岡村淳映画まつり@ギャラリー古藤/日替わり新聞紹介(西暦2020年・全8日)) (2021/03/23)
【夢と知りせば/岡村上映会の八日間】
《第一日目・2020年1月18日(土)》
はじめに郷愁ありき・山形国際ドキュメンタリー映画祭予選落ち作品
『郷愁は夢のなかで』は岡村のはじめての長編自主制作作品です。
西暦1998年に完成させたときのタイトルは『郷愁は夢のなかで ブラジルに渡った浦島太郎』でした。
「テレビくささ」が抜けていない、という指摘が気になり、また致命的な字幕の間違いを主人公の西佐市さんと同じ鹿児島出身でブラジルに渡ることになる若者に発見してもらったことなどから、これまで手直しをしてきました。
昨年、今さらながら新たな字幕の誤植を発見してしまい、また最近の人には意味のわからない言葉があることなどから年末に改めて改訂版を作成しました。
初版作成以来、編集システムが激変してしまい、「やってみなければわからない」作業となりましたが、おかげさまで今日の新改訂版ワールドプレミア上映を迎えることができました。
改めて何回も見直しながら、よくもこんな作品ができたものよと我ながら感慨に耽っています。
この作品のミソは、多くの拙作に共通することでもありますが、取材者である岡村が、知りえた、そして撮影しえた時間系列に沿って素直に構成編集していることかもしれません。
いわば取材者と観客が同時に新たな事実を探りあてていくのです。
記録映画の大先輩の四宮鉄男監督が「岡村さんの映画には『リアル』が映っている」と繰り返し指摘してくれる理由のひとつは、このあたりかもしれません。
劇作家・石原燃さんとの出会いは劇的か
初日のゲストとしてお招きする石原燃さんと出会った日がいつだったのか、調べてみて愕然としました。
四年前の「建国記念の日」だったのです。
「皇紀二千六百七十七年」のことでした。
そして石原さんの戯曲の世界と僕との意外な結ぼれにも驚くばかりです。
その後、僕は生前にお目にかかることのかなわなかった石原さんのご母堂で小説家の津島佑子さんを身近に感じることしばしばです。
その津島さんの存在を最初に意識したのは、僕の畏友で明日19日のトークに登壇していただく星野智幸さんが大手新聞に書かれた津島さんの追悼記事でした。
その縁は20日のゲストの永田浩三さんに、さらにその翌日21日のゲストの昼間範子さんにつながっていくことに、いまこの項を書きながら気づいて、ふたたび愕然…
『フマニタス』の佐々木治夫神父とのお楽しみはこれからだ
『赤い大地の仲間たち フマニタス25年の歩み』の主人公、佐々木治夫神父はこの1月で満90歳を迎えました。
「佐々木神父はお元気でしょうか?」と聞かれると、二つ返事でお元気とは答えられなくなって久しいですが、今年になってメールを交わした時点では、どうやらお元気そうでした。
齢90にしてメールをたしなまれるということで驚かれる方も少なくありません。
思えば岡村より早くからパソコンをたしなんでおられました。
佐々木神父の近年のいちばんの関心は「竹」です。
あのかぐや姫の、タケノコの竹です。
日本ではあまたの利用がされているものの、ブラジルにも生えてはいるがさして活用されていないタケをつかって貧しい人たちの生活を助けることはできないだろうか?
そんな佐々木神父の思いつきで、さっそくご相談いただきました。
なんと僕には「愛竹家」と自称する橋口博幸さんという在鹿児島の友人がいるのでした。
おっと、その前から植物としてのタケの起源はブラジルにあり、と説く竹研究者の知人がいることも思い出しました。
日本では放置竹林が問題とされるなか、ブラジルでタケをダイナミックに活用することが可能だろうか?
佐々木神父は僕を退屈させてはくれません。
そしてつい先ほど、西佐市さんの故郷鹿児島からこの竹プロジェクトの新たな成長につながる吉報の連絡がありました。
タケなだけに、育ち出すと早いぞ!
きみは橋本梧郎をみたか
『パタゴニア 風に戦ぐ花/橋本梧郎南米博物誌』。
わが師・橋本梧郎先生を、ギャラリー古藤のスクリーンに再生させるよろこび。わたしは祭司となる。
今回、橋本梧郎シリーズは4本上映します。
22日上映の『南回帰行/橋本梧郎と水底の滝』では橋本梧郎先生と佐々木治夫神父の夢の共演も‼
岡村作品ファンにとっては三船敏郎と石原裕次郎、ゴジラとキングコングの対決なみの贅沢シーンです。
タランチーノとオカムラ作品
今回の訪日の機中の映画で圧巻だったのはクエンティン・タランティーノ監督の最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』です。
いつもながら彼の音楽の使い方に驚き、舌を巻きました。
さて岡村は作品に音楽を用いているのか?
その効果のほどは?
どうぞお楽しみに。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com
寄稿を歓迎します。あと7号、ぶじ刊行なるか? 《第二日目・2020年1月19日(日)》
クリスチャンの成仏とオシャカの編集機『ブラジルの土に生きて』の初版の完成は西暦2000年。
僕にとって20世紀最後の作品です。
当時の作品の仕上げは、日本のビデオ編集スタジオで行なっていました。
マスターテープを作成して、それをダビング業者に持ち込んでVHSテープへとダビングするのです。
当時は上映会も一般視聴もVHSテープでしたので、今日みなさんにご覧いただいているデジタル起こしのものよりだいぶ画質は落ちるものでした。
21世紀に入って911、さらに祖国の311が生じたのちの瀬戸内海の豊島での上映会でのことでした。
島民の女性から一カ所の字幕の間違いを指摘してもらいました。
すでに旧世紀からビデオ編集システムは激変していて、朝飯前の作業で問題修正というわけにはいきません。
とはいえ、僕の性分からこうした間違いを見つけてしまうと気になってしかたがなく、主人公のクリスチャンご夫妻を「成仏」させられない思いです。
さらに歳月ともに主人公の言葉が聴き取りにくいという声が増えてきて、思い切りました。
主人公の発する言葉すべてに日本語字幕を載せてみることにしたのです。
基本的に字幕を載せるのは画面を汚すことだという考えを僕は持っていますので、いろいろな葛藤がありました。
しかも字幕を機械的に画面に重ねるのではなく、ひとつひとつ文字の間隔もインサートする位置も手作業で決めていきます。
字幕の数は千数百枚におよび、すでに故障がちだったわがビデオ編集機の限界を超えてしまったようでした。
完成間近にしてデータがすべて使用不能になりました。
数か月の格闘となり、改訂版完成とともに編集機はオシャカとなりました。
星野智幸の任侠道 本日のゲストの星野智幸さんとの出会いは、星野さんの小説家デビュー以前にさかのぼります。
イタリア→ブラジルを経て極東に持参して今回、会場に展示してある「イタリアイケメン神父カレンダー」のひと月を飾っていても違和感のない優男ながら、僕にとっての星野さんはひとことで言うと「任侠の人」。
僕自身のあゆみのなかで「法難」という語を思い起こすようなメディア側権力側からの無体、非道な迫害を受けたことが何度かあります。
そうした時、星野さんはご自身への返り血を僕が懸念するほど敵陣に接近しての艦砲射撃を繰り返してくれました。
デビュー前に星野さんが著した岡村論『岡村淳氏の豊かさ』に接した時以来、何度も優男に泣かされています。
岡村作品『あもれいら』シリーズのたたかい 『あもーる あもれいら』シリーズの作品に対して、辛辣にして奇怪な非難、誹謗中傷が何度かネット上に現れました。
書き手はブラジル在住の日本人らしいのですが、実名も明かさず、僕に直接浴びせてくるわけではないので何者ともわかりません。
そもそも事実ではないことを重ねて書き連ねて、だからこの映画も岡村もけしからんと勝手に盛り上がっているので、お話になりません。
先方はなにが目的でなにが楽しくて、無名無冠でひっそりとこうした作品を紡ぎ続ける岡村を攻撃してくるのかを考えると、憤りを超えて滑稽さ、あわれさを感じてきます。
岡村ごときがおとしめられることには慣れっこですが、匿名人が面識もないに違いない僕の作品の被写体の人たちまでおとしめることは、断じて許しません。
わたしがいたことを、伝えてね『40年目のビデオレター アマゾン編』もこぼれ話の尽きない作品です。
思い返すと、不本意なことが次々と浮かび上がってくるではありませんか。
まあそれらはさておき、不思議なことも少なくありませんでした。
取材のメインは主人公の和田さんのアマゾンミッションへの同行でしたから、長期のものではありませんでした。
ひと通りの取材、資料の撮影を終えてサンパウロのわが家で深夜にひとりで映像の編集作業を続けているときです。
アマゾンの移住地で10代半ばにして人生を閉じた少女が遺した、何枚かの白黒写真をみつめます。
彼女のいのちの躍動とかがやきが伝わってくるようでした。
存命ならば僕より年上の彼女。
「わたしがいたことを、伝えてね」。
そんな言葉が聞こえてくるようでした。
はい。あなたがこの世にいたこと。
うつくしく輝いていたことを伝えましょう。
いつもと違った幕が開き大雪の懸念された上映初日の土曜日。
お向かいの武蔵大学では大学試験センター試験が行われるなか、おかげさまでぶじ上映まつり初日を敢行することができました。
閑古鳥は鳴かず、立ち席すし詰めにもならずのいい塩梅。映写と機材のトラブルがなく、来客の皆さんのトラブルがなかったようなのがなによりでした。
ひとつの作品が一回だけでの上映ではもったいない、残念、というお声を複数いただき、わが意を得たりです。さあ、お楽しみはこれからだ!
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳
junoka@hotmail.com 《第三日目・2020年1月20日(月)》
地味か 滋味か 殺されそこねて
岡村上映まつり第三日めの最初の上映作品『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』は西暦1999年に撮影したものを、世紀をまたいで2013年にようやくまとめ上げたものです。
撮影時に受胎した子がいれば、すでに13歳になるほどの年月が経過しました。
どうしてそんなに経ってからまとめたかには三つの理由があります。
それについては上映後の特別ゲスト・武蔵大学教授の永田浩三さんとの対談のときにお話しできればと思います。
僕の日本のホームグラウンドである目黒でこの作品を上映した折、冒頭の挨拶で「とても地味な作品です」と語ったことがあります。
それを聞いたルポライターの参加者が「自分の作品を上映前に『とても地味だ』と語るとは」と驚いていたことを思い出しました。
日本のメディアの発信する側の人がそれに驚いたということが僕には驚きでした。
その時からこの作品に塩や砂糖も香辛料や化学調味料も加えていません。
ご覧いただく方の味覚を信じています。
NHKへの愛憎恩怨
ひと言でNHKといってもその職員ひとりひとりは多様そのものです。
僕自身、NHKにはお世話になった人、敬愛する人が少なくないものの、無体かつ非道な目に遭ったことばかりを反射的に思い出してしまうのは僕の人としての器の小ささ、レベルの低さの故でしょう。
岡村はキリスト者であることを標榜しながら、ひとをゆるさないのか。
相手がゆるしを請う気もないどころか、悔い改めをせずにまた同様の、あるいは味をしめてさらに阿漕(あこぎ)なことを他者にもやりかねないのにゆるしてしまうことは、僕にとってはおこたりの罪だと思います。
昨年末からNHKをめぐって新たなトラブルが降りかかっていますが、僕はこの姿勢でいるつもりです。
さて、NHK退職後にこのギャラリー古藤のお向かいの武蔵大学で教鞭を取ることになった今日のゲストの永田浩三さんと直接にご縁をいただいたのは、一昨年のことでした。
昨年はドイツの彫刻家リーメンシュナイダーについての永田さんの対談をこのギャラリー古藤で拝聴して、永田さんの博識のほど、そして登壇にあたっての勉強のほどがうかがえて舌を巻きました。
そのときに教わったいちばんのことは、イタリア文学者の故・須賀敦子さんの代表作『コルシア書店の仲間たち』は「解放の神学」にも言及しているという指摘でした。
今回、21日に上映する僕の最初の自主制作ドキュメンタリー『生きている聖書の世界 ブラジルの大地と人に学ぶ』はずばり解放の神学をテーマにした作品なのです。
さらに僕の友人知人には須賀敦子ファンが少なくないものの、恥ずかしながら僕は読んだことがありませんでした。
あわてて銀座の教文館に買いに行きました。
今日の対談は、永田先輩に胸を借りるつもりで臨みます。
トミエ・オオタケと富山妙子!
ああ、僕が敬愛するふたりの偉大な女性アーチストに寄り添った拙作を、あこがれのギャラリーで上映するというよろこび!
僕は近年、訪日の度に富山妙子さんのお宅を訪ねていろいろなお手伝いをさせてもらっています。
昨年、韓国からのキュレーターの訪問に際して僕がひとりで富山さんの100号クラスの大作の運び出しを受け持つことになりました。
富山さんにとって、自作ながらジャンルが違うのでこれまで一緒に並べてみることがなかった作品が隣り合わせとなり、その相乗効果に富山さんご自身がいたく驚き感動されたことを思い出します。
今日はそんな思いを皆さんと共有させていただきましょう。
よみがえれ 橋本梧郎
本日の夜の部の上映は『ギアナ高地の伝言 橋本梧郎南米博物誌』。
今回の特集上映での橋本梧郎シリーズ第2弾です。
この作品をまとめるにあたって、僕はふたつのあらたな試みをしてみました。
ひとつは、僕の師匠の牛山純一が代表作で用いたナレーション手法へのオマージュです。
もうひとつ。
通常、僕は自分が撮影した時系列にそって映像を構成します。
その「地味」な原則を破って、橋本先生のフィールドワークの記録にまるで時空の異なるエピソードを挿入してみたのです。
さてさてその効果のほどは?
この作品とかかわるヴェルナー・ヘルツォーク監督の作品をブラジルの映画祭で見た覚えがあるのですが、いまヘルツォーク監督のフィルモグラフィーを調べてみたところ、見当たりません。はて。
僕の見たのは、まぼろしか?
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com 《第四日目・2020年1月21日(火)》
三位一体の三日坊主
まつりをさらに盛り上げたい!
そんな思いから、本来は上映とトークに専念していればいいものを、三つの企画を並行してやってみることにしました。
〇日替わり新聞の発行
〇ポケットデジカメ写真展「岡村淳の『ちょっと時差ぼけ』」
〇雑多な紙モノを壁面に貼りめぐらせる「岡村淳のスクラップウオール」
上映開始三日前に成田到着、翌日からギャラリー古藤さんに詰めて、全体のプランもないままにブラジルから担いできたチラシ、ポストカード等々を出たとこ勝負で「ひっつき虫」を用いて貼り付けていきました。
おやおや、けっこうサマになるものです。
さあ「時差ボケ」写真の方だ。
デジカメからUSBメモリーに移して日本のコンビニのコピー機でカラーのA4光沢紙に焼いてあった写真の束から、これもゲージツカのヤマ感で選んだものを全体のイメージも湧いていないまま、反対側の壁にひっつけていきました。
意外と少ない枚数で、いっぱいいっぱいな感じです。
いちばんのインポなミッションは、この新聞です。
上映期間の八日間、日替わりで新聞を出してみようか。
コンビニのコピー機で10円でできる最大の面積、A3片面いっぱいで。
紙名は、どうするか。
僕自身、最初は「古藤」をなんと読むのかわかりませんでした。
ブラジル滞在中、近年はツイッターなどから日本で最も活躍と心意気のうかがえる「日刊ゲンダイ」へのオマージュも兼ねて、そして「古藤」の読みの啓発から「日刊フルトウ」というのを考えました。
オーナーご夫妻に検討してもらいましたが、「古藤が出しているものと思われてしまう」と難色が。
たしかにその通りです。
さあもう一度ない知恵を絞ったのがこの紙名です。
あまりベストとは思えませんが、もう時間がない。
要は三日坊主に終わらせずに完走できるかどうか…
初日号は前々日ぐらいから構想を練り始めていたのでなんとかなりましたが、もう二日目から息切れ気味。
三日坊主までたどり着けるかどうか心配になりましたが、なんとかおかげさまで、創刊四日目を迎えられそうです。
さて「スクラップウオール」は三日目を迎えてこれといったリアクションもうかがえず、読み物系の展示スペースがもっと欲しくなってきたので剥がし始めようかと思いました。
そんな折に岡山からこの上映のために!上京してくれていた赤木和文さんのフェイスブックの記載に触れました。
僕が「無心に」貼っていたいくつかのチラシ類が赤木さんの励みになったというのです。
いやはや、わからないものです。
赤木さんは最初、京都での僕の上映会に参加して、その後は地元岡山での岡村上映会を古民家カフェを借りて実現してくれた人です。
これまでのやりとりから書き手としてもいける人だとニラんでいましたが、このフェイスブックの記事を見て、僕の眼に狂いはなかったことがわかりました。
なんの気なしの展示が訪問者を励ますぐらいですから、僕の軽口や振舞いに怒り、傷ついている人も少なくないことだろうと自省しています。
千客万来/WELCOME/BEM VINDO
初日に宇都宮から来てくれた人がいて、主催者を感動させていました。
二日目には岡山から、広島から。
北海道の知人らしき人を見たときには僕の勘違いだろうと思いました。
所用で上京したのでなんとか上映参加も工面した由。
三日目には、長野から。
フィリピンからの予約も入っていると聞き、これも僕のフィリピンの知人が訪日のついでに寄ってくれるのかと思いましたが、予約名に心当たりはありません。
アルゼンチンからの留学生が二日連続で参加してくれて、日本語の拙著を読んでいるというのにたまげました。
那覇で古書店ウララを営む宇田智子さんも拙作上映会を沖縄で何度か実施してくれました。
那覇の牧志市場の向かいにある店先で、帳場に座る宇田さんの横におじゃまして道行く観光客たちを見やりながらよもやま話をするのは至福のひと時です。
本人は覚えていないのですが「ここなら死者にも会えそうな気がする」と僕が言ったのが文学者としても知られる宇田さんの印象にアーカイブされたそうです。
江古田でも死者に会えるかもしれません。
これがホントのシシャ会、なんちゃって。
キリスト教 勝手口入門
今日のゲスト対談をお願いした日本カトリック正義と平和協議会の昼間範子さんとも不思議なつながりです。
出会いの経緯は、あまり思い出したくないのですが。
今回、登壇をご快諾いただいてから話をしていてたまげました。
昼間さんは画家の富山妙子さんとも浅からぬ因縁があったのです。
対談のタイトルは当初「キリスト教 裏口入門」としていたのを岡村が「勝手口」に改めさせてもらいました。
「地球の裏側」から来ている僕は「裏」を誇りにすら思っていますが、思わぬ揚げ足取りによって僕以外の方々に迷惑がかからないように配慮しました。
勝手口と裏口の相違は、調べてみて勉強になりました。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com 《第五日目・2020年1月22日(水)》
自分は間違ってない
「大好きな映像作家岡村淳さんの上映、どれもすばらしくて勇気付けられた。自分は間違ってないと思えた。がんばるぞ!」
これはハンドル名センパイさんのSNSの投稿を引用・編集させていただいたものです。
僕の方が勇気づけられます。ありがとう、センパイ!
命が満ちてくるような感覚
「今回も、濃密な時間を過ごしました。岡村監督の作品上映会から出て帰ってくると、いつもなんだか、命が満ちてくるような感覚が自分の中でどんどん育ってくるのです。それは、監督の作品の中に、たくさんの命や時間が詰まっているからなのでしょう。」
ハンドルネームろくたろう さんのSNSの記載です。
さらにろくたろうさんがブログで発表された「岡村淳監督作品『ブラジルの土に生きて』をみて」。
これは何度読み返しても涙がとまりません。
ありがとう、ろくたろうさん。
上映まつりに参加された方々からちょうだいする珠玉の言葉の数々が、本来なら寝込んでしまいそうなハードワークの日々の僕の身心に沁みわたり、不思議なちからが沸き上がってくるのを感じます。
会場で直接いただいた拙作に批判的な声ふたつへの反論を書こうと思いましたが、先方がふたたび僕の上映に訪れることも、その反論を目にすることもまずなさそうです。
それらは、いずれまた稿を改めてということで。
消えたブラジル
八日間の上映を「起承転結」で分ければ五日目の今日から「転」に入ります。
本日の第一回上映作品『明瑞発掘』は「転」の幕開けにふさわしい奇作です。
一昨日と昨日、上映した『シリーズ富山妙子素描』は在日本の画家富山妙子さんのところで撮影したものですが、冒頭で富山さんとブラジルの縁を字幕で説明しています。
ところが『明瑞発掘』ではテーマも登場人物もブラジルとは関係ないのです。
種明かしをすれば、主人公である曹洞宗の住職・竹林史博師が岡村の親戚なのでした。
昨日はどっぷりキリスト教談義が続きましたが、岡村ワールドはキリスト教、そしてブラジルという「しばり」からもフリーであることを、作品をして証(あか)してみたいと思います。
ゲスト・岡村不安
本日のゲストの野村瑞枝さんの肩書は「岡村ファン」。
あやしい!
野村さんは岡村作品のなかにも登場されているのです。
市民によるドキュメンタリー上映祭の老舗として知られる「メイシネマ上映会」が東京の下町で毎年五月に三日間にわたって繰り広げる上映祭典「メイシネマ祭」。
そのゲストトークを、いちばん遠方のブラジルから参加しているゲストの岡村が撮影するというミッションを2016年から続けています。
そのなかでゲストの監督に質問する観客の常連として野村さんが収まっています。
野村さんはプロの講談師に弟子入りしていた人で、今日も特別講談を披露していただきます。
お題は『幣原喜重郎~憲法第9条を生んだ男』。
野村さんは昨年、体調を崩されましたがこのイベントのために精進を尽くされました。
好評をいただきましたら次回は『嗚呼ブラジル義民NHK討ち入り』の題目でもお願いしましょうか。
光州のピエタ/ブラジルのグレタ
本日の夜の部上映は『リオ フクシマ 2』。
昨年の江古田映画祭で上映していただいて好評を博した作品です。
福島原発事故を世界はどのように見ているのか。
そして希望はあるのか。
この作品を見返すたびに僕自身が感極まってしまうのが、リオデジャネイロのアニメオタクの女子高生へのインタビューです。
彼女の写真と言葉は現在、発売中の『週刊金曜日』1月17日号掲載の拙稿を飾っています。
彼女の輝きは去年から世界中で脚光を浴びているスウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリさんをほうふつさせます。
そしてブラジルの少女には、その20年前にリオを訪れたカナダの日系少女の影響がうかがえます。
その20年前のリオで、岡村はアマゾンの水銀汚染被害者との連帯を唱える日本の水俣病全国連のお手伝いをしながら撮影をしました。
そして明日、ワールドプレミア上映をここギャラリー古藤で行なう『山川建夫 房総の燭光』のなかで主人公の山川さんは、豪雨被害の房総からグレタさんを語っているのです。
ドキュメンタリー映画で、ひとをつなぐ。
私はそんな人になりたい。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com 《第六日目・2020年1月23日(木)》
岡村作品という鏡
「今度のは、だいぶよくなったわね」。
その言葉にたまげました。
2年前に日本ではじめてその作品を公開した上映会に、この人は来てくれました。
質疑応答の時間、彼女は挙手をして「(取材対象への)ツッコミがたりない」と発言されたのです。
「撮影はダメ」とおっしゃり、出入り禁止にすらなりかけた方のもとに訪日の度に何度も通って、奇跡的に先方から「撮ってちょうだい」と言われてすかさずカメラをまわした刹那の記録です。
ツッコミどころ満載の辛辣な批評を神妙そうに聞くぐらいのスキルと忍耐力は養っているつもりでした。
しかしこの時はキレてしまいました。
「僕としては自分の力の限界までかけて取材したつもりです。これでツッコミが足りないというのなら、僕はもうおりますので、どうぞご自身でされるか優秀なメディアにはたらきかけるなりして取材されてください。」
僕の口調も発語スピードも前後とは一気に変わっていたことでしょう。
発言者からもその他の方々からもこれ以上のツッコミはありませんでした。
今回、ギャラリー古藤で上映したその作品は、初公開ヴァージョンを改定したものです。
改定といってもよりツッコんだシーンを加えたわけではありません。
この2年間で祖国の状況があまりにも劣悪化したため、不特定多数を対象に公開する場合の配慮を関係者から求められて字幕の表現をぼかして、本編中の1カットを削除した次第です。
この改訂版をご覧になって「だいぶかわった」と思われるなら、その方自身がだいぶかわったためなのでしょう。
それは僕にはご同慶の至りですが、日本の世相がだいぶ悪い方にかわってしまったのは至極遺憾です。
明けない夜はない。夜明け後への遺産として、僕は作品を紡ぎ続けているのかもしれません。
呪文は いらない
本日、最初に上映する『移住四十一年目のビデオレター グアタパラ編』では岡村作品群ではめずらしく音楽を使っています。
現在、ブラジルからUターンして日本で活躍している畏友の青木カナさんにこの作品をまとめる際に快諾をいただき、僕のお気に入りだった彼女のマスターピースを提供してもらいました。
もう数十年にわたって、日本のテレビドキュメンタリーどころかドキュメンタリー映画までBGM浸しになっています。
インタビューの発言が聞き取れないほどの「効果」音楽、呪文のように全編に流れる意味不明の音楽。
映画では、日本のドキュメンタリー映画を牽引するべき監督が、チョー有名ミュージシャンの曲を得意げに冒頭から使用。
時流とは無縁な僕の方針は、現場の映像と音声のみを活かして構成することです。
ごくまれに、あえて音楽を用いる時は確信犯として、背水の陣で挑みます。
失敗は、許されない。
僕の「ここいちばん」の音楽使用は、黒澤明監督に影響を受けているかもしれません。
理屈は二の次、作品で勝負。
さあ、いかがでしょう、この音楽効果は?
ムサシの天使
ホストは地球の裏側のブラジルから40時間かけて。ゲストはお向かいの武蔵大学から。
本日のゲストの武蔵大学教授のアンジェロ・イシさんはウイキペディアにも取り上げられる著名人です。
ウィキで調べて、アンジェロさんがブラジルから訪日して30年にもなることがわかりました。
僕がアンジェロさんと出会ったのは20年以上前になるでしょう。
どういう経緯だったかよく思い出せず、今晩訪ねてみたいと思います。
ちなみに「アンジェロ」はポルトガル語で「天使」の男性名詞です。
武蔵大学からなら、天使は羽を使わずに入廊できるかもしれません。
岡村ロスへの処方
泣いても笑っても今日を入れてあと三日、25日までの上映まつり。
すでにおまつりの終焉を嘆く声をいただいています。
それが人生、サウダージ。
オカムラは とまりません。
終了翌日の夜には、さっそく横浜パラダイス会館(横浜シネマジャック&ベティ階下)で19時よりブラジル風料理付きライブ上映会があり、一般公開可能な『富山妙子素描』シリーズを一挙上映します。
要予約で、本日の朝の時点でほぼ満席です。
ご関心のある方はこの会場で配布している ART LAB OVA のニュースレターをご参照いただくか、岡村に直接お問い合わせください。
明日からはほかの東京での上映会、地方での上映会をご案内しましょう。
お楽しみは、これからです。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com 《第七日目・2020年1月24日(金)》
神やすむ七日目に 岡村は休まない今日は岡村淳上映まつりの第七日。
いよいよ連続上映「起承転結」の「結」のはじまりです。
第一回上映は『旅の途中/橋本梧郎と水底の滝・第二部』です。
僕がテレビディレクター時代にはじめて担当番組の宣伝原稿を書いたのは日本テレビで放送していた『すばらしい世界旅行』でした。
以降、百本まではいかないでしょうが、数十本の「番宣」原稿を書いてきました。
さてこの『旅の途中』は、ウリモノとしてのセールスポイントをあげるのがむずかしいのです。
ということは、テレビ向きではなく、客集めの映画向きでもない。
内容を説明するより、見ていただく方が早い。
いかにもオカムラワールドらしい一編ですラストシーンのあとで「続きが見たい!」「ここで終わらせるのはアザト過ぎる!」といった声が会場に広がるのが聞こえてくるようです。
タイトルに「途中」と銘打ってますでしょ?
それもオカムラワールド。
怪獣オタクですけど、なにか?今日の特別ゲストはギャラリー古藤のご近所さん。
江古田ゆうゆうロードにある「昭和のオモチャ、特にウルトラマンやゴジラの怪獣!」のお店コスモナイトαの依田雅彦さん。
岡村とこのお店の付き合いは、古藤さんとの出会いよりはるかに古いのです。
昨日のゲスト、アンジェロ・イシさんと、いまどきの子供たちの将来の夢が話題になりました。
岡村の少年時代の夢のひとつが「怪獣博士になること」。
父の果たせなかった夢は、ブラジルで生まれた息子に引き継がれ…。
息子よ、父を超えていけ。
オタクであることを生業として、サブカルチャーから日本を世界を俯瞰する依田さんのお話は、岡村の目のウロコをおとしてやみません。
岡村が掘り当てたコスモナイトという鉱脈をみなさんとどこまで共有できるか、岡村の対談プロデューサーとしての力量と手腕が問われます。
李香蘭にかみついて本日第二回上映の『山川建夫 房総の追憶』の主人公、山川建夫(ゆきお)さんは伝説的な人です。
フジテレビの若手花形アナウンサー時代にベトナム戦争問題をめぐって女優の山口淑子(李香蘭、のちに参議院議員)を批判して、番組を降板させれらた反骨の人。
昨年の江古田映画祭で上映された『大地といのりの祈り』シリーズのナレーターも務めています。
山川さんの声を聴けば、聞き覚えのある人も多いことでしょう。
岡村はブラジル移住後、ひとり取材をしたものを日本のテレビで放送していた時期に、3本の作品で山川さんにナレーションを担当してもらいました。
『南米のヘソ 水と緑の大地シャパーダ』
『神がかりの村 山口県嘉年村物語』
『アマゾン開拓家族の肖像 出稼ぎブームのかげで』
いずれも今はなき朝日新聞のニュースチャンネル、CS放送局「朝日ニュースター」の「フリーゾーン2000」という知る人ぞ知る番組で放送しました。
山川さんは僕のことを「じゅんちゃん」と呼ぶ数少ない一人でもあります。
じゅんちゃんやまちゃんの年齢差を超えた友情の産物が、この『山川建夫 房総の追憶』です。
今回、あらたに昨年の房総大水害のあとで撮影した『山川建夫 房総の燭光』もワールドプレミア上映します。
あもれいら 輪廻するこどもたち本日三回目は、この特集上映のトリとして岡村がチョイスした『あもーる あもれいら 第三部・サマークリスマスのかげで』。
第二部と並んで岡村ワールドのピークをなす作品です。
ご覧いただくのが、こわいほどのよろこび。
第一部を見た方から「(作品に)神がいましたね」というコメントをいただきました。
それはさらに第二部、第三部で顕現してくるようです。
ブラジルの環境問題と日本/ポスト古藤の岡村作品上映いよいよ今回の特集上映も明日25日に千秋楽を迎えます。
岡村は翌日から河岸を変えてライブ上映会を続けます。
社会・環境問題、日本の権力と資本が海外におよぼしている重大な事態に関心のある方にはこの上映会をおすすめします。
『緑の砂漠か緑の再生か ブラジルのユーカリ植林と日本』
日本の大手製紙会社が合同してブラジル奥地で膨大な範囲にわたってユーカリ植林を展開している。
企業側は「緑の再生」を宣伝するが、地元の零細農民たちは深刻な環境破壊にあえいでいた。
そして取材をした岡村への企業側からの弾圧がはじまる…
『第三世界の環境都市 ブラジル・クリチバの挑戦』を併映。
2月7日(金)19時より目黒区鷹番住区センターにて。
詳細は岡村のウエブサイト「岡村淳のオフレコ日記」をご参照ください。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳
junoka@hotmail.com 《第八日目・2020年1月25日(土)》
レンズの錬金術とポロロッカの思い出ぽろぽろ
岡村淳ドキュメンタリー映像まつり@ギャラリー古藤、ついに最終日の第八日目までこぎつけました。
多くの方から僕の体調を心配、称賛いただきましたが、自分でも不思議なほどの「火事場のばか力」を発揮できたようです。
僕は、メディア。
拙作を鑑賞した人から湧き上がってくるエネルギーを僕がいただいているのでしょう。
そこにレンズのはたらきがあることに気づきました。
僕がレンズを向けてとらえた被写体の方のエネルギーが、複雑なプロセスを経てギャラリー古藤のビデオプロジェクターのレンズを通して銀幕に再生される。
その映像と音声のかもしだす時空に感応するセンサーを持つ鑑賞者のなかで「感動」が生成されて、それをその場に立ち会っている岡村が受肉してエネルギーに変換していく。
レンズという言葉はオランダ語起源だそうです。
やまと言葉で言い換えることが可能でしょうか。
たま、でしょうか。
それは玉であり、魂(たま)に通じます。
30年近く前、訪日の折に愛知県にお住まいだった「先生」のもとに縁あって通っていたことがあります。
霊能力者、拝み屋などと呼ばれる部類の先生でした。
その先生は神棚の前で神がかりになって、訪れた人にまつわる物質から生じているトラブルを言い当てるのです。
当時の僕はブラジルに移住したものの「ひとり取材」にはいまだ開眼せず、フリーランスのTVディレクターとして企画を立ててはそれが通るかどうか、コネのある日本のいくつかの番組制作会社とやりとりをしていました。
そのなかで民俗系取材をもっぱらとする制作会社が、現地ですぐに撮影ができるようにとS-VHSのビデオカメラを僕に貸してくれたのです。
そのカメラをディレクター使用のサブカメラとして、別の制作会社によるアマゾンの大逆流ポロロッカの取材に臨みました。
僕は日本の三つの放送局の番組でポロロッカを取材しましたが、古巣の日本映像記録センター時代の『すばらしい世界旅行』に次いで2度目の取材の時です。
そして僕はポロロッカの濁流に、借りていたS-VHSカメラごと呑まれてしまったのです。
命はとりとめたものの、カメラはオシャカになりました。
この頃はリオの映画祭に参加して強盗に襲われるなど、いろいろなトラブルのあった時期でした。
そんな折、愛知の先生は僕にレンズ玉の問題があると指摘したのです。
トランス状態から覚めた先生は、僕にレンズのことで心当たりはないかと尋ねます。
僕は借り物のビデオカメラで遭難したこの事件を思い出して先生に話しました。
「カメラを使う仕事をしているなら、他人のものではなくて自分のカメラを使いなさい」。
先生のことばに大きな気づきをもらいました。
映像作家にとってカメラとレンズは、武士にとっての刀ではないか。
刀が借り物のサムライなどはお話にならない。
そもそもレンズ玉は自分の魂と相手の魂を交流させる神具であり、多少の無理をしても自分のものを求めるべきだ。
当時、放送用のビデオカメラは高いもので1000万円を超えていました。
いっぽうアマチュア用のものは10万円台のものが出始めて、性能もどんどん向上していました。
こうして僕がひとり取材をはじめる土壌がつくられていきました。
さて愛知の先生に指摘してもらって供出したものは、フランスで買った時計からアマゾンインディオの弓矢にまで及びました。
僕にまつわるいくつかのサワリのあるものは、ひと通り供出しました。
これからの人生で、問題が生じるごとに先生にお伺いを立てるというのは、いかがなものだろう。
これまでの学びのもとに、これからは自分で考え、祈り、決断するべきではなかろうか。
この上映まつりの終了後、遅ればせながら日本でビデオプロジェクターを購入するつもりです。
これで、ようやく二本差し、魂のさらなる自立を目指します。
アマゾン帰りの焼肉師(ネタバレ注意‼)
伊豆大島の冨士見観音堂は、その後も数奇なあゆみを続けています。
横浜シネマ ジャック&ベティの階下の大道で焼肉を売る伊藤修さんが堂守を引き受けてくれました。
ハマッコの伊藤さんは若気の至りでアマゾンに移住して、紆余曲折のすえ現地で設けた家族とともに日本に引き揚げてきました。
アマゾン時代に観音堂を建立した藤川真弘師を知ることのなかった伊藤さんは日本で岡村の『アマゾンの読経』を見て、ついに思い切ってしまったのです。
鶴見総持寺で修業するブラジル人僧侶たちに見守られて得度をはたし、今年中に伊豆大島に移住する予定です。
5月の連休には一般の方々との大島合宿を計画中です。
ドキュメンタリー映画に何ができるか。
伊藤さんが証明してくれました。
旅芸人の記録映画会
まつりボケの抜けない明日から、さっそく日本列島各地で岡村ライブ上映会がはじまります。
東京圏以外では富山県射水市、広島市、鳥取県倉吉市、広島県三原市等をまわります。
3月には再訪日を計画中。お楽しみは、これからです。
配布場所:ギャラリー古藤
発行・執筆者:岡村 淳 junoka@hotmail.com
( 以 上 )