東京江古田・ギャラリー古藤にて岡村作品上映まつり (2020/07/19)
| 8日間の特集上映の終了後、大反省会に向かう前に (写真提供:ギャラリー古藤) |
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10年に一度、あるかないかの岡村作品の特集上映。
今年1月に東京・江古田のギャラリー古藤で実現した上映まつりは、堂々8日間全30作品上映という岡村の生涯最大のスケールとなりました。
おかげさまで奇しくもコロナウイルス流行の影響を受けることなく「完全な形で」実施することがかないました。
この特集上映について岡村自身が書いたものを追って紹介します。
まずはガリ版通信の『あめつうしん』への寄稿をアップしました。
〇『あめつうしん』No.320 西暦2019年12月31日発行
「えこだだ まつりだ おかむらだ ー 岡村淳映画まつりによせて」 岡村 淳(記録映像作家、在ブラジル)
新年一月十八日から八日間にわたって、東京江古田のギャラリー古藤にて拙作の特集上映を開催していただくことになりました。
私が移住先のブラジルで自主制作を開始して以来のひとり取材作品、長短合わせて30本を一挙に上映! 私の総作品数はさらに多く、泣く泣く今回は見合わせた作品は20本近くにのぼります。 いっぽう上映作品のなかにはブラジルのブの字も中南米も出てこない作品も数本あります。 かくも多くのドキュメンタリー映画をひとりで紡ぎ続けるブラジル移民オカムラとは、いったい何者でしょう?
自作の宣伝や営業活動をせず、スタッフも事務所もなし、映画祭受賞とも縁がなく、映画館での上映もまれな拙作群を、あの「表現の不自由展」のギャラリー古藤で上映していただけるとは! 私にとっては奇跡です。 拙作がどういった傾向のものかを伝えるには「ブラジル」や「移民」をキーワードにすればわかりやすいかもしれません。 しかしそうしたワクに収めてしまうとこぼれてしまうものにこそ、自分のエッセンスがあるように思います。
「森羅万象」を描く、という言葉を好んでいましたが、不快指数100パーセントの日本国総理大臣からこの語に手垢をつけられてしまいました。 対象に「寄り添う」という表現もよく使いましたが、これは日本国の象徴がしていることに使われてしまいました。
自作群を自分で解題するのも無粋ですが・・・、小説家デビュー前の星野智幸さんが『岡村淳氏の豊かさ』という論考を前世紀に上梓しています。 経済的に豊かだったことはありえないので、なにか他の豊かさなのでしょう。 書籍編集者の淺野卓夫さんは『岡村淳 愛のメディア』という論評を書いてくれました。 キリシタン訳で「愛=お大切」と考えるとわかる気もします。 記録映画監督の四宮鉄男さんは拙作には「リアルが映っている」と説いてくれました。 少しずつ、わかってくるようです。 私は、私自身が現場でファインダーをのぞいて写した映像、イヤホンで聞いて収録した音声しか原則として用いません。 その積み重ねがリアル:臨場感をかもしているのでしょうか。
ギャラリー古藤オーナーの大崎さんが近所の老舗の画廊の話を教えてくれました。 そこは世に知られない作家を取り上げていて、それがギャラリーの役割だと言います。 埋もれがちな作家と作品に、ひかりをあてる。古藤さんが今回の特集上映を企画してくれた訳は、これに尽きるのでしょう。
オカムラ作品の奇跡の軌跡を、鬼籍に入る前に。
『あめつうしん』の名の由来は飴からきていると知りました。 わが上映会ではブラジルから担いできたコーヒーキャンディーをお配りしています。ブラジルの飴をほおばっていただいて、ぜひあなたのひかりを拙作に照らしていただければと願っています。 どんな光合成がはじまることでしょう?
(『あめつうしん』は岡村が長年、愛読している日本のガリ版刷りのミニコミ誌です。 ご関心のある方、定期購読ご希望の方は masa.tanoue@nifty.com の田上正子さん宛て住所氏名とともにご連絡ください。 日本国内でしたら発行人の田上さんより見本誌をお送りいただけるとのことです。)
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