10月の日記 総集編 祈りの虫 (2014/10/02)
10月1日(水)の記 忘れられない大学講義 ブラジルにて
メールをいただいて、息をのんだ。 在日本の知人からで、先週、この日記サイトで紹介した坂崎乙郎さんの大学の講義を実際に受けていたという。 ご本人のご了承のメールを本日、いただいたので、以下、紹介しよう。 確か、「芸術論」という講義だったと思います。 一般教養の科目をわざわざ4年になって選んだわけですから、友人から その面白さというか凄さを3年間聞いていて、「どうしても」という気持ち が強かったのでしょうね。 月曜の最終時限だったと記憶しますが、つまりその後教室は使われる予定が ないので、授業はエンドレスに続きました。 講義は後半になると、暗幕を閉め切ってスライドで映した絵を先生が解説 するのです。 ゴヤを絶賛していた、ピカソの弟の存在を知った、ジャコメッティや鴨居玲も、 印象派はまず褒めなかったな・・。 教壇に立つや、「自殺しようと思ってね・・」と切り出した日には、もう冗談 を越えていたので、教室内はシンとしました。
大学の講義で学生たちに自殺をほのめかし、実行するというケースは他にあるだろうか。 30年以上を経ても、鮮明に記憶される講義というのも羨望の思い。
坂崎乙郎先生は、画家の鴨居玲さんの後追い自殺をしたとされている。 恥ずかしながら鴨居さんの存在と作品は今回、坂﨑さんの本で初めて知った。 坂﨑さんの『絵とは何か』にずばり「インディオの娘」と題したアンデスの先住民とみられる鴨居作品の画像が紹介されている。
鴨居画伯は、南米を訪れているのだ。 ネットで調べてみて、こんなウエブサイトを見つけた。 http://www2.plala.or.jp/Donna/camoy.htm このなかに、鴨居画伯は南米で一時期を過ごしたが、”このように悩まぬ土地では絵は描けぬ”と認識した、とある。
彼はどこでどのような南米を見ていたのだろう。
10月2日(木)の記 “もう戦争はたくさん” ブラジルにて
『旅の途中』の仕上げ作業、午前中で一息つく。 機械もよく持ってくれた。 素材を少し寝かせることにする。
すこしチャンネルを変えたい。 VHSビデオの前世紀の日本での録画番組でも見ようか。
1995年の再放送番組で「スペシャル」とあるが、「日曜スペシャル」とみた。 『“もう戦争はたくさん”イクコさんボスニア脱出の全記録』、これは引き込まれた。 フォト・ジャーナリストの水口康成さんがボスニアの内戦の取材中に、現地の男性と結婚して暮らす日本人女性イクコさんの存在を知る。 水口さんは自ら8mmビデオカメラをまわして、イクコさんを訪ね。彼女の日本の実家にビデオレターを届けようとする。
この放送の前年に、僕は『常夏から北の国へ 青森・六ケ所村のブラジル日系花嫁』というビデオレターものを放送しているので、思うところいろいろ。 僕の取材の背景には、原発と米軍基地問題があった。 水口さんの方は、戦争と難民だ。 イクコさん自身の変化、子供たちがカメラ:水口さんになついていく過程が胸を打つ。 イクコさんのバックグラウンドが番組ではよくわからないのだが、その余白具合がかえって余韻を高めている。
傑作の部類の番組だが、なぜかこの番組名でパソコン検索しても、まったくヒットがない。 水口さんとイクコさんの名前で検索すると、それぞれの関連著書の存在はわかるが、その後のイクコさんのことはわからない。
僕にとってはかけがえのない番組を見させてもらったが、ネット上でこの命がけの番組の痕跡もたどれないとは、もったいない、あまりにもむなし過ぎるのでは。
10月3日(金)の記 キジュー・サカイをご存知ですか ブラジルにて
編集作業もひと段落ついた。 午前中はあまり愉快ではない他人の映像をチェックする。
気になっていた写真展に行くつもりだった。 が、朝、たまたまつけたテレビのニュースでトミエ・オオタケ文化センターでのメスチソ:混血展がこの週末で終了、と知る。 見逃すところだった。 これに行こう。
最寄りの地下鉄ファリア・リマ駅の構内で付近の埋蔵文化財展をやっているではないか。 このピニェイロス地区で、ヨーロッパ人到来以降の遺跡の調査が行われていた。 スタッフの女性が声をかけてくれたので、日本で考古学を学んだこと、アマゾンの考古学者と親しいことなどを告げる。 「キジュー・サカイをご存知ですか?」 おお、この名をブラジル人から聞かれるとは!
酒井喜重、北海道出身。 第二次大戦前にブラジルに移民として渡り、サンパウロ州の海岸地帯の貝塚の発掘調査などを手掛けている。 わが橋本梧郎先生とは、栗原自然科学研究所での同僚だった。 僕は「すばらしい世界旅行」の取材でブラジルにやってきて、サンパウロの高野書店で酒井さんの『ブラジル・サンパウロ州考古誌』を手に取って驚いた。 日本の考古学調査では、僕が最前線にいた1970年代後半ぐらいから、ようやく人工的な遺物以外の動植物の依存体にも目を向ける認識が一般的になり始めていた。 酒井さんは第二次大戦前のブラジルでそれを成し遂げていたのだ。
長らく日の当たらないままだった酒井さんの発掘資料は、僕に声をかけてくれた女性も関わり、サンパウロ州リンス市の博物館に収蔵されたことを教えてもらう。 ブラジルの日系社会ではサカイの業績どころか名前を知る人も極めてまれだと僕が語ると、彼女にはそれが理解できないようだった。
この展示は明日までだという。 なんという奇遇。 橋本先生とこの話ができないのが残念。
混血展の方は、カネにも枠にも困らないキュレーターが好きにやってるという感じ。 こっちは駅の構内展の興奮が収まらない。
10月4日(土)の記 テレビ供養 ブラジルにて
少なからぬ物量の、主に日本のテレビ番組を録画したVHSテープに目を通して、少しでも処分を図る。 知り合いの写っているドキュメンタリー番組がいくつかある。 細々ながら、僕が日本のテレビ界と関わっていた1990年代のものが中心。
採集狩猟民は、いたずらに採集、狩猟をすることはないだろう。 録画もしかり、という極めて不器用な理屈。 日本で録画されたこと、それがブラジルにあること、そしてまだ観賞可能なことが奇跡的な縁だと思えるし。
若干、精神的、時間的余裕が出てきたからこんなことができるのだが。
10月5日(日)の記 chewy noodle ブラジルにて
今日は、ブラジルの総選挙。 我が家のブラジル国籍所有者は、それぞれ投票場所が異なるのでややこしい。
昼は、以前から目についていた手打ちうどんの乾麺を茹でてみることにする。 賞味期限の記載はないが、311以前から我が家にあった気がする。 本場香川県の産だが、ゆで時間25分という「すばらしい世界旅行」の本編以上の長さである。
さて、手打ちうどんの「コシ」について異国でどう伝えるべきか。 語源をネットで調べてみると、「腰」ではなく「のど越し」という説もあり。 英語だと、コシのある麺は chewy noodle と表現するそうだ。 パスタでいうアルデンテの dente はポルトガル語と同じで「歯」の意味だと初めて知った。
讃岐うどん。 埼玉県の戸田市に親戚があり、休みの日に亡父が僕を車で連れて行くことがしばしばあった。 帰路、戸田橋を渡って板橋に入ってすぐ、左側に手打ちうどんの店があった。 まことに歯ごたえのあるうどんだった。 お店の人が、讃岐うどんは麺をそのまま食べても塩味がついていることを教えてくれた。 薬味は長ネギ、生姜、白ゴマだったかと。
ブラジルでもこの三品を用意。 ちょっとゴマは炒り過ぎたかな。
10月6日(月)の記 たこ焼けず ブラジルにて
日本に持参するDVDの手焼き体制に入る。 ついつい延ばし延ばしになっていた家の用事に着手。
たとえば、たこ焼き器の修理。 最初は日本のクレジットカードのポイントでゲットした。 けっこう重宝したが、寿命は短かった。 調べてみると、日本の映画代ぐらいで安いものなら買えるとわかった。
あらたに日本から2器、購入してブラジルまで担いできた。 うち1器が、さっそく故障。 ばらしてみるが、シロートには対応不能。 変圧器を使っていないので、宿命かも。
近所の、身近な電気製品一般を修理してくれる店まで担いでいくが、ひと目見てこれは直せないとのこと。 カトリック教会関係の、壊れていても何でも引き取るというところまでお納めに行くか。
このたこ焼き器に対応できるような容量の変圧器をざっとネットで調べてみると、約2万円、重さ3.5キロ也。 たこ焼き器が10台買える。
いやはや文化の継承にはカネがかかるぞ。
10月7日(火)の記 農業写真のあの人は ブラジルにて
制作作業と訪日との、妙な「あわい」の時期に。 自重しないと、変に墜ちていってしまう。
アートによって、活を入れよう。 さる金曜日に見合わせた展示を見に、地下鉄ベレン駅に。
ブラジル人のアーチスト、Rodrigo Braga の AGRICULTURA DA IMAGEM:「イメージの農業」展。 このネーミングの由来に心惹かれた。
人類学でいうhunter-gatherer、狩猟採集民に由来する言葉だろう。 写真家のAnsel Adamsが写真狩猟家といった言葉を提唱し、それを受けてカナダ人アーチストJeff Wattが写真農耕民という言葉を提唱したようだ。 英語で該当する言葉を検索してみるが見つからず、ずばり農業関係の写真ばかりが出てきてしまうけど。
写真家をハンターにたとえるのは、よくわかる。 野生の獲物をシュートするハンターに対して、農耕的な写真というあり方は、僕にはきわめて刺激的だ。 この展示のキュレーターいわく、イメージの農耕とは、アーチストが種をまいた作品を構成したもの、とのこと。
さまざまな植物の葉を魚類に見立てて板根に貼りめぐらせたり、魚の骨と植物の葉脈を重ね合わせたり。 博物のイメージを喚起するうえで、なかなか刺激的である。
作者のロドリゴは、アマゾンの生物学者のもとで生まれ、ペルナンブコの海岸山脈の地で少年時代を過ごし、現在はリオで暮らす。 ブラジルの多様で豊かな生態系を愛でる博物フェチ感がうれしい。 この展示から横山大観の生々流転図を想う人は、他にいるだろうか。
博物への愛の表明の仕方の、多様性。
故・橋本梧郎先生は19世紀的な博物学にあこがれて、博物学者・昭和天皇を現人神といただき人類史上、稀有な蛮行を繰り広げることになる祖国日本を嫌って、未知の植物の宝庫のブラジルにエスケープする。 長寿に恵まれ、21世紀まで生き延びることで、その晩年の十数年の姿を僕がシュートすることになった。
僕の場合は観察映画とは違うだろうし、野生のものをシュートしているふうでもない。 まさしく縄文的な、園耕(援交ではない)的記録映像作家:Horticultural Documentarist ということにでもなろうか。
10月8日(水)の記 鬼ギラズ ブラジルにて
5文字の言葉で濁音が2字以上あると、怪獣系の名前っぽい感じ。 メカゴジラ、ガマクジラ、デスギドラ、ボスタング、ゴケミドロ…
「おにぎらず」のレシピと写真をフェイスブックで知人が流していたのを、この月曜に見た。 握らない、おにぎり。 海苔の上にご飯と具を乗せて、包むだけ。 これはグッドニュース、コロンブスの卵。
いまひとつふたつ、おにぎりや握りずしはつくるのが苦手だった。 うまく握れないし、すぐ手がぐちょぐちょになる。 おにぎりは食べる方にとってもこれまで何度か、女性が顔に塗った化粧水の残り香たっぷりの手で握ったものにあたり、プチトラウマになっていた。
海苔はそこそこのストックがある。 今晩、挑戦。 具は豚生姜焼き、チリサーモン、おかか、卵焼きの4種。
失敗とともに覚えていく。 ご飯は少ない方がいい。 それなりにギュッとプレスしないと、ぼろぼろで食べにくい。
チーズやハムもいいらしいと言うと、食べずして子どもから物言いが入る。 ふむ。 豚の味噌焼きなんかはいいだろうな。 ゆかりご飯もやってみたい。
あとは、「おにぎらず」のネーミングをなんとかしたい感あり。 これは家庭の日本料理のエポックだと思えるぞ。
と、ここまでではまるでブラジルらしくない話。 ブラジルならではのONIGUIRAS(ポルトガル語試表記)の具も考案したいもの。 それにしても、ばか高いカネを払って、鼻腔にキュウリの突き刺さるようなテマキを食べているブラジル人が気の毒で。
10月9日(木)の記 レニの流儀 ブラジルにて
たまっているVHSテープを少しでも処分したい。 ここのところは日本の東京MXテレビで放送されたレニ・リーフェンシュタールの『オリンピア』の録画を観ている。 1936年に開催されたベルリンオリンピックの記録映画である。 第一部『民族の祭典』は見終えて、第二部『美の祭典』に突入。
『民族の祭典』はかつて観ていた。 覚えているのは、日本人の応援するおじさんぐらいだけれども。
『美の祭典』、ラストの男子跳板飛込みのシーンは圧巻。 VHSの3倍速録画で見ても、十分に美しい。 映画史上に残る、まさしく美の祭典だ。 女子跳板飛込みの日本の大沢選手がプールから上がるときに一瞬、カメラを見るショットも印象に残る。
この記録はナチスドイツの威厳をかけて、カメラを40台、駆使したという。 それにしても数分ごとにカートリッジを交換しなければならないフィルムでの撮影、しかも同時録音ではない時代によくぞ、である。 競技中ではない選手のたたずまい、ヒトラーはじめ諸国の観客たちの応援などの「ぬき」のショットがぞくぞくさせてくれる。 競技後に選手たちに撮影用に演じてもらったり、観客の声援など、アフレコの録音もしているとのことだが、そのこと自体がまたすごいではないか。
さて初めて『美の祭典』を観て、あれ、と思うカットを発見。 男子200メートル平泳ぎ決勝のシーンでインサートされる日本人のおじさんの応援のカットが、『民族の祭典』の日本人のおじさんにそっくりなのである。
『民族の祭典』の該当箇所を見直してみる。 男子三段跳びで、田島選手が世界記録を達成された後のインサートだ。 背広の上着を脱いで、眼鏡をかけた、まず日本人にまちがいないだろう男性が右横にカニ状に音頭を取るショットだ。 男性そのものは風体からして『美の祭典』に挿入されている人物と同一とみて間違いなさそうだ。 ひょっとして、同じ時に撮影されたものだろうか? この2カットは、周囲の人物の動きが異なるので、同一カットではない。 しかし人物の服装、撮影サイズはまるで同じである。 何度か両者を見比べる。 中心人物の背後に写る、これも日本人らしき男性との距離、そしてその帽子、眼鏡、くわえ煙草!が共通しているので、同じ時空で撮影したショットをカットして、「男子三段跳び」と「男子平泳ぎ」にそれぞれ用いたのだろう。
僕でもわかるぐらいだから、他にも気づいている人がいるに違いない。 ネットで検索すると、沢木耕太郎さんがずばり『オリンピア』と題して本を出していることを知る。 文庫にもなっているようで、訪日したらさっそく入手しよう。 さらに、こんなウエブサイトがあった。 ウエブサイト「日瑞関係のページ」の一稿。 http://www.saturn.dti.ne.jp/~ohori/sub38.htm わかりやすい日本人のおじさんどころか、この映画に登場する日本人の観客の少女を同定しているのだ。 このウエブサイトからすると、日本人のおじさんは、ベルリンの日本人会の書記をしていた日本人応援団長・一色義寛さんという方のようだ。
観客を撮影する側としても、わかりやすい・絵になる・動きがある人物を狙うというのが定石というもの。 一色団長は、まさしくベルリンオリンピックで期待される日本人であり、ヒトラー総統を喰ってしまうインパクトがある。
『オリンピア』の編集に2年近い歳月を費やしたレニ・リーフェンシュタールは、なぜ撮影から78年が経ってから岡村ごときにもばれるようなカットの使いまわしをしたのだろうか。
10月10日(金)の記 廃院アート ブラジルにて
気になっていたアート展、今度の日曜で終わってしまう。 サンパウロの目抜き通りであるパウリスタ大通りの脇にある旧マタラーゾ病院の建物を会場としたFEITO POR BRASILEIROS:「ブラジル人製」展。 http://www.feitoporbrasileiros.com.br/
これには驚いた。 建物の一角を使ったいくつかのインスタレーションの展示かと思いきや。 「マタラーゾの町」と呼ばれる広大な敷地全体にアートが散りばめられているではないか。 そもそも、亜熱帯の病院の廃墟というだけで絵になる。
どこをどう撮っても絵になる、というのは、アンコール遺跡群やギアナ高地のテーブルマウンテン並みかと。
しかも、入場無料。 アートの方は建物の廃材をオブジェとして配したもの、タルコフスキーの映画をほうふつさせる廃墟と水のインスタレーション、さらに女性アーチスト自らが3人の若い男性と乱交を繰り広げるプロセスを延々と見せるハメラレ撮り、等々。 この土地をフランス人の企業家が買い取り、今後はホテル建築などをすすめていくらしい。
若者でにぎわう廃墟というのはよろしいな。 夜は相当、怖そうだ。 心霊アートが楽しめるかも。 この映画を見た人は、おそらくヒトラーもゲッペルズも、まず応援している人は、ずばりその競技を見ている人だと思い込んでいることだろう。 彼女にとって、見る人が見ればばれるカットの使いまわしはどうでもいいことだったのだろうか、あるいはそこになにかのメッセージを託してくれたのだろうか。 沢木さんの本が楽しみだ。
10月11日(土)の記 祈りの虫 ブラジルにて
「祈りの家」まで森のなかの径があるという表示が目についた。 告別式まで、だいぶ時間があるので歩いてみる。
海岸山脈の径を歩きたい、虫を見たい、菌を見たいという願いは、はからずも急な葬儀でかなうことになった。
日和もいきなり盛夏となったが、雨不足が顕著で、虫気も乏しい。 そんななか、louva-a-deus:「神を讃える虫」に出会う。 カマキリのことである。 カマ状の前肢を突き出す姿勢が、神に祈る姿にたとえられた。
サンパウロ市近郊の火葬場兼墓地。 おあつらえ向きの虫に出会えたものだ。
墓荒しや黒魔術の横行する街なかの墓地より、このエコロジー霊園の方がはるかにすばらしい。
人の人生は、どのような地位に就いたとか、どのような偉業を達成したかではかられるものではない。人のため、この人がどれほど「愛」を注いだのかということが真に問われるのだと気づかされた瞬間であった。 『二十一世紀キリスト教読本』川村信三著より
10月12日(日)の記 中有顕現 ブラジルにて
仏教でいう中有の状態にあるだろう親類のために祈りたい。 徒歩圏にあるカトリック教会の午前7時のミサに預かることとする。
時間前に到着したものの、広大な聖堂の座席は満席である。 うむ、1時間立ちっぱなしか。 複数の三脚に据えたビデオカメラが目につく。
そもそも今日はブラジルの守護聖母アパレシーダの祝日であった。 してこのミサがUHF局の番組で生中継されるのだ。 祭壇に向かって右上に巨大なスクリーンが設置され、そこに放送の映像が映し出される。 いわば悪意のない番組であり、そのあたりはテレビ向きのラテン気質の人びとのこと、ミサの参列者はノリノリ。
カメラはざっと見て5台か。 パーティ会場付きの撮影屋とは次元の違う熱心さである。
この教会は音響が聞き取りやすい。 「忙しくて祈る時間がないと言いながら、テレビドラマは毎日欠かさず見ているではありませんか」 「子供が祈らないと嘆く声を聞きますが、まずご自分が祈る姿を子供さんに見せているでしょうか?」 神父の説教もテレビ向きでわかりやすく、気合も入っているではないか。
ミサのおわりに。 なんと、エリス・レジーナの『ROMARIA:巡礼』の演奏と合唱が始まったではないか。 思わず感涙。 あえて日本でたとえるならば、寺の法要の締めに『知床旅情』『瀬戸の花嫁』といった国民的な歌謡曲をうたうようなノリである。 日本の歌謡曲はあまりに神仏、祈りと縁遠いようだけれども。
10月13日(月)の記 体温超えて ブラジルにて
ブラジル出家まであと半月。 そろりそろりと準備。 今回は、その次のことも考える要あり。
雑用の合間に買い物に出る。 猛暑。 街の温度計は、37度! しかも干天の雨不足。
なんだかこんななかを抜け出してしまうのは、申し訳ない気もするけど。 さあ涼しげなオカズも考えよう。
10月14日(火)の記 旧聞の新聞 ブラジルにて
狭い拙宅のまことに思わぬところから、何年も前の資料類が見つかった。 誰のなせる業か、本人も覚えていないようだ。 その手前にあった、チェックするために区分けしてあった新聞記事に目を通す。 一面を覆うポルトガル語の記事を読み上げるのは、容易ではないし、そもそも読みにくい。 しかし、それをしのぐだけのお宝情報があるのでやめられない。
今日、読破したものでは、 ・パラグアイ・チャコ地方の急激に進む大開発:環境破壊問題 ・ブラジル・海岸山脈の極小カエルを求めてのフィールドワーク ・シベリアで行なわれた国際シャーマン集会 等々が印象に残る。
ネット上のふけばとぶような風聞と、旧聞の新聞。 両方を行ったり来たりしながら、記事の余韻に浸る。
10月15日(水)の記 PRIMIVAL ブラジルにて
日本語表記だと、プライミーヴァルか。 原題『PRIMIVAL』、西暦2007年のアメリカ映画。
今日は在家ながら、こちらの一族の件でそこそこのはたらきをする。
さあ、午後のひととき。 はじめだけ見て気になりながらそのままになっていたDVDを探す。 ブラジルで買った作品で、ポ語タイトルは『PRIMITIVO』。
内乱の続くアフリカはブルンジの湿原地帯。 虐殺された遺体の調査をする国連軍の白人女性が、何ものかに襲われて惨殺された。 巨大な人喰いワニの仕業らしい。 アメリカのテレビ局が、巨大ワニ捕獲作戦チームを結成、現地に乗り込むのだが、といったお話。 巨大生物モノに、内戦問題がからんでいるのがミソ。 しかもテレビ屋のこういう話は、無縁ではない。 ナミの値段のDVDとしては、手ごろ。 なんと言語選択に日本語があるものの、字幕は表示されず、音声変換はOKという奇品。
日本語版があるぐらいだから祖国で劇場公開されたものと思って調べてみる。 日本では劇場未公開、ソフト販売のみされていることを知る。 それにしても、なんじゃこの邦題。 『カニング・キラー/殺戮の沼」。 どこから「カニング・キラー」が出てきたのか。 ホラー、ゲテモノの雰囲気を狙ったのかな。
ならぬカニン、するがカニンとはいうけれども。
10月16日(木)の記 映画祭のかげで ブラジルにて
今日から半月にわたって、サンパウロ国際映画祭。 今日付けの新聞FOLHA DE S.PAULO紙の付録に長編だけで330本におよぶ作品の目録。 作品概要に目を通すだけでも、けっこうたいへん。 製作国数は60にも。
我が祖国日本からは…中村登監督作品回顧。 最近、日本の映画祭でやったもののいただきかな。 新作は…山田洋次監督『小さいおうち』ぐらいしか見当たらない。 日本にもはや若い、新しい映画監督はいないのか、と思われるだろうな。
さて、こっちはさすがにいろいろと取り込んで、なかなかあれこれとは見れそうにもない。 今日は明日の運転手業務に備えてガソリンスタンドに寄った後、洗車に出す。 さあ、明日は早くて長いぞ。
10月17日(金)の記 蓮三題 ブラジルにて
古名「ハチス」、インド亜大陸の原産、か。 蓮にまつわることが三つもあると、なにか意味を感じてしまう。
今日のセレモニーに備えて読み返していた本の表紙に、連座につく仏像の写真。
近郊の町へのお土産に、もらいものの冷凍した蓮根を持参した。
昼食に選んだレストランは、その町で三位の人気度のヴェジタリアンのお店。 店の名は、LOTUS、ポルトガル語でも英語でも蓮を意味する。
ハス科の植物にみられる自浄効果をロータス効果ということを初めて知った。 自浄効果、少し調べてみよう。
10月18日(土)の記 二十六の磔 ブラジルにて
今日もセレモニーが続く。 勝手を知っている部類に入るだろう、サンパウロ市内のカトリック教会にて。 この教会の聖堂の壁に、日本26聖人の磔刑の絵が掲げられている。 かつてこの教会とゆかりの深い人に絵の由来を聞いたことがあるが、よくわからなかった。 日本26聖人、時間軸は西暦1597年。 時の最高権力者・豊臣秀吉の命により、長崎にて日本人、スペイン人、メキシコ人、ポルトガル人計26人のカトリック教徒が磔の刑にされた。 最年少はルドビコ茨城、12歳。
この事件をテーマとした日本の国民的な小説、映像作品などが思い浮かばないが、かえって日本以外で知られているようだ。 以前から、なにかの縁を感じている。 処刑当日は外出禁止令が出されたが、4000人の群衆が集まったという。 26人にはおよぶべくもないが、前世のなかでこの4000人のうちの一人ぐらいだったのかもしれない。
初七日のミサの前後、聖堂では夕方からの結婚式の飾りつけが続く。
10月19日(日)の記 ゴミ撒きマラソン ブラジルにて
家族でサンパウロ市内の親類のところへ車で向かう。 日曜の午前中ながら、異常な渋滞に巻き込まれる。 幹線道路を閉鎖して市民マラソンが行われているとわかった時には、抜けるに抜けられない状態で、小一時間のロス。
市民マラソンの光景を見て驚いた。 路面が水色の光沢質のものに覆われている。 一面に無数のミネラルウオーターのコップがまき散らされているのだ。 マラソン参加者に配られ、そのまままき散らしていったのだ。
水不足が深刻な大サンパウロの、アンビバレントな風景。 訪問先の道もマラソン後の後片付けのため、閉鎖されていた。 ミネラルウオーターのコップ集め要員の数が、これまた半端ではない。
節水、エコロジーをうながすイベントと需要を希望! さらに日曜に用事のある人に迷惑をかけないよう考慮していただきたいもの。 無理だろうけど。
10月20日(月)の記 聖市フォロー・ミー ブラジルにて
朝のLUZ駅で待ち合わせ。 今年、ブラジルに赴任した日本人夫妻の市内ご案内をする。 お二人ともユニークな経歴を持つ識者で、手応えばっちり。
台所ものの問屋街から旧市営市場、そして旧市街のカトリック教会群、等々を経て… 案内のしがいがあり、こちらも気付くこと、学ぶことが少なくない。
国際都市サンパウロを再発見。 月曜はミュージアム類がひと通りお休みだが、その分かえって街そのものが味わえたかも。
10月21日(火)の記 CIENCIAS NATURALES ブラジルにて
今日の表題はスペイン語。 「自然科学」そして、ずばり「博物学」をいう、はず。
訪日を翌週に控えて、公私(そもそもこれの区別が定かでないが)ともに取り込んでいる感じ。 されど、忙中閑あり。
長編だけで300本以上が上映されるサンパウロ国際映画祭で、いま見ておくべきもの、この機会を逃すと永遠に見るのがむずかしそうなものを厳選。
そしてこのタイトルの映画をマークした。 アルゼンチン映画。 パタゴニアの寄宿舎に暮らす12歳の少女が「生物学者の」父親を探す旅に出る、という話らしい。
パタゴニアは、今年七回忌を迎えた植物学者の橋本梧郎先生と、ずばり博物学の旅を行なった地である。 いざ見参せむ。 僕はずばり『パタゴニア 風に戦ぐ花 橋本梧郎南米博物誌』という作品を紡いでいるのだが、あくまでも旅行者、パッセンジャーにしか過ぎない記録者であった。 あそこで生きる人たちの物語を見たい。
ふむ。 あれ、父親は生物学者じゃなかったのか? ひょっとして。 観賞後に小さな字の作品概要を目を近づけてふたたび読んでみる。 「生物学者の」ではなく「生物学的」父親であった。
その勘違いのおかげでこの傑作に出会うことができた。 アルゼンチンのMatias Lucchesi監督、1980年生まれでこれが最初の長編作品とのこと。 主役の少女がいい。 改めて、ニュースにもならない世界のいろいろなところにいろいろな人がいてそれぞれのドラマがあることを映画は教えてくれることを再認識。
にしても、どうしてこういうタイトルになったのだろう? こういうタイトルだから、ますます「生物学者」と間違えたのだ。 主人公の少女を気遣うのが、理科の先生ではあるのだが。
10月22日(水)の記 堂々338分 ブラジルにて
ここにきて、いろいろと立て込んできた。 そんななか、映画鑑賞どころじゃない、の真逆を行く。 サンパウロ国際映画祭のフィリピン映画、338分!というのを万難を排して見ることにする。
LAV DIAS監督の英題『FROM WHAT IS BEFORE』。 こっちは2時間半の拙作でも途中のトイレ休憩を考慮しているが、今日の上映は5時間38分ぶっ通し。 しかも場内は凍えるほど寒い。 尿瓶を持参すればよかった。
これは強烈であった。 1970年代初め、マルコス政権時代のフィリピンの海辺の村落が舞台。 沖縄が近いことを体感させる。 ヒトの視界に近い広めのサイズでの長まわしが多く、「観察劇映画」といった感じ。 映画体験というより、実体験のような気分になるのだ。
登場人物は役者であることを感じさせないが、特に若い女性二人が強烈だった。 治癒の霊的能力があるらしい知的障害の少女。 ニューピープルズアーミーの女性隊長。
LAV DIAS監督は僕と同じ年の生まれ、監督・脚本・撮影・編集を手掛けている。 この長回しで、ここでカットかよという強気は、その辺から来るのだろう。 タルコフスキー監督の影響を大きく受けている由。 東アジアの熱帯の多島海の土俗のなかで、タルコフスキーとキリスト教の影響を受けて適応放散した映像世界。 お近くの日本ではほとんど知られていないのは、もったいない。
10月23日(木)の記 大アマゾンの消えたUSB ブラジルにて
ここにきて、次回訪日時のあちこちの上映の詳細を一気に詰めることになってきた。 上映作品の写真提供のリクエストも当然、出てくる。 USBメモリーにコピーしておいたのから添付しようとすると… ない。 消えている。 こんなことが起こりうるのであろうか?
そもそも、木でできた!USB。 一昨年のリオの環境サミットで、アマゾン地方のさる州が出していたブースでもらったもの。 ふつうのUSBを木製のカバーで覆った、ちょっとエコでおしゃれな感じ。 今、よく見てみると、木というより竹のようだ。 意外と中国製かも。 タダより高いものはないという。 USBそのものが壊れてナンボのものだったのだろうか。
ネットで調べてみる。 そもそもUSBは一時的にデータを移転するのに用いるもので、長期保管には不向きであると知る。 このような消えたデータを復元する業者もあるようだが、フリーでダウンロードできて、復元できるかもしれないというソフトをダウンロードしてみる。 これによるUSBのチェック、所要時間推定は15時間…
日本の方々には、かつてメールに添付したデータを探し出して取り急ぎ送っておく。
夜、外出から帰ると、まだUSBのチェックは続いていて、深夜におよぶ。 けっきょく「データはありません」。 電子社会になり、半永久的に個人の望ましくないデータが残るのを恐れる声もあれば、このように残しておくべきものがなにかの拍子に消えてしまうこともあるわけだ。
長い時間のスパンで見れば、地磁気の乱れとか、宇宙線の影響などもいずれ起こりうるだろう。 数万年残り続けた洞窟絵画とは、比べ物にならないほど寿命が短いのではないかな。
10月24日(金)の記 この快感 ブラジルにて
近くのパソコン屋さんで、手持ちのノートパソコンのメモリーの容量アップをしてもらう。 日本、そして日本語ではこうした作業を聞いたことないけど。
ここではパソコンの修理の他にランハウス、スキャニング、プリントアウトなどもやっていて、けっこう人が出入りする。
すでに僕の後に順番待ちの人がいるのだが、店のおじさんはメモリーの交換の終わった僕のパソコンをブラシや溶液を付けた布で清掃してくれて、さらに圧縮空気でほこり取りをしてくれる。
なにか、僕の後頭部あたりが、じーんと熱くなる。 おそらく、久しぶりの感覚。 子どもの頃、僕が大切にしているものを人に丁寧に扱ってもらった時に覚えたた感覚だ。 床屋さんの気持ちのよさに通じるような。 相手の愛:お大切の思いが、伝わってくるのだろうか。
自分以外にも、こうした感覚は一般的なのだろうか。
10月25日(土)の記 BOTUCUDOS、VANUATU ブラジルにて
「O ESTADO DE S.PAULO」紙の昨日の記事を読む。 リオデジャネイロ国立博物館に19世紀以来、所蔵されているミナス・ジェライス州のBOTUCUDOSと呼ばれる先住民の頭骨2体から採取したDNAを分析すると、ポリネシア人のものと合致したとの報告。 昨年の「Current Biology」誌に発表された由。
これは、南米の人類史における大変な発見である。 はるかポリネシアから海を越えて、南米大陸に至ってアンデス山脈を越えてブラジル高原に住みついた人たちがいる可能性を示唆しているのだ。 ヨーロッパやマダガスカルに奴隷として運ばれたポリネシア人がブラジルに渡った可能性も指摘されているが、年代が合わないようだ。
そもそもBOTUCUDOSというのはヨーロッパから来た人たちの命名であり、耳や唇に木製の円盤を入れている先住民の呼称である。 先日、日本を訪れたらしいアマゾンのラオニさんのような装飾である。
話は尽きないが、ふとバヌアツに渡った縄文人のことを思い出した。 1996年の読売新聞のスクープ。 南太平洋のバヌアツで発見された土器が、日本の東北の縄文土器であったという大発見。 土器の胎土までが日本の東北のもので、縄文人が土器を舟に積んではるかバヌアツまで渡っていたことになる。
しかしこれはどうやら、日本の縄文土器片がフランスの研究者にプレゼントされて、パリの博物館で混在してしまったための大発見とされている。
急ぐ話ではない。 ゆっくりじっくりと検証してもらいたいものだ。
10月26日(日)の記 いざ編集 ブラジルにて
大統領選挙決選投票の日。
こちらの身内の法要の段取りにあたって、思い立つ。 故人の結婚式のビデオを編集して進ぜよう、と。
22年前。 撮影した覚えはあるのだが、どの機材でどのようなフォーマットだったかが記憶にない。 我が家を探してみるが、撮影テープは見当たらず。
と、未亡人がVHSからDVDに焼いて保管していると知る。 それを本日お借りして作業をすることに。 夜、編集用に素材の取り込みを開始。
明後日の出ブラジルまでに完成させねば。 これをしてこそのドキュメンタリー屋というものであろう。 テレビ屋時代の徹夜仕事を思い出す。
10月27日(月)の記 いのりとしての編集 ブラジルにて
仮眠より、未明に起床、ビデオ編集機に向かう。 昨晩、取り込んだはずの映像に事故があり、やり直し。
鞭声粛々、三途の川を渡る編集。 バルドの旅路にある主人公の、僕がシュートしたこの世でのハレの姿に何度となく涙。
予想以上の早いペースで進む。 こういうのは、少しでも前倒しでやっておくに限る。
家庭内の小さなリフォームや土産物の追加の買い出しなども、並行してこなす。 さあ、忘れていることはないかな。
10月28日(火)の記 悲しきニセ熱帯 ブラジル→
ブラジル出家当日。 電話というのは、あまり好きになれない。 在ブラジルの、メールでとはいかない方々に、それぞれ手紙をしたためて投函。
価格とサービスなどを考慮して、今回もエティハド航空にした。 アメリカ廻りと違って、スーツケースを国家権力によって破壊される懸念がないだけでうれしい。
サンパウロのグアルーリョス国際空港に第3ターミナルが開設されて、エティハドは第2から第3となった。 僕は初めての第3使用。
そもそもこの空港には鉄路ではアクセスできない。 シャトルバスで到着したが、第3ターミナルまでのアクセスの悪いこと、あの渋谷駅の改悪を想い起すほど。
旧ターミナルから、動く歩道などもあるものの、カートの乗り入れが禁止されている。 しかもカート使用の場合、シャトルバスの終点から二回もエレベーターを乗り継がなければならない。 そのうえ、第3ターミナルのエレベーターは一度にスーツケースを積んだカート2台がようやく入るか入らないかの狭さ。
混雑時でなくても旧ターミナルから20分以上は見ておかなければ危ないぞ。 新たなラウンジへ。 うーん。 壁に植物を埋め込んだスペースがある。 これはエコでお洒落でよろしい。
気配りのうかがえないドリンク、あまりぱっとしないスナックをつまんでから、緑の壁に近づく。 ま、まさかまさかの。
ぜんぶ、造花いやさ造葉ではないか。 世界的に識者から価値の認められていて、ブラジルのウリでもある大西洋森林地帯に新たに気付かれたターミナルのラウンジが、安っぽい作り物の植物で覆われているとは。
あまりにも悲しい。 恥ずかしい。
10月29日(水)の記 INTO THE STORM →アラブ首長国連邦→
相変わらず機内エンターティンメントサービスに日本映画が一本もないエティハド航空。 その分、日本でもブラジルでもまずお目にかかれそうもない世界の映画群が楽しめるというもの。
しかしアブダビまでの便の席のモニターは画面がにじんでしまって字幕が読めない。 そのため、日本語吹き替えの映画を見ることにする。 『INTO THE STORM』という気流に巻き込まれそうなアメリカ映画が面白かった。
(のちに調べると日本でも今年8月に封切り、邦題は『イントゥ・ザ・ストーム』という芸のなさ) アメリカの内陸の町を襲う竜巻のお話。 竜巻のスペシャル番組を制作するため、特殊装甲車まで作成して竜巻を追いかけるテレビ屋。 YouTube投稿マニアのファンキーな二人組。 ビデオ撮影オタクの高校生の兄弟。 今様な3タイプの動画撮影者が主人公というのがミソ。
ハリウッド版ゴジラを吹き替え版で見た後じゃ、怪獣の出てこないパニック映画は物足りないかと思いきや、ゴジラ以上の迫力とリアリティではないか。
さあアブダビからはなにを見ようか。
10月30日(木)の記 故郷の湯 →日本
機窓から見た逆光の成田の光景。 廃墟の町と見まがえ、息をのむ。
目黒の実家で旅装を解き、オフライン中のメッセージ類をチェック。 さて、思い切って行ってみるか。
ブラジルにいる時にネットで「武蔵小山温泉」というのがあるのを知った。 武蔵小山は目黒区と品川区の境にまたがる繁華街。 ここにある銭湯・清水湯が地元で沸く2種類の天然温泉をかけ流しで提供しているというのだ。 http://www.shimizuyu.com/
少しあるが、徒歩で向かう。 いやはや、なんといっても460円。 東京臨海部に産出するコーラ色の湯のほかに、さらに深部から涌きだすヨード分・塩分の多い緑がかった湯がある。 いかんせん大東京の町なかの銭湯、露天部の浴槽はさして広くない。 二人の子供を連れたお父さんが占拠してしまうと、余人はなかなか入りづらい。 間隙をぬって、2種を体感。 ありがたや。
温泉は、前世紀末に先代が生き残りをかけて掘削に挑んだ賜物の由。 在ブラジルの僕が知らなかったのも、むべなるかな。 噂を聞いてやってきた初めての客風のを散見。 帰りには、女湯から出てきた英語で会話をする妙齢の白人女性二人に遭遇。 なんとも通な外人ねーちゃんたちではないか。
平日は昼12時からオープンとある。 もっと早い時間に来て、故郷の湯を独占してみようか。 この銭湯の近くですれ違う女性、やたらに顔がてかてかしているのを何人か見かけるが、ひょっとっして温泉効果かも?
自分の生まれ育った場所から、一番近い天然温泉。 はるかな記憶までも温めてくれる。 ありがたいの一言。
10月31日(金)の記 ピンク電話が笑った 日本にて
日本で僕が使用している携帯電話にかからない、と親類筋から教えてもらう。 復帰させるために、通話会社の出店で数時間と、いたい出費がかかる。 番号も変えざるを得ないというのがめんどくさし。
あなかしこ、さっそく学芸大学・古本遊戯流浪堂さんで、何冊もの本に呼んでいただく。
アルゼンチンババァに対抗。 「アマゾン帰り新宿再移住」の佐々木美智子さんに、アマゾンのオオオニバスババァと命名させていただく。 その佐々木さんが新宿ゴールデン街で新たに仕切ることになった「ひしょう」というお店に、頼まれものの納品にうかがう。
折しもピンク電話の取り外し中。 佐々木さんには『ピンクイルカが笑った』の著書もあり。 夕方、入ってきた佐々木さんの最近の知人には驚いた。
僕がいま、最も手に入れたかった『上野英信・萬人一人坑』の著者・河内美穂さんの知人で、この本を持っていたのだ。 頼み込んで、消費税省略で譲っていただく。 http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5737-5.htm
この本のなかに岡村が登場すると聞いていて、実に気になっていた。 まずはその部分を探し出して拝読。 河内さんの異能の筆致に目を見張る。
巷は、ハロウインの夜の始まり。 死霊たちとともに、古本も新本も僕のもとにやってきた。
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