9月の日記 総集編 奇跡のパラグアイ映画 (2014/09/02)
9月1日(月)の記 梧郎VSハイネ ブラジルにて
さあ今日も月曜恒例の一日断食。
『旅の途中』の編集も佳境に。 ハイネの詩にちなんだ命名のBimini農場訪問のシーンを、字幕付しながら編集。 今回の作品では、聞き取りにくい橋本先生の発言の多くに字幕を施すことにしたが、それ以外では最も字幕の多いシーン。
サンパウロ市を離れている、ゆき夫人にご覧いただく段取りもすすむ。 慎重にいきましょう。
9月2日(火)の記 台所の泣きどころ ブラジルにて
ビデオ編集の合間の炊事か、炊事の合間のビデオ編集か。
赤かぶの葉っぱをどうしようか。 菜飯は、先回からまだ日が経っていない。 ネットでレシピを調べ、ナムルに挑んでみる。 ナムルを自ら作るのは初めてだが、悪くはないかも。
冷蔵庫にあった豆、ふつうの小豆かと思っていたが、二まわりぐらい大きい。 大納言という品種だろうか。 大納言でも赤飯にするようで、昨日から水に漬けておいた。 もち米で炊いてみるが、あまり赤くならない。 赤飯というより豆ごはんだが、食べられないことはない。
さて、納豆作り。 今回はまるで粘り気が出ない。 日本製の納豆の納豆菌を用いたものの四代目にあたるが、納豆菌が死滅ないし退化してしまったようだ。 うーむ、冷蔵庫に一日置いて様子を見て、煮豆として転用するか。
9月3日(水)の記 字幕アート ブラジルにて
字幕づくりが続く。 これは、アート:美学であり、ワザであると考える。 なるべく画面をつぶさないこと、より読みやすく理解しやすいことを心がける。 翻訳字幕では、思い切った意訳もしてみる。
ターザンの遺志、じゃなくて他山の石。 ブラジルで上映されるもので、二行にわたる長い翻訳字幕が2秒ぐらいで次々に切り替わっていくのがある。 とてもじゃないが読解が追いつかず、映像と音声にもついていけなくなってしまう。 コミュニケーションを望まない、ただ機械的な字幕付け作業のなせる業か。
常に遅れて出てくる翻訳字幕というのも、落ち着かずイヤなものだった。
午後、気になるドキュメンタリー映画を見に、街に出る。 証言ものでありながら、体感で全体の8割がたに音楽が乗っかっているといううっとうしい作品だった。 100人ぐらいのキャパのコヤで、10人未満の入り。 後列の二人の老女がしゃべりっぱなし。 「シーッ!」という別の客の中止があってもご意見無用。 こういうのは、どうすべきか。
さあ自分の作品づくりに戻りましょう。
9月4日(木)の記 マメオヤジ ブラジルにて
午前中は、堅実にビデオ編集。 いよいよ、「先生と私」の章に。
日本からの客人と昼食。
さて失敗作とみた納豆、台所で24時間以上寝かせてみたが、あいかわらず納豆菌のはたらきはおきていないようだ。 以前の納豆作成時、知人から稲わらを使ったら、とアドバイスをいただいたが、大サンパウロ圏で稲わらを入手するのは、藁をもつかむ思い。
もとの大豆は2合分も煮たので、煮豆料理として転用を図る。 チリビーンズというのはよくわからないが、トマトピューレ、ウインナーソーセージ等と煮てみる。 柔らかく煮た大豆とソーセージの食感が重なってしまうため、タマネギ、ピーマン、パセリを増量。
ロンドン、ドバイ、アブダビあたりのトランジットで食べた煮豆料理よりよろしいお味になったかと。 クミンが見当たらなかったので、もと目黒区民としては補充せねば。
9月5日(金)の記 聖市郵便事情 ブラジルにて
今日も粛々と『橋本梧郎と水底の滝/旅の途中』の「先生と私」のくだりをつないでいく。
午後、日本への手紙を二通ほどしたためる。 週始めにと思っていて、ずるずると週末になってしまった。 記念切手のストックがだいぶ乏しくなってきた。
郵便局は、まさしくあふれる人の混みよう。 番号札を取ってから、まず近くの銀行の用足しを済ませる。 郵便局の待ちの間、ビニールカバーを施した鈴木隆祐さんの『東京B級グルメ放浪記』を開く。
それにしても、どうしてこんなに郵便局が混み合うのか。 ブラジルでは日本のような民間の手軽な宅配便のシステムがない故かと。
さて、わが手紙は日本あて航空プライオリティ便で50グラム未満分の切手を貼りめぐらせておいた。 カウンターでお姉さんが量ると、20グラムすれすれではないか。 切手貼り過ぎてるけど、いいの?と聞かれるがOKとする。
A3サイズのコピーを同封して、以前同じものを我が家で量ったら30グラム近かったと思うのだが。 河岸を変えて2軒のコピー店でコピーしたので、店によって用紙の重さが違ったのかと。
ちなみに昨今の日本-ブラジルの郵便事情。 日本からは普通便で1週間かからないこともしばしばだが、ブラジルからだとひと月以上かかることも。 ブラジルでは郵便局員のストもしばしばで、郵便を過信しない方がいいかも。
ゆったりとして料金も安くない郵便は、豪華客船のような贅沢行為になりつつあるのかも。 ヒマのない貧乏便はネットを使え、バーチャルでがまんしろ、とか。
9月6日(土)の記 奄美・埼玉・北インド ブラジルにて
夕食にカレーを作ろうということになった。 午前中にタマネギ、ジャガイモ等を買い出し。
日本でいただいた「島おこし・奄美カレー」というルーを用いる。 クロウサギの絵があるが、ウサギの肉を使用しているわけではない。 奄美産の生ウコンを使用している由。
さあ、隠し味。 ザワークラウト用に多量に買ってしまったキャラウエイシード、色あせてきたオレガノなどを投入。 冷蔵庫をみるとカシューナッツの砕片がある。
かつて茨城での上映会に来てくれた人がカレーづくりを生業にしているとのことで、カレーにはカシューナッツが必須と教えてくれたのを思い出す。
とりあえず、控えめに投入。 食後にネットで調べてみると、カシューナッツは水に混ぜて機械で細かく潰して用いるようだ。 カレーにカシューナッツを用いるのは北インド、ムガール系のお味とのこと。 カシューナッツは南米が原産のはず。 ポルトガル人が、インドに運んで行ったか。
さてこの奄美カレー、パッケージをよく見ると、製造元が埼玉県ではないか。 販売は、奄美。 奄美で生産したウコンを埼玉で加工して、また奄美まで運んでいるのか。 なかなかフードマイレージのかさむ島おこしのようだ。
9月7日(日)の記 日曜をあるく ブラジルにて
早朝7時前から、地下鉄二駅ほど歩く。 日曜は早朝から夕方まで、我が家の近くでは地下鉄の上を走る大通りの片側一車線ずつが自転車専用レーンとされるようになった。 レーンの境にコーンを連ねて、各辻には赤い旗持ちのスタッフを配置しているから、相当のコストがかかっているはずだ。
いっぽう歩行者の方には、交通量の多い交差点で歩行者用の信号機も設置されていないところが少なくない。 歩行者は目前を横切る車道用の信号を見て、あわせて車の動きを読みながら横断しなければならない。 そもそもいかに歩行者の利便性など考慮されていないかは、すこしサンパウロを歩いてみればわかる。 行政は車を使わず歩くような層より、日曜に自転車を乗り回せるような層におもねることになった。
にしても、歩きによる発見の少なからぬこと。 例えば、開かずの修道院の門が開放されていたり。 通りのこっち側だったら、なかの植生と昆虫相を垣間見たいところ。
想えば、ヒトは地上に降り立って以来、数百万年以上にわたって、歩きの速度で外界を認識してきたわけで、人として当然であるな。
ここに、アルケオロジーの醍醐味あり。
9月8日(月)の記 怪異・ブラジルの銀行 ブラジルにて
さあ今日も日毎の糧を絶ち、『旅の途中』の映像編集の詰めを続ける。 次回訪日便の押さえも、そろそろ。
買い物と銀行。 ブラジルの銀行では、怪異なことが少なくない。 ATMの操作では、カード挿入後、4ケタの暗証番号を入力、さらに3ケタの暗証番号の入力を要求される。 こちらが自分の口座に入金する際も、この煩瑣なステップである。
先週は5台のATMがあっても入金対応ができるのは1台のみで、行列。 銀行にカネを入れて差し上げるのに、なぜにこんな仕打ちに。
本日はATMですべての操作終了時に、この機械では払込証明所が発行できないので、他のでやり直されたし、との表示が。
人の方が、機械にサービスするという「奇怪」さ。 そもそもこの銀行、もとは日系だったのが合併吸収されて、さらに合併吸収されて。 嗚呼。
9月9日(火)の記 中年よ大豆を抱け ブラジルにて
世の中でTwitterやfacebookが全盛となり、拙日記サイトはアクセス数も低減となった。 書き手同様、低値安定といったところか。
先週、大豆のことを書いたら、複数の方からの反響があった。 日本の知人が、「大豆マヨネーズ」というのを教えてくれた。 ネットで調べてもヒット数はまばら、知る人ぞ知る存在のようだ。
ふたつほどレシピを見つける。 卵黄の代わりに茹でた大豆と茹で汁、油に酢、塩。 いずれにも、ハチミツとマスタードを入れるようにとある。
ゆで上がった大豆で、納豆作りと合わせてやってみる。 これは、すばらしい味わい。 福音である。
そもそも今回、ブラジルに戻ってから卵黄を使った手作りマヨネーズを作成して、本人はまんざらではないと思っていた。 しかし、子どもに時間の経った生卵の食中毒事件を指摘されてしまった。
そういえば。 ブラジルでは、日本のいわゆるポテトサラダのこともマヨネーズと称している。 かつて当地で日系人グループも愛用していたリゾートホテルで「マヨネーズ」の食中毒が発生、死者も出したかと。 てっきりポテサラかと思っていたが、自家製マヨネーズか。
マヨったら、大豆でいこうか。
9月10日(水)の記 ノヴェンバー・ステップス2014 ブラジルにて
さあ『旅の途中』もある程度、完成のめどがついた。 別件もある。
10月末にブラジルを出て、12月はじめに戻る予定で訪日のフライトの押さえにかかる。 まずは、すでに日本での上映・講演のご希望をいただいている方々におうかがいの連絡を送り始め。
『旅の途中』のナレーション原稿の読み合わせ。 うーむ、なおもカットの組換えをしてみる。 来週はじめの関係者試写への備え。
サンパウロは、冬からいきなり初夏に突入した感じ。
9月11日(木)の記 MADE IN PARAGUAI ブラジルにて
ブラジルで「パラグアイ製」といえば、ニセモノの、といった意味を込められがち。 それを逆手に取ったネーミングの、ブラジルではじめてのパラグアイ映画特集上映が始まった。 http://www.madeinparaguai.com.br/ お隣のブラジルで、しかも映画好きでも、パラグアイの国産映画なんてあったの?というのが普通かと。 日本の映画通なら『ブラジルから来た少年』というナチ残党ものの映画が、ブラジルとうたいながらパラグアイのお話だということを記憶しているかもしれない。
僕も以前、パラグアイ産の先住民を撮ったドキュメンタリーを見た覚えがあるが、見たということぐらいしか覚えていない。 僕自身はパラグアイでビデオカメラをまわしていて、思い入れのある国である。
さあ今日は一本にしようかと思いつつ、二本みてしまい、監督との質疑応答にも付き合ってしまう。 最初の劇映画『UNIVERSO SERVILLETA』はどこか先進国の話みたいな、経済的には恵まれているとしかみえない若者のお話。 次は『TREN PARAGUAY』という独自の味わいを持ったドキュメンタリーで、キュレーターのおじさんが、ブラジルの巨匠Eduardo Coutinhoも引き合いに出して監督を絶賛。
なんだかオトクな気分。 地球上で、パラグアイ産の映画を複数見ている日本人が僕以外にいただろうか? だからどうだと言われても。 後を引くではないか、もう何本か見ちゃおうか。
9月12日(金)の記 パラグアイのハンモック ブラジルにて
次回の日本での予定の調整で、あちらこちらの方々と交信。 『旅の途中』のナレーション原稿を、映像なしで読みあげて、新たに推敲。 買い物に出ると、外の温度計は30度を越している。 冬から、初夏へ。
今日もパラグアイ映画を見に行こう。 夕食の段取りをして、ミニ水筒に今日は紅茶を入れて。
『HAMACA PARAGUAYA』、「パラグアイのハンモック」という国際的に評価されている劇映画。 台詞はすべてグアラニー語。 息子を戦争(チャコ戦争)に出した老夫妻の話。 これは、すごい映画だ。
映画にとって最も大切なのは、映画的な想像力だと思い知らされる。 「いくさ」というものが人の世に現れて以来の、人の普遍的なかなしみが描かれている。 ブラジルで、息子を徴兵検査に送った時のことを思い出す。 すでに総理大臣を筆頭に、戦争というものへの具体的な想像力を著しく欠いてしまった祖国日本でこそ見られるべき映画だ。
すごい映画を見てしまった。 パラグアイ、すごいぞ。
9月13日(土)の記 シロアリの空白 ブラジルにて
区分けしてそのままになっていた新聞・雑誌の記事の整理。 シロアリの翅や干からびた死体も出てくる。 結婚飛行で舞い上がり、わがアパートに潜入したのだろう。
そこそこに、新聞を食い荒らしてくれている。 311の翌年という、最近のものにも食指が動かされている。 「自然は芸術を模倣する」ぐらいの価値観の転換でとらえてみようか。 シロアリがポルトガル語の新聞と日本語の新聞のどちらを好むかという傾向を読み取るのも面白いかも。
ディジュリドゥという、オーストラリアの先住民起源の楽器がある。 シロアリに喰われたユーカリの木を用いる。 最近、サンパウロのパウリスタ大通りの大道演奏にもお目見えするようになった。 ブラジル人の大半はこの楽器が何なのかを知らないだろう。
今もブラジルは世界最大のユーカリ植林国だろう。 ブラジルでも、シロアリアートが生まれるかな。
9月14日(日)の記 有限不実行 ブラジルにて
昨日、チェックした新聞記事類が散乱しているので、整理。 ブラジルの日本語新聞の記事の、傾向を散見。 知人も含めて、華々しいプロジェクトを、例えば来年までに実現すると宣言している。 して、ご自身の設定した締切りから何年も経っている。 メディアで自ら公にした、いわば公約の経緯、責任はうやむやなまま、自画自賛の新たなプロジェクトを喧伝する。
不言実行という日本的美徳とは真逆の、有限不実行の貫徹がブラジル日系社会では横行している感あり。 日本の週刊誌の広告で「あの人は今」特集みたいのを見かける。 ブラジルの邦字紙にも記事にして片棒を担いだ諸々の公約のその後を検証する報道をお願いしたいもの。
他山の石。
9月15日(月)の記 聖州巡礼 ブラジルにて
今回、ブラジル滞在中のヤマ。 未明に起床、機材類を確認して駐車場へ。
サンパウロ市内で小橋節子さんをピックアップして、モジ・ダス・クルーゼスに向かう。 モジはサッカーのネイマールの出身地だが、こっちは裏文字の方。
ほいほいと行ける場所ではないが、助手席の小橋さんが的確に尋ねてくれて、さほど迷わずに済んだ。 橋本梧郎先生のお連れ合いの、ゆきさんを、モジのお嬢さんのお宅から、別の町のお嬢さんのところまでお連れして、編集中の『旅の途中』を試写してもらうという、僕にとっては覚悟もいるミッションである。
道中、ゆきさんから橋本先生をめぐる意外なお話をお聞きする。
ソロカバの町のお嬢さんは、「ホッチホウ」をつくっていてくれていた。 Hot Rollのことで、巻き寿司に衣をつけて油で揚げたもの。 そこいらのいんちき日本レストランのものは、がさつで油っぽくてげんなりである。 ところが、これはいけるではないか。 インターネットでレシピを調べて、自分なりに工夫したとのこと。 今ではブラジル人から注文を受けるようになったという。
サーモンとクリームチーズの巻き寿司を衣もつけて油で揚げるなどとは、日本文化圏の人間にはなかなか出てこない発想かと。 ガイジンによる新解釈が、ふたたびアレンジされて日本文化圏に取り込まれていくダイナミズム。 そもそも、ゆきさんは料理の上手な人だ。 橋本先生のお宅でも、ブラジルの食材を巧みに日本人移民の口に合う料理にしてくれていた。 さすがは、ゆきさんの娘。
死者を再生する試写。 橋本先生の聞き取れない言葉を、一緒に聞いてもらう。 ゆきさん、小橋さんに何度聞いてもらってもわからない言葉は、おそらく誰にもわからないだろう。 冥界の本人も、わかっていないかも。 しかし貴重な一言をあらたに字幕化することができそうだ。
走行はトータルで約400キロ。 慣れない夜道を飛ばすのは命がけ、あー疲れた。
9月16日(火)の記 『普天間よ』 ブラジルにて
昨日はお出かけとなったので、今日一日断食。
『橋本梧郎と水底の滝/旅の途中』、昨日の試写を受けて少し手直し。 「決め」の字幕テロップを施す。
読みかけていた大城立裕さんの短編集『普天間よ』(新潮社)を読了。 これは沖縄・牧志市場の古書店ウララさん主催の上映会で3月に沖縄に行った時、「ちはや書房」さんで買ったもの。 沖縄滞在の最終日、上映に協力してくれた言事堂さんは日曜でお休みだったのだが、近くにブラジルの国花イペーの並木があるようで、逍遥していて、ちはや書房さんに立ち寄り、購入した次第。
住民を戦争に巻き込んだ沖縄戦の諸相が、住民側の視線からまことに多様に描かれている。 その多様さに息をのむばかり。 表題作の『普天間よ』は、普天間基地問題を、こうした視点からとらえるとは、と驚きさえ覚える。
身近な病人の問題が重なるが、なんとか日を越した。
9月17日(水)の記 奇跡のパラグアイ映画 ブラジルにて
家族の問題があり、仕事はまさしくヤマ場を迎えている。 通常なら、映画を見に行くどころではない。
が、少し無理をしてでも見ておきたい。 パラグアイ映画特集上映@サンパウロの最終日、夕方から二本ハシゴ。
一本目は、パラグアイの軍政時代に同性愛者がいかにひどい扱いを当局に受けていたかを暴くドキュメンタリー。 二本目は、パラグアイで空前のヒットをしたという『7 CAJAS』(英題『7 BOXES』)、これが見たかった! 社会の底辺の人びとが主役の大衆娯楽作品なのだが、ブラックユーモアとスリルとともに映像美があふれ、映画としての品格がある。 映画的なテンポのよさ、ストーリー運びの面白さは黒澤の『用心棒』『椿三十郎』を思い出させる。 そしてほんの脇役までの人物描写のうまさ、細かさは『七人の侍』をほうふつ。
人生でめったにない、傑作映画を見ている感動に涙腺が何度も緩む。 こんな体験は…青少年時代の『七人の侍』『2001年宇宙の旅』観賞以来かも。
監督が男女二人組で、脚本は一人で書いたというのも驚き。 この二人はパラグアイのテレビドラマを手掛けてきて、大衆を喜ばすコツを磨いてきたという。 ポルトガル語で書かれたものの受け売りだが、パラグアイというハイブリッドを巧みに描き、極めてパラグアイ的であり、かつ普遍的なものを描いている。 パラグアイは海賊もの大国として知られるが、この映画に関しては大変な行列を伴ってのロングランが続いたものの、海賊版のDVDが出回ることはなかったという。 「これはオレたちの映画だ」という矜持がそれを許さなかった。 いちいち、すばらしい。 いい映画を見させてもらった。 ありがとう、パラグアイ、ありがとう映画。
9月18日(木)の記 町場の録音 ブラジルにて
さあ今日はサンパウロ市内の録音スタジオで『旅の途中』のナレーション録り。 けっこう緊張。 とはいえ、日本のテレビ時代みたいに若輩ディレクターをいじめるベテランナレーター、上にへらへら下にむっすりのプロデューサー等々との仕事ではないのでありがたい。
朝、ふたたび原稿をチェック、この期におよんであちこちいじる。
スタジオは、新しく開通した地下鉄の駅の近くの民家。 オペレーターひとりとの作業。 すでに気心が知れているので、スムース。
新たな機材を入れたとのことで、エフェクトを聞かせてくれるのだが、恥ずかしいことにどこがどう違うのかわからず、それを正直に告げる。 録音中の雑音を聞き取って教えてくれるのだが、もちろん彼は日本語がわからない。 で、録音後に僕がふたたび視聴してチェックをする。
彼は急に楽器を届ける用事ができたとのことで、外出。 支払いはお連れ合いと済ませることになる。 今度はお連れ合いが学校に子どもを迎えに行く時間とのことで、チェックが終わると、庭で日向ぼっこしながらその帰りを待つ。 この緩さがよろしい。
この地区は商店、民家、工房、学校、教会などがほどよく混じり合っている。 行き交う人たちもなんだかおっとり。 帰路は近くを散策。 ふと、僕の少年時代の東京の町を思い出す。
さあ、あとは地味な細かい作業の継続だ。
9月19日(金)の記 スーパー3 ブラジルにて
気分転換に、サンパウロビエンナーレにでも行ってみようかと思う。 しかし家族のシフトをかんがみ、さらに外に拡がる雨雲を見て、とりあえずやめておく。
今週は月曜の遠征、昨日の録音作業とヤマ場が重なり、買い物系がおろそかになってしまった。 すでに米櫃の残りも乏しい。 午後から、買い物。 徒歩圏のスーパーを三軒、ハシゴ。
録音済みのナレーションの整理作業も開始。 とことん、細かく。 新たに、ナレーションの当て位置によって、思わぬ効果が期待できるか所を発見したり。 さあこれは時間がかかりそうだ。
9月20日(土)の記 投書欄から ブラジルにて
9月20日が特別な日であることを、改めて思い知らされた。 ブラジルの日刊邦字新聞「ニッケイ新聞」の本日付の投書欄。 ふだんは、最初の一読の時は眼にも留めないことも多い。 たとえば今日のだと… 「国家斉唱の大切さ」 「安倍総理へのお願い」 「日本政府に対する提言」 といった調子。
ところが今日のは、たまげた。 「伊豆大島の清掃合宿」東京都・桑島忠克とあるではないか。 桑島さんは、無住となった伊豆大島富士見観音堂のお掃除隊長として知られる好漢で、日本のさきの連休の際にも観音堂のお掃除ミッションを敢行してくれたばかりだ。
この富士見観音堂は、藤川真弘師が海外移民、特に無縁仏の供養のために建立したもの。 藤川師は中南米、なかでもアマゾンの邦人の無縁仏の供養にとりつかれ、1986年9月20日、アマゾン河の支流のほとりで加持祈祷中に消息を絶ち、この日が命日となっている。
僕は藤川さんの足跡をたどって関係者を各地に訪ねて『アマゾンの読経』と題した作品にまとめているが、藤川さんは9月20日をその日と定めて行動していたことがうかがえる。 お彼岸を意識してのことだろう。
桑島さんの投書のなかには9月20日が命日だとは触れていないし、「真弘(しんこう)」の法名にわざわざ「まさひろ」とルビを振る投書欄の担当が気をきかせてこの日に掲載したとは考えにくい。
改訂版の完成までに、撮影開始から11年をかけた『アマゾンの読経』の初版完成からちょうど10年。 おかげさまで、ようやく胎動が始まったのを感ずる思い。
9月21日(日)の記 ぶどう園にて ブラジルにて
早朝、雨。 今回、ブラジルに戻ってから傘を持っての外出は初めてかも。 まもなく、止む。
メトロで二駅の距離を歩いて、カトリック教会のミサに預かる。 今日は、スザノ金剛寺で昨日が命日の藤川真弘師の供養がされるという。 事情によりスザノ行きがむずかしいので、こちらでお祈りさせていただく。 藤川さん自身が自分の覚悟して迎える死を、弘法大師の入定、そしてイエス・キリストの磔刑にたとえているから、ここで祈ることに問題はないと思う。
こんな聖歌でミサが始まった。 EU VIM PARA ESCUTAR:私は聴くために来た 「神のことば」を聴く、ということだろう。 今日のメインの聖書朗読はマタイによる福音書・20章の「ぶどう園の労働者」のたとえ。
イエスは、天の国を以下のようにたとえた。 ある主人が、ぶどう園で働く労働者を集める。 主人は早朝から働いた労働者にも、仕事が終わる直前から働いた労働者にも、同じ金額を払う。 早朝からの労働者が不平を言うと、主人は「友よ、」何の問題があるのかと答える。
神父のポルトガル語の説教はエコーがひどくて、僕にはほとんど聞き取れない。 家に戻ってからネット上で解説を探してみるが、なかなか意味がとらえにくい話だ。 本田哲郎訳の聖書も引っ張り出すが、一デナリオンが五千円になっていることが、新共同訳との大きな違いだろうか。
イエスは、友に何を言いたかったのだろう。 天の国を死後の世界ととらえるならば、とりあえずの死後の心構えとさせてもらおう。
9月22日(月)の記 ブラジルにて 編集三昧
一日断食をしながら、『旅の途中』のナレーションの音声の編集作業をすすめる。 来月末からの訪日中のスケジュールの調整も、同時に進める。 予定されていた上映スケジュールの変更希望が入ったり、うれしい上映計画がOKとなったり。 上映スケジュールを調整していくのも、まさしく編み物だなと思う。 とかいいながら、小学校の家庭科の時間以外で本当の編み物をした経験はないかも。
夜、いただきものの「花梅」をお茶にしていただく。 日本ではローゼルと呼ぶようだ。 ルビー色が鮮やか、酸味もよろしい。 さっそく酒に使えないか、ネットで調べてみる。 さてカシャッサとの相性はどうだろう。
9月23日(火)の記 心霊写真のあの人は ブラジルにて
最新作『旅の途中』の、日本の業界でいうと「ミックスダウン」と呼ぶ作業を行なう。 ヘッドフォンを使用、ナレーションの位置を動かしつつ、地の音とのバランスを調整する。 地の音の活かし、殺しを考慮して。
改めてヘッドフォンで何回も聞いていると、現場音に思わぬ言葉が録音されていることに気付くこと、しばしば。
先週末、読み耽った『心霊写真は語る』一柳廣孝編著(青弓社)を思い出す。 横浜シネマ・ジャック&ベティさんに立ち寄った際、近くの書店で「自由価格本」として店頭に販売されていたもの。 いかにもキワモノのシチュエーションだが、もちろんお金を買って買ったものの「拾い物」であった。
オカルトで心霊写真を語らず、アカデミックに多角的に分析していく。 心霊写真は19世紀の心霊主義のブームとともに「市民権」を得ていった。 写真に先行して、音声で心霊の存在の証左とする時期があったというのも、メディア史そのもので面白い。 ホラーの対象ではなく、肉親の「遺品」、パワーを持つお守りとして大切にされることもあるというのも興味深い。
「(前略)写真がつねに分割区分しえない何らかの過剰さをもっていることの証左なのであり、『芸術』も『科学』もそうした写真的な過剰さを祓うための呪文でしかないのである。」 「(前略)写真とはそもそもこれほどまでに統御しがたい厄介な存在なのであり、その最適な例が心霊写真なのではないかと考えてみることができるのである。」(いずれも前提書より)
静止画像にして、このとおりである。 いわんや、動画、さらにオーディオヴィジュアルをや。
そして私はチャネラーとなる。
9月24日(水)の記 罰金三昧 ブラジルにて
近くの銀行に、まさしく振り回されに行く。 まったくブラジルの銀行は不愉快なことが多い。 日本の城南信用金庫みたいに、お茶と飴玉のサービスでもしてもらいたいものだ。
メインの用件は暗礁に乗り上げたが、罰金の支払いを済ませておくことにする。 今年2度目の交通違反。 いずれも異国からの友人を案内していた時。 通常モード以外で運転する時は、いいカモにされる。
今回のはバス専用レーンに侵入したかどにつき。 サンパウロでは、主に右側の車線がバス専用レーンに設定されるところが多くなった。 右折の際は、どうするか。 レーンの境に引かれた白線が、破線になっているところから侵入しなければならない。
僕の場合は、右折するところを一つ手前と勘違いしてしまい、バス専用レーンに侵入して、すぐ先の右折地点までそのまま進んで監視カメラにキャッチされてしまった。 右折地点を間違えたら罰金というわけだ。 これは、もうワナそのものではないか。
バスレーン設定以来、今年限定のデータだったか定かに記憶しないが、サンパウロ市で20万件を超えるバスレーン侵入の罰金刑が課せられたという。 一件当たり邦貨にして約2500円だから、相当の額である。
ちなみに、今日の払いは期限以内の払いにつき20パーセントのディスカウントあり。 クルマを運転しないのが一番オトクだけど。
9月25日(木)の記 「死文」と「地獄」 ブラジルにて
完成間近の拙作『旅の途中』は、一気に作業せずに、少し寝かすことにする。 さあ今日はサンパウロビエンナーレを見に行くか。 今日はほいほいとバスも来てくれる。
会場のあるイビラプエラ公園に入ろうとすると、杖をついた女性の盲人に肩を貸していたおばさんが、後を頼んでくる。 彼女もビエンナーレに行くとのことで、手を取って歩く。 他人のことを言えた義理ではないが、やたらに早口で聞き取れない。 いちいち聞き返すより、公園を突っ切って歩いているので障害物に気を配ることを優先。
さてこのビエンナーレ、先回と先々回では会場の入口がまるで正反対だった。 そのことで「さて今年はどっちだろうか」と言うと、彼女はいらついた感じで行先を早口で指示してくる。 あれ、これまでとは建物の勝手がだいぶ変わっている感じ。 会場内のセキュリティがこちらを見つけて、彼女を引き受けてくれる。 名前も目的も聞かなかったけど、目明きの僕より行き先がわかっていた。
人出の少なそうな平日の午前中を選んだのだが、学校の団体がうじゃうじゃいて、これはこれでいやはや。 いずれにせよ日本だったらウン千円ぐらいとられそうなのが、なんたってタダである。
今年は全体に小粒な感じだが、かえってほっとする。 して、やたらに映像ブースが多いではないか。 しかも白黒フィルムのものが多い。
『LETRA MORTA』、「死文」というのを鑑賞。 こちらの報道で製作プロセスを読んでいたやつだ。 アルゼンチン人のアーチストが、サンパウロのファヴェーラ:スラム街をイエスの時代のパレスチナに見立てて撮影するというもの。 違和感がさほどないのが、すごい。 さる日曜に「聴いた」マタイ伝のぶどう園のたとえがずばり映像化されているではないか。 その理解には役に立たなかったけれども。 そもそも、イエスの福音を現代を舞台にして映画化したパゾリーニへのオマージュのようだ。 調べてみると、パゾリーニの邦題『奇跡の丘』、残念ながら未見。
もうひとつ『INFERNO』、「地獄」というのも2度観賞。 これは驚いた。 今年7月、ブラジル生まれのユニバーサルキリスト教会がサンパウロに、かつてのソロモン宮殿を模した巨大な建造物を落成した。 まさしくそれと思われる建物の崩壊をヴィジュアル化しているのだ。 これは、やばいのではないか、と思うが、世界のユダヤコネクションがクレジットされており、それなりの覚悟での挑戦だろう。
挑発するアート、か。
9月26日(金)の記 フェイスブックのこの人は ブラジルにて
フェイスブックに、身に覚えのないブラジル人女性らしい人から友だちリクエストが入っている。 なんのメッセージも添えられていない知らない人のこうしたリクエストは、まず受け付けないことにしている。
念のため、その彼女のページをチェックしておく。 居住地は、たまたま僕は行ったことがあるが、ブラジルのかなりの奥地である。 案の定、ブラジル旅行中の知人である日本人青年の写真が次々と出てくるではないか。 そして彼女はカレとの出会い、愛欲の日々を赤裸々にポルトガル語で明かしている。 そして、これまた案の定…
他人事ながら、ふたりの今後が心配である。
ちょうど、これまたフェイスブックで日本でジャーナリズムに身を置く知人のプライベートラブラブの記載や写真が流れてきたところ。 まさしく、おめでた過ぎかと。 もし少しでも権力を向こうに回す仕事をする意気込みがあるなら、これはヤバし。
なかなか、大変な時代になってきた。 こっちはもう、その方面は現役引退のつもりだからいいけど。 今後ますます、ネット情報をめぐって陰惨な問題が生じていくことだろう。
9月27日(土)の記 あの日にもぐりたい ブラジルにて
今日は、この本を読もう。 ずっと読みたかったのだが見つからず、なんとスーツケースのなかに温存したままだったのを発見した。
先の訪日時に東京・東松原の古書・瀧堂さんで求めた『絵とは何か』坂崎乙郎著・河出書房新社版。 同行してくれた下北沢の蕎麦処くりはらさんのマスターのすすめで購入した。
感覚とは快、不快によって左右される以上、本質的に自我に属している。この自我の、自己イメージの実現こそが制作者の唯一の目的であるとするなら、なぜ日本では未だに文化勲章などが温存されているのだろう。なぜ、芸術家が賞によって報いられる必要があるのだろう、他の、九五パーセントの平均人はともかくとして。 『絵とは何か』より
映像製作とはいえ、孤立無援の作業をしている身は、絵描きに近いものがあるかもしれない。 励ましていただく。
坂崎乙郎さんは、僕の大学生時代に所属していた大学で教鞭をとっておられたのだ。 ネットで調べると、ドイツ語の授業は厳しかったようだが、泰西名画をスライドで紹介する講義は立ち見も出るほどだったという。 ノーマークであった、残念。
終章で坂﨑さんが熱を入れて描くゴッホ像は、記録文学者の上野英信をほうふつさせるではないか。 同世代の河内美穂さんが刊行されたばかりの『萬人一人坑』の到着が待ち遠しい。
9月28日(日)の記 おこげ!たいめしくん ブラジルにて
マダイ属の属名がPagrus。 ギリシャ語でタイを意味するパグロスに由来するとのこと。 他意はない、なんちゃって。 サンパウロあたりではpargoという名前で売られている。
して、路上市で「新鮮だから」とパルゴをすすめられる。 キロ24レアイス、邦貨にして1000円強。 ちょうど1キロのを購入。
80代の魚好きの移民おばあちゃんに言わせると「腐っても鯛というくらいで」。 ネットで調べると、いろいろあるが「マダイは鮮度の落ちが遅い」という記載が説得力ありそう。
これまたネットでレシピを新たに調べる。 オレンジのカルパッチョ。 ちょうどオレンジにルッコラ、水菜があったのでまずはこれでいってみる。 わるくはない。 あとはお刺身、あら汁。 さらにアラで鯛めしを炊いてみる。
三合のご飯には鯛が少なかったか、そもそも白身なので家族にサカナが混ざっていることを看取されなかったりして。 オコゲもよろしいではないか。
9月29日(月)の記 聖州出張試写 ブラジルにて
次回訪日まで、ひと月ほどある。 目鼻のついた最新作『旅の途中』の感触を得ておきたい。
最近、日本からサンパウロ近郊の町に赴任した、気心の知れたご夫妻に試写をお願いした。 おふたりともこの作品の前作にあたる『南回帰行』も、その他の橋本梧郎シリーズも未見なので、格好。 が、お宅にはテレビがないという。
拙宅から再生機と液晶モニターを担いで、メトロと電車を乗り継いで先方の町に向かう。
引っ越しほやほやの新居でセッティング、三人で試写。 絶妙のリアクションをいただき、たくさんの気づきの機会となった。 新たに橋本梧郎ファンが増えたのは、うれしい限り。 ご両人とも今どきの日本の一般大衆からは、そうとうズレているけれども。
メトロと電車のラッシュを避けて、ぶじ帰還。
9月30日(火)の記 倦まずに編む ブラジルにて
今日は一日断食をすることにして、早朝より『旅の途中』のビデオ編集。 昨日の出張試写で気付いた諸問題点をまず修正。 さらに通しで試写をすると、まだ思わぬ恥ずかしい間違いを発見。 致命傷ではないことがわかり、粛々と修正。 モニターによって音声の聞こえ具合が違うのだが、もっとも無難なセンを基本とする。
夕食の支度までに、ある程度の見通しをつける。 今日はアパートから一歩も出なかったな。
旧石器時代。 ひねもす洞窟で編み籠の仕上げを続ける姿を思い浮かべる。 活火山の噴火のリスクを避ける智慧のあった時代。
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