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岡村淳のオフレコ日記
     西暦2015年の日記  (最終更新日 : 2016/01/03)
4月の日記 総集編 ジェシカとトミエ

4月の日記 総集編 ジェシカとトミエ (2015/04/05) 4月1日(水)の記 ジェシカとトミエ
ブラジルにて

4月になってしまった。
次回の訪日時には20回以上の上映予定が入り、さらに流浪堂さんで僕のはじめての写真展「ちょっと時差ぼけ」を行なうことになった。
ひとつひとつのイベントの主催者とのやり取りだけでも、なかなかの時間を要する。
ブラジルの家庭も準非常事態で、あれこれとしているうちに、どんどん時間が経ってしまう。

さあ今日は思い切って夕方より外出。
まずはアーディオヴィジュアルミュージアムでのジェシカ・ラング写真展。
僕あたりは1976年版の『キングコング』の女優としてぐらいしか認識していなかったジェシカ・ラングは写真を学んでいて、ハードな写真集も出していた。
催事紹介で掲載される彼女の写真にそそられるものがあり、わが写真展のヒントにもなるかとあまりアクセスのよくないミュージアムまで思い切って行ってみる。
ビンゴ!
これはよろしい。
それぞれのキャプションのない、モノクロームの世界。
彼女とは、好みがある程度、重なるようだ。
何巡かしたのち、腰掛けに身を置く。

彼女の出身のアメリカのミネソタの他、メキシコやヨーロッパ各地で撮られた写真のようだ。
これらの写真は「What I see.」だという。
これだ。
自分が見たものを、場所や時系列から解放してみる。
そのなかから醸し出されるものの豊かさ。

夜道を行脚するのはやめて、バスと歩きでピニェイロスのトミエ・オオタケ文化センターへ。
今晩は、2月に101歳で亡くなったトミエ先生の最晩年の作品の展示のオープニング。
これは驚いた。
僕が拙作を完成させて謹呈した後ぐらいからの最期の年月に、トミエ先生はこれだけの世界を創作していた。
ひたすら白絵具を塗り重ねた作品は、臨死の世界をほうふつさせる。
黒澤の『まあだだよ』を観直したくなった

ジェシカとトミエ先生に、貴重な励ましをいただいた。


4月2日(木)の記 ベトナムの富士桜
ブラジルにて

今日も朝から日本各地の上映会主催者の方々との交信。
上映情報アップ、関連のあちこちへの連絡。
なにせこっちは一人、やることに不足はない。

午後、買い物に出る。
米櫃がサンパウロの貯水池なみに底をついた。
ここのところ高騰している「日本米」も買わないと…
近くの日本食材店。
ブラジル産の「日本米」の安値のを探す…
「富士桜」というニューフェイスがある。
ブラジルで売られる日本米は長粒、中粒、短粒に分かれる。
僕は短粒が好み。
今日は短粒はこの富士桜だけのようだ。
このお米、パッケージの表面には富士山と桜の写真で「ジャポニカ米」と表記されている。
裏を見ると…ベトナム産とある。
はるかベトナムからブラジルまで運ばれた日本米、値段はブラジル産日本米よりわずかに安い。
話のタネに買ってみる。

今日は、トンカツを揚げる。
ご飯は玄米を混ぜたが、特に問題ない。
もう何年も冷蔵庫にある八丁味噌でトンカツをいただくと、絶妙においしい。
日本をはさんででもいいが、ブラジル・南米と東南アジアがもっと近づいたら面白いかも。


4月3日(水)の記 聖週間の豆
ブラジルにて

キリスト教暦では、今日はイエスが処刑された日で、休日。
国民の大半がクリスチャンであるブラジルでは、今日は肉食を控える。
鶏肉もNGとのこと。

さて昨日、我が家での納豆作り、なぜか失敗してしまった。
あらためて納豆作りのレシピを調べて、納豆菌繁殖のための熱源として使い捨てカイロ使用というのがあった。
日本でもらったものの、使いあぐねていた使い捨てカイロをこちらにいくつか持参していたので、使ってみたのだが。
12時間経過後は、これまでのような湯たんぽ方式で保温に努めたものの。
なぜか途中で納豆菌の繁殖が止まってしまった。
途中の試食の際に強力な雑菌でも入りこんだのだろうか。
納豆本も出されている小泉武夫先生は、納豆を用いた相当ややこしいレシピも掲げている。
が、納豆そのものを自分でつくることはむずかしいと書かれている。
よほどデリケートなものと再認識。

もったいない、納豆菌の死滅したらしい煮大豆をどうするか。
鶏肉抜きのヒジキおこわに入れてみる。

家族のリクエストで赤飯(お祝いではなく、赤をイエスの血に見立てて)づくりをしようと思い立つが、冷蔵庫に長らくあったおそらく金時豆を大納言小豆と勘違いして失敗・・・

大豆入りヒジキおこわはまあうまくいったが、さあ小豆のレシピでいきなり似てしまったおそらくキントキをどうするか。

豆類、あなどりがたし。


4月4日(木)の記 スーツケースの端境期
ブラジルにて

日中、家族で外出した際に、カバン店を物色。
最近、訪日の際に使用しているスーツケースが2個とも厳しい状況のため。
この店で、リオのコパカバーナ海岸の舗道の柄のスーツケースを見つけ、目をつけていた。
うーん、どうしよう。
面白いけど…
返って目立つ。
舗道扱いで空港労働者に踏んづけられる。
値段、内部なども検討して、舗道は見合わせ。

これまでスーツケース運がよくなかったが、そろそろ流れを変えよう。


4月5日(日)の記 復活に読む
ブラジルにて

今日は、イースター。
妻の実家に集まってお祝いの昼食。

夕がたに戻り、無性に本が読みたくなる。
『日本脱出記』大杉栄著、土曜社。
これは流浪堂さんで、沖縄のウララさんが友情出品したものを買わせていただいた。
大杉栄が書いたものを本として読むのは初めてだろう。
なるほど、「××××××××飛ぶ。×××××××光る。」か。
1923年、大杉がフランスで国外追放され、9月の関東大震災のあとで虐殺される前に書かれたもの。
雑誌や新聞に発表されたものが中心で、肩がこらず面白い。
この時代に日本の官憲の目を欺いて、ヨーロッパに密航、フランスでメーデーの時にやむにやまれぬ気持ちで演説をぶって逮捕される、というのはまことにすごい。
大杉栄はダーウインの『種の起源』やファーブルの『昆虫記』の翻訳も手がけているが、そのあたりも気になるところ。
故橋本梧郎先生と、大杉栄を語ったことはないけれど。

ついで『神をさがす旅 ユタ神様とヘミシング』山川健一著、Ameba Booksというこれまた流浪堂さんで目について買った本に突入。
奄美のユタ神様について触れているのが気になった。
ヘミシングというのはステレオヘッドフォンを用いて、意識を変性意識へ導く技術だそうだ。
死後の世界を実感したり、宇宙エネルギーと交信したりできるとか。
旅のエッセイのなかで当たり前のように出てくるヘミシングとかフォーカスなんとかというのはよくわからないが、いくつか印象に残るエピソードあり。
「(前略)死後は「無」ではないことになる。かつて起こったすべてのことが、エコーのようなものとして、今なお宇宙の全体に微かな響きとしてのこっていることになるからだ。
宇宙とは虚無的な暗黒ではなく、ぼくらすべてを包む、美しく懐かしい故郷なのだ。」(前提書)
あなとうと 宇宙に漂う サウダージ。


4月6日(月)の記 田舎 否か
ブラジルにて

午前5時台のサンパウロの街はまだ夜中。
強盗を避けて、もう少し明るくなってから出よう。

本日の走行370キロ余り、南回帰線を何度も車でまたいだ。
サンパウロ市の北西方向の町のお嬢さんのところに身を寄せている橋本先生のお連れ合いを、市の東方向の農場のお嬢さんのところまで護送するお役目。
『橋本梧郎と水底の滝』シリーズの常連・小橋さんが付き添ってくれる。
高速料金は小橋さんが出してくれて、ガソリン代は僕の負担。

お連れ合いのゆきさんは、お料理上手。
両方のお嬢さんともなかなかのお点前。
どれもこれも、ほんとにおいしい。

農場のお嬢さんのところで小橋さんがゆきさんの手当てをしている間、ソファで一服させてもらう。
腕に痒み。
海岸山脈名物のブヨにやられたようだ。
今度は右の手のひら。
いやなところを刺してくれた。

続いて腕のむずがゆさ。
三角バエに似た大型の昆虫が体表を舐めにきている。
これがしつこい。

田舎もいいけど、まずこれが・・・
なにかこうした昆虫類が忌避する植物を植えるとか、エキスを撒くとか…
とか思っているうちに出発。
右手のひらのは、なかなかで、小橋さんが持参の液体薬を助手席から塗ってくれる。

別れ際、ゆきさんは眼を赤く腫らして、後ろ髪を引かれる思い。
この宇宙は、サウダージに満ちている…


4月7日(火)の記 Hiroshimaとサルガド
ブラジルにて

訪日前、さいごの一日断食に入る。
今回、日本での上映の予定はないが、『60年目の東京物語』のマスターテープ扱いしているテープにドロップアウトが生じているのが気になっていた。
思うところあって、もとのVHSからのバックアップを行なうことにする。
VHSそのものは再生できたが、音声にかなりの劣化が生じているではないか。
編集機に新たなVHS起こしのデータ、もとのマスターのデータを取り込んで継ぎ接ぎすることに。
この期におよんで大変な作業に手を出してしまった…

ダウンタウンの非営利の映画館で『Hiroshima』というタイトルのウルグアイの劇映画が本日も上映される。
解説文では、広島や原爆との関係がわからない。
世界の映画界では、そこそこ知られた監督の作品のようだ。
気になって仕方がないので、家族の夕食の準備をして、いざ。

ウルグアイの町に住む、ロック好きの青年の、だらだらとした日常。
トーキー映画なのだが、会話には別カットで字幕が入る。
最後に主人公が、何語とも何をうたっているのかもよくわからず、やたらにヒロシマという言葉の散りばめられたロックの曲をひとりで歌っておしまい。
いったい、なんなんだ!?
これだけヒロシマと遠く離れてヒロシマをウリにする作品は、空前絶後かも知れない。

このままでは、帰れない。
セバスチャン・サルガドが主人公のドキュメンタリー映画『地の塩』をぜひ訪日前に見ておきたい。
21時35分最終上映の映画館に向かう。
ブラジル人のサルガドがフランス語で語っている言葉のポルトガル語字幕を追い、ドイツ人のヴィム・ヴェンダースが英語で語っている言葉のポルトガル語字幕を追い続けるのに疲れる。

最初のサルガドの言葉から、がつんとくる。
ひっきりなしのサウンドトラックがうるさいが、写真集のメイキングではない、サルガドいやさ地球の全体像に迫る壮大な作品。


4月8日(水)の記 手焼きの日
ブラジルにて

昨晩のサルガドの映画の時は、やや夢うつつとなったが、帰ってから気合いが入り、深夜まで『60年目の東京物語』マスターの継ぎ接ぎ作業を行なってしまった。
今朝は眠い。

今度の訪日時の上映作品等のDVDの手焼き作業。
先回、上映予定だったがなぜか日本の実家に素材が見当たらず、別の作品に切り替えていただいた作品のマスターがある。
これもDVD焼きを考えてチェックすると、新たに編集が必要な状態。
この作品は今回、上映の予定がないので、ブラジルに戻ってからの宿題とする。
そもそも編集機の容量の余裕がもうない。

土産物、留守中の家庭の必需品の買い出しを始める。
一週間後は、旅の途中か。


4月9日(木)の記 買い物歩き
ブラジルにて

ブラジル国内に書留で二便送る。
添え状書き、梱包、郵便局で列につく。

徒歩圏のハシゴ、訪日土産類の買い出し。
手間も費用も、ばかにならない。
まだ何回か買出しを繰り返さないと。

夜は、日本から担いできたカレールウに混じっていたハヤシライスのルウというのを使ってみる。
うーん、イマイチという感じ。
そもそもハヤシライスというのが今ひとつつかみがたいものがある。
生クリーム抜きのストロガノフといったところかな。


4月10日(金)の記 ピカソとオーソン・ウエルズ
ブラジルにて

朝イチでブラジル銀行文化センターのピカソ展に思い切って行ってみる。
9時開場。
ちょい過ぎに到着するとすでに入場待ちの列があるが、30分弱の待ちですんだ。
マドリードのソフィア王妃美術館収蔵品。
ピカソが「画家とモデル」というテーマを描き続けたことが興味深い。
ゲルニカについての映像が流されていて、思わぬ気づきに打ち震える。

東洋人街でさっぱりしてから、昨日から始まった国際ドキュメンタリー映画祭に、いち観客として向かう。
エコロジー映画祭を堪能させてもらったし、訪日が迫り、もはや映画三昧という訳にはいかない。
サワリ程度をみて、アタリをつけるに留めることとする。

今日は、2本。
『It's All True:Based On An Unfinished Film by Orson Welles』、
これは観たかった。
オーソン・ウエルズ生誕100周年記念プログラム。
オーソン・ウエルズは1941年、アメリカ合衆国の対南政策の一環として、ブラジルをテーマとした映画を製作するためにブラジルを訪れた。
リオのカーニヴァルとともに、彼が選んだのが「ジャンガデイロ」、ブラジル北東部のイカダ漁師だ。
どちらも撮影は進行するが、思わぬ事情で製作は中止されてしまう。
1985年にパラマウント映画社の倉庫で「お蔵入り」のフィルムが発見されて…
ついに陽の目を見た「ジャンガデイロ」の映像は、映画史上の奇跡と言っていい秀逸さだ。
映画史と自分史の重なる、人生でもまれな映画体験。

僕は1984年と1986年にこのジャンガデイロを取材しているのだ。
1986年バージョンは牛山純一プロデューサーの一存で、お蔵入りしたままである…

帰宅後、ピカソとゲルニカをめぐる符牒を調べてみる。
え?
映像作品には、3回以上も見てメモもしているので間違えてはいないだろうが、ゲルニカ空襲は1937年4月24日と字幕がいれてあった。
いくつかのウエブサイトで調べるが、4月26日とあるではないか。
今年の4月24日に東京のSUNNY BOY BOOKSで上映する拙作と、ピカソのゲルニカが、馬をキーワードとして僕のなかでつながったのだが…


4月11日(土)の記 フラハティとブニュエル
ブラジルにて

午後、水筒に「脇の茶」をいれてドキュメンタリー映画祭を日本ハシゴ。
一本目は『MOANA WITH SOUND』。
民族誌フィルムの始祖、ロバート・フラハティがポリネシアを取材して1926年に発表した『MOANA』。
その50年後に娘のモニカが現地で音声と歌唱を採録し、1981年にサウンド付きヴァージョンを公開し、さらに2014年にデジタル修正されたもの。
まさしく記録魂といったところか。
オーディオとヴィジュアルのあり方を巡って示唆に富む試みだ。
映像の方は、なぜか遠景のショットが見られないような。
まれにある遠景は、書き割り風な印象あり。

パウリスタ大通りを歩いて、河岸を変える。
スペインとメキシコの合作映画だが、英題でいくと『FOLLOWING NAZARIN:THE ECHO OF A LAND IN ANOTHER LAND』。
1959年にカンヌで審査員グランプリを受賞したブニュエルの『Nazarin』のメキシコのロケ地、関係者を訪ねる。
若きカトリック神父の凋落を描いているらしい『ナザリン』をぜひ観てみたいが、日本では公開はされずに、DVDボックス等は存在するようだ。
映画フリーク時代は『昼顔』ぐらいしか見た覚えはないが、ブニュエルはスペイン語圏では「ドン・ブニュエル」と称される巨匠と改めて再認識。


4月12日(日)の記 目覚めよブラジル
ブラジルにて

先週まで刺身用の魚はアジをすすめられていた。
今日はどの店もアジが見当たらず、カツオを買う。
こちらの実家で昼にカルパッチョをつくるため。
実家でもカツオを買ってあり、炙ってタタキにしてあった。
カルパッチョは珍しかったらしく、好評。

午後から、ドキュメンタリー映画祭の見納めに。
今日はあらたに現政権反対のマニフェストが全国で同時に行なわれる。
上映会場はそのど真ん中、パウリスタ大通りに面していて、建物の大通り側三方は格子戸を降ろしている。
マニフェストのテーマは「目覚めよブラジル」、お年寄りや子供連れも多く、和気あいあいな感じ。

まずはニューヨークとロンドンに暮らすブラジル人がブラジルに戻ろうとする話を見る。
その二組のメリハリがよくわからない。

次いで、『TIEMPO SUSPENDIDO』、停止された時間、というNATALIA BRUSCHTEIN監督のメキシコ映画。
彼女の祖母はアルゼンチンの「五月広場の母」の中心人物だった。
軍政時代に行方不明になった学生たちの母親らのマニフェストだ。
ナタリア監督は父、祖父など一族の5人が軍政時代に当局に抹殺されて、彼女の母はメキシコに亡命した。
毅然として闘い続けた祖母は高齢になり、認知症を患って当時の記憶をなくして、介護ホームに入居している。
身内だからこその記録と表現であり、それがセルフドキュメンタリーをはるかに超えた拡がりと重みを持ち、そして映像が美しい。

日本の近未来が、中南米の軍事政権時代にオーバーラップしてしまう。
日本の皆さん、亡命先はお決まりですか?


4月13日(月)の記 古新聞を開く
ブラジルにて

サンパウロ出家前日。
朝からスーパー類をハシゴして、土産類、家庭の入り用なもののストックの買い出し。
溜まっている古新聞の山の整理。
これも、専心するとそこそこはかどるぞ。

わが初の写真展『ちょっと時差ぼけ』の写真データを移行させる作業。
なにせいちいち初めての試みだが、ポータブルDVDドライブを使ってデータをDVDに移してみた。
移行後、肝心なドライブでは読み込まないが、他のパソコン内蔵ソフトなら開くので、オッケーなんだろうな。

日本のコンビニ等のセルフサービスでできる程度で、デジカメ撮りの写真を引き伸ばしてみるつもり。


4月14日(火)の記 出家と写真集
ブラジル→

サンパウロ出家当日。
なおも買い物、身辺のごちゃごちゃ整理。

いつも訪日までの残りの日数は、砂時計の最後のように時間の速度が増してなくなっていく感じ。

グアルーリョス空港のシャトルバスの降車ポイントから第3ターミナルまで、今回は無料の接続バスでいってみる。
これだと何度もエレベーターをつかまなくてもいい。
エティハド航空のカウンターのねーちゃんは勉強不足でマイレージカードの違いも知らず、それでいて大枚はたいてアップグレードしろとしつこい。
クレームしよう。

相変わらずアラの目立つラウンジ。
壁の本棚に、インテリアとして置いてある感じの重い写真集を手に取ってみる。
これはすごい。
John Loengardの『AGE OF SILVER』。
ブレッソン、アンセル・アダムス、、キャパなど世界の巨匠の写真家そのものをとらえた写真集。
われらがサルガドも登場。
髪を剃らず、口ひげをはやした今日とは別人のような近づきがたいかんじの頃の姿。

その横の、さらに重い写真集もすごかった。
書籍のチョイスに関しては、ただ者ではない目利きがいるようだ。


4月15日(水)の記 空のUNBROKEN
→アラブ首長国連邦→

エティハド航空の機内エンターテインメント、『UNBROKEN』があるではないか!
女優のアンジェリーナ・ジョリーが監督、日本では公開予定の立たない話題作だ。
第2次大戦中の日本軍と日本が描かれて、ミュージシャンのMIYAVIが準主役を務める映画だが、機内サービスでは数か国バージョンが選択できるものの日本語は、なし。

冒頭の日本軍機の迎撃を受ける米軍爆撃機のシーンだけでも、なかなか。
ベルリンオリンピックの陸上競技に参加した主人公が爆撃機に乗り込んでいるのだが、墜落。
洋上をさまよい、日本軍の捕虜となり…
大森の捕虜収容所のサディスティックな所長を演じるのが、われらがMIYAVI。
彼はこの映画に出演したことで、いわゆるネトウヨの攻撃にさらされ続けているとか。
実話に基づいた映画だが、この不気味なワタナベという人物について、もう少し知りたいところ。

機上でまずこの映画を観るが、後半うとうとしてしまい、アブダビでのトランジットのあと、もう一度、見直す。
日本語字幕版でも見てみたいが、いずれにしろ同時代を描いた『永遠のゼロ』とは比べ物にならないほど、僕には刺激的で、考えさせる意欲作であった。


4月16日(木)の記 コンビニの証明
→日本


午後の成田に到着。
なんとも心地のよい外気。
新緑も壮快。

ひどい睡魔に襲われるなか、シャトルバスは渋谷に到着。
目黒の実家にたどり着き、まずは不在中の郵便物をざっとチェック。
ウン10時間ぶりに横になる。

さあ、今日のミッション。
学芸大学復学。
道順で、まずはSUNNY BOY BOOKSさんに出頭。
24日の上映の機材設定打ち合わせ。

ついで、流浪堂ふたたび。
店内の品ぞろえは、粘菌の変形体のようにうつろいでいる。
さっそく明後日からの上映会、そしてメインイベントとなる来週からの写真展「ちょっと時差ぼけ」のレイアウト大要を打ち合わせ。

学大復学の前に、道中にあるコンビニにて、DVDに写してあった写真データを紙焼きしてみる。
A4光沢紙に。
なるほど。
わるくない。
設定をいくつか変えつつ。

そもそもデジカメで撮った写真をコンビニのセルフサービスでできる程度のコストと手間で、他人様にお見せできるようなレベルのものが可能かが大きな懸念だった。
どうやら、及第点。

流浪堂さんとの打ち合わせのあと、さらに何軒かのコンビニにてコピー機の塩梅の相違を確かめる。
試行錯誤を繰り返すが、デジカメ写真なれどA4サイズの刷り上がりを見るのは、思わぬ快感あり。


4月17日(金)の記 大いに時差ぼけ
日本にて


身心とも疲れているのだが、時差ぼけで深夜も覚醒中。
写真展用の素材のコンビニセルフ焼きを一気にすすめにかかる。
が、深夜ではトナーや光沢紙を店員が補充できない店があり、作業スペースのある店も使用不可となっている。

朝を待つ。
この期に及んでネットで調べ、コンビニコピーはセブンイレブン系と、他3社計に分かれ、コピー機の精度は後者に軍配とある。
昨晩以来、5件以上ハシゴした僕の評価と一致。

うれしくも入手かなったタルコフスキーのポラロイド写真集をひもとく。
ミケランジェロ・アントニオーニもポラ使いを好んだとある。
実に励みになるエピソードだ。

さあ今夜は、下高井戸シネマのドキュメンタリーフェスティヴァルの前夜祭。
懐かしい再会、うれしい出会い。
キュレーターの飯田光代さんには、たくさんの出会いの機会をちょうだいしてきた。
知人より終了後、イッパイのお誘いを受けるが、0時まで営業の流浪堂さんにまた顔を出したいので、失礼させていただく。


4月18日(土)の記 マルタのシモタカ
日本にて


いよいよ当日。
下高井戸シネマのモーニングショーで『旅の途中』上映。
会場に流浪堂さんの企画、そして明日の下町上映会のチラシを貼らせてもらうべく、コンビニ作業。
ハガキ大の原稿をびったりA4に拡大するのが、けっこう手間。

昨年より少な目の人の入り。
上映前に、さっそく懇親会参加希望者の概数をカントク自らが確認。
上映開始とともに、例年の寿司屋に電話をすると、さんざん待たされて満席だと断られる。
さー、困った。
映画館のスタッフも適当な店の心当たりはないと言うが、そこをなんとか絞り出してもらう。
大衆中華料理屋、という話が出て、電話をしてみるが、応答なく…

上映中にどたばたして、なんとか中国人経営の大衆系らしいお店を確保。
さあ、上映後のトークだ。
悪意ある質問もなく、やれやれ。

懇親会にお付き合いいただける方々を、場所をよく把握していない訪日したばかりのカントクが引率。
手ごろな、いい店ではないか。
いつもの寿司屋は、個別の会計をしてくれないので、会計作業が一苦労だった。
今日はそれに備えて、大量のコインを用意していたのだが。
もうあの寿司屋の屈辱を味合わなくていいとはありがたし。
いい懇親会だった。

いったん実家に戻って仕切り直し。
夜の部の上映に向かうが、危うく上映機材の備品を失念するところだった。
学芸大学復学、流浪堂経由で会場の鷹番住区センターへ。
ちょっと勝手が違い、戸惑いながらも設定。
トラブルがなくてなにより。

学芸大学廻りでは先回、相当数の飲食店を制覇した。
オシャレ系、チェーン系は避けて、アットホームな大衆居酒屋で。
アットホームに懇親。
いやはやお疲れ様でした。
際どかったが、トラブルもなく、何よりだった。


4月19日(日)の記 下町奉納上映
日本にて


今日の上映会では、思わぬ再会と出会いがあった。
やはり、拙作の公開上映には僕自身が立ち会うべきという原則を再確認。
そして、僕自身のドキュメンタリーづくりの原則を思い知る。

昨日のダブルヘッダーの興奮と疲労の余韻を引きずりながら、日比谷線に潜る。
今日の上映は頼もしい主催者グループがいるので、機材や会場の設定、飲み会の希望者の把握や会場の手配などはお任せで、まことに楽である。

会場は温泉宿の大広間みたいで、演芸上映といったところ。
主催者の方々の信頼の人脈で集った方々対象で、悪意のありそうな方も見当たらず、これまたラクである。

飲み会は一次会から二次会に移り、盛り上がりはとどまることを知らない。
しかしこの間も流浪堂さんで僕の写真展の準備を進めていただいていることを重く受け止め、中座して学芸大学へ向かう。

ブラジルでも日本でも、かつて僕が取材させていただいた方々の、お孫さんの世代と向き合う時代になった。
僕の仕事の耐久度が試されている。


4月20日(月)の記 写真合わせ
日本にて


午前中、実家にて写真展の概要と僕のプロフィールを200字原稿用紙に収まるよう書き上げる作業。

東京は、雨廻りの強風。
なにかヤバいものが飛んできて、頭をやられるかもしれない。
帽子をかぶっていると、少しだけ安心。

午後より、学芸大学「入学」。
明日からの写真展「岡村淳のちょっと時差ぼけ」展示準備。
いったん退学、インターバルを利用して横浜の綱島温泉へ。

これが日本での小さな夢のひとつたっだ。
先回は黒湯に長時間使って、リラックス・メディテーション・インスピレーション混交のよろこびがあった。
今回は…
湯が熱い。
43度以上で、そう長くは使っていられない。
それにしても、なかなかの場末感。
帰りに近くのコンビニで神奈川新聞購入。

学大に戻り、SUNNY BOY BOOKSさんで今週金曜の上映に備えた機材のセッティングテスト。
次いで、流浪堂の二見夫妻といっきに展示写真のチョイスの詰め、配置の調整。

流浪堂のレイアウトの絶妙さを存じあげているだけに、お二人のセンスと発想が楽しみ。
僕の写真の意味、組合わせの新解釈が面白く刺激的。

写真を組むのがこんなに面白いとは思わなかった。
さあ、みなさんにどのように見てもらえるだろう?


4月21日(火)の記 開幕の内幕
日本にて


今日は学芸大学で自分の写真展の初日と上映会。

が、諸事情をかんがみ、まずは下高井戸シネマのモーニングショーで伊勢真一さんの『妻の病 レビー小体型認知症』を鑑賞。
伊勢真一芋づるワールド。
伊勢さんのトークあり、理解が深まる。

写真展の方は基本的な写真は展示したものの、まだ細かく手入れする部分はいくつもある。
が、今晩の上映会の準備を優先することにした。
資料、アンケート用紙のコピー、裁断ぐらいから、いくらでもある。

上映の人の入りは、満員を若干上回り。
『トミエ・オオタケ』と『松井太郎』。
『松井太郎さんと語る』は初めて他人様に全編をお見せする。
ひたすら松井さんと岡村が話をする、という内容。
思ったより好意的に皆さんに受け止めてもらえた。

浅野屋さんで懇親会、0時前に閉店直前の流浪堂へ、居残った有志たちとともに。
なんとか、ここまできた。


4月22日(水)の記 ショア枯れすすき
日本にて


近場で、なんとかまる一日、都合をつけられるのは今日だけ。
思い切って『ショア』を見に行くこととする。
第2次大戦中のナチスによるユダヤ人虐殺を、関係者の証言から掘り起こす全9時間余りのドキュメンタリー映画。
伝説的なこの作品を、ついについに。

会場は渋谷。
4部作に分けての上映、1作1800yen、4本通しで4500yen。
途中のインターバルが10分程度とのことで、ペットボトルの空きビン2本にお茶を入れて持参。
近くのコンビニで軽食2食分を買って、いざ。
人の入りは、控えめ。

なるほど、こんな感じの映画か。
ここのところの自分の方の連続上映で疲労がたまっていて、うとうと…
BGMのない静謐な作品なので、寝息やいびきも心配。

観客の方は証言の翻訳字幕をひたすら追う作業。
これが眠気を覚ますどころか、かえって眠気を誘う。

ぜんぶ観た、というより、ぜんぶいた、という感じか。
4500円出してウトウト続きでは、ビジネスホテルで寝ていた方がよかったかも。
お勉強として見る作品として、映画館の都合ではなく、見る側の体調とペース主体に見直してみたいものだ。


4月23日(木)の記 大アマゾンをナメる
日本にて


かりにも一国の国立科学博物館である。
それが、こんなお粗末な展示を鳴り物入りで行なうとは、
大枚1600円取られて、ああ情けない。

日本国の国立科学博物館の「大アマゾン展」。
会場の入り口に、堂々と、日本のテレビ屋が撮ったらしい、日本のタレントらしい人物の体に大蛇アナコンダが「巻きつけられた」映像。
僕は、明らかにヤラセの映像だと思う、

メインの会場に並べられたのは、作成後、何十年も経たとみられるはく製類。
見事なまでに、どれも日本にあった、お蔵入りしていたと思われるものばかり。
先住民のコーナーに至っては、展示品のすべてが山形にあってつぶれた施設にあったもの。
解説文は、ポルトガル語や人類学のたしなみある人を十分に苦笑させてくれる。

4Kシアターと銘打った映像は、手間も暇もかけたとは思えない、見事なやっつけ・手抜き仕事。

僕には、30有余年前から日本のテレビでアマゾンものを手掛けてきた矜持と忸怩たる思いの両方がある。
この、志も、知性も、愛も感じられない、手抜きで安手の興行ひとすじの展示が、日本国を代表する国立科学博物館で行なわれるようなことになろうとは。
現在の日本国の政府なみに、これまでの先人の努力も蓄積もぶっ飛ばして劣情に走っているとしか思えない。

まずは、恥というものを知ってほしい。


4月24日(金)の記 SUNNYと銀幕
日本にて


千葉日報が買えるぞ。
電車賃が、ばかにならないけれども。

千葉県立中央博物館へ。
5月10日までの「世界の遺跡から出土した貝」展が目的。
このナイスな企画を実現したのは、学芸員の黒住耐二さん。
黒住さんとは僕の学生時代、台湾の離島で出会った関係。
ナスカの地上絵の付近には、海の貝が多量に持ち込まれている。
海岸まで50キロ近く離れたナスカで、なぜ?

特別展もさることながら、常設展も国立科学博物館の「大アマゾン展」より軽く100倍は志が高い。

夜は学芸大学SUNNY BOY BOOKSでの『消えた炭鉱離職者を追って サンパウロ編』上映。
あの庵クラスの小さな書店がシアターになるとは、感無量。
それまでの段取りをしつつ、ひやひや。
まことによい人たちが集まってくれた。

片づけを終えて、深夜の角打ち。
店主の高橋さんと杯を交わす歓び。


4月25日(土)の記 阿字ヶ浦もゆ
日本にて


鈍行列車で水戸へ向かう。
土浦での停車中、ダッシュで茨城新聞を購入。
茨城県美でベン・シャーン展開催と知る。

水戸駅に水戸岡村会幹部、室賀さんが迎えに来てくれる。
いよいよ阿字ヶ浦クラブでの『アマゾンの読経』合宿上映。

雑然とした海の民宿ぐらいかと思っていたら、上映会場は結婚披露宴ができるぐらいのスペースではないか。
すでに機材も設定していてくれて、これはラク…

第一部上映中に、画面フリーズ。
持参したクリーナーをかけるが、宿のデッキはチャプター送りが効かない。
して、またしてもフリーズ!
岡村持参のデッキへの切換えを図るが、宿側の延長音声ケーブルに接続ができない。
非常態勢を取り、予備のDVDをだましだまし上映…

その後は、事故はぴたりと止まった。
まさしくこの法事ともいえる鎮魂上映に、自分が軽佻、慢心でカルく望んでいたことを猛省。

上映には水戸の常連、首都圏の岡村組、ニューフェイス、静岡からの眞家亜国コネクションの面々が参加。

エンディングのモノローグのボルテージに、わが身を引き締める。


4月26日(日)の記 阿字ヶ浦慰霊行
日本にて


『アマゾンの読経』オールナイトの部終映、機材をオフにすると午前5時を回っていた。
ひとり、浜に出る。
日の出の直後だった。
『ナメクジ…』、そして『アマゾンの読経』のラストカットの延長か。

朝食後、宿の大刀自に阿字ヶ浦の由来を聞いてみて、がぜん盛り上がる。
宿の黒沢社長自ら1905年撮影の写真を持ち出して講釈。
付近に米軍の射爆場があり、平和ボケといわれる戦後70年の間に子どもを含む10人の市民が米軍機の射爆で殺害されていることを知る。

誠にディープな阿字ヶ浦巡検の後、ふたりの同行者とともに茨城県立美術館で始まったベン・シャーン展を見る。
まとめて通しで見ることで、ベン・シャーンの感じがある程度つかめる。
にしても、がらがら。

このメンバーで、そのまま学芸大学突入。
飯屋探しに苦労するが、変わり餃子のお店で堪能。


4月27日(月)の記 野毛もゆ
日本にて


明日は流浪堂さんはお休み、僕は明日夜から新潟ミッションに出る。
そのため、流浪堂の展示周りの若干の補強。

今晩の上映会場、横浜野毛のジャズ喫茶「ちぐさ」にもなるべく早く来て欲しいと主催の長谷川さんに乞われるが、忠ならんとすれば考ならず。

野毛は、なかなか不思議なところだ。
まずは機材の設定だが、担当やメンバーの指揮系統がよくわからず。
DVDポータブルデッキを持参するが、さすがに何メートルもの音声ケーブルは僕の方では用意していない。
お店のパソコン出しとする。

秋田から来た山川建夫さんと再会。
山川さんと長谷川さんの友人知人、フリーゾーン2000関係の人たちも集い、お店はすし詰め状態。
僕の上映史上、面積当たりの密集度では最高かと。
うれしい気持ちより、申し訳ない気持ちが強い。

すでに僕が店内に入れるスペースはなく、店外から大声であいさつ。
「ちぐさ」は壁面がガラス窓のため、道行く人も何事かと立ち止まってのぞいていく。
主催の長谷川さんから隣の店に誘われる。
そろそろディスクの交換と見計らって「ちぐさ」に戻ると、まだ第2部上映中のはずなのに、第3部が。
映像フリーズが起こり、かっ飛ばしてしまったようだ。
長谷川さんの身内の方があまりの熱気のせいか体調を崩し、救急車で運ばれたとか。

上映後は山川さんのひとり語りが止まらず、長谷川プロデューサーが介入してマキとしてもらう。

長谷川さんがぜひにも観たいということで生まれた上映だったが、彼女はまるで観ることができなかった。
ゆっくり観てもらおう。


4月28日(火)の記 有朋自遠方来
日本にて


あれもこれもしようと思いつつ、ずるずる時間が押してくる。
さて、どうするか。

目黒区美術館だけは行っておくか。
現在「新潟市美術館の名品たち」展開催中。
明日夜から新潟に向かうので、郷土目黒に来た新潟の名品を見ておくのは話のタネにもなろう。

コンパクトでよろしい。
二巡。
監視員の椅子ばかりでなく、訪問者のための椅子をもっと置いて欲しい。

夜は流浪堂の二見夫妻と、祐天寺でイタリアンの夕べ。
楽しい会食。


4月29日(水)の記 博物にかこまれて
日本にて


まことに不思議な集いがかなった。
東京大学総合博物館ホールでの『南回帰行 橋本梧郎と水底の滝・第一部』上映。
在野魂の結集。

この場で鳥居龍蔵や鹿野忠雄の名前で感応する人がいるのは、想定内。
しかし博物館側のスタッフが、牛山純一や佐藤真で響くとは。
千葉の貝類研究のスペシャリストの参加にも感激。

夕方始まりの懇親会から新潟行き深夜バスまで、どこで時間を潰すかリサーチもしておいた。
ところが懇親会残留組との盛り上がりで、東京駅鍛冶橋バスターミナル直行となる。
博物館に置いてあったチラシ類がよかった。
僕の今後の動向をますます埋めてくれるぞ。

さあ今日、いただいた出会いをどう育むか。


4月30日(木)の記 新潟の二三雲
日本にて


夜行バスで新潟駅着。
さて、どうやって駅の反対側に行くか。
宿に荷物を置いて、フロントでノートパソコンをWi-Fiにつなぐ。
駅ビルのバーガー屋で鮭バーガー。

細かく時間を調べておいてよかった。
新潟市新津美術館、山本二三(じぞう)展。
山本さんはジブリの『火垂るの墓』『もののけ姫』、ほかに『時をかける少女』などのアニメ作品の背景画を担当。
すばらしい、の一言。

わが国、わが時代が人類史に誇るアートは、山本二三さん、男鹿和雄さんらのアニメの背景画だと思う。
次の予定がなければ、会場から出てこれなかった思いというのはアントニオ・ロペス展以来かも。

新潟県立大学へ。
拙作をひいきにしてくれる先生の招きで、多文化共生の枠での上映とトーク。
新潟水俣病とアマゾンの水銀汚染を結んだ拙作プラス学生の選ぶ短編一本。
200人ほどの学生相手だが、どうやらいい感じ。

中華料理屋で、店主の釣ってきた魚を刺身でいただくという懇親会。
先生も学生たちも、なかなか感度がいいではないか。
アンケートを読ませてもらうのが楽しみ。


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岡村淳 :  
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