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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2014年の日記  (最終更新日 : 2014/12/06)
12月の日記 総集編 あざなえる縄文のごとし

12月の日記 総集編 あざなえる縄文のごとし (2014/12/06) 12月1日(月)の記 窮状撮影
日本にて


今日も雨か。

1月にガリ版通信「あめつうしん」の田上さんと、ひとりプロレスなどで知られる新藤ブキチさんらが、東京で開催される九条美術展でお芝居を行なうという。
ちょうどふたたび訪日をする期間で、まだ予定を入れていない日なので、友情撮影を申し出た。
「あめつうしん」さんには、いろいろとお世話になってきたので。

事前の稽古をするのか尋ねると、今日12月1日に三ノ輪で昼からみっちり稽古を行なう由。
今日は法事の翌日で離日前々日であり、予備日として予定を入れておかなかった。
夕方から知人の気になるイベントがあるが、二兎を追わずに「坐る9条」と題されたパフォーマンスの方に集中することにする。

久々の撮影かも。
最初は違和感も感じるが、いろいろな仕掛けのしてある芝居で、なかなか味わい深い。

ブラジルに戻ってから今日、撮影したものを編集してDVDにして、本番前までに謹呈しましょうと提案。
が、メンバーから見たくない、との声が上がり、戦意喪失。
僕なりの作業をすると、この作業は数日はかかる。
撮影をしたものには持論から自分に責任があるし、さあどうしよう。


12月2日(火)の記 騎士はハイゼットに乗って
日本にて


離日前日。
訳あって、日本の実家の押入れに保管していた段ボール箱類を開封・発掘することになった。
半減期が過ぎていくのを見守って密閉した放射性廃棄物を取り出すイメージ。
所用で祐天寺駅前まで出る以外は、終日この作業。

夜、学大から二見さんが期待のアーチストを乗せてハイゼットでやってきてくれる。
ハイゼットは亡父の愛した車。
思えば、かつての目黒の実家の駐車場の常連だった。
もう、僕以外の人の記憶には存在しない光景だろう。

自分のなかの目黒の発掘を始めた時に、あなかしこ。


12月3日(水)の記 うとうとまでのはるかなるみちのり
日本→


今朝になって、実家の押入れにさらに未開封の段ボール箱を発見。
新たに発掘、これで事前に想定していたもの以上が出そろう。

さあこれから出ニッポンの荷物のパッキング、大掃除、台所・冷蔵庫周りのお片付け。
頼まれものの代金振替に郵便局に行き、その足で学芸大学詣で。
流浪堂さんにさらなる納品とご挨拶。
「平均律」には、えりささんがいらしてご挨拶、最後にチャイをいただく。
14時まえ、最後に立ち寄ったSUNNYちゃんはまだシャッターを下ろしたまま。

タクシーで恵比寿のホテルへ、シャトルバス待ち。
ブラジルで出会った友人が日本で出した小説を開く。

今回はエティハド航空使用でANAのカウンターが開くまで、第一ターミナルでのクリスマス生演奏を聞く。
ANAの女性スタッフはよくしてくれたが、エティハド航空の特典系がよく理解されておらず、諸々の混乱あり。
旅慣れていない人だったら、パニック状態になるか、怒りまくるかかも。

カウンタースタッフに確認すると、カードの提示でANAラウンジ使用OKとのことだが、いざラウンジに行くとインヴィテーションカードが必要と言われる。
カウンタースタッフの胸のネームプレートの名前を覚えていたので、クレーム。
障害をいくつも超えて入ったラウンジには、サケのコーナーがあると見取り図にある。
行ってみると香川特集で、香川産の4酒の日本酒あり。
ネーミングから「うとうと」というのをまずいただいてみる。
うーん、甘い。

搭乗してまずエンターテインメントサービスのプログラムを確認すると、先々月のものと変わっていない感じ。
そもそも疲れ切り、ほろ酔いも重なってさっそく、うとうと。


12月4日(木)の記 機内名画魔
→アラブ首長国連邦→ブラジル


成田からアブダビまでは、へろへろ状態。
さあ機内映画でも見ようかと思うが、字幕の英語が小さくて見づらい。
かといって日本語吹き替えの映画は、2か月前のフライトで見たものか見る気もしないものばかり。

アブダビからサンパウロまでは、機内映画がリニューアルされている。
日本路線は二番線の扱いであることがよくわかる。

都合、5本の映画を鑑賞。
『ALI ZAOUA』というモロッコのストリートチルドレンを描いた映画。
日本でもブラジルでも見られないだろう佳作に機内で出会う。
『メイズ・ランナー』、日本では来春公開のようだが、機内日本語吹き替え版で先行試写できちゃった。
ティーンズ向けの小説が原作で、Sci-Fi(こういう英語の略称を初めて知る:SFのことだな)映画なのだが、けっこう見れる映画。
イケメン系の未来の青年男子たちが主人公なのだが、フィールドで徹夜明けの青年たちの顔も髭剃り後のすべすべすっきり、という映画的設定が微笑ましい。

さあサンパウロ到着。
グアルーリョス空港第3ターミナルは、改悪の渋谷駅をすら彷彿させるほど、利用者を「人扱い」していないことを再認識。
当地は夏なれど、暑いとまではいかないぞ。


12月5日(金)の記 帰伯早々
ブラジルにて


ブラジルの我が家に戻ってから、10時間も経たないうちに自動車の運転、というのはいままであまりなかったかも。
しかも朝のラッシュ時。

こちらのファミリーの、明日の法事の準備。
想定外の力仕事をすることになり。

日本に到着した翌日、福島の農家を取材のつもりで訪問した時のことを思い出す。
先方はこちらを袋詰めした新米をセシウム汚染度調査のために運搬する人足とみていたようで、カメラを回すどころではなかった。

ブラジルでの日本の衆院選の在外投票は明日まで、明日は法事の本番で一日中、ほかの動きが取れない。
昼まででガテン系作業は勘弁させていただき、車でいったん帰宅してからメトロで東洋人街へ。
投票場は、ブラジル日本援護協会という日系の医療機関のビル。

相変わらず、投票者に比して桁違いの係員が控えている。
さながら、海を覆う大艦隊の艦砲射撃の雨のなかをよろよろと突入していく単独の特攻機か。

僕の在外選挙証をチェックした女性は、こちらは面識がないと思うのだが、こちらの名前と生業をご存じで、姿勢を正さずを得ない。
次に案内された女性は、ずばり旧知の人。
横並びの臨時スタッフたちは、芋煮がどうしただのといったおしゃべりに興じている。

疲れた。
明日の本番に備えて、帰宅後、さっそく横になる。


12月6日(土)の記 聖州彷徨
ブラジルにて


いよいよ義弟の法事の日を迎える。
今日の僕の最初の役割は、車でスザノ金剛寺まで阿闍梨夫妻を迎えに行くこと。
GPSとは無縁の旧石器人には、どうもこのスザノまでの道順がいまだに納得がいかない。
そもそも、いくつもあるロータリー交差点で表示がなされておらず、ランドマークになるものも乏しい一帯でまことに迷いやすい。

所定時間にはお寺に到着。
さっそくお寺側のトラブル、阿闍梨とどう切り抜けるか相談。
日本から今年いらしたばかりの阿闍梨夫妻は、迷える衆生の魂は導けても、地理的な嗅覚は見事に欠如している。
町はずれにある寺から、年末の土曜日でカオス状態のスザノの町を抜けるまでになかなかの時間がかかり、さらにロータリーの出口をひとつ間違えて、えらいこっちゃ。

アナログ屋の意地でなんとか幹線道路に抜けるが、さらに思わぬ渋滞。
法要と会食、夕べに再び阿闍梨夫妻をお送りする。

帰路、忽然と野孤にたぶらかされたがごとくに、他の新入車両のみあたらないバイパス道路への入り口が出現。
まことにホイホイであったが、今度はサンパウロ市内の幹線道路が大渋滞。
ガス欠の危機を感じて、かろうじて渋滞を抜けると、神々しくも鼻の先にガソリンスタンド。
ささいな給油で窓ガラスまで洗ってもらって、後頭部にじんと来そうでしたよ、室賀さん。


12月7日(日)の記 ある音楽の誘い
ブラジルにて


さすがに疲れている。
ブラジルに戻って、時差ボケてる暇もなかった。

路上市で小ぶりのカツオ、これまた小ぶりのイカ、マングローブ蟹のむき身を買う。

家人の、日本人の知人が歌をうたうというイベントに招待された由。
その女性、ヨーロッパで声楽を学んだとか。
場所は…日本でも聞いたことのない仏教系の新興宗教のサンパウロにある本部。

一人で出すのも心配で、好奇心も手伝って運転手として同行。
その場所は住宅街にあり、外に看板類は見当たらない。

外見からは意外な広さの2階のホールに案内される。
市内は日曜の午後なのに異常な交通渋滞で、開始時刻からだいぶ遅れて着いたものの、教祖らしい人物の説教映像が流され続け、参加者の大半がこの宗教の信者らしい。
その後は、日系老女のナマの証しが延々と続く。

閉会にあたり、件の女性がマイクとカラオケで独唱。
閉会のはずがすかさず次の映像が始まり、さらに瞑想が行なわれるとのことで、席を立つ。
失礼ながら、少しでも魅力を感じるどころか、今後は敬遠させていただきたいの一言。

ブラジルにおける日系新興宗教の厳しい現状をかいまみる。
日本では『リオ フクシマ』に登場した面々のように、華々しい大本営発表の成果が述べられているのだろうな。


12月8日(月)の記 とりあえずガメラ
ブラジルにて


さあ、久しぶりに一日断食。
台所担当も再開。

日本で「大映特撮映画DVDコレクション1・大怪獣ガメラ」を買ってきた。
午後、子供と一緒に見る。
1965年作品、白黒。
うーむ。
脚本がもうちょっとなんとかならないものだったのか、という思い。

ガメラ~♪の歌は、これではまだ出てこないのだな。
東海村の原発が危うかったり、その時代の放射能観はそれなりにうかがえる。


12月9日(火)の記 いまさらの世界終末戦争
ブラジルにて


恥ずかしながら、今頃になってバルガス=リョサの「世界終末戦争」の訳本を読み始めた。
ずしりと重く、2段組みで700ページを超える大著、値段もお安くない。
入手して読み始めるまでのハードルが高いが、しょっぱなから実に面白い。

訳者の旦敬介さんと日本でご縁をいただき、まだこの大著を読んでいないことを密かに恥じつつ購入、ブラジルに持ち帰った。

前前世紀のブラジル奥地のこの事件を、ペルー人のリョサがこれだけ詳細に活写していることが大きな驚き。
面白すぎで、他の諸々がおろそかになりそう。

読みあげてほとぼりがさめたら、元本とされるエウクリデス・ダ・クニャの作品にポ語で挑んでみようか。


12月10日(水)の記 あざなえる縄文のごとし
ブラジルにて


ひどい話もあったものである。
こちとら河原乞食とはいえ、ここまでナメられて貶められるとは。
日本語でいう常識、責任、信頼といった基本の認識を異にするようなのは「敬遠」するに限る。
先方のぜひにという依頼に応じて段取りをつけて、素朴な疑問を送ったところ問答無用でキャンセルのお達しがくる。
たっぷり振り回されてしまった。

こちらの力量と人格の試練である。
苦境の時にこそ、創造を。

午後、さっそく今度は日本のお仲間からのうれしいしらせ。
禍福は、あざなえる縄文のごとし。
創作に勢を注ごう。


12月11日(木)の記 師走の書きもの
ブラジルにて


久しぶりに、書き物をする。
映像の撮影と同様、事前にあまり細かい筋立ては考えずに、キーボードを叩いていく。
「筆」のノリに任せていくと、けっこうそれなりに辻褄が合っていき、本人はまんざらではないと思う。

夕方からメトロに乗る。
パウリスタ地区で一件用足し、そのあと知人のお誕生祝い。

高層アパートからの眺めは絶妙。
サンパウロに対する印象がまるで違ってくる。

シケイラ・カンポス公園の樹冠を見やり、雨雲と雷光に夏を感ず。
昨日、禍をはらったので、気分は爽快。


12月12日(金)の記 松直伽さんのこと
ブラジルにて


松直伽さんが、亡くなっていたことを今になって知った。
http://www.matsunaoka.net/
2008年6月7日のことという。
時折り、直伽さんどうされているかな、と思い出していた。
驚きのなかで、まずはご遺族にお悔みのメールを送る。

直伽さんとのご縁は、小説家の星野智幸さんが契機だったと記憶する。
僕の初の長編自主制作作品『郷愁は夢のなかで』をご自身のご覧になってきた映画のなかのベストクラスに入れてくださった。

直伽さんはご自身で小説も書かれて、日本に来たイスラーム圏の人との恋愛物語など、意欲的な作品を紡いでおられた。
僕は書きあがりあつあつの時期に拝読する機会をいただいていた。

『郷愁は夢のなかで』完成の頃の僕は今以上に無名でコネクションも乏しく、作品は「長い」、何の賞にも無縁というだけでコケ扱いされたものだ。
何様のつもりか、高みからの作品への誹謗中傷までいただいたが、そんななかでこの作品をご自身の人生のベストにランクしてくださった人がいらしたことは、かけがえのない自信だった。

直伽さん、ありがとうございました。
お祈り申し上げます。
ご存命のうちに、なんのお返しもできずに申し訳ありませんでした。


12月13日(土)の記 小津忌の翌日
ブラジルにて


はからずも、昨日は小津安二郎監督の誕生日かつ命日。
日本で思い切って買ったDVD『東京暮色』(1957年作)を昨日、鑑賞した。
『黒澤明の十字架』の著者・指田文夫さんからこの小津の異色作をどうとらえるかとという問合せをいただいたものの、恥ずかしながら未見だったのでフンパツした次第。

画面からして暗いショットが用いられ、ストーリーも暗く、重い。
戦後の小津が描き続けてきた日本の小市民家庭の澱(おり)、闇が奔出した観。
小津という作家が、ただ者ではないことを今さら再認識。

今日はやはり指田さんからご教示いただいた小津の戦前のサイレント作品『非常線の女』(1933年作)を鑑賞。
サイレント映画の豊かさを思い知る。
田中絹代とともに、水久保澄子という女優がすごいではないか。
この女優のことを検索してみて、その数奇な人生にたまげる。
そもそも出身が東京市荏原郡目黒村ではないか。


12月14日(日)の記 法事三昧
ブラジルにて


昼前より、こちらの親戚筋の法事。
この半月の間に、日本とブラジルで3回の法事である。
今日は、サンパウロの比較的、大手の知られた寺にて。

最近、ブラジルにも進出する日本の新宗教の日本側の関係者に非常識なひどい目に遭わされた。
ある程度、老舗の大手は、さすがにさほど外した振舞いはなさそうで、安心感はある。

帰りは、豪雨に見舞われる。
渇水間際の水源地や、いかに。


12月15日(月)の記 多文化都市堪能
ブラジルにて


今日はサンパウロ近郊の町に赴任した日本人夫妻とLUZ駅で合流、買い物がてらいろいろまわってみることに。
まずは老舗のカトリック教会のハシゴ。
ナマのパイプオルガンのバッハを浴びる。

ついで中央郵便局で記念切手の買出し。
相変わらず閑古鳥が鳴き気味だが、ブラジルの切手文化は不滅なり。
郵便料金、また上がってるぞ。

さて、昼食は。
ボン・レチーロのコリアン街まで歩くことにした。
ハングル以外の記載のない店が少なくない。
ユダヤ料理店を見つけ、韓から猶に変節。
イスラエルの周辺地域料理の影響が多いと感ず。

近くにシナゴーグあり。
付属の書籍店で、連れが異常に盛り上がる。

コリアンのカフェで一服、最後に時間調整で立ち寄った店にはウクライナから来たという学生が民芸品を売りに来た。

その足で、オーディオヴィジュアルミュージアム:MISへ。
ブラジルで名のあるチズカ・ヤマザキ監督がトミエ・オオタケ先生を新たに撮ったというドキュメンタリー映画を見る。
気になっていたが、見て安心。


12月16日(火)の記 書けども書けども
ブラジルにて


さあ今日も一日断食。

やるべきことは、けっこうある。
とりあえず、原稿叩き。

本日アップしていただいたが、東京・学芸大学駅前の「古本遊戯・流浪堂」さんでの岡村淳展の資料冊子用の書下ろし。
展示のタイトルは「反骨の軟体:岡村淳の脳内書棚 / ブラジル-目黒-縄文 時空をかける記録映像作家」。
ご覧いただける方に、まず楽しんでいただけることを心がけよう。

各地の仲間のご協力がうれしく、ありがたい。


12月17日(水)の記 アマゾン見合わせ
ブラジルにて


今日も原稿書き始め、流浪堂さんの「岡村淳の脳内書棚」関連のあちこちへの諸連絡。

本日だけの再上映で、アマゾンを舞台にした渋めのブラジル国産映画が夕方、かかるのを知る。
メトロ代がもったいないので、別のアート展と抱合せて見に行こうと思う。

原稿書きのノリもあり、家庭の事情もあって、残念ながら見合わせ。
この映画、もう生涯、見られないかもしれない。


12月18日(木)の記 映画少年の栄華と凋落
ブラジルにて


今日も、流浪堂さん展示に向けた原稿を紡ぐのがメインに。
映画少年時代のことを書いてゆく。

書いていき、調べてみて、思わぬことがわかり、リンクしていく。
さらに封印していた自らの過去をあばいていき、けっこう疲れてしまったぞ。

決して長くはないが、それなりに書いた、という実感あり。


12月19日(金)の記 ぼちかどカフェ
ブラジルにて


日本からブラジル訪問中の知人と昼食を共にする。
サンパウロ市民劇場、歴史建造物にて。
なかなかの喧騒である。

せっかくここまで出たので、銀行系のカルチャースペースをハシゴ。
日本だったらこれだけアート展を見たら数千円取られていたかも。
美のシャワーを時折り浴びないと。

友人に教えてもらったサンパウロの最古クラスの教会のカフェに、ひとりで行ってみる。
そこのミュージアムも未見だったので、ここはお金を出して入場。
16時から、新たに展示場とした地下のカタコームに入れるという。
かつて、ヨーロッパから来たイエズス会士たち、そして教化されたインディオの遺体もここに葬られたという。
一般庶民もここに葬られたのですか?と質問をしてみるが、よく考えれば今でいう一般庶民がブラジルで生まれる前の時代だ。
メメント・モリ。

地上にあがって、カフェをすする。
次なる原稿の構成を考える。


12月20日(土)の記 ある昼食
ブラジルにて


家族で東洋人街で待ち合わせて、中華料理屋で昼食をすることになった。
案内されたテーブルの反対側に、知った顔のいくつも見える日本人の一団が。
うち一人は、生涯、二度と会いたくもない輩。
先方グループは、こちらに気付いていないようで、こちらの背後だし、そのままにしておく。
しかし、そのなかに、お世話になった人もいる。

意を決して席を立ち、顔見知りの人たちに挨拶し、お世話になった人といくつか言葉を交わす。
僕に恥知らずなことをした輩とは、目も合わせないようにした。

教祖の誕生祝いで日本もブラジルも浮かれているが、そのキリスト教の大切なポイントは、「ゆるす」ことだろう。
だが相手が非を認めず、悔い改めもせず、許しも乞うてこなければ、ゆるしようもない。
ありもしない権威を振りかざして、嘘でたらめを平気でかますような下種な輩は、こちらからのお仕置きにも値しないというもの。

しかし、同様の被害を防ぐ責任はあるだろう。
どのような問題が生じたかは、公の文書として世に発表している。
当方へのお見舞いや、憤りを共感するお便りをいくつかいただいた。
先方からの反論や弁解は、寡聞にして知らない。


12月21日(日)の記 世界終末戦争終了
ブラジルにて


ブラジルに戻ってから読み耽り始めたバルガス=リョサの大著『世界終末戦争』(旦敬介訳)、原稿書きに追い込まれてしばし中断していた。
泥沼化してきた原稿書きをいったん仕切り直してポーズを置き、昨日から中盤をふたたび読み始め。
まさしく、熱病にかかったように読み進む。

他のことは、手がつかない。
嗚呼。
昼過ぎに読了。
深い余韻に浸る。

一昨日、会った日本で数少ないポルトガル語の専門家に、この本が面白すぎるという話をした。
いわく「翻訳がいいから」。
同感。
まるで違和感なく、この大作を読み続けることができた。

これまで訳本ながらあまりラテンアメリカ文学になじめなかったのは、翻訳の問題かも、と思うほど。

もっとこの本のバックグラウンドが知りたい。
あっと、原稿書かなきゃ。


12月22日(月)の記 雨にぬれても
ブラジルにて


ようやく雨季らしくなってきた。
サンパウロ市でもひと駅違うと天候が変わるが、我が家のあたりでも、日に3回の雨。

貯水池の渇水と水道の断水が問題となっているサンパウロ。
先週はワールドカップの開会式が行われたイタケーラ地区、さらに隣りのオザスコ市が豪雨で洪水に見舞われている。

気になる水源地のニュースが乏しい。
テレビで目にしたのは、わずかなお湿りで干上がった湖畔に雑草が生えた、ぐらいのもの。
サンパウロ市内では水責めであえぐ市民が続出するなか、ネットで調べると900万人の水がめであるカンタレイラ貯水池の水量は容量の6パーセント程度で、変わらない由。

日本のフクイチカメラのように、貯水池の様子をちくいち流してもらいたいものだ。


12月23日(火)の記 タイヤ リタイヤ
ブラジルにて


自家用車の後部車輪の空気圧が下がりがち。
思い切って近くのタイヤ修理のおじさんのところに行く。
補助タイヤと交換してもらうつもりが…

後部トランクにあると思っていた補助タイヤが、ない。
車体後部の床面に取り付けてあったのが、盗まれているのにおじさんに言われてようやく気付く。
後部タイヤには、釘が刺さっていた。
全部タイヤも内側がつるつる。

大がかり、もの入りとなってきた。
全部タイヤを両方、おニューに変えることにする。
アライメント(日本語ではこう呼ぶと初めて知る)をどうするか。
おじさんの紹介してくれたところは、クリスマス前で予約いっぱい。
なんとか間隙をぬって、都合がつき次第、電話をもらって駆けつけることにする。
夕方、ようやく終了。

ひとまず安心だが、もの入り・疲れた。
にしても、いつ、どこで、何者にタイヤを盗まれたか。


12月24日(水)の記 今年のナタール星人
ブラジルにて


ブラジルでは、クリスマスのことをナタールと呼ぶ。
ナタール星人は東宝の特撮映画『宇宙大戦争』に登場する異星人。
ブラジルのワールドカップで日本対ギリシャの試合が行われた都市名はナタールだが、もはや宇宙大戦争より昔のことのよう。

さて、ブラジルのクリスマスイブのお店の営業時間はまちまち。
午前中は開いている店がほとんどなので、買い物に出てみる。
スーパー類のレジは通常の数倍の列で、見合わせる。
日本食品店で、ブラジル産の醤油は買わないと。
店によっては、通常通りにひっそりしている。

夜は残り物の肉、野菜類を鉄板でいただく。
月曜に断食をしたため、今日もアルコールを抜く。
酒抜きのクリスマスイブはどれくらいぶりだろう。


12月25日(木)の記 ジオラマのプリミティズム
ブラジルにて


近くのカトリック教会のプレゼピオを見る。
プレゼピオは、イエスの生誕シーンを再現する模型で、こちらのクリスマスの風物詩。
いろいろなサイズの売り物もあるが、それぞれの手作りのものが面白い。

この教会のものは、岩屋や岩山を梱包に用いるような茶色の厚紙を使っているのがいい味を出している。
リアリズムを排したサイズもスタイルもまちまちな家屋の模型を並べているのも、それなりに面白い。
ブラジルの民衆絵画のプリミティズムに通ずるではないか。

日本の展示用の冊子に、僕がプラモデル少年の頃のことを書いた。
僕には、このプリミティズムジオラマの発想はまるでなかった。
牛山さんの言っていた「しょんべんリアリズム」という言葉も思い出した。


12月26日(金)の記 蘭として
ブラジルにて


小説家の星野智幸さんの初のエッセイ集『未来の記憶は蘭のなかで作られる』(岩波書店)を読了。
「蘭として、生きたい。」
植物学者の橋本梧郎先生からも聞いたことのない、植物作家の強烈な境地だ。
デビュー以降、1998年以降に発表されたエッセイを新しいものからさかのぼっていくという構成もすごい。
遺跡の発掘なら、層位学の原則から不本意でも時間をさかのぼっていかざるをえないが、作家の所産を時間軸に逆らっていくというのは斬新かも。

2011年が近づいていくことの緊張感と、それを突破した時の、この感覚。
明らかなのは、星野さんの、ブレなさだ。
そしていまの日本の世相も相当にひどいが、かつてもそれなりにひどかったこと。
メキシコの死者の日、311関連の死者への想いも共感。

不器用に生きる自分へのかけがえのない励ましをいただいた。


12月27日(土)の記「坐る9条」
ブラジルにて


早朝よりビデオ編集機をセッティング。
日本で撮影した演劇「坐る9条」通し稽古の映像を取り込んで、編集に着手。
数か月ぶりのビデオ編集だが、編集の醍醐味を味わう。

老夫妻に育てられた「9条イモ」が座禅を始める、という奇想天外なお話なのだが、スムースに楽しめる。
いろいろな仕掛けをしてあるお芝居なので、本番一回だけ見るのじゃもったいないかも。

編集は機械のはたらきもスムースで、そこそこはかどり、ありがたい。
ちなみにこのお芝居の公開は1月17日(土)の午後1時だったか、上野の東京と近代美術館にて。
流浪堂さんの「岡村淳の脳内書棚」展の初日とダブるが、本番も撮影に行かないと。


12月28日(日)の記 猛暑到来
ブラジルにて


昨日は遅くまで働いた。
働いてもカネになるどころか、出費ばかりなのが涙。
今日も早朝より、作業。

朝、路上市へ。
魚屋をまわり、一軒で刺身用にヒラメをすすめられる。
購入。

こちらの親戚の集い。
涼夏から一変して、本来の猛暑到来。

ヒラメはブラジル産薄口しょうゆ、リンゴ酢、ポルトガル産オリーブオイルでカルパッチョ風にいただく。
よきかな。
冷蔵庫の有り合わせで他に数品、こさえる。

さあブラジル出家まであと一週間だぞ。


12月29日(月)の記 この世の小さな終わり
ブラジルにて


日付が今日に変わるころ。
鬼哭をほうふつさせる激しい風音、雷鳴とともに豪雨がわがアパートを襲う。
窓の隙間からじゃんじゃんと雨水が流れ込んでくる。
激風で窓ガラスが砕け散るかと思うほど。
家族全員で対処。
何度か停電。

わが家のあたりは高い台なので、道路も浸水は免れている。
路上生活のおじさんたちはどうしただろう。

日中も、何度か雨。
サンパウロ市内で200本近い街路樹が倒壊したとの報道。
わが家の近くのアヴェニーダの中央分離帯の一本も倒壊。
考古学徒時代に親しんだ、風倒木という言葉を思い出す。


12月30日(火)の記 ダリのための行列か
ブラジルにて


気になる外回りを年内に済まそう。
日本人の友人と東洋人街で昼食。

午後、ピニェイロス地区へ。
別の友人の職場に届け物。
その足で、トミエ・オオタケ文化センターへ。
1月中旬までのサルヴァソール・ダリ展を見ておくため。

すでにクリスマスと年末年始の休暇に入っている。
道路はがらがら気味、シャッターを下ろしている店舗も多い。
が、トミエ・オオタケは!
まさかまさかの行列が、聖公会教会の角の先まで続いているではないか。
草間彌生の時ほどではなかったが、入館まで30分待ち。

皆さん、ダリの何を見に来たの?
とにかく写真撮りが激しい。
スタンプラリーの感覚か。
ざっと一巡してから、さらに内部行列の激しい小部屋の列につく。
女性の顔になっているアパートの部屋だった。
唇状のソファに座って前方の鏡に映った自分らの写真を撮るという趣向で、ひとりでカメラも持たずに来た僕は、ばかみたい。

それにしてもダリの植物画、果物画は面白かった。
橋本先生よりずっとうまい。

同じ文化センター内、ダリ展の手前の大きな空間で新人写真家展も同時開催中。
こちらは、まるで人がいない。
草間彌生やダリといった、超ビッグネームだけが、ケータイ写真スタンプラリーで消費されてるってとこか。


12月31日(水)の記 大晦日のだしひき
ブラジルにて


今日中、今年に懸念の原稿に目鼻をつけたい。
それをメインに。

近くの日本食材屋では、年越し・正月用の大皿の握りずし盛り合わせが売れていたそうだ。
ブラジル日系人も、2世以降は年越し蕎麦の習慣は乏しい。

わが家は山形・卯月商店の乾麺が一つ残っていた。
まずは、出汁(だし)をとる。
北海道の猫足昆布、産地は忘れたが日本から担いできた削り節、ブラジル産醤油にみりん。
この醤油、甘目なので砂糖は加えない。

ううん、そもそも水道水が電気フィルターを通してもアオコくさい。
出汁にもミネラルウオーターを使うべきだったか。
蕎麦茹でにも、となってくるとますます家計が追い込まれる。

新鮮な蕎麦なら薬味無用と教わった。
しかし水はこの状態では、長ネギ、一味がらし、柚エキス、イリゴマでごまかさざるをえず。

茨城の蕎麦の里のカビくさい蕎麦よりはずっとましだけれど。
原稿もいったん、書き上げ。
とりあえず来年まで寝かせよう。


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