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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2014年の日記  (最終更新日 : 2014/12/06)
8月の日記 総集編 裾野と伏流

8月の日記 総集編 裾野と伏流 (2014/08/03) 8月1日(金)の記 深作ドキュメンタリーをみる
ブラジルにて


今日も、VHSの録画をみる。
今はなき日本の肉親が、ブラジルで暮らす僕のためにテレビ番組をみつくろって録画しておいてくれたものだ。

年月がだいぶ経ってしまったが、見ずして処分できない。
このテープは、1997年に録画したもの。
『20世紀末黙示録・もの喰う人びと』名古屋テレビ制作、テレビ朝日系列で放送の特別番組。
辺見庸さんのあの本を、なんと深作欣二監督がドキュメンタリー化したもの。

ウイキると、深作さんの生涯のドキュメンタリー作品は、この一本だけである。
して、石橋蓮司さんがリポーター。
チェルノブイリのサマショールと呼ばれる自発的帰郷者たち、ウガンダのHIV感染者たち、そして韓国の元従軍慰安婦の女性たちを訪ねる。
プロデューサーが、僕もお世話になった故・藤井潔さんとは。

牛山、今村的な泥臭さがよろしかった。
韓国や従軍慰安婦とされた人々を悪しざまにいう人たちは、こういう番組を見ているのだろうか。

僕の映画青年時代、深作さんの封切り作品を観ることは、とてつもない贅沢だった。
リアルタイムで封切りを見たのは『仁義の墓場』が最初かと。
特に刺激的だったのは『仁義なき戦い・広島死闘編』『資金源強奪』。
いま、一本を、と問われれば『軍旗はためく下に』。

亡き肉親がテープに入れてくれたラテ欄の紹介記事。
「再生」という言葉の重さ。


8月2日(土)の記 八月の風物
ブラジルにて


八月になると、ブラジルでもサンパウロあたりでは原爆がらみの報道が目につくようになる。
今日は、ダウンタウンのショッピングセンターのシネコンへ。
月に一度の「人権映画上映」で、在ブラジル被爆者平和協会が製作、アルゼンチン人が監督した記録映画2本が上映された。
この協会の会長の森田隆さんとは、四半世紀を超えるお付き合いをさせていただいている。

さて、作品。
アメリカ軍撮影のものから、日本のテレビのニュース番組らしいもの、そして在日本の被爆者の描いた被爆図など、必ずしも語られている内容とシンクロしない「イメージ画像」のてんこ盛り。
肝心の在ブラジルの被爆者の証言は、証言者にワイヤレスマイクを付けて、三脚でフィックスの撮影。
この協会のことをよく知らないが、興味がもてるというブラジル人は、ご覧になるのもよろしいかもしれない。

アート展のひとつも見たくなる。
最寄りのメトロの駅の近く、コンジュント・ナシォナルのギャラリー展示をみよう。
Marcelo Scholzというパラナ州のアーチストの作品展だが、これはすばらしい。
http://allevents.in/s%C3%A3o%20paulo/exposi%C3%A7%C3%A3o-do-artista-marcelo-scholz/567052860071698
コテなども使って、絵具を重層に塗りたてているのだが、きんきんに響いてくる。
色彩をみるという感覚そのものが刺激され、「見立て」の意識も湧きあがってくる。
安手の言葉遣いとなるが、まことに癒されてしまった。


8月3日(日)の記 パエジャ映え
ブラジルにて


さて、日曜日。
路上市で海幸を求めるかどうか。
冷凍庫がいっぱいである。
サバも残っている。
白身魚のペスカーダの切り身もまだ残っている、はず。
先週買ったカツオのアラを何度も煮直して食べて、ちょっと吐き気がしたし。
刺身用に魚を買えば、アラがもったいなくて、またもてあますことになる。

思い出す。
僕の子どもの頃、東京の街中の庶民の家庭だが、刺身といえばマグロの赤身ぐらいが印象に残っている。
決して安くはなかったろう。
刺身好きだった亡父が、晩酌にマグロの刺身がある時はご機嫌だったことを思い出す。
外食でも、父は刺身定食が主。

僕はといえば、この刺身をさほど好まなかった。
どころか、マグロの赤身を食べると、吐き気がしたことがしばしば。
あれは、なんだったのだろう?
鮮度の問題か?

マグロアレルギーという体質があるようだが、今では基本的になんともない。
日本で新作ゴジラが快調公開中のようだが、マグロといえば放射能を思い浮かべてしまう。
アメリカ版ゴジラでは、前作のトカゲゴジラもマグロが好物だったかと。
太平洋での核実験を調べてみると、フランスがポリネシアで盛んに水爆を含む核実験を繰り返していた時期と、僕の吐き気の時期がほぼ合致するではないか。
同時期を日本で過ごした人で、同様のマグロの刺身で吐き気体験をした人があるだろうか?

さて。
海幸類は、安くはない。
今晩は冷凍庫のエビ、タコでパエジャにすることで子どもの合意を得る。


8月4日(月)の記 ポルトガル語の泳ぎ方
ブラジルにて


まずは、一日断食。
ちょっとめんどくさくて、滞っていた作業に着手。
ポルトガル語の作文作業もあり、ついついおっくうに。
案ずるより、産むがやすし。

畏友の瀧藤千恵美さんが刊行したばかりの『ポルトガル語表現とことんトレーニング』(白水社)をひもとく。
http://www.hakusuisha.co.jp/detail/index.php?pro_id=08667
「この1冊でポルトガル語の泳ぎ方が身につく!」とある。
きちんとした、独習用のテキストでありながら、ニヤリとさせる血の通った例文が楽しく、豆知識コーナーもよろしい。
瀧藤さんは長年、東海・中部地方のいくつもの大学でポルトガル語を教えているので、その生きた体験が十分に活用されているのがうかがえる。
恥ずかしながら、ひょえ~、こんなことも知らなかった!といくつも気付かされる。

こちとら、初めてブラジルの土を踏んでから三十年になる。
いわば、バタ足か犬掻きだけでポルトガル語の海をあっぷあっぷ泳いできたようなもの。
本人はソコソコ泳いでいるつもりでも、傍目にはさぞみっともないことだろう。
この本を借りて、せめて平泳ぎぐらい身につけないと。


8月5日(火)の記 旅の途中の途中
ブラジルにて


午前中、いくつかのスーパーのハシゴ。
冬の快晴の日なたの心地よさ。

しばらく滞っていた『橋本梧郎と水底の滝・第二部 旅の途中』の編集を再開。
『第一部 南回帰行』を未見の方がご覧になってもわかる語り口にする作業、という最初のヤマ場。
ぼくなりの基準からすると、ファウル寸前のつなぎをしてみる。
世間にまかり通る「ファウル」の100分の1以下のストイックな設定にしているつもりだけど。

さあこの作品、どこにいくのだろう。

夜は冷凍庫のサバを解凍、塩焼きでいただく。
体長20センチ弱、日本のよりだいぶ小ぶりで、ひとり一匹。
これが、実に美味しい。
サバさん、ありがとう。


8月6日(水)の記 アマゾニアを愛でる
ブラジルにて


昼過ぎまで、家庭の諸々。
午後、思い切って気になる映画を見に行く。

『アマゾニア』というブラジルとフランスの合作映画。
6月のワールドカップの時期に3Dも含めて封切られた。
サンパウロ市ではもう数館のみの上映で、そろそろ終わってしまいそう。
ブラジル製作の映画としては空前の製作費をかけたという。
サーカスで飼育されていたオマキザルの子どもがアマゾンの上空でセスナの事故に遭い、自分だけ生き残って大アマゾンでのサバイバルに挑まざるを得ないというお話の「実写」。
よくぞここまで「実現」できたものだ。
主人公のサルのモノローグの形を取っているが、陳腐に陥りがちな擬人化が見事に成功している。
小さなお話を、壮大に描いてくれた。

少し歩いて、さる土曜日にひとめぼれしたMarcelo Scholzの絵画展をふたたび鑑賞。
買い物もして帰宅、仕込んでおいた夕食の支度をすすめる。
食後まもなく横になり、『アマゾニア』の余韻を反芻、そして難航している次作の編集部分の対処を考える。


8月7日(木)の記 ゴンドワナを食べる
ブラジルにて


『旅の途中』の最初のヤマ場、新たに撮影素材からチェックし直して、いったん外したカットをいくつかつなぎ直す。
やれやれ、これでここはオッケーかも。

在サンパウロの友人と昼に待ち合わせて、ダウンタウンにあるアフリカ料理屋に行こうということになった。
近年はブラジルにナイジェリア、アンゴラなどアフリカから職を求めてやってくる人たちが少なくない。
情報誌の特集記事には、ポルトガル語が通じず、やめておいた方がいい店という記載もあるほど。

今回のチョイスは観光客も立ち寄れる無難な店としておく。
隣りに「本格派」のアフロな店があるが、ここにこっちが入りこんだら、かなり場の空気を乱しそうだ。
こちらのチョイスはウエブサイトもある店で、カメルーン人の企業家がアフリカ各国の料理を研究した由。
値段がまことに手ごろ。

キリンの竜田揚げに、シマウマの馬刺し、カバの筑前煮…
というのは全部オカムラの創作料理。

バナナ料理に魚、鶏などにそれらしいタレのかかったものあたりを頼む。
特に知らない食材、舌新しい香辛料も見当たらず、ブラジルの田舎料理でも通りそうな感じ。
知的好奇心の旺盛そうな、非アフロの若い人たちがけっこうやってくる。

食後、友人がここから徒歩圏にあるアフリカ人のたまり場となった老ビルに案内してくれた。
これだけくたびれたエスカレーターも珍しいかも。
階を増すごとにヤバさ感が増加。
リオのスラムで消されたジャーナリストの故事を思い出す。
友人に言わせると、以前よりだいぶ「ヤバみ」がさがったとのこと。
ビルのなかでブラジル人のおばちゃんの営むコーヒースタンドに入って、世間話を聞く。

いくつかアート展をハシゴしてから友人が教えてくれたカフェテラス、これは気に入った。
いやはや、サンパウロは過ごし方によっては、こっちの嗜好によってはまことに面白い街だ。


8月8日(金)の記 「季節のおわり」
ブラジルにて


今日は早起きをしなくていいので、未明に昨日、街で買った映画のDVDを観る。
防護服とガスマスクをまとった一団のカバーデザインが目に留まった。
英語の原題は『THE CRAZIES』、ゾンビもので知られるジョージ・A・ロメロ監督の1973年作品。
日本でのタイトルは『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』。
日本の『クレイジーだよ』シリーズとは、だいぶ趣が違うようだ。

細菌兵器を搭載した米軍機が、アメリカ本土の小さな田舎町の水源地に墜落。
水を飲んだ住民たちは、常軌を逸した凶暴性を発するようになる。
防護服装備の米軍が町を封鎖し、事故の隠ぺいと細菌の拡散を防ぐため、大統領は町への核兵器投下を許可する…
昨今の日本の情勢に通じるものを感ずる設定。

さて日が昇り、午前中は自作『旅の途中』の編集。
最初のヤマ場、難関だったがそこそこいけた感じ。

サンパウロで今度の日曜まで「ユダヤ映画祭」というのが開催されている。
ニュース量の割に僕にはわかりにくいガザ問題等を考える一助になるかもしれない。
今日、食指の動く作品の上映会場は行ったことのないショッピングモールだが、思い切る。

ドイツとイスラエルの合作の劇映画で西暦2012年の作品、原題は『Ende der Schonzeit』、『季節のおわり』といったところか。
Franziska Schlotterer監督。
第2次大戦中、ナチスの迫害を逃れてスイスへの山越えを図るユダヤ人の青年を、国境近くのドイツ人農夫がかくまう。
農夫は性的に不能で後継者問題に悩んでおり、自分の若い妻への「種付け」を青年に頼むのだが…

これは傑作だった。
ナチスとホロコーストものにとどまらず、ヒトの性と愛の不可思議さに深く斬り込んでいる。
いくつかの映画祭で受賞しているようだが、日本語でのレビューは見当たらない。
この映画が観れただけでも、この時期、ブラジルにいられてよかったと思う。
いやはや、すごい映画があるものだ。

帰宅後、今日の邦字紙に目を通す。
『ニッケイ新聞』一面の社説。
先週の安倍首相のブラジル訪問に始まり、理研の笹井副センター長の自殺を受けて「『自殺したくなったらブラジルへ来て移民の話を聞こう!』キャンペーンはどうか。」と提言している。
統計や調査の存在を知らないが、在日日本人の自殺率と、日本人のブラジル移住者の自殺率を比べたら、後者の方がけた違いに多いのではなかろうか?
僕がさる第2次大戦後の移住者集団の追跡取材をした時、その時までに判明した死者は10名、うち3名は自死だった。
昨今の僕の取材では、ブラジルで殺された日本人の話が何人も出てくる。

耳を澄ませて、肉親以外には忘れられがちな、こうした人たちがいたことの証しを、小さな仕事ながら刻んでいきたい。


8月9日(土)の記 アンネ・フランク劇場
ブラジルにて


昼は日本から担いできた根昆布と鰹節でだしを取り、寒河江産のお蕎麦をいただく。
醤油はブラジル製だけれども。
さあ、残っただしを、いたまないうちにどう使おう。

午後から今日も思い切ってユダヤ映画祭に行こう。
会場はブラジル・ヘブライ協会のアンネ・フランク劇場。
立ち入るのは、初めて。
公共交通の便は良くないが、ひとりで映画に行くのに車はもったいない・事故や犯罪の危険もある。
地下鉄の乗継ぎと歩きで。

『Dancing in Jaffa』というイスラエルとアメリカの合作、西暦2013年のドキュメンタリー映画。
監督は、Hilla Medalia。
パレスチナに生まれ、アメリカでプロダンサーとして活躍するPierre Dulaineさんが、今はイスラエル領となった自分の故郷Jaffaを訪ねる。
子供たちにアメリカ式のダンスを教えるためだ。
彼の願いは、ユダヤ人の子どもと、パレスチナ人の子供が一緒に手をつないでダンスをすることだが…

プロジェクトの志の高さに驚いた。
そして恥ずかしながら、イスラエルに少なからぬパレスチナ人が暮らしていること、学校によってユダヤ人とパレスチナ人の生徒の比率がさまざまなこと、イスラエルでもパレスチナ人たちの抗議行動が行なわれていることなどを知る。
10代前半のただでさえ難しい子供たちの、変化のプロセスをよくもとらえた。
劇映画や再現ならともかく、どうやらナマのドキュメンタリーらしく、これは奇跡に近い技かと。
よほどのしっかりした仕込みとスタッフ陣あってのことだろう。
撮影は、撮影監督の他に9人のカメラマンの名前がクレジットにあった。
そして主人公は、椿三十郎のようなカッコよさ。
終映後は拍手喝采、僕も惜しみなく拍手。

この映画についても検索してみると、アメリカン・ダンス関係でわずかに日本語で紹介されている程度。
思えば本日、日本で「優れたドキュメンタリー映画を観る会」の飯田光代さんが初めて配給に取り組んだスペインのドキュメンタリー映画『ジプシー・フラメンゴ』が公開されたはず。
大雨等の予報も伝え聞くが、初日の特別イベントはうまくいっただろうか。


8月10日(日)の記 父の日の無能の人
ブラジルにて


今回、ブラジルに帰って最も見直したかったのが竹中直人初監督作品『無能の人』。
VHS版を保存していたのだが見つからず、これが思わぬ形で「発掘」された。
未明に鑑賞。
「ダメな方にダメな方にと自分を追い込んでいく」
「高度資本主義社会では機能しない存在」
等々、びんびんとくる。
主人公の助川助三は、漫画を描かなくなった漫画家。
妻がチラシ配りやレース場の切符売りなどで家庭を細々と支えている。
それでも助川は近くの多摩川の河原で石売りを始めたり、廃止された渡し船を再開してひと儲けしようといった努力と夢がある。
こちらは、無能の人以下。

最後のクレジットを見て、びっくり。
故・神代辰巳監督や原田芳雄さんが演じていたのか。
芹明香さんはどの役だったのだろう。
して、つげ義春さんは?
雑誌の編集者役は、『想像ラジオ』のいとうせいこうさんだったとは。
家族が救い、支えというのがまことに泣かせる。
西暦1991年の映画だから、先回、ビデオで見た時も「無能の人」感がそこそこあふれていたかも。

8月の第2日曜は、ブラジルの父の日。
誕生のお祝いもあり、こちらのファミリアの集いに車で。
クリスマスなみの駐車スペースのなさ。

国籍でいくと、ブラジル、日本、アルゼンチン、フランスと4か国そろった。
義父の戦歴を詳しく聞いていなかった。
原爆投下後に長崎県で配置替えとなり、広島県で敗戦を迎えたと聞いて、びっくり。


8月11日(月)の記 裾野と伏流
ブラジルにて


今日も、一日断食。
沖縄でいただいてきたゴーヤ茶をいただく。

『橋本梧郎と水底の滝・旅の途中』の編集。
橋本先生とお連れ合いのゆきさんのささやかな言動から、ブラジル日系移民史の裾野が拡がり、伏流が垣間見られる。

わが作品に、旧石器時代のヨーロッパの洞窟壁画に通じるものを感ず。

「少なくとも、鑑賞を目的として制作された作品ではない。」
『洞窟へ 心とイメージのアーケオロジー』港千尋著、せりか書房。


あ、一歩も外に出なかった。
お籠(こも)りで編みものに調理、まさしく冬場の旧石器文化生活。
なんだか、ふらふら気味。


8月12日(火)の記 Segallとふたりきり
ブラジルにて


時系列で。
朝、断食明けにおかゆさんをいただく。
(なぜ、おかゆ「さん」というのか、ちょっと寄り道して調べちゃう)

『旅の途中』編集。
さてこの作品、どこまでいくか、具体的な見当をつけにかかる。
うーん、世間で望まれる「映画時間」を想定すると、帯に短しタスキに長しかも。
まあ、とにかくつないでいこう。

午後、世界を知るために出家。
今日からサンパウロで始まる中国の映画監督・賈樟柯/ジャ・ジャンクー特集をみよう。
CAIXA銀行の企画だが、文化センターの方かと思うと、映画館の方だった。

サバを読んでいた時間で、映画館から徒歩20分ほどの、日本語化がむずかしいがカタカナ英語でごまかすとサンパウロ市の「アート・キャビネット」に行ってみる。
歴史的建造物だろう邸宅を改造した場所。
ブラジルを代表するリトアニア生まれの画家Laser Segall展を開催中。
無料、訪問者は僕だけ。
ふと、市川の東山魁夷館にいたときの記憶がオーバーラップ。

こうなると、ぜいたくというより修行・求道の時間。
リオの売春窟の作品が目を引く。
ユダヤ人で、第2次大戦前にドイツを経てブラジルに移住したSegallだが、ナチスのホロコーストの実態が明らかにされるドイツの敗戦前から、ユダヤ人の迫害を絵画化している。
ほかに、移民船関係の作品もすごい。

売春窟、ユダヤ人迫害、移民船。
いわゆる「美しい」ものではないテーマを描かざるをえない、刻まざるをえない表現者の性。
ひとりで彼の作品と向き合うなかで、それが少しわかってきた感あり。

映画の時間があるので、ゆっくりできず。
恥ずかしながら、賈樟柯作品は未見。
中国映画は…ドキュメンタリーを除くと、飛行機で何度か見た『天洋海堂』以来かも。
あ、今日の作品は彼のことをフランス人の監督が撮ったドキュメンタリーだった。
少なくとも彼の作品を観たくなる作品だった。
カタログができるのは(おそらく)明日、システム設定のまちがいとかで途中で映写を中止してやり直し、とブラジルらしい。

夕食の支度に間に合うように帰れた。


8月13日(水)の記 橋本流、か
ブラジルにて


外は、氷雨。
311の翌週、首都圏で浴びた雨を思い出す。

買い物、早めの昼食の支度のあと、少し映像編集。
橋本梧郎先生ご自身の語りをより前面に出してみる。
旅の宿で出た「橋本流」のお話。
聞き取りにくいので、かなり字幕でサポートすることになろう。

夕方から、旧大陸で暮らす親戚が来る。
料理に腕を振るう。
鶏のから揚げ、少し手法を変えると異変が起き、うろたえる。
まあ、なんとかなった。
油の温度が低かった、ってことか。


8月14日(木)の記 サウスアメリカンキャラウエイ
ブラジルにて


午後から、用事を抱き合わせてセントロ:ダウンタウンに出る。
まずは市営市場へ。
ここに至るまでの喧騒が、なかなか。
日銭をえようとする人々の、ささやかながらたくましい労働ぶりに、我が身が情けなくなる。

市場でのメインの探し物は、ザワークラウトにつきものというキャラウエイシード。
高級スーパーで既に存在を確認していたが、お値段がよすぎた。
袋詰めの香辛料が一面にぶら下がる店で、さっそく発見!
値段は高級スーパーの半額以下、量は倍以上あるのではないか。
自分で引っ張っても取れないので、店員に取ってもらって購入。
あとでよく見ると、製造年月日がこの4月で、賞味期限が10月となっている。
もう少し新しいのを要求すればよかったが、まあ製造年月日をごまかされるよりいいか。

シネ・オリドという老舗の映画館へ。
ここは現在、市の文化局の運営となり、1レアル(約45円)という破格の金額で意欲的なプログラムを実施している。
ここのウエブサイトにアクセスしないと詳細なプログラムがわからないのだが、垂涎ものの企画が少なくない。
現在、Raoul Peckというハイチ人の映画監督の特集がかかっている。
この監督の情報は日本語でこそ見当たらないが、ハイチの文化相にもなった人で、作品はカンヌなどで上映されていて、人権団体からの表彰もいくつか。

英語題名が『The man by the Shore』という1992年の劇映画を鑑賞。
独裁政権下の恐怖を、少女の目を通してつづる。
「これは、悪夢…」
安倍政権が暴走する祖国の近未来に感じる恐怖だ。

プログラムと入場料は申し分ないが、観客層が…
独語を発し、臭気が付近に漂う人、高いびきを続ける人、場内での罵り合い…
40年ほど前、東京のドヤ街近くでの映画館での思い出したくない体験がうずく。
プログラムが意欲的なだけに、婦女子にはすすめられないこの環境を善処できないものか。


8月15日(金)の記 旧盆・アマゾン・パレスチナ
ブラジルにて


午前中、アマゾン、日本人移民がらみの用件で、日本にいくつか電話。
盂蘭盆にふさわしいはたらきができたように思う。

さて。
サンパウロで「アラブ映画の世界」という第9回目の特集上映が始まった。
先週のユダヤ映画祭といい、タイムリーな好企画だ。
パレスチナで、パレスチナ人の手で製作されたという映画をぜひ見ておきたい。

夜、2本を観ることに。
会場はアウグスタ街のCINESESC、昨日のシネ・オリドとのギャップがすごい。
料金はオリドの10倍だが、それでも10レアイス、邦貨にして450yenどまり。

まずは英題『The Return to Homs』、ドイツ・シリア合作で2013年製作のドキュメンタリー。
シリアの都市ホムスで、内戦を武装市民側で3年間にわたって記録した映像をまとめたもの。
こういう映像を見ることができるというのが、すごい。
恥ずかしながら、こちらがシリア情勢をよく把握していなくて、申し訳なし。
政府軍に囲まれたこの地区では、水は、食料は、電気は、トイレはどうしていたのかなど、知りたくなる。
最後のクレジットをみると、日本のNHKも共同制作に名を連ねていた。

そしてお目当てのパレスチナ映画『Omar』。
2014年の米アカデミー賞の外国映画部門にノミネートされたという。
一行で解説するとなると、:反イスラエル当局の闘争を続けるパレスチナ人青年たちを描く。
そんな簡単な話ではないのだけど。
緊張感あふれ、よくぞこんな映画を、の思い。
上映後、出演したパレスチナ人俳優との質疑応答あり。
深夜11時になるも満席の会場を立つ人はほとんどなく、発言者が絶えない。
アラブ語での直接の質問者もあり、自分もパレスチナ人だと名乗ったうえでの発言も。
ユダヤ人と、パレスチナ人が争うこともなく一緒に暮らしているブラジル、サンパウロをどう思うかという質問に、「来てまだ四日なので、よくわからない」、「そもそもブラジル人がもう少し英語がしゃべれるといいですね」と切り返される。
日本人は、どうよ。


8月16日(土)の記 MOLOCH TROPICAL
ブラジルにて


一期一会。
いま見ておかないと、もうチャンスはなさそう。
ということで、午後から一昨日のシネ・オリドへふたたび。

ハイチ人の映画監督Raoul Peck作品特集。
まずは『Haitian corner』というドイツ・フランス・アメリカ合作の1987年の作品。
ニューヨークのハイチ人コミュニティが舞台。
アメリカが舞台でありながら、台詞はフランス語/クリオールが中心。
ほとんどスペイン語が聞こえなかった『ブエノスアイレス』を思い出す。
コロニア映画、というジャンルありか。
こちらの編集中の全編ブラジルロケの『旅の途中』も日本語ばっかし。

次の『MOLOCH TROPICAL』、ハイチとフランスの合作で2009年の作品だが、これはすごかった。
いきなり、雲海漂う熱帯の山中の、マチュピチュをほうふつさせる石造建造物が。
多分にハイチがモデルの国。
「民主的に」選ばれた独裁者が、国の独立200年式典を大統領官邸である山上の石造りの要塞で挙行しようとしている。
しかし民衆は反政府行動を繰り返し、諸外国もこの政権を見放そうとしている…。
とにかく、ロケーションがすごい。
どうやら、ハイチの山中にある、世界遺産にも指定されているシタデル・ラフェリエール要塞がロケ地のようだ。
『ヒトラー 最後の12日間』『日本のいちばん長い日』『ハムレット』あたりをほうふつさせる滅びの叙事詩の大作。
細かい設定、台詞がまたいちいちよろしい。
熱帯の、ラテンアメリカの狂気たっぷり。
なんと、これだけの映画が日本語でのレビューがまるで見当たらないではないか。
いつまでも、余韻に浸っていたくなる。
この映画を観れて、よかった。


8月17日(日)の記 民族から民俗へ
ブラジルにて


インディオ系が重なる。
昨日、ブラジルで故・豊臣靖ディレクターと親しくされていた方から連絡をいただいた。
それを受けて、不肖岡村がBS朝日の「牛山純一・20世紀の映像遺産」シリーズで豊臣さんの大アマゾンものの解説をさせてもらったことがあるのを思い出し、その素材を探し出したところ。

昨夕、シネ・オリドに貼ってあったポスターで、15日から「ALDEIA・SP」と題した先住民映画特集が始まっているのを知った。
ネットで調べると、インディオたちが自らをビデオで記録した作品の上映の由。
今日はRaoul Peckのコンゴものを観に行こうかと思っていたが、お膝元の先住民を優先、午後からサンパウロ文化センターへ。

おう、入り口にアイウトン・クレナッキ(Ailton Krenack)がいるではないか。
ブラジル先住民のオピニオンリーダーだ。
彼とはサンパウロで、日本で、彼の地元のミナスで付き合いあり。
2年前のリオの「+20」で会えるかと思ったが、かなわなかった。
取り巻きがいるので、控えめに近づく。
彼もこっちに気付いて、抱擁。
取り巻きに僕を「ジュルア川(アマゾンの支流)を一緒にのぼった仲だ」と紹介。
「それはナガクラ(長倉洋海さん:ちなみに長倉さんはAiltonを「アユトン」と表記)だよ。僕はミナスのインディオ祭の時と…」と訂正。
ようやくジャポネースの個体識別ができたようだ。
「で、キミはナガクラの僕へのインタビューを、ポルトガル語にしたのか?」
と聞いてくる。
まるで関知していない話。
アイウトンとは別件の未処理事項があるので、彼の言い分を聞いておく。

さて映像の方は、先住民たちにオーディオビジュアルの講座を行ない、いくつかのグループに機材一式を提供、その成果である。
ブラジルでは今後10年で約30パーセントの先住民の言語が失われてしまうだろうという。
その記録というのがこのプロジェクトの狙いのひとつ、とパンフレットにあり。

コトバもわからないハクジンがずかずかと乗り込んできて撮り去っていく映像とは、根本が違う。
仲間が撮っているという、いい意味でのホームビデオの空気が漂っている。
部族語での会話が雑味の部分までポルトガル語字幕化されているのがよろしい。
裸族の猟奇から、民俗の日常へ。

僕のブラジル移住の時期、インディオたちが自らビデオをまわす、というのがニュースになり始めた。
今回の映像も編集はハクジンが行なっているケースが多いようだが、ここまできた。
あと10年もしないうちに、国際的に認知されるブラジル先住民の映像作家と映像作品が生まれるかもしれない。


8月18日(月)の記 リベルダージの迷宮
ブラジルにて


さあ今日も一日、断食。
『旅の途中』、編集再開。
ハイネの話が出てきたぞ。
ベニニという、島の名前にもなっている不老長寿の話。
ハイネとベニニ、日本語ではほとんどヒットしないぞ。

夕食の支度をして、映画を見に行くことにする。
先週末に封切られたブラジルの映画だが、一週間で終わってしまう懸念から。
『Estação Liberdade(リベルダージ駅)』、Caíto Ortiz監督。
リベルダージ駅はサンパウロ東洋人街にある地下鉄の駅。

この映画、昨年のサンパウロ国際映画祭で一度、公開された時に行ってみたのだが、関係者ばかりが陣取ってすでに札止めになっていた。
しかし今日、行くつもりのショッピングモールにあるシネコンでは、先ず人の入りが望めないと見た。
夜19時30分の回で、こっちを入れても二ケタまでいかなかった。

して、そのお話。
マリオ・クボというサンパウロに暮らす日系ブラジル人が、日本から日本語の手紙を受け取る。
マリオは日本語の読み書きができず、無意識のうちに夜の東洋人街をさまよい始める…
以下、ネタバレあり。

冒頭から311の津波の映像。
日本語や中国語の会話もあるのだが、まるでポルトガル語の字幕を出さない強気。
監督、製作、脚本ともガイジン(非日系ブラジル人)だけというのもスゴい。
ガイジンたちが、サンパウロの東洋人街にどのような妄想を抱いて発酵させたかが、そういったのに寛容なムキには楽しめる。

それにしても、東洋人街の連れ込みホテルの部屋のテレビで葉切りアリの映像が流れているなんぞ、この監督、タダものじゃないかも。
サンパウロの東洋人街のアヘン窟なんてのも、安倍首相夫妻にお見せしたかった。

オレだったらこんな妄想シチュエイションにするのに、などと脳内映画を製作していく楽しみ。


8月19日(火)の記 インディオのプログラム
ブラジルにて


ポルトガル語に「Programa de índio」、インディオのプログラムという言葉がある。
でたらめな、あるいは望ましくないものごとの形容として使われる。
「ブラジル時間」「沖縄時間」を好ましくない意味で使うのに近いかと思う。

この語を調べてみると、もとは森の散歩といった自然がらみのプログラムに使われていたものが、否定的なニュアンスを帯びてきたとのこと。

さて、今日も「ALDEIA・SP」、インディオ映画特集プログラムに向かう。

午前中に買い物、自作の映像編集も進めて、家族の夕食の支度も済ませた。
15時、17時、19時30分と三回の異なるプログラムをすべて見るつもり。
サンパウロ文化センターのチケット売り場でまずは15時の回のチケットを購入。
一昨日と同じホールと見たが、まるで動きがない。
近くにいた女性のガードマンに聞くと、別の入口だと言われるが、結局これはガセ。
15時が過ぎ、センター側のスタッフを捕まえると、17時からだという。
印刷されたプログラムを見せ、ウエブサイトでも確認したことを言うと、いい加減な言い訳の後に「ひとりしかいないから」とホンネらしいのが出る。
ほかに、誰も来ないとは。
そもそも主催者不在ではどうしようもない。
プロジェクトそのものが目的で、少しでも多くの人に伝えよう、見てもらおうという意欲が主催者には欠けているようだ。
そもそも責任が欠如とは、残念。

センターのおじさんは17時には上映するから、他の映画の上映もあるよ、と希望を告げる。
このプログラムが見たいから万端繰り合わせたんだが。
持参した本を開いて、ダメモト覚悟で待機。
17時の回は最終的には他に「4人も」集まった。
19時30分の回、聴衆は二桁に。
最後に上映される、ヤノマモの映像作家志望の若者が自分の部族を撮った映像をぜひ見たい。
それぞれの回で短編をいくつか上映するのだが、最終回の2作目で映写事故、そのあとで最初の作品をもう一度かけるではないか。
僕は最前に近いところにいたし、後ろの聴衆はクレームもしない。
上映後の入場者もぱらぱらあり、気にならないのかも。
ホールの使用時間を理由にヤノマモの『精霊の家』の上映が取りやめになるのが心配。

が、上映はされた。
映像製作を学んだヤノマモのモルザニエウがカメラをまわしながら、現場でシーンを解説する。
部族に向ける視線はやさしい。
彼は日曜には参加してトークも行なったのだが、今後とも映像を撮り続けたいとのこと。
彼の作品を観てから奈良、いろいろ質問したいことがあったのに残念。

はからずも、僕の「すばらしい世界旅行」時代のヤノマモ取材から、ちょうど30年。
その前に豊臣さんもベネズエラ側のヤノマモを取材していた。
僕がブラジルに関わるきっかけになったのも、日本人の「大アマゾンの裸族」嗜好が契機といえる。
そして今回、先住民自らが撮った映像の数々を見て、今日の諸相に触れることができた。

それにしても、ブラジルの豊かさとして、問題としてインディオの存在と抱える問題をより多くのブラジル人と共有していきたいものだ。
もったいない。


8月20日(水)の記 先生と私2014
ブラジルにて


『橋本梧郎と水底の滝/旅の途中』、僕にとってのヤマ場の素材の取り込み作業に。
インディオ映画祭の作品に、部族のシャーマンや老人が自分たちの知識をどう若者たちに伝えていくかというテーマを扱った作品が何本かあった。
僕は、橋本先生と自分のことを想った。

それにしてもこの作品、どうなるのだろうか。
今日も当初、想定していなかったつなぎを、撮れている映像に沿ってしてしまう。

夜、今福龍太さんの『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)をようやく読了。
「徹底的に遅く読む」ことなどが唱えられている好著。
「意図をもってつくられた作品は、ともすればその意図の方向に向かってしか問いも答えも紡ぎだせない。」

この言葉に背中を押してもらう。


8月21日(木)の記 記憶の創作
ブラジルにて


『旅の途中』、ヤマ場の手前までつなぐ。
それから今日も映画を見に出る。

まずはジャ・ジャンクー特集。
ポルトガル語の資料には『UNKNOWN PREASURE』とある作品。
(のちに正確な英題は複数形で、邦題は『青の稲妻』!と知る)
メリハリのないサイズのショットの積み重ね、役者とも素人ともつかない人たちのなかでの芝居。
こうした作品が国際的な評価を受けていることに、妙に心が休まる。

さて続いて、本命。
あのグラウベル・ローシャ監督の遺児、エリック・ローシャ監督が亡父のキューバ滞在時代にフォーカスを当てたドキュメンタリー、『Rocha que voa』(空飛ぶローシャ)。
ラテンアメリカ映画特集の一環で、監督との討論もありとのことで駆け付けた。

大半のシーンに父ローシャが「ポルトニョール(ポルトガル語っぽいスペイン語、あるいはその逆)」で語る音声に慌ただしく短くポルトガル語の字幕がかぶさり、映像はがちゃがちゃにエフェクトをかけているので、そもそも難解な字幕を追いかけているだけで頭が痛くなったというのが正直なところ。
自分がグラウベルについて知らないことがいかに多いかを気づかされ、また作品ではわからない製作の裏話のトークもあり、勉強になった。

さて福島原発事故の直後の日本で行なわれた父ローシャ特集上映にささやかながら自分もかかわったことをあかしたうえで、亡父とのことを質問してみる。
グラウベルが亡くなった時、自分は3歳であり、わずかな父の記憶も実際のものなのか、あとから創作したものかもわからない。
そもそも記憶というものは創作だと思う、といった話をしてくれた。
まもなく彼の初めての劇映画が公開されるという。
フィクションも手掛ける映画人らしい記憶の解釈だと思う。


8月22日(金)の記 マヤと長江エトセトラ
ブラジルにて


午前中、『旅の途中』のヤマ場を一気につなぐ。
橋本梧郎先生との、真剣勝負の丁々発止。

さて、市バスにてイビラプエラ公園へ。
24日までの大マヤ展の観賞が主目的。
時間に余裕があるとナメて、まず停留所近くのサンパウロ大学現代美術館をのぞく。
先回、来たときは仮オープンだったが、いきなりとんでもないほどの展示群が始まっていた。
ニューヨークの大美術館に近い迫力あり。
かつての交通局の建物を改装したのだが、各階ごとに意欲的な展示が繰り広げられる。
両大戦間のイタリアアート展だけでもすばらしかった。
地上階にあるHenrique Oliveiraのオブジェは、僕には草間彌生展よりはるかに刺激的だった。
もったいないことに、人の入りは寒々と少ない。

公園内のOCAと呼ばれるドーム型の建物へ。
大マヤ展も、まさかまさかの長蛇の列!
草間彌生展よりは下回ったが入館までに45分、なかでさらに15分待ち。
400点近いブツが陳列されているが、僕には縄文土器のように萌えてこない。
待望の花弁にくるまれた小神像は面白かったけど。
これと同じ時期、同じ地方の、老神が若いオッパイわしづかみ中の像が気にかかる。

16時からぜひ観ておきたい映画があるので、先を急ぐ。
ジャ・ジャンクー監督特集『長江哀歌』、これが最後の上映。
巨大ダムに水没していく地域で翻弄される庶民のお話。
ずばり僕が編集中の作品とリンクする。

いくつか意味の取りがたい超常的なシーンが。
こっちも『旅の途中』につづく『ある博物学者の遺言』では最後に超常的な語りを考えているけれど。


8月23日(土)の記 20世紀の映像遺産
ブラジルにて


さすがに外回りに少しポーズを置く。
家のなかにも処理すべきことども、まさに山積み。

20世紀に、日本の実家で録画してもらっていたVHSテープを少しでも見る。
思わぬ番組のスタッフクレジットに、思わぬ知人の名前があったり。
野球中継の延長で、肝心の番組が取れていなかったりするのも面白い。
「火曜サスペンス劇場」などという、まず僕が見ることもない番組が全編録画してあったり。
いまは亡き肉親が、自分が見るために録画したのか、あるいはチャンネル等を間違えて録画したのか。
そんなのにもノーマル速度で付き合っていくと、それなりに考えることもある。

書籍であれば、マンガであれ週刊誌であれ、20年ぐらい経っても紙質の若干の変質はあるにせよ、ぱらぱらとめくることはできるだろう。
しかしビデオテープでは、日本でもブラジルでも多くの家庭ですでに5年以上前からビデオデッキが消失してしまっている。
ハードの変質により、内容も顧みられることもなく処分されてしまう映像遺産の膨大さに、目がくらむ。


8月24日(日)の記 サヨリのたより
ブラジルにて


未明に覚醒。
溜まっているビデオテープの番組は、あまり見たくない。
家族が買ったらしい『トウキョウソナタ』のDVDがあったので、見てみる。
西暦2008年、黒沢清監督作品。
予断を許さないストーリー展開。
相米慎二監督のロングショットをほうふつさせるが、相米監督の助監督もされていたのか。
登場人物の若者が東京に大地震が来るのを望んでいたり、外国の軍隊に志願するなど、当時のトウキョウから「余震」を読み取っていたことすら感じる。

路上市に、海幸を求めて。
一軒に、サヨリを発見。
キロ6レアイス:約270円、イワシやサバより安いではないか。
ブラジルではAgulha:「針」と呼ぶ。
恥ずかしながらこれまでサヨリをきちんと観察していなかった。
針状の突起は上顎かと思っていたが、下顎だった。
アマゾンの先住民カヤポが男の下顎に施していた円形の木板を思い出す。
ちなみに、このサヨリの針は機能不明とのこと。

自分でおろす。
イワシと違って、浮き袋が顕著だな。
少し刺身でいただき、あとは塩焼きに。
さっぱり系だな。
なんともお値段がありがたい。

日本では、サヨリは春を告げる魚の由。
サンパウロも、春か。
日中の街の温度計は33度まで上がっていたけど。


8月25日(月)の記 七回忌のイブに
ブラジルにて


在中国の友人の登場する夢を見た。
起床後まもなく忘れてしまう夢がほとんどだが、妙に記憶に残り、時候の挨拶とともに先方にメールで報告。

ここのところ月曜恒例となった一日断食を今日もたしなむ。
なんだか今日はこたえる。

『橋本梧郎と水底の滝・旅の途中』の編集続行。
大詰めの部分。
午後の用足しと買い物でいったん中断。
帰宅後、いっきにエンディングまで、えいやっ!とつないでみる。

夜、この作品のキーパーソンから電話をいただく。
次のステップへの、仕込み。

ちなみに中国の友から、さっそく夢のお告げを感謝するメールをいただいてしまった。


8月26日(火)の記 六年の過客
ブラジルにて


朝イチで、昨晩、つなぎあげた『橋本梧郎と水底の滝/旅の途中』を通しで試写。
わるくない感じ。

ヤボ用で東洋人街へ。
はからずも試写したばかりの拙作のクライマックスの現場の、いまを見る。
6年で、けっこう変わってしまった。

帰宅後、居合わせた家族で家の用事を少し進める。

夕食の仕上がり時間が遅れてしまうが、『旅の途中』の前作にあたる『南回帰行』を思い切って全編再試写。
なんだかこちらの橋本先生は、だいぶ生気がある感じ。
こちらの方は、「311」の直前にまとめた。
『旅の途中』はかなりヘンな作品ではなかろうかとうろたえていたが、『南回帰行』の方がヘンかも。
けっこう『旅の途中』の方が快適かも知れない。
内容にこめられた毒は、さておくとして。

「311」をはさんでの三部作のまとめとなってしまったが、『あもれいら』もそうだった。
はからずも両方とも、主な舞台はブラジルのパラナ州。

橋本梧郎先生の七回忌の日に、再生した先生と、ばっちりお付き合いさせていただいた。


8月27日(水)の記 ナレーション書きになれるまで
ブラジルにて


他の追随を許さないというより、誰も追随してくる気配もない。
拙作『橋本梧郎と水底の滝/旅の途中』、橋本先生の七回忌の日を過ぎて、僕にとっての橋本先生を作品中に取り込んだ思い。

今日から、手書きのナレーション草稿を本編集作業の映像と合わせて推敲しながら、パソコンに入力していく作業に入る。
前作『山川建夫 房総の追憶』はナレーションがなかったから、この作業は『消えた炭鉱離職者を追って・サンパウロ編』以来。

その間に、使用中のノートPCのワード試用期間が終了してしまった。
あらたにオンラインでカネを払えば使用できるのだが、むむむ。
ネットで無料のソフトを調べて、いちかばちか、Open Officeという無料の日本語ワープロ機能をダウンロードしてみた。
とりあえずヘンな事態は生じず、どころかWordより使い勝手がいい感じ。
どちらにしろ、こちらはシンプルな機能で十分なのだ。

さて、ナレーション原稿をこれまでのように横画面で右側から縦入力できるかどうか。
できんか、しゃむない、横書きにしようかと試行錯誤しているうちに、オッケーとなる。
これもWordよりいい感じ。
特に宣伝が出てくるわけでもなく、いったいどのように運営しているのだろう?

おかげさまで、出だし快調。
機械と人の無事故を願うばかり。

ツイッターで「パレオダイエット」というのが流れてくる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20140826/270378/?rt=nocnt
旧石器時代の食の見直し。
こっちは本業も旧石器時代の焼き直しのつもりだけど。

8月28日(木)の記 街で待つとき
ブラジルにて


夜、お招きに預かる。
場所は東洋人街。
ついでに3月25日街での買い物を抱き合わせる。

30分強の時間の余裕あり。
セントロ(中心街)の本を開きたいお気に入りのカフェは16時過ぎで閉まってしまう。
東洋人街となると…
そこそこ本を読めるのは、和風マクドナルドの地下ぐらい。

夜の酒席、今日はもっぱら脇役で聞き役。
お店の常連さんも加わり、年商は何百万ドル、従業員が何百といった話を拝聴するにつけ、ため息。
何百だったか何千だったか。
カウンターのなかで一人黙々と魚をさばくご主人がまぶしい。


8月29日(金)の記 二日酔いに小説
ブラジルにて


二日酔い、頭痛。
昨晩はウイスキー2種、イモ焼酎、ウオッカのカイピリーニャをいただくことに。
一件目のお店でホストが飲み仲間の駐在社長と盛り上がってカラオケスナックに行こうということで、こちらもご相伴にあずかり。
駐在社長の送迎車で送っていただくことになったが、まず社長さんのお宅に寄り、その後こちらの帰還は午前2時前。
社長さんは今朝も元気にお勤めだろうか。

無常観のなかで、小説が読みたくなる。
奥泉光さんの『滝』という単行本の「その言葉を」という中編をめくってみて、引き込まれていく。
東北の高校を出て、浪人の末、東京の大学に入った主人公はジャズにのめり込んでいくが、思わぬところで高校の同級生と再会。
『ノルウェイの森』をほうふつさせるが、大学生の主人公がけしからんほどヤリまくるノルウェイ…より、けっしてモテることのないこちらの方が感情移入ができる。
舞台は埼玉県川口市。
畏友の映像作家・岡本和樹さんが川口で市民との映像プロジェクトをいくつか実施していて、それを拝見しているのでその辺からも親しみがわいた。

うちに二日酔いの呪縛もだいぶ逃れ、ようやくビデオ編集機を再設置、少しだけ作業をすすめておく。

葉野菜の在庫がかなりのもの。
夜は、薄切り豚肉とともに鍋風でいく。


8月30日(土)の記 妹観音ふたたび
ブラジルにて


ついに、この日が。
奇縁が重なり、伊豆大島の富士見観音像の妹分の、ブラジル・スザノ金剛寺富士見観音像を久しぶりに拝む。

他人の魂の救済、特に病、貧困、迫害などで弱い立場に追い込まれている人のお手伝いをすることこそ、この世で生きる価値ではないかと気づかせていただく。

大サンパウロを抜けると夜道は真っ暗。
道路標識は不十分、カマボコ型の障害物、後ろから前から横から交通法規無用でぶっ飛ばしてくる車、無灯火の自転車に自動車!等々。
命がけの運転、ああ無事でよかった。


8月31日(日)の記 日曜の滝
ブラジルにて


ただいま制作中のは『橋本梧郎と水底の滝』シリーズ、来年にはまとめ上げたい『リオ フクシマ2』のクライマックスは「魂の滝」のシーンとするつもり。
思えば、滝がキライという人はいるのだろうか?
高所恐怖症系の人はダメかな。

昨日の運転疲れで、肩が痛い。
奥泉光さんの中編『滝』を読む。
これは、すごい作品だ。
ヘルツォーク監督の映画『アギーレ・神の怒り』を想い出した。

古神道の流れをくむ新興宗教の、若者たちの「山岳清浄行」。
宗教とは、組織とは。
「蜻蛉」や「蟹」の登場がまた圧巻。
作者は、夢のなかから生まれた作品で、特定のモデルはないと言うが…
いやはや凄い小説を読んでしまった。
学芸大学のSUNNY BOY BOOKSさんで、新刊文庫本よりずっと安い値段で単行本が出ていて、タイトルに魅かれて購入したもの。

路上市で小ぶりのカツオと、タラの切り身を購入。

facebookで在日本の中南米コネクションの知人から送られてきたスペイン語の添え書きのあるメッセージの映像ファイルを開けようとして、マルウェアに感染…
この時期、訪日して東京でデング熱にかかるのとどっちがよかったかな。
ご迷惑をおかけした方々、改めてお詫び申し上げます。


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岡村淳 :  
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