5月の日記 総集編 フマニタス禅譲 (2014/05/06)
5月1日(木)の記 ままかり三昧 日本にて
せっかくのホテル泊まりだが、早朝より移動。 新大阪から東広島へ。
今日の予定がキャンセルになってしまったのだが、広島大学で教鞭をとる友が手を差し伸べてくれた。 大学院生相手の授業で拙作の上映とお話をさせていただく。 『夏草のミッション』『農地をわが手に』『ブラジル移民のひとり芝居』という盛りだくさん3本立て。 昼は学内で有志と会食。
午後より倉敷へ。 久々の蟲文庫さん訪問。 いいお店は、やはりいい。 田中美穂さんのご著書にサインをいただく。 「意地と維持」。
友のチョイスしたお店、ビンゴ!だった。 ままかり三昧。 うまし。
今日は倉敷の宿をフンパツ。 宿で無料配布の今日の新聞に、ままかりの消費量が落ちているとあって意外なり。
ままちゃりで ままかりかって ままならず
5月2日(金)の記 「万有は死に帰す、・・・」 日本にて
倉敷の宿には、終夜入湯OKの天然温泉が屋上にあり。 湯船での瞑想と思索は、至福。 朝食後にもう一度、挑むと長髪の少女が入ってくるではないか。 正確に言えば幼女、小学校入学前ぐらいか。 父親と一緒。
こっちは目をそらすが、なかにはそっち系の男もいることだろう。 父親はあまり気にならないのかな。
待望の大原美術館へ。 観光客はともかく、小・中・高校生の団体が次々に来る。 その間隙を縫う鑑賞。 レオン・フレデリックの大作が圧巻。 タイトルは、 「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」。 幅11メートル、25年の歳月をかけた由。 残念ながら天井近くの展示であり、しかも証明が邪魔をしてよく拝めないけど。
ふたたび大阪へ。 大阪産業資料館エル・ライブラリーで『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』の上映。 音はプロジェクターのスピーカーのみというのが、会場の広さからすると厳しい。 それでも来場者の皆さんは耳を澄ませて音声に聞き入ってくれた。 これだけ多くの鑑賞者が熱心にメモを取っている上映も珍しい。 サンパウロでお目にかかって以来の思わぬ方もいらしてくれた。
23時発の夜行バスに乗るため、宴のはじめで失礼する。 老齢の運転手さんに、梅田のモータープールと伝えてあったのだが、新大阪駅を目指している気配。 軌道修正してもらって、なんとか間に合う。 関西の上映ではこれまで2度、この手の悲劇が生じている。 3度目は未然に防げた。 一昨日の大阪宿泊の際、このあたりのロケハンができていてよかった。 エルの悲劇にならずにすむ。
5月3日(土)の記 メイシネマ祭突入 日本にて
午前7時半、大阪発の夜行バスは新宿中央公園に到着。 新宿駅まで、ちょっとある。 JRだと渋谷での乗換えが煩瑣。 地下鉄で行ってみる。 山本容子さんの作品を新宿三丁目駅で拝める。
東京の実家で荷物の仕切り直し。 さあ今日から三日間、メイシネマ祭だ。 総武線平井駅に向かう。
明日の拙作上映を記念した資料も作らないと。 メイシネマ祭キュレーターの藤崎和喜さんの手書きプログラムに賛同して、僕は原稿用紙に書いたものをコピーして配布しようと計画中。
最初の上映は、話題の『標的の村』。 これは僕には必見だった。
4本の上映。 終映後の初日夜は、関係者で「軽く」会場前の中華料理店へ。 岩波映画OBの方、若き映画関係者たちと同席で盛り上がる。 おっと、資料作りを忘れちゃいかんぞ。
5月4日(日)の記 メイシネマのばらとばら 日本にて
さあいよいよメイシネマ祭にて『ばら ばら の ゆめ』上映当日を迎えた。 朝、400字詰め原稿用紙ぴったり2枚に本日、配布する特別資料を書き上げる。
会場に、こうのまきほさん作のポスター画をカラーコピーしたものを貼り、ブラジル国旗の帯を吊るす。 なんとも鮮やかな旗である。
拙作上映前の作品は「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の上映で見ていた。 ネット作業がだいぶ滞っているので、失礼して近くの漫画喫茶の個室にこもる。
いい感じで皆さん集まってくださり、ノリもよろしい。 ばらがさいた、ばらがさいた。 一般の方々にも映画の玄人にも面白がってもらえたようだ。
会場で販売してもらった拙著も快調に売れる。 いままで著者がサインしてくれると言っても断っていたが、先生にはぜひお願いしたい、うまれてはじめて本にサインをしてもらいたいと思った。 こんなことをおっしゃる女性も。 その思いにこたえられる筆致の自信がなく、汗顔の至り。 これで俳句でも書き添えれば、ヒッチ(筆致)ハイク。
本日の4本の上映終了後、有志で「軽く」いくこととなる。 僕がロケハンしておいた中華料理屋が選ばれる。 メイシネマ祭代表の藤崎さんも顔を出してくださる。
5月5日(月)の記 メイシネマつどめ 日本にて
メイシネマ祭通い3日目。 今日も下高井戸シネマで見ている作品1本の上映の間、近くの漫画喫茶でパソコン作業、2時間パック。 この漫画喫茶は個室で大声や物音を立てる人がいるが、昨日と同じ人のような感じ。
本日の上映終了後、平井駅近くのお馴染みの打ち上げで大打ち上げ会。 今年のメイシネマ祭三日間を通ったガリ版通信「あめつうしん」の田上編集長が、朝から晩まで三日間通い続けて、まるで勤め人みたいとおっしゃっていたのに共感。 四宮鉄男監督が拙作『ばら ばら の ゆめ』をお気に召してくれたのがうれしい。 しかし四宮さん、全後編に分けるとはあまりにあざとい、許せない!と執拗におっしゃる。 高画質のDVD1枚にするためには編集スタジオの作業でウン万円はかかるので、やむなく2枚組にしているだけなのだが。 それにしても、絶妙なところでディスク交換となったものだ。 これは僕の能力を超える。
地元に通暁する加藤さんのチョイスの中華料理屋で、さらに打ち上げ。 さあ来年はメイシネマ祭25周年。 お眼鏡にかかる新作を作成しよう。 メイシネマ祭の仲間との再会、再乾杯を楽しみに。
5月6日(火)の記 野川からアマゾン川へ 日本にて
疲労も残務もたまる。 本日の野川公園シュハスコ大会の会長Willieさんに連絡して、ゆっくりめの参加とさせていただく。 調布からバスに乗る。
野川といえば、東京近辺の縄文屋にとっては聖地のようなところ。 バーベキュー広場には、他にもブラジル国旗を掲げた邦人集団があり、まぎらわしい。 わが軍のシュハスコは肉質、焼き加減、塩加減、いずれも大したもの。 いろいろな方と、いろいろなお話。
終了後、夜の西荻窪での上映まで、まずは野川そのものと付近の泉を散策。 A JOMON ODYSSEY。 武蔵境まで、歩く。 想えば、縄文人の移動手段は歩きと、乗り物では丸木舟ぐらいしかなかったはずだ。
駅にあった広報誌で、吉祥寺駅近くに吉祥寺美術館というのがあり、「川上澄生 愉しきノスタルジア」展を開催中とする。 入館料100円! 行ってみる。 南蛮趣味、アイヌ文化趣味など、これは面白い、ビンゴ!
西荻窪APARECIDAまで、さらに歩く。 連休最終日の夜だが、少なからぬ数の方々にお集まりいただいた。 アマゾン川の動物ものを上映。 野川から、アマゾン源流へ。
5月7日(水)の記 友情試写 日本にて
上映オフ日にも、うまい具合にいろいろと用事が入ってくるものだ。 映像作家の岡本和樹さんから、彼の新作2本の試写とコメントを頼まれた。
今日はたまったネット作業と試写日とする。 他人様の作品への批評は、それなりに誠意を尽くさなければならない。 とはいえ、締め切りとこの他の能力の限界がある。 2度ずつ見せていただくことで、勘弁してもらおう。
両作は登場人物が重なる。 見続けたせいで、その人たちが脳裏にこびりついてしまう。 批評家にならなくてよかった。
5月8日(木)の記 学大三昧 日本にて
埼玉県民の岡本和樹さんに、東横線の学芸大学駅までお越しいただく。 「平均律」さんで岡本作品2作品について、言いたいことを言わせていただく。 川口市の市民相手のワークショップで、参加者とドキュメンタリーともフィクションともつかない映像作品をつくるというお話。 どこまで事実で、どこから創作なのがの線引きができない不思議な作品。 僕自身、まんまとやられていた!ことがいくつもあるとわかる。 話していると、さらに面白いこともわきあがってくることも不思議。
岡本さんをまずは「流浪堂」さんにご案内。 開催中の「よむ帽子、かぶる本」という企画がすばらしい。 両方が、そうとう好きではないとできない世界。 https://www.facebook.com/pages/%E6%B5%81%E6%B5%AA%E5%A0%82/153603588097115
ついで「SUNNY BOY BOOKS」さんへ。 温又柔さんが来店して、小説を執筆中。 店内は人がいっぱい。
近くで「軽く」いくことにする。 さあどこにするか。 チョイスしたお店がビンゴ! まったく、学大が面白くなってきたもんだ。
5月9日(金)の記 いい日 神立'14年の春 日本にて
常磐線内でうつらうつらして、あやうく神立駅を乗り過ごすところだった。 櫻田学校の櫻田さんと再会。 今日は、水戸にのまえさんの上映で知り合った人をご案内することになった。
顔見知りとなった子どもたちは、新学期を迎えてそれそれ進級。
夜、櫻田さんが土浦の新開地に子どもを送っていくのに同行。 子どもたち個人の名前と歩み、背景を知るにつれ、身につまされる思い。 あたりの闇は深い。
5月10日(土)の記 いたち川のほとりで 日本にて
今日の上映会場、神奈川県立国際文化アカデミアはJR本郷台駅が最寄り。 東海道線で大船まで行って、京浜東北線の上りに乗り換えた方が早い。 うつむく大船観音と再会。
このアカデミアの建築… バブリー期の遺産の由。 1960年代ぐらいの、低予算のSFものにでも出てきそうな。
会場と機材チェックのあと、近くのラーメン屋さんにご案内いただく。 その裏に川と遊歩道あり。 川の名は、いたち川。 あとでイタチとカワウソの違いを調べてみよう。
地味な企画ながら、まずまずの人の入り。 久しぶりに『40年目のビデオレター アマゾン編』の上映。 福島原発事故を経て、ぐっと重くなった。 アカデミアのスタッフの女性が、高校の時の修学旅行で横浜から神戸まで、移民船ぶらじる丸に乗ったということを教えてくれた。
本郷台駅近くのお蕎麦屋さんで打ち上げ、さらに二次会は大船駅付近へ。 福島原発爆発の夜、大船の漫画喫茶で夜を明かしたっけ。
5月11日(日)の記 ようこそ陽光へ 日本にて
さあ今日は持参素材、待ち合わせ時間など、失敗は許されないぞ。 新宿モノリスビルとやら前の、待ち合わせ場所へ。 群馬県立館林美術館で、ブラジル日系画家展と岡村ドキュメンタリーを見るバスツアー。 地味といえば地味であり、最小人員に満たなくなるかと危惧もしたが、どうしてどうして、バスは満席ではないか。 ブラジルと銘打つだけあって手違いはいろいろあるが、バスは上州ヘ向かい、車内では自己紹介が延々と続く。 まことに多種多才な人たちが集まった。
群馬大泉のブラジリアンスーパーマーケットで買い物。 いやはや、ある、ある。 バスツアーのメンバーからいろいろと聞かれながら、こっちも値段のチェック。 お土産に、ペットボトル大びんのグアラナを2本、購入。
事前に告知されていたブラジリアンレストランは予約が取れなかったとかで、別のブラジル飯屋へ。 シュラスコ付き昼食は税込みで3000円を超えるから、安くはない。 ドリンクバー付きというが、ドリンクバーは場末の漫画喫茶程度でブラジル色ゼロ。 お肉の方は、人気のクッピン(セブ牛のコブ)は類例がないほどおいしくない。 牛さん、ごめんなさい。 人気ナンバーワンのピカーニャ(イボチ肉)は、何度も催促するまで現れず、しかも大半の人たちがギブアップしてから。 これを故意でやるような店なら、二度と行くべきではない。
まずは30分押しで、館林美術館へ。 「陽光の大地 ブラジルの日系画家たちとオスカール大岩」展。 僕と仕掛け人の花田さんは上映素材、機材のチェック。 100人は優に収容できるホール。 備え付きの上映設備はなく、プロジェクターが置かれているのみ。 音声はプロジェクター内臓のスピーカーのみとのこと! 8畳間ぐらいで鑑賞するなら、これでもオッケーだが… そもそもプロジェクターの音量を最大にすると、音が割れてしまう。 会場設置のスピーカーには、ワイヤレスマイクで音が飛ばせるとわかり、このマイクでプロジェクターの音を拾うしかないか。
行きのバスで講演の内容を練ろうと思っていたが、自己紹介類を聞くことになり、これがかなわず。 それでは『京 サンパウロ』上映時間51分の間に、と考えていたが、上映中はブラジルからのゲスト講師の僕が床に両膝を付いて、マイクを持ち続けるという不自然な姿勢を取り続ける羽目に。 さすがに美術館のスタッフが見かねたのか、マイクスタンドを持ってきて代わってくれる。 ああ疲れた。
新宿で解散後、有志で佐々木美智子さんの「仲ちゃん」へ。 思わぬ知人がやってきて、もう一軒ということに。 ブラジルのスラム街のように電線の垂れ乱れる新宿の裏町の中華飯屋。 コロンビアの少数民族の話を聞く。
5月12日(月)の記 下北沢手打ち上映 日本にて
あれもこれもしよう、と考えていたが、どんどん切り詰めていく。 少しは休まないと。 夕方からの上映の前に、下北沢で東京を離れるという知人と会うことに。 おそらくその人以外にはわからない、拙著の記載の問題点を指摘していただく。 念のため、ブラジルに帰ったら資料をあたってみよう。
人数に限りがあるので告知はしなかったが、下北沢の「蕎麦処 くりはら」さんで『山川建夫 房総の追憶』のライブ上映。 ちょうど千葉に戻っていた山川さんも、軽トラで友人を連れて参加してくれた。 参加メンバーは僕よりずっと年上の面識のない方ばかり、勝手もわからずそれなりに緊張、遠慮がちに。
佐藤真門下の映像作家、岡本和樹さんも来てくれた。 山川さんが佐藤さんの遺作「サイード」のナレーションを担当していたとわかり、奇遇。 こうした奇遇がいくつも炸裂したようだ。
5月13日(火)の記 市川東山 日本にて
中山法華経寺の、中世的空間を抜けて。 高台の、高級住宅地。 市川市東山魁夷記念館を、ようやく訪ねる。
日本を描いた作品はなく、「欧州の旅Ⅰ-ドイツ・オーストリア展」を開催中。 むむ、日本画家の、日本を描いた諾品を見られないとは。 が、見慣れてくると引き込まれていく。 窓の画だけでも面白い。 さらに思わぬ発見があり。
他に見かけた訪問者は、女性一人のみ。 まことに贅沢な時空。 近くに住んでいたら、年間パスポートを購入していただろう。 市川は、東山魁夷が生涯の大半を過ごした地の由。 市川市民がうらやましい。
5月14日(水)の記 『ジプシー・フラメンゴ』試写 日本にて
昨日は東山魁夷記念館のあと、かつての上司を訪ねた。 山海の珍味と美酒をご馳走になって、すっかり長居をしてしまった。 実家に向かうが、品川より先の電車がなくなった。
タクシーで実家までは経済的に畏れ多く、かといって今のコンディションで目黒駅まで3駅歩いてさらに徒歩30分はちとつらい。 さてネットカフェでも、と両方の出口周辺を歩いて回るが、見当たらない。 交番で聞いてみると、品川駅周辺にネットカフェはないというではないか。 ひょえー。
24時間の牛飯屋で、始発が動き出すまで待機。
早朝、実家に戻るが、二日酔い。 今日は「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の飯田光代さんから試写会に招かれている。 飯田さんが初めての映画配給に挑戦したスペインのドキュメンタリー『ジプシー・フラメンゴ』、京橋テアトルにて。 評論家やマスコミ関係者など、プロの試写会場。 なんとも心地よい椅子のこと。
資料をいただくが、予備知識なしに見る。 性別不詳のフラメンゴおたくの子供。 会話の字幕に「僕」とあるが、男子と自認している女子かも知れない。 そして、伝説的なフラメンゴダンサーの血筋らしい女性。 それらの生活とフラメンゴの練習が、交互に映し出される。 曲の歌詞の翻訳字幕を読んでいても強烈。 エキゾチックかつエスニック。 三脚をきっちり据えて、かといって登場人物はカメラを意識したような素振りをみせないので、かなり入念な仕込みがされたのだろう。 岡村作品のように、撮り手の声や姿が入り込むことは見事にない。 いわばミュージカルドキュメンタリーということでは拙作『ばら ばら の ゆめ』を思い出すが、拙作のようなドラマチックな展開があるわけではない。
終映後、いただいた資料を読む。 バルセロナの閉鎖的なジプシーのコミュニティで撮影されていること。 それ自体が稀有なこと。 スペインの近現代史と中南米の関係、そしてジプシーの問題。 スペインのフラメンゴと日本のフラメンゴでは根本が違うこと。 等々。 これらの知識を踏まえていると、数倍面白かっただろう。 日本の芸能でいえば、能や歌舞伎などは事前に背景やストーリーを把握していた方がずっと面白いかと。 盛り沢山な資料だが、これがパンフレットになるのだろう。 パンフレットになったものも入手したいものだ。
日本のテレビや映画のドキュメンタリーのような、時には過剰なまでの解説のない海外のドキュメンタリーを見る時の心得として、この作品は事前に勉強しておくことがおすすめかも。 もう一度、見てみないと。
5月15日(木)の記 都心をあるく 日本にて
都心部での用事を抱き合わせる。 まずは昨夜に引き続き、京橋へ。 LIXILギャラリーでブルーノ・タウト展をようやく見る。 タウトは群馬・高崎が長かったのか。 日本の民衆文化を愛し、育んでくれた異邦人に感謝。
内幸町まで歩く。 師匠の牛山純一プロデューサーの件で取材を受ける。 こちらも教わること多し。
虎の門まで歩き、昼食抜きでまだ渋谷で買い物があることから、スタンドそばをいただく。 渋谷の2か所で買い物。 さあ明日からまた上映だ。
5月16日(金)の記 永遠のゼロとアブラカダブラ 日本にて
下高井戸シネマに所用あり。
映画館を訪ねて用件のみというのも無粋なので、上映中の『永遠のゼロ』を見る。 映画館料金はもったいなく、できれば飛行機の機内サービスあたりで見たかったが、こんな映画をかけるような航空会社も縁遠くなってしまった。 お話は、あの傑作『軍旗はためく下に』のスタイルを現代に置き換えた感じ。 しかし『軍旗…』のように、日本の軍隊は敵兵や地元民どころか、同僚を殺害して人肉を食料とせざるをえなかった、といった日本軍の人類史上に残る汚点の告発や、責任者の糾弾はされることがない。 それどころか、現代という時間設定の若い主人公は、特攻を洗脳された自爆テロとする友人に怒りまくり、怒鳴りまくるのだ。 そもそも俳優たちの、やたらに怒鳴りちらす芝居もうるさいばかり。 こうした今様の戦争ものを契機に、若い世代が祖父母の世代に話を聞こうとする思いが生まれれば、それはけっこうなこと。 今はVFXというようだが、特殊撮影はなかなかであった。 かつてのタミヤ模型マニアとしては、零戦の塗装の変遷や塗料のはげ具合など、これだけこちらの認識と違わない再現も、寡聞にして他に類作を思い出せないほどの出来栄えかと。 にしても、鹿児島の鹿屋航空基地とニューブリテンのラバウル航空基地の植生、地形がかなり似ている印象があったが。 ロケはクレジットからすると、南房総や奄美大島で行なったようだ。
世田谷の知人宅を経て、横浜黄金町へ。 横浜パラダイス会館でのアマゾンナイトシリーズと岡村のアマゾンものの上映。 伊藤ガウショさんのアマゾン妻ヘジーナさんがアマゾンのおばちゃんの味・タカカに挑戦してくれた。 日本でこれっぽいものをいただけるだけで感激。
アマゾン先住民ものの観賞とトークを経て、有志で黄金町を代表するブラジル人マリさんが新たにオープンしたお店を訪ねる。 ブラジル時間でオープン。 店名は、アブラカダブラ。 ブラジルでもあの呪文は、カタカナ表記だとアブラカダブラなのだ。
5月17日(土)の記 平均律の変 日本にて
地元恒例となった東横線学芸大学駅、喫茶「平均律」のライブ上映会。 えりささんとの事前の打ち合わせで、アート関係の常連さんも多いので画家の森一浩さんシリーズあたりがいいかもしれませんね、ということになった。 さてさて。 7案ほどの候補を立て、ご来場の皆さんに挙手をしていただき、作品を絞り込んでいく。 なめくじシスターズたちに店内にブラジル国旗を張り巡らせていただいたものの… ブラジルの「ブ」も出てこない『山川建夫 房総の追憶』に決定! 岡村作品の上映会に来てくださる方々は、ブラジルを離れて、岡村と問題意識を共有していただいている、ということか。
ご来場いただいた考古学時代の先輩を古書遊戯「流浪堂」さんにお連れしてから、東京駅へ。 夜行バスで愛知に向かう。 それにしてもまさしくJRの玄関、東京駅のJRバス乗り場付近は待合スペースも見当たらず、乗客たちは地べたにしゃがんだ難民の態でバス待ちを余儀なくされている。 このあたり、日本国はブラジルよりはるかに劣っているかも。
5月18日(日)の記 愛知のよろこび 日本にて
夜行バスは早朝6時前に、豊田に到着。 私鉄に乗り、浄水駅で下車、6時オープンの天然温泉へ。 朝湯を求める人たちが次々と車でやってくる。
いやはや、極楽。 大型テレビ付き露天風呂、屋内の炭酸泉、壺湯、寝風呂。 頭のなかでこんがらがったスケジュールをほぐしながら、つかの間の休息を取る。 さすがに今回の日本では、これが最後の温泉だろう。
上映スタッフとの合流の前に、ふたつのオプションがあったが、最速の電車への乗り換えが不案内で、次案の方を取る。 岡崎市美術博物館で、藤井達吉展。 場所が遠い、料金が高い。 が、一見の価値あり。 日本のアーチスト・工芸家でこれほどトンボを用いた作家を僕は寡聞にして知らない。 また伊豆大島のエキゾチシズムが日本の文人たちを引寄せていた時期があることを知る。
さあ、ブラジル人人口の多い岡崎市での本番上映。 3月の試験上映で、手応えの程は確かめている。 おお、開映前から会場に詰めかけているのはブラジル系の人ばかり。 今日は主催兼司会の山本さんも僕も、はじめからバイリンガルで臨む。 上映作品は『きみらのゆめに』と『ばら ばら の ゆめ』。 ブラジル系の観客の反応とノリが、実にいいい。
『消えた炭鉱離職者を…』の犬養光博牧師の言葉を継承して。 僕は誰の側にあって、誰のために、誰によって作品を紡いでいくか。 山本さんと地元の国際交流スタッフの尽力によって、そう簡単には出来ない、まさしく異文化交流のイベントができたと思う。
深夜の夜行バスの時間まで、山本さんはじめ有志に2軒ほど無国籍エスニックのお店をご案内いただく。 さあ今回の上映と旅の終わり、出国モードに突入だ。
5月19日(月)の記 四谷とラテン 日本にて
帰りの夜行バスは1Cという2階の最前列窓側で、そこそこ快適。 行きは真ん中のB列、しかも後ろの席の凶悪そうな男から何度となくこちらの座席に蹴りを入れられ、震撼していた。 善良な市民を理由なく殺傷するのはこういう輩か、と思った。
霞が関で下車、中目黒から実家まで歩く。 土曜の午後以来、オフラインが続いてしまったので急ぎの連絡をノートパソコンでチェックしつつ、まずは洗濯。 明後日の出ニッポンに備える態勢に入る。
夕方、四谷で打ち合わせの後、ラテン系に強い友人知人らと会飲。 今回の滞日中、刺身らしい刺身を意識していただくのは、これがはじめてではないかな。
5月20日(火)の記 目黒のシャガール 日本にて
出ニッポン前日。 雑務残務は尽きない。 ブラジルがらみの友人夫妻と六本木に新たにオープンしたブラジル飯屋でランチでも、ということになった。 六本木は「フリーゾーン2000」が衛星チャンネルの名前で放送されていた頃、通ったっけ。 実にこじゃれてゆったりとしたブラジルレストラン。 バスツアーで行った群馬大泉のそれなりに有名らしいブラジル焼肉屋より、あらゆる点で桁違いによろしい。
目黒あたりで午後にぜひ会いたいとおっしゃる御仁がいる。 ならんで、どうしても見ておきたい日本の週刊誌のバックナンバー記事がある。 目黒区内の図書館では、洗足図書館のみにあるとのオンライン情報。 ダメモトで生まれて初めてこの図書館に行ってみると、ビンゴ! 記事の内容は驚くほど拍子抜けだが、知らないままでは済まされなかったかも。 さてその御仁、先方からはCメールでメッセージを送ってくるのだが、オフィスの固定電話は留守番電話のままで、携帯電話にも応答がない。 洗足駅から目黒駅に戻り、気になっていた目黒美術館のシャガール展を見ておく。 日本国内の美術館からの借出し品だが、なかなか。 今までシャガールをまとめててみる機会がなかった。
描かれているのは、ヨーロッパの旧石器時代の洞窟壁画ではないか。 それに気づくと、ますます面白くなってくる。 さて日本、ブラジル、その他の国でも美術巡礼をし始めて何年か経つ。 監視員が高齢者ばかりというのは、管見ではこの目黒美術館だけである。 喫茶室もあるのはいいが、16時でオーダーストップ。 区政の手抜きのお役所仕事ではなく、老人に寄り添う運営ということなら、早朝6時ぐらいからオープンしたらどうだろう。
ひと気のなくなった喫茶室のテーブルの椅子に腰かけて、ここなら打ち合わせにもよろしいなと思うものの、ぜひ会いたいという御仁からは、連絡なし。 実家に戻ってからは出国のための大わらわ状態のため、今回はご勘弁いただいたい由、先方のオフィスにメッセージを残す。 実家に到着、まずお手紙書きから着手。
5月21日(水)の記 『夜は終わらない』 日本→アラブ首長国連邦→
今日は午後の出家の予定で、少しは余裕あり。 手紙書きが波に乗り、通常モードならパスしちゃいそうな件もいくつか手がける。 今回、こうしたお人好しが災いして、ブラジルがらみで思わぬ屈辱を味わってしまったが、これは人間のできていない証拠。
珍しく客に敬語を使わない運転手のタクシーで、恵比寿のシャトルバス乗り場まで。 畏友の星野智幸さんにいただいた最新刊『夜は終わらない』を開く。 500ページを超える、持つのも重い大作。 実家で開いてみたのだが、冒頭から物語の世界に引き込まれてしまい、これでは出国に差し障るとお預けにしていた。
物語の語られる舞台の設定に、息を呑む。 「今昔物語」の書かれたころを、そして文字以前の口承の世界をほうふつとさせる。 寝不足と疲労から、まどろみつつ。 こちらも夢うつつ。
すでに三往復めのエティハド航空では、ラウンジが使えるステータスまで下剋上。 チェックインはANAのスタッフが代行するが、まことにきめ細やかなサービス。 さよならJALよ、アメリカ合衆国よ。 招待券をいただいたANAの第1ターミナルの外れにあるラウンジは、がらがら。 とりあえず地元千葉成田の日本酒「長命泉」、おフランスの赤ワインをいただく。 下の書店はけっこう充実していて、文庫と新書を無税で4冊購入。 思えば今回、新刊書店は訪日翌日に訪ねた下高井戸駅構内の書店他、ほとんど行っていない。 古書店には、あちこちでお邪魔したけど。
5月22日(木)の記 空の試写室から →ブラジル
相変わらずエティハド航空の機内エンターティンメントサービスには日本映画がなく、日本語吹き替え版のものも両手の指で数えられるぐらいしかない。 日本の映画も放射能汚染の疑いがあるという判断で避けているのだろうか?
その分、例によって珍作を探す楽しみがあるというもの。 『LEGO』という、これまた日本語版のないハリウッド系らしい映画をまず見る。 レゴブロック人形たちが主人公のアドベンチャーもの。 海面までがレゴ状に表現されるのは面白いが、英語もきちんと聞き取れず、眠たくもあり、うとうと、プレイバックする気にもならない。 サンパウロ到着前に尻切れトンボで、実際にレゴで人が住める家をつくろうとする英語のテレビドキュメンタリーを見たが、結末は未見なもののこっちの方が面白かった。
ドキュメンタリー映画ジャンルで唯一の作品が『CUTIE & THE BOXER』。 在ニューヨークの齢80歳のアーチスト、篠原有司男さんとやはりアーチストの妻、乃り子さんの日々をアメリカ人が記録したもの。 アーチストのドキュメンタリーとしては、僕あたりが身につまされて避けてきた経済的な困窮、アルコール依存といった問題を真正面からとらえている。 夫妻を描くドキュメンタリーとしても白眉。 (のちに検索してサンダンス映画祭で監督賞を受賞したこと、日本でも劇場公開されていることを知る)
さらに列車事故に至るまでを描いたエジプト映画、北朝鮮から韓国に送り込まれた若いスパイを描く韓国映画、一家を支え続けた未婚の長姉を描くインドネシア映画などを堪能。 インドネシア映画を見るのは、人生で初めてかも。 日本の連続ドラマの総集編みたいなつくりが新鮮。
この時、この飛行機に乗らなければ永遠に見ることのなかっただろう映画たちとの出会いに感謝。
さあサンパウロに着きました。
5月23日(金)の記 ショーガ遺産 ブラジルにて
快調に、時差ボケ中。 サンパウロ時間の午前様で急ぎのメールの返信と、溜まっているウエブ日記の更新。
お隣りの州からの招待あり。 友情撮影が期待されているとみて、先方にお受けする旨、伝える。 さあ寝ようと思うと、ヤボ電話に起こされる。
夕食は家族を盛り上げるべく、お好み焼きを作ろうと宣言。 キャベツと山イモ、ソーセージの買い出しがつらいが、帰宅した家人が代行してくれた。 ハチミツを溶かしてカイピリーニャのキッチンドリンクを始める。
冷蔵庫の見慣れぬガラス容器にショウガの酢漬けがあった。 新生姜ではなく筋っぽく、紅ショウガと呼ぶには赤の発色がよろしくない。 ブラジルの我が義母はガリショウガといい、巻き寿司といい、売り物を超える腕前である。
聞くと、わが娘が友だちにもらったものだという。 その友達のお祖母さんがつくったものだった。 そのお祖母さんは亡くなり、残った家族は誰も食べないので、うちの娘によこしたとのこと。 そういう由来とは。 そのお祖母さんについて、詳しいことは今のところ何も知らない。 筋っぽい薄紅色のショウガ漬けを千切りにして、お好み焼きに加えた。
遺族もいらない、カネにもならない。 棄てるのは、いとも簡単。 しかし、我が家に託された。 僕のしてきた記録作業にオーバーラップする。
5月24日(土)の記 ゴジラとジャンジラ ブラジルにて
まだまだ時差ボケ真っ最中だが。 思い切って体調不良だった息子と、新作『ゴジラ』を見に行くことに。 ブラジルではアメリカ同様、先週から封切りとなった。 恐るべし、土曜の午後のシネコンの切符売り場。 列に30分、並ぶ。 オリジナル音声にポルトガル語字幕、ポルトガル語吹き替え、3D上映の3種の上映があり、2Dオリジナル音声でいく。 英語に聞き耳を立て、ポルトガル語の字幕も読むというのはけっこうたいへん。
核実験の実写フイルムから、フィリピンとされる熱帯雨林の覆う山地の空撮。 ひとシーンあってから、舞台はフジヤマを望む日本の原発地帯へ。 この原発の名は、ジャンジラ原発。 ブラジルにならありそうな地名だけど。 帰ってからネットで調べると、「雀路羅」という表記だそうで。 こんなデタラメな当て字までして、どうしてこんな名前にしたのだろう?
原発事故で立ち入り禁止となった地域に15年後に潜入する、といった設定まではノレたのだが、それ以降は…
被曝の恐ろしさという点では、『パシフィック・リム』の方がよく描かれている。 日本で活躍した防衛軍のペンテコスト司令官は、放射能汚染により末期がんとなり、鼻血を流していた。 最新作『ゴジラ』では怪獣騒ぎで被曝以前に相当数の人間が死んでいるはずだが、そのあたりの恐怖といたみが、こっちには伝わってこないのだ。
映画館で観た怪獣映画では、1995年の『ガメラ 大怪獣空中決戦』をしのぐ興奮と感激はもう望めないのだろうか。 思えば新作『ゴジラ』、設定がなにかとこの『ガメラ』に似ていること。
5月25日(日)の記 サワラないで、酢でしめて ブラジルにて
朝、子らを連れて車で妻の実家へ。 長居せずに戻り、地元の路上市へ。 子らは昼食はパステルがいいという。 ブラジリアン餃子などと称される、どちらかというとスナック。 ふたつも食べれば、それなりの満腹感もある。 路上市の、いわば風物詩でもあり。
なんと、パステルひとつが4レアイス、邦貨にして180円。 ふたつなら360円、この金額があれば日本の牛丼屋でぜいたくができるというもの。 いやはや、あれもこれも高いぜブラジル。
さて、おととやさん。 サワラをすすめられる。 夜は残りの冷やごはんを使ってパエリャもどきをこさえるつもりだったが。
ネットでレシピを調べて、サワラの昆布酢締めを試してみることに。 一晩は置いた方がよいようだが、夜、試食。 これは、新たな喜び。 一緒に買った新鮮なイワシも一匹、刺身でいただく。 これもとろけるあまさ。 土鍋で炊いたパエリャ風おじやには、冷蔵庫にあったタコと、市で買ったムール貝を。 家族はそれなりにおいしくいただいたようだ。 海幸を食すよろこび、サンパウロにあり。
さあ明日からさっそくパラナへ遠征、友情撮影。 数日間、オフラインになります。
5月26日(月)の記 愉悦の移動書斎 ブラジルにて
午前8時台のサンパウロのメトロは強烈。 南北線、東西線ともに2-3台待ち。 乗ってみれば日本の首都圏のラッシュ時ほどのことはないのだが。
これまでフマニタスまでバスで行く時は、夜行のアサイ行きがあった。 今年はじめは運行されていたのだが、この路線はもうないとのこと。 やむをえず日中のコルネリオ行きで向かう。 8時間弱のバス旅。
落ち着いてから、選び抜いた本を開く。 『上野英信と沖縄』。 沖縄のウララさんで手配していただいた希少本。 日本国内で読み始めたが、ブレイクができてしまった。 上野英信、そして沖縄が熱く迫ってくる。 『東山魁夷小画集 唐招提寺全障壁画』。 こういうのが文庫本で拝めるのがうれしい。 第一期の「山雲」がすばらしい。 『神の十戒 -共同体の道しるべ-』。 これはカルロス・メステレス著、佐々木治夫訳。 佐々木神父に再会する前に、おさらい。 ポイントは、民の:私たちの、自由、解放。
まことに豊かな読書時間。
コルネリオにフマニタスの旧知のスタッフが迎えに来てくれた。 佐々木神父と再会、明日の段取りを聞く。 これで時差ボケが解消できそうだ。
5月27日(火)の記 フマニタス禅譲 ブラジルにて
我が自主制作作品のなかで、上映希望の多さでは屈指の『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』。 そのフマニタス慈善協会が、このたび、イタリア系の聖カミロ修道会に譲渡されることになった。 今日は譲渡記念ミサが行われるので、サンパウロから友情撮影に駆けつけた次第。 晩節にきちんと落とし前を付けた佐々木治夫神父の手腕は、見事というほかはない。
佐々木神父とフマニタスがいかに人々に愛されているかがひしひしと伝わり、もらい泣き。 自分にとっての撮影のあり方を再確認する好機でもあった。 SONYがすでに修理対応をしなくなった愛機VXシリーズで撮影。
5月28日(水)の記 佐々木神父に聴く ブラジルにて
フマニタスの佐々木治夫神父は、なかなかせっかちな人でもある。 齢85歳、37年にわたるフマニタスの譲渡に当たって、ぜひインタビューを記録させていただきたい。 とはいえ、『生きている聖書の世界 ブラジルの大地と人に学ぶ』の時のような屋内「板付き」の芸のない撮影もできず。
佐々木神父はサンパウロから今回のお祝いにかけつけた日系女性の支援者、および写真家の楮佐古さんともども、近くを車で案内してくれるという。 その時に勝負をかけるか。 アルコール・薬物依存症更生施設、および農地改革地区のMST本部の2か所に分けて、短時間だがお話を聴く。 一期一会、可もあり不可もありといったところか。
午後、ふたたびコルネリオのバスターミナルへ。 人口100万近い都市だが、ターミナルはラテンアメリカの片田舎そのもの。 今日の日付のうちにサンパウロに到着できそうだ。
5月29日(木)の記 肉じゃが作成まで ブラジルにて
日本から戻って、今日の夕方でちょうど一週間。 帰っていきなりの遠征撮影もあり、なんだか疲れた。 今日はでれでれとさせてもらおう。
明日から留守にする子供の希望で、夜は肉じゃがをつくることに。 青果系のスーパーマーケット、および日本食材店で買い物をすると、しめて50レアイスを超えてしまう。 ちなみに1レアルは約45円。
『わたしの小さな古本屋 倉敷「蟲文庫」に流れるやさしい時間』田中美穂著、洋泉社を読む。 「あのころから、時代はずいぶん変わりました。でも、より先へ、より前へという世のなかの風潮が性に合わないという人は、どんな時代にも変わりなくいるはずです。いや、庶民と呼ばれるわたしたちは、いつもたいていそんなところではないでしょうか。」 「でも、その先に未来はないとわかっていながら高速道路を走る続けているような世の中で、そこからあえて外れ、立ち止まる。」 共感。
5月30日(金)の記 シュラスコ勝負 ブラジルにて
今日も、サンパウロで自宅静養。 日本の友人に「ワールドカップ選手メンコ」を書留便で送るため、郵便局に。 間に合うかな。 その足で、買い物。
夜、息子と徒歩圏にある大衆シュラスカリア(ブラジリアンバーベキュー店)へ。 日本の群馬のシュラスカリアの国辱的なサービスについて話して聞かせる。 二人分食べ放題、プラス、ビール一本、レフリ(清涼飲料)二本で、ちょうど群馬のひとり分と同じ値段なり。
5月31日(土)の記 「岐路から未来へ」 ブラジルにて
今回の訪日中、共同通信の取材を受けていた。 「岐路から未来へ」という連載記事のひとつとして、5月31日に配信開始と聞いていた。
さてさて。 青森県八戸のYAMさんが、フェイスブックで本日、掲載された記事をアップしてくれた。 写真はベテラン写真記者さんによるもので、これだけでも息を呑む。 文章の方は、共同通信の編集委員でもある記者さんが何度も推敲をしてくれているだけあって、見事。
これから、日本各地の地方紙で掲載される予定です。
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