僕は牛山純一に狂気を学んだ(メイシネマ書き下ろし/2012年) (2017/05/31)
西暦2012年の秋のメイシネマ上映会で拙作『サルヴァドールの水彩画』を上映していただく際に書きおろした文章をアップします。
僕は牛山純一に狂気を学んだ 『サルヴァドールの水彩画』2012年メイシネマ秋の上映会公開記念 文・岡村 淳(記録映像作家/在ブラジル)
僕が牛山純一代表率いる日本映像記録センターの職員ディレクターを辞して、フリーとなってブラジルに移住してから25年が経った。 ブラジルで小型ビデオカメラを駆使したひとり取材に開眼して、今日に至っている。 自主制作を始めたのは1997年、奇しくも牛山さんの亡くなった年だ。 わがフィルモフラフィーを振り返ると、個人に焦点を当てたヒューマンドキュメンタリーが大半である。
自分なりにその傾向を分析してみよう。 僕の作品づくりの基本は「人間、いかに生きるべきか」というテーマの模索である。 僕は、どのように生きるべきか。 それを、自分が魅かれる人物にカメラとともに寄り添い、時空を共にしながら見つめていく。 主人公は、自分の夢や理想、目的に向かって歩んでいる。 その姿は、見方によっては「狂気」と呼ぶのがふさわしいことがしばしばだ。 僕は相手の狂気を、記録を通して共有していくのだ。
この度、メイシネマ上映会で僕の最新作『サルヴァドールの水彩画』を『テレビに挑戦した男 牛山純一』と併映していただくにあたり、師匠である牛山さんの代表作を振り返って、気がついた。 牛山さんはまさしく被写体の狂気に対峙していたのだ。 『ノンフィクション劇場』の「ベトナム海兵大隊戦記」(1965年)では主人公のグエン大尉の狂気の行軍に、一人称で問いかけるナレーションで向き合っていく。 そしてテレビ朝日『終戦記念三部作』の第三作「ニューギニアに散った16万の青春」(1991年)ではニューギニアで皇軍兵士の遺骨収集を、遺骨にため口をききながら独自に進める男や、かつて現地人の虐殺を指揮した老いた元日本軍人などが登場する。 そして彼らの狂気を、あらたに現地に立つ牛山ディレクター自身が荒ぶれて、ついには凌駕していくのだ。 しかし僕には、あの牛山さんの狂気が、テレビ番組のためのパフォーマンスとしてのものだったのか、真正の狂気だったのかがわからない。敗戦後半世紀を経てから、当時の大本営を激しくあげつらっても、およそ返り血も望めないことだろう。
そんな牛山さんの唱える現場主義を信じて、僕はブラジルに移住してしまった。 ささやかな狂気の継承者ということになるのかもしれない。 『サルヴァドールの水彩画』では主人公の画家・森一浩さんとついには狂気の応酬を繰り広げてしまった。 12月完成予定の『リオ フクシマ』では主人公が不在の間にカメラと一体化した僕自身が狂気そのものに向かっていく感がある。 さあ、皆さんにどのようにご覧いただけることだろうか。
「一期は夢よ ただ狂へ」(「閑吟集」)。
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