IBARAQUI MEU AMOR : イバラキ わが愛 (2020/10/20)
IBARAQUI MEU AMOR : イバラキ わが愛 岡村 淳 (記録映像作家、在ブラジル)
「古の人、常世の国といへるは、 けだし疑うらくは此の地ならむか。」 『常陸風土記』
すでに日本からブラジルに住民票を移して30余年になる私だが、出身は東京で、両親ともに東京の生まれである。 自分のルーツを感じる身近な田舎がない身なものの、数ある取材を通じて奇妙な縁を覚える地方がいくつかある。 山口、鹿児島、そして茨城だ。 私の茨城との縁をお伝えしたい。
まずは、ドキュメンタリーづくりのわが師匠にしてトラウマである牛山純一プロデューサー。 牛山の生まれは東京だが、小学校6年から旧制中学卒業までを茨城県龍ケ崎市で過ごしている。 龍ケ崎市立中央図書館には牛山純一ライブラリーがあり、『すばらしい世界旅行』(日本テレビ)の私がディレクターを担当した番組もいくつか収蔵されて、定期上映会に供されているという。
私はその以前から、この龍ケ崎に縁があった。 時代は縄文時代にさかのぼる。 牛山に仕える前の私は考古学徒だった。 古城泰という学兄が龍ケ崎にある縄文時代の貝塚を独自の関心から発掘調査を行なうことになり、私は手伝いに通っていた。 当時、この地域では土葬が続いていた。発掘の合間に見た野辺の送りの光景を、映画のシーンのように覚えている。 今年2019年のメイシネマ祭で上映していただく拙作『金砂郷に打つ』の主人公の水戸の手打ちそば「にのまえ」店主、眞家一(まいえ はじめ)さんとはブラジルで1992年に出会った。 『すばらしい世界旅行』での度重なるブラジル・アマゾン取材が嵩(こう)じて自らブラジル移民となった私の手本は、NHKの相田洋ディレクターの「あるぜんちな丸 乗船名簿」シリーズだった。 1968年の移民船に同行して、その後も継続取材を続けている。被写体の人との信頼関係と取材の継続時間を第一と考えていた当時の私は、新たにブラジルに夢を抱いてやってくる日本人の若者を物色していた。 そして目を付けた青年のひとりが眞家さんだった。 眞家さんはJICA派遣の日本語教師としてサンパウロ州内陸の日本人移住地で教鞭をとっていた。 「日本で一番おいしいソバが採れるのは僕の故郷の茨城なんです。僕はいずれ茨城で手打ち蕎麦屋を開けますよ。」 見果てぬ夢を大言壮語する輩は少なくない。 しかし彼は実現してしまった。 拙作から取材者と被写体の関係に留まらないなにかを見取っていただき、まずはうまいソバが食べたい、と思ってもらえれば、ドキュメンタリー屋冥利に尽きる。
茨城の蕎麦は思わぬ縁も繋いでくれた。 茨城の県庁所在地・水戸の市民による芸術の祭典「水戸市芸術祭」は昨年、第50回を迎えた。 その記念事業の一環として、映像部門の講評者として私がブラジルから招かれることになった。 蕎麦処「にのまえ」の常連さんの奔走のおかげである。
水戸市芸術祭の映像部門は、短編映画に特化していることで知られている。 そしていわゆるアンデパンダンの方式をとり、無審査かつ無賞与である。 私のミッションは市民の応募した作品すべてを見て、講評すること。 そして、もうひとつ。 ゲストの招待作品として、私自身が短編作品を出品することを依頼された。
一般応募者の作品の長さは15分まで、と規定されている。 岡村さんはそれを超えてもかまいませんので、と主催者に言われたものの、お手本となるべき分際がルールを軽んじては、いまどきの日本の総理大臣と同じではないか。 長さの遵守を決めたが、そもそも私はこれまで15分以下の短編というのは例外的に、あまり普遍的でないものしかこさえていない。
あたらしくつくるか。 しかし駄作は許されない。 アマチュアの映像作家さんたちは僕など及びもつかないほど機材にカネをかけて、他人の作品に辛口の方が多いことは承知している。 そして芸術祭まで、あと数か月だ。
私が在ブラジルであるという特性が活かせること、題材が水戸の人たちに身近であること、これから取材が可能であること、なによりもアマチュア映画人たちのお手本とならまほしき作品であること!… 私には茨城で積年の付き合いを続けて、ビデオカメラも何度かまわして作品化を考えていた人と場所があった。 茨城県土浦市のJR常磐線神立(かんだつ)駅近くに住まう友人・櫻田博さんと彼の設立運営する「キッズ&スクール」という、ブラジルなど外国系の児童を公立学校の放課後に預かり、学童保育と補習塾の役割をはたす施設だ。 櫻田さんともブラジルで出会っている。 私と同じ歳の櫻田さんは日本語教師としてブラジルに渡り、現地でウエブデザイナーの仕事を始めた。 私のウエブサイト『ドキュメンタリー屋さんのオフレコ日記』の大家さん兼管理人でもある。 櫻田さんはブラジルで築いた家族の将来を考えて、日本に戻る決心して、これまで縁のなかった茨城に住まいを得て「キッズ&スクール」をはじめることになった。
私は日本に戻る度に親友の櫻田さんと旧交を温めて、彼の活動にドキュメンタリー屋としての食指を動かし始めていた。 実に興味深いのだが、私は牛山門下時代に「ハプニングを撮れ」と叩き込まれている。 ふだんブラジルに暮らす私は、茨城でのハプニングにすぐに駆け付けるのがむずかしく、行き詰まっていた。
よし、短編で挑戦するか。 その結果が今回、合わせて上映していただく『未来のアミーゴたち 神立キッズ&スクール』だ。
私のAMOR:愛を感じていただければ、なによりです。
(西暦2020年5月4日「メイシネマ祭」会場にて配布)
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