千年たったら祝いましょう/ブラジル日本人移民100周年に寄せて(西暦2008年) (2021/04/26)
千年たったら祝いましょう=岡村淳(記録映像作家) (ブラジルの邦字日刊紙『ニッケイ新聞』の「ブラジル日本移民百周年特集・コロニア新世紀を占う=どうなる、どうする=ブラジルの〃ニッポン」に掲載されたものを採録しました。)
今年(西暦2008年)は『源氏物語』が千周年を迎えるという。 記録の上で存在が確認されてから、ちょうど一千年という計算だそうだ。 来年はオックスフォード大学が建学八百年のお祝いをする、と在イギリスの知人が教えてくれた。
歴史のスパンからすると、たかが百年というのは実に短い時間だといえる。 私は日本で学生時代に考古学を専攻して、日本各地にある先史時代の遺跡の発掘調査に参加していた。 最も親しんで発掘していたのは、今から五千年近く昔の縄文時代中期の遺跡だ。 日本の天皇家の歴史は、史実としての信憑性の乏しい上代の部分の記述を皇国史観時代にならって百歩譲って鵜呑みにしたとしても、二千六百年代である。 その倍近くもの古くから日本列島で培われていた、まさしく名もなき人たちの豊かな生活の痕跡に直接、触れさせてもらっていた。 千年単位の時間を体感しながら、はるか後代にやってくる権威とは無関係の時代の日本列島の住民の心に学んできたつもりだ。
百周年だからお祝いしましょう、協力しましょう、カネを出しましょう、という前に、百年というのは人類にとってどの程度の時間であるのかを考えてみるのも悪くはないかもしれない。 私は今年、五十歳を迎える。 百年という時の半分を、この地球で共有しているわけだ。 私の仕事の大先輩であり「大アマゾン裸族シリーズ」のTVドキュメンタリーで日本のお茶の間に親しまれ、ブラジルのコロニアの皆さんにも慕っていただいた日本映像記録センターの豊臣靖ディレクターが五十歳で夭折したのが、西暦1983年。 命日は奇しくもブラジル日本人移民七五周年の移民の日、六月十八日である。 私が豊臣さんの後釜のひとりとして初めてブラジル入りしたのは、葬儀から数か月後のことだ。 その時から数えれば、すでにブラジル移民百周年の四分の一に関わっていることになる。 TVディレクター時代には「無能」の烙印を押されていた私が、無能なりに少しでも気の利いたドキュメンタリーを作りたい、と願って、それまで毎年のように通っていたブラジルにフリーランスとして移住したのが西暦1987年。 その翌年にはブラジル移民八十周年にちなんで日本人移民をテーマにしたドキュメンタリーを二本、手がけて日本で放送している。 いつまでも学生の延長気分の抜けないジャポン・ノーヴォ(日本からの新米)のチンピラのつもりだったが、こうしてニッケイ新聞から特別号への寄稿を依頼されるようなことになってしまった。 日系コロニアの人材不足を察しざるをえない。
私がこちらでも少し関わることになった、考古学の視点から日本人移民百周年をみてみよう。 面白いことに、ブラジルでの日本人一世が関わった考古学の業績は、第二次世界大戦前に限られる、といっていいようだ。 戦前の日本人による在野の研究機関、栗原自然科学研究所に所属した故・酒井喜重氏のサンパウロ州の海岸地帯での貝塚調査と報告は、これからのエコロジー時代に通ずる白眉といっていい。 先史考古学を語るとなると、ブラジルという、せいぜい五百年ちょっとの政治的な地理区分はあまり意味を持たなくなる。 これまでは、南北アメリカのインディオ、インディアンなどとと呼ばれる先住民は、東アジアの黄色人種、モンゴロイドといわれる人たちと単純に考えられていた。 約一万年前の氷河期に、ユーラシア大陸とアメリカ大陸を北辺でつなぐベーリング海峡が海面低下によって陸橋となっていた頃、アジア側にいた人たちが何らかの理由でアメリカ側に渡っていったというのが通説だ。 現在、ブラジルで知られる最古の人骨はミナス・ジェライス州のラゴア・サンタの洞窟から発見された。 科学的な分析で、一万年以上前のものだと判明している。 この人骨は女性のものとわかり、彼女は学会ではルジアというニックネームで呼ばれている。 南米の人類の歴史のなかでは、日本人移民の到来は、ルジアの時代から百分の一足らずのごく最近のことに過ぎないわけだ。 さてこのルジアのプロフィールだが、いわゆる黄色人種というより、現在のオーストラリアに暮らすアボリジニと呼ばれる先住民に近いことが形質人類学の研究により、わかってきた。 また、古代の遺跡から発見される「糞石」と呼ばれる化石化した人糞のなかの寄生虫の卵の研究から、数千年以上前に、太平洋の島伝いに南米大陸に渡ってきた人たちもいる、という説も提唱されている。 自己満足かつ成金趣味まる出しのモニュメントを残して、関係者の死後に管理にも行き詰って迷惑されるより、ウンコでもきれいに残してくれた方が、人類史の研究にはずっと貢献できるようである。
ブラジル、そして南米大陸の特色かつ魅力は、この大地のヒトの歴史を見ても、多様性と意外性だと思う。 今日の日本では、アイヌ民族などの存在を無視した日本人イコール単一民族といった粗雑な認識が跋扈している。 その日本人の起源をさかのぼってみれば、北から西から南から、いろいろな時代に様々な人たちが渡ってきて交じり合ってきたことがわかるだろう。 なかにはある時代に日本列島に渡ってきて、わずかな遺跡を残したまま、痕跡の途絶えてしまったナゾの民族もいたのだ。 ブラジルの日系人も、あちこちに赤い門(鳥居)だけを残してブラジル人そのもののなかに融合してしまう可能性も多分にあるだろう。
悠久の時間から、いま現在に目を向けてみよう。 これからのブラジルで、数少なくなるばかりの我々日本人一世は日本語と日本文化をどのようにしていったらよいのだろうか。 これについては、偉い人たちがいろいろと偉いことをおっしゃっているようだ。 日本人のなかに美徳があるとすれば、そのひとつは「不言実行」だと思う。 祖国の権威やカネにおもねる動きは「敬遠」させていただきたい。 実現の見通しもない大風呂敷を広げられて、居丈高に協力を強いられるのも、もうたくさんだ。
私自身、この国で生まれた二人の子どもの父親となった。 今日、子どもたちと何語で何を話し、食事に何をどう作ってどう食べるか。 文化の継承とは、そうしたことのきめ細やかな努力と、その果てしない積み重ねに他ならないと思う。 残るべき意義と力を持ったものは残るし、そうでないものはいくら手間ひまをかけても消えていく――そんなことを、日本やブラジルで遺跡を残した古代人、そして多くの日本人移民の先輩たちから学んできたつもりだ。
おかむらじゅん◇1958年、東京都出身。早稲田大学にて考古学を学ぶ。日本映像記録センターの番組ディレクターとして、日本テレビの「すばらしい世界旅行」などを担当。1987年、フリーとなり、ブラジルに移住。小型ビデオカメラを用いた単独取材を開始。南米の日本人移民、社会・環境問題をテーマとしたドキュメンタリーの自主制作を続けている。
ニッケイ新聞 2008年7月5日付 (2021年4月加筆)
オリジナル出典: https://www.nikkeyshimbun.jp/2008/080705-iminnohikonhan5.html
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