赤木和文さん追悼・赤木イモの力(ちから) (2023/06/16)
<赤木イモの力> ブラジルで日本の赤木和文さんの訃報に接してから呻吟を重ねて、赤木さんはイモだったなと気づくに至った。 麦ではないと思う。 よく知られる「一粒の麦もし死なずば」はイエス・キリストの言葉だ。 いっぽうイエス自身が別に種のたとえで述べているように、岩場に落ちた種は芽が出ても根を延ばせずに枯れてしまう。 うまく土壌に蒔かれた麦でも、天候や病害、虫や鳥などを考慮すると、いつどれほどの実りが期待できようか。 没後の赤木さんからの時をおかない「みのり」はすさまじいものがあった。赤木さんの逝去を知った人が、生前の赤木さんと一度だけ会った人が、さらに生前の赤木さんに接することのなかった人が、赤木さんを偲ぶ文章をいとも妖しく輝く紡ぎだしていく。 記紀の日本神話への影響もうかがえる熱帯亜熱帯の根菜:イモ作文化地帯に伝わる、民族学でいう「殺された女神」だ。 イモは自らの体からいくつもの芽を出して、自らの生物学的な死にこだわらずに繁殖していく。 僕がブラジルに移住してからぶったまげたものに、巨大ムカゴがある。 アンチョコを見ずにムカゴを定義すると、イモ類の地上の茎部にみのる小イモ、といったところか。 僕が日本で知るムカゴの大きさは、最大でも鼻クソをこの大きさまではまるめられないかな、といった程度だ。 ところがブラジルでは、大人のコブシほどものムカゴがあるではないか。 日本ではこれをエアーポテトと称するようだ。 地球上のものならぬ形状から、宇宙イモとも呼ばれるとか。 赤木さんは自身の生死を超えて、かつてはムカゴを、そして今はイモを残されたものに恵んでくれている。 麦などの穀類は大規模栽培と貯蔵が経済的にかなえば、それが権力の源となっていくと人類史は語っている。 それをいさぎよしとしない、イモのありかたこそが赤木さんらしい。 日本の真逆の真夏のブラジルで、そしてジャガイモ・サツマイモ・マンジョーカ(タピオカ)イモの故郷である新熱帯区のブラジルから赤木さんのイモ力を想っている。 西暦2023年2月 バルドを超えた赤木さんに。
追悼の追伸: この文章を今、読み返してみると、よほど息せき切って書いたようで、僕個人のこだわりをいくつもすっぽかしていた。 そもそも赤木さんとは何者か、知らない人には見当もつかないだろう。 実は、僕もよく知らないのだ。 岡山出身の僕のシンパで、パンデミック中の僕も知らないうちに鳥取県の東郷池のほとりに移住してまもなく急死してしまったという。 僕は鳥取での拙作上映会の時に、この池のほとりを訪ねたことがある。 先日、ブラジルの出先の日系人のお宅でたまたま見たNHKの番組で、この東郷池が汽水だと知った。 巨大なシジミが生息するという。 陸上生物のふるさと・汽水域。 干満とともにとどまることのない海水と真水のあわい。 和風タルコフスキーの世界を感じて、ブラジルにいながらひかれていく。 赤木さんが引き寄せられたのが、わかるような気がしないでもない。 わがサンパウロ州の汽水域はマングローブ林が発達していて、命がうるさすぎるのだ。 いずれまた訪日して東郷池を訪ねる機会があれば、ほんとに汽水かどうか、水をなめてみようと思う。 西暦2023年6月 移民の日を前に。
|