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岡村淳のオフレコ日記
     岡村淳の著作類  (最終更新日 : 2023/06/16)
メイシネマの軌跡の奇跡 / 2022年5月メイシネマ上映会に寄せて 

メイシネマの軌跡の奇跡 / 2022年5月メイシネマ上映会に寄せて  (2022/05/29) メイシネマの軌跡の奇跡 / 2022年5月メイシネマ上映会に寄せて  
日本の皆さん、おはようございます。
現在、私の暮らすブラジルのサンパウロは、地球という星の上で皆さんがいまいらっしゃる日本のちょうど真裏にあたります。
こちらの季節も日本の反対でいまは秋、時刻は日本時間の12時間遅れです。
私は2年前の3月、コロナ問題で東京オリンピックの開催延期が決定された時期に逃げるようにブラジルに戻りました。
するとすでにブラジルでも非常事態が始まり、あれよあれよといううちにブラジルは死者数ではアメリカ合衆国に次いで世界第2位というコロナ大国になってしまいました。
素掘りの墓地に次々と遺体が運ばれてくるブラジルの映像をニュースで目にされた方も多いことでしょう。
ところが今は逆転してしまいました。
日本の新たなコロナ感染者の数は、いまは連休のためデータが控えめなようですが、それでも人口の比率からみると、なんと日本の方が一日あたりブラジルの4倍以上の新たな感染者を出している状況です。

いずれにしろコロナの状況からも資金の問題からも私の新たな訪日のメドは、いまだに立たないでおります。
メイシネマの藤崎代表に似た雰囲気のある山田洋次監督の映画『キネマの神様』の原田マハさんの原作に、「名画座は『昔ながらの村の鎮守』みたいな場所だ」という言葉があります。
毎年この時期に訪日して、メイシネマというお祭で藤崎宮司をはじめ、お手伝いの常連のお二人の加藤さん、そして鈴木さん、さらに森田監督とその師匠で「鎮守の氏子代表」の四宮監督らにお会いするのが楽しみでしたが、それもかなわなくなってしまいました。

さて、これからご覧いただく『メイシネマ祭‘19』の記録の見どころ聞きどころのひとつをご紹介しましょう。
2019年の初日の最後に上映される『禅と骨』の中村監督を迎える時に、藤崎さんは「中村監督は横浜から遠いところをわざわざおいでくださいました」と紹介しています。
その中村さんのトークを撮影しているのが、そのために「わざわざわざわざ・・・」ブラジルから来ているヒトだというのは、なんだか楽しい気がします。
藤崎さんはナゾの多い人ですが、その距離感覚もナゾのひとつです。
ひょっとすると、岡村は日本には成田空港から入国しているので、メイシネマの本拠地江戸川区からだと、成田の方が横浜より近いという感覚なのかもしれません。

このメイシネマ祭のゲストのトークを中心とする記録は、西暦2015年のメイシネマ祭25周年の時に開始しました。
長年、お世話になってきた藤崎さんへの、腰の軽い記録映像作家としてのささやかな恩返しのつもりでもありました。
私なりのこだわりで三脚を一切使わず、手持ちのカメラでそれぞれ話し出したら止まらない監督たちのトークを延々と撮影するというのは、そうたやすいことではありませんでした。
それをまさか自分でも、毎年ブラジルから訪日して5年も続けたとは驚きであると同時に感無量でもあります。
最初の2015年の記録をブラジルで編集して、訪日してまず藤崎さんのお宅で藤崎さんと二人で試写をした時のことです。
この、ご自身のことに関しては実に控えめな藤崎さんが、この記録は「奇跡だ」とまでおっしゃったのです。
藤崎さんが、なにを奇跡だと思ったかは皆さんから藤崎さんに尋ねていただきたいところですが、私に言わせれば、メイシネマの存在とこうして継続してきたことが奇跡であって、私はそれをメディアとして写し撮った、ということだと思います。
メイシネマ祭を繰り返して記録することで思い知ったことですが、毎年のメイシネマ祭を通して日本と世界の世相と問題点が浮き彫りにされています。
これは藤崎さんの採算度外視、毎回自ら経費持ち出しでのこだわりの作品選びの賜物といえるでしょう。
そしてそれぞれの作品と監督たちのトークから、貴重な日本のドキュメンタリー映画史も浮かび上がってきます。
惜しむらくは藤崎さんがご自身の宣伝となりかねないことをいさぎよしとしないためでしょう、今回のを含めて5年間5作品におよぶこのメイシネマ祭の記録が今日のような場での一度だけのささやかな公開以外の活用がされていません。
市民の側からの日本のドキュメンタリー映画史の記録として財産として、より多くの方々と共有できればと願ってやみません。

私はこれまで記録映像作家として自分の自主制作の作品をテレビで放送したり、DVDのソフトを販売するなどをせずに自分の立ち会う上映会のみに提供するというこだわりのスタイルを通してきました。
しかしパンデミックでブラジル巣ごもりとなってからは、オンラインで私がブラジルから参加する上映会に応じるようになりました。
そして昨年末から、自分でも驚いているのですが、思うところあって自分のYouTubeのチャンネルを開けて自作を発信することを始めました。
これも話せば長くなりますが、現代の民衆のツールとしてこのYouTubeを活用しない手はないということ、そしてこうした発表方法によるドキュメンタリー映像の新たな可能性をさっそく痛感しています。

われらがメイシネマは、おなじみのように藤崎さんの肉筆のプログラムをはじめ、アナログとローテクを極めているといえます。
いっぽうそれを今様(いまよう)のハイテクが支えています。
たとえば、一昨年5月から日本とブラジルの航空郵便はコロナを理由に停止したままとなっています。
これからご覧いただく作品も、パンデミックの間にブラジルで編集したものですが、藤崎さんにDVDを郵送することもかないませんでした。
そこで今回も上映のお手伝いをしてくださっている私の友人の柴田靖子さんにお願いしてギガファイル便という動画のデータをオンラインで送るシステムを利用して、ブラジルから柴田さんにデータを送り、そのデータを柴田さんがDVDにコピーして藤崎さんに郵送してもらいました。
このメッセージも私がノートパソコンのワードでしたためたものをオンラインで柴田さんにお送りして、それをプリントアウトして藤崎さんに届けてていただいています。
今日のメイシネマ上映会の通知も藤崎さんがハガキで柴田さん宛てに送ったものを柴田さんがブラジルにオンラインで送ってくれました。
2019年のメイシネマ祭のこの記録の初公開がなんと原一男監督作品との2本立てとしてかなうことを驚き喜ぶと同時に、4月22日が一周忌の森田惠子監督のことに想いがおよびました。
森田さんは生前、メイシネマの上映スタッフとしてオンラインでの上映の告知をひとりでこなしてくれていました。
2019年の記録では、その森田さんの遺作となった『まわる映写機めぐる人生』のメイシネマでの東京初公開の様子と森田さんのトーク、そして上映スタッフとしての活躍ぶりも収めています。
4月22日の一周忌、そして今日のメイシネマ上映会のオンラインでも告知を兼ねて私は2019年の記録から森田さん関連のシーンをピックアップして新たに編集してYouTubeにアップすることを思いつきました。
まずは藤崎さんに国際電話をして賛同をいただき、一周忌の当日に合わせて『森田惠子監督のメイシネマ祭 銀幕の再生』と題した25分の作品をオンラインで公開しました。
すでに120回のアクセスをいただいています。
現在、私は『ブラジル竹取物語』と題した最新作の編集を終えて、これから2019年の江古田映画祭での特別講演の記録をYouTubeにアップする作業に入ります。
江古田映画祭は「福島を忘れない」と銘打って、福島原発事故の起こった翌年より毎年3月に震災と核問題につらなる作品を特集上映しています。
2019年にはメイシネマ祭でも上映していただいた私の『リオ フクシマ』と『リオ フクシマ 2』 が江古田映画祭で上映されることになり、それに合わせて私は訪日しました。
この時は詩人のアーサー・ビナードさんがオープニング記念の特別講演を行ない、私が撮影を申し出ました。
『闇が湧き出るところ』 という講演のタイトで、ビナードさんは「私たちは新たな原発事故の前夜を生きている」と訴えました。
さらに言えば、私たちは日本列島での新たな大地震の前夜を生きていることになります。
そしてロシアのウクライナ侵攻によって、原発事故にとどまらず、あらたな核兵器の実戦での使用の直前を生きていることを思い知らされました。
こんな状況のなかで、私たちはどのように生きたらいいのか。

私はそれを自分が生涯をかけて取り組んできたドキュメンタリーというかたちで探り、紡ぎだしていきたいと考えています。
藤崎さんは2019年のメイシネマ祭のプログラムに「思いは時を超えて…いまを生きる私たちの物語」という言葉を添えました。
上映会場の闇のなかに映し出される「いまを生きる私たちの物語」が、いまを生きて、明日も生きることを願う私たちの足もとと行く先を灯(とも)してくれることをブラジルから祈っています。

西暦2022年5月3日(日本時間4日)
ブラジル・サンパウロにて
           岡 村  淳

(上映当日に配布していただいた文章に若干の加筆をしました。)


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