡倉天心一派の「朦朧体」、ヨーロッパの「印象派」など時の評論家たちに否定的に浴びせられた言葉が、時代とともにネガティブな意味合いの抜けた代名詞となってしまうのが楽しい。 併設展の水戸出身の彫刻家・木内克の「ひねり」と呼ばれる塑像が面白かった。
今回堂々19回目の水戸にのまえ出前ライブ上映。 今年の日本ボリビア国交樹立100周年を記念して、僕のボリビアを取材した3本を上映。 自分にとって失敗作で、封印していた大昔のものを好意的にご覧いただけるのが不思議。 チャランゴ奏者第一人者の福田大治さんがいらっしゃり、演奏も披露してくれた。 福田さんが弦に触れるだけで、アルティプラーノ(アンデス高原)が広がってくる妙味。
3月3日(月)の記 ドキュメンタリー屋の至福 日本にて
公私ともに、いろいろあった。 午前中、「にのまえ」の眞家夫妻と水戸市内の紅茶専門店「紅茶館」で紅茶エキスパートの先崎先生にお話をいただきながら、紅茶時空旅行。 「ロイヤルミルクティー」は和製英語で、日本は大阪の生まれというのには驚いた。
思い切って土浦の「つちうら古書倶楽部」に行ってみる。 以前、茨城の地元の新聞に紹介記事が出ていた。 茨城内外の古書店20件が合同で巨大古書売り場を常設した由。
いやはや、これは驚いた。 このような驚きをブラジルで経験しているが、今度はだいぶポジティブな気持ち。 次の予定があり、とにかく広大な一巡するのを目指す。 本が、どんどん僕を呼ぶ。 …5冊購入。
ひと駅戻って神立の、僕が「櫻田学校」と呼ぶ中南米児童の学童保育・学習サポート施設を再訪。 今日は、昨年訪ねた時に撮影した映像をここの生徒と先生、保護者に見てもらうためにまとめた『櫻田学校の一日』を生徒たちに見てもらう。
歓声で、どよめきわたる櫻田学校。 ドキュメンタリー屋の至福。 この至福は…
ブラジルでかつて数部族のインディオが集ったイベントで、僕が彼らを撮影した映像を披露した時以来か。 あの時はそのどよめきにイベント仕掛け人から嫉妬を受けたようで、あらぬいやがらせを被った。 あげくの果てに、撮影テープを僕の留守中に家族をだまして、強奪していった!
今度は違う。 櫻田夫妻とも、この喜びを共有。 小学校低学年の児童が「もう一度見せて!」と叫び続ける。 小4の少年「とり方がうまい」。 小4でそれがわかるとは! 子どもたちとの距離が桁外れで縮まり、撮る―撮られるの関係の質がまるで変った。 化学反応。 映像の錬金術師とでも言わせていただこうか、なんちゃって。
ふと、『七人の侍』の勘兵衛を想う。
3月4日(火)の記 アパレシーダへ行く前に 日本にて
今日は午後からさる雑誌の取材を受けることに。 学芸大学駅の喫茶平均律さんで。 若い人にお勧めする本と映画、合わせて15作品。 とのことだったが、11作品で、ということに。 本人以外にはどうでもいいだろうが、そこそこ考えあぐねる。 こちらのヨタ話を先方がまとめてくれるとのことだが、さてさて。 担当の女性ライターが近くの古書遊戯・流浪堂さんに興味を持ったので、ご紹介する。
本日覗いてみようと思っていた荻窪のブックカフェは、週末のみの営業と知る。 持て余した時間、渋谷の「まんだらけ」に寄って土産になる掘り出し物があるか、発掘作業。
西荻窪APARECIDAさんでの恒例上映。 悪天候の寒い夜、寂しい人の入りになると思いきや… まことに多種多様な人たちが集まってくれた。 お見せするのは『ばら ばら の ゆめ』。 正反対の感想が飛び交い、話はあちこちに広がり、これは楽しかった。
3月5日(水)の記 3/4の神話 日本にて
これまた最新作の『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』を毎年4月恒例、「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の下高井戸シネマドキュメンタリー特集で上映してもらうこととなった。 そのため、思い切ってビデオスタジオの作業でマスターテープづくり等を行なうことにする。
大久保のビデオウオークさんにて。 4対3のフレームのモニターばかりのワークルームがうれしい。 パソコン画面対応の映像など、いまも画面縦横比4対3の作業も少なくない由。
映像作家は画面比にこだわって当然かと。 僕には、4対3しかないかも。
ナイショの16対9で手掛けた仕事もあるのだが、陽の目を見るだろうか?
今日の作業、こちらのバックアップが不十分で、もしトラブルが生じたらと、けっこいヒヤヒヤ。
うーん、なにかとケアレスミスが多いぞ。
いったん実家に戻って仕切り直し、夜行バスで愛知を目指す。
3月6日(木)の記 豊田岡崎 日本にて
夜行バス、三河豊田で下車。 このあたり、2本の私鉄が錯綜していることを現地で知る。 新豊田でおりた方がよかったな。 迷っても楽し、三河路。
早朝6時開店の温泉施設へ。 朝湯料金400円、東京の銭湯より安い。 夜バスのあとの温泉は、極楽気分。
豊田市美術館へ。 そこいらの県立美術館以上の充実、意欲ぶり。 モヤシ絵がよろしかった。
岡崎駅で今宵の上映を仕掛けてくれた山本さんと合流。 5月の本上映の会場候補を視察。 劇映画の一本も撮りたくなるシュールな寺院。
夕方より、ブラジル系住民も多い上和田団地の集会所での上映。 ふだん一緒になることのない、日本人、ブラジル人、アルゼンチン人らが一緒に鑑賞。 在日本のブラジル人居住地で何度か上映をしてきたが、今日初めて受け入れられた、と感じる。
山本さんの尽力と人柄、信用の賜物。 面白かった。
3月7日(金)の記 成城詣で 日本にて
さる代金を振り込むため現金を都合して、郵便局での振り込みを使用として、ややこしいことになる。 やられた。
渋谷で所用。 成城学園前までバスで行ってみる。 急ぎでなければ、世田谷路はバスがよろし。 成城学園駅、こんなふうになっちゃったんだ。
西口成城通り沿いpax familiarisにて綱本武雄さんの「更地の向こう側」原画展。 主の関口さんの説明が、こちらの理解を深めてくれる。 息を呑む執拗な絵画記録。 いわく「繰り返し襲いかかる津波から立ち上がってきた集落の『消せない記憶』と『留めたい記憶』」。 これは見ておいてよかった。 3月15日まで。
3月8日(土)の記 鶴見封切り 日本にて
さあいよいよ最新作『山川建夫 房総の追憶』の世界初公開。 山川さんにはご覧いただいてOKをいただいたものの、それ以外の人たちに通用するかどうか。
先回より手狭な会場、続々と人々がいらしてくれて、うれしい悲鳴。 危機一髪かつかつ、満員ごめんなさい。
グラウベル・ローシャの故事を披露して、独自の上映順番を決行。 わるくないかも。 山川さんのメッセージは日本の心ある都市生活者たちに、十分伝わったようだ。
飲み会は、まことに多種多彩なメンバーでそれぞれ話は尽きず。 こちらも先回のような飲み過ぎをしないで済み、電車を乗り過ごさず、祐天寺に戻れた。 さあ明日から日本列島巡礼だ。
3月9日(日)の記 甲斐路で開始 日本にて
遅き春 甲斐路かなしや レールパス
多磨霊園を歩いてから、山梨ふたたび。
訳あって、カトリック甲府教会のポルトガル語のミサに出席。 この教会の風情は、なかなか。 侍の聖像が飾られているのに驚く。 禁教時代の殉教者の由。
これだけアットホームなミサは、ブラジルでも記憶にないくらい。
一週間のレールパスの旅はじまる。 明日から9日間連続列島巡礼上映の始まり。
3月10日(月)の記 車窓芸術入門 日本にて
少し無理をして、早朝、祐天寺裏を出家。 山形寒河江へ。
まずは寒河江市美術館へ。 「齊藤勝利展~連続する風景~」鑑賞。 在寒河江の知人がfacebookで告知したのを見て、知った。 これといった予備知識もなかったが、これにはまさしく魂消(たまげ)た。 自動車の車窓から見た光景が、ひたすら描かれている。 齊藤勝利さんは、アール・ブリュットの世界で知る人ぞ知る存在のようだ。 記憶の図像化にとどまらず、アートとして刹那の表現に成功していると思う。
わが学生時代に「車窓考古学入門」という駄文を自作ミニコミ誌に発表したのを思い出す。 ヒトが、そのあゆみのなかで「のりもの」に乗ることによって得たヴィジョンの驚きと喜び。 それを封じる日本の夜行バスのあり方は、現在の日本の閉塞状況を象徴するかも。
この次の予定がなかったら、一日中この会場に釘付けで出られなかったかも。 ひと仕事して、午後より「さくらんぼ共生園」へ。 ここの入居者の皆さんに拙作をご覧いただくというプロジェクト。 おおむね好評と見た。 知的障害のある人たちにも楽しんでもらえる作品があることがうれしい。
さらに仙台へ。 時刻表で目星をつけていた仙山線の列車がない。 2月末に訪日して、すぐ買った時刻表なのだが。 山形駅の駅員に尋ねると、わが時刻表は3月15日ダイヤ改正後のものだとのこと。 仙台の友を駅で長時間、待たせてしまうことに。 短時間ながら、ディープな再会。
さあ明日は瀬戸内の島。
3月11日(火)の記 瀬戸の花上映 日本にて
強行軍は、つづく。 日付が変わってから東京の実家に戻り、仮眠と旅装の仕切り直し。 朝イチで西に向かう。
岡山で在来線乗換え、宇野港へ。 フェリー乗り場がいくつもあって迷う。 ありゃ、ネットで調べておいた豊島行きのフェリーがないではないか。 切符売り場で聞くと、その便は昨年までとのこと。 そ、そんな。
近くでランチをとり、まだまだ時間に余裕があるのでJR宇野駅に今後の指定券でも取りにいこうかと。 お、「たまの湯」が近くにありそうではないか。 かつてこの地を訪れた時、チラシを見ていた。 瀬戸内海を望む日帰り温泉。
1時間足らずで1000円以上フンパツすることにためらいがあるが、思い切る。 これは、いい湯だ。
2度目の豊島上陸。 民家を改築した食堂101号さんでの上映。 外からこの島に滞在している若い人たち、島にもとより暮らす人たち、Uターンした人たちなど、ふだん一堂に集うことのない顔ぶれの一期一会。 上映後の、それぞれの名残惜しさが伝わってくる。 まことに、わが意にかなった寄合い。
3月12日(水)の記 小豆ひとり島上映 日本にて
瀬戸内豊島で起床。 特別に午前中から開けていただいた「てしまのまど」さんでコーヒーをいただく。 ごく近くにある「豊島横尾館」を早見。 少しは滝を語る僕にとって、必見だった。
浅野さんらと小豆島へ。 巨大。 ゴマ油の匂い。 日本のギアナ高地。
サウダージ・ブックスのスタッフに、ざっと「迷路のまち」を案内していただく。 尾崎放哉の南郷庵あとは、こっちのイメージとはだいぶ違った。 夕方の上映開始まで、ひとりで散策。 松風庵という、丘の上の札所を見つける。 無人の高台の霊場は、放哉をひとり想うのに格好の場所だった。
郵便ポストを探して「世界最狭の海峡」に出会い、さらに小豆島出身の植物学者・八代田貫一郎先生についての解説プレートの存在を知る。 これに見入っていると、八代田先生を知る地元の人が声をかけてくれた。 今宵は『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎博物誌』を上映。 すでに椅子が入りきれず、立ってか、階段に座ってご覧いただくという満員御礼となる。 農業関係者が少なくなく、鋭い質問もあり、こちらの勉強になる。
瀬戸内上映を仕掛けてくれた淺野卓夫さん、そして妖怪絵師の柳生忠平さん http://yagyu-chubei.com/ とファミレスで会食。 昼間、いくつか作品を拝見したが、柳生さんの作品は葛飾北斎、宮崎駿をほうふつさせる。 ご本人に会うことができるなら、もっと作品を堪能しておけばよかった。 小豆島にまつわる奇譚をいろいろうかがう。
3月13日(木)の記 小倉発酵上映 日本にて
朝、ごま油かおる小豆島・土庄港を発つ。 瀬戸内の島々が、ギアナ高地のテプイ:テーブルマウンテンに重なる。
新岡山港から接続バスで岡山駅へ。 ネットで接続時間を調べておいて、そのバスに乗ると、後のバスの方が岡山駅に早く着くという。 後のバスにするが、ひどく時間がかかり、岡山駅を疾走してギリチョンで所定の「さくら」に間に合う。
今日の小倉上映は、不思議な経緯で成立。 昨年、ブラジルでお会いした人がこちらのスケジュールに合わせて仕込んでくれた。 北九州、下関などのフリーペーパー「サンデー」の10周年記念企画というのに化けた。 平日の午後のため、年配の方々が中心。 『ブラジルの土に生きて』をぶつけてみた。
大成功。 こちらの狙いを上回る反響。 拙著もどしどし売れてしまう。 あなかしこ。
3月14日(金)の記 別府湯けむり上映 日本にて
小倉では駅接続のホテルの贅沢な部屋に泊めていただいた。 銃後の家族に申し訳ない思い。 と、丑三つ時に大きな地震。
朝食後、北九州市立文学館の特別展「本の力展/3.11以降の全出版記録」を思い切って見に行く。 日本の友人のfacebookで教えてもらった。
この特別展は、無料。 しかも展示された書籍をゆっくり読むことのできる環境。 見ておいてよかった。 が、残念ながら先を急がなければならない。 小倉駅への帰路、先回、気になっていた旦過(たんが)市場を早見。
地震の影響で、大分方面への鉄道ダイヤはがたがた。 特急の指定席は満席、荷物とともにしばらくデッキに立つ。 さあ、別府に着いた。
今宵の上映スポット、レストランGOKU-RAKUのオーナー久保さんにチャリで迎えに来てもらう。 上映前に至近距離にある梅園温泉で禊。 久保さんに入湯の心得を聞いておいてよかった。
番台は無人、金100円を置くシステム。 蛇口付きの洗い場は、なし。 湯船の縁に腰を掛けるのは厳禁。
お店の2階で、夕方より5本立て上映。 少人数だったが、ディープにご覧いただけたかと。 階下では『きみらのゆめに』が話題になり、舞台となる学校と生徒たちへの称賛の声が続いた由。 3本立てぐらいにしておけばよかったかも。
3月15日(土)の記 関西三日連続上映事始め 日本にて
思い切って6時台に起床。 早朝6時からオープンの別府竹瓦温泉へ。 なんといっても100円という値段が魅力。 地元系の人ばかりのよう。 こちらも挨拶するが、無言の返し。
特急と新幹線さくらを乗り継いで、新大阪へ。 大阪淀川区の、みつや交流亭ふたたび。 今日もまた新たに濃ゆいメンバーが集う。 拙作『房総の追憶』、及第点をいただけたかと。
現場で飲み語った後、十三で二次会。 荷物がたいへんなので、先にホテルへチェックイン。 ひしめく客たち、あんまし日本語を話している人がいない。
十三のストリートで声をかけてくるお姉さま方も、どうやらアジア系。 9日連続上映、6日目をクリアー、さあ関西が続く。
3月16日(日)の記 大阪高槻ぽぉさん上映 日本にて
今日は午後からの上映前に、伊丹市昆虫館でものぞいてみようかと思っていた。 しかし、疲労の蓄積。 昆虫館は火曜定休!とネット検索で知る。 チェックアウトぎりぎりまでホテルで休ませてもらう。 チェックアウト後は、ロビーでパソコン作業。
それにしてもバイキング朝食は、せわしなかった。 ちょっとお代わりで席を立った刹那に、まだ封も切っていないモズク等々含めて片づけられてしまう。 ああ、もったいない。
大阪高槻のNO NUKEカフェぽぉさんで、三度目の上映。 関西では「NO NUKE」の意味のわからない人も少なくないと聞く。 福島原発事故のクライシスなど、どこ吹く風、といった人も少なくない由。 ちなみにお店の「ぽぉ」は、大エドガー・アランか、日本のマンガにちなむものかと思いきや、店主の飼育するお犬さまのお名前にちなんだ由。
『山川建夫 房総の追憶』をご来場の皆さんに、しかと受け止めていただく。 夜は、早めに休ませてもらう。 いつまでも、眠っていられそう。
3月17日(月)の記 阪神往復、元町上映 日本にて
午前中はJR、午後は阪神電車で人身事故の影響を被る。 電車への飛び込み自殺は首都圏特有で、ラテン気質っぽい関西ではまれかと思いきや。
荷物を担いで満員電車は避けたい。 朝は高槻駅近くでモーニングサービスの表示のある喫茶店に入る。 週刊誌を2冊ほど読ませてもらう。 井筒和幸監督が「週刊現代」の「今週の映画監督」でレッドフォードの『オール・イズ・ロスト』を取りあげ、「この先、出演者一人、台詞なしの映画、流行るんちゃうか。」と結んでいる。 拙作『山川建夫 房総の追憶』は出演者一人、演出なし。
まずは今晩の上映会場、元町映画館に荷物を置かせていただく。 身軽になって、伊丹市昆虫館を訪ねる。 伊丹駅からの案内は、虫に敵意があるかと思わせる不親切ぶり。
お目当ては、「~カメムシだらけにしたろかー!~」展。 http://www.itakon.com/ 市のレベルでこれだけの昆虫館を運営しているというのは、お見事。 以下の欠落事項は愛嬌ととらえるかどうか。
まず、カメムシとは何ぞやの定義が僕にはこの展示からはわからなかった。 アメンボも、タガメもカメムシの仲間です、はいいのだが、してカメムシとはどんなもので、どうしてカメムシと呼ばれるのかが知りたい。 この展示解説からよみとれるのは、カメムシは口吻がストロー状になっている、ということか。
世界のカメムシ、食用利用や香りのもととしての利用例が挙げられているのは面白い。 しかし僕の関心は、人類、そして在日日本人にも驚異となってきた風土病・シャーガス病の媒体である南米の吸血カメムシについてである。 シャーガス病は最近、民放の人気情報番組でも取り上げられて話題になっている。 番組にも出演したシャーガス病のスペシャリスト・三浦左千夫先生のもとには、日本各地からこのカメムシは大丈夫かといった問い合わせが寄せられている。 この吸血カメムシに全く触れていないというのは、原発事故に全く触れない原子力利用展示のようなレベルだと思う。 吸血カメムシには南米に渡った日本人移民たちも襲われ、シャーガス病で亡くなった方々も少なくないとみられている。 カメムシだらけにされると、健康と命を脅かされる恐れがあること、実際に数多くの死者と不治の病に苦しんでいる人たちがいることを伝えるのも公共の博物館の役割ではなかろうか。 伊丹市は、まさしくこうした虫の犠牲となった人びとの「いたみ」を知るべき。
伊丹のあと、大阪・中崎町のブックカフェ、アラビクさんを久々に訪ねる。 まずます独自の路線の特化・進化がにじみ、ご同慶の至り。
夜の上映は元町映画館の2階の試写室にあたる「黒の小部屋」にて『リオ フクシマ』。 今晩はじめてお会いする方の主催で、集まってくれたのはコタツに入ってご覧いただくのはきついぐらいの数。 質疑応答は、尽きず。
僕の夜行バスの時間まで、今晩の上映の橋渡しをしてくれたナゾの御仁とバス集合場所の近くで呑む。
3月18日(火)の記 東京大童 日本にて
神戸三宮発夜行バスの東京新宿到着予定は、午前8時30分。 外が明るくなってもカーテンを閉めたままが義務付けられるのは、目隠しされて連れまわされている思い。 暗闇のなかで端末機器をいじる若者たち。 バスは45分ほど遅れるが、車窓を遮断されているため、どこあたりにいるのかもわからない。
遅れたおかげで、大荷物の身としては朝のラッシュを免れたかも。 まずは目黒の実家へ。 まる2日間、オフライン状態だったため、溜まった連絡のチェックと処理もひと仕事。 その間、洗濯等も並行して行なう。
14時に八王子山中の学校で待ち合わせがあるため、逆算して動く。 その学校のサイトの交通案内を見ると「八王子からバス約10分 あっという間に学校です」とある。 それを信じて、祐天寺駅から八王子駅までの時間を調べて挑む。
八王子からバスに乗ると、道路はひどく渋滞。 40分以上かかるではないか! 「ああああああっ…」と「あっ」を何万回言えたことだろう。 拙作の上映の可能性について打ち合わせ。 上映会場その他をご案内いただく。
この学校の、中学校の図書室にはたまげた。 本に親しめて、本を読みたくなる、ダイナミックかつ細やかな工夫と愛に満ちている。 司書の先生には卒業生からの御礼の連絡がしばしばあるというが、さもありなん。
さあ夜の予定に間に合うか心配。 学校側が八王子までのタクシーを用意してくれて、ありがたし。 それでも八王子から学芸大学駅までは、近くはない。 今晩、お試し上映をしてもらう古書遊戯流浪堂さんに道中、何度か電話を入れて遅れの状況を報告。
流浪堂さんに駆けつけると、さらに遅れている人待ちとのこと。 へなへなと、会場の「トーチカ」に崩れ込む。 今日のテスト上映は、僕に作品を任せていただく。 9日間連続上映の終幕。 終了後、参加してくれた若き気鋭の女性二人と喫茶平均律さんへ。 マスターが女性たちに大サービス。
さあ明日からは沖縄、早朝6時台に祐天寺を出家しなければならない。 それにしても疲れたので、ベーシックな準備をして、あとは少し仮眠してからとしよう。
3月19日(水)の記 沖縄入島 日本にて
午前4時台に起床。 実家では極力、冷暖房を使用しないようにしているが、暖房を入れる。 旅装を整える。 お土産類もあり、けっこうな荷物。
6時台出家。 祐天寺駅乗車、蒲田駅で東急から京急まで歩く。
日本でLCC(格安航空会社)の便に乗るのは初めて。 もっともオンシーズンの連休時期、発券も期日が迫ったからで、決して格安ではなかったけれども。 はじめてのスカイマーク。 お馴染みの個別テレビモニターはない。 客室乗務員はJALあたりよりずっと若く、ユニフォームともどもきゃぴきゃぴした感じ。 それでいて優れもの、上部の棚に置いたバッグの脇に入れていたペットボトル瓶などを目ざとく見つけて下に置くようお願いしてくる。
向かって右側の窓席。 雲から頭を出す霊峰富士を眼下に拝む。 土浦の古本屋で見つけ、旅と雨でだいぶ傷めてしまった『ダライ・ラマ、イエスを語る』を少し読み進めてうとうと。
先回のJAL便では沖縄本島中部、間もなく訪問した屋我地島付近を縦断、さらに本当最南端の悲劇の断崖に目を見張りながら那覇空港に着陸した。 今度は、ずっと視界は海で、いきなり滑走路。
那覇では空港もモノレールも冷房オン状態。 まずは今回の上映を主宰してくれた、牧志の「市場の古本屋 ウララ」さんを訪ねる。 テキトーに歩いているだけではわからず、アーケード街で新本も売っている女性に訪ねる。
ウララさんは、実にいい感じのシチュエーション。 別の女性が店主の宇田智子さんに取材中。 僕は荷物を預かってもらって、昼食をとることに。
豚生姜焼き定食をサービス450円というお店に入る。 冷水、温かいお茶、ホットコーヒーがセルフサービスで飲み放題。 表が緑で裏が紫の葉野菜、あとで「タマナ」というと知る。
ウララさんで出前のアイスコーヒーをとっていただき、よもやま話。 ブラジルでの友人、おながみどりさんがこのすぐ裏のパラソル通りでお店を開けているのを宇田さんが発見してくれていた。 みどりさんを訪ねる。
と、先回訪問した沖縄・屋我地島のブラジリアンバリアフリーペンション「いぺー」の若頭・高橋章さんが那覇訪問のついでに僕を訪ねてきてくれた。 三人で盛り上がる。
今日は東京から那覇に移住した友人一家のお宅に泊めていただく予定。 ゆいレールで儀保駅へ。 取込み中の友人一家に、申し訳ない思いでお邪魔させていただく。 ほかの家族に身近に触れるのは、わが家族内の自分を反省するいい機会。
3月20日(木)の記 卒業ビデオのあの人は 日本にて
今日は沖縄の友人一家の、友ジュニアの小学校の卒業式。 不肖のブラジルの友も参加させてもらう。
昨晩、卒業アルバムを見せてもらった。 個別写真は笑い顔ベースのフリースタイル、いかにも代理店がつくったという感じの今様の柔らかいものになっているのに驚いた。
校長も教頭も女性。 男の教員は、短期契約で若い先生ばかりという。 教師と生徒の軍隊ばりの号令と応答に、68年前には当然とされたこの島の学徒たちの姿と、その悲劇を思い出してしまう。 国歌斉唱。 起立を要請されるが、わが友シニアは着席を続ける。 かっこいい。
僕は撮影のため、引いた位置で発ち続けていたけれども。 式中、凄い豪雨となる。
午後、友シニア夫妻、缶から三線を担いだ友ジュニアに近くの末吉公園を案内してもらう。 缶から三線は沖縄戦により物資が欠乏したなか、米軍のスパム缶などの空き缶を胴部に使用したのが起源とされる。 那覇市内で唯一、自然が残るという広大な末吉公園。 亜熱帯の山と森にわくわく。 いくつかの聖地、御嶽もある。
イグアスーの滝に来たかとまがうような小滝の連なるところで、水の音に誘われるように友ジュニアが缶から三線を奏でる。 撮影。
巨岩と巨木、湧水の御嶽。 友ジュニアに聞くと、ここは三線を弾くところじゃないと言う。 なんだかわかる。
家に戻り、友ジュニアは「ふつうの」三線を弾く。 缶からの音にこっちが慣れてしまったせいだろうか、缶からの方がいいと思う。
3月21日(金)の記 嗚呼那覇の彼岸上映 日本にて
さあ今日から二日間連続の那覇上映。 その準備にかかる午後までの間、友人一家が自動車でオカムラ好みのところを案内してくれるという。 沖縄本島中部、東側の勝連半島から海中道路、浜比嘉大橋を経て聖地浜比嘉島へ。 周囲約7キロメートル。
アマンジとシルミチューの聖地をご案内いただく。 アマンジは、琉球の創造神とされるアマミキヨとシネリキヨの兄妹にして夫婦の墓所とされる小島。 聖なるかな、こころなきわが身も、自ずと姿勢を正してしまう。
さらに島の内陸の石段を上ってシルミチューへ。 聖なるかな、これは、凄い。 アマミキヨとシネリキヨの居住跡で、数々の神を生んだところとされる鍾乳洞。 堂の入り口部では、何人かが正座して、祈りと瞑想を行なっている。 こちらも正座をすると、長髪の女性から病気の祈願ですか、と尋ねられる。
イザナギとイザナミ、アマテラスとスサノオなど、ずばり日本神話の初源を具現化したようなところだ。
この島でも夏至と当時、春分と秋分などの太陽光線をめぐる天文考古学的現象が確認されているという。 今日はずばりお彼岸ではないか。
帰路、ミュージシャンの宮沢和史さんがプロデュースする沖縄市のカフェ・レストラン「みやんち」にご案内いただく。 友ジュニアの母より、宮沢和史さんの『足跡のない道』という著書のあとがきに、不肖岡村に対する最大限の賛辞が書かれていると教えてもらう。 なにかの勘違いでは、とお店にあったこの本を手にとって、びっくり。 知らなかった。 宮沢さん、遅ればせながら感謝です。
今日から二泊する那覇のホテルまで送ってもらう。 チェックインして、荷物を仕切り直してからウララさんへ向かう。
ホテルから歩いていける距離ではないか。 しかも途中に沖縄で最大の蔵書と類のないスケールの沖縄本コーナーがあるというジュンク堂があるではないか。 さっそく視察。 これは、あっぱれ。
今日の上映会場は、ウララさんの近く、ホテル建築現場向かいのバー・ドラミンゴさん。 すでに宇田さんはここでイベントをやったことがあり、気心が知れているという。 僕の学生時代に新宿にあったような雰囲気で、プロジェクターが設置されているのがありがたい。 映像、音声もオッケー。
まさしく一期一会、多種多彩な方々にお集まりいただいた。 上映する『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』で語られる中心人物は、まさしく40年前の3月にはじめてブラジルを訪ねた故・上野英信だ。 上野を師と仰ぐ犬養光博牧師(お嬢さんは那覇在住!)が、南米を去った上野の魂は、沖縄に向かったと語る。 そして宇田・ジュンクコネクションで、追悼本『上野英信と沖縄』に寄稿されているお方がいたしてくれた!
はからずも、お彼岸の日に、上野英信のみたまをブラジルから沖縄へお戻しした思い。 ただ、こうべを垂れ、掌を合わせるのみ。
ドラミンゴの赤髪のオーナー、佐藤さんがぜひ『山川建夫 房総の追憶』の上映をしたいと言ってくれた。 やりましょうね!
3月22日(土)の記 ありがとう、夏の妹たち 日本にて
とにかく連休中、しかも予約に出遅れたため、かろうじてネットで押さえた那覇の宿。 値段は一泊5000円台、国道58号線に面して、ゆいレール、国際通りなども徒歩圏。 屋上には大浴場。 ちょっぴり塩素くさいが、泊港を俯瞰し、わるくない。 朝食バイキングは観光客で混み合い、沖縄観光の「俗」に浸れてこれも一興。
午前中、沖縄県立美術館に行ってみることにする。 だいたいの距離と方角の見当をつけて、歩く。 沖縄はまことに小道が面白い。 迷って楽し、琉球路。
ぎょっ。 アンコール遺跡か。 突然、石造のアーチが現われた。 これといった解説のプレートが見当たらない。 崇元寺というお寺の跡らしい。 観光客もおらず、地元の人もまばら。 身心が、静謐になるのを感じる。
美術館があるのは、昨日、車中から那覇新都心と教えてもらった米軍からの返還地帯とみた。 この一帯は沖縄戦の時の無縁仏が少なくないとも聞く。 同じ建物に県立の美術館と博物館が並んで入るが、共通券というのがなく、それぞれいい値段をとる。
美術だけにする。 森山大道展をやっている。 数年前に大阪の国際美術館で見たのとは、別モノだ。 正視するのが痛い、戦後日本の俗の諸相。 森山さんのインタビュー映像も面白いが、トータル時間の記載が見当たらず、当方も予定があってあまりゆっくりできずに残念。
収蔵品展、いきなり驚く。 藤田嗣治だ。 題して「孫」。 老婆と、ふたりの幼児が描かれている。 老婆の口元と手の甲には入れ墨がうかがえる。 1930年代の作。
1930年代初めにパリを離れた藤田は、リオデジャネイロに始まり中南米の各地を回ってから大日本帝国に戻り、沖縄にも足を延ばしていたのだ。 のちにアッツ島の、サイパン島の玉砕を描きこんだ藤田は、沖縄戦を描くことはなかった。
牧志市場まで歩く。 今晩、上映していただく『ブラジルの土に生きて』は陶芸が大きな要素を占めている。 それに備えて近くの壷屋焼物博物館を見学しておく。 石井敏子さんの備前焼のような釉薬を用いない素焼きを、こちらでは「アラヤチ」と称すると知る。
今日の上映会場は、地名もずばり那覇市壷屋にあるアーチストの阪田清子さんのスタジオ。 手際よく会場設定から炊き出しまでしてくれる。
今日も多種多彩な方々が集まってくれた。 お彼岸の時期は、沖縄とブラジルが南北回帰線を挟んで最も近づき、そしてあの世も近い。 壷屋でツボをえた作品の上映。
宇田智子さんはじめ、女性陣に支えていただいた。 ありがとう、夏の妹たち。
3月23日(日)の記 沖縄の日曜日 日本にて
本日、沖縄を発つ予定だが、かろうじて確保できたのは最終便。
できればホテルで横になっていたいが、思い切る。 朝食バイキング、今朝はスパム缶料理まであるではないか。
せっかくの日曜だし、沖縄のキリスト教会の立ち位置を知りたい。 那覇には二つのカトリック教会があるようだが、宿からより近い安里教会へ行ってみる。 ミサは午前9時より。 これまで沖縄で見たことのないような人たちが集まってくる。 ウエブサイトによると外国人神父によるミサが行われるようだったが、谷大二という日本のカトリック界では著名な司教が登場。 ミサ中の説教は、名人芸の域。 後にネットで調べると、この司教をめぐって不可解なことがあると知る。 どうやら福島原発問題が絡んでいるようでもあり。
ミサ後、モノレールとバスを乗り継いで、宜野湾市の佐喜真美術館を訪問。 ここは、僕にとって必須の場所だった。 普天間基地と、佐喜真家の亀甲墓。 埼玉の丸木美術館には運動・活動色をまず感じるが、ここはまず美術館だ。 カトリック教会以上に静謐で、思索と瞑想にも、もってこいだ。 屋上からながめる普天間基地は静まり返り、亜熱帯の自然保護区のようだ。
受付にいらした佐喜真館長にお話をうかがう。 沖縄と福島の共通性を新たに教えてもらう。 普天間基地は、アフガン紛争により、がらがらの由。
那覇に戻り、地図で見つけたブラジルの国花・イペーの植わっているらしい並木道を探す。 イペーは茶色い鞘をたわわにぶら下げていた。 買い物。 学芸大学SUNNY BOY BOOKSの高橋さんから二度すすめてもらった、ひばり屋さんという屋台喫茶を探す。 これはすばらしい、のひと言。 高橋さんと嗜好が合うのか、僕の嗜好を購入古書から読み込んでくれていたのか、まことに絶妙。
無縁仏、市民公園をお参り・踏査しながらホテルで荷物をピックアップ、那覇空港へ。 さらば、夏の妹たち。
羽田空港から、京急の終電のつなぎでぎりぎりJR目黒駅にたどり着いた。
3月24日(月)の記 終日郵便 日本にて
目黒の実家で起床とともに、郵便業務。 まずは、ブラジルからごっそり担いできた文献を日本の友に送る作業。 いったん最寄りの郵便局まで搬入してで発送、新たに購入したレターパックで国内各地に拙著を送る作業、添え状書き。 次いで国内各地に諸々を送る段取り。
使用空間のお片付け、清掃、ブラジル持ち帰り荷物の梱包。
おっと、小倉の上映会での宿題。 来場された方々から、2件の頼まれごとあり。 ひとつはブラジルの親戚に電話をかけてもかからなくなったので、調べて欲しいというお願い。 おそらく局番が変わるなどしたのだろう。 お願いはされるが、先方の住所は控えてきていないという。 それでは僕からお宅に電話をしますので、先方の住所を教えてください、ということになった。 ところがその方に電話をすると、こちらの電話は受け付けない設定になっているではないか。 そのため、なおも調査を依頼する場合は岡村のブラジルの住所あて先方の住所を郵便で送ってほしい、という手紙を書く。 もう一件は、ブラジルの親類に電話をしたいのだが、自分の家からのブラジルへの電話のかけ方がわからない、あちこちに聞いてもなかなかわからない、という件。 その方はNTTに加入しているとのことで、ネットでNTTの国際電話のかけ方を調べる。 そもそもNTT西日本というのがあるのを知るが、どのような加入形態かわからないと… お子さんやらお孫さんやら、NTTそのものはこうしたことで困っているお年寄りに手を差し伸べないのか。 これはこの方に電話が通じたので、ごく基本の設定でのブラジルへのかけ方を口頭で伝えておく。 入場料もカンパもいただかない無料の上映会の来場者の方々相手に、出血サービスである。
いやはやこんなことまで、真に受けて関わるからタイヘン。 肝心な自分のこと、家族のことにしわ寄せが来てしまうじゃん。
もう日付は出ニッポン当日になってしまった。 もう二つ、手紙を書くか…
3月25日(火)の記 ミッションの終りに 日本→イギリス→
早朝6時に目黒の実家を出家。 スムースにタクシーがつかまり、助かる。 シャトルバスで恵比寿のホテルから成田空港へ。
世界の潮流に逆行してブラジル路線も日本人移民も捨てた日本航空とは、今回、マイレージを使い切っておさらば。 そもそも日本航空は所定のマイレージがたまっていても、自社路線のチケットはよこさない。 今回はプロモーション中の英国航空のチケットがかろうじて取れた。 事前の座席予約もできないチケット。 アメリカン航空のワイルドなサービスを受けず、アメリカ当局にこれ以上スーツケースを破壊されずに済んで、かえってありがたい。
英国航空機、機内映画に『そして父になる』があるではないか。 いよ、ゴールドベルク協奏曲。 琉晴なんて名前もにくい。 いい映画を観させてもらった。
ロンドンでトランジット。 日本航空のような親切なアナウンスはないので、気が抜けない。 サービス内容の落ちるロンドン-サンパウロ路線にも『そして父になる』はあり、もう一度観賞。 車窓のカットに、山形寒河江で見た齊藤勝利さんの絵画を思い出した。
3月26日(水)の記 奇声なき帰聖 →ブラジル
無事サンパウロに到着。 イスラエルのマラソンに参加してきたという隣席のブラジル人と、握手してお別れ。
荷物もアメリカ経由の時のように破壊されていないようで、ぶじ到着。 税関はフリーパス。 帰路、ニセ警官に襲撃されることもなく。
通常は我が家にたどり着いてからしばらくパソコンに触る気もおきない。 今回は、おって立ち上げ、急ぎのメール類をチェック。 3週間後にはまた訪日、各所での上映予定を組んだり詰めたりせねば。
して通常はまず家族との夕食に起き上がれないが、今回は、でけた。 西回りだと時差ボケが楽だとは聞いているが、そのせいかな。 用がなければ、アメリカ合衆国は避けるに越したことはないかも。
3月27日(木)の記 空の上の笑い話 ブラジルにて
今日一日は、そとの予定は入れずに。 パソコン作業は、いろいろと。
今回、ブラジルへ戻る際のこぼれ話。 日本でお世話になった人が、ブラジルの知人にお米を5キロ、お土産に届けてほしいと我が東京の実家に送ってきた。 お米、5キロ。 そのブラジルの方にその旨、連絡をしておく。 すると米を5キロも飛行機で担いできてもらうのは恐縮だから、その方の日本の兄妹のところに送ってほしいとのこと。 その方の日本の故郷は、僕も驚くほどおいしい米ができるところ。 先方だって扱いに困るだろうし、東京からそこまで米5キロを送る費用ももったいない。
ままよ、とスーツケースに収納するが、これは重い。 成田の英国航空のカウンターの秤は、既定の32キロを数100グラム超えていた。 32キロ以上の荷物は40ユーロを申し受ける、とあるが、勘弁していただく。
お米を僕に託した人に、まずはメールで報告。 とりあえずサンパウロまでは持ち帰ったこと、スーツケースが32キロ以上になってしまい、あやうく40ユーロ取られるところだったこと。
さっそくその方からの返しのメール。 「そんなにお荷物があるとは驚きました」。 こっちはおコメを持ち帰るために、すでにブラジルで底をついた自分の本、そして読むべき本も削ったのだが…
今回は困った米国を避けてブラジルに戻ることができたが、米そのもので困りました。
こまった時の、コメットさん。
3月28日(金)の記 年貢の納め時 日本にて
日本の方から5キロのお米を託されて届けることになったサンパウロの御仁には、別の方からも厳重に梱包されたものをお預かりしてきた。 こういうのは落ち着かないタチなので、今夕、東洋人街のお店に来られるという御仁にお届けすることにした。
夕方のメトロは、途中駅で延々と停車。 ブラジルスタンダードでは満員の範疇の乗車密度で、毛穴が開いて発汗を促す。 セー駅で何とやらで、とのことだが聞き取れず。 日本と違って人身事故ではないだろうけど。
30分近く遅れてしまうが、御仁は邦人女性をはべらせてご満悦風。 お店のママさんよりセー広場付近で抗議行動が行なわれるので、お店にお客さんが来れないと聞かされる。
ともかく、年貢米をおさめて水飲み断食河原乞食としては、気分がいささかラクになる。
3月29日(土)の記 エコ映画3本勝負 ブラジルにて
いまだ時差ボケと疲労を引きずり、いっぽう宿題のプレッシャーがある。 映画鑑賞のコンディションではないのだが、サンパウロで第3回環境映画祭が開催中。 もう終わったといってもいいが、一か所だけ、今日明日も上映が続いている。
この機会を逃すと、まず見ることのない作品ばかりだろう。 午後、無理して出家。 小さな水筒にお茶を入れて持参。
会場は、サンパウロカルチャーセンターの一角。 無料ではなく、1本1レアル、邦貨にして50円弱。 無料の上映だと、ストリート系の人、上映中にも会話を楽しむご老人などが入場してくるので、このハードルはうれしい。
さあ、3本を見る気力と体力はあるか。 いずれにしろ、すでにここだけの上映なので、チョイスに頭を痛めなくてよい。 今年はヒロシマ、フクシマを題した作品の上映もあったようだが、これらはすでに終わっている。
1本目は『砂の戦争』、フランスとカナダの合作。 原題の人口建造物のために、いかに砂が莫大に用いられて環境を破壊しているか。 たとえばドバイの人口島づくりでは、オーストラリアから輸入した砂が用いられている。 周囲の砂漠の砂は、コンクリートに混ぜて使用するのに適さない由。 字幕解読がなかなか追いつかず。
2本目は『霧の山』、中国のドキュメンタリー映画で、アスベスト採掘鉱山の労働者たちの野営生活を描く。 すでにこの鉱山は閉山の由。 だいぶ、うとうと。
3本目は『精霊踊る森』、カナダとスウェーデンの合作。 今後の森林で暮らす部族の生活を民族誌的に記録。 かなりの長期取材で、きちんとした人類学者たちと共同の記録のようで興味は尽きないが、体力も気力も追いつかず、夢うつつで。
日本みたいに1本1800yen近く取られたら、とてもこんな道楽はできないな。
さあ明日はどうしよう。
3月30日(日)の記 三本締め ブラジルにて
さあ、ブラジルに戻ってはじめての路上市。 お刺身用に、味とイワシを購入。 イワシがとろけるように美味しい。
今日も午後からECOFALANTE、環境映画祭の観客となる。 こちらの顔を覚えてくれたテケツ兼モギリのおばさんに「あんたもスキね」と今日も言われる。
1本目。 『大物』アメリカ製作。 湾岸での石油産出に沸くアフリカ・ガーナと暗躍する多国籍企業を描く。 2本目。 『パンドラの約束』アメリカ製作。 原子力発電の危険性から始まり、身心のコンディションからきちんとついていけていないが、後半はそれでもやっぱり原子力発電、みたいなインタビューと解説ばかりになっていたかと。 3本目。 『断線』インド・アメリカ合作。 送電量の数割もの盗電にあえぐ電力会社の強行手段を描く。 実際の人物たちによる再現ドキュメンタリーだろうか。 面白いけど。
さあこれで泣いても笑っても、この映画祭はおしまい。 明日から自分の編集に励みましょう。
3月31日(月)の記 断食と編集 ブラジルにて
今日は一日断食とする。 少しでも毒を抜かないと。
先週、素材取り込み作業を済ませておいたビデオ編集に着手。 7年前に日本で撮影した若き友の結婚式の映像。 この友人とは、その前年にブラジルで知り合った。 撮影素材をそのまま別の友に頼んでDVDに焼いたものは渡してあった。 きちんと編集したいと思いつつ、なかなか果たせていなかった。
日本とブラジルで、結婚式の友情撮影をしたのは10件を下らないだろう。 この挙式がもっともドラマチックだったかも。
7年も経ってしまったが、ご夫妻が別れていないようなのが何よりもありがたい。 5月5日の今年の結婚記念日までにはお手元に届くようにします。 機材と人のトラブルがなければ。
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